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2009年7月31日 (金)

9・27三里塚関西集会への賛同と参加のお願い

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市東さんの農地を守ろう! 成田関西両空港の軍事使用を許すな!

「9・27三里塚関西集会」への賛同と参加のお願い

 たたかう仲間のみなさん。日米両政府による、米軍再編・軍事一体化、自衛隊の海外派兵と、9条改憲の動きが急速に進められています。衆院解散・総選挙による「政権交代の流れ」にかかわりなく、これらの動きは変わらず進められています。アジア人民への戦争と虐殺、65年前の敗戦、ヒロシマ・ナガサキの惨禍の歴史が消し去られようとし、ソマリヤに武装した自衛隊が出兵。米軍とともにアフガニスタンへ侵攻も想定されています。

 そして、「軍事空港反対」をかかげて44年間にわたって闘い抜かれている三里塚に、いま再び襲いかかろうとしています。成田空港と関西空港、大阪湾の軍事使用に道を開き、民衆の反戦と抵抗を潰そうというのです。

 米軍再編と戦争を進める日米両政府に対し、「反戦の砦」三里塚が大きく立ちはだかっています。それゆえに政府は、総力をあげ三里塚闘争の解体、農民追い出しにかかってきています。「土地収用法」が失効し、強権による農地強奪が破綻したいま、なりふりかまわず、ほんらい農地と耕作者を守るべき農地法によって市東孝雄さんの農地取り上げが強行されようとしています。暫定滑走路「北延伸」部分の10月に前倒し使用開始、第3の誘導路計画によって市東さんの生活、農業を破壊し、天神峰から叩き出そうというやり口です。これを許して、反戦・平和、民衆の生活と権利は守れません。10・11三里塚全国集会に一人でも多く集まり、三里塚闘争を再び三たび大高揚させましょう。

 一方で、朝鮮民主主義人民共和国の「脅威」をあおり叫ぶことを通して、実際の戦争に踏み込もうという動きが強められています。関西空港と大阪湾ベイエリアは、その重要な拠点とされ、関西空港の軍事使用がねらわれていることも明らかです。40年近く関西新空港反対運動を進めてきた湾岸住民をはじめわたしたちは、このような差別・排外主義、日本の戦争政策を許すことはできません。

 すべてのみなさん。以上の趣旨から下記要領の「9・27三里塚集会」を、三里塚芝山連合空港反対同盟との共催によって開催いたします。集会の成功に向け万障繰り合わせ、ご賛同と参集を心から訴えます。

 2009年8月

                三里塚決戦勝利関西実行委員会

市東さんの農地を守ろう!成田・関西両空港の軍事使用を許すな!

    9・27 三里塚関西集会

 10・11三里塚全国集会に総結集しよう! / 暫定滑走路「北延伸」を供用させるな! 第3の誘導路計画粉砕! / 関西空港・大阪湾ベイエリアを侵略拠点にさせない! / 日米軍事一体化、自衛隊の海外派兵、9条改憲を阻止しよう!

◆と き 9月27日(日)午後1時半~4時半Photo_2 

◆ところ 大阪市立中央会館・ホール      (右図参照/大阪市中央区島之内2-12-31)

■講演 「米軍再編と日米安保体制50年を問う」      講師・吉沢弘志さん(パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委員会、埼玉大学講師)

特別報告① 三里塚芝山連合空港反対同盟

特別報告② 永井満(関西実行委員会代表世話人)

参加・資料代カンパ 1000円。三里塚写真展も同時開催いたします。集会後、なんばまでデモ。

■主催/三里塚芝山連合空港反対同盟                              三里塚決戦勝利関西実行委員会

■集会への賛同を求めております。賛同金は、1口500円です(複数口歓迎、団体は2口以上でお願いします)。「090927.pdf」をダウンロードをクリックしていただけますと、案内状と賛同の用紙が出てきますので、そこに氏名(団体名・公表の可否)、肩書き(職業など)、住所、電話番号、Eメールなどを記入してお送りください。送り先・〒656-2401 兵庫県淡路市岩屋599-11。なお賛同は郵便振替でも結構です。郵便振替は、口座名「三里塚決戦勝利関西実行委員会」 口座番号は「00980-1-63353」。

なお、お問い合わせは、FAX/TEL 0799-72-5242 / Eメール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp

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2009年7月30日 (木)

耕作権裁判 第12回口頭弁論

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 7月27日、千葉地裁601号法廷で、反対同盟をはじめ85人の傍聴人が詰めかける中、市東さんの耕作が「不法耕作だ」として、空港会社NAAが起こした「耕作権裁判」の第12回口頭弁論が開かれました。その裁判の内容と、裁判後の記者会見・報告会について全体的には同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/ に詳しく報告されていますので、そちらをご覧ください。

 関西を代表して、私の方からは、今月末の新誘導路の供用開始前倒しと10・22北延伸部分の供用前倒し、そして第3誘導路計画の攻撃全体が、市東さんが天神峰で住んで行けなくさせる叩き出し攻撃であり、それが天神峰、東峰の更地化、三里塚闘争の解体を狙った攻撃であり、絶対に許されないことを明らかにした上で、こうした攻撃に対して闘い抜かれる10・11三里塚全国闘争に向け、9月27日、大阪で三里塚反対同盟と共催で、「市東さんの農地を守ろう! 成田・関西両空港の軍事使用を許すな! 9・27 三里塚関西集会」を開催し、なんばへのデモを行い闘い抜く決意を明らかにしました。

