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2009年10月31日 (土)

今週の産直野菜(10月31日)

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詳しくは、関実事務局までお問い合わせください。電話 0799-72-5242 または、メール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp 。お気軽に。

 091031 今週の産直野菜が届きました。サトイモ、長ネギ、間引き大根、チンゲンサイ、カブ、ラディッシュ、サニーレタス、切りショウガ、青首大根 の9品目です。

 今週、三里塚に援農(?)に行ってきて、お土産をいただいたので、少しだぶつき気味。おまけに鍋をするために長ネギ、人参やシイタケなどを別に購入したりして・・・。しかし、この程度ならなんとかなるか・・・。

 「イモ掘り大会」に参加して、生産者と消費者が交流し、しかも、具体的に畑の様子を通して、いろいろな生産の苦労や野菜のでき、不できなどの様子を教えていただくことが本当に大事だなと思いました。

 昨年は、ゴボウが大変できがよかったのですが、今年はうまくいかなかったとか。人参のできが遅れているので、いつもなら畑に子供たちが入って実際に人参を引いてもらえるのに、間引きの前だから今年は出来ないとか。

 私たちの「三里塚産直運動」が、「産直」本来の「地産地消」をはみ出している遠い関西からのため、この消費者と生産者の交流による一体感がなかなか難しいという問題があります。しかし、3か所での販売活動や、宝塚での農業生産の試み(1反の畑が、若い人たちの手で作られています)など、この「産直運動」と援農活動などを通した三里塚の農民の皆さんとの交流が、しっかりと根をつけ、芽を出し始めています。

 今の日本が抱える農業問題、新自由主義による農政によって破壊され、解体されようとしている農民、農地、農を、こうした営みの中から取り戻していく一助となれば、農民階層の決起への一助となればと念じながら取り組んでいきたいと思っています。何よりも三里塚反対同盟を支える一助となることを。

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援農?

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 すでに27日に報告したように、26日は土砂降りの雨。8月末に訪れた折の台風直撃の時と変わらない。まだ雨が少し弱い朝一番に、黒豆の枝豆を畑に収穫に。地下足袋を履いていたら、「それじゃあだめ」と加代子さんが、謙太郎さんの長靴を。大きい。しかし、畑に出て助かった。枝豆を根っこごと抜き取るのだが、昨夜からの雨で土が柔らかく抜きやすい。091027_4

 それを持って帰って、無駄な葉っぱを切り取っていく作業をコンテナに腰をかけて。謙太郎さんは、現闘さんと、畑に積み上げられた生落花生がついた根っこの束を取ってくる。土砂降りの雨にさらしながら、水をかけて泥を落とす。昼過ぎに枝豆の剪定?が終わって、今度は、生落花生を、ドロドロの根っこからもいで行く作業。このころからものすごい雨に、台風の風。作業をしている近くが雨洩り。この日はこれで終わり。寒かったです。

 27日は、うってかわった秋晴れ。今日の農作業は、気持ちいいだろうなとのんびり構えていると、みなさんは、出荷のための収穫に大忙し。大根、白菜、小松菜、チンゲン菜。私は、現闘のTさんと残されて、昨日もいだ生落花生を、傷んでいるもの、食べれるけれど消費者には届けられないもの(はね)、そして届けるものの3種に仕分ける仕事を、コンテナに座って。濡れている豆を乾かすためにも、作業は日の当たるところで。暑くなってきた。最後に届けるのを薄く並べて日向ぼっこ(右上写真)。091027_5

 ほっとしたところに現闘さんが帰ってきて、収穫した小松菜を下ろし最後のチンゲン菜の収穫に行くという。連れて行ってもらって、やっと初めて畑へ。すでに作業は始まっていて、邪魔にならないようにトラックを移動したり、積み込みの手伝い。左写真の左が鈴木加代子さんです。終わって、トラックの荷台に乗せられて帰宅。気持ちいい。

 早く作業が終了し、10時前におやつを食べたのに、11時半に昼食。出荷作業が1時半からなので、それまで休憩。自分の車に昼休みに。赤とんぼが飛んでいる。突然、目の前の畑を、黒い巨大なものが動いていく。091027_6 なんだろうと見ていると、頭の上をジェット機が飛んで行くたびに黒い巨大なものが。暫定滑走路に着陸するジェット機の影だ! これを写したものが最初の写真です。高い場所からだともう少しわかりやすいですが、写真中央の黒いものが、影です。凄い速さで動いていくので、デジカメでは写すのが難しかったですが・・・・。加代子さんの話しでは、最初の頃に比べて低く飛んでいる(60メートル前後?)とのこと。こんなに影が巨大に映るほど、低く飛んでいるということだ(右写真が、鈴木さん宅の上を飛ぶ着陸機)。

 091027_7 それと、もうひとつ。鯉が棲んでいるのがわかった水槽をのぞいていたらガマガエルが。ところがしばらくしてのぞくと、裏返しになって浮いている。加代子さんによれば、足場がないので、高い水槽の壁が越えられず、泳ぎ疲れてのびているのだそうだ。「ほっといたら死んじゃうよ」と。あわてて網ですくってやって、水槽の横に降ろしてやると、しばらく裏返しのままのびていたが、いつのまにかいなくなった。よかった。よかった。

 それから、出荷作業。大根、白菜、枝豆、生落花生、チンゲンサイ、小松菜、それに萩原さんの方から届いたサニーレタスとさつまいも。残ったものをお土産にいただいた。ラッキー。それで、この二日、夕食は、久しぶりの鍋に汗を流しました。しかし、この二日間、加代子節を、げっぷが出るほど聞くことができました。鈴木さん、そして市東さん、萩原さん、そしてご家族のみなさん。本当にお世話になりました。

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2009年10月30日 (金)

10月25日 東峰部落現地調査

Photo_2  10月25日、イモ掘り大会の後、東京に帰るOさんが現地を回ったことがないので、東峰部落の現地調査を行いました。

 左写真は、新誘導路ができる前のものですが、解りやすいので使います。

  昨日のブログでも紹介した右下写真は、この写真中央の「萩原進さんの畑」の右端をジャンボが通っているところです。10・11集会は、この畑の左側、4割位を使ったのです。

 現地調査は先ず、写真左上の白い誘導路の下部分に接するようにある市東さん宅前の天神峰の畑にある監視台から、「へ」の字誘導路や、東峰神社、新誘導路、そして「へ」の字を強制している天神峰現闘本部、市東さんの畑などの位置関係を説明。東峰神社の立木がかなり育って、滑走路よりもずっと高くなっているのが手に取るようにわかる。説明が終わった頃に、続々と着陸機が目の前の誘導路を進んでいく。手を伸ばせば触れるような距離で、しかも、22日からの2500メートル化の後の故か、一回り大きなジェット機で、その威圧感が凄い。供用を前倒しして開始した22日には、本来A滑走路に降りるものまで、どんどんこちらに降ろしたそうだ。091025_2

 それから天神峰現闘本部前を通り、市東さんの南台の畑で、農地法「耕すものに権利あり」を無視して進められる農地強奪の裁判攻撃を説明。さらに北に進んで、成田ゴルフ倶楽部の前で、暫定滑走路が管制塔から見えないために設置されたテレビモニターのために伐採された立木の後を見学。沢山の立派な木が伐採され、仕方なく背の低い灌木がその切り株の間にみっともなく育っている。このマンガのような状況こそ、安全性を無視した成田空港の破産を物語っているのを改めて感じた(いつものデモの解散地点の少し先です)。091025_4

 それから51号線の滑走路の下のトンネルをくぐって、開拓道路へ。滑走路に70メートルと迫る開拓道路。離陸機の腹の下に、「ヘ」の字部分の誘導路を行く着陸機が見える。これが行くのを待って、離陸。この開拓道路の左手に接して新誘導路が滑走路に向かってあります。滑走路を2度横切るので、2か所に信号があって、誘導路を進む航空機が離着陸機がある時に停止して待機すると聞いていた。1か所は、最初の写真の一番下の部分が滑走路の真南にあるので解るのですが、あと一か所は? と思っていた。091025_6

 しかし、この時、解った。私たちの左側、目の前でジェット機が停止(右写真)。その右側に離れて小さく黒いものが誘導路のすぐ上、雲の下にあるのがわかりますか? 着陸機です。この時は、2機の着陸機を待っていました。着陸機が行き過ぎると、ここで初めてジェット機は大きく左カーブで直角に曲がって進み、私たちの目の前をそろりそろりと滑走路へ(左写真)。そこでまた右に直角に曲がって滑走路へ。091025_7

 自動車と違って、ハンドルもブレーキペダルもないジェット機は、その巨体をエンジンの噴射を工夫して止まったり、曲がったりするしかない。だからパイロットは大変だと聞く。事実、この日、様子を見ていると、デモの時に東峰十字路から先で誘導路の下をくぐったのだが、その先でいったん止まってから、もう一度そろりそろりと動いてまた止まる。この2度止まる理由が最初わからなかったのだが、信号の直前で止まり、その後すぐ直角に曲がれる自信がないから、2度止まるのではと推測される。ほんとに大変な空港だ。そもそも、安全性を無視したからこうなるのだ。しかも、巨費を投入して作りながら使用を開始する直前に、これでは使い物にならないと、第3誘導路の計画が、市東さんの家と畑を空港の中に閉じ込めるように計画されたのだ。それも、東峰部落住民の命の森であった東峰の森を3分の1も破壊して作りながらである。こんなでたらめな、乱暴な話が許せるわけがない。

 それから東峰神社、島村さんのお宅の前を通って、東峰部落の墓地へ。そして、最後に北原鉱治反対同盟事務局長のお宅を訪れ、ちょうど愛犬の散歩に出て来られた北原さんにお会いし、ご挨拶をしてOさんを成田駅に送った。

 

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2009年10月29日 (木)

10月25日 イモ掘り大会

091025

 10月25日、「三里塚産直の会」主催のイモ掘り大会に参加するため三里塚に向かった。明け方から降り出した雨が、東京から参加のOさんを迎えに成田駅に行っても降り続く。これで大会が開けるだろうかと心配。091025_2 なにしろ小さい子供たちが主役のイベントですから。後で聞くと、焼き芋の準備をしていた萩原富夫さんも、市東さんも6時頃に「無理かな?」と思われたとか。しかし、静江さんに「どうするのよ」と迫られた萩原進さんの「やる」との一声で開催が決まったとか。(右写真は、お孫さんと萩原さん)

 ところが不思議なことに、萩原さんのお宅に向かう10時前くらいから雨は上がり、ゲームをした昼過ぎには薄日さえ差してきた。しかし、夜には土砂降り。おかげ様で、こんな天気にもかかわらず、イモ掘り大会は消費者(子供を含めて)160人以上、同盟や支援を含めれば200人を超える大盛況で、午後3時ころまでの長丁場、最後まで子供たちの歓声が絶えず大会は大成功しました。091025_3

 先ずは、萩原さんのお宅の前の畑で、畑の様子や作物の説明。人数が多いので、今年は2グループに分かれる。左写真は、ゴボウを子供たちが実際に抜いているところ。抜けるかな?人参がまだ育っていないので、人参を抜いてみるのは中止。しかし、枝豆のところで2列は自由に抜いていいですよという萩原さんの声に、みなさん殺到。(右写真)091025_4 説明もそっちのけで抜いている皆さんの迫力には脱帽。50品目を作って、消費者のもとに届ける苦労、子供のように育てた作物が育たなく捨てなければならない時の情けなさなどを、萩原さんが説明される。生産者と消費者が一体になるために行った今日の催しの大事なところでもある。

 それから、10・11全国集会が開かれた清水の畑に移動し、いよいよイモ掘り大会の本番。すでに畑は、イモ掘りができるように蔓や葉っぱが切り取られている。091025_5 「始めますよ」との声に、慣れた皆さんは一斉に畑に。畑に接するように作られた新誘導路を、時折、航空機が行く。ジャンボが通るのにむらむらと怒りが(左写真。これは後のゲームの折)。しかし、皆さんは委細かまわずイモ掘りに熱中。私も先ず、自分が持って帰る5キロを先に掘って確保してから、写真を撮りに。一番多かった方は、何と40キロ。凄い迫力です。

 091025_6 イモ掘りが一段落したところで、食事。これも今日の楽しみのひとつ。同盟の皆さんや支援の手で、おこわごはん、豚汁、サラダ、きんぴらごぼう、枝豆、焼き芋、イモに煮っ転がし、などなど。ビールまであり、最高!畑の横に広げたビニールシートの上でいただく。食事を終え、一休みしていると関西から来たFさんが、この1年で顔見知りになった子供たちと転げまわってはしゃいでいる。畑では、掘り残されたイモを収穫していくトラクターに消費者が萩原さんの指導を受けながら試乗(右写真)。091025_7

 離れたところでは、恒例になった子供たちに大人気のトラクター乗りに行列(左写真)。歓声があがる。小さい子供の親も一緒に大騒ぎ。

 今度はゲーム。今年は、畑の中での「宝探しゲーム」(右写真)と、「名前合わせゲーム」(左下写真)。宝探しでは、やっぱり要領。091025_8 土の中に埋められたカードを5枚も掘り当てる方もおれば、深く一か所を探したために坊主の方も。やはり、みなさん、凄い迫力でした。今度は50品の作付される野菜の同じ名前のカードをもった3人づつを見つけ出す「名前あわせ」。そんなこと短時間に出来るだろうかと見ていると、これも要領。驚くほど早く3人が手をつないでゴールに駆け込んでくる。思わず拍手。

 091025_11 そのあと表彰。先ず全員に登録した時のカードの番号が呼ばれて、新米、手作りこんにゃく、きんかん、自然薯、おもち、蓬餅、落花生などなど、全員に何かが当たる。私は棒もち(モチ類は、匝瑳市の小川さんからの差し入れだ)。40キロ、30キロと多くイモを勝った方にも景品。ゲームの勝者にはもちろん。そして、掘ったお芋の大きいのと長いのとを競って、商品が(右下写真はデッカイ賞)。多い人になると、この日の賞品の全てを獲得して、持ちきれない人も。091025_12

 最後に消費者の皆さんからの感想、市東さんの農地取り上げに反対する会の小川さんからの11・22集会の案内などが行われた後、生産者として参加した同盟のみなさんからの挨拶。鈴木加代子さんの後、珍しく萩原静江さん(左写真)、萩原富夫さん、鈴木謙太郎さん、市東孝雄さん、そしてまとめが萩原進さん。

 ほんとに素晴らしい、気持のいい催しでした。091025_13 掘ったおイモと、いろいろな商品をいっぱい手に、消費者の皆さんが帰えられました。この催しを準備するのがどれほど大変だったか。食事の準備はもちろん、景品、そしてゲームそのものを考えるなど、、同盟のみなさん。本当に御苦労さまでした。私たち関西から参加した4人んも大満足だったことは言うまでもありません。

 来年も関西から参加しようっと。

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2009年10月27日 (火)

今、鈴木さんのお宅です

 今、三里塚です。昨日、今日と鈴木さんのお宅にお世話になり援農(?)をしています。

 初日、25日の「いもほり大会」は、朝からの雨で心配しましたが、不思議と始まると曇りから、最後には薄日の中、160人以上の家族連れの産直の消費者が集まり大賑わい。大成功でした。

 その夜から打って変わった豪雨。26日は、土砂降りの中、枝豆の収穫と選定、落花生を一個、一個もぎ取ってく作業をしました。夜は、台風のすごい風と、相変わらずの大雨。どうなることかと起きた今日は、こんどはがらりと変わって、秋晴れの快晴。

 昨日の落花生を、いいものをえり分け出荷の準備。畑に出れないかと心配しましたが(みんなは、畑で収穫に大忙し)、早く終わり、チンゲンサイの収穫の手伝い。そして出荷の準備が終わったので、早めの昼休みに。なんだかしょっちゅう食べているような・・・。

 それで、「農家便り」のパソコンを勝手にお借りして、この便りを書いていますが、写真のアダプターがないので、画像を添付できないのが残念。詳しくは、帰ってから掲載します。明日の夜、帰ります。これから出荷作業です。

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2009年10月24日 (土)

今週の産直野菜(10月24日)

Photo  詳しくは、電話 0799-72-5242、またはメール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp で、関実事務局までお問い合わせ、よろしくお願いいたします。

 091024 今週の産直野菜が、先ほど届きました。箱を持ったらずっしり。これは冬瓜(とうがん)が届いたなとわかる。

 やはり、冬瓜、そして、じゃがいも、長ネギ、大根間引き菜、チンゲンサイ、ラディッシュ、サニーレタス、ししとう、枝豆。今週は、以上9品です。

 めっぽう涼しくなって、箱を開けた時でも葉っぱの萎れたのはほとんどありません。

 先週は落花生、今週は枝豆。いずれも枝についたまま。これで先週の落花生、結構ありました。すぐに湯がいて食べたら、甘さがあり、おいしいっ! しかし、保管方法がわからないので、全部をゆがいて、その日にあった会合にもって行ったり、人にあげたりしたのですが、せっせとおやつや酒の肴に食べても、あいだに千葉での市東さんの裁判に出かけたりで、食べきれず、昨日までありました。昨日は、流石に固くなって、食べれなくなりました。もったいない~!

 先週も書きましたが、今夜から出発して、明日の三里塚での「イモ掘り大会」に参加の予定。あと28日まで援(?)農。いくらなんでも、この野菜は食べきれないか。トホホ。人にあげるしかない。25日、26日は、現地、千葉方面は雨模様の天気予報。どうなるかな?

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NAA社長・森中の「再延伸」発言弾劾!

Photo 昨日、朝日新聞のインタビューに答えて空港会社NAA社長の森中は、暫定滑走路を再延伸させ、3500メートルとし、発着回数を年30万回(現在の1.5倍化)とすることを改めてぶちあげた。何の展望もなく、三里塚闘争の解体、反対同盟農民の叩き出しを前提としなければ不可能な、このようなNAA森中の新たな宣言を断じて許さない。

 前原国交相の「ハブ発言」を「ここ数年の流れと変わらない、予想の範囲内」と先ず明言することで、民主党政権の「東アジア共同体構想」なるものが06年の「アジアゲートウェイ構想」の域を出るものではないことを明らかにして、その反動的な立場を明らかにしている。これ自体許せることではない。

 その上で、NAA森中は、「南側の地権者と根気よく話し合い、ご理解を得たいと思っているが、B滑走路をさらに北へ、東関東道の上まで伸ばし、3500メートルまで延ばすこともありうる」と宣言したのだ。

 「南側地権者」とは、島村さんのお宅、東峰神社、萩原さんの畑などを指し、東峰部落そのものが無くならない限りありえない。すなわち、三里塚闘争と反対同盟が存在する限り不可能だ。ここに、反対同盟が言う「暫定滑走路を閉鎖し、空港廃港へ」という方針の根拠がある。(右下写真が、暫定滑走路に深々と食い込む東峰神社)

 左上の図は、新(第2)誘導路ができる前の図で少し古いが、図の③部分をさらに1000メートル延ばすというもので、東関東自動車道をまたぐことになる。こんな空港は世界にはない危険きわまるものになる。09422

 そもそも、今の暫定滑走路自体が、空港の管制塔から直に見ることができずにテレビモニターで監視せざるを得ないという安全性を無視したものだ。それをさらに1000メートルも北に延ばせば、管制上からも危険極まりないことになる。萩原さんがよく言われる「二つの空港があるみたいなものだ」という事態である。さらに、空港の北の地域の騒音問題など、解決不可能な問題が山積している。これ自体、不可能なプランなのだ。

 ここには、3500メートル化、30万回飛行を絶対化し、三里塚闘争の破壊、反対同盟の解体を意図した宣言以外の何物でもないことを重ねて断罪し、こうした悪あがきを続けるNAA森中、国交省に対して怒りを込め弾劾する。

 文章中のNAA森中の「発言」は、すべて[asahi.com]から引用。

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2009年10月23日 (金)

10・20 三里塚・市東さんの裁判(4) 萩原さんのまとめ

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 先日の全国集会、圧倒的な結集のもとに、戦闘的なデモも含めて、久しぶりに1000の大台を突破して、北総台地に三里塚がありということが示されたと思います。(上写真は、10・11集会で発言する萩原進さん)この闘いをもっともっと広げて行って、もう一度三里塚の野に赤旗がひるがえるようにしていきたいと思います。091020

 そのためにも、この裁判というのは、一方では広範な人たちを結集して三里塚の実情を知っていただいて、この闘いが正義であるということをもっともっと知ってもらいたい。

 先ほどでましたけれど、県の態度とか県知事の態度、そして供用開始の問題がありますけれど、やはり農業委員会とか、農業会議とかの体質そのものがね、農業を守るとか、農村を守るとかじゃないんですよ。いかにして地域を開発するかというところで、それさえでれば転用するというような機関になっちゃってるんですね。これが問題なんですよ。だから農地法改悪なんてのも出てくる。それに政治家がくっついていって利権をあさるという風になっている。この実情が市東さんの裁判に本当に現れている。

