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2009年9月30日 (水)

9・27特別報告2 新たな関西空港闘争 東西両軍事空港反対闘争に向けて 

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永井満関実代表世話人

 かくも素晴らしい集会が今日、開催されておりますこと、本当に衷心から喜びたいと思います。そして、ただいまは反対同盟の方々の意気盛んなご挨拶を、また40年にわたる共闘をこれからも固く共に闘っていくとおっしゃって下さり、光栄に存じております。政権も代わり、いろんな情勢も変わるかもしれませんが、三里塚の闘い、これ勝利間違いなしだという感じが、今日、ここにまいりましてしております。

 私が申し上げることは、今、司会者の方が盛んに言っておられました「10・11へ行こうじゃないか」とこれに尽きるんだと思うんですけれども、せっかく、ちょと言いたいことがありますので、暫時、時間をちょうだいしたいと思います。09927_2

 今日、吉沢先生をお迎えしまして、私なんか田舎牧師を40年、50年もやっておりまして、政治の大きな動きということにつきましては兎角疎いのですけれども、それでもいろいろ感じていることをすっきりと見せていただいたというか、こういう勉強もこれからもやっていかんといかん、7月の研修会でもこういう勉強もして大きな状況を見ながら関西と三里塚の闘いをやっていかなければならない、今年はそういう年だという想いを強くしたんですけれども。

 私が今日、言おうとしたことは、全部すっかり出ているように思いました。三里塚の闘い、それを40数年闘い抜いて来られた素晴らしい方々、その微塵も揺るがぬ姿勢を改めて拝見して、ほんとに感銘を受けています。ほんとに日本中がどうなってしまっているんだと、何といいますか道徳とか、義理とかその辺がどうかなっちゃってるという中で、ほんとに人間の誠というんですか、それに立って一歩も動かない人たちが現にいるんだということ、ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、日本の宝だと、こういう方たちと共に40年も一緒にやってこれたのは望外のよろこびであります。

 あちこちするんですけれども、この春以来私たちが掲げてきた一つの大きな目標があります。それは、三里塚の闘いが当初から掲げてきたものであります。つまり、三里塚は、軍事空港、軍事基地粉砕の闘いだ、三里塚は平和の砦だということです。70年に私たちが最初におじゃました、71年の代執行のと時もそうでしたけれど、大きなのぼりがあがっていました。

 09927_5 先ほどらい、吉沢先生のお話しをお聞きしておりましても、今、三里塚、成田の空港で起こっている、ただ今、萩原さんもおっしゃいました妙なこと、むちゃくちゃなことがなぜ起こっているかと言いますと、たとえば空港の需要があの空港を拡張しなければさばききれないほどになっているんだというならばわからないことはないですが、30万回にしなければと言いながら20万回を切るような、そしてどんどん撤退が続くような状況の中で、なぜ平行滑走路を3500メートルに延長しなければならないのか、さらにはいったん廃止を決めた横風用滑走路を又ぞろ作るなどと言いだしている。この理由ですね、これは萩原さんがおっしゃいましたけれど、アジアのハブ空港などと言うのはとっくに消えてしまっている。韓国のインチョン(仁川)空港ですか、に取られてしまっている。国内でも羽田ですでに1本、さらにもう1本滑走路を造る。つまり国内の基幹空港の地位も奪われている。需要はジリ貧である。そういう中で、なぜ、今、20万回を30万回飛ばすんだというようなことを言って、そのためと称して誘導路をまた、こともあろうに市東さんの家のすぐそばを通らせる。言語道断だと思うんですけれども、そこまでして空港をより大きく、より機能的にしなければならないと考えているその本当の理由は何だということは、吉沢先生がおっしゃったことだと思うんです。つまり、私は詳しく知りませんけれども、米軍再編との関連、そして5055計画、そういうことの中で成田が持っている軍事基地、軍事空港、軍事の兵站としての大きな働きを期待されている。これは沖縄もそうですし、また岩国にもそういうにらみがあるとおもうんですけれども、同じようなことは関西空港に言えると思うんですね。

 ご承知のように関空も日航がだいぶ撤退してしまうとかですね、閑古鳥、関空じゃなくって閑古鳥が鳴く空港ですよね。そういう空港。私も、沖縄に行かせていただきまして、沖縄の空港、那覇空港は、ロビーから何から、主として若い人でしたがぎっしりでしたよね。関空にもどってきたら、あちらに一人、こちらに一人、ほんとに関空じゃなくて閑古鳥がないている。これではもうからんと思いましたね。けれど、それ以降もどんどん撤退が続いていますよね。にもかかわらず、なぜ4000メートル滑走路を作ったんですか。これはやはり、米軍再編とか有事と言われることとの関連のなかで、軍事利用、軍事基地としての役割を負わされていることは間違いないとそう思うんですね。

 関空がまだ作られつつあった頃ですかね、大阪府庁に抗議に行ったことがあります。知事に、岸でしたか、会いまして「軍事空港をつくるな」と言ったわけです。ということは40何年か前に初めて淡路島に巨大空港を作ろうという計画があった時にも、私たちはイの一番に巨大空港は軍事空港になるという理由で第1条に「軍事基地反対」ということを掲げたいきさつもあって、岸知事にそういう風に言ったんです。そうすると、彼は、言うことに「この空港は公害を取り除くという人道的な立場から作られ、またかってないほどに民主的手段で作られるところの平和空港だ。軍事空港だなどと言う奴はためにする発言だ。出て行け!」とこう言ったんですよ。私は怒鳴られたから今も覚えていますけどね。私は、あえて言いたいですね。頭をそって土下座して謝れと。もうそんな日がすぐに来ますよ。

 つまり、そんなにどんどん需要が落ちていく中で、関空は4000メートル滑走路をなんで作ったんですか。4000メートル滑走路と言うのは、今の民間機には必要ありません。これは、アメリカが、グラナダ、すぐ近くにある小さな島に軍隊を派遣していきなり政府をひっくりかえしたことがありましたね。その理由は、「その政府が4000メートル滑走路を持つ空港を計画した」ということでした。NHKが論評して、4000メートル滑走路は軍用機のために必要だ。今の民間機ならば32、300メートルくらいあれば十分だ。それをあえて4000メートルを作ろうというのは軍用以外の何物でもない。だからアメリカが攻めていったとこう解説しています。それをあてはめるならば、関空、閑古鳥の関空がなぜ4000メートル滑走路を作ったんですか。09927_6

 今から3年前か、4年前かな、大阪航空局。大阪府庁のところで、大阪航空局で、国の行政の代表者と我々住民団体が、毎年会っているんですが、会ったことがあります。そこで我々住民団体が言ったことは、イラクのこともありまして「軍事使用、軍事利用は絶対にするな。軍事基地化絶対許すな」ということを申し入れました。その時係りの者が言うには「軍事利用はいたしません」と。ウヲーッとみんなうなったんですね。しかし、彼は言葉をついでですね「しかし、国が決めたら仕方ありません」とそういったんですよ。「なんじゃね」という話しですよ。

 先ほど来、吉沢先生のお話しをお聞きしててもわかるとおり、今、成田、関空、もちろん沖縄、そして相模原とか岩国といったところが、有事の際の軍事使用のために着々と整備されつつあることは疑いありません。だから、私たちは40何年前に「軍事基地反対」と言ったけれども、今、もう一度声を大にして「軍事基地反対」「軍事使用反対」「成田とともに」。その面でも運動をやっていきたい。今までやらなかったというわけではありませんが、成田の農民の方の闘いということで主としてやってきたと思いますが、あるいは淡路では環境問題の闘いをやってるんですが、初心に帰って私たちこれから「軍事基地絶対反対」「関空の軍事使用絶対反対」を高く掲げてやっていきたい。それは成田も一緒ですよ。成田とともに、あるいは沖縄とともにやっていきたいとおもっているんです。だから、今から40年、関実結成以来30何年ですが、はっきり言って三里塚一辺倒でやってきましたよね。他のこともやってきましたけれど、とにかく三里塚に学ぶ、三里塚のように闘うとうことでやってきました。それは変わりません。これからもそうです。けれども、それにもうひとつ地元の関空の軍事使用を絶対に許さないということを大きな旗印にして運動をやっていきたいと思っているんです。

 私はこんな田舎牧師ですが、案外テレパシーみたいなものを感じる時があるんですよ。私が何か言うと、皆さんが「異議なし」といってくれますが、それは皆さんが感じなさることを私が言うから、皆さんも「異議なし」と言って下さるんでしょうが、それを皆さんが感じておられることをぱっとつかむ力が、自画自賛ですが、あるみたいですよ。皆さんもこういう状況の中で、政権が代わりましたから、多少違いがあるかもしれませんが、先ほどの話しでは全然ないということでしたが、今度は、三里塚では農民の闘いはもちろんです。市東さんの闘いを支援してやっていくのはもちろんです。けれども、あれだけ滑走路をどんどん延長して、もう一本滑走路を作ろうという動きは軍事利用以外の何物でもないわけですから、反対同盟の方々と一緒になってそれも潰す。そして地元の関空の軍事使用は絶対にさせない。これは私たちの責任だと思うんですね。だから、関空を軍事使用絶対にさせない闘いを私たちの責任で今日を期して頑張ろうではありませんか。このことを申し上げて終わります。ありがとうございました。

 

 

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2009年9月29日 (火)

9・27特別報告1 三里塚現地からの報告と訴え

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鈴木謙太郎さん

 この関西の9月27日三里塚関西集会、初めて参加させていただきます。萩原事務局次長、市東孝雄さんと来ています。詳しいことは萩原進さんが後からまとめてくれると思いますけれども、私の方からは、今年は7月に第2誘導路ができましたが、その第2誘導路ができる前から第3誘導路の話しが出てきたという、許せないことが起こってきています。09927_2

 これは先ほど、説明がありましたように市東さんの農地と家屋を全部空港の中に囲い込むという絶対に許せない攻撃であり、これから反対同盟は全力で闘っていきます。そのためにも、10・11現地での集会に、みなさんはもとより全国のみなさんに声を掛け合って、今までにない大成功の集会にしたいと思います。

 それを踏まえて、10・22の暫定滑走路北延伸の供用開始を粉砕するまでがんばろうと思っています。これからも反対同盟頑張ります。関西はもとより全国の皆さんとともに最後までがんばっていきます。よろしくお願いいたします。

市東孝雄さん

 今日の三里塚関西集会にお招きいただきありがとうございます。私の裁判闘争とか、援農闘争なんかに見えておられる方が、この中にもたくさんおられると思います。本当に感謝しています。

 私が、親父が死んで、成田に帰ってきてちょうど10年を迎えました。皆様方のいろいろな助けをいただいて、これまでやってこれました。そして何よりも、反対同盟43年の闘いは、周りのいろんな人たちの支えで、特に関実との関係と言うのは、30何年、40年の関係の中でやってきました。その中では、今回、ちょっとね、訳の分かんないことが起こっていますが、それでもね、反対同盟は関実とは最後まで一緒にやるんだということは間違いありません。そして、あくまでも同盟は原則を守って最後まで共にやっていきたい。それは、私だけじゃなくって、同盟のみんながそう考えていると思います。09927_3

 先ほどらいからありましたように、第3誘導路ですね。7月から新誘導路が供用というか使用を始めましたけれど、結局あれが、ちょうど下りてくるところと、下り口と言うか、発着するところとぶつかるというかすれ違うんですよね。これは本当に危険で、ジャンボなんかおそらく無理だと思います。まあ、これからジャンボを飛ばすとか何とか言ってますが、これだけ航空需要が下がってるなかで、もう大型機は必要ない。それでも、なおかつ第3誘導路でうちを囲い込んで作ろうとしているのは、やはりその先にあるのは軍事空港そのものだと思います。親父は土地収用法と闘いましたが、私は、この間民主党になりましたが、農地法、本来の農地法は「農地はそこを耕すものに権利あり」と第1条にあったんですが、その第1条をも取り崩しました。政権が代わりましたけれども、マニュフェスト通りに行くと私たちは絶対に考えていません。

 そういう意味でも、今日集まられた皆さんと共に闘っていきたいと思っています。10・11全国大会、今まで以上の盛り上がりを見せて、これからの空港絶対阻止、廃港までの闘いとして頑張っていきたいと思います。いろいろパンフなども出ているので、いちいち私が説明するよりも読んでいただいて、現地に見えた時に、ああこういうところだと確認していただければ。詳しいことは謙太郎さんが言いましたように進さんの方からいろいろあると思います。

 今日はお招きありがとうございました。頑張りますのでよろしくお願いいたします。

萩原 進さん

 なんか二人、遠慮してみんなこっちに振られて困ったんだけれど。

 先ほど市東さんの方からちょっと出ましたけれど、新たな関実運動がここからもう一度大きく羽ばたいていくというかたちで、今日、ここに200を上回る人々が結集したということを先ず我々も帰って反対同盟のみなさんにこの事実を伝え、これまで以上に関実との絆を強めて行きたいと思います。

 市東さんも含め自分もいろんなこと言われてますけれども、反対同盟はこの秋から来年にかけて本当に闘うんだと、体を張って闘うんだと、この10月の集会、あるいはあらゆる戦線の集会で訴えていこうということで、本日も参ったわけです。あらゆる戦線、あらゆる階層の人々が、同じような形で攻撃を加えられ、同じような目に会っているわけですね。そのような中で、今こそ、大きな闘いのうねりをね、作っていく。いわゆる負の論理で、切って行く論理というんじゃなくって、そういう中で闘えないんだったら闘えない原因をさぐって、手を携えて、引き上げて、あるいは連帯しながら闘い抜いていくその方策を考えていく。そしてそのものを強化していくという立場を取っていかなければならない。まさに三里塚の闘い、あるいは関実の闘いもそうです。大衆運動です。あらゆる人たちがそこに結集していく人民の砦、人民の組織だと思うわけですよ。みなさんが、闘う気があるならば、いつでもそこに参加し、いつでも手を取り合っていく、共に闘いぬいていくそういう陣形を作っていかなければならない。それが今、まさに求められている時じゃないのか。09927_4

 内部をほじくりあって、そして「これはダメなんだ」「あれはダメなんだ」と言ってる時代じゃないんですよ。そんなことやってる時じゃない。文字通り、一緒に手を携えて闘う時なんですよ。あの選挙を見て下さい。あの圧倒的な自民党の敗けかたが示すように、あれは人民の勝利なんですよ。民主党という形をとって選んだけれど、あれに代わるものはないんだけれど、先ずは選ぶことを持って自らの怒りと立場を表明したんですよ。ここで必要なのは、ここでわれわれがどうするのかということが、あの選挙を通して求められている、突きつけられてるんですよ。ここで、関実の闘いが、われわれ三里塚の闘いが人民に示せるかどうかで、人民の砦になるのか、人民の結集の場になるのか、人民の闘いの場になるのかが証明されるわけですよ。そしてそういう中で示していくと言う立場を徹底的に我々はやりぬこうじゃないかということを本当に肝に銘じて、先ほど言いましたけれど、今こそ本当に闘い抜くということをもう一度確認していきたい。

 選挙の例にもれず、常識では考えられないようなことが今行われている。一方ではそういう攻撃があるわけです。三里塚に限って言えば1本の滑走路に3本の誘導路を作る。こんなことがありますか。しかも作っておいてあくまで「暫定だ」「暫定だ」といって40年経ってるんですよ。八ッ場ダムは50何年経ってるんですよ。30年、40年経って出来ないんだったら、その政府は、あるいはそういう体制はダメなんですよ。止めるべきなんですよ。見直すとか何とか言う前に、そんなものはぺしゃんこにしなきゃあだめですよ。

 ちょっと作れば作ったで既成事実として、もっとできるんだからとつないできて40年、50年経ってきてるわけですよ。今までのやり方をやめさせなければならん。今度の10・11の後で、22日に、つぎはぎだらけで作ってきた滑走路で今度は大型機を飛ばすんだと今度は供用開始を行うんですね。「早くできちゃったらから供用するんだ」という言い方するんだけど、そうじゃないんですよ。関西の空港はほんとに文字通り自然の地盤沈下ですけれども、三里塚の空港は、文字通り政治的、社会的、そして物理的に地盤沈下していくんですけれど、表玄関がどうも裏玄関になりそうな状況を今、醸しだしているわけです。羽田との競合、あるいはアジアとの競合という中で、そういう意味で、そこでなんとしても飛ばしましたよと言う風に作っていかなきゃならん。しかし、さっきも言ったように1本の滑走路に3本の誘導路を作らなきゃならない。2本目の誘導路がつい先日供用を開始したばかりですよ。それは何だったのかということですよ。こんなやり方が通っていいのか。三里塚の空港といったら、そこに費やした予算も莫大ですけれども、そこに費やした道路だとか鉄道、貨物基地だとか、民間のホテルだとか、ほんとに莫大な資本を投下せざるを得なかったんですよ。それでも今だに完全にできえないという状況があるんですよ。そういう意味では、「いい加減にして下さい」と言っても過言ではないわけです。出来ないんだったらこちらからぶち壊してやりましょうというのがこれからの闘いだと思うんです。09927_5

 予断になりますが、22日の供用開始を前に市のほうから、地元民に何とか説明がしたいと、あるいは空港会社も来てんですけれども、何かと言えば、一つは、神社攻防の時に立木を切られて、これに対してわれわれ東峰部落は立木を植えたんですね。その植えた木が大きくなっちゃって、航空機の飛行に支障をきたす、航空法違反だから切ってくれないかと言ってきたわけです。木が育つのは当たり前であって、前の木よりまだ低いんだからそんなもの関係ないという形で言ってる。市の方は、大型機が飛ぶかもわかないんで地元民が大変だというんで話し合いたいという。先ず、20万回を30万回にしようといってるその張本人が、なぜ我々に言うのか。先ずCO2の問題で言ったら、飛行機ほどばらまいてるものないんですよ。ドラム缶何十本も1機に積んで一瞬のうちにばらまいてるんでしょう。あれが20万回、30万回来ますよというのを、はいそうですかと聞いていられないですよ。音はうるさいのでわかりますけどね。

  先ほど出ましたけれど、日航はもう潰れますよ。全日空もどうなるかわからない。そこで出てきているのは、もう日本の枠内だけでやっていけないということがあるんですね。09927_8 そこにはアジアゲートウェイなんていう形で表現されてますけれど、安い航空会社、安い飛行機、安い乗務員、そういうものを使っていくんだと。日本の航空会社だとか、日本人だとか、地域は日本だとか、そんなこと言ってられない。だからアジアに求めていくんだ、多国籍のものも含めてやっていくんだ。だから資金調達もアメリカに頼って行くのも国土交通省のやりかたでしょ。一方では全国空港整備特別会計と言うのがあって、これは奥の院というか隠し金みたいなもので、分捕り合戦やってるんですが、そんなものを見直したら空港の拡張など出来やしないし、全国の空港そのものが、代議士が「おらが空港」とみんなが作って、借金だらけになって、赤字経営だとか言って地元民に押し付けてるけれども、本来、彼らの自己責任として返してもらいたいんですよ。そんなものは。そういう形でやって、選挙に勝つためにしかやってこなかった。政争の具として行われてきた。三里塚の空港もそうですよ。そういう中で行われてきた空港政策、宇宙産業政策。確かに日本は決定的な遅れがありますよ。しかし、それを一気に取り戻そうとするところから焦りの政策が出てくるわけですよ。

 だけども、もうこういう意味では、われわれは彼らの首根っこを押さえたと言いきれるように、内閣そのもののの地盤沈下は免れないところまで来てるんです。ですから、暫定滑走路から這い上がって、まずそれを閉鎖して、そして4000メートル滑走路に攻撃を仕掛けて完全廃港の闘いへもっていく、そういう闘いをやろうじゃないかというのが自分たちの夢なんですね。それは、決して夢じゃない。政権が変わったと、そこに我々はゆだねるようなことは絶対にいたしません。むしろ、もっと違った意味でぎりぎりと絞られてくるかもしれない。だったらいいと、それをも受けて立とう。むしろそういう中で彼らに頼ってきた民衆が、彼らもやっぱり支持し切れないという状況の中で、われわれの方に与してくるという自信と確信と闘いを組んでいく。それが三里塚の命題だと思います。09927_9

 そういう中で兄弟的なものである関西の闘いと文字通り密に闘いを組んで、民衆の中に分け入って、入って行って一緒に闘おうじゃないかと訴えてやっていきたいと思います。確かに厳しさはあるけれども、やりがいのある時代に入ったんじゃないかと、そしてほんとに闘えば、われわれが扉を押しあけることができる時代に入ったんじゃないかということを生き生きと感じます。

 ほんとに言うことはいろいろとありますけれども、今日、3人で来てね、来る間中も独りで来るときと違って、意気洋々とできてね、ほんとにいい機会を与えて下さって、ありがとうございます。これからも闘いますので、よろしくお願いいたします。

 

 

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2009年9月28日 (月)

三里塚関西集会が大成功!

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 昨日、大阪市立中央会館のホールを文字通り一杯にする210人の参加で、三里塚関西集会が、三里塚反対同盟と関西実行委員会の共催で開催されました。

 09927_6 山本善偉関実世話人による開会あいさつの後、「パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委員会」代表の吉沢弘志さん(右写真)から、先日の鳩山のアメリカ外交での言動も踏まえながらの「米軍再編と日米安保体制50年を問う―日米政権交代で何が変わるのか」と題する講演が行われました。

 休憩の後、まず「特別報告1」として、三里塚反対同盟から「三里塚現地からの報告と訴え」が行われました。09927_5 登壇した鈴木謙太郎さん、市東孝雄さん、萩原進さんから次々と闘いの現状と10・11三里塚現地への総結集が訴えられた(左写真)。とりわけ萩原さんからは、この集会準備の過程などに引き起こされた様々な問題などにも触れながら「今、そんなことをしている時なのか」と広い陣形による決起の必要性が、関実への熱い信頼感とともに語られた。09927_4

 続いて「特別報告2」として「新たな関西空港反対・東西両軍事空港反対闘争に向けて」と題して永井満関実代表世話人から、三里塚闘争への熱い思いを込めた提起が行われました(右写真)。

 決意表明に移り、先ず三里塚への援農に行った皆さんが6人登壇し、こもごもとその思いを語りました。続いて「風をおこす女の会」「大阪の海と空を戦争に使わせない会」「関西合同労組」から、それぞれ三里塚への想いと10・11現地闘争への決意が述べられました。

 安藤眞一関実事務局次長からのまとめの挨拶と団結ガンバロウのあと、いよいよデモに出発です。09927_7 日曜の夕方、人通りの多い夕方の心斎橋から御堂筋、1時間余りのデモが、三里塚での闘いと関空の問題を訴える宣伝カーを先頭に、元気よく行われました。デモの先頭にはもちろん反対同盟が。道行く市民の皆さんが、驚いたように見つめる。

 デモを解散後、場所を移し、弁天町にある「地底旅行」で、40人を超える皆さんで交流会が、賑やかに行われました。さらに、二次会へ。達成感と、10・11三里塚現地闘争への熱い思いを確認しての長い一日でした。詳しい発言など、これから順次掲載していきたいと思っております。

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2009年9月26日 (土)

今週の産直野菜(9月26日)

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 今、今週の産直野菜が三里塚から届きました。今日は、「住宅家賃値上げ反対運動を支える会」の第2回総会があり、午前中に届く予定が届かなかったため(クロネコさんは忙しいのだ)、今になりました。暑さがぶり返しているので、心配しましたが、それほどではありません。みんな元気です。

 今日は、ジャガイモ、玉ねぎ、長ネギ、ター菜、空心菜、葉ショウガ、なす、ラディッシュ、オクラ、とうがらし、ミニトマトの12品です。なかなか豊富です。

 明日の集会「三里塚関西集会」の講師は、ベジタリアン。今から、食べてもらう料理を作ります。さてどうなりますでしょうか・・・・。081019

 今回の「野菜だより」で宣伝が始まりましたが、「三里塚産直の会」のイモ掘り大会が10月25日に決まりました。 右写真は昨年のものですが、子供も含めて200人。めっちゃ楽しいですよ。関実では、この日を最初に4日間の援農、現地調査を計画しています。本当に楽しいですよ。ぜひご参加ください。お問い合わせは、関実事務局へ。

 やっぱり、三里塚との付き合いは、土と野菜です。みなさん。イモ掘り大会いかがですか。

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明日、9・27三里塚関西集会へ!

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 上の写真(Radio Activeより転載)は、9月24日、山口県祝島から見た田の浦(上関原発予定地)にあがる朝日です。撮影者が、「今回阻止行動が始まって以来、初めて祝島から朝日を拝みました」と書かれています。思わず、この8月5日、祝島を訪れた折に、「祝島島民の会」代表の山戸貞夫さんが、「日が昇るところに田の浦はあり、毎朝、起きれば見たくなくても原発が見える。それを見ながら生活をしなければならないなど耐えられない」と話されたのを思い出しました。09922

 この9月10日からの、「中国電力による埋め立て工事開始」実力阻止の祝島の皆さんの闘いは、2週間を経た今まで、工事開始を阻止し続けています。RadioActive http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/ に昨日掲載された山戸孝さん(祝島島民の会)による「阻止行動の報告とお礼」 にありますが、24日までで延べ漁船250隻、陸上の座り込みは500人以上(島外からの参加者を含めれば1000人以上)が出て闘い抜かれました。(右上写真は、写真右端の陸地に並ぶブイを運び出そうとする台船《写真左》と、阻止線を張る漁船団。RadioActiveより転載)。

 そこには、「環境を破壊しつくし、人類に重大な禍根を残す放射能を膨大に生みだし続ける原子力発電なんかいらない。祝島のくらしと漁業、豊な海と島の自然を守りたい」という祝島をはじめ多くの皆さんの命がけの思いが込められていました。まだまだ、闘いは続きます。私たちも、全力で、共に闘っていきたいと念じております。

 この闘いを毎日、ブログやメールなどで見つめ、追いかけながら、三里塚の市東孝雄さんの「1億8千万円よりも、1本100円の大根を消費者に届けたい」という言葉を思わざるをえませんでした。

 親子3代、90年耕し、今では、無農薬有機栽培の豊な土から、野菜を消費者に直接届けておられる市東孝雄さんは、「農地と農業はかけがえのないものであり、私たちの命です」と断言されます(07年2月19日陳述)。

 この農地を、国と空港会社NAA、そして千葉県は、空港建設を理由に、本来農地と耕作者を守るための農地法を用いて、奪おうとしています。しかも、その成田空港は、国の航空政策による羽田空港の拡張と、韓国・インチョン(仁川)空港の極東のハブ空港としての存在によって存在価値を失い、拡張しなければならない理由などどこにもありません。あるとすれば、「米軍の変革と再編」による軍事空港としての重要性からでしかありません。こんなことのために、第1級農地であり、「私たちの命です」という農民の想いを蹴散らして強奪されるなどどうして許されるでしょうか。絶対に許してはなりません。

 Photo 市東孝雄さんの強い農と農地にかけた想いと三里塚反対同盟を先頭とする三里塚闘争によって追い詰められた国、NAAは、デタラメきわまる暫定滑走路の北延伸工事を強行するばかりでなく、何の必要性もないままこの10月22日から供用開始を強行しようとしています。しかし、この悪辣な攻撃に市東さんが動じることなく農地死守を堅持していることに追い詰められ、破産した彼らは、何と、第3誘導路建設という、正に、市東さんの生活を破壊することを唯一の目的にした攻撃に手をつけたのです。いかに破綻し、追い詰められたが故とはいえ、こんな攻撃がどうして許されるでしょうか。まさに天人とも許されざる所業です。市東さんの農地を守り、市東さんのくらしを守ることは、単に市東さん一人の問題ではなく、国家権力による「日米同盟強化」の政治と、農業破壊・農民圧殺の政治に対する反撃ののろしそのものです。そこに「日本農民の名において闘う」とする三里塚反対同盟の想いと決意があります。

 明日の9月27日の三里塚関西集会、そして10月11日の三里塚現地全国集会は、こうした「反撃ののろし」そのものとして決定的に重要な意味を持ってきています。それゆえに、この間、様々な妨害と敵対をも生みだしました。私たち関西実行委員会は、むしろそうした蠢きも私たちの闘いと三里塚闘争の正しさを示すものとして、むしろ、ますます勇気と決意を高めています。みなさんが、この私たちの想いをご理解くださり、9・27から10・11のこの過程に、心を寄せて下さり、共に立ち上がってくださることを、心から訴えます。

 明日、午後1時半、大阪市立中央会館にお集まりください。

 

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2009年9月25日 (金)

日航の破綻、関西空港と神戸空港の衝撃

09925  このところ新聞各紙の紙面を日本航空の再建問題が飾っている。左の記事は、今朝の朝日新聞のものだけだが、これだけにぎにぎしい(このうち手前2つが1面記事)。

 当然、利用される空港の側にも衝撃が走っている。中でも、記事にもあるように関西空港と神戸空港だ。理由は簡単。いずれも水深16メートル前後の海を埋め立てて造った建設費が巨大すぎて、その借金がすでに重荷となっていた空港だ。

 関空の経営責任がない橋下大阪府知事は、「撤退の自由を認める」と気楽だが、神戸空港の矢田神戸市長は、驚天動地、自らの市長選挙を1ヶ月後に控えて声もない。航空機の離発着に伴う飛行場使用料が、収入の最大の源だけに、軸になる日航の撤退が重大な問題となることは言うまでもない。

 関西空港のこの間の経営不振は厳しく、国から毎年90億円もの税金投入を受けながら、昨年は900億円を超える大幅の赤字だ。政権交代の直前、国交省は、支援策として税金投入を160億円まで増額することを新年度予算に盛り込もうとしていたのだ。国から、最低13万回の離発着を求められながら、開港して15年、1度も越えていない。最近では12万回さえ無理な状況にある。

 そこへ、軸になっている日本航空が、国際線の9路線を撤退するというのだ。Photo 日経新聞によれば、国際線の6割の撤退だという。現在すでに経営危機にある関西空港が、深刻な事態を迎えていると言って過言ではない。極東アジアのハブ空港として躍進する韓国のインチョン(仁川)空港が、4000メートル滑走路3本を持ち、世界に166都市と結ばれているのに対し、関西空港は67都市でしかない。それがさらに減るのだから、格差はさらに広がり、深刻と言うほかはない。

 実は、神戸空港はその比ではない深刻さに襲われている。開港わずか4年の現在、旅客数の減少は著しく、最近では神戸市が目標としたものの6割程度にしかならない。便数も、少なくとも29往復なければならないところが、現在22往復しかない。そこへ、日本航空の全面撤退、8往復の減少で、目標の半分にもならないという事態なのだ。神戸市は、今年の飛行場収入を当初予算の16億円から半分以下の7億円に予算修正をしていたが、日本航空が羽田便2往復の年内撤退を明らかにしているので、7億円の確保自体が難しくなっている。まだ昨年の決算が明らかにされていないが、最初の2年で生まれた黒字をつぎ込んで、ようやく黒字になるとは言われている。しかし、今年度は、もう無理だろう。管理収支の支出で最大の市債償還を将来に先送り(今年は11億円、5年後には21億円)しているだけに、逆立ちしても無理な状況が明らかになっている。Photo_2

 その上、空港建設のために行った借金の返済が今年から始まった。空港島の土地を売ることで返済するとしてきたが、2000億円の見込みに対して、現在までで6億円余りしか売れていない。手前にあるポートアイランド2期が売れ残り、それよりも高く(高く売れなければ返せない!)、しかも急激に経営の傾いた空港のそばの土地を誰が買うというのだろうか。「神戸市株式会社」ともてはやされた新都市企業会計は、現在残金が1千数百億円しかないと言われる。ところが空港の借金のほかにポーアイ二期の借り替えによる約700億円など、新都市企業会計の借金は合計4千億円近くあると言われる。今年からの返済を、とりあえず現在保有のお金から返済したとしても、すっからかんになった上に、2千億円以上の借金が残るのだ。残っている土地が売れなければ「神戸市株式会社」の完全な破産だ。しかし、売れる展望などどこをたたいてもない。そこへ、この空港経営自体の大変な危機だ。空港を建設し、空港事業を進めてきた張本人である矢田市長が言葉もないのは当然だろう。

 Photo_3 関西空港は連絡道路を閉鎖すれば立ち入れない。無用の長物の4000メートル平行滑走路を1兆円を超える税金を投入し新たに作った理由は、「米軍の変革と再編」に対応した軍事使用しかないと私たちは考える。

 他方、神戸市は、現在も日本で唯一の潜水艦の造船所(川崎、三菱)をもち、戦前の軍需景気で発展しただけでなく、戦後、米軍占領下での朝鮮戦争景気によって飛躍的な成長を遂げてきた。福祉を切り捨て、市民に犠牲を転化しつつ破産的だった市の財政を立て直しつつあるとはいえ、そこへ、この神戸空港の破綻と新都市企業会計の破産は、すでに医療産業都市建設をアメリカ最大の軍需産業ベクテル社の指導のもとで行ったように、「米軍の変革と再編」の流れに乗り、神戸港を基地の町として差しだし、その先端にある神戸空港をもそうした流れの中で使うことによって生き延びるしかないところへと行きつくのではないか。

 私たちは、こうした関西空港と神戸空港の破綻の先に見える「米軍の変革と再編」を「日米同盟強化」の道で一体化して進めようとする日本帝国主義の政治を断じて認めるわけにはいかない。「関西空港の軍事使用反対」を軸とした新たな関空闘争を作り上げていく中から、「米軍の変革と再編」を阻む闘いを、この関西で生み出していこう。そして、三里塚、沖縄、岩国とともに歩もう!そのためには、9・27三里塚関西集会を成功させ、10・11三里塚全国集会を勝利させることが先ず何よりも大事だ。共に、9・27から10・11へ頑張ろう!

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2009年9月24日 (木)

9・27三里塚関西集会に集まろう!

09315  写真は、春の「米軍再編と闘う」集い(大阪市立中央会館ホール 09年3月15日)

 マスコミは一斉に、昨日アメリカでの鳩山・オバマ会談を伝え「日米同盟強化で一致」(朝日新聞)と報じている。断じて許されない! 労働者、農民、市民が立ち上がって50年にわたる自民党支配を打倒したのは、こんなためでは断じてない! オバマは、様々な装いを凝らしながらブッシュの世界戦略を受け継ぎ、アメリカの世界支配を「米軍の変革と再編」を基軸に進めようとしている。鳩山は、このオバマと「日米同盟強化」で一体化して進むというのだ。「アフガニスタンへの復興支援」などと言葉を並べたてようが、その本質は「米軍の変革と再編」の下に進むという路線選択をしたということだ。沖縄の闘いが象徴するように、先般の自民党政権を打倒した選挙による我々の選択は、この「米軍の変革と再編」一体化の道への拒否、改憲阻止でなくてなんであろう。

 私たちは、自民党政権の政策を引き継ぐものでしかない鳩山の「日米同盟強化」を絶対に許してはならない。「民主党に任せたのだから仕方がない」と言うような問題では断じてない! 「9・27三里塚関西集会」そして「10・11三里塚全国集会」への流れこそは、こうした反動的流れに抗して、反撃ののろしをあげる道筋と言って過言ではない。

 自民党政権は、政権交代を直前にしたこの夏、第3誘導路計画を暫定滑走路北延伸部分供用開始の前倒し攻撃と一体のものとしてかけてきた。これは、市東孝雄さんを叩き出し、農地を強奪しようとする露骨な三里塚闘争解体を狙った攻撃であることは言うまでもない。しかも、併せて、木の根や横堀の一坪共有地への仮処分決定を行ってきた。直接には何の影響もないように見えるこの攻撃は、実は成田空港周辺にはいかなる意味でも「反対運動」「軍事空港反対運動」の存在を認めないという宣言だ。

 なぜそのような攻撃が、政権交代を前にしたこの夏だったのか。羽田空港の拡張による国際空港化、そして韓国・インチョン(仁川)空港の極東アジアでのハブ空港としての躍進、これらによって成田空港の地盤は極端に低下していることは内外に明らかになっていた。にもかかわらず、羽田空港を拡張している自民党政権自身によって、なぜ、この成田空港完成に向けた、反対運動への全面攻撃ともいえる市東さんなどへの攻撃が、今始まったのか。2014年完成と言われる「米軍の変革と再編」一体化にこそ、自民党政権、日本帝国主義の生き残る道だという強烈な路線選択の意志以外に、このことへの説明ができるものはない。鳩山は、その選択を引き継ぐことを世界に宣言したのだ。こんなことがどうして許せようか。

 「米軍の変革と再編」は、世界のいかなる所であれ瞬時(9日間以内)に数十万の有効な米軍部隊を派遣して制圧するという正にアメリカが世界を軍事的に制圧し、支配する「対テロ戦争」に名を借りた戦略だ。それは、以前の巨大な、しかもばらばらの部隊の展開、巨大な軍事基地の世界展開を止めて、陸海空・海兵隊の4軍を統合し、機能的に瞬時に展開することを目的に「変革と再編」を行おうとするもので、そのために日本とイギリスを軸として世界への前線拠点の強化と整備、そしてその国の軍隊(つまり日本では自衛隊)との軍事的一体化とそのための法整備まで歌ったもので、具体的運用のためには、その国(日本やイギリス)の軍隊との共同作戦(共同軍事訓練)が非常に重要となってくる。Photo

 まさにそうしたものとして、朝鮮半島有事を想定した「日米共同作戦計画5055」が昨年策定を終了したと言われる。2006年1月に、このことが一度新聞各紙に報じられ(右写真)、さらに大幅に変更されたと報じられた以外は、私たちには全くわからない。ただ、06年報じられた内容によれば、50万から70万と言われる米軍とその関連物資が一気にアメリカ本土から成田空港に降り立ち、部隊を編成されて日本全国の関西空港や神戸港など民間の空港と港湾に配備されるとされている。成田空港は、その場合米軍専用とされ、この計画の帰趨を決する空港なのだ。その点では、辺野古や岩国、三沢と言った米軍再編で主要な基地とされる各地と変わらない重要性を持っている。その空港が、反対運動によって完成していないばかりか、43年経っても続く「軍事空港反対」の地元農民の闘いがあることなど、許容される筈もない。これが、現下の攻撃の本質でなくてなんであろう。鳩山の「日米同盟強化」の宣言は、こうした意味で、三里塚闘争破壊の攻撃を自民党から引き継ぐことを宣言したに等しい。

 この3月の「米軍再編と闘う」集いを引き継ぎ、「米軍再編と日米安保体制50年を問う」とする吉沢弘志さん(パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委員会)の講演と、正に米軍再編の焦点ともいうべき「三里塚現地からの報告と訴え」と「新たな関西新空港反対・東西両軍事空港反対闘争に向けて」と題する2本の特別報告を柱とする「9・27三里塚関西集会」は、正にこの情勢にフィットし、正しく立ち向かおうとする決定的に重要な取り組みであることは明らかです。集会賛同も、すでに「3・15」集会を3割以上も増えて集まっています。みなさん。9・27大阪市立中央会館に集まろう!そして、御堂筋デモをやろうではありませんか。三里塚反対同盟の萩原進さん、市東孝雄さん、鈴木謙太郎さんの生の訴えを聞こう!

 

 夏バテもありましたが、この9・27三里塚関西集会への妨害、あわよくば関実を破壊しようとする姑息な動きの強まりもあり、この半月、関実ブログに手をかけることができませんでした。しかし、どうやらとりあえず決着したようです。9・27から10・11へ、市東さんの農地を守りぬき三里塚闘争の勝利、暫定滑走路の閉鎖と成田空港廃港に向け、そして関空闘争の新たな前進に向け、関実の闘いを前進させていきます。共に頑張りましょう!

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2009年9月19日 (土)

今週の産直野菜(9月19日)

09919  遅くなりましたが、今週の産直野菜が三里塚から届きました。「5連休」とかの騒ぎで、道路事情が酷く、クロネコさん大混乱。こちらも昼からは出かけたので、着いたのは今。

 キュウリが1本と言うのに示されるように、天候不順が原因か、妙な具合も。とりあえず来たのは、じゃがいも、玉ネギ、長ネギ、ター菜、空心菜、ピーマン、なす、ししとう、モロヘイヤ、オクラ、ミニ大根、キュウリ、ミニトマトの13品。多彩なのにびっくり。

 モロヘイヤで、花がついてるのが混じっていた。昨年、援農でモロヘイヤの収穫をした時に、花がついているのはダメだと聞いたように思うのですが・・・。ミニ大根と言うのは、間引き大根でもないようで、何でしょうかね・・・・。

 09919_2 このところスケジュール過多で、気候の変わり目で、風邪気味。真面目に野菜を食べる努力(気力?)が欠けていたのかだぶつき気味です。咳が収まらない中で、今日は「兵庫・星野文昭さんを救う会」(左写真)と「関西実行委員会の9・27集会への街宣」がダブルにあって、併せて1時間余りマイクを持ってしゃべったので、声がおかしくなって、咳が・・・。これを「自業自得」というのでしょうね。まあ、何とかなるでしょう。

 みなさん。9月27日は、何をおいても大阪市立中央会館にお出で下さい。

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2009年9月17日 (木)

祝島の闘いに駆け付けて(9月14日)

09911

 上関原発建設の埋め立てのために9月10日から、中国電力は長島対岸の平生町田名埠頭に埋立工事用ブイ(灯浮標、上写真の右手に陸に並んだ赤いもの、また右写真)をクレーン台船に載せて運ぼうとした。09917 しかし、祝島の漁師の皆さんを先頭にした「上関原発を建てさせない祝島島民の会」をはじめとしたみなさんの連日の実力阻止行動で、中電の目論見は破産し続けている。16日は、工事を中止し、中電本社で対策を相談し、今日、再開したが、今日もまた80人の陸の抗議の人々をはじめとした結集で、ついに阻止した(山戸孝さんのブログRadioActive http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/ より。右の写真もこれから転載。初めの写真は、ホームページ「ストップ!上関原発!」より転載)。この闘いに14日駆け付けた松野尾さん(風をおこす女の会)より報告文が届きましたので、その一部を以下に掲載します。

14日現地阻止行動に参加して

 9月13日(月)、阻止行動の情報を受けて、現地に行くためにどうしたらいいか、まずは広島までと、原爆資料館で開かれた「いま、上関原発は」の集会(「原発はごめんだヒロシマ市民の会などの主催)に参加した。この日は予定は、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」代表の山戸貞夫さんの報告があるはずだったが、情勢緊迫のため来広できなかった。鎌仲ひとみさん(『六ケ所村ラプソディ』の監督、昨年からずっと祝島に張り付いて撮影中)の「ぶんぶん通信No.2」の上映と3日間の阻止行動の報告や主催者からのお話しがあった。

 鎌仲さんや主催者から、「連日の阻止行動で、祝島の人々もぎりぎりのところで頑張っている。行ける人はできるだけ現場へ。14日が一つの山場、希望者があれば車を出す」という提案があり、それに「飛びついて」14日、現場へ行くことができた。(右下写真は、手前に祝島の漁船が並ぶ。最初の写真と逆方向、陸から撮影。右手上の白い船が中電社員が乗る船。)09914

9月14日(月)

 7時、広島駅出発。9時半ごろ田名埠頭到着。この日は、漁船は25、6隻。陸上には50人ぐらいの島民と市民グループ。阻止線を張っている漁船のほかに、クルーザー1隻(これは主におばちゃん部隊を乗せて中電と渡り合っている)、シーカヤックが6、7隻(近辺の若者たち中心に)。沖合い海上保安庁の警備艇大小2隻(時々接近してくる)。マスコミの乗っている大型クルーザーが1隻(マスコミは陸上にもかなりいた)。この日の阻止行動全体の数は解らないが、最終的には70~80人? 先週は山口の自治労関係の動員もあったようだが(ネットで見ると)、この日はいわゆる組織動員はなし。09914_2

 中電は、1時間ごとに阻止船団に近づいて(舳先を文字通り突っ込むぐらいの感じで)、「祝島の皆さん、舫(もやい)をといて錨をあげて我々を通してください」「原発はみなさんの生活を豊かにします」「冷静に話し合いましょう」などと決まり文句を繰り返し(島民は「ハトポッポ」と名付けていた=1時間ごとにポッポーと鳴くから)、それに対して船と陸から「ウソツキ中電は帰れ―」「話し合いと言うなら、27年間やってきたことを謝ってから来い」「海は売らんぞー」「話し合い絶対拒否」と切り返していた。

 10分くらい中電はそれを繰り返し、また少し沖合い戻って行く。時には「おばちゃん部隊」が乗った船がそれを追いかけ、責任者に怒りを叩きつけることもあるようだ。陸にいると内容はよく聞き取れないが、女性の良くとおる迫力のある声が聞こえると、座り込みの人たちが、「あ、○○さんがやっとる」と顔をほころばせる場面が度々あった。

 テントに座っていたお母さんたちに聞くと、「朝2時に起きてご飯つくってお弁当を作って5時に出発して、夕方帰ったらもう夜で、緊張して眠れんので、寝不足じゃ」とのこと。

 09914_3 たいていの人が島で生まれ育った方のようだ。78歳のお母さんは、「私は年寄りじゃけえ、毎日は来られんけど今日は来た」。漁師だった夫が亡くなって子供も島外に出て一人暮らし、野菜を作って生活しておられるそうだ。島は平地が少なくて畑は坂道を上がって行かなくてはならず、「腰が痛くて、毎週月曜日のデモもよういかれんようになったが、原発はいらん」ときっぱりと言っておられた。

 中電は、この日、午後になって「ハトポッポ」の時に、漁船名を一つ一つ挙げて「あなた方の妨害行為は違法だ」「損害が蓄積されているので警告します」などと恫喝にでてきた。焦りの表れだろうが、これには島民の怒りが爆発。「これまでおまえ等のやってきた方が違法じゃ」と。

  09914_5 また「冷静に話しをしたいので代表者の名前と連絡先を教えて下さい」と言ったそうだ。この日は「島民の会」代表の山戸貞夫さんは、町議会が始まって不在(島には彼と清水さん、2人の町議)なのを知っていて言っている。漁民から「私らの運動は合議制だから返事ができん。持ち帰って返事する。ただし、そのためには中電は作業予定を一切白紙にしろ」と言ったそうだ。もちろん議会から帰ってきた山戸さんが「話し合いは絶対しない」と返事をした。(左上写真で、青い制服が中電社員。船を漁船にぶつかるぐらいまで接近させてくる。)

 09914_6 4時過ぎに、中電の責任者が「4日間お願いをしてきましたが、9月も中旬になり、日没も早くなっているので、この時間からの作業は無理と判断しました」とモゴモゴと言って作業中断を表明。「もっと早く判断しろ」「何回来ても同じだぞ」「もう二度と来るな~」などという声がこちらからも飛んでいた。4時半近く彼らも引き上げ、阻止行動は終了。(右写真は、中電の船(左)に迫って、抗議する祝島のお母さんたち(中央)。シーカヤックが見守る。)

 現場には、田布施や周辺地域からも、若い子供連れの主婦、若者なども。県議会の原発反対派の4人のうちの一人が来て挨拶をした。09914_7 広島からも連日通っている方が何人もいる。

 また、上関では反対派は公然と名乗れない雰囲気の中で、夫婦で反対を掲げているという男性も来ていた(地元のことをいろいろ話しをしてくれた)。埠頭には、近辺の人たちが時折あらわれて、一緒に海を眺めていた。(左の写真は、巨大なクレーンと台船)

 広島の方たちには本当にお世話になった。快く同行を許して下さらなかければ、とうてい一人ではたどりつけない場所だった。感謝。

【激励先】上関原発を建てさせない祝島島民の会 http://shimabito.net/  Eメール iwaishima@gmail.com  FAX 0820-66-2110 〈カンパの送り先〉 郵便振替 01390-4-67782

【抗議先】 中国電力 TEL082-241-0211 FAX082-523-6185 / 【埋め立て抗議先】 山口県土木建築部港湾課 TEL083-933-3810 FAX083-933-3829

  

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2009年9月14日 (月)

10・22北延伸供用開始を許すな!

Photo  国、空港会社NAAは、10月22日、5か月も前倒しして、暫定滑走路の北延伸部分の供用を開始する攻撃を行おうとしている。この攻撃の正体を見据え、激し怒りを組織して、9・27三里塚関西集会、そして10・11現地全国集会へ、うねりのような決起を生みだし、反撃を開始しよう。

 国、NAAは、この前倒し供用開始の攻撃では不十分と、7月4日、市東さんを完全に空港の中に取り込み、航空機の騒音と振動、排気ガスなどで「生活できない」想いを強制し叩き出そうという第3誘導路という悪辣な攻撃を開始しようとしている。これは、市東さんをはじめとした三里塚反対同盟の農地死守、実力闘争の闘いの前に、すでに10・22供用開始攻撃が破産していることを自認した、慌てて出されたやみくもな、何の勝算もない攻撃でしかない。しかし、10・22供用開始と第3誘導路の攻撃にこめられた、国、NAAの何が何でも市東さんを叩き出し、三里塚闘争を解体しようという「悪あがき」ともいうべき凶暴な攻撃への意志が露骨に示されており、このことを決して軽視してはならない。そういう意味では、正に倒すか倒されるのかをかけた決戦が、開始されたのだ。

 同時に「米軍再編とその変革」というアメリカ帝国主義の世界支配をかけた攻撃を自らの生き延びる水路とする日本帝国主義が、「政権交代」というこの局面の中だからこそ民主党政権にも「選択の余地がない」ことを突きつけたものとしてこの攻撃はある。成田空港を「米軍再編」(日米共同作戦計画5055の実施)の重要な要とするアメリカ帝国主義と日本帝国主義にとって、成田空港周辺で「軍事空港反対」を掲げた反対運動がいかなる形であれ存在することが許されない。8月初め、木の根や横堀団結小屋など4ヶ所の一坪共有地に対して「仮処分決定書」が送付され、一坪共有地への強奪攻撃が開始されたこともこのことを示している。とりわけ「1億8千万円よりも、1本100円の大根を育てて、消費者に届けたい」とする市東孝雄さんを先頭とした三里塚反対同盟の、彼らの論理や理解を超えた闘いが厳然と存在することなど許容できるはずもない。その追い詰められたが故の悪あがきとして、こうした攻撃が生まれたのだ。

 こんな攻撃を跳ね返し43年間闘い抜いてきたのが三里塚だ。9・27から10・11へ総決起しよう!

 09912 山口県上関町では、中国電力の原子力発電所建設攻撃に対し、祝島の漁師、住民の皆さんを先頭にした、実力阻止の闘いが、すでに4日間にわたる攻防をやりぬき、埋め立て開始の作業を阻止し続けている。12日には、雨の中を250人が現場に結集して闘い抜き工事用ブイの運送を阻止したと「ストップ!上関原発」(ホームページhttp://stop-kaminoseki.net/)は伝えている(右写真は同ホームページより転載。12日の様子)。そして、今日も闘われようとしている。祝島をはじめとした漁業を、くらしを、そして海と島の自然を破壊から守るために、80を超えるおばあちゃんをはじめ、島ぐるみの闘いが取り組まれている。この報せに感動しないものがいるだろうか。辺野古でも、岩国でもそうだ。人々は、逞しく、日本帝国主義の野望を許さず闘い抜いている。

 こうした闘いの先頭にこそ、わが三里塚はある。43年の農地死守、実力闘争の真髄をかけ、9・27、10・11へ総決起しよう!市東さんの農地を守ろう!

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2009年9月12日 (土)

今週の産直野菜(9月12日)

09912  三里塚から産直野菜が届きました。

 じゃがいも、小玉ネギ、小松菜、葉ショウガ、ター菜、ピーマン、なす、唐辛子、ミニトマト、オクラ、モロヘイヤの11品。

 ラディッシュが、気温が高すぎてダメだとか。残念。

 「ター菜」それ何? 慌ててネットで調べたら、中華料理で炒めものなどに使うとか。私には、小松菜と区別がつかない?

 葉ショウガが美味しそう。昨年の夏、市東さんのところで収穫をしたのを思い出した。スッポ、スッポと気持ちいい具合に抜けるので、どんどん抜いていたら、とっくに皆さんは終わっていて、私が採った分は、4割方が余分に。市東さんが「仕方無いなぁ~」と渋い顔。結局、お土産でそのまま貰って帰りました。思わず「やったー」と喜んだ。

 9・27三里塚関西集会まであと2週間。10・11三里塚への招集状もでて、いよいよ本番。みなさん。賛同を広げていますか。これまでにない集会にぜひ成功させましょう。

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2009年9月 9日 (水)

10・11三里塚全国総決起集会 招請状

09329  

     招請状

                     三里塚芝山連合空港反対同盟

 全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん。戦後長く続いた自民党による政治支配が、人民の激しい怒りによってついに倒壊しました。恐慌がもたらす底知れぬ危機の中、どんな既成政党もこれにとって代わることはできません。労働者、農民、人民の力のみが新たな時代を切り開く激動情勢――、これはまた三里塚闘争の勝利を開く決定的情勢の到来です。「空港絶対反対」「農地死守」の43年間不屈の闘いが、いよいよその真価を発揮する時がきました。わが反対同盟は敢然と決戦を挑む決意です。10・11全国総決起集会への大結集を訴えます。

 労働者を襲う首切り、賃下げ、雇い止めといった資本の攻撃と同じ攻撃が、全国の農民に対してもはげしく向けられています。

 6月17日、改悪農地法が成立しました。これは戦後闘いとった農地改革の成果を根底から覆す攻撃です。農民から農地を奪い企業(資本)に引き渡す制度の開始であり、資本による農業からの徹底収奪です。300万農家を40万戸に激減させるこの攻撃は、道州制による360万自治体労働者解雇攻撃と同根です。

 恐慌は保護主義をもたらし、保護主義はアジア勢力圏化と戦争に向かいます。WTO(世界貿易機関)の決裂とFTA/EPA(自由貿易協定/経済連携協定)の推進は、破綻にあえぐ成田空港の立て直しと一体不可分です。北延伸10月供用前倒し、「へ」の字誘導路の緩和計画と飛行回数1.5倍化、24時間空港化。そして北朝鮮排外主義のなかでの成田空港の軍事化攻撃。民営化・労組破壊と一体のもと、国策と闘い続ける三里塚闘争を解体する攻撃の激化は不可避です。

 7月29日、政府権力は「4者協議」(国交省、成田空港会社、千葉県、地元自治体)で、市東さんの家屋・出荷場など建物と畑を空港内に取り込む、断じて許せぬ誘導路計画(「第3の誘導路」)を打ち出しました。天神峰現闘本部裁判(千葉地裁民事5部・仲戸川裁判長)では、年内にも仮執行宣言付き判決で、最高裁判決確定の前に本部建物を証拠もろとも破壊する策動を強めています。これらせっぱ詰まった攻撃は不屈に闘う三里塚への恐怖の現れです。

 三里塚闘争は戦前戦後の農民運動を引きつぎ、絶対不屈、農地死守・実力闘争で闘ってきました。親子3代90年の農地を、農地法で事実上「収用」する攻撃は、全国の農民・労働者の怒りを根底からかき立てずにおきません。三里塚闘争は必ず勝利します。わが反対同盟は圧倒的な自信と確信を深めています。

 勝利への道は、「空港絶対反対・一切の話し合い拒否」「農地死守・実力闘争」「二期阻止・空港廃港」の闘争原則と動労千葉とともに闘いとった労農連帯です。沖縄や関西住民をはじめとする反戦・反核・反権力、反差別の広範な市民運動・住民運動との連帯です。反対同盟はいかなる闘争破壊も許さない。改憲と戦争への道を阻止するために、韓国やアメリカをはじめとする全世界の労働者と連帯して闘おう。

 いまこそ、権力と資本による分断をうち破り、労働者と農民は連帯して闘わなければなりません。10・11全国集会に総結集されることを心から訴えます。

2009年9月1日091011_2

              記

【集会名称】暫定滑走路北延伸10月供用粉砕/市東さんの農地強奪阻止/農地法改悪・改憲攻撃粉砕/成田を軍事基地にするな

10・11全国総決起集会

【日時】10月11日(日)正午

【会場】成田市東峰 反対同盟員所有地

【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟

会場へは、JR成田、京成成田駅からタクシーで「東峰十字路」まで2500円/車は成田インターから国道295号線に入り芝山町(空港)方面。日航ホテル手前で小見川県道を小見川方向。「東方十字路」へ。

(最初の写真は、今年の3月29日、三里塚現地での全国総決起集会)

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2009年9月 5日 (土)

今週の産直野菜(9月5日)

0995  今週の三里塚からの産直野菜が届きました。残る暑さに、小松菜やラディッシュの葉っぱが可哀そう。この写真を撮るために1時間余り水に休ませたのですが・・・・。

 じゃがいも、小玉ネギ、小松菜、長ネギ、なす、ピーマン、ゴーヤ、オクラ、シシトウ、ラディッシュ、ミニトマト 以上11品です。

 「野菜だより」には「豪雨にならなかったのが救いです」とありますが、その最中にいた私には、驚くほど豊富な中身にびっくり。

 一緒に行っていたFさんが、市東さんと一緒に、雨と風で横倒しになったモロヘイヤを起こして、足で根元を踏み固めながら葉っぱを採っていった様子を話していたのを聞いていたので、入ってくるかなと思ったけれどやっぱり駄目でした。代わりに、ラディッシュと小松菜が予定より早く出荷とか。ラディッシュがかわいい。

 ゴーヤは、暑さですぐ傷むと鈴木さんに聞いたので、今夜早速食べようか・・・。

 三里塚の闘いは「農地死守」が柱です。この場合、「死守」が多く強調されます。「実力闘争」というもう一つの柱と重なって。しかし、いく度か三里塚を訪れ、農民の皆さんの、萩原さんの、市東さんの、鈴木さんの日々の営農とくらしを見るにつけ、土を育て、耕し、植えつけ、草を取り、収穫する、この農地にへばりつくような営みこそが「農地死守」そのものであり、同時にその土台なんだということを強く感じます。ですから、私たち支援する者にとって、「援農」という取り組みを通して、この「農地死守」を体感し、闘いの土台となるように思えます。よしんば、さほどのお手伝いにもならず、時には却って邪魔にさえなっているようにも思うのですが、「援農」は、私たちが三里塚闘争を闘い抜く上で、大切な一歩なのです。同時に、だからこそ先日萩原進さんが言っておられましたが、「農民が働くすべを奪われようとしている今こそ、市東さんの農地を守る、『農地死守』は時宜にかなった闘いなん」だと思います。

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2009年9月 4日 (金)

中郷部落に航空機燃料の雨?

0992

 上の写真は、一昨日、9月2日朝、三里塚を離れる最後に菱田、中郷部落の鈴木さん宅に挨拶に訪れた時のものです。鈴木さんの家から坂を下りた所ですが、加代子さんが指さしている木の葉っぱの色が黒く汚れているのが判るでしょうか。右下の写真も、この場所から数メートル右手の場所です。二日前に台風11号が直撃し、二日にわたる豪雨の後ですから、木の葉っぱは雨に洗われてきれいになっているはずなのですが・・・。

 ご存知のように、鈴木さんのお宅は暫定滑走路の真南、離着陸のコースにあります。風向きによりますが、北風が多いので、着陸機が低い高度で轟音を響かせながら真上を飛んで行くことが圧倒的に多い。この日も、曇り空のせいか、ほんとに低く飛んでいました。0992_2

 この日の10日ほど前、鈴木謙太郎さんと加代子さんは畑におられたそうです。その時、暫定滑走路に着陸する航空機が、ちょうど自宅のあたりで両翼から白いものを振りまきながら飛んでいくのに気づいて、「何だろう?」と思われたそうです。それがこれだったのです。

 加代子さんは、「ジェット機が、機体を軽くするために燃料を海に捨てるというのは聞いたことがあるけれど」と言いながら、あの豪雨でも流されなかったこの黒いものがジェット機の航空機燃料ではないのかと指摘された。「私たちを追い出すために、嫌がらせをやってるのかと考えてしまう」と怒りをぶちまけられた。謙太郎さんによれば、「ハウスのビニールが普通は10年くらいもつものだが、最近は10年なんかとんでもない。すぐ傷んでしまう」と、そばから言われた。

 「嫌がらせ」かどうかは別としても、とんでもない生活破壊ではないか。ここにも成田空港と周辺住民、農民との共存などあり得ないことが示されている。

 農地法を使って市東さんの農地を取り上げなければ存在できない暫定滑走路など閉鎖しかない。そして成田空港の廃港しかない。9・27三里塚関西集会を成功させ、10・11全国集会を爆発させよう!

 10月25日(日)、「三里塚産直の会」主催の「イモ掘り大会」が開かれることを教えていただいた。次の援農は、10月25日のイモ掘り大会に参加することを出発点にやろうとその場で決めました。10・11三里塚へ行って、さらに10月25日、援農に出かけよう。

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2009年9月 3日 (木)

台風に直撃された援農 (8月30日~9月2日)

09830

 8月29日の夜関西を出発し、4人で三里塚の援農・現地調査にでかけました。

 残念なことに、それまで全く雨が降らなかった現地なのですが、私たちが着いた30日の朝から雨が降り始め、日曜日ということもあり、萩原さん、市東さん、鈴木さんの三軒を訪問したのですが、ご挨拶するだけで仕事はお休み。

 仕方なく、初日は、岩山記念館(右写真)から現地調査をすることに。09830_2 時折激しい雨が降る中、横堀の小屋と鉄塔(左写真)では、木の根の一坪は雨と霧で見えなかったものの、やはり、横風滑走路を完全にぶっちぎり、空港のど真ん中に位置する見晴らしは最高。

 三里塚現闘を10数年前に経験していたS君も、これにはびっくり。「近くまで来ていたのだが、知らなかった」と。そのS君の案内で、「現闘たんぼ」跡や「団結小屋」を覗いてみる。

 それから東峰部落に移り、まず開拓道路に。丁度、新誘導路に航空機が入ってくるのが真横に(最初の写真)。09830_3 空港ターミナルからメチャクチャ遠回りし、しかも信号に止められてやっとたどり着く無駄に航空会社から反発され、それなら市東さん追いだしにも都合いいと、新たに第3誘導とが計画されたことを思い、新たな怒りが。

 次いで、東峰神社から東峰地区の島村さん宅前を通り、東峰墓地へ。雨にぬれて、大木よねばあさんの墓の木がきれい(右写真)。09830_4 さらに市東さん宅へ再び伺い、畑の横の監視台に。この頃は土砂降りで写真も撮れない。それでも、ここが初めてのS君とMさんは感心しながら、「ヘ」の字誘導とや天神峰現闘本部を眺める。

 岩山から横堀に行く途中で、北原鉱治事務局長を訪ねた。北原さんは気安く部屋に案内下さり、「正しいことをやってこんなところに入れられた」。11時まで取り調べで「罪の意識がないから答えようがない」と逮捕の経験などを話して下さった。そして「有事」ということを考えなければならないと、沖縄全軍労の招きで沖縄に行こうとしたらパスポートが下りなかった経験(72年3月)。09830_5 「危険人物とみなされた」。全学連との共闘の経緯や淡路との共闘などを話されながら、だんだん闘ううちに鍛えられ、「日本の将来を決するものとして三里塚闘争はここまできたと言っても過言ではない」とまとめられたのです。1時間余りのそのお話しに、聞き入りました。

 翌日31日は、台風11号が、少しそれたとは言うものの直撃。市東さんと萩原さんのところは午前中だけ援農をして翌日の出荷の準備。私は、鈴木さんご夫婦と昼まで、コーヒーをいただきながら、あれやこれやのおしゃべり。仕事の都合で帰るS君を成田駅までみんなで送って、大風の中、風呂に行ったりとのんびり。被害の様子が「農家便り」に掲載されています。http://blog.goo.ne.jp/suzuki-kayoko/e/3a7c166b610d765adc938e4eebd07662 をご覧ください。

 1日は、午前中出荷の準備で、午後からは出荷の応援。しかし、私だけは、東京で会わなければならない人がいてリタイア。3日間もいて、援農ができず、畑に一歩も入らないという珍記録をつくってしまいました。めっちゃ残念。

 

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