 以下に、市東さんと萩原さんのこの日のご挨拶を掲載します。

市東孝雄さんの挨拶

 みなさん。ご苦労様です。09727_2 7月は、いろいろと裁判、闘争と忙しい月でありました。(新誘導路)7月供用開始とともに、また新たないろいろな攻撃が加わってきています。先日の新誘導路問題、そして今日また、千葉日報に出てましたこれ、見た方もいると思いますけれど、「誘導路への字緩和」と。一坪を自分たちが手に入れたから、この問題の解決をするような言い方をして、とんでもない攻撃がこれからもあると思います。今まで通り、同じような闘い方をしていきますので、皆さんよろしくお願いいたします。

萩原進さんのまとめの挨拶

 連日の決起、ほんとうに御苦労さまです。裁判が今月に集中し、また11月にも集中しそうな気配がありますけれども。そういう中で、今日全体として見てみると、仲戸川のやりかたなど、非常な焦りを感じるわけですね。裁判の進行について空港会社側に聞いてみたりと今日でもでています。同時に、権力においても3つの攻撃が一挙に噴出してきたというような状況がありますけれども、どれをとっても非常な焦りの中でやらざるをえないというところがあるんじゃないかと。もう一つは、前倒しの問題にしても、事故を逆手に取ってという形にあるんですけれども、つい先日も尻もちをつくという事故があった形で、これは大きな報道にならなかったわけですけれども、これは大惨事を招きかねない。Save0007

 そういう状況があったわけで、そういう中で第3の誘導路建設。これを見てもね、東側に作って今供用を開始するという誘導路、これもね2か所も信号があって待たなきゃしょうがない。まあ、作っても使えない誘導路ということがあってね、第3の誘導路を作らざるを得ない。これを含めてそうですけれど、呆れてしまうようなやり方を模索してやっていくわけですね。

 今日出た「ヘの字解消なんだ」と言ってるわけですけれど、これは「ヘの字」解消にならんですよ。これは一坪だけの話しだけであって、そこには市東さんの畑もあるし、これは解消に絶対にならんわけですよ。それでも、こういう形で、完全空港なんだ、あるいはちゃんとした空港になるんだという形で言わざるを得ないということがあるんですが、今日の千葉日報でもね、「異形の空港なんだ」と、成田は。二本目の滑走路もどんどん北の方へ、はるか彼方へ持って行っちゃうわけでしょう。「平行滑走路」が平行じゃない。そこへ誘導路がない。誘導路を作るとまた十分じゃない。また新たに作らざるを得ない。そういう状況がある。

 羽田との絡み合いの問題もある。先にも言いましたけれど、もう一つは事故ですよ。これはまた絶対におきます。ウインドシアの問題。成田と関西と中部で、気象庁の観測部からデーターを取り寄せましたけれど、圧倒的に成田が多いんですよ。1年間で22日間発生している。中部では6日しかないですね。関西でも9日。とりわけ、3月、4月では4日、5日。1週間に1度は発生している。これは日にちだけであって、1日の中で何回も起きる。前々回の裁判の中で葉山さんが言ってましたけれど、08年度の成田空港では380回以上のウインドシアの発生があった。そういう発生の中で事故が発生している。彼らは何と言っているかといったら「徹底的な事故解明だ」と。「解明したってしょうがないんだ」といったら、今度は何言ったかというと「パイロットの技術的な弱さで起こったんだ」というようなことを吹聴している。JRなんかでもそうですが、みんな現場の責任。それじゃあ解決できない。しかも回数を増やしていく。そして航空法違反の状態でどんどんやっていかなきゃあならん。

 そういう中で、こんど、部落に言ってきましたけれど、ついに神社の立木(6本)が航空法違反になりました。高さ制限を超えました。切ってもらえないかと(拍手)、言ってきました。この日を待ってたんですけれども(笑い)、だったら2500メートルに延ばすんだったら引っ込めりゃあいい。

 市東さんがあそこに住み、そして営農を続けていく。そして東峰の住民が南側を押さえていく。そしてあの地で全国集会をやり、時には現地闘争を闘いぬく。そういう構図を堅持し抜き、もっともっとその輪を広げていく。闘いを広げていったら絶対につぶせますよ。そういう意味で、今の暫定を否定しちゃう。そして一気に追い詰めていく。09727_3

 株の上場、上場といってね、株式会社にしてね、今にもでもやろうとして、今だかってできないでしょう。まあ、今の不況ということもありますが、こんな状況でできっこないですよ。ましてや反対運動が強い、こういう風にあったら、買う人いなくなるんですよ。そんな中で、空港の完成なんて出来得ないですよ。

 そういう中で、市東さんの裁判は、前回の農地法の問題が出ました。不在者地主の問題が出ました。つい先日農地法の改悪が今国会を通過して改悪されたことについて、われわれは勉強会をしました。あの問題は大きな問題ですね。耕作者と権利が分けられて、実際に農民が農地を取り上げられる。そういう構造の中にたたきこまれているわけですよ。65歳以上が圧倒的に占めている。そういう構造を今まで政府は、支配者は作ってきたわけですよ。あと10年後には農民は自然に淘汰される。そういう構図の中では、食糧自給率なんて関係ないんですよ。そういう形で、日本の農民は農民としては崩壊する。農地は、法改正の名の下に、農民が持ってれば税金が高くなる、相続税は高くなる。売ればそこからも取られる。そういう形でほとんど手放さざるを得ないような状況を作っていく。