 今日の不在地主の問題にしたって、農地法改悪と非常に連動しているわけでしょ。どこにいたってそんなもん買えるんだ、文句言うんじゃない、国家のためにはいいんだ、国策だからやるんだという形で一方でやりながらね、他の産業で開発するんだからその土地は転用しろというのが、トヨタの優良農地を転用した問題だとか、あるいは食料品会社がそういうことをやっている。休耕地じゃなくって、優良農地をそういう形でやってるわけでしょ。そういう機関に農業委員会や農業会議がなっている。

 市東さんにはカネさえやればいいんだろう、それで文句があるのかとね、そういう態度になるんですよ。だからああいう形ででてくるんですね。

 それと同じように、今、八ッ場ダムの問題が出ているけれども、そこにおいて40年も、50年も闘い抜いてね、それで決着がつかないなんてのは、それはもう、政権や支配者じゃないですよ。もうやめなさいっていうことなんですよ。091020_2

 それで成田の問題に目を移してみればね、森田が無視されて怒って眠れなかったと、次の日には握手をしている。羽田にスタンスを移すなどという問題は、マスコミの人たちは判ってるだろうが、誰だって判ってるんですよ。彼ら自身が、このままじゃあ羽田に持っていかれてしまうから、強引でもいいから北延伸する、あるいは第3の滑走路を造る、そしてあそこにいる住民を追い出すんだと、そういう形でやってきてるわけですよ。彼ら自身がやってきてるわけですよ。で、急に聞いたとか、ぜんぜん聞いてなかったとか。

 それを言いたいのは我々なんですよ。そんなこと住民、誰も聞いてないんですよ。もっと北延伸するだとか、ここに誘導路作るだとか、大型機を飛ばすとかね、まあ、朝日に石毛が何百回も説明会開いたとかいってるけれども、われわれ一度も聞いてませんよ。

 そして八ッ場では少し地元民を出しました。地元民をね。その問題について賛成なのか反対なのかとマスコミがやってますけれど、今度の場合は自治体とか、市長とか、あるいはとってつけたように運動からもう遠ざかっていなくなった人を担ぎ出してね、問題たててるわけでしょ。そうじゃないでしょ。いわゆる円卓会議とかシンポジウムというのは、当事者をはずして第三者に預けちゃったんですよ。国もそう。当事者もそう。そこで判断してくださいと、莫大な資金を使って、時間を費やしてやったんですよ。それに我々は「違う」と、「そんな形で問題は解決できない」と、「当事者同士でやんなきゃダメなんだ」という形で反対して闘い抜いたわけですよ。その結果が、シンポや円卓でもう成田は終わったんだという結論でしょ。だからあんな発言になるんですよ。

 とんでもない話なんですよ。なんで、だいたい終わってますか、これ。今、裁判もあります。延伸もします。・・・。よく言うよね。終わってないですよ。あらたな始まりの大きな時点に立ってるわけですよ。このことが重要なんですよ。091020_3

 そしてハブ空港だなんだて言いますけれど、国交大臣を擁護するわけじゃないけれど、彼は知らないとか何とか言ってますけれど、ほんとに考えてみてください。冨里から成田に移した時に、どういう状況だったのか。冨里では5本の滑走路ですよ。4000メートル2本。我々の所の3倍くらいの飛行場、作ろうとしたんですよ。それが成田に来たら、4000メートル1本、2500メートル1本、横風1本で3本ですよ。実際には2本の滑走路、1060ヘクタールですよ。あの時、冨里については千葉県知事も、副知事も頭越しにやられて、千葉県としては納得しがたいと、だけども国だから真っ向反対できないので静観したんだと、だから内定まで行ったけれど反対運動が強くて、それでひっくり返った。

 それで佐藤・友納会談があった。若い人は解らないかもしれないけれど、ベトナム戦争があって羽田が手狭になったという状況の中で、友納は、羽田の補助的空港として成田を作るということをしぶしぶ納得したんですよ。それで、今日まで来たけれど、何時の間にか成田が国際空港、日本のハブ空港とやられた。これを、正面切って宣伝したのはマスコミの皆さんですよ。そういう風にしちゃったんですよ。だから、友納知事は、われわれの裁判で証人として発言したとき、佐藤・友納会談はそうじゃなかった、遺憾とは言わなかった、今の現状を不本意だと証言したんですよ。だけど、彼は空港建設のために代執行を正面切ってやらざるを得ない。そしてやった。その後は衆議院の代議士としてね、そういう立場の中で空港を是認して突っ走らざるを得なかった。そして亡くなった。

 そういう歴史があって、当然な歴史的な形があって、羽田のハブ空港というのは当然なんですよ。だけど、羽田に持っていけばいいという話しをしてるんじゃないですよ。今の状況の中で、羽田もダメなんですよ。こんなやり方で空港をつくるなんて絶対に許せない。091020_4

 じゃあ、成田が付随した空港になればそれでいいのか、そうじゃない。だけど、今の状況じゃあ、羽田だけでは出来ないんで、棲み分けをしながら、両方で運用しながら、ハブ空港としてもって行こうと、そのためには北延伸、そして20万回を大臣は40万回まで引き上げ、24時間使用するというところまで来てるわけですよ。先ほどの話で、われわれに県知事に会いますか、国交大臣に会いますかという話があったけれど、我々がそうですかと、あるいはわれわれが頭を下げて「やめて下さい」と言う必要もない。要するに、とんでもない話だと、そんな空港を持ってくることはできないんだと、完成させることはできない。ここで彼らが言う所の民主主義だとかいうやり方が汚いのを、そのものをわれわれは変えていかなくちゃあならない。変えて、あらためて、点検しなおすんだったら、まず成田空港を点検してみろと。ものすごい財政を使ってきてる。

 八ッ場も、言ってること自体が、結局、利権の問題であって、カネだ、カネだ、カネだと、それ以外ないでしょ。こんなことやってて世の中、良くなるわけないですよ。良くなるには、三里塚闘争のように、ほんとに正義を貫いて闘う。今、ここにいるのは、正義を貫いて、純粋に立って、闘い抜いている人たちなんですよ。このことを訴えたい。ほんとに反面教師として、県知事やね、必死で政権を担おうとやってる民主党、あの姿を見る中でね、やっぱり日本は良くならねえ、われわれが世直ししなきゃあしょうがないということが現れてるんじゃないかと思う。これを、裁判としても、農業委員会とか、農業会議とか、あるいは県を擁護する代理人の姿の中に見れるわけですね。

 そういう意味では、三里塚というのは、今の社会とか政治とかの面を引きづり出してね、その濃い汁を浄化しているところじゃないかという風に思います。

 いろいろまとまりませんけれども、なんとしても、やはり、10月の闘いをやり抜いて、今日こうやってやってますけれども、われわれが闘い抜いてきたからこそ、ハブがどうだとか、空港が問題になって、叩きのめしていく状況にあります。このことを、勝利をかみしめながら、今こそこの攻撃をみんなの力ではね返していこうという風に思いますので、よろしくお願いいたします。

 

 

 

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2009年10月22日 (木)

10・20 三里塚・市東さんの裁判(3) 市東さんの挨拶

F

 今日は、みなさん、裁判傍聴ありがとうございました。091020

 10・11全国大会、大変盛り上がり、その勢いで今日の裁判に向かってこれたと思います。

 今日の裁判は、県側の方は、肝心要(かなめ)のところは逃げて、完全に逃げ通せるというような、そこをこっちで追及していくような展開が、これからどんどん出てくると思います。ただ、自分たちは関係ない、やったのは下の者たちだというそういう傲慢な態度が出てきていますよね。そういうことは絶対、許し難いんで、これからもそれを追求していきます。

 第3誘導路。前原の発言がありまして、森田知事もパフォーマンスの一環として、なんかやってましたけど、結局、国益先ありきの話しですから、そのなかでの地域住民とか、そういう言葉が一切出てこないですよね。091020_2

 昨日も八ッ場のダムの問題がありましたが、あれでも、やっぱりまた同じようなパフォーマンスをやろうとしている。ほんとに節操のない知事だということを明らかにしました。

 そういう意味でも、これからもいろんな攻撃があると思いますけれど、今まで以上に頑張ってやっていきます。ジェットが10月22日、飛ぶと言ってますけど、もうあんなものは、いつもだましだましやられてきた43年ですから、そういうことは適当にやっといてもらって、こっちはこっちで自分の生活を守ると、そういう生き方でやっていきたいと思います。よろしくお願いします。

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2009年10月21日 (水)

10・20三里塚 市東さんの裁判(2) 北原さんの挨拶

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 10・11全国集会が、1700名を集めて、三里塚の山野で開催されました。今、全国の人たちが、三里塚に対する想い、それがだんだん熱気を持っている、いう風に私は見ております。

 10・11以降、「ハブ空港」の問題で、いろいろだべっているけれども、まったく恥ずかしいことが展開されております。ということは、43年間も親子3代にわたって闘い続けている農民、住民がいるわけです。それが全然彼らの眼中にないんですね。眼中にないということは、事実のむさぼり、抜き取り。091020

 第一ね、森田知事というのは、知事になって1年も経っていないんですよ。千葉県民が43年間もあの中で生活してきた、それについては一言も触れていない。ただ、欲望だけが面の皮みたいにつっぱってるんですね。あの東峰部落というのは、どこですか。千葉県ですよ。千葉県知事が、なぜ、43年もね、闘ってるのかもね言葉にもならない。こういう知事はダメだ!

 なんかすべてが判っているような顔をして、一生懸命だべっているけれども、まったく、あれは千葉県の知事じゃなくって、物取り主義の典型的なものである。反対同盟は、弾劾する。

 記者のみなさん。弾劾声明、渡りました? 渡った。あそう。よく読んでください。

 今日の裁判も、まったくおかしな裁判ですよ。こういうことを追求しないで、一方的に進めていこうとする。このやり方についてね、矛盾を感じないものはいないと思う。ですから、私たちは、足かけ44年間、心ある人々とともにね、闘ってきてるんですよ。日本の将来ということを考えた時に、闘う以外に道はもうないんだという風に私たちは、考えております。従って、これから何年続くかわからないけれど、とにかく三里塚闘争が勝利しなかったら、日本の将来はないってこと。

 そういうことで、私たちは健在です。そして、みなさんと一緒に闘います。そして、日本の未来が、道標として私たちが先頭を切って闘うということで、今日は多くの傍聴人が集まっていただきましたけれど、必ず勝てる! その信念を持って廃港まで追い込むことを私の方から宣言して、挨拶に代えます。

 (「この間の前原国交相や森田知事の動きにどう思うか」という記者の的外れな質問に答えて)091020_2

 私は、森田知事とか、前原さん? 現在までのところ会ったことがない。とにかく43年もね、なぜ反対してるかということについて、疑問を持たないのかね。ひとこともないでしょう。三里塚の話しが。で、市東さんの住んでるところは千葉県ですよ。そういうことは一矢も触れていない。千葉県知事の心象が見えた。彼には、農民や労働者のいのちなど、彼の眼中にないんだ。しかも、千葉県の県民ですよ。それをね、見殺し、突っ走る。そこには犠牲があるわけですよ。それにも触れてない。こういう知事には、やはり、闘い抜く以外にない。

 私たちには「ハブ」がどこに行こうが関係ないんですよ。成田空港のそのものに、43年間反対してるわけですよ。43年間、好きで反対してるわけじゃないですよ。ですから、こういうことは、報道関係のみなさんが、やはり、読者に真実をわからせるべきではないでしょうか。まあ、別に、力を貸せとは言いません。よく言われた「ペンは、自由の・・・」ということがあるけれど、正義のペンをとってください。

 

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2009年10月20日 (火)

10・20 三里塚・市東さんの裁判 (1)

091020

 10月20日、千葉地裁で市東さんの農地をめぐる「行政訴訟第9回口頭弁論」と「農地法裁判第4回口頭弁論」が開かれた。その内容は、法廷後に開かれた記者会見・報告会での弁護団からの報告で非常によくわかると思いますので、それを今回は紹介します。この日、10・22北延伸部分の供用開始と、前原国交相発言による「羽田ハブ空港化」論議に対する反対同盟による「弾劾声明」が冒頭、発表されました。その内容は、「09.10.20同盟声明.pdf」をダウンロード をクリックしていただければPDFで印刷できます。上の写真は、「弾劾声明」を鈴木謙太郎さんが読んでいるところです。

葉山弁護士

 みなさん、どうも。今日の裁判闘争の参加、ありがとうございました。皆さんの参加で、ご覧の通り、法廷は圧倒的な雰囲気で展開できています。10月11日、弁護団も全力で参加し、皆さんも大いに参加して1700名以上ですか、そういう参加の下に大成功したということが、全体の雰囲気を盛り上げているという風に思っています。そういう意味では現地闘争の一環としての裁判闘争という反対同盟の位置づけ、まったく正しいという風に思っています。091020_2

 今日の裁判、二つありましたが、一つの千葉県知事の許可取り消しの行政訴訟裁判ですが、被告千葉県側では極めて不当なことを言っているわけです。所有権の取得をしたかどうかはどうでもいいと、20条1項について許可の申請が出たか出ないかの問題だけだというんでね、一切の問題を逃げきろうとしているわけです。その結果として、成田市農業委員会でどんな審議があったか、あるいは千葉県農業会議でどんなことをやったのか、そういうことについては、一切、県知事の許可とは関係がない、いうことを言い出したわけですね。

 まあ、自己規制という言葉がありますが、千葉県農業会議の審議についても否定してしまった、そんなものは関係ないと、千葉県知事がやったことだと。そういうことでですね。しかし、農業委員会に申請をだして、その申請の中で、すったもんだして、大反対があったなかで、農業委員会としてはようやく付帯意見を付け加えて、千葉県知事に送ったという状況で、農業会議についてもみなさん参加された方があると思いますが、とんでもないでたらめ、まあ、録な時間もない上に、千葉県農地課用地部が一方的にリードして、それで答弁を打ち切るという風なことでありまして、その農地課が許可を出すという、そういう自作自演をやっているというのが実態でありまして、この点について正当だというならもう少しはっきり言えということをやったわけであります。

 それから、農地法6条違反、これは、その時に住所がないと取得できないと、小作地を取得できないということに対して、空港公団、そして空港会社は成田市に本店を持ってるからそれでいいんだと言ってる。そんなデタラメが通るわけがない。1996年7月以前は、東京にあった。東京にあった段階で土地を取得している。それを誤魔化して逃げきろうとしている。これはさらにそれを捕まえて追及するということになると思います。091020_4

 それから、市東さんの許可処分に関わる所の土地について明け渡せというその事件、農地の取得について、それから賃貸人の地位の取得について、当初は一貫して2003年の12月の段階で取得したと言っていたわけです。度重なって「それはおかしいんじゃないか」と言って、ようやく「それは1988年の3月、4月に取得したんだ」と言ったわけですが、いったいこの間の関係はどうなってるのかということについてはっきりしないわけです。

 引き続き、藤崎、岩澤という旧地主に地代を受け取らせ、市東さんはせっせとそこに地代を持って行った。「そろそろ名義の書き換えをしなきゃあならんな」と市東さんにそんなことを言いながら地代を受け取っている。そういう状況の中で、公団、空港会社は黙って地主として農地を取得したという違法行為があるわけです。その点に関しても、これから追及するわけですが、求釈明を出しているんで、その釈明を待って、その上で反撃をするという状況にあって、終始、こちらとしては絶対的に正義がありますんで、その正義に基づいて勝利しようという風に思っていますんで、ご協力よろしくお願いします。以上です。

遠藤弁護士

 091020_5 不在地主の問題ですけれども、県のほうは争うと言ってるわけです。じゃあ、どこをどう争うんですかと今日聞いたわけですよ。そしたら、従前反論済みだと。その「従前、反論した」とこを見るとね、「空港会社が、本店が成田市にあるんだ」ということが書いてあるわけですよ。こっちは、そうじゃないんですよ。96年段階で、成田市に本店なんかなかったじゃないかと言ってるわけです。「だから不在地主でしょ」というのに、その点は口を拭って、もそもそと小さい声で「次回反論します」とこういう風に逃げたのが今日の展開であります。

 で、一面、非常に尊大な態度を取っているわけですね。例えば、農地法6条の話しなんですけれども、これの規定に反するかどうかなどというのは、農地法20条の解約許可にあたって、考慮される事柄ではない、ようするにどうでもいいんだと言ったわけですよ。いやしくも公共機関の最たるものである千葉県が、許可するにあたって申請した人が中身変えて持ってきても、そんなことどうでもいいじゃないですか、なんたって空港なんですからという、こういう視点に貫かれてる、非常に不遜であり、傲岸であり、かつデタラメである。絶対にこの追及の手を緩めるつもりはありません。

 空港廃港まで、弁護団も、同盟と連帯して断固として闘いたいと思います。

大口弁護士

 091020_6 ちょっと今の点に関して補足したいと思います。千葉県が、今日の遠藤代理人の追求に対して何と言ったか。「いずれ移転する予定だったからそれでいいんだ」というような、そういう言い方をしたんですね。しかし、一定の行政処分、あるいはその効果というのはね、その時点、時点で要件が備わっていなければダメなんですよ。そんな「見通しがある」とか、ほかの件では絶対に通用しないですよね。そりゃあ、こういう空港問題については、なあなあでいいんだという、そういう姿勢が出ているんで、これは絶対に許せないということを言っておきたいと思います。

 それから、それに関連するんですけれども、後の裁判で、空港会社の方が釈明して、そもそも6条というのは転用目的には関係ないんだと、そういうことまで言い出してるんですよね。そしたら、どこの不動産会社だって、これは開発しますからと言って、どんどんできますよね。そしたら農地法は何のためにあるんかという根底的な問題にもなりかねないわけであって、その根底には、これは空港なんだ、何をやっても許されるんだというね、傲岸、傲慢な態度が歴然としている。こういうものは絶対に粉砕していかなければならないと考えています。

西村弁護士091020_7

 今の点に関してですが、転用目的ならば6条の適用がないというのは、本件を見れば、いかにデタラメかというのはね、わかると思う。15年間にわたって、そして現在まで22年間にわたって、続いているわけだよね。2003年まで、地代をとってたわけだよ。そういうことを、一時的な状態だという風に言わざるを得ない。そんな滅茶苦茶な話はない。やはり、この6条1項という問題点は、向こうの致命的な問題点というか、徹底して追及していきたいという風に思います。

一瀬弁護士

 091020_8 鑑定の意見書は、A事件と言っている不法耕作明け渡しの訴訟の方で、青柳さんに作っていただいて出したんですけれども、今回、こちらの二つの訴訟の方でも出した。まあ、書証の番号が違うので、全部整理し直して出したんで、ちょっと時間がかかったんですが、出した。これは、B、C事件ともに相手方に致命的な打撃を与える筈なんですよ。何と言っても、市東孝雄さんの、あるいは市東東市さんの代からの賃借地についてデタラメであると。それから、40番と41番の形状についてもデタラメであると、そういう相手方の弱点を客観的な証拠でもって暴いたという風なものになってます。そういうことですから、次回は、こちらから準備書面という主張の形で、向こうに認否させるというそういう手続きになるかと思います。

 それと、今も話が出ていた農地法の関係のことなんですけれども、「転用なんとか」と言ってることもあるんですが、そもそも、農業委員会なんかでは、そういう転用という可能性について明確に客観的な証拠がないとですね、・・・というようなことは認められないんですね。いったん許可が出ても、時期が来れば、ずっと放りっぱなしにすれば、取り消しにされるようなものなんですよね。それと合わせて6条の適用を免れるなどというでたらめなことも主張し出しているわけですから、このところは、相手方の法的な弱点をね、とことんついていくという風な感じで、今後、裁判は展開していくことになるかと思います。

 

 

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2009年10月19日 (月)

にぎにぎしい「ハブ空港」論議の中で・・・

Photo  さる10月17日付朝日新聞の株式欄の上に、「経済気象台」というコラムに「関西空港再生論」なる駄文が、隠れるように掲載された。

 「あれだけ巨大な、完備した航空基地を日本の中心部に建設することは、もはや不可能」「沖縄の基地をそのまま関空に移転してはどうだろう」と主張する。そして「関空が国防の基軸となれば、今までの空理空論を離れて、日本の防衛論は地に足の着いて具体的な形をなしていく」と自慢そうに、その思いつきを語る。

 いかに駄文とはいえ、こうした「論」が公然と、それも朝日新聞に掲載されることに、関西空港の軍事使用に反対してきた立場から、怒りを込め弾劾する。いかに、元航空幕僚長・田母神が、「日本の核武装」を公然と表明して回り、ファシズム勢力の「在特会」が、襲撃的な排外主義の宣伝を行っている現在であろうとも。いや、そういう時代だからこそ、この駄文に隠された蠢きを断じて許してはならない。

 「平和憲法を死守すべきことは論をまたない」とそれらしく言いながら、「周りに軍備の拡張を進めている国家が存在することを考えると・・・確たる自衛力はもたざるをえない」とその論拠を明らかにする。自衛隊の存在から、解釈改憲によって進められてきた軍備拡張、世界第3位の軍事力を現在では保有するに至ったことを正当化する、戦後60年、使い古されてきた論拠でもある。こういう論は、デマによる脅威論を騒ぎ立てるだけで、具体的な事実をいつも示すこともできずに論拠とされてきた。これ自体が許されない。

 「沖縄基地の移転問題」に対する名案とし、「国防の基軸」という。ここに許せないインチキがある。「沖縄基地の移転問題」とは、普天間基地の移設問題であろう。これは沖縄における基地縮小などではなく、また普天間基地周辺住民の基地公害対策などでは断じてない。先日、鳩山民主党政権がアメリカで約束した「日米軍事同盟の強化」として言われた、アメリカの世界戦略に基づく「米軍の変革と再編」のための沖縄基地強化策を指している。「日本の防衛」は、完全な事実のすり替え、誤魔化しでしかない。日本軍=自衛隊は、今や米軍とともに世界のいかなる所へも、戦争による世界支配、アメリカによる支配のために出かけようとしているのだ。それゆえに沖縄、岩国、横須賀、そして三里塚の人々の「米軍再編」反対の闘いがあるのだ。私たちの関西空港の軍事使用反対の闘いもその一翼を担う。

 この駄文に目くじらを立てて言及をするのは、こうした駄文をこそっと出したきた朝日新聞そのものの「ハブ空港」論議をめぐる悪質なキャンペーンを感じるからだ。現在の前原国交相による「羽田ハブ空港論」を契機とした、日本の航空行政をめぐる論議の最大の根拠は、その巨大な利権をめぐる再構築への道筋であり、また日本の航空政策が「アジアゲートウエイ構想」(2006年)の軸に据えられているように、「米軍再編」と密接にからんだ中での道筋でもある。

 それゆえに朝日新聞資本が、意図をもってこの問題に深々と関わろうとする故のキャンペーンがはられ始めたと見据えても、あながち暴論ではないであろう。この記事の翌日(つまり昨日)、「耕論 日本空港三国志」と題した特集記事が出た。個々に論じることは控えるが、一つだけ出さざるをえない。「ふざけるな、でも議論の好機」と、かって三里塚闘争を闘い逃亡した石毛博道の主張が紹介されている。石毛は「闘争から話し合いに転換し、空港と住民の『共生』という理念を出したのは、旧運輸省の官僚です」と、自らの闘いからの逃亡、裏切りを正当化する論拠をあげている。Photo_2

 なら、石毛よ、今、三里塚現地で、暫定滑走路北延伸のこの10月22日の前倒し供用を軸に進められている事態をどう説明するのか。市東さんの農地を、農民を守るべき農地法を用いて取り上げようとし、島村さんをはじめとした東峰部落住民に110ホーンを超える爆音を強制しているのは誰だ! 市東さんの宅地と農地を第3誘導路によって完全に空港の中に囲い込み、たたき出そうとしているのは誰だ! これを説明してみろ。何が「信頼関係」だ。三里塚闘争への国家権力の暴力的な農民殺しの攻撃は、43年経った今も、何変わることなく継続され、しかも、反対同盟農民の不屈非妥協・農地死守の闘いによって、今現実に破綻し、追い詰められいるのは、国であり空港会社なのだ。これが現在の「羽田ハブ空港化」を引き寄せたのではないのか。

 こうした事実を報道機関として、つぶさに知りながら、前日の駄文に引き続いて、成田空港問題としてこうした石毛を引き合いに出す朝日新聞の極めて悪辣な意図を私たちは断じて許せない。

 こうした朝日新聞の画策、なによりもこの巨大な利権の前に蠢く前原国交相などの輩を断じて許さず、市東さんの農地を守り抜き、三里塚闘争を勝利し、関西空港の軍事使用を許さず、そして沖縄、岩国などの住民とともに、「米軍再編」を断じて許さない闘いを改めて確認したい。

 明日、千葉地裁601号法廷で、市東さんの農地をめぐる行政訴訟第9回口頭弁論と、農地法裁判第4回口頭弁論が、午前10時半から開かれます。今夜出かけ、傍聴します。みなさんも、市東さんの農地を守るために、身の回りで、市東さんを支える運動を訴え、広げて下さい。 

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2009年10月17日 (土)

今週の産直野菜(10月17日)

091017

 あなたも、三里塚の産直野菜をとりませんか

 詳しいお問い合わせは、0799ー72-5242 関実事務局まで

 今週の産直野菜が、今、届きました。じゃがいも、長ネギ、大根間引き菜、さつまいも(デッカイ!)、切りショウガ、生落花生、ピーマンの以上9品。

 間引きの人参とだいこんは、やわらかくておいしい。生でかじれる(僕向きです)。 生落花生は、現地でしか頂けなかったものが、産直のおかげで、昨年からいただける。これがなんともいえない美味。

 これぐらいなら、一人でも楽勝。先週が少なかったので、冷蔵庫が空っぽ。

  来週の日曜日、25日は、「三里塚・産直の会」主催の「芋ほり大会」です。朝10時ごろから、畑の見学をしながらのいろいろな説明。そのあとイモ掘りへ。昼過ぎまでやって、楽しい昼食。同盟用意の豚汁、おこわご飯などめっちゃおいしい。081019_2 それから、自然薯など素晴らしい景品がめちゃ多い、ゲーム大会。終わるのは3時頃。子供たちは、周りでバッタを取ったりしながらはしゃぎまわる。参加は総勢200人くらい(半分が子供?)。これで、参加費はただ。嘘のような話です。あなたも参加しませんか。

 関実では、翌日からの援農も企画していて(24日夜出発、28日に関西に帰ります。途中で帰るのも可能)、車で参加します。1日でも残れる方には現地調査も・・・。東京からも、イモ掘りだけで参加される私たちの仲間もおられます。どうですか・・・。詳しいお問い合わせは、関実事務局(℡0799-72-5242)まで。

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10・11三里塚 その5 市東さんの農地を守る大運動を!

091011

 この日、壇上には、「市東さんの農地取り上げに反対する会」(千葉)をはじめ、群馬、そして初めてお目見えの沖縄から、多数の登壇があった。

反対同盟 市東孝雄さん

 フラフラしてるんです。きのう、食中毒だったりしてね。091011_2

 本日は、遠方よりお忙しい中、来ていただいてありがとうございます。

 私が、親父が死んで成田に帰ってきて10年になりました。皆様方のいろいろな助けをいただいてこれまでやってこれました。ありがとうございました。そして、反対同盟43年の闘いは、なによりも、まわりのいろいろな人たちの支えで30年、40年と安定の中でやってきました。

 あくまでも同盟は原則を守り、最後までやってきました。それは私だけじゃなく、同盟みんなが考えていることと思います。

 現闘本部が緊張した状態を迎えました。現場検証をしない、証人調べもしない。今の、仲戸川裁判長の本当に許せない攻撃が続いています。こんな不当なことには、許すわけが行きません。

 それから今話題になっている第3誘導路ですね。7月から、新誘導路が供用というか使用をしていますね。結局、作ったものの、降りてくるのと待ってるのとがぶつかってる、そんな危険な状態の新誘導路です。結局、ああいうものは作るべきものではなかったと。だからといって、家を取り囲みこんで第3誘導路を作るなどもってのほかです。

 これからジャンボを飛ばすとか言ってますが、これだけ航空需要が下がっている中で、大型機を飛ばすとか言ってますが。大型機の必要はもうありません。

 なおかつ、第3誘導路で家を取り囲んで、年間30万回、24時間空港とぶちあげるのは、やはりその先にあるのは軍事空港だと思います。Photo

 親父は土地収用法と闘いましたが、私は農地法と闘います。今回、・・・になりましたが、本来の農地法は「耕すものに権利あり」とあったのですが、その第1条を削除しました。結局、農家から農地を取り上げ、企業に引き渡せ。農家を切り捨てるということです。これは農民に限らず、すべての人たちにかけられた攻撃だと思います。

 政権が代わりましたけれども、反対同盟と私たちは、けっして安心していません。反対同盟は動労千葉と車の両輪となってたたかいぬきました。また、沖縄や北富士、関西の人たち、戦争に、反戦や差別とたたかう人たち、この人たちと幅広く共闘して闘い抜きたいと思います。そういう意味でも、今日集まられたみなさんとともに闘っていきたいと思います。

 これから空港絶対阻止、廃港までの闘いとして頑張っていきたいと思います。頑張りますので、みなさん、よろしくお願いいたします。

沖縄から  豊見山 雅裕さん

 091011_3 こんにちは、短く挨拶させて下さい。昨日、辺野古の浜で集会がもたれました。これは海上で新基地建設を実力で阻止し、座り込みを始めて2000日を超えた集会です。私たちは、その2000日以前、部落7年間の闘いがあるのです。その中で、私たちの多くの先輩たちや、私たちの多くの仲間が、実はこの三里塚の闘いに関わってきたひとたちが、大勢いるんですね。私は、15年ぶりのこの地への登場になります。

 あらためてですね、私たちの沖縄における反基地闘争、米軍基地を撤去する闘い、そして辺野古で実力阻止を闘う、その闘いの中で、その仲間たちが、あらためて集まって、萩原さんの話を聞き、そして市東さんの話を聞く中で、もう個別の闘いではなく、あらためて国の攻撃を正面から受け止め応えていく、きちっと沖縄の闘いと三里塚の闘いを具体的に連帯するその必要性をあらためて私たちは確認し、会議を結成することができました。

 その第1陣として、今日私たち二人がこの地にお邪魔することになりました。これから私たちは、沖縄の闘いの中で、辺野古の闘いの中で、高江の闘いの中で、沖縄の中における米軍基地を撤去する闘いの中で、この三里塚の闘いをひろめ、そして具体的に私たち自身が勝利する、その勝利する、向かい闘うなかで、三里塚の闘いを、私たちの中でどう取り込み向かい合って行けるのか、そのことを具体的に討論し、議論し、そしてここに多くの仲間とともに、連続的にこれから私たちは登場したいと思っています。091011_4

 私たちの闘いもかなり厳しいものがありますが。しかし、私たちは13年で、辺野古で、まだ、釘の1本も、打ちこまれていません。私自身は、海上でボートを操縦しながら、海洋船の前に飛び出し、阻止し続けてきています。また、陸上において、座り込む中で、おじいやおばあたちを先頭にして、具体的にも私たちは、・・・・・を阻止し続けています。勝利します。そのためにも、私たち自身が、全国の、そして国境を越えた多くの人たちとの連帯を勝ち取っていく、私たち自身が、沖縄の闘いとこの三里塚の闘いを具体的に結び付けていく、ともに勝利するために結び付けていく。私たちは、そのためにも、あらためてここに再度登場したいと思います。

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2009年10月16日 (金)

10・11三里塚 その4 労農連帯 農民アピール

091011_2 

闘う農民を代表して  小川浩さん

 本日の三里塚の全国総決起集会に集まられたみなさん。三里塚とともに闘う農民より決意の表明をしていきたいと思います。

 先の衆議院選挙で、今まで自民党政権の温床であった農村部からも反撃が開始されました。07年の参議院選以来、もっと言えば新自由主義政策の中で、市場原理の導入の中で、農業と農村は本当にやっていけなくなりました。農産物の低迷、あるいは農業資材の高騰等々で、いくら自民党が大規模で行けと言っても、その大規模農家、あるいは専業農家自体がやっていけない事態がここ数年続いています。そうした農民の怒りが、先の選挙の結果として、自民党の大物現職大臣まで農村部で落選させるという、自民党政権を打倒する一翼を担いました。

 この間、市東さんが農地法で農地を奪われようとしていますけれど、6月にその農地法が改悪されました。それは、自公と民主党によって強引に改悪されたんです。今まで、戦後農政の根幹だった農地法が、農地法の第1条の耕作者主義を廃止して、企業が参入して、農家だけでは農業をやっていけないから企業にもできるように農地法を改正するんだという形で、農民を農業から追い出して、企業が自由に農業に参入できるような農地法に改悪しました。

 民主党に政権が交代したわけですけれども、じゃあ、この民主党に我々は期待できるかというと、まったく期待できないと思います。選挙中でも、民主党の農政は、日米のFTA締結、あるいは今、東アジア共同体構想とか言ってますけれども、 農民に夢を与えるような、農家の戸別所得補償方式を導入するというようなことを言ってますけれども、民主党の本音は農産物の完全自由化です。日米FTAに限らず、すべての国とEPAやFTAを結んで貿易の農産物の完全自由化、それが狙いじゃないかと思っています。農家には所得補償というんだからいいんじゃないかというのがありますが、それが本音じゃないかと思います。

 今まで、自民党政権の中で農家はやっていけなくなったんですけれども、民主党の農業政策、あるいは農地制度はどうなるかというと、民主党は例のマニュフェストの中で、今までの耕作者主義、非常にあいまいな形で残してるんですけど、基本的には今までの耕作者主義を廃止して、「土地を所有する農民は耕作する義務がある」と、こういうようなことを言っています。今、日本の平均農家の耕作面積は、7割以上が・・・一番多いわけです。じゃあ、農業だけで食って行けない人はどうすんのか。耕作をしても、採算が合わない。そういう中で、埼玉県一県にあたる耕作放棄地が全国にあると言われてますけれども、そういう農民は農地を所有できなくなる、裏を返せばそういうことだと思います。091011_5

 ほんとに民主党政権になって、どこがどう変わるのか、これから注意して見なければわかりませんけれども、今回の政権交代というのは、結局自民党がいつまでも続くと思っていたのが倒されて民主党に代わった。このことは、これで終わりじゃなくてね、これから農民や労働者が自らの力によって政権を変えていく、あるいは自分たちが政権をとっていく、そういう政治的な大流動化、激動の始まりと言って過言ではありません。

 そういうことで、我々、これから、まだまだ戦前や戦後の農民運動から見れば、三里塚が43年間、国家権力と必死になって闘い抜いてきた、こうしたことから見れば、全国の農民が本当にまだ連帯できていない現実があるわけです。しかし、農民がこのまま永久に決起できないのかといったら、絶対そうじゃないと思います。今回の選挙を含めて、自民党政権ではダメ。民主党政権でも農民は生きていけない。そういう事態の中で、農民はどうするのかといったら、結局、三里塚のように闘わざるを得ないという、そういう状況が必ず来ると思います。我々は、そういう意味で、今、決戦局面を迎えた三里塚の闘い、とりわけ市東さんの闘い、市東さんの農地を絶対に守る、農地法によって、市東さんの農地を絶対に渡してはならない、いうようなことを何としても全国の農民に訴えて、何としても農民の決起を勝ち取っていきたい。

 今日の闘い、まだまだ我々の戦線は人数的には少ないんですけれど、今日を出発点に、萩原さんが言ったように「今たたかわずして、いつ闘うのか」ということを肝に銘じて、三里塚の43年間の闘いの中で培ってきた動労千葉との闘い、農民が本当に未来を切り開くには労働者と共に決起して闘い抜いていく、こういう陣形を何としても作っていきたいと思います。

 この秋から来春にむけた三里塚のほんとに切迫した状況の中で、我々農民としても共に闘っていく決意を明らかにして、共に頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。

 

農民アピール   反対同盟・鈴木謙太郎さん

 10・11全国集会に結集されたみなさん。ご苦労様です。091011_4

 三里塚は、いよいよ決戦の秋に入りました。本部裁判においては11月最終弁論、年内にも反動判決を下そうとしています。市東さんへの農地取り上げ問題。これは、今の農家にとっては重大な問題です。

 市東さんは「私は、この畑で野菜を作り続けることに生きがいを感じる。だから、ここに住み、畑を耕していきます」と。市東さんが農業を続けていくことを、反対同盟は一丸となって守り、闘っていきます。

 今秋、三里塚は代執行以来の決戦の秋に入ってきました。10・22、北延伸前倒し供用、市東さんの家や畑を囲い込む第3誘導路建設、本部裁判、市東さんの3つの裁判。重大な局面に入ってきました。

 あらためて農地死守、実力闘争で闘う決意を明らかにしたいと思います。

 最後に、三里塚が勝利する道は、動労千葉と闘いとった労農連帯と、沖縄や関西をはじめとする幅広い市民運動、住民運動の発展にあると思います。全国の闘う労働者、農民、学生、障害者、すべての皆さんを三里塚に集めて、本当に世の中を変える力を持った三里塚闘争にしていきたいと思います。

 以上です。

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2009年10月15日 (木)

10・11三里塚 その3 特別報告 関西新空港反対住民

091011 永井満関実代表世話人

 ご紹介をいただきました関西の住民としまして、一言、連帯と共に闘う決意を申し上げます。

 先日、北富士忍草母の会事務局長であった天野美恵さんがお亡くなりになりました。残念にも、寂しくも思います。忍草母の会の先頭で、長年、ゲリラとなって闘うと、雪深い、また炎天下の富士山麓で、米軍、自衛隊の演習を阻止する闘いをしてこられた天野美恵さん。三里塚闘争が始まるや真っ先に駆けつけて反対同盟の婦人行動隊の結成に尽力されたと聞きます。

 私たち関西の住民が天野さんに初めてお目にかかったのは70年の7月でした。その数日前、米軍戦車に身を投げだし演習を阻止された話しを、知らないで訪れた私たちに、入会組合の事務所で当の天野さんから親しく話していただきました。あの日のことを忘れることができません。米軍演習を阻止し、入会地奪還を掲げたその闘いが、私たち関西住民はもとより三里塚を闘うものにとっていかほど励ましになったかと思います。050327

 この演壇に立って「ゲリラになって闘え」と天野さんがあの小さな体から大音声を発して、私たちを叱咤激励されたことが今も耳に残っています。

 謹んでご冥福をお祈りするとともに、その闘いの精神を受け継いでこの三里塚で、関西で、全国で闘い抜いていくということを、あらためて決意するしだいです。(右写真は、05年3月27日、三里塚全国集会での天野美恵さん)

 さて、基調報告にもございましたが、今、空港会社が三里塚にかけてきている、理不尽な、卑劣な、許し難い攻撃は、私たち共に三里塚を闘うものにとっても、実に腹立たしい、はらわたが煮えくり返る思いですから、この現地で生活し、闘いぬいておられる反対同盟の方々の心中や、いかばかりかと思います。特に最近出されました第3誘導路計画、事実上、市東さんを空港の中に閉じ込め、孤立させ、そして追い出していこうとするこんな卑劣な、許せない攻撃を、私たち、反対同盟と一緒になって、どんなことがあってもはね返し、体を張ってでもはね返す、そういう決意を固めたいと思っております。091011_2

 基調報告でも申されましたけれども、そういう敵の攻撃に対して、私たちがあの70年、71年のような不退転の決意を、そして今も言われたあの動労千葉の闘いに総結集した決意を固めて、この許し難い、理不尽な攻撃をはね返していかねばならないと、ほんとにそう思っております。私たちでさえはらわたが煮えくり返る思いがいたします。同盟の皆さんはいかばかりか。ましてその矢面に立たされている市東さんの怒りはどんなだろうかと思います。

 先般、市東さん、鈴木さん、萩原さん、お3人にお出でいただきまして、三里塚関西集会を同盟と共催で開催し、最近ではかつてなかった結集をいただいて、大成功いたしました。この勢いで、こちら三里塚でも闘っていくとともに、関西でもさらに大きな形で三里塚の闘いを広げていきたいと願っております。

 9・27三里塚関西集会でそうであったように、さらに関西での闘いの輪を広げていくために、これからさらに反対同盟の皆さんが総力を挙げて関西にお出でいただくことをお願いし、挨拶、決意表明といたします。ともに頑張りましょう。(要約)

山本 善偉関実世話人

 091011_4 結集されたみなさん。私は、この壇に立たせてもらって、春の集会よりも一回り大きくなったことを実感します。非常にうれしいです。

 主催者の開会の挨拶をされた森田先生が92歳になって、死ぬまで三里塚の勝利まで闘うと言っておられる。私はやっと、先生より3つ下の89になりました。

 去る9月27日の関西の集会では、本当に腹の底から一回り力がついたぞと感じてました。あの御堂筋を心斎橋から難波まで、たくさんの沿道のみなさんに三里塚を訴えて歩くことができました。

 三里塚が今、かかっている攻撃、もう言うまでもありません、43年かかって、北原さんが言われたとおり、最初の計画の2分の1もできていない。今の暫定滑走路は、このままでは暫定なのに、第2誘導路を作り、第3誘導路を作ろうとしている。これは何だ。市東さんを囲い込んで、反対同盟を潰そうとしている。

 何のためにそんなことをするのか。ほんとに無駄なカネを使っている。これは関西で、関空が赤字、赤字で、国民の税金を90億、足らないからと160億も今度はつぎ込もうという。こんなことをやっていながら、全然役に立たない第2空港島を作っている。東に成田、西に関空を作る。これは何だと言えば、米軍再編と完全に結びついたものです。戦争へ行く道がここに開かれようとしているのです。憲法を変えようとする空気がすでに生まれつつある。091011_5

 これを食い止めるのは誰か。我々です。その我々の先頭に立って43年、4年目の闘いをしているのが三里塚反対同盟です。先ほどの萩原さんの「今日の闘いを肝に銘じてくれ」と言われたその決意をしっかりと受け止め、各地でさらにこの闘いを広め、今闘われている裁判闘争に、市東さんを囲い込もうとする攻撃に対して身体を張って闘おうではありませんか。

 一人ひとりが闘うことによって平和憲法を守り、平和を守り、戦争をしない、戦争のできない国にしなければならないと思います。共に頑張りましょう。

 

 

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2009年10月14日 (水)

10・11三里塚 その2 基調報告

091011  写真は、10・11三里塚集会。後姿は萩原進さん。

基調報告 萩原進反対同盟事務局次長

 三里塚のすきっとした今日の天気の中で、今の社会、あるいは階級情勢は厳しいんですけれど、闘えば、勝利の道は開けるんだという、そういう時代の中にいることがはっきりしていると思います。先の総選挙で民主党が政権をとりましたけれど、自民党のみごとな敗北の中ではっきりしたように、労働者を先頭とした民衆の怒りが、あのような結果になったと思います。しかし、問題はこれからなんですよ。あの怒りを、どうやって文字通り社会を変える、三里塚が、動労千葉派に変えてこれるか、といった闘いがますます求められるべきじゃないのか。そのことを今日ははっきりしようじゃないかということを一番の眼目として、本日の闘いをとらえたい。091011_2

 なぜならば、この三里塚は、先の3月の全国集会以降、東側の誘導路の供用開始、そして裁判闘争の中でほんとに反動的な訴訟指揮を受けながらも闘いぬいてきた中で、二期阻止の闘い、本日の闘いの中でね、新たにまた西側に誘導路を建設というような形で打ち出してきたわけですよ。そしてこの22日から、暫定滑走路を前倒しして供用開始すると、常識では考えられないような攻撃が現地にかけられてきている。1本の滑走路に3本の誘導路を作ろうとしてるんですよ。こんなことはありません。

 民主党が、今、いろんなものを見直そうと言ってるけれども、まず最初に見直すのは、この三里塚の問題です。八ッ場ダム50何年、三里塚40何年、総理大臣15人以上変わってるんですよ。数え上げたら名前が出てこない。こんな政権、能力ないんですね。こんなものぶち壊して、ぶち壊してやんなきゃダメだということを物語ってるんですよ。そして民主党が政権を取ったのはいいけれど、国、地方あわせて1千兆円におよぶ借金を抱えたこの日本列島、あらゆる矛盾を今、抱きかかえて、四苦八苦してどうやってくんだと、美辞麗句を並べて選挙を勝ったけれども、これからどうするんかというところでメッキが剥げていくわけですね。ここで出てくるのが牙をむいた民衆に対する襲い掛かりですよ。

 あの閣僚を見たって、既成の労働運動の指導部であったり、そういうところから出てきた悪辣な奴が、みんな並んでんですね。そうは言っても、民衆の中にも、あまりにも自民党がひどい、ここでお灸をすえて、自民党、立ち直ってくれないだろうかという層もあるんですよ。このことも忘れちゃいけない。そして、もう一方自民党は野に下がって、やりたいことを言う、言いたいことを言う、そして人民を騙らかす。そしてもう一度政権に帰ろうと、右からの巻き返しを図っている。いわゆるヒットラー的な登場をやっぱり持っていく。田母神を先頭とする民間の反革命と千葉県知事の森田みたいな奴を押し立てて、そして何とかもう一度政権を奪取するんだと。それとの攻防が、我々、今、始まったんですね。

 文字通り、三里塚が、動労千葉派が、ここで、ほんとに足腰を強くして、ふりかぶって、ほんとに持てる力を十二分に発揮しなければ、我々は後がないわけですよ。だけども、そういう状況になったんだということ自体が、我々が希望を持って闘いぬけるんだ。そういうのを前提としながら、何もこれが日本一国の問題じゃないわけですね。世界が同時にこの大恐慌の中に叩き込まれて、労働者や人民の決起がはかられて、そしてそれをみんな手をつなごうとしてあがき苦しみながら、叫んでんですね。ここにおける国際連帯の闘いを追及していかなけりゃあならんと思うわけです。091011_3

 そういう背景の下に、三里塚現地の闘いは、一つは裁判闘争。三里塚の裁判というのは、裁判で判決が下されたらそれで終わりてのじゃないんですよ。これが前哨戦。これが現地に帰ってきて、ここで肉弾戦になり、血を流し、みんなが武装して闘い抜く、その戦場を作るんですね。これが先ほどから言われている本部裁判であり、市東さんの裁判なんですよ。形を変えた代執行なわけですよ。このことを肝に銘じて、今日、この場でほんとに決意を固めていただきたい。これが出来ないんだったら、今すぐこの畑から出て行っていただきたい。反対同盟は決意を固めました。やります。この闘いを、裁判闘争を、その先頭に立っている奴どもを徹底的に追い詰め、裁判闘争の中で人民の渦をつくり、それを現地にひきついで、現地における武装闘争、実力闘争の爆発をはかっていく、この構図を短期間であるけれども、もう一度作っていく。

 本部裁判は、11月結審を彼らは目論んでおります。我々は、それをあらゆる手段を使って粉砕する闘いを法廷内で行います。そして、それを、判決を彼らは年内にも出したい。さきほど森田さんからありましたけれども、仮執行付き判決が出るかどうかと先ほど言われてましたけれども、もう判決文は出来上がってるんですよ。彼らの頭の中では、彼らは本部を取ろうとしてる。だから言ってんです、本部闘争をもうやろう、千葉地裁を、そういう意味での闘いとして捉えて、そして闘い抜いて、現地闘争を構えよう。そのことを今、第1に裁判闘争の中で訴えたい。

 その次に、市東さんの農地を、農地法を逆手に取ったやりかたとして取り上げようとしてるんですね。これが、解散前の通常国会で出された農地法改正、改悪です。そういう意味では農地を、どんどん・・・性の名の下に収奪するのと同時に、金を持っているものはどんどん農地を買い漁って行くんだ。そして自由に農民を労働者として使っていくんだ。そういう方向の中で、今、農業政策が行われようとしているんですよ。もう、そういう意味では株式会社が農民を労働力として使い、そしてやっていく。091011_4

 食品会社で多くあります。キューピーがマヨネーズを作るのに養鶏を行う。あるいは、トマトを作らせる。ケチャップを作るために。あるいは、水産会社が肥料をやって豚や牛を飼う。そんなことが、もう、ありきたりになってる。そういう中で、昨年、中国のギョウザ問題がありましたね。あの時、たばこ会社がタバコでは儲からないからと、ああいう形で手を出してきた。今度は、東日本の鉄道会社が、農民にネギ、野菜を作らせて、それを駅販売の中でのうどんやそういうものに活用するんだと、動労千葉と我々が今度は共同闘争できるような状況を東日本会社が始めたんです。茨木のJAと提携しながらやっていこう。そういう時代に入ってる。

 いわゆる食糧自給率がどうのこうのという問題じゃないんですね。自分たちが儲けるためには、もう、なりふり構わない。そして、そのためには何でもやる。そういう時代に入ってる。そのためには、労働者であろうと、農民であろうと、そういうものは搾取していく、そういう時代であるということをはっきりさせているわけですね。ですから、自分たちは、この闘いは、闘いの主人公は労働者です。それに、やっぱり、全国の農民に呼びかけて、三里塚が、農民の決起をはかって、労働者の同盟軍として馳せ参じ、そして共に闘う。こういう労農同盟論の中で闘い抜く三里塚の闘いをもっと飛躍させ大きくしていきたい。後ほど、北総の農民と全国の農民が壇上に上がって挨拶を行います。これも、本日の大きな基盤です。この輪を、次の3月集会では、もっと広げて内実的にも強化したいとそういう風に思います。そしてあらゆる地域で、三里塚の闘いを農業の中にもぶちこみ、そして労働者とともに闘い抜くぞういう闘いを構築していきたいと思います。

 まあ、民主党の鳩山が最近、「東アジア共同体構想」なんて言ってますけれども、いわゆる経済も軍事も含めて、そこで解決しようとしているんだけれども、「アジア・ゲートウェイ構想」を踏襲しているわけなんだけれども、こんなこと絶対にできえないんですよ。そこから・・・を上げるとか、そこから労働力をもってくるとか、そこに会社を作って日本の経済を立て直すとか、そんな夢のようなことを今言ってますけど、こんなこと絶対に出来得ない。もう我々が、先ほども言いましたけれど、そういう人たちとの連携、連帯を強く求めて闘い抜いていく、そういう構図を具体的に三里塚闘争の中で発揮していきたい。

 くどいようですけれども、何よりも市東さんの農地を守る闘い、そして農民の決起、そして労働者との連帯、そして全世界人民との連帯を通しながら、三里塚現地の問題に本当に目を向けていただきたい。市東さんの脇に第3の誘導路を作ろうとするのは、まさしく、そういう意味では、一つには今飛行回数20万回を30万回に引き上げていこうと、机の上で、机上の計算として、そういう形にするにはもう一本誘導路が必要なんだというかたちで作らざるを得ないと、そのような状況が起こっている。だけども、問題は、今の大恐慌の中で、文字通り、日航がもう破産状態でしょ。全日空もそうです。そして、どこに頼って行くといったら、国にも金がない。そしてどうするのか。これはもう、一国だけの問題で解決出来得なくなっている。だから、外資を導入する、外国に頼って行く、そういうような状況にあるんですけれども、だからこそ、横の連帯というものが必要になってくる。そして30万回に引き上げることの狙いは、市東さんを叩き出すことにあるんですね。そのことをもって。そして東峰部落をなくすことなんですよ。091011_5

 あるいは、22日からの供用開始もそうです。今度は大型機を飛ばすよ、その騒音の中で、お前らまだそこで生活するのか、それでもやるのか、ということを迫ってるんですよ。このことを我々は打ち返していかなくちゃぁならん。それは、文字通り、裁判闘争の勝利と、そして現地におけるそういう闘いの勝利と、そして労働者と闘い抜いていくあらゆる戦線の構築が必要だ。今こそ、全国の、あるいは地域の、またあらゆる戦線、市民も住民も、そういう意味で、強固に、ほんとにひと踏ん張りもふた踏ん張りも踏み固めてね、頑張り抜いていく、そういう時代だと思います。

 そういう意味では、今闘わずして、いつ闘うのかということなんですよ。ですから、ここで、ほんとの意味で、この闘いを、三里塚の闘いを、もう一度全国化して、全国の渦の中で闘い抜いて、そして暫定滑走路を閉鎖して、4000メートル滑走路に攻めのぼっていく。こういう闘いを展開します。これは絶対に勝利できるんですよ。そのために民主党内閣、連立内閣に対してね、まず第1段にね、この階級情勢の中で、ここに三里塚あり、ここに動労千葉あり、ここに全国のあらゆる戦線がここにあるんだという闘いをね、ここで示そうじゃありませんか。文字通り見直しを、力によって見直しを迫るという形を作ろうと思います。

 まあ、気持ばかり先ばして、まとまらなくなってきましたけれど、先ず、ほんとに言いたいのは、ほんとに今こそ闘おう、ほんとにそれを肝に銘じて腹を固めよう、そしてあらゆる戦線で起ち上がって、今までを大きく超える闘いを、もうほんとに常識で測れない攻撃がかかってくるわけですから、我々もそういう意味では無制限の闘いをやりましょうよ。そういう意味で三里塚の反対同盟は、先ほど言いましたけれど、腹をきめてこの闘いを展開します。是非、今日一日、この集会でそれを確認いただいて、戦闘的なデモを貫徹して、もう一度三里塚問題を全国に波及していただいて、今日ほんとに集まりました、春の集会に、これをもう少し広げていく、そういう輪を作っていきたい。我々も、全国に飛び出し、闘っていきますので、ぜひよろしくお願いします。

 

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2009年10月13日 (火)

10・11三里塚 その1 主催者あいさつ

091011  写真は、10・11三里塚全国集会。演壇に北原鉱治反対同盟事務局長

主催者挨拶  北原 鉱治反対同盟事務局長

 本日の集会に、全国よりよく集まりました。

 みなさん。この山野を見て下さい。めちゃめちゃに破壊されて、環境問題なんてものは、無残な、過ぎた話しになってしまいました。

 091011_2 43年間、皆さんとともに、代償を求めることなく闘ってきた反対同盟は、健在です。

 今の世相を見ると、自民から民主に変わったと、何か変わったでしょうかね。まだ、・・・ということはあるけれども、まったく変わってはいないんじゃないかと思います。それは、三里塚闘争43年を振り返ってみると、だましのだまし、彼らには正義というものが一片のかけらもありません。

 今日、ここに集まった人々は、労働者であり、農民であり、また学生であり、この時代を変えるのは、人頼みではだめです。いわゆる他力本願ですね。自らが動かないかぎり世の中は変わらない。そういう意味で結集されたと思います。

 戦いの秋を迎えて43年間、解放同盟のみなさんや障害者、そして労働者、学生、農民、みなさんが三里塚闘争を「わが闘い」として参加して下さった。

 成田空港建設は、最初っから合理性を持っていない。・・・・、公聴会なり説明会なり、法的手続きを踏んだのか。一切それを省略して、1966年の6月23日に内定、閣議決定が7月4日、2週間足らずで閣議決定へと持ち込んでいったわけです。当然ここには、日本での法律があるならば、よく、住民に話しを聞き、手続きを踏むべきであった。一切を省略し、力づくで進めてきたからこそ、今だにこの状態だよ、みなさん。30年前に、3本の滑走路が出来なければならなかったものが、現在に至っても半分しかできていない。なぜ、できないのか。それは、大衆、人民の国に対する怒りがあるから、出来ないんです。私たち反対同盟が、何をやったか。まったく何もやっていない。多くの逮捕者を出し、負傷者も出しています。この闘いの中で、・・・を含め10名以上の人たちが命を失っています。091011_3

 このような無謀空港、とりわけ成田空港は、有事の際には、兵員50万が、この成田空港を拠点にすると、こう言ってるわけです。有事ということを、・・・してはダメだ。戦争をするということが有事だ。

 今、私たちは、足かけ44年目を振り返ってみれば、さらなる闘いに決起しています。それが今日の10・11全国集会です。このような空港は存在価値はない。・・ような一片のかけらもない。従って、廃港あるのみです。戦争につながるこのようなものは、若い労働者、学生の未来のために責任をもって打ち倒しましょう。

 皆さんとともに、三里塚は、全国の人々の共有の財産です。勝てます。追い込んでます。もう一歩、この闘いが進めば、将来、絶対に軍事使用の心配がなくなる。そういう意味で、今日の集会は、44年を振り返り、自分に何ができるか。先ず、自分が動かなかったら、世の中を変えることはできない。未来がある。日本を救うために私たちには責任がある。

 障害者の皆さんも頑張ってください。反対同盟は一緒に闘います。

 簡単ですけれども、主催者の挨拶にかえます。ありがとうございました。

 録音に、近くでの会話が重なり聞き取れない所が多々あり申し訳ありません。091011_6

 なおこの日朝、先だって、北原鉱治事務局長宅を、関実の永井代表、山本世話人、そして元世話人の森田さんをはじめ、20人ほどが訪れ、20年近い恒例となった1時間余りの交流会が開かれた。用意していただいた料理やお菓子をいただきながら、北原さんからの、今日の闘いの意義が冒頭語られ、永井さんなどから、反対同盟との長い交流に寄せる想いや、27日の「三里塚関西集会」の報告などが、そして森田さんから、天神峰現闘本部への代執行攻撃には命をかけて闘うという決意などが披瀝された。(右写真)

 

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2009年10月12日 (月)

10・11三里塚現地集会

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 昨日、10月11日、文字通り雲ひとつない秋晴れの三里塚、東峰の清水の畑(萩原進さん所有)で、3月の全国集会をはるかに上回る、全国から1780名の結集で、「全国集会」が開かれました。

 091011_4 92歳になられた反対同盟の森田恒一さん(元関実世話人)による、「残りの人生を全てかけ、命をかけて天神峰現闘本部への代執行と闘う」という烈々たる決意を込めた開会のあいさつで始まりました。(右写真は、その現闘本部前をデモする関実の隊列)。

 主催者のあいさつに立たれた北原鉱治反対同盟事務局長(左写真)は、「30年前に完成していなければならないはずの空港が半分しかできていないのはなぜか」と43年の闘いの歴史を総括された。091011_6 その上で、「三里塚闘争は、全国の人々の共有の財産です。勝てます。追い込んでます。」と、勝利の確信も固く主催者の挨拶を述べられた。

 次に基調報告に立った萩原進反対同盟事務局次長(右写真)は、三里塚闘争そのものの全体像と闘いの方向を指し示された。その中で、「三里塚の裁判てのは、裁判で判決が下されたらそれで終わりてのじゃないんですよ。091011_7 これが前哨戦。これが現地に帰ってきて、ここで肉弾戦になり、みんなが血を流し、みんなが武装して闘い抜く、その戦場を作るんですね。これが先ほどから言われている現闘本部裁判であり、市東さんの裁判なんですよ。形を変えた代執行なわけですよ。このことを肝に銘じて、今日この場でほんとに決意を固めていただきたい。これが出来ないんだったら、今すぐこの畑から出て行っていただきたい。反対同盟は決意を固めました。やります。」と、私たちに厳しく語りかけられ、その決意を促されたのです。

 091011_8 特別報告が続く。動労千葉の田中委員長、そして関西新空港に反対する住民として永井関実代表と山本世話人、最後に、先日10月4日に亡くなられた北富士忍草母の会事務局長の天野美恵さんを追悼して同盟婦人行動隊の鈴木加代子さんから追悼の言葉が述べられた。89歳になる山本さんからの烈々たる三里塚闘争勝利に寄せる想いを語るそのお元気さに、参加者は大いに励まされた。

 続いて、同盟の鈴木謙太郎さんとともに北総の農民のみなさん6人が並ばれ、小川さんが代表して「三里塚とともに全国の農民は決起する」と決意を語られた。続いて謙太郎さんが「農民アピール」を読み上げられた。

 今度は、市東孝雄さん(右写真)を先頭に「市東さんの農地取り上げに反対する会」の皆さんが大挙して登壇された。091011_9 反対する会の共同代表の井村さん、群馬の会の高階さんに続いて、先日結成されたばかりの沖縄から豊見山さんが、5月の萩原さんと市東さんの沖縄訪問によってあらたな沖縄における三里塚への取り組みが始まったことを紹介された。

 次は、三里塚裁判闘争報告。反対同盟弁護団が、葉山弁護士を先頭に8人が登壇し、全員が想いを語られた。

 部落解放同盟全国連中央本部をはじめ共闘する住民団体、そして現地支援の共闘団体からそれぞれ決意表明があり、集会宣言、スローガンの採択を行い団結ガンバローを行って、さあ、デモに出発。

 091011_11 この日の司会は、萩原富夫さんと太郎良陽一さんが行った。とりわけ富夫さんは初陣。本当に御苦労さまでした。

 反対同盟を先頭にしたデモ(左写真)が、東峰部落を練り歩き、10月22日からの北延伸供用開始攻撃、そして市東さんへの第3誘導路建設攻撃、そして天神峰現闘本部裁判判決=代執行攻撃への怒りと弾劾の声を響き渡らせた。この日のデモに、国家権力機動隊が襲いかかり一人の労働者を不当に逮捕したことを後で知った。怒りをもって抗議する。 

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2009年10月10日 (土)

9・27三里塚関西集会 講演(その4)

米軍再編と日米安保体制50年を問う

 ― 日米政権交代で何が変わるか  (その4)

        講師  吉沢 弘志さん

 ここであらためてオバマ政権の、新たな軍事政権の特徴を確認してもらいたいんと思うんです。Photo そのことを裏付けることでもあるんですが、例えば私たち「パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委員会」は、今年3月27日の朝鮮民主主義人民共和国の人工衛星発射に伴う飛翔体破壊措置命令にともなうPAC3部隊の展開というものに対して抗議の行動をいたしました(左写真がPAC3、防衛省HPより)。あれ以降、それ以前もそうなんですが、日本の軍事戦略はかってのような、旧ソ連邦相手ではなく朝鮮民主主義人民共和国の脅威ということをちらつかせていますね。04年12月の小泉政権の時の現在の防衛大綱でそこに中国がはじめて加わりました。朝鮮民主主義人民共和国の脅威、そして潜在的脅威としての中国ということが謳われているんです。つまり日本の現在の軍事展開、戦力の仮想敵国は朝鮮民主主義人民共和国と中国人民共和国であると。こうなってるんですね。それはアメリカとの軍事同盟があるんだから、アメリカもその線でしょうと言う風に考えると、これは大変な間違いです。

 日本という国は島国であるせいもあるのでしょうが、なぜか朝鮮半島がでてくると、とてつもない、こういう言い方は好きではないですが、「下劣な世論」というものがすぐに醸成されて、根強い差別意識なのですけれども、醸成されてマスコミなどもそれに乗っかってろくでもない報道をするものだから、すぐに朝鮮民主主義人民共和国が今にも攻めてくるという風な錯覚をされる方がいらっしゃるかもしれませんが、ちょっとまともに世界の軍事ということを考えてみるならば、朝鮮民主主義人民共和国が日本に弾道ミサイルを撃ちこむなんてことがあるわけがないんです。99.999%ありません。これは、日本政府、防衛省も文書で実は、はっきりと発表しているんですよ。なのに、なぜ、とおもうんですけれども、この方がやりやすい。

 こういうのも考えなければならないことなんですが、自衛隊と米軍で温度差はあると思うんですけれども、自衛隊はとりあえず朝鮮民主主義人民共和国と中国というのを射程においた戦力展開を宣伝していると。在日アメリカ軍も、朝鮮半島と中国を考えている。韓国に配備される予定のミサイル防衛も全部中国を向いています。北ではありません。中国に向けて配備されています。しかし、アメリカは本気で中国を敵に回す気があるのか。これは可能な限り、ないです。先ず考えてみるならば、先ず、日本の貿易収支を考えて見るとわかるのですが、輸出に関してはアメリカ1位、中国2位。輸入に関しては、中国1位です。アメリカ2位ですね。日本の経済にとっても中国は否定できない大きな存在なのですよ。アメリカにとっては、実はもっと大きな存在です。09927_4

 そもそも現在の国務大臣をやっているヒラリー・クリントンは、過激なまでの中国派といわれてるんです。なぜならば、彼女の大統領選挙戦の資金源。アメリカの大統領選挙というのは資金との闘いなんですね、オバマは5ドル、10ドルと供金してくれた人たちの熱意でなぁ~んて演説で言ってますが、巨きな企業から沢山献金してもらっていますよ、オバマだって。ヒラリー・クリントンも米国内の大企業からも献金してもらってますが、彼女の最大の資金源はどこかというと中国系企業です。ヒラリークリントンは、多額の資金を中国系資本から受け取っています。だからヒラリークリントンは中国に悪い顔は出来ないんですね。だから、就任後、初めてのアジア訪問で最初に日本に来て、例のグアム移転協定などをして、中国に行きましたでしょ。ほんとは初めに中国に行きたかったんですよ。

 今のオバマ・クリントン路線、および中国経済とアメリカ経済の関係を考えてみるならば、アメリカが中国を本気で敵国にすることができるわけがないですよ。これは世界経済の常識ですよ。であるならば中国と密接な関係がある朝鮮民主主義共和国も、本気でですよ、敵国とか、もちろん米軍の横須賀基地にあるトマホークの半分が朝鮮民主主義共和国に照準をロックされてますよ、ですけれども、本気で朝鮮民主主義人民共和国を敵国にするなんて気はほんとはない。だって、うがった言い方をすれば、世界の目を、アメリカは、朝鮮民主主義人民共和国や中国を敵国にしているけれども、ほんとはそうじゃない。むしろ、もっと悪いのが奥にいるんですよという国際世論を作りたいと言っても言い過ぎではない。

 悪いとこどこですかといったら、中東なんです。ですから、よくブッシュのイラク攻撃、アフガン攻撃は石油利権だと言われる。石油利権もあります。しかし、データーを見てみるとわかるとおり、アメリカは中東の石油にそんなに依存してません。日本とは比較にならないぐらい依存していません。中国の方が圧倒的にイランなどに依存してますよ。アメリカにとって、そりゃあ石油も欲しいでしょうが、あのアフガン、イラク、そして現在イランにつながってる、オバマ政権、イラクから撤退しアフガンを強化すると言ってますよね、アフガンやイランにアメリカの軍事の矛先を向けていく、このようにして世界の、アメリカの軍事戦略のバランスを中国でないんですよということを国際世論に訴えたいというのが、私自身が考えている「読み」なんですね。これは多くの軍事評論家も言ってるし、アメリカの軍事専門家もみんなそう言っています。日本は、なんか異常なまでに朝鮮民主主義人民共和国や中国へへんな敵対心を持っていらっしゃいますが、これは世界的にはありえない。09927_2

 こういう中で、これから、オバマ政権は、鳩山民主党中心の政権に対して必ずアフガンへの派兵というものを訴えてくるだろうと。こういう動きの中で、自衛隊も大きく編成されてくる。しかし、そのために、日本がアメリカにくっついて中東の方に戦力を強く出すという方向は見せたくない中で、とりあえず朝鮮半島有事や中国有事ということをにおわせている。そこに多額の税金を使いながら軍事演習も行われているというのが、地元習志野基地や成田空港ということがあると思うんですね。PAC3が習志野基地に配備される時に、名目は成田空港警備でした。成田空港警備は、有事の際に成田空港を軍事空港として使う際の軍事的な防衛です。しかし、アメリカは本気でそんなことが起こるとは考えていません。「コ―プラン5055」を作成のきに、アメリカは朝鮮半島から来るとして数百人でしょうというのに対して、日本は数千人と主張して、その違いが露わになっていますが、ここにアメリカの見方が見えてるんです。09927_5

 アメリカはとにかく中国との関係を持続させながら、軍事戦略の維持のために、とりあえず、これはどう変わるかわかりませんけrども、中東をいわば軍事的な攻撃対象としていく、そこに日本も組み込まれていくだろう。しかし、そのことをおおいかくすために、これを軍事的マヌーバー、ごまかしと言うんですけれども、朝鮮有事等々をちらつかせながら国内の軍事態勢を整えていくだろう。そこに習志野も成田空港も使われるだろう、関西空港も使われるだろう、最近PAC3が配備された饗庭であるとか白山であるとか、近くの自衛隊基地も動員されてくるでしょう。私たちは、それを誤魔化されないで、アメリカが本当に狙っていること、そして日本が本当にそれにくっついていくべきなのかどうかということを、政権が変わった今こそ、国民世論としてはっきりと打ち出し、単に日本1国ではなく、中国も、朝鮮半島も、そしてアジア太平洋地域全域の平和的な生存を超えた平和的な共生に向けて。

 鳩山が東アジア共同体と簡単に言いますけれども、共同体をつくるためには安全保障は絶対にはずせません。東アジア共同体の安全保障は、日本が要になるしかないんですよ。そうなるならば、従来の考え方から言うならば、日本の自衛隊の機能を強化するしかないわけで、こんな馬鹿げたことはないわけで、わたしたちは、平和を愛する市民として、そして平和憲法を持つ日本の市民として、憲法の精神にのっとって、そして私たちが平和に生きる権利にのっとて、アジア・太平洋域のすべての市民の平和的な共生に向けて、今の政権に対して、そしてアメリカの政権に対しても、しっかりとものを言っていく大きな運動のうねりを作ってなければいけないと思っております。

 その大きな一里塚として、三里塚の闘い、そして私の地元のPAC3の闘い、神奈川での米軍再編の闘い、岩国の闘い、そして何よりも沖縄の闘いがあるだろうと思います。沖縄は来年1月、名護市長選を迎えます、そして年末には沖縄知事選があります。この間の総選挙で、初めて沖縄県から自民党の衆議員が消えてくれましたね。この沖縄県民の想い、熱意というものを、私は大きく受け止め、連帯し、全日本市民の力でもって沖縄の闘いを支え、そして私たち地元の闘いを盛り上げて行って、アジア・太平洋の共生のために頑張っていきたいと思います。共に頑張りましょう。

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2009年10月 9日 (金)

9・27三里塚関西集会 講演(その3)

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米軍再編と日米安保体制50年を問う

 - 日米政権交代で何が変わるか (その3)

        講師  吉沢 弘志さん

 米軍再編、先ほど言いましたように、アメリカは新たな世界秩序、グローバル化の中で、どのような軍事力を展開するのかということを考えてみます。とりわけアジア・太平洋域での戦力のありかたということについて大きな転換を日本と共同で行っています。一つの例ですけれども、皆さんはFENというものをご存知だったろうと思います。Far East Network ですね。アメリカ軍向けのラジオ放送です。Far East ですから極東放送ですね。これが、ずっとやっていたわけですね。英語を勉強する時に、FENをつければ結構あるよとかいって、高校や大学の中で聞いている人がいました。私なんかは、アメリカ帝国主義軍の放送を聞いているなんて何事だなんて、怒り狂って(ママ)ましたね。今、FENないんですね。なくなってるじゃないといって、今、ここに書きましたけれど、AFNなんですね。American Forces Network 米軍放送網といって極東じゃないんですね。えっ、いつ消えたんだろうと調べたら、97年10月にFENがなくなって、AFNになってるんです。ピンと来るわけですね。その直前、9月23日、新ガイドラインが国会において決まっています。ここにおいて、日米安保条約第4条にある、いわゆる極東条項というのは消滅しました。「日本国および極東」という文言にはあるんですが、もうそれを超えて米軍は行っていいし、日本の自衛隊もそれにくっついて行っていいんだよというのに変わったのが新ガイドラインですよね。これが9月23日に国会を通り、その直後に、FENがAFNに変わります。

 09927_2 これくらいアメリカは対応が早い。日本が少し遅いんですよね。この新ガイドラインというのは、96年4月の橋本・クリントン宣言、日米安保共同宣言、そこから派生してきたものですね。97年9月ですね。先ほど申しましたが、日米安全保障条約のあり方が、「国内および極東」と文言上限定されているのに、それを超えて、米軍も自衛隊も展開を可能にしていったのが新ガイドラインです。これをもう一回かんがえるべきななんですが、安保をめぐる、安全保障条約をめぐる様々な条例とかですね、法令とかね、極めて奇妙なものです。世界的に見てもこういう例はないんだと思う。日本国憲法は、国の最高法規であるはずですね。そういう風に憲法に書いてある。最高法規だと。最高法規であるならば、二国間の条約は順守されなければならないとは書いてあるが、最高法規の下位の法令のはず、法体系のはずなんですね。憲法があり、安全保障条約があるはずなんです。つまり、安全保障条約に関わるすべての関連の法令等々は、憲法の下にコントロールされるはずなんですね。違いますよね、今は。今はと言うより、そもそも自衛隊が発足した時から、明らかに憲法に明文違反してるのに、様々な解釈によって現状を認めてきてしまって、現在に至っている。ここからそうなんですが、日本国憲法よりも、日米安全保障条約のほうが、言いかえれば日米同盟が憲法の最高法規の上にあるという極めて奇妙なものです。それに政府だって、「日本は戦争を放棄している」と繰り返し確認しているにもかかわらず、十分に戦争ができる軍事力というものを、日本は着々と蓄えてきたし、これからも蓄えていくだろう。

 これをなんで憲法に照らし合わせて「間違いだ」と言わないのかというねじれ現象があるのですが、その安保条約そのものが今、大きく変わっちゃてる。とりわけ新ガイドラインに基づいて、周辺事態法。「周辺」というのは、国会答弁によると日本の安全保障に影響を及ぼすならば世界中どこでも「周辺」なんだと。だから、インド洋にいける、イラクに行けるわけですね。こうした世界を対象にした安全保障になってる。船舶検査活動等々のものが出てくる中で、この成田空港も関係している「概念計画5055」というのが02年末に導入されています。これは新ガイドライン、そしてそれに基づく周辺事態法等が整備されましたけれど、大事なことは、従来の戦争のあり方は明らかに敵となる国がある、敵となる国に対して日本が防衛するなり、攻撃はしないという名目であっても、防衛をするとするならば国を挙げてその国に対して防衛を築くわけですね。そういう構造になっていたんですね。

 所が、現在のアメリカの、およびアメリカに追随している日本の軍事戦略というのは、どこの国が明確な敵国というようなとらえかたはしないんですよ。いつでも、どこでもでかけていくアメリカ軍と、いつでも、どこでも、それにくっついていく、場合によっては単独でも出たいという自衛隊。こういう構造になると、国民に対するですね、軍事というもののコンセンサス、合意というものが従来とちがうんですね。あの国がこれだけひどい国で、こちらに攻撃をしてくるからそれに対して日本は防衛態勢をするんですよというのではなく、いつ、どこから攻撃を受けるかわからない、国内でテロがあるかもわからない、それにそれこそ即応していかなければならない、国民生活も。つまり国民生活総動員で、アメリカに追随した日本の軍事発動というものを組み込んでいく。ほんとに国民総動員していかなければならない。それが有事国民保護法制、体制なのですね。その先取りになったのがこの「概念計画コープラン5055」です。ここにおいて朝鮮有事というものを想定し、朝鮮半島から、これは朝鮮民主主義人民共和国を考えているんでしょうけれども、難民も含めて大量の人が日本にやってくるということを想定してそれに対する有事発動と、国内の成田空港、関空を含めた様々な港湾、空港施設の軍事的な供用というものを計画したものです。Photo

 これらから、もう一度繰り返しますが、あの国が旧ソ連邦ならソ連邦がミサイル攻撃してくる、陸上攻撃をしてくるので国民全体で態勢をとりましょうねというのじゃない。いつ始まるか、どのように来るかわからないというものに対してフレクシブルに、即応的に対応していく。そのためには、空港も、鉄道も、病院も、場合によっては民間の敷地なども供用してくださいよというのが、この「5055」ではっきりと謳われていて、すでにそこに基づいた陸上自衛隊の図上訓練などが始まっているわけですね。そこから有事法制を先取りし、自民党と民主党が、手を携えて、有事法制を粛々と作り上げていった経緯があるわけですね。それが04年の話です。

 翌年には、この「概念計画」は「共同作戦計画コープラン5055」に格上げされて、それに基づいて具体的な所がつめられて、そこに米軍再編がはいってくるわけですね。米軍再編は、05年10月中間報告が出ました。これが、「日米同盟 未来のための変革と再編」のこの文章の中に盛り込まれてるんです。これが、米軍再編のための中間報告とマスコミに報道されてますよ。翌年5月に「米軍再編ロードマップ」というのが出されて、いわゆる辺野古のV字型滑走路なんかがそのころ出されたんですが、実は現実には「ロードマップ」には具体的戦略は書いてないんです。具体的戦略が書かれているのは、この中間報告とされている05年10月の文章なのですよ。今、これに基づいて日本の自衛隊も、米軍も着々と進めているということで、事実上、安全保障条約は来年50年を迎えますが、この安全保障条約よりもむしろこの「日米同盟 未来のための変革と再編」の方が事実上の安保条約になっているといっても言い過ぎではなく、これまたとんでもないねじれですよね。日米安保委条約はいやしくも国会の議決を得ていますけれども、この「日米同盟 未来のための変革と再編」は、国会の承認なんてとってないですよ。勝手に当時の自公政権とブッシュ政権が2+2で話し合って決めただけです。

(つづく)

 

 

 

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2009年10月 8日 (木)

9・27三里塚関西集会 講演(その2)

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米軍再編と日米安保体制50年を問う

 - 日米政権交代で何が変わるか (その2)

         講師 吉沢弘志さん

 さっそくその国連総会の演説で言及された核の問題で言うならば、朝鮮民主主義人民共和国とそしてイランを名指しにして非難しましたね。そして、もう今日の新聞に載っておりますけれども、新たな核濃縮施設がイランに見つかったということで、どんな選択肢も拒絶しないとして、軍事的介入も排除しないということをチラつかせてイランに圧力をかけ始めています。それも従来のようにロシアの拒否権発動を出来ないように、あらかじめ同意を取り付けている。大変うまい。こうしたやり方っていうのは、イランの核無力化であり、朝鮮民主主義人民共和国の核無力化という方向に行ってくれるのはそれはいいことかもしれないが、みなさん、大事なことは、その後、国連で満場一致で「核の廃絶」が宣言されましたね。あれよく考えてみてください。

 オバマが「核廃絶」を言うのならば、先ず、何をすべきでしょうか。自国の核を廃絶すべきなのです。そうじゃないですか。自国の核の廃絶は言わないでしょ。言わないで、自分の核軍事力に比べればはるかに小さな朝鮮民主主義人民共和国やイランを名指しして、自分の責任 Responsibirity をかぐらかす。そしてまた、反原発運動をやっておられる方はおわかりの通り、あの核廃絶宣言には原子力発電所、核エネルギーは入っていないですよね。核エネルギーがある限り、核兵器の原料は作られ続けるのですから、核廃絶ならば、単なる兵器 Wepon の廃絶とともに、核エネルギーからの撤退を共にペアーでなければまったく意味をなさないことは、こういう核科学の常識だと思います。見えてますよね。

 などなどのように、オバマの政権になっても、アメリカの従来の単独主義と、そして同盟中心主義は基本的に変わらない。これが早くも反映しはじめました。そのオバマの歴史的と称されている国連総会演説の前日に鳩山総理とオバマは会談しておりますね。で、何を言ってるかというと「日米同盟の強化」をいってるわけです。 日米同盟の強化で、そして民主党が昨年度は言っていた普天間代替基地の国外移設であるとか、等々の問題については結局一言も触れずじまい。どうなのかなと思っています。一方、オバマは「単独主義からの撤退」ということを言い、そして核廃絶を鳩山も訴えて一致させ、その裏でなにかあったのではとされるのが、24日、現在の新しい防衛大臣が突如として「防衛大綱の見直し」の先送りはやらないと言い始めました。

 09927_6 防衛大綱というのは、ある程度の年齢の方はご存知だと思いますけれども、日本の防衛というのは大変な大きな問題を含んでいるわけですね。今、それをないことにしようとしている方が沢山いらっしゃるかもしれないけれども、日本国憲法9条において、第1項、第2項において「戦力の不保持」を謳っているにもかかわらず、自衛隊という戦力があるわけですね。これについて一貫した政府の見解というのは、「防衛のための必要最小限の戦力」という解釈を内閣法制局は一貫してとってきたわけです。その「最小限の戦力」というものを整備するために、一次防、二次防、三次防、四次防というところまで進んできたというのが70年代の話しなんです。私も高校生の頃なんかに「四次防粉砕」とか言ってやってたわけです。四次防の段階に、基本的に最小限の戦力というのは、まあ、配備ができたという考えだと思うんですけれども、それ以降は、何次防というのはなくなりました。

 その代りに、「防衛のための大綱」と大筋というものをきめてそれに基づいてやっていく。これは簡単に言ってしまうならば、ある程度の所まで戦力はもう保持したんだから、これ以上そんなにお金もかけないし、戦力の拡大をしないようにしたいというのが、裏の本音にはあるわけです。要するに現状維持くらいで行きたいということがあるわけですね。その証拠に、レジメにも書きました。(3)です、その防衛大綱というのは、76年、三木内閣の時に先ず第1回目が決まっています。三木内閣というのは、ご存知のとおり三木武夫さんは、自民党最左翼と自認していた通り、自民党内最ハト派と自他ともに認められていた。考え方としては、あまり自民党的ではない。彼自身、三木武夫さん自身が「私が自民党にいるのは、私がいなくなれば自民党に歯止めがなくなってしまう」と政権段階で繰り返しおっしゃっていたそうです。そういう相対的ハト派の内閣の時に第1回目の防衛大綱がきまっていて、それは非常にゆるやかな大筋で軍縮方向に向いたものだったのです。その方向に向かって進んでいきながら、多少の揺り戻しなっかもあったわけですが、中曽根の時にちょっと変わってるんですが、18年経って村山内閣の時に2回目の策定が行われました。94年です。村山内閣はご存知の通り当時の社会党の人ですよね。どこでどう間違えたのか、自民党と社会党が連立して政権ができて、その村山内閣の時に決めてますから、これももちろん村山談話などが示すとおり、ハト派的色彩の強いものとして決められていた。要するに、防衛大綱になってから日本の戦力、自衛隊の動きというのは基本的に現状維持という方向で進んできたわけですね。 Photo_2

 しかし、94年、もうすでに東西冷戦体制は崩れていて、崩壊していて、アメリカは新しい世界戦略の準備に入っていた時です。そこに遅ればせながら日本は、冷戦体制をふまえてということなんですけれど、冷戦体制を踏まえたから軍縮の方向というのが村山内閣の時の防衛大綱の基本線だったわけです。ところが、その後から変わっていくのですね。

 話しがレジメと前後するんですが、アメリカは、先ほど言いましたように、世界最強の軍事力を維持しつつ、しかし、従来と違う枠組みでそれを展開していくと。それは何なのか。従来のようにはっきりとした敵国を決めない。地球上のどこかに、いろんなところに分散している「ならずもの国家」であるとか「圧政の・・・」とか、はては「テロ組織」とか、一体どこから攻めてこられるかわからないものに対応するという風にに軍隊のあり方を変えていきました。つまり、簡単に言ってしまうならばアメリカ軍というのは、従来は、基本的な防衛の拠点となるべき所に大量の米軍を駐留させる、そういう世界中にそのような駐留米軍基地を持つというのが方針であったものを、どんどん駐留米軍を縮小していった。そして世界中、いつでも、どこでも出ていくそういう小回りのきく、小回りというのは表現がよくない、彼らが言うのは「即応性」のある軍隊へと変身をはじめてきたわけです。日本にもそれが求められてくるのが、この後出てくるわけですね。

 日本の、本来ならば、04年12月に閣議決定された新たな防衛大綱の前の、村山政権の時の防衛大綱であるならば軍縮の方向なのに、それ以降の自衛隊は、次々に、従来の必要最小限の防衛力としての戦力を踏み越えるような戦力拡充を始めていきました。ご存知でしょうが、もうすでに空母を持っていますね。ヘリコプター空母「日向」が一昨年、就航しています。それから空中空輸機も持っています。こうしたヘリコプター空母や、空中空輸機が、日本の防衛するためになんで必要なのか。ヘリコプター空母はヘリコプターを積んで、世界中どこまでも行きますよ。空中空輸機があるならば、戦闘機、爆撃機、まあ爆撃機を日本は持っていませんが、戦闘機は世界中どこへでも飛んでいきますね。そのためにあるのです。それが、しかし、04年に改定される前の防衛大綱下において、着々と準備されていったんです。あれは、新しい防衛大綱の時じゃなくて、前の防衛大綱の時に、もう予算が付けられて購入がきまったものなんです。

 これは、中曽根の時に防衛大綱の枠内で、中期防といって2年間ごとに予算を付けていくんですが、それは細かな話しで、変わってきて、どこから来ているのか。成田空港、関西空港の軍事空港化、米軍再編、そして自衛隊の再編は、実はこのあたりから始まってきています。というのは、小泉内閣で04年に防衛大綱が変更されていますが、10年ですね。ところが今度、今年中に突然やると言いだしたものですから、これは5年ぶりになります。すごい短縮化でしょう。18年ぶりに変えました。10年ぶりに変えました。そして今度5年ぶりなんです。これは何を意味しているかと言いますと、アメリカという国は4年ごとにアメリカの軍事戦略を見直ししています。QDRと言います。4年ごとです。来年がアメリカの新しいQDRが出る年(10年)なんで、この現在の新しい防衛大綱案というのは、このQDRと綿密な連携をとってつくられていると報道されています。これで、数か月のずれでアメリカの戦略と日本の戦略が同時進行で作られましたね。ということは、今度、次の防衛大綱は4年後というのが決まってるようなもんです。アメリカのQDRと日本の防衛大綱を・・・・の意図がありありと見えている。09927_9

 民主党はついちょっと前まで、この防衛大綱を、12月にやらなきゃならないものを先送りしますと言っていた。しかし、先ほど何度も言いますように、これも仰天したのですが、24日突然に、先送りしない、年内に策定すると言いだした。これは、どう考えても話しができすぎてるわけで、鳩山、そしてオバマのこの会談の中で恐らく何らかの圧力がかかったものと思われます。アメリカの単独主義は、いくらオバマが、Responsibirity などとと言ったところで、アメリカ主導です。しかも、そのアメリカ主導にいつも尻尾を振っていたのが、小泉以降の自公政権だったわけですよ。アメリカは、その旨味といいますかね、思いやり予算とかわけのわからない予算を付けてくれて、ここまで在日米軍を優遇している、お金の面ですよ、国はないです、世界中に。韓国だって、ドイツだって米軍いますけど、こんなに沢山やってない。だいたい韓国の10倍くらい、日本は出してますね。思いやり予算を在日米軍一人に分散させていきますと、日本の自衛官の給料よりも高いです。それくらいの思いやり予算をしてくれると。そしてグアムに移転するんだと言って、費用を70%ですかね、出してくれると。こんないい国ないのでして、アメリカは日本との同盟というのは、いろんな意味で維持していきたい。それが今回何らかの圧力がかかったものと思われます。

 この伏線はあるんですね。昨年12月、もうオバマ政権は決まっていましたから、オバマ政権の主要なスタッフと、民主党の主要なスタッフとが、昨年12月都内で会合しています。これは朝日新聞が報道しました。これによりますと、アメリカ側は、日本の大使になるなると言ってならなかったですが、ジョセフ・ナイですね。そしてマイケルグリーン、こういう日本のことをよく知っていると自称、他称している専門家たちが来て、何と言ったかというと、4つの柱を上げました。これはアメリカ側が、もし民主党が政権をとったとして要求する大きな柱として、日米地位協定、インド洋での給油、アフガンへの支援、そして普天間の移転、この4つの大きな柱として、この一つに対してでも民主党が難色を示すならば、オバマ政権、アメリカ民主党は、日本の民主党を敵とみなさざるを得ないと、ジョセフ・ナイが言ったと朝日新聞に報じられています。ここまで偉そうなことを言うわけですね。

 さらに8月28日の朝日新聞、先ほどあげたマイケル・グリーンが寄稿していました。これによると民主党政権になるだろうけれども、民主党政権がアメリカに対して対等な同盟関係などと言ってるけれども、アメリカが要求していることについて否定的な、表現は違いますよ、否定的な方向を示すならば、日本ははっきり言って痛い目にあうだろうというようなことを朝日新聞に投稿をしているのですね。アメリカの基準は、オバマ政権になってもまずアメリカ単独主義は変わりません。それにとにかく同盟という名目において協力してくれる国を1国でも多く集めたい。金を出してくれる国はうれしい。その場合、日本は今までも実績もあるんだけれど、一番有望な同盟国なんですね。ここのところは崩してはならないという基本線ですよ。恐らく、鳩山に対してそういう圧力が加えられたものと思われます。

 つまり、給油やめますよといってヒラリー・クリントンはOKを出してますよね。その代りアフガンへの支援を考えるという表現になってるわけです。気をつけなければならないのは、こういう外交的な事例というのは、一つの面から見てはいけないんです。外交の場、国連の場なんていうのは、国連に来る外交官というのは2枚舌どころではなくって、3枚舌、4枚舌、5枚舌ですから。オバマが、単独主義はなんとか言ったってですね、あれは5枚舌から言ってるかもしれないのです。本心は何なのかということなんですね。となると、突然その直後に、先送りするんだといっていた防衛大綱の見直しをやっぱり年内にするんだと言いだしたことには、やはり米軍再編の基本路線は守らなければならないよという圧力がかかったはずです。というわけで、米軍再編の話しになって行くわけですね。

(つづく)

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2009年10月 7日 (水)

9・27三里塚関西集会 講演(その1)

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米軍再編と日米安保体制50年を問う

 ―日米政権交代で何が変わるか(その1)

講師・吉沢弘志さん(パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委員会代表)

 どうも。お集まりの皆さん、こんにちは。パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委員会という長い名前ですが、そこの代表をしております吉沢です。今日お招きいただいてお時間をいただきましたことを感謝するとともに、私たちは、住んでいる所のすぐ目の前が陸上自衛隊習志野基地なんですけれども、そこにある中央即応集団というテロ、そして有事の際、また海外派兵の先遣隊である部隊、そしてその場所に2年前、11月29日に私たちの反対を押し切ってパトリオットミサイル、PAC3のシステムが強行的に導入されてくる。その後、3回にわたって移動展開がされてくるという動きに対して、私たちは地元の住民として、そしてまた、このミサイル防衛の名の下に、アジア・太平洋の安全保障のバランスを大きく軍事優先にしていく日本、アメリカの同盟の名に基づいた軍事的な暴挙に対して粘り強く闘い抜いていきたいと思っております。

 この闘いは、市東さんをはじめとする44年間と聞きましたけれども、三里塚の闘い、私自身も17歳の時に、71年の3月の強制代執行の時の闘いに参加した者なんですけれども、それ以来の三里塚との細い糸でつながっていたわけですが、もうひとつ、私たちのパトリオットミサイルに反対する、陸上自衛隊の再編、米軍再編に反対する闘いと、三里塚の命を張った闘いとの強い連帯をここで表明したいと思います。

政権交代はしたけれど

 09927_8ご存じのとおり、アメリカと日本は政権交代というものを市民が選択しました。同じような構造があるかもしれませんが、ブッシュ政権、そして小泉以降の自公政権というものの余りのひどさというものの中で、アメリカの市民が、そして日本の市民が何とか変えてもらいたいと、チェンジですね、そういう質がオバマを押しだし、民主党の大勝を生みだしたのだろうと思います。そこにはアメリカであれ、そして日本であれ、市民の熱い期待があることは事実です。その事実をオバマは、オバマ政権が、はては民主党を中心とする政権がどこまで担えるのか、それに対して私たちに何ができるのかというのが、これからの私たちの大きなテーマになっているだろうと思っています。

 このレジメを作ったのが20日過ぎなのですが、その後、矢継ぎ早にアメリカと日本の軍事、そして政治をめぐる情勢というものが変化、変わってきていて、予断を許さない状態になっています。

 先ず一つは、このレジメを作る段階で、オバマ政権はポーランドとチェコを舞台とするヨーロッパミサイル防衛、MDですね、チェコにレーダー基地、ポーランドにPAC3の基地を置くという計画の凍結を発表しました。私たちにとってみれば、大きな朗報であるわけです。余り伝わっておりませんけれども、チェコにおいてはこのミサイル防衛への参加に対して、チェコの市民の広範な、粘り強い、そして非常に多様な闘いがあって、その動きがチェコの旧政権を倒していくという流れがあったことも事実なんですけれども、ミサイル防衛の凍結を発表した。その流れというのは、すでに今年の初めの段階で、オバマ政権はミサイル防衛への予算の大幅削減ということを発表していたわけです。さらに御存じのとおり沖縄にも配備されるのかと言われていたF22の製造の凍結も発表いたしました。このように、オバマ政権は、表向きを見てみるならば、従来のアメリカの軍事一辺倒の政策を大きく変更していくとみられるわけですね。

 しかしながらオバマ政権は、ではアメリカ予算の中の軍事予算そのものを削っているのかというと、実は微増化しているのです。オバマ政権のキーワードというのは、日本風にいうならば、費用対効果です。従来のような湯水のように、アメリカの財政をひっ迫させていく、しかし効果がないというような軍事費の使い方ではなく、とにかく有効なものに使っていくという方向に変えていくというのがあるわけですね。今回のヨーロッパMDの凍結というのは、この勢いでアジア太平洋域における韓国、日本を含んだミサイル防衛からの凍結という方向につながっていってほしいと願っているわけなんですが、実はそうもいかないという事があるわけです。

アメリカの単独主義

 ご存じのとおり、23日には、オバマ大統領は国連本会議においてあの演説を行ったわけですね。アメリカ単独主義からの撤退ということを謳ったわけです。私のレジメにありますように、現在、日本は大きく巻き込まれている。それも、私たちの貴重な税金を大量に垂れ流しながら巻き込まれている所の米軍再編というのは、ブッシュ政権の中で生まれてきたものです。ブッシュ政権は、子供、息子のブッシュ、今、彼の母親は自分の息子のことを大変恥に思っているそうですけれども、あのジョージ・ブッシュ・ジュニアの方があまりにひどかったものですから、かすんでますけれども、こうした路線というというのは別に彼が始めたものではなくて、なんとなく相対的に良いように見えてしまうかもしれませんけれども、クリントン大統領、2期務めましたよね、クリントン大統領の時にも実は着々と進んでおりましたし、その前のブッシュの父親の時にも。そもそもカーター大統領の頃から少しづつ進んでいたアメリカの新たな世界軍事戦略の一環になっています。09927_6

 そのアメリカの軍事戦略の一環、何なのかと言ったら、御存じのとおり1991年12月31日をもって旧ソビエト社会主義共和国連邦が解体し、独立国家共同体になるという、従来のいわゆる冷戦体制、社会主義陣営対自由主義陣営、資本主義陣営という政治と経済と軍事を巻き込んだ冷戦体制というものが、基本的に崩壊した。その崩壊が何をもたらしたかというと、アメリカの軍事力、世界最大の核兵器も含む軍事力が、ソビエト連邦を中心とする社会主義政権に対する大きな軍事的歯止めになっているというその大前提自体が崩壊していくということなんですね。

 そしてアメリカ合衆国にとって、そうした冷戦体制の崩壊というものは、進路としては2つの可能性があったわけです。つまり、もう冷戦体制はない。あいかわらずアメリカもロシア連邦も核ミサイルを持ち、それをそれぞれの国に向けて照準をロックしており、各大統領は、発射ボタンを押す権利というものをその大統領就任とともに受けておりますけれども、現実的にもうロシア連邦対アメリカ合衆国という戦争のあり方はもうあり得ないだろう。ありえないという状況の中で、しかしアメリカ軍は、アメリカの巨大な軍事力を削減して国内の、および国外の広い意味での社会の福祉のために予算を配分し、軍縮していくんだという方向が1つ。

 しかし、アメリカ合衆国はそのゆな道を取らなかったわけです。アメリカは、今までのような強大な軍事力をきちんと保持していく。こういう方針を採ったわけですね。もちろんそこには、いろんな政治的な暗闘があるわけですけれども。そのためにはどうしたらいいのかというわけで旧ソ連邦を中心とする社会主義勢力を敵とする軍事の構造というものに代わる新たな軍事構造、つまり新たな敵を見つけなければならないわけですね。この新たな国というのはもう一つの国という風に確定することはできなくなった。だから、それまで考えることもできなかったような、たとえば「ならず者国家」とかですね。「ならず者国家」というのはよく間違えますけれども、ブッシュが使ったんではなくって、クリントンのころから使われている言葉です。旧ソ連、ロシア連邦を敵とするのではなく、小さな国かもしれないけれども、軍事力はそんなに大きくないかもしれないけれども、何か悪さをする、その理由として民主主義が徹底していないとか、独裁体制であるとか、こういう言い訳をつけるわけですけれども、「ならず者国家」と表現をしてみたり、「テロ国家」と表現をしてみたり、さらにうまいことに9・11同時多発テロ以降は、テロ組織というものも敵にする。常識で考えれば、アルカイーダも含めたテロ組織が核兵器を開発し、今度はその核兵器を載せたミサイルを作り上げて、アメリカならアメリカにぶちこむなど出来るわけがないのです。常識で考えれば。しかしあの9・11のショックを上手く使い、アメリカ合衆国はあのテロ組織もまた自分たちの軍事力の格好の敵ととらえていったわけですね。

 それ以降、ご存じの通り9・11直後のアフガン侵攻、それから2003年3月20日からのイギリスと結託したイラク侵攻。イラク戦争と言うのは間違いです。国際法上あれは戦争ではなく、アメリカとイギリスが勝手に攻め込んでいったイラク侵略攻撃なわけですが、等々いうことをやってきた。09927_7

 それに尻尾を振っている極東のある国がいらっしゃるわけですけれども、日本は・・・・なわけですね。アメリカと同じく旧ソ連邦を敵国とする軍事戦略と防衛戦略というものを作り上げてきたわけです。それが旧ソ連邦が崩壊した段階で、もはや使いものにならなくなっている筈なんです。で、アメリカ合衆国は、先ほど申しましたように、すでにクリントン政権の段階から、どのようにアメリカの軍事力を世界的に認めさせていくのか、存在意義を認めさせていくのかいう変身ぶりを着々と、そして粛々と進めてきた。日本の自衛隊、防衛庁に関してはそうした動きは非常に鈍かったわけです。その萌芽といえるものは例の細川政権の時に少しはあったんですよ。来年も、1月に観閲式というのがありますが、当時の細川総理は、それまでの各総理大臣は観閲式、閲兵式の時にはいつもモーニングでくるわけですね、小泉だって、それ以降もモーニングでシルクハットなんかを持って構えて行くわけですけれども、細川さんは普通のスーツで行ったんですね。これだけでも画期的なんですが、しかも、あいさつの第1声で、「自衛官の皆さん。これからは軍縮の時代です」ということから挨拶を始めた。大変だと一瞬思ったんですけれども、細川政権、それからこけちゃったものですから、従来の通りにいってしまったんですが、自衛隊は従来の対ソ連型の軍事展開というものをまだしばらくは脱却できない状態でいました。それが、しかし、今、大きく変わろうとしている自衛隊のあり方、米軍再編との組み合わせという中で変わってきたというところが出てくるわけです。

「ならずもの国家」、テロ対策とは

 Photo_3 前に戻りまして、アメリカは、ブッシュ、クリントン、ブッシュジュニア、そしてオバマと続いているアメリカの軍事戦略の特徴は、レジメにも書きましたように、旧社会主義対資本主義とか、社会主義対自由主義とかいう名目は成立しませんので、先ほど申しましたように普通じゃ考えられないような経済力も軍事力も乏しい国を「ならず者国家」だとか「圧政の・・」とかいろんな言い方をするわけですけれども、やってくるわけですね。私は長い間チェルノブイリの救援活動をやっていまして、チェルノブイリの原発に一番汚染された国はベラルーシという国です。日本でいえば北海道よりちょっと大きいくらいの国ですね。主だった産業などほとんどなく、国土の圧倒的な部分が放射能に汚染されている。この国も、ブッシュ政権の時には「圧政の・・・」と並べられているのでびっくりしました。こんな国を、比べたらアメリカの軍事力など何千倍、何万倍ですね。のようなものがあるくせに、そんなものを担保するために、そんなちっぽけな、しかも住民が放射能の後遺症に苦しんでいる国を扱うのか。ほんとに怒り狂った(ママ)んですが、そのようなことをやってきた。これは世界的な世論の支持を受けられません。ですから単独主義に走るしかないわけですね。本来なら、国連加盟国は何らかの安全保障活動を軍事的に行うには、国連の枠組みでなければいけないはずです。国連憲章上は。そのために国連軍というものがあるわけです。国連が結成されてから60年経つわけですけれども、今だかって一度も正式の国連軍というのは組織されておりません。朝鮮戦争の時に、アメリカ軍は勝手に「自分は国連軍だ」と名乗って行きましたけれど、あれも正式の国連軍ではない。とにかく1回もない。もちろん、中国や、旧ソ連、そして今はロシア連邦が常任理事国として拒否権を発動するわけですけれども、とにかくそれを待っていてはダメだということで、国連の枠にとらわれない単独行動をとるわけですね。その単独行動に、とにかく「この指とまれ」とくっ付いてくる国をひき連れて有志連合にする。これがアフガン攻撃であれ、イラク攻撃であれ一貫しているわけなんです。

 今回のオバマの23日、まだ4日前ですね、の演説において新聞でも大きく「単独主義から国際主義へ」と謳われていて、おっとと目を引かれますよね。実はこれは非常なトリックがあります。オバマという人物は、大変に演説がうまい方であることはご存じのとおり。今回の国連総会での演説も原稿を持っていないですよね。原稿みないであれだけさーっとしゃべれるわけですね。ホワイトハウスは、その原稿をさーっと電波に乗せるわけです。インターネットの時代ですのですぐに読んでみると、オバマは勝利宣言演説から、大統領就任演説から、カイロ演説、それからプラハ演説も含めて評判になった演説を見てみますと、非常に上手なレトリック、言葉の使い方をしていて、一見たいへん快く支持しちゃうんですけれども、よく読んでみると落とし穴があります。今回の単独主義からの脱却というのもそうなんですね。これはレジメを修正しなくちゃいけないのかなと思いましたけれど、修正する必要はないと言う結論に達しました、演説をよく読んでみた結果。。なぜかというと、アメリカは一方的に従来のこれまで単独主義と呼ばれてきた行動の形態から足を抜くと言ってるんじゃないですね。

 そうではなく、これは彼の一つのキーワードなんですがResponsibirity、責任という言葉をよく使うんですよ。アメリカ国民の責任、それから同盟国の責任、そして地球、すべての人類の責任とうまく入れ込みます。その責任という名において、核兵器にしても、温暖化の問題にしても、貧困の問題にしても、これは全人類の問題であって、全人類がResponsibirity、責任において解決をしていかなければならないという言い方をするわけですよ。アメリカの問題だったら、アメリカ国民の責任においてという表現を使うわけですよ。そうしますと、あの国連総会演説のレトリックというのは、今地球人類が直面している問題として核の問題、温暖化の問題、貧困の問題ですね。インフルエンザの問題も触れていました。そうしますと、それに60数億の人類が共に責任をもっていると。ここでうまくずれるんです。その責任はアメリカが単独で解決できることではない。当たり前なんですね、そんなこと。それに対して、全人類の、あるいは同盟国の責任の名において、共に問題の解決に力を尽くしていきましょう、と、こういうレトリックです。つまり、これは相変わらずアメリカは単独主義なのですよ。ただ、今までのような、なりふり構わない俺についてこい式のブッシュのようなことは通用しないし、お金もかかってしょうがない。であるならば、とにかく正当性、責任の言葉を使って、正当性の名の下に、共に、共にというのは同盟ということですよ、同盟を組んで問題解決に進んでいこうではないかということなのですね。ですから、これは決してオバマ政権は、これまでの単独主義から完全に手を引いてですね、とにかく国連重視で、そして国連の枠組みに従ってやっていきますということではありません。そうではなく、従来の従来のような俺についてこい的やりかたではなく、一歩引いて人類の責任の名において共に手を携えていきましょうね。でもアメリカはリーダーシップはとりますよ。こういうことです。(つづく)

なお、この文章は吉沢さんの語られたものを全文起こしておりますが、点検、校正をしていただいておらず、見出し、文章の責任は全て管理人にあります。ご了解ください。

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9・27三里塚関西集会 まとめの挨拶

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関西実行委員会事務局次長 安藤さん

みなさん。ご苦労様です。

 このサインはご存じでしょうか(右写真)。これはピースですね。こんどは、フィリピンのベニグノ・アキノさんが選挙に出るその最初に「闘い!」というサインで、彼は登場しましたね。今日のまとめを一言で言うと、「僕らは闘う!」ということだろうとそう思っております。時々、このポーズ、とるかもしれません。なんかへんなことやっとんなと思われる?09927_3

 今日は、参加人数の発表がありましたが、3月をはるかに超えました。40名を超えました、210名ですね。これは素晴らしいですね。素晴らしい私たちの勝利ですね。やっぱり気合いを入れて一人ひとりが決意してやったら、凄いなと、改めてそういう風に思っております。もちろん、今回の賛同者の方々の数も増えておりますし、わたしたちはやっぱり新たな闘い、三里塚のこの闘いも新たな闘いとして勝利させなければいけないし、また関空闘争も新たな歴史を作り上げる集会となるだろうと思っております。

 歴史というのはね、今はわからへんねんね。20年ぐらいたって、30年くらい経って、ああ、あの時、頑張ってああやったんやなとわかる。さっきもどなたかおっしゃってましたが、どっかのブログにのってますけがね、関空闘争を否定するような動きがあるんです。私たちの闘いというのは、まさに42年前に淡路で起こって、三里塚のように闘おう、第2の三里塚になろうと、そういう決意で淡路島から追い出した。その陣形で、42年間闘ってきたわけでしょう。その歴史を否定してはいけない。その歴史にたって、最終的に関空を、文字通り地盤沈下というか、ほっとっても30年したら沈下するんですよ、ほっとってもするんですけれど、唯一の4000メートル滑走路にC5ギャラクシー(左写真)が降り立つようなそんな軍事空港なんかいらん! あんなもんはすぐに廃港にする、ういう決意を打ち固めて、今日、もう一回新たな闘いに突き進んでいきましょう。Photo

 今日、吉沢先生から、責任ということば、英語ではResponsibirityといいますよね。それがまさに言われるんですが、私たち一人ひとりの責任も実は問われていると思います。そう思いながら吉沢先生のお話しを聞いておりました。責任Responsibirityの前にIrをつけたら、Irresponsibirityつまり無責任になるわけですが、くれぐれもそうならんように、そういう連中沢山おるでしょう、関西にもおるし、東京にもおるし、今までの闘いの歴史を否定するような Irresponshibirity のようなことにならんようにする。そうするためには、三里塚が僕らに教えてくれたように、原則を守ろう、そして徹底非妥協で闘おう。ちょっと意訳やけれど 英語でPunctuality、几帳面に、ほんまに正直にたたかい抜こうということが今問われていると私は思います。

 今日、ある教会で説教してましてね、また松原さんが「長なるで」という顔をこっちに向けてますが、今日は、モーゼの十戒という4千年前の話しをしたんです。さっき2千年前の島があるという話しを松野尾さんがしてましたが、4千年前の話し、「汝、殺すなかれ」とかのそういう話しですよ。第10戒に、「隣の家をむさぼるな」というのがあってね、つまり、4千年も昔から権力者は、すぐ隣の、周辺の土地を、家をどんどんとってね、自分の陣地を広げたいというそういうとんでもない、そういう不正義をやらかす存在なんですよね。だから私は、「今日、僕は今から市東さんの農地を守る三里塚の農民と共に闘うんや」ということを言うためにモーゼの十戒の最後の10番目を説教してきました。「あやしい牧師やな」と思われとるかもわからんですが。

 でも、やっぱりそうなんですよね。4千年変わらへん。権力者の正体いうのは変わらへん。みなさん。民主党に代わったからいうて、変わるかいうたら、やばいですよ。特に、軍事同盟という、戦争と平和という問題はやばいですよ。僕はこの間からうちの会議で言ってるんですけどね、国土交通副大臣ですかね、辻元清美、彼女にガンガン言うて、「関空を廃港にせえ」とこういう動きをせなあかんなと、そんなことを言うてるんですが、さあ、彼女はどのように動くんでしょうか。まあ、そのことも含めて、政権交代したのは怒りの決起ですから、この怒りをバネに、まさに私たちは闘う。この闘いをやっていく。まだまだ、僕は、ちょっと若手? ひょっとしたら中年? まだまだ20年くらいいけるでと勝手に思ってますが、そんな風に最後の勝利まで、まず三里塚軍事空港を廃港にさせる。関空をほんまに、海の下に沈まんうちに廃港にさせる。そして、全国の、世界の反戦平和の闘いと切り結んで、勝利に向かってすすみましょう。ということを、まとめの挨拶にさせていただきます。 

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2009年10月 6日 (火)

9・27三里塚関西集会 決意表明(その4)

関西合同労働組合 石田さん

 Photo 関西合同労組です。連帯と決意の表明を行います。

 私は、77年の時に三里塚に援農に行く予定でした。前日にテレビを見ると、岩山の大鉄塔(左写真、福島菊次郎さん撮影)が、機動隊に包囲されて巨大クレーンで倒されようとしているニュースを見て、急遽、1日繰り上げて行きました。その時は先輩の指示でですね、スーツ姿で三里塚に行きました。アタッシュケースの中にはすね当て、ひじ当て、そして安全靴等々を入れて行きました所、成田の京成の駅ですかね、駅には大勢の活動家の人たちが検問に会っているところを、私はスタスタと検問に会わずに、天神峰の現闘本部に行きました。ただ、僕はまだ運動に入りたてだったので、非常にやっぱり緊張しました。天神峰に行くと、今現地では火炎瓶と投石で頑張ってるからすぐ飛んで来てくれと言われて、まあ、大変だなと思いながら現場に駆けつけました。

 当初は人数は少しで、数百で頑張っていました。その中でちょうど東山さんが機動隊の催涙弾の水平撃ちで亡くなったという情報がはいって、現場は非常に緊張していました。夜には、サーチライトを照らしたヘリコプターが何機も上空をぐるぐる回っているという状況の中で、全国から多くの仲間が駆け付けて最終的には数千人に膨れ上がり、農協での集会場で、そこに催涙弾が撃ち込まれ、たまたま私の前の人のヘルメットにパカッとあたり、ヘルメットがパカッと割れちゃって、その人の頭を心配する前にヘルメットに見とれてしまった。今でも強烈に割れたヘルメットが目に焼き付いています。

 開港をめぐって動労千葉のジェット燃料貨車輸送阻止闘争、あるいは航空管制センターへのゲリラ攻撃、また管制塔襲撃の破壊の闘いなどがあって、当時私たちは関西実行委員会として真っ赤な大型バスを十数台も連ねて何回も何回も闘いの現地へ行き闘い抜きました。文字通り、先ほど反対同盟のみなさんがおっしゃっておられたように、全人民共闘の砦というこの実感ですね、この三里塚の闘いが世の中を変えるんじゃないかという力を三里塚闘争の中で感じました。09927

 私自身は今、労働組合のオルグをしておりますが、今、労働運動や市民運動を中軸で担っていく人の中には、三里塚を闘ってきた人が沢山おられると思います。三里塚はニンジンや大根を育てておられます。しかし、やはりその中から闘う人士を何千人と育ててきた大地だったと僕は思います。反対同盟の43年間の不屈の闘いが、今、国家権力による激しい暴力的な攻撃との闘いの中で、ついに、飛行機は飛んでいますが、国策、国家戦略を破綻に追い込んでいるんだという、この反対同盟の決意、この反対同盟農民の闘いと、労農共闘、全人民共闘を、現在は反基地、反戦、反安保の日本の階級闘争のほんとに天王山的闘いとして今も闘う砦としてあると思います。

 市東さんの生活を暴力的に封じ込めようとする第3誘導路建設阻止、暫定滑走路の北伸・延伸部分の供用開始阻止。破綻を繰り返す権力の焦りに満ちたこの暴力的な攻撃を断固としてはねかえそうではありませんか。新たな統一戦線の闘いでこの攻撃を絶対にはね返していきたいと思います。私たち関西合同労組は、10・11に全力で決起していきたいと思っております。ともに頑張りましょう。

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追悼のことば

 北富士忍草母の会事務局長、天野美恵さんご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。060625_2 (左写真は、06年6月25日、東京三里塚集会での天野美恵さん。)

 わたしたち関西の住民が、初めて天野美恵さんにお目にかかったのは、1970年7月、「富士をベトナムにつなぐな」をスローガンに、米軍演習阻止闘争が激烈に闘われた数日後に、入会組合事務所で、親しくその時の模様をうかがった時でした。

 このとき、忍草母の会は、美恵さんを先頭に演習を強行する米軍戦車の前に、文字通り身体を投げ出して闘い抜き、ついに演習を中止させ、勝利されたのでした。その激烈な演習阻止の闘いの模様を淡々と語る美恵さんの話しを、わたしたちは、ただ舌を巻く思いで聴いたのでした。

 050327 以来40年にわたる熱い共闘・交流を通じ、わたしたちはどれだけ励まされ、教えられたかわかりません。(右写真は、05年3月27日、三里塚全国集会での天野美恵さん。)いつも三里塚全国集会の演壇で、「ゲリラになって闘え」と叱咤されたその声が耳朶(じだ)によみがえってまいります。

 故天野美恵さんの闘志は今も、三里塚をはじめ闘うものを叱咤激励しています。最後の勝利まで闘い抜くことをここに改めて決意し、ご霊前に誓う次第です。

 三里塚決戦勝利関西実行委員会   代表世話人・永井 満

なお、通夜は今日、6日の午後6時より、告別式は、明日7日正午(12時)より、下記で行われます。

通夜・告別式会場 富士吉田市松山1202-1 シティホール富士吉田(℡0555-30-4444) 

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2009年10月 5日 (月)

訃報 北富士・天野 美恵さんご逝去

Photo_2  北富士忍草母の会事務局長だった天野美恵さんが、昨日亡くなられたとの第1報が先ほど入りました。享年86歳。

 米軍の北富士演習場の入会権奪還、「梨が原を返せ」、そして米軍の北富士演習反対の闘いの先頭に常に立たれてきた天野美恵さんは、三里塚闘争の当初から関わり、実力闘争による農地死守の闘いを、常に三里塚でも訴え続けられた。安保闘争や改憲阻止闘争など国会での闘争などにも常に先頭にその姿があった。残念ながら数年前から闘病生活を余儀なくされ、北富士の地を離れられていた。

 闘い半ばで倒れた天野美恵さんの無念さとその身体全体で表現され続けた闘魂を、私たちが引き継ぎ、三里塚闘争の勝利を必ずもぎりとることをお約束し、心からのご冥福をお祈りいたします。

 199776 お通夜は明日6日、告別式は7日に北富士で行われることが伝わってはおりますが、それ以上の詳細は今のところ不明です。わかり次第、このブログでもお知らせしたいと思います。右の写真は、1997年7月6日、翌日からの在沖米軍の北富士移転演習をゲリラで阻止すべく、梨ヶ原に突入した天野美恵さん(左)。右は天野正子さん。

 写真はいずれも「北富士 入会の闘い 忍草母の会の42年」(忍草母の会事務局編集2003年)より転載いたしました。

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9・27三里塚関西集会 決意表明(その3)

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大阪の海と空を戦争に使わせない会  青木さん

 みなさん、どうも、今日は集会参加ご苦労様です。高槻に住んでる青木です。大阪の海と空を戦争に使わせない会というのは、このほど立ち上げたという紹介が今もありましたけれども、その経過というんですか、そのことと、どないすんねんというそのあたりをお話しさせていただきたいと思っております。

 先ほどから講演とか いろんな決意の中で、新しい時代が訪れていると感じます。人々が大きく力を合わせた時、闘いの展望がきっちりと切り開かれる、そういう風に思っています。何よりも、10月11日、三里塚の現地へ、市東さんの農地の取り上げを許さないために、全国から、関西から、大阪から駆け付けたいと思います。09927_2

 私自身は、三里塚は、先ほどの古河さんと同じ日が初めてかな、もうちょっと前かな、狭山闘争の現場から成田に赴き、歩いて夜中の三里塚現地にたどりついた覚えがあります。その日はビニールハウスで寝泊まりしました。(「同じ日です」と会場の古河さんから声)きっと、同じ9・16の前夜だったと思います。

 僕にとっては三里塚と沖縄と、そして狭山、これが闘いの自分のバネになる原点的なものがあります。もう一つはベトナム反戦運動です。そういう意味では、関実の先輩たちには、まだ申し訳ないですが若輩で、やっと60になったところです。山本先生などから見たら「若い」といわれると思います。

 7月の関実の淡路で開かれた研修会に「行ってみないか」と7月5日の三里塚の現地の行き帰りの中に言われました。初めて関実のみなさんの学習会に参加し、一緒に交流させて貰いました。関実運動に最初から旗のもとに結集して長かったんですが、関実の皆さんと一緒に飲み交わすなど初めてでした。それからたびたびお邪魔するようになりました。

 特に、研修会の時でしたが、永井さんが、関空(闘争)をどうするかと、当然、提案されました。「大阪の人間がやっぱり関空についてやらんとあかんのとちゃうんか」と言われてたように私は感じました。今も、国賀ブログとか、しょうもないものがあります。その中で許せないことは、この関実の多くの世話人さんを始めとした人たちが生み出した議員が、関空反対闘争の顔をしてきた議員が、永井代表や松原事務局次長に対して悪罵を投げつけているということについて、これは許せません。その責任を僕らはどこかできちっと取らないといけないという風に、うちうちですが腹の中で固めました。

 そのことを、研修会に参加していた大阪の仲間と意気投合して「やろうやないか」ということで、実は、弁天町の事務所で学習会をやろうということになり、関空について僕らは実はほとんど知らなかった。関空は泉佐野の闘いという風に思っていました。そういう所はあります。現地闘争があるときだけ行ってる。そういったことについておかしいと。もう一つは、神戸の皆さんが、明石の、そして淡路の皆さんが、関空闘争に赴くにあたって自分らの問題として関わっておられることを、初めてその交流の中で気がつかされました。

 永井さんは何回もおっしゃっておられたんですが、淡路の新空港の建設反対運動は、三里塚の反対運動に関わる前から自ら闘われてきて、関西の新国際空港反対運動を淡路からつぶして、神戸や大阪湾岸のいろんなところを全部ぶっつぶしてやってきたんだと。そして最後の答申の中で関空の泉州沖の空港というのがあって、関空闘争というのは泉佐野から始まったんではなくって、淡路島から始まったということについて、「目からうろこ」という想いがありました。自分たちにとって三里塚が「わが闘い」であるように、関空闘争をわが闘いとして湾岸住民の方々みなさんが初めから自分が育てきた、責任を取ってきた闘いとしていらっしゃるんだということについて、深々と感じました。Photo

 そういったことを受けとめながら、私は高槻に住んでおります。ほかは、大阪市内に住んでいる方が多いです。勤めが大阪であったり。数人で学習会を始めたんですが、これから関空について自分らで学んで、自分らの力できちんと学んで、神戸、明石、淡路、東灘の皆さんの闘いから学んで、あるいは三里塚の闘いから学んで、やっていきたいと思っています。その中に大阪周辺の皆さんも、是非、気軽にご参加いただけるようにお願いしたいと思っています。

 関空そのものについてはそうですが、もうひとつ大阪湾の軍港化阻止闘争ということが毎年、実は10年以上、何年も続けられていると聞いています。僕らは参加したことがありません。それではあかんやろうと。関西空港と大阪湾の軍事使用に反対する、そういった意味で先ほど言いました「大阪の空と海を戦争に使わせない会」というのは、そういった意味で一つの旗印をあげようということです。自分たちの闘いの旗を掲げていきたいと思いますので、心ある方の参加を呼び掛けて発言としたいと思います。

 

 

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2009年10月 4日 (日)

9・27三里塚関西集会 決意表明(その2)

09922  写真は、中国電力の台船などに対峙する祝島の漁船群(09.9.22 ブログRadioActiveより転載)

風をおこす女の会  松野尾さん

 こんにちわ。風をおこす女の会というのはたいへんに新しい組織なのです。人間はあまり新しくなくて申し訳ないんですけれども、ちょうど昨年の今ごろから準備を始めて、名前もあれこれ考えて出発しました。今年の夏になってようやく名前ののぼりを作りまして、後ろに緑色ののぼりがあるんですけれども、風をおこす女の会の「のぼり」の今日がデビューの日ですので、これをひるがえして一緒にデモに参加したいと思います。

 みなさんがおっしゃった、三里塚の運動の垣根とか、いろんな違いを乗り越えて、全国にいろんな闘いがあって、みんながいろんな問題を抱えて、怒りを持ってそれぞれの工夫を凝らして闘っている。それをつなげていきたい、それを大きくして、今の社会そのものを打ち倒すような、変えていくような運動を作らなければならないという訴えに、私たちも本当にその通りだと思います。09927

 三里塚については、初めのころから知っている者もいるし、最近はじめて知ったという人たちも私たちの中にはいます。風通信と言うささやかな通信を月1回出しているんですけれども、毎回と言うわけにはいきませんが、三里塚のことは知っているよ、三里塚のことは全部わかってるよという相手じゃなくって、成田空港でそんなことがあったのと言うような人にも、今ここはこうなってんだよ、頑張ってるんだよ、それはみんなの問題なんじゃじゃないのという形で伝えていく、そういうスタンスで風通信を作りたいと思って一生懸命編集をしています。

 例えば援農の報告を書いてもらった時に、それを読んだ人が、三里塚のことはちらちらと知っていたんだけれども、市東さんのことを、ルビを〈しとう〉と打っていたので、「えっ、〈いちとう〉と読むのかと思っていた。〈しとうさん〉と読むんですね」とお便りをくれたり、沖縄の辺野古で頑張っている人が毎回一生懸命読んでくれて、「辺野古で自分たちがやっている想いと三里塚の人たちの想いがほんとに同じなんだね。よく知らなかったけれども、少し判ることができた」という感想を送ってくれたりしています。ちなみに、今年、5月でしたか、三里塚から萩原さんと市東さんが辺野古に行かれた後に、その人からお手紙がきて、「市東さんが名刺をくれた。名刺には〈農民 市東孝雄〉と書いてあって、かっこいいと思いましたた」とありました。〈農民〉としか書いてないんですね。私はその名刺をいただいたことがないんで、いただきたいなと思います。

 自分たちが何か一生懸命にたちむかっている人には、三里塚は必ず伝わると、私たちもあらためてそんな風に思いました。事態は、そんなのんびりした話じゃないんですが、丁寧に、だけども闘いの意欲を起こせるような、そういう風を起こしていきたいと思っています。

 三里塚から無農薬野菜を送ってもらって、月一回の野菜市もかなり定着してきていて、リピーターも増えてきていて、「ああ、こんなところで、こういうことをやっている人たちがいるんだ」とご近所の人たちが毎回楽しみに買いに来てくれるというようなことも少しづつ始まっています。

 そういう意味で、10月11日、この間なにかと大変なんですが、しばらく行けなかった人にも是非一緒に行こう、新しい人を一人でも連れて一緒に行こうというふうに頑張っています。

 09914_2 最後に、ちょっと一言だけ。資料にも入れてもらっていますけれども、上関原発計画に反対している人たちに対して、先日、中国電力による着工攻撃がありまして、その現場に先週14日に行ってきました。そこで見たこと、聞いたことは、辺野古と同じなんですけれども、上関は28年にわたって建設計画を阻止していて、今、原発は少し作られましたけれども、実際に止めているのは今上関だけなんですね。非常に孤立させられているような形で、厳しい事態ではあるんだけれども、そこで三里塚の闘いというか精神と全く同じだなと思いました。ありとあらゆる卑劣な切り崩しや、妨害や、それこそ国賊扱い並のキャンペーンが張られたりしながら、漁業権も祝島の人たちは絶対に売っていませんし、すごく自然の豊なところで、辺野古と同じようないろんな希少生物がいるところで、自分たちはそこで、海で生きていると、「耕すものに権利あり」という言葉がありますが、そこで漁をして、そこで何千年、少なくとも2千年前からの島らしいですが、ここでの生活を壊すわけにはいかない、話し合い絶対拒否、28年間やってきたことを考えれば話し合いなど受けるわけにはいかないと、話し合い拒否、海を売らないで頑張っています。

 それで、今、現実には阻止行動をずっと続けているんですが、漁も畑もほったらかしにするわけにはいかないということで、島民の会の反対行動は、いったん、朝から晩まで船を出して阻止行動をやっていたんですが、いったんちょっと形を変えて、しかし、その話しを伝え聞いた近郷近在、近くの、西日本のシーカヤックにのっている若者たちが次々ときて、大きな中電のクルーザーとか、海上保安庁の船も出てるんですが、それに対して漁船に代わって阻止行動をやってるんですね。そして岸壁にも次々と人が来ていて、島民の闘いが新たな輪を広げている。それに島民が支えられて、必要な時には島民が船を駆って駆け付けるというような闘いが続いていて、9月10日から始まった着工攻撃が、今日まで完全に阻止できています。中国電力はありとあらゆるやりかたを使って、強硬な攻撃を、強行突破してくる可能性はもちろんあるんですが、身体はって、命かけて、生活かけて、一生かけてこの原発計画を阻止すると言っておられますし、86歳の漁民の人が「この阻止行動で死んだんだったら、それは本望だ」という風に言ってるし、お母ちゃんたちが先頭で頑張っています。

 私は、辺野古のおじい、おばあの顔、そして三里塚のお母さんたちの顔、そしてこの祝島のお母さんやお爺さんたちの顔が全部重なって見えました。そういうもの、全国のあらゆるそういう人たちの力を合わせて三里塚を絶対に勝たせることを通して、辺野古も上関も闘いを勝利させたいと思いました。

 09927_2 最後に、こん度、風をおこす女の会としては、ぜひ三里塚のお母さんたちとの交流会を、関西で、どっかで持ちたいと、ずっと願いでもあるんですが、やっぱり反対同盟の闘いにとってお母ちゃんの存在はまったく切り離せない。今日、お留守番をしているけれども、萩原さんのところの静江さんとか、鈴木謙太郎さんのところの加代子さんとか、そのお母さんたちの踏ん張りが、何十年にわたって素晴らしく続いています。なかなか農業があったり、実際に家族に介護があったりして、三里塚の女性たちはなかなか外に出ていくことが難しいんですけれども、私はそういう人たちとともに、特に風をおこす女たちの会としては、そういうお母さんたちと繋がること、そういうお母さんたちの闘いを周りの人にもっともっと知ってもらうこと、そういうことが今後の仕事の一つじゃないかなと思います。こちらから行くことももちろんですけれども、そんなんで関実のみなさんにも、一度そういう機会をどっかで作っていただければ、嬉しいなと。そのために三里塚のお母さんたちを受け入れる地盤をしっかりこちらで作っていきたいと思っています。家族ぐるみでやれなければ、こういう闘争はできないですし、実際にそうやってきたからこそ三里塚闘争は今まであったと思います。

 そういう歴史をふまえて、風をおこす女の会は、新しい組織として、フレッシュな気持ちで頑張っていきたいと思います。みなさん、これからも一生懸命頑張りましょう。

 

 

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2009年10月 3日 (土)

今週の産直野菜(10月3日)

09103  遅くなりましたが、今週の産直野菜が届きました。運んできたクロネコさんによれば、週末の道路事情が一変し(ご存じETC効果)、600キロ圏内のギリギリにあるこの辺が「午前中」という指定に厳しくなっているとか。今日も昼から「年金制度の国籍条項を完全撤廃させる全国連絡会議」の総会があり、待っておれず出かけたために、先ほど届きました。

 届いたのは、さつまいも、切りショウガ、長ネギ、ター菜、なす、ピーマン、小松菜、ししとう、オクラ、ミニ大根の10品です。

 あまり料理のレシピーに幅のない私には、小松菜、ター菜、なす、ピーマンは炒め物。長ネギは、串にさして焼いて酒のさかな。ショウガも酢漬けの酒のさかな。しかし、この小松菜はでっかいな~。

 「2009年在日無年金問題の前進へ、いかに闘うか」と題された「無年金制度の国籍条項を完全撤廃させる全国連絡会議」の総会が、今日、神戸の新長田で開かれました。一度の休憩をはさんで、午後1時から午後6時過ぎまで、きっちり5時間の会議。参加された皆さん、ほんとにご苦労様でした。遠くは東京、名古屋、福岡からの参加で、約40人。09103_2

 20年近いみなさんの取り組みによって、在日外国人(主には朝鮮人)の国民年金制度における国籍を理由とした差別が解消されてきた。しかし、依然として国はほうかむりをしたまま、制度的には差別がそのまま。各地方自治体による特別給付金、それも、日本人よりははるかに少ないまま、放置されている。しかも、重度障害者2級相当の人たちなど無年金状態は依然として改善されていない。兵庫県でも、市段階での2分の1の補償が県内全市で昨年ようやく実現しただけで、兵庫県の対応は、依然として差別的な状況。とりわけ重度障害者2級相当の方の無年金状態は、依然として残されている。しかし、その兵庫県の実情が、実は全国でも先進地域なのだ。

 戦前の日本によるアジア侵略、朝鮮支配の結果として生まれた在日問題。今日の会議には、当該の障害者の皆さんも多数参加され、政権交代のこの現実の中でどう取り組んでいけるか激論が交わされ、終わるのは1時間以上遅れた。人間としての存在を踏みにじる日本政府の対応に激し怒りの「原則的な年金制度における差別の解消」を求める声と、現実の暮らしをどうすればいいのだという障害者の怒りが、時には激突する。日本人として、身の置き所がない想いにかられた。しかし、各地の在日を支え闘い抜いておられる日本人の皆さんの必死の発言が続く。凄い、5時間でした。その間、必死で手話を取り組んでおられたボランティア(?)の皆さんの踏ん張りにも頭が下がった。

 今の政権交代が、私たち民衆の、労働者の、農民の、漁民の、被差別民衆の怒りによって実現した。しかし、その成果を「絵空事」の言葉で空叫びするのでなく、本当に実のあるものと出来るか、この国を変えられるか、私たちの闘いそのものが問われていると想いを深めた。10・11三里塚現地闘争の爆発がその一つの水路だという思いを深め、体調が思わしくないので、後ろ髪をひかれながら交流会は遠慮させていただいた。

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9・27三里塚関西集会 決意表明(その1)

09927

援農してきた若い人たち(?)  古河さん

 すみません。余り若くなくて。若い人たちが遠慮して上がるの堪忍してほしい言われてね。それなら上がれる人間だけで上がろかと・・・。Kさん、来なあかんで。カメラほっといて・・・。

 大阪でヘルパーやってます古河です。ちょっとね宝塚の奥の方で、荒れ地を耕してくれないかと言われ、4月の初めからガンガン耕して、ほんとに畑にして今も耕し続けてるんですがね、この9月の今ごろというのは、秋冬の作物の準備ですごく忙しい。日曜日の朝、4時間、実際に後の人(Mさん)と耕してきたんですが、そんな時期に、市東さん、萩原さん、そして鈴木さん、ほんとに御苦労さまです。

 萩原さんから「あの空港を廃港にするんや」と鮮明に提案されて身体が震えています。市東さんのところのすぐそばを3本目の誘導路を通す、これを絶対に作らせない。あるいは暫定滑走路をほんとに閉鎖させる。そしてA滑走路へ攻めのぼっていかなければならないと思います。09927_2

 自分自身、71年9月、忘れもしないけれど、狭山の中央集会の最後のところで、三里塚が決戦だから行こうと、労働者がほとんどそのまま三里塚現地へかけつけて強制代執行と激突していった。ほんとに今、そういう激突を恐れずに闘っていくということがすごく重要だと思います。

 あらためて見た時に数がたらないんですよ。もっと隊列を分厚く、強くしなければならない。数を増やさなければならない。それと、44年間、反対同盟の農民が闘い続けてこられ、勝ち続けてきたその根本は何やと言うたら、春、秋、春、秋、夏、冬、ずっと耕し続けて来られたというのが根本の土台やと思うんです。農地死守ってことがここにあると思うんです。

 現地に入って、「それじゃあダメだ」などと言われながら草取りやったりしながら、「100円の大根」というけれど、その通りなんですね。萩原さんも、市東さんも、鈴木さんも畑耕して生きて来られたわけです。それを支えていく、小さい力でもね、どんだけのことができるんやという意見もありますけどね、草取りやって、畑の片付けやって、収穫やって、出荷の手伝いやって、おたおたしながらやけどね、十数人がもうすでに援農を経験しています。今後もね、がんがん援農に入っていこうと思ってます。援農に入れば非常によくわかります。自分たちが勝っている、反対同盟が勝ち続けてるということがよくわかる。今後も、だいたい3月、6月、それから8月、10月というペースで入ってるんですが、若い人たちに提案すると、結構、ケロッと来てくれるんです。今後も援農を続けながら、援農隊の数も増やしていきたいし、何よりも隊列を強化するそういう宣伝、扇動をもっとやっていかなきゃあならないということで、10・11を大きな集会として成功させていきたい。僕の方からは以上です。

Mさん  今日は。神戸からきましたMです。今回三里塚の援農に初めて参加させて貰いました。台風がちょうど来とって、あまりたいした役には立ちませんでしたが、この10・11、そして次の10・25収穫祭には是非参加させて貰いたいと思っています。ちなみに今朝は7時45分から、宝塚で畑仕事、田んぼを耕して、その足でこっちに来させてもらいました。ありがとうございました。081020

Kさん  今年の3月、それから6月、三里塚にお邪魔しました。足手まといになりながらも、ほんとに出来ること、草取りぐらいしかできなかったんですが、市東さんとか、萩原さんとか、鈴木さんとかにお世話になりました。三里塚の大地の上で見る3人のお顔と、今回、関西に来られて、働いている厳しさの顔とか、仕事の合間の笑顔とかを思い出しながら、関西で再会できたことが非常にうれしいことだと僕は思っています。これから、関西の方でも土を掘れるというか、素朴にそこから共感できるものが何か、三里塚と関西の間でちょっとずつ生まれてくればいいなぁと、そんなに大きなことはできないですが、これからも続けていきたいと思っています。

Sさん  関西合同労組の執行委員をやってますSといいます。先日、8月の終わりに先ほどのMさんと一緒に援農に行かせてもらったんですが、残念ながら台風で、ぜんぜん畑に出ることは結局できなかったんですが、鈴木さんのところで、奥さんの加代子さんとかからいろいろ話しを伺って帰ることはできました。実は、私は過去に5年間ほど三里塚にいたことがありまして、三里塚闘争には特別な想いがありまして、これからも一人でも多くの若い人を中心に三里塚闘争に参加してもらえるよう、これからも頑張っていきたいと思います。以上です。09927_3

Dさん  Dです。今年の6月に、私の病気、うつ病と援農の関わりについてということでパンフレットを出さしていただきまして、多くの方に買っていただきまして、そしてカンパも寄せていただきまして、それで6月の援農にも行くことができました。先ずお礼を言わせて下さい。ありがとうございました。それから、援農の喜びと言うのは、私にとっては、大きなことは全然できなくって、ほんとに人の3分の1とかそんなぐらいしか仕事も出来ないし、何もお役にも立てないし、邪魔してるだけなんだけれど、だけどすごくやったあとの達成感というのを味あわせてもらっています。それと、もしみなさんの中で、小回りのきく形で車で現地闘争に参加されたりする方がおられたら、現地調査をぜひやっていただけたらなと思います。いろんな施設、闘争の後の施設や、現在も空港を食い破っているような施設だとか、そういうのをずっと回って、空港がいかにボロボロの姿か見ていただいて、全然うまく行ってないということをその目で確かめていただけたらなと思います。これからも毎年、援農企画が行われると思いますので、年齢に関係なく参加していろんな体験をしてください。現地の方とのふれあいなんかも私は楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。

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2009年10月 2日 (金)

岩国爆音訴訟第2回口頭弁論(10月1日)

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 10月1日、山口県岩国市で行われた岩国爆音訴訟第2回口頭弁論(山口地裁岩国支部)の傍聴に行ってきました(上写真は、裁判後の「報告集会」)。

 午後1時ころから裁判所前には続々と皆さんが集まってきます。10人余りの支援の人々を含めて100名近い、ほとんどが原告の皆さんです。法廷が小さいため、法廷に入れる原告29名は、交代だとか。一般傍聴席は、マスコミが多いために、23名しか入れません。幸い抽選に当たって傍聴させてもらえました。09101_4

 原告側代理人7~8人に29名の原告で、原告側の席は立錐の余地もない。被告国側も防衛省などの関係者が、代理人含め20人余り。凄い法廷の状態に先ずビックリ。

  今日の法廷は、2回目の口頭弁論ということで、原告側代理人から証拠の準備書面が大量に提出された。その上で、神村原告団副団長(右写真)と60代の年配の男性の2人が、被害の現状を訴える陳述を行われた。基地から30メートルの所に住んでおられる神村さんは、滑走路の1キロ沖合への移設で騒音が低くなるならそれでいいと思っていたが、「米軍再編」で、航空機が2倍になるのでは話が違うという怒りを先ず明らかにされた。そして、離陸して旋回すると海に向かう時にエンジンが家に真正面になり、すごい音になるだけでなく、飛ばないはずの家の上に離陸してくることがあることを告発された。そして夜中突然の爆音や、早朝のエンジンテストの爆音による睡眠妨害と精神的な被害を訴えられ、それによって右耳の難聴や胃腸障害などの具体的身体被害を訴えられ、防音工事が何の役にも立っていないと批判された。最後に裁判官に家に来てほしいということと、日本が平和であることを願うとされて証言を終えられた。

 もう一人の方は、家を建てたときには基地被害を知らず、住んであきらめながら定年を迎えたとされた上で、娘さんが生まれたばかりの孫を連れてきて、乳を飲ませている様子に幸せな気分になっていた時、突然ジェット機の近づく音が聞こえ、娘さんに孫を守るためにとっさにタオルを投げたが、娘さんは孫の両耳を手でふさぎながら身体をかぶせて孫を守った。わずか数秒のこととはいえ、なんでこんな「孫は大丈夫だろうか」という恐ろしい思いをしなければならないのかと怒りを訴えられ、原告に加わった想いを語られた。

 法廷では、さらに原告代理人から、すでに先行する嘉手納や厚木の訴訟で、差し止めは認められなかったものの、WECPNL75以上の被害が認定されている事実を無視して、「受忍限度内」の主張を繰り返す国側代理人への怒りの批判等が行われた。

 法廷後場所を移して開かれた「報告集会」で、この裁判に先行していた「岩国基地沖合移設事業・埋立承認処分取消訴訟」に続いて、この裁判の7月の第1回口頭弁論以降に、米軍の住宅に売ろうという動きに反対した「愛宕山開発事業認可取消処分の取消請求訴訟」と「愛宕山開発等に係る市長協議報告書非開示決定取消請求訴訟」の2つの裁判が開始されていることが報告され、爆音訴訟を軸にこの4つの裁判を一体のものとして進めることが報告された。09101_3

 また、この日、広島地裁で鞆の浦埋め立て差し止め訴訟が全面勝利したことが、この裁判にも原告側代理人として参加している弁護士から報告された。瀬戸内海の埋め立てに反対して闘ってきたものとして、驚くとともに非常に嬉しかった。

 また、この裁判が狭い法廷ながら地元岩国で行われる意義として、原告が来やすいこと以上に、地元に住む裁判官に爆音と厚木基地からの空母艦載機部隊が移駐する問題を考えてほしい、差し止めを何としても実現したいという想いが語られた。

 最後に団結ガンバローで報告会を閉じたが、原告の皆さんの熱気に勇気をもらった(左写真)。

 次回公判は、11月26日(木)午後2時から第3回口頭弁論が、2010年2月25日(木)午後2時から第4回口頭弁論が開かれる。

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9・27 三里塚関西集会 連帯挨拶

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部落解放同盟全国連合会 中田潔書記長

 闘う仲間のみなさん。こんにちは。全国連を代表して共に闘う決意を申し上げたいと思います。

 今日の関西での三里塚集会は久しぶりに、集会後、デモをやると取り組みを聞いております。ほんとに久しぶりなデモではないかなと思います。そこにこの10月の三里塚現地闘争にかける関西の闘う仲間の想い、心意気というような決意がみなぎった集会ではないかなと思っております。私たち全国連も、三里塚闘争をこれまで闘ってきましたし、そしてこれからも三里塚闘争の重要な一翼をしっかりと担っていくというこういう想いで、10月11日の現地集会にも大いに、しっかりと参加して、共に闘ってまいりたいという風に思います。

 09927_2 そこであらためて全国連の方からみなさん方に訴えを申し上げたいと思っております。全国連は、大変なのですが、この10月11日の三里塚現地での大集会と、それから、10月25日には、狭山闘争の第3次再審を求めた中央闘争を決定しています。そういう意味では10月は、2つの大きな闘いが、全国連にとっては全力を挙げた取り組みとして闘わなければならないということであります。特に、10月25日の狭山中央闘争は、これまでの狭山闘争の歴史の中でも、かってないほどきわめて重大な情勢の中で闘われるということをしっかりと押さえていただきたいと思います。

 第3次再審を求める狭山の弁護団は、9月10日、裁判所の方で設定されましたいわゆる「3者協議」というものが行われました。これは再審裁判をめぐってどのように進めていくかということを弁護団、裁判所、検察側がはいって3者で今後の裁判の方向を検討しようではないかということで呼びかけられて、9月10日に行われました。狭山弁護団はこれまで石川一雄さんの無実を証明する多くの証拠、あるいは鑑定書の事実調べを裁判所に対して強く要求するとともに、特に検察側が隠し持っているといわれている殺害現場でのいわゆる血液反応、ルミノール反応の検査報告があるはずだ、この証拠を開示しろ、それからすべての狭山事件に関わる証拠リストを開示しろ、こういう強い要望を行いました。これを受けて裁判所の方は、10月の末までに検察側の考え方を示しなさい、そしてその検察側の結論を、考え方に基づいてもう一度「3者協議」を行うというようなことが裁判所の方から提案されています。

 ご存じのように来年の2月をもって門野裁判長は定年の退官を迎えるということであります。従いましてこの動きというのは、私たちは、決して狭山闘争が大きく前進をしている、これで再審間違いなしというような楽観的な立場をとりません。むしろ、2月退官にあわせて、裁判所はこれだけやったという風なポーズをもって第3次再審の請求を三度も棄却をするということを狙ってるんではないかなと言う警戒心を私たちは強めています。09927_4

 しかし同時に、こうした東京高裁をして「3者協議」を開催せざるを得ないというところにまで、石川一雄さんと私たち狭山の再審を求めるそういう人々の闘いが、今裁判所を追い詰めているということもまたはっきりした事実でありますし、まさに私たちはこれまでの40数年の狭山闘争の最大の正念場、最大のチャンスいう風にこの10月の過程をしっかりと位置付けて闘わなければならないと思っております。

 全国連はすでに、東京高裁に対して、「すべての証拠を開示せよ」とこういう抗議のはがきを9月、10月一斉に集中するような闘いを今提起をしています。今日この集会に参加された多くの闘う仲間の皆さんも、東京高裁に「証拠を開示せよ」「再審を開始せよ」、この抗議の声を是非とも集中していただきたいという風に考えています。

 10月25日の狭山中央闘争の闘いは、これまでの10・31の闘いと比べても、極めて重要な情勢の中で開かれる大会であります。私たち全国連は、この石川一雄さんの再審を勝ち取る絶好のチャンスと、こういうとらえ方をしながら、10・25全力で決起をする決意であります。三里塚をともに闘う多くの仲間の皆さんにも、10・25狭山中央闘争に是非とも参集されることを心よりお願いを申し上げたいと思います。

 狭山闘争をめぐってもこうした重要な状況、あるいは三里塚でも厳しい闘いが連日闘われております。こういう多くの私たちの様々な戦線の違い、闘う場所がいろいろ違うわけでありますけれども、こうした権力や差別を許さない、そういう支配を許さない、様々な人々の闘いが大きな力となって合流していくことが今、僕は求められているんではないかと思っています。全国連はそうした多くの民衆の闘いの大きなうねりの中で、しっかりと世の中を変えていくそういう役割を果たしていきたいという決意を申しあげまして、共に闘う連帯の挨拶としたいと思います。頑張りましょう。

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2009年10月 1日 (木)

9・27 三里塚関西集会 開会あいさつ

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山本 善偉 関実世話人

 結集されたみなさん。ありがとうございます。

 今、画面に映してもらった三里塚の現状。44年前に地元の農民にほんとに何の連絡もなしに、千葉県知事の友納と佐藤首相の間で三里塚の空港が突如として浮かんできて、あっという間に閣議決定されて、それと同時に反対同盟の闘いが始まって44年になるわけです。もう44年を振り返っている暇はありませんが、今、示してもらったように、一番最近の攻撃としては、今、あの市東さんの家の横に新しい第3誘導路を入れる、ほんとに市東さんをおいだすために、あるいは萩原さんたちが畑仕事をできなくするためにやっている。09927_2

 しかも、それで北延伸した滑走路がほんとに使えるのかと言ったら、2500メートルでは使い物にならない。使い物にもならないのに、なぜ40何年間やるのか。何か、日本のハブ空港にするんだということを聞いたこともありますが、今頃、成田がハブ空港になれっこない。あの大きなインチョン(仁川)の大きな空港を見てみても、ハブ空港にとってもなれっこない。だのにやるのはなぜかと言ったら、やはり、これが2014年ですか、2014年に完成するという米軍の再編、あの問題、再編した場合には、有事になれば成田と関西というのは完全に軍事使用される、それが目的だというのははっきりしている。

 私たちは、そういう意味で、どうあっても、三里塚の闘いが今まで苦しい、苦しい中での闘いですが、萩原さんは後で言われますが、現地に行って聞いて見れば、あの苦しい現実の中で堂々と営農しておられる。市東さんが、「1本100円の大根を作るためなんだ」「1億8千万よりも1本100円の大根の方がいいんだ」と言われた。

 09927_4 私たち関西実行委員会としては、この際、成田も関西も両方とも軍事空港になる。それを何としても食い止める。その中心は44年間闘い抜いてきた三里塚反対同盟だと思います。そしてそれを一生懸命に支えてきた関西実行委員会、われわれがこれをどうしても守らなければならない。

 今日は、そういう意味で講師の先生をお招きし、この前の3・15の集会で、新しい三里塚を支える仲間をもっと広げようと言った、その動きをもう一段広げようというのが今日の集まりです。次の講演と、そのあとに三里塚の現地から三人から闘いを直にしてもらう。あとに永井代表から関実の新しい闘いをはっきり述べると思います。後にデモがあります。デモの最後まで頑張りたいと思います。ありがとうございました。

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