台風に直撃された援農 (8月30日~9月2日)
8月29日の夜関西を出発し、4人で三里塚の援農・現地調査にでかけました。
残念なことに、それまで全く雨が降らなかった現地なのですが、私たちが着いた30日の朝から雨が降り始め、日曜日ということもあり、萩原さん、市東さん、鈴木さんの三軒を訪問したのですが、ご挨拶するだけで仕事はお休み。
仕方なく、初日は、岩山記念館(右写真)から現地調査をすることに。 時折激しい雨が降る中、横堀の小屋と鉄塔(左写真)では、木の根の一坪は雨と霧で見えなかったものの、やはり、横風滑走路を完全にぶっちぎり、空港のど真ん中に位置する見晴らしは最高。
三里塚現闘を10数年前に経験していたS君も、これにはびっくり。「近くまで来ていたのだが、知らなかった」と。そのS君の案内で、「現闘たんぼ」跡や「団結小屋」を覗いてみる。
それから東峰部落に移り、まず開拓道路に。丁度、新誘導路に航空機が入ってくるのが真横に(最初の写真)。 空港ターミナルからメチャクチャ遠回りし、しかも信号に止められてやっとたどり着く無駄に航空会社から反発され、それなら市東さん追いだしにも都合いいと、新たに第3誘導とが計画されたことを思い、新たな怒りが。
次いで、東峰神社から東峰地区の島村さん宅前を通り、東峰墓地へ。雨にぬれて、大木よねばあさんの墓の木がきれい(右写真)。 さらに市東さん宅へ再び伺い、畑の横の監視台に。この頃は土砂降りで写真も撮れない。それでも、ここが初めてのS君とMさんは感心しながら、「ヘ」の字誘導とや天神峰現闘本部を眺める。
岩山から横堀に行く途中で、北原鉱治事務局長を訪ねた。北原さんは気安く部屋に案内下さり、「正しいことをやってこんなところに入れられた」。11時まで取り調べで「罪の意識がないから答えようがない」と逮捕の経験などを話して下さった。そして「有事」ということを考えなければならないと、沖縄全軍労の招きで沖縄に行こうとしたらパスポートが下りなかった経験(72年3月)。 「危険人物とみなされた」。全学連との共闘の経緯や淡路との共闘などを話されながら、だんだん闘ううちに鍛えられ、「日本の将来を決するものとして三里塚闘争はここまできたと言っても過言ではない」とまとめられたのです。1時間余りのそのお話しに、聞き入りました。
翌日31日は、台風11号が、少しそれたとは言うものの直撃。市東さんと萩原さんのところは午前中だけ援農をして翌日の出荷の準備。私は、鈴木さんご夫婦と昼まで、コーヒーをいただきながら、あれやこれやのおしゃべり。仕事の都合で帰るS君を成田駅までみんなで送って、大風の中、風呂に行ったりとのんびり。被害の様子が「農家便り」に掲載されています。http://blog.goo.ne.jp/suzuki-kayoko/e/3a7c166b610d765adc938e4eebd07662 をご覧ください。
1日は、午前中出荷の準備で、午後からは出荷の応援。しかし、私だけは、東京で会わなければならない人がいてリタイア。3日間もいて、援農ができず、畑に一歩も入らないという珍記録をつくってしまいました。めっちゃ残念。
| 固定リンク
「たたかいの報告」カテゴリの記事
- 市東さんの所での座り込みに参加して(2023.01.21)
- 市東さんの農地を守ろう! 現地決戦に参加して(2022.12.15)
- 11・28 耕作権裁判傍聴報告 証拠隠し許さず 審理を尽くせ(2022.12.05)
- 強制執行許すまじ ー 11・27三里塚報告(2022.12.03)
- 4・25耕作権裁判報告 空港会社の証拠・証人隠しを追求(2022.04.29)
コメント