 そういう中で農地死守の闘いというのは、今農地を持った農民階層を含めた時勢にあった闘いの方向だと思う。そういう中で、闘いの主人公である労働者と共に、闘いを一緒になって作っていく、そういう構造を大きく、大胆に展開していく。それが今の三里塚闘争じゃないのか。その最先端に市東さんの闘いがある。それは名目は市東さんの闘いだけれど、大きくは全国の農民の闘いであるし、そのことが労働者の闘いとしてそこに存在しているということを捉えていただいて、三里塚闘争の勝利を確信して闘い抜いていきたい。その一つの具体的闘いとして本日あったんだということをとらえていただきたいと思います。

 ほんとうに御苦労さまでした。これからも闘いがありますが、この一つ一つの闘いで、奴らを追い詰めて、追い詰めていこう。確かに奴らの土俵です。裁判官の結論は出てるかもしれない。しかし、結論が出てても、彼の顔色を変えさせ、早く早く公判廷を切り上げたい切り上げたいという衝動を持たせて、三里塚の闘い、三里塚の裁判所にして闘いを展開していきたい。以上です。

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2009年7月26日 (日)

辺野古大阪行動と伊丹自衛隊への申し入れ

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 昨日、25日は、高江の記事をブログに掲載していて、「辺野古に基地を絶対につくらせない!大阪行動」の署名活動を思いだし、大阪駅へ。1時間半のビラまきと、10分余りマイクを持って話させていただきました。この署名、ビラまき活動を毎週土曜日にやっておられることに脱帽。この日も15人ほどの参加でした。09725_2

 ビラをまきながら、わたし達三里塚を取り組んでいる者も、報道をしなくなったマスコミのせいだけにするのではなく、私たち自身の力で、三里塚を広く伝え、訴えていくことの必要性を強く感じました。

 しかし、この暑さで委細かまわずジュゴンのぬいぐるみを着て、子供たちや、若い女性に喜ばれているHさんの、汗まみれになりながらの努力には、感心(右写真)。

 今日26日は、百万署名運動のKさんの車に乗せてもらって、伊丹にある陸上自衛隊の基地に申し入れ行動。雨かなと思っていたのですが、幸い薄日が差す天気で、頑張れました。7人が参加。「とめよう戦争!百万人署名運動兵庫県連絡会」「とめよう戦争への道!百万人署名運動関西連絡会」「元自衛官連絡会」の3団体が、自衛隊に申し入れ書を読んで手渡しました。参加したのは7人。09726_2

 代表して、「元自衛官連絡会」の申し入れ書をご紹介します。

申し入れ

 千僧駐屯地の第3師団の皆さん。

 私たちは、自衛隊の海外派兵に反対し、自衛隊の人権確立を訴えて活動する、元自衛官連絡会です。

 隊内で頻発する「いじめ」やパワハラに悩む自衛官支援を行っています。

 現在、護衛艦「たちかぜ」で起こった「いじめ自殺訴訟」が横浜地裁(水野邦夫裁判)で口頭弁論が行われています。7月8日被告国・防衛省側は、「自殺」の原因が「被害者の風俗遊びの結果、借金苦であった。それは自殺した隊員の親友への事情聴取で判明した。親友の自宅へは04年に電話して父親と親友の隊員に聴取した」と当時砲雷長の3等海佐が証言しました。しかし裁判を傍聴していたその親友は、「私の父親は03年には既に死亡しており、私自身電話など受けたことがない」と抗議しました。自殺隊員(当時21歳)の遺族が「自殺はいじめが原因」と国家賠償を求め、8日にはいじめ被害にあった現役隊員らが証言に立ちました。先輩隊員による「日常的なエアガンによるいじめ」が原因で「自殺」したと証言しました。国が「風俗遊びによる借金苦」と事実を180度逆さまに描く証言が、偽証であることが浮かび上がってきました。09726_3

 死者を冒涜する、国の卑劣な偽証は到底許せません。真相解明と自衛隊の謝罪を求める遺族の切なる願いを、これでもかと踏みにじる防衛省・国を徹底的に断罪します。事件の舞台となった横須賀の元自衛艦「たちかぜ」は事件の後退役して、ミサイルの標的艦となってひそかに出港し闇に葬られました。事件の風化は絶対許されません。

 さて、戦前の侵略戦争を正当化した田母神・前航空幕僚長が、全国で講演を続けています。佐世保では「日本に発言力がないのは核兵器がないからだ」と、日本の核武装を主張したと言われています。

 その田母神が8月6日の原爆記念日に広島市で、「ヒロシマの平和を疑う」と題した講演会を予定している。秋葉忠利市長は6月29日、「被爆者ら市民の心情に配慮して日程変更をしてもらいたい」と、田母神と「日本平和会議」に要請しました。

 講演は午後6時から、原爆ドーム近くのメルパルク広場で開催されます。09726_4

 要請には、「広島における8月6日の意味は表現の自由と同様に重要」であり、当日は「原爆死没者の霊を慰め世界の恒久平和を祈念する掛け替えのない日」です。

 「ヒロシマの平和を疑う」という演題の講演は「被害者や遺族の悲しみをいやが上にも増す結果になりかねない」と訴えています。田母神と日本会議の8・6ヒロシマの蹂躙を許してはならない。

 ソマリア派兵の自衛隊3軍を撤退させよ。PAC3配備、あいばの配備を阻止しましょう。憲法違反の海外派兵に隊内外から反対の声を上げましょう。総選挙で、改憲派・新自由主義派を落としましょう。

 自衛隊の「いじめ」「パワハラ」をただちにやめさせ、隊内に人権を確立すべきです。

      申し入れ事項

1.「海賊」を口実とした海上自衛隊のソマリア派兵に反対です。「海賊対処新法」を廃案にせよ。

2.PAC3 あいば野配備反対。市街地へのPAC3移動・配備に反対します。

3.インド洋給油テロ特措法をただちに撤廃し、自衛隊3軍をただちに撤退させよ。

4.隊内いじめを直ちに止めよ。海自・特別警備隊の「集団暴行死」の責任者たちを厳正に処罰せよ。特別警備隊の海外派兵を絶対許さない。09726_5

5.イラク派兵隊員の劣化ウラン被爆や精神被害への健康診断を実施し、責任をもって被害補償せよ。

6.自衛隊内に人権を保障し、隊内民主主義を確立せよ。派兵拒否の自由を補償せよ。

以上、申し入れます。

 さて、今晩から出発して、明日は市東孝雄さんの農地をめぐる「耕作権裁判」です。そのあと、所要があって帰ってくるのは28日の夜。ブログは、いったんお休みです。よろしく。

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2009年7月25日 (土)

沖縄・高江ピースウォーク2009

09724  昨日の「辺野古浜通信」http://henoko.ti-da.net/を見ていて、高江の佐久間さんなど、高江の座り込みをしている住民を中心に、この23日高江から27日那覇までの「高江ピースウォーク」が行われているのだ(左写真は、「辺野古浜通信」から転載)。

 7月27日、那覇地裁で高江ヘリパッド「通行妨害仮処分申立事件」第5回審尋が開かれるので、それに向けて歩いているのです。今日は、石川市を歩いておられるようです。(詳しくはブログ「やんばる東村 高江の現状」http://takae.ti-da.net/をご覧ください。)

 もう使わなくなった国頭の演習場などの返還を理由に、高江の村を取り囲むようにV-22オスプレイの離発着訓練のためのヘリパッド(従来のものの2倍近い)を6ヶ所も作ることを、沖縄防衛局が突然通告してきた。高江の皆さんはちょうど丸2年、工事をさせないための座り込みを行っています。沖縄防衛局は、この座り込みを「通行妨害」として村民14名を訴えるとともに、座り込みのテント撤去を仮処分申請してきたその審尋がすでに4回行われ、この27日に裁判所の判断が示されるというのです。

 09523 「やんばる東村 高江の現状」ブログには、こう書かれています。「『歩こう!』裁判所まで。他に何かできるわけじゃないし、得意じゃない。でも、身体をつかって表したい。そんなひとつの唐突なアイデアが沸き上がり、検討を重ね、実行をすることにしました。題して『高江ピースウォーク2009』」と。

 私は、今年の1月29日と、そして三里塚の萩原進さん、市東孝雄さんと5月23日に、この高江、そして第1ゲートの佐久間さんを訪れました(右写真は、第1ゲートで萩原さんと佐久間さん)。辺野古、そして高江の住民の闘いは、米軍再編に真っ向から立ち向かった厳しい闘いです。ですから、沖縄防衛局によるこんなでたらめなとんでもない「申立て」が起こります。それは三里塚と共通すると市東さんもその場でおっしゃっておられました。

 「辺野古浜通信」を見て、驚くとともに、思わず激励の意味を込めこの記事を書いています。みなさんも、高江に、辺野古に激励の一言を。

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今週の産直野菜

09725

 珍しく今日は早く届いた産直野菜です。じゃがいも、玉ねぎ、なす、キュウリ、ピーマン、オクラ、セロリ、とうもろこし。

 やっと届いた。とうもろこし。早速、お昼に、「野菜だより」にあるように、まず「水からゆでて3分」。これでいこう。それにセロリが最終とか。諦めていたので、思わず二コリ。このジュースが美味しい。はまってしまった。人参がなくなったので、仕方ない、買ってくるか? 毎日、キュウリ漬けになっていたのが、やっとなくなったところ。2本で、ほっ。小玉ねぎをそのまま、だしと醤油味で煮たら結構いけたです。でも、まだまだ先週のがある・・・。

 「野菜だより」によれば、三里塚は依然、変な天候のようです。気温も、関西ではこの時期にしたら異常に低い。野菜の生育に大丈夫だろうかと心配になる。

 実は、来週の週末、8月1日に、11回目になる大阪湾の海洋環境調査です。大潮の日に、強い潮の流れに乗りながら、大阪湾で半日かけて海の環境の調査をします。この時期にするのは、夏の高温で、海面が高い温度になる。海底が低い温度で、その温度差が大きいため海底と海面の水の交換がなくなり、海底の状態が固定されてその汚染状態がよくわかる。潮の流れがあれば、酸素を十分含んだ海水が供給され、海底もいろいろな生きものが元気に棲んでいる。 ところが、潮の流れがないと酸素を含んだ海水が供給されないため、海底は貧酸素状態になる。0882_3 神戸空港の埋め立てによって、それまで明石海峡からの強い潮の流れがあった大阪湾奥部(神戸空港から東側)に潮の流れが来なくなり、この10年で一気に悪くなっている。淀川からの大量の汚染水の流入と重なって、西宮沖あいでは、汚染に強いゴカイすら生きていけない、生き物がいない海底になっています。ついに、これまで大阪湾で発生したことがない(先ほどの強い潮の流れがあったから)「青潮」が5年ほど前から発生しだしました。発生すれば、周辺の海に棲むすべての生き物が、数千、数万の貝が、かにが、魚が死に絶えます。こんな汚れた海に、こんなに生き物がいたんだと驚かされるほどの死骸が、海一面に浮かんできます。まさに地獄絵です。(右上写真が、昨年8月2日の第10回海洋環境調査の子供も参加した作業の様子、中央の黄色いシャツの人物が、指導する讃岐田訓神戸空港の中止を求める市民の会代表(京都学園大学教授)です。)

 この8月1日に、9年目、11回目の調査があるのですが、気温が上がらず、おまけに連日の残り梅雨の雨で、海面の水温が上がっていないと思われます。さて、どんな調査結果が出るでしょうか。自然相手ですから、これだけは・・・。

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2009年7月23日 (木)

市東さんと農地を守る裁判闘争傍聴報告

09721  写真は、裁判後の記者会見で挨拶する市東孝雄さん(左から4人目 7月21日)

 7月21日、千葉地裁601号法廷で「行政訴訟第8回口頭弁論」と「農地法裁判第3回口頭弁論」が行われました。

裁判前に「申し入れ」行動がたたかわれる

 この日は、裁判に先立って「反対同盟の申し入れ」が行われました。これは、天神峰現闘本部裁判において、6月25日に突如審理打ち切りを決定した仲戸川裁判長のデタラメきわまりない訴訟指揮に対する怒りの申し入れ行動です。

 うその証言をした石橋、法理の二人の証人をかばい、現闘本部小屋の現場検証を拒否する仲戸川裁判長の意図は、「これ以上裁判を続ければ負ける」と認識した国、空港会社NAAに助け舟を出すものです。このような悪あがきは、反対同盟と弁護団の正義の追及が彼らを追い詰めている証拠であり、すでに裁判で勝ちきっていることを示しています。09721_2

 申し入れ行動にあてられた423号法廷では、北原事務局長が「真実を封印したまま審理を終わることはできない」との申し入れ書を、火を吐くような勢いで読み上げました。そして萩原さん、市東さん、鈴木さんらの反対同盟の皆さんと弁護団、支援一体となって裁判所書記官に怒りをぶっつけました。(右写真)

 この反対同盟の決意あふれる姿勢を受けて、続いて開かれた二つの裁判では、傍聴席から裁判官やNAA、千葉県に対し抗議の声があいつぎ、裁判長の「発言禁止」をはねのけ怒りの法廷になりました。

農地法違反の「不在地主」

 行政訴訟第8回口頭弁論では、弁護団は先ず「NAA(旧空港公団)は不在地主であり、農地法違反だ」と厳しく詰め寄りました。097216

 農地法第6条では、「国以外の者は、何人も次に掲げる小作地を所有してはならない」として、1項で「その所有者の住所のある市町村の区域の外にある小作地」を所有してはならないことを明記していますが、当時の空港公団は東京に住所がありながら、「市東さんの農地を買った」という彼らは明らかに農地法違反です。さらに、NAAが農業をする団体でないことは明白であり、事業認定が失効して「強制収用」できないにも関わらず、法律を破って土地を騙し取っていたのです。そもそも買えない小作地であるということは、「取得無効」であり、もとに戻すべきでしょう。この一点からも、市東さんが勝訴することは明白です。この事実を次回口頭弁論でNAA側がどのように弁解するか楽しみです。

8項目の準備書面を陳述

 先の行政訴訟で「不在地主」の違法性を追求した弁護団は、続いて開かれた農地法裁判第3回口頭弁論で、8項目の準備書面を陳述し、「小作人の同意書も取っていない契約は無効だ。憲法41条に明らかに違反している。農地転用手続きも放置してきた」など、NAAや千葉県の不正義を暴きました。

 原告代理人たちは、「準備書面で次回反論」という言葉をくりかえすのみで、途中「証拠書類を原告弁護士からもらっていない」失態を演じる一幕があり、反対同盟が押しまくっていることを感じました。

 久しぶりに傍聴にかけつけて、新しい建物や法廷にびっくりしましたが、傍聴券を配布する官吏たちの硬直した態度、裁判官の不誠実な姿勢は何一つ変わらず、この連中にこそ基本的人権を守らせなければならない、と、強く思いました。この裁判を勝利する大切さは、市東さんを守ることは憲法を守ることに通じる、市東さんの農地を守ることは日本の農業を守ることに通じる、三里塚の闘いに勝利することは日本の侵略戦争を阻止することに通じる、いろいろな思いを感じた裁判でした。

 なお、この日は、裁判終了後には記者会見のみで、いつもの「報告集会」はありませんでした。その記者会見の冒頭、市東さんは「3本目の誘導路は絶対許せない。裁判ではこちらの有利な証拠が出てきたが油断せずにがんばろう」との決意表明がありました。この決意に応え抜くためにも、9・27三里塚関西集会とデモを成功させ、10・11三里塚全国集会へのうねりを生みだしましょう。

 なお、この2つの裁判の次回口頭弁論は、10月20日(火)です。全力で、傍聴闘争に駆け付けよう。

          関西実行委員会事務局次長  安藤眞一

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2009年7月22日 (水)

7月27日 耕作権裁判第12回口頭弁論を傍聴しよう

09511   写真は、前回の耕作権裁判(5月11日)の傍聴券配布を待つ反対同盟、支援のみなさん。

 7月27日、市東さんの耕作をめぐる「耕作権裁判」の第12回口頭弁論が開かれます。この裁判は 当ブログの5月9日の記事 http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-e405.html に詳しく説明をしておりますが、空港会社NAAが市東さんの耕作権(右写真のB、Dの土地)を解除申請し、それを不当、違法にも堂本千葉県知事が許可決定したことを受けPhoto て、残ったA、Cの耕作地は賃貸されていないので不法耕作だと強弁して、NAAが返還を求めているものです。こんなでたらめな提訴が許されるのかと怒りを行くたびに覚えます。しかし、そのデタラメさがひどいのと、やはり三里塚闘争故の凄さでしょうか、前回の公判の報告会の様子を、5月12日以降、3回にわたって当ブログで掲載 http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/1111-984d.html していますが、本当に面白い。民事裁判にいくつも関わってきましたが、こんなに判り易く、面白い裁判はない。それは弁護団と反対同盟の、「敵の土俵も、自分たちの土俵に変えていく」という「非妥協、実力闘争」の精神で貫かれた闘争方針によって勝ち取られてきたものなのです。

 昨日の市東さんの農地をめぐる「農地法裁判」「行政訴訟」の口頭弁論後の記者会見で市東さんは「7月4日に報道された3本目の誘導路計画は絶対許せない攻撃」と想いを語っておられます。「第3誘導路」建設は、「へ」の字誘導路部分をそのままにしていることから、ただただ市東さんの居宅を空港施設で完全に包囲し、凄まじい爆音などによって市東さんの生活を破壊することを通して「叩き出そう」というとんでもない、卑劣きわまる攻撃です。違法、不当な訴訟指揮で現場検証も行わず、最重要証人への反対尋問の権利も強奪して結審、判決を強行しようとする天神峰現闘本部裁判もまた、市東さんの南台の農地を孤立させようとするものです。今、国、空港会社は、市東さんを「生きていけなくさせる」「叩き出す」ことに三里塚闘争解体への唯一の水路として、総力で襲いかかろうとしているのです。こんなことが、どうして許せるでしょうか。F

 反対同盟は、この7月末の新誘導路供用開始と、この10月22日に強行されようとする暫定滑走路の北延伸部分の前倒し攻撃を、こうした市東さんへの集中砲火の開始と受け止め、現地闘争の爆発と、そしてそれと一体のものとしての市東さんの農地をめぐる裁判闘争の爆発を訴えておられます。

 一つ一つの口頭弁論が、こうした決戦の白熱した戦場となっているのです。市東さんの農地をめぐる裁判への傍聴闘争が決定的に重要になっています。昨日に続いて、27日の裁判へ全力で傍聴に駆け付けよう。 

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2009年7月19日 (日)

今週の産直野菜(7月18日)

09718  昨日は、大阪での在特会への抗議行動と、神戸での「星野文昭さんを救う会」の街頭署名活動とそのあとの打ち合わせで、帰って来たのが7時前。産直野菜が届いたのが午後9時過ぎ。

 箱が一回り小さいのは、先週もそうだったが、渡されて軽さに思わず「ん??」。

 開けたら、小玉ネギ、なす、オクラ、キュウリ、ピーマンの5品。最近の「農家便り」から伝わってくる三里塚の様子に不安があったのですが、やっぱり。

 梅雨の不順な天候で痛み出したところへ、強風と乾燥で野菜が受難と「野菜だより」が伝えている。

 気の弱い(と自分では思っている)私だったら、こんなたびに落ち込んで、気がめいっているのでは・・・・。もうすぐ夏の端境期に入るし・・・・。

 それでも、三里塚反対同盟のみなさんは、「不屈・非妥協」で闘い抜きながら、無農薬・有機農法に全力で取り組んでいる。そして全国の農民が、農業破壊・切り捨ての国の政策に怒って決起するよう呼び掛けておられる。しかも、第3誘導路の攻撃など、悪辣きわまる闘争破壊、「市東さん叩き出し」の攻撃に対して、悠然と構えておられる。

 先週から玉ねぎ、じゃがいも、キャベツ、ピーマン、なすが少しづつ残ってきていたので、頑張って食べよう。しかし、玉ねぎがちょっと多いなぁ~、毎日食べても追い付かない? それに、来週も入ってくるよう・・・。風通しのいい涼しい所に置いておけば保存がきくとは言うけれど・・・。町中の団地暮らしで、そんな場所?とついつい弱音が・・・。

 明日は、湾岸住民団体の研修会。この1年の総括と、新しい1年に向けた討論をやります。そして21日と27日に市東さんの3つの裁判。ごじゃごじゃ言ってないで、頑張ろう!

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2009年7月18日 (土)

在特会・救う会などの差別・排外主義を許さない集会に参加

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 昨日、メールで今日、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の集会とデモが大阪の鶴橋で行われることに抗議して、その直前に緊急の集会とデモが呼びかけられ参加してきました。

 在特会の呼びかけは、「許していいのか、北朝鮮の横暴! 在日北朝鮮の横暴!」というものです。もともと大阪でも在日の皆さんが多く生活をしておられる鶴橋に襲撃をかけたようなものであることは明らか。

 会場の北鶴ふれあい公園には、緊急の呼びかけだったにもかかわらず、暑い中100名近い人々が集まった。呼びかけたアジア共同行動や釜ヶ崎パトロー09718_3 ルの会などから次々と想いが語られる。

 在日の存在の歴史的な経緯を無視した排外主義の絶叫は、何よりも、60年前の戦争責任、100年前の侵略の犯罪を不問にしたことから起こっている私たち日本人の問題です。しかも、在特会や「つくる会」に見られる歴史のねつ造が、そうした私たち日本人のあり様を開き直るだけでなく、田母神に象徴されるように、新たな侵略とアジアへの戦争衝動のなせることであることは明らかです。こんなことが許せるはずがありません。

 在特会は、20日には九州、福岡でも同じような行動に出ようとしています。アメリカと日本による戦争挑発に追い詰められた共和国(北朝鮮)の反発に対する、排外主義を根拠としたこのような攻撃は、すでに日本政府による入管法、住基法などの改悪が今国会で先日強行されたように、在日外国人の人権を認09718_4 めない日本の在り方の問題であり断じて許されません。

 集会後、鶴橋駅周辺を約1時間かけてデモを行い、周辺の住民の皆さんに「在特会の攻撃、襲撃を許さない」「すべての人に自由を」と呼びかけました。

 この日は、神戸で「兵庫・星野文昭さんを救う会」の街頭宣伝・署名活動があり、在特会のデモや街宣に抗議したいと思いながら、鶴橋を後にしました。

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2009年7月16日 (木)

市東さんの農地を守ろう! 裁判傍聴へ!

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 市東孝雄さんへの集中的ともいえる追い出し、農地強奪の攻撃として新たにかけられた第3誘導路建設の攻撃は、そのデタラメさ、乱暴さからいって、かってないものです。当ブログの記事http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-e3c8.htmlに詳しくありますので、それを是非ご覧ください。昨日「市東さんの農地取り上げに反対する会」ブログに、わかりやすい写真が掲載されましたので、早速転載しました。(ただ、「開拓組合道路」の南側に、この7月末供用開始の強行が目論まれている新誘導路がありません。多分、2~3年前の写真でしょうね。)

 さて、その市東さんから農地を強奪しようと06年9月、空港会社NAAから出されていた「耕作権解除申請」を受理し、許可決定を下すという許し難い攻撃が、堂本千葉県知事(当時)によって行われました。これに基づいて、昨年秋、NAAによる「土地明け渡し」を求めて提訴されたのが「農地法裁判」。逆に、一昨年秋、市東孝雄さんによって千葉県を被告として、許可決定の取り消しを求め提訴されたのが「農地強奪阻止行政訴訟」です。

 同じ堂本千葉県知事の許可決定をめぐって、市東さんとNAA、千葉県との間で争うのですから、当然、この二つの裁判は併合されるのが自然の理です。しかし、開き直りあくまで農地法で農地を強奪しようとする国家意思を受けて、NAA、千葉県は併合を拒否し、収用委員会の代わりを務めようとする千葉地裁は又、このNAAと千葉県の主張を根拠に、併合を認めず、同じ日に法廷を開くというペテンで乗り切ろうとしています。

 7月21日(火)午前10時30分から「行政訴訟」が、そして同11時10分から「農地法裁判」が開かれるというこの事態自体が、農地強奪をたくらむNAA、千09421 葉県、千葉地裁の野合の産物であり、許されるものではありません。法廷の中での論争としては、事実を捻じ曲げ、該当する農地の特定自体がでたらめというNAA、千葉県、そして許可決定それ自体を追い詰めているものの、天神峰現闘本部裁判で仲戸川裁判長が示した滅茶苦茶としか言いようのない訴訟指揮を支える千葉地裁ということを考えるならば、この「分離裁判」という現実を怒りをもって挑まなければならないと思います。(右写真は、09年4月21日 農地法裁判のあとの報告会での市東孝雄さん)

 いや、7月27日に開かれる市東さんの農地をめぐる「耕作権裁判」自体も、この許可決定における農地特定のデタラメ、誤りを前提として提訴されたのですから、一体のものとして粉砕されるべきであることは明らかです。

 この3つの裁判を並行して闘うこと自体が市東孝雄さんにとって、いかに重大な生活破壊を含む重圧となっているかを、私たちは受け止めなければならないのではないでしょうか。そして、裁判闘争を現地闘争の一環として闘うという同盟の方針から言っても、これらの市東さんの3つの裁判を、市東さんの農地を守る闘いとして決定的に重視し、傍聴闘争の充実、爆発を勝ち取らなければならないでしょう。先ずは、7月21日午前9時半(傍聴券配布のため)、千葉地裁601号法廷へ!  

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2009年7月13日 (月)

ききたい つなげたい 8・6ヒロシマを

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 昨日、7月12日、「ききたい つなげたい 8・6ヒロシマを 7・12講演集会」に参加した。1945年8月6日、上の写真の黒コゲになった電車に乗っていて被爆した米澤鐡志さん(当時小5、現在75歳)のお話しを聞いた。Img_0752

 米澤さんは、日中戦争から太平洋戦争、そして1945年に至る時代背景を、まず、丁寧に話された。ご自分の疎開体験や「国賊」とされ、医者でありながら徴兵され、フィリッピンで逃げ回る体験をされた父親の話しを交えながら。

 たまたま疎開先から広島に荷物を取りに帰った母親と一緒に8月6日、自宅に向かうぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗っていて爆心地から750メートルのところで被爆。重なり合う人のおかげなどいくつもの条件で、母親とともに爆風による窓のガラスや、放射能による死亡(この地点では8割が死亡)から免れ、その日夕刻まで彷徨し、火災などからも逃れながらその日のうちにヒロシマを離れ、親戚に救出された。その過程で目にされた生々しい被災者の惨状を、今だに忘れられないと、具体的に語り続けられた。半そでシャツのところから剝けた皮膚が手の先の爪で止まり、垂れ下ったまま両手を差し出し、水を求めて川に次々と入って亡くなって行く中学1年生たち。たまたま軍隊の重傷者を運ぶトラックに助けあげられ、そこで見た、飛びだした目玉を手で添えているおばあちゃん。などなど。ご自身とお母さんも、非常に喉が渇くので水を飲もうとするたびに激しい嘔吐。助け出されてから40度の高熱と嘔吐、そして母親とともに頭の毛が全て抜けてしまう。母親は9月に亡くなる。そしてその母の乳を飲んでいた一番下の妹(2歳)は、年末に亡くなった。ご本人は奇跡的に助かったものの、毛の抜けた頭をからかわれ差別された。・・・・。とつとつと語られるその被爆体験の凄まじさに、聞いている私の気持ちも重くなる。

 戦後、中学校に行って、親しかった朝鮮人の友人たちが一人を除いていないことに気づいたという。自分たち日本人の小学生は疎開できたが、田舎に知人もいない朝鮮人は疎開を許されなかった。5万人いた朝鮮人のうち3万人が被爆死(被爆後の市内での生活によって死んだ人も含め)していたのだ。実に6割だ。日本人は3割の11万人。この差は、朝鮮人差別そのものでなくてなんだという告発。そして日本の戦争責任を語られた。「1億総懺悔」ということばで回避された戦争責任問題を告発された。09712

 後半の質疑の中で、戦後の中学、高校時代からの被爆体験に基づいたご自身の60歳定年までの様々な闘いの軌跡の断片もこれまた非常に示唆に富み面白かった。そして、定年退職後、被爆体験の語り部として余生を送って行くのだという想いを語られた。

 この日の集会を準備された若い労働者のみなさん。本当に御苦労さまでした。会場をいっぱいにする参加者の熱気がすごく、大成功でしたね。

 この8月6日には、2つの取り組みが予定されています。時間的にずれていますので、両方参加することができます。

① 被爆64周年8・6ヒロシマの集い

8月6日12時30分開会 / 会場・広島厚生年金会館・銀河 / 証言・被差別部落、在日朝鮮人被爆者、藤本安馬(大久野島元毒ガス工場工員)、重慶第爆撃訴訟原告 / パネルディスカッション 沖縄・知花昌一さんなど / アピールなど / 参加費 1000円

② ヒロシマ ― 平和の夕べ ―

8月6日午後5時半開会 / 広島YMCA国際文化ホール / 平和講演・河野美代子(産婦人科医、被爆2世)-ヒロシマの継承と連帯を考える- / 空襲の地より・青木忠 / リレートーク・米澤鐡志さんなど / 参加費 1000円

 さらに翌日、8月7日には、最初の写真の被爆電車(台車が保存され、改装されたもの)に乗って電車内被爆者の唯一の生き残りである米澤鐡志さんの講演を電車に乗りながらお聞きします。午前10時半、広島駅集合。日赤病院まで。午後1時ごろ解散の予定。

 みなさん。8・6ヒロシマに行きましょう。前日11日の神戸空港の中止を求める市民の会の例会でも「8・6ヒロシマと私」と題した竹田雅博さんの特別報告があり、二日間、「ヒロシマ」漬けでした。

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2009年7月11日 (土)

今週の産直野菜(7月11日)

09711  今週の野菜がやっと今、届きました。「父の日」とか「お中元」とかなにかあると、一気に荷物の着くのが遅くなる。今日も、これから「神戸空港の中止を求める市民の会」の例会があるので、催促してやっとこの時間。クロネコも人減らしして、労働者の負担が大きくなっているんでしょうね。

 今週は、ジャガイモ、なす、にんにく、キュウリ、ピーマン、セロリ、キャベツの7品。今週は、5日の現地闘争、それに母の葬儀と動いたためにキャベツがまるまる残ってしまったので、さあ、大変。がんばって毎日キャベツを食べましょう。キュウリもまだあり、ご近所かな?

 しかし、昨日の「農家便り」で伝わっていますが、三里塚は強風で大変なよう。特に鈴木さんのところは11ヶ所の畑が離れているから、見て回るだけでも大変。思わず心配します。何の役にも立たないのですが・・・。

 それに今日の「野菜だより」では、雨の湿気のために干していたにんにくに痛みが出ている模様。本当に大変。6月8日の援農のおりに3軒ともにんにくの「ハネ」をのけて10本づつきれいなのをまとめて干す作業をしたのですが、あのきれいなにんにくが傷んだんですね。残念!今度はあの塊が来るのだと期待していたら小袋に入ったバラがきたので、「何で?」と思わずおもったのです。

 ほんとにいろいