8・6ヒロシマ ― 平和の夕べ ―
例年になく涼しい8・6ヒロシマで開かれた「8・6ヒロシマ -平和の夕べ-」には、250人を超える人々が集まりました(上の写真は、「怒りネット関西」のブログからお借りしました)。
集会は、元国立市長の上原公子さん(右写真)の絶妙の司会で進められました。開会前から池邊幸恵さんのピアノとナターリア・コズローヴァさんの歌(左下写真)が会場を魅了。開会してから、さらに池邊さんの演奏とスクリーンでのこの日と平和への池邊さんの想いが表現されました。
いよいよ、この日のメイン、平和講演として「ヒロシマの継承と連帯を考える」と題した河野美代子さん(産婦人科医、右下写真)の講演です。
河野さんは、被爆2世として62年をずっと広島で育ち、暮し、産婦人科医として「患者さんを通して社会を見てきました」というご自分の体験を通したこの日への想いを語られました。その土台として、小学校、中学校、高校での体験を。
そして大学で被爆者青年同盟の結成に加わり、天皇、佐藤首相の来広阻止闘争を戦い抜く中で、一つは「親の話しを聞こう」と被爆者として、原爆で傷つき苦労しながら自分を育ててくれた親に「あなた達は侵略者だ」と問うていった想いと、今一つは、「子供を産もうよ」「被爆者の血を脈々とつないでいこう」と決意したことを語られました。
産婦人科医として染色体の研究をするうちに、トルーマンによってつくられたABCCがたくさんの被爆者とその子供たちの染色体を調査し、「染色異常」に気づき、指摘しながら結果をアメリカに英文で発信するだけで、被爆者たちには知らせてこなかった事実を厳しく糾弾されました。
さらに、「いのち」を見つめる中から「性教育」の問題に自分の立ち位置を決められたこの30年近い取り組みについて語られました。この日同じ時間に、広島で挑発的に田母神元航空幕僚長が、「核武装」を求めて講演していることを弾劾されつつ、その背後にある「日本会議」の犯罪を糾弾されました。日本会議は、「性教育」だけでなく、人権教育、平和教育までも破壊しつくそうとしていることを、具体的ないくつもの例をあげながら、また自らの裁判の闘いをも紹介されながら指弾されました。
河野さんは、「35万の人々のうち13万から15万の方が年内に亡くなった「核の脅威」をもう一度ここで見直してみるべきです」「たくさんの被爆者の闘いがあってこそ平和が保たれたのだ」と提起され、この日のご自分の最大の感動として平和公園でのこども宣言「平和の誓い」に本当に感動したことを、その言葉を紹介されながら話されました。(この河野さんの想いについては、ご自身のブログ「いろいろダイアリー」に掲載されていますので、http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-cbac.html こちらをぜひご覧ください。)
そして最後に峠三吉さんの「墓標」を朗読され、特に子育てをしている方に「子供たちに伝えましょう」と呼びかけられ、話しを終えられました。優しい語りの中にも、本当に胸を打つ問いかけ、呼びかけがあり、感銘を受けました。
集会を呼びかけられた青木忠さん(左写真)から1945年の3月19日と7月28日の因島空襲で、多くの人が犠牲になりながら、公の記録には「ほとんど死者がでなかった」とされていることへの怒りと、こうした事実を知ることなく「戦争反対」を叫んできた自分への戒めを込めた話しがされました。
続いて3人の方が登壇され、短い時間の中でしたが、それぞれの立ち位置からの想いが語られました。
先ず、被爆電車の中で被爆し唯一の生き残りである中澤鐡志さん。 被爆体験を話す時間はないのでとして、「日本が危険な状態になっている」として、一昨年、10・21に京都で取り組んで1200名を結集できた「市民運動独自の闘い」と「反戦老人クラブ」の取り組みを語られながら、400回を超す被爆体験の語り部として、「生き残った体験を伝えていかなければならない」と決意を語られました。
「原発いらん!山口ネットワーク」の三浦翠さん(左写真)は、チェルノブイリ事故に触発され、上関原発に反対して運動を立ち上げた経緯を語られました。 そして長島田の浦、祝島を訪れることを通して「このきれいな自然には絶対に手をかけさせない」という決意を固められたことを、その自然の素晴らしさを具体的に紹介され、祝島のみなさんの「1本釣り」に象徴される暮らしぶりと、中国電力による様々な建設攻撃に対する文字通りの「実力闘争」が闘い抜かれてきたことが紹介されました。山口県の漁協が底引き網漁であることからこの祝島海域では漁をしないにもかかわらず、125億円もの補償金を中国電力から受け取り、推進側についていることを糾弾されました。
元京大原子炉実験所助手の小林圭二さん(右写真)は、丸山真男の遺稿の言葉を紹介しながら、熱風と熱線、そして死の灰という原爆の延々とつづく被害が原発にも共通することを先ず明らかにされました。 その上で、ご自分が「専門バカ(ママ)」として問題に気付かないまま、60年安保世代として反権力闘争と考え、70年初頭に伊方原発の裁判に関わる中で、原発の全体像を教えられたと自己批判をこめて明らかにされました。そして「原発は人類と共存できない」「原発と原爆は同根」「そもそも原発は原爆から生まれた」と具体的に語られました。そして9条が解釈改憲によってなしくずしで派兵が行われていることを上げつつ、現在の原子力行政が「限りなく核兵器の開発にちかずいている」「平和利用と軍事利用の垣根はなくなった」「『もんじゅ』は核兵器製造工場だ」と指弾されました。
淡々とした中に、非常に内容豊な、そして何よりも被爆者とともに、改憲阻止、核武装反対、戦争反対を闘い抜こうという想いが貫かれた本当にいい集会でした。
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コメント
体調不良で行けなかったのですが、行かなくて良かった。一人泣きじゃくっていたでしょう。管理人さんの報告で家で一人で泣くのが今の私の精一杯です。
投稿: ぶう | 2009年8月10日 (月) 12時09分
「今年の広島反戦闘争の中心テーマは、世界大恐慌に突入し、再び戦争の時代が訪れようとしている情勢の中、労働者民衆の手で核と戦争を廃絶するうねりを作り出すことです。いわゆる「語り部」集会のような集会を開いても、恐慌情勢では問題にもならないのです。」
と、86広島について書いています。HPです。
国賀さん達の広島について言いたいことがよくわかりました。被爆者の語り部となっての訴えは、問題にならないと言うことです。
おりしも、福山雅治が、被爆2世だと、明らかにしました。自分が被爆者だと言い、被爆2世だという事を、国賀さん達は、問題にならないと言っているんですね。
本当にひどいと思いました。それだけではなく、結構、国賀さんは、平気で、こういう事を言う人だから、彼らの行動が何か、わかりやすいとも思いました。
別に、今、国賀さんをどうのこうの言うことは、本当に意味無いことでしょうが、自分たちを律していく上で良く見ることも大事だと思いました。86はいけませんでしたが。
投稿: 国賀さんの話 | 2009年8月10日 (月) 23時01分