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2009年7月13日 (月)

ききたい つなげたい 8・6ヒロシマを

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 昨日、7月12日、「ききたい つなげたい 8・6ヒロシマを 7・12講演集会」に参加した。1945年8月6日、上の写真の黒コゲになった電車に乗っていて被爆した米澤鐡志さん(当時小5、現在75歳)のお話しを聞いた。Img_0752

 米澤さんは、日中戦争から太平洋戦争、そして1945年に至る時代背景を、まず、丁寧に話された。ご自分の疎開体験や「国賊」とされ、医者でありながら徴兵され、フィリッピンで逃げ回る体験をされた父親の話しを交えながら。

 たまたま疎開先から広島に荷物を取りに帰った母親と一緒に8月6日、自宅に向かうぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗っていて爆心地から750メートルのところで被爆。重なり合う人のおかげなどいくつもの条件で、母親とともに爆風による窓のガラスや、放射能による死亡(この地点では8割が死亡)から免れ、その日夕刻まで彷徨し、火災などからも逃れながらその日のうちにヒロシマを離れ、親戚に救出された。その過程で目にされた生々しい被災者の惨状を、今だに忘れられないと、具体的に語り続けられた。半そでシャツのところから剝けた皮膚が手の先の爪で止まり、垂れ下ったまま両手を差し出し、水を求めて川に次々と入って亡くなって行く中学1年生たち。たまたま軍隊の重傷者を運ぶトラックに助けあげられ、そこで見た、飛びだした目玉を手で添えているおばあちゃん。などなど。ご自身とお母さんも、非常に喉が渇くので水を飲もうとするたびに激しい嘔吐。助け出されてから40度の高熱と嘔吐、そして母親とともに頭の毛が全て抜けてしまう。母親は9月に亡くなる。そしてその母の乳を飲んでいた一番下の妹(2歳)は、年末に亡くなった。ご本人は奇跡的に助かったものの、毛の抜けた頭をからかわれ差別された。・・・・。とつとつと語られるその被爆体験の凄まじさに、聞いている私の気持ちも重くなる。

 戦後、中学校に行って、親しかった朝鮮人の友人たちが一人を除いていないことに気づいたという。自分たち日本人の小学生は疎開できたが、田舎に知人もいない朝鮮人は疎開を許されなかった。5万人いた朝鮮人のうち3万人が被爆死(被爆後の市内での生活によって死んだ人も含め)していたのだ。実に6割だ。日本人は3割の11万人。この差は、朝鮮人差別そのものでなくてなんだという告発。そして日本の戦争責任を語られた。「1億総懺悔」ということばで回避された戦争責任問題を告発された。09712

 後半の質疑の中で、戦後の中学、高校時代からの被爆体験に基づいたご自身の60歳定年までの様々な闘いの軌跡の断片もこれまた非常に示唆に富み面白かった。そして、定年退職後、被爆体験の語り部として余生を送って行くのだという想いを語られた。

 この日の集会を準備された若い労働者のみなさん。本当に御苦労さまでした。会場をいっぱいにする参加者の熱気がすごく、大成功でしたね。

 この8月6日には、2つの取り組みが予定されています。時間的にずれていますので、両方参加することができます。

① 被爆64周年8・6ヒロシマの集い

8月6日12時30分開会 / 会場・広島厚生年金会館・銀河 / 証言・被差別部落、在日朝鮮人被爆者、藤本安馬(大久野島元毒ガス工場工員)、重慶第爆撃訴訟原告 / パネルディスカッション 沖縄・知花昌一さんなど / アピールなど / 参加費 1000円

② ヒロシマ ― 平和の夕べ ―

8月6日午後5時半開会 / 広島YMCA国際文化ホール / 平和講演・河野美代子(産婦人科医、被爆2世)-ヒロシマの継承と連帯を考える- / 空襲の地より・青木忠 / リレートーク・米澤鐡志さんなど / 参加費 1000円

 さらに翌日、8月7日には、最初の写真の被爆電車(台車が保存され、改装されたもの)に乗って電車内被爆者の唯一の生き残りである米澤鐡志さんの講演を電車に乗りながらお聞きします。午前10時半、広島駅集合。日赤病院まで。午後1時ごろ解散の予定。

 みなさん。8・6ヒロシマに行きましょう。前日11日の神戸空港の中止を求める市民の会の例会でも「8・6ヒロシマと私」と題した竹田雅博さんの特別報告があり、二日間、「ヒロシマ」漬けでした。

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コメント

いいお話でしたね。具合が悪かったので途中で帰ろうと思っていたけど、聞き逃すのがもったいなくて、無理して最後まで残りました。
家に着いたら、すぐに寝てしまい、起きたら10時でした。今朝も引きずって、今も具合が悪いです。
でも聞いて良かった。日本の戦争責任を強く話され、それこそ今ハッキリさせなければならないことだと思いました。
「戦争責任を言うと右翼がうるさいが、私は被爆者だから右翼も口出しできないみたいだ。どんどん話して行く」「小学生などが、北朝鮮より悪いことをしてたんですね、という感想をくれるんだよ」と、私が知りようもないことを聞けて、良かった。

投稿: ぶう | 2009年7月13日 (月) 14時33分

被爆電車は車体の補強工事やエアコンが搭載されているものの、いまも被爆当時の姿を留めています。
非常に貴重な原爆の生き証人です。

投稿: J.D | 2009年7月22日 (水) 04時48分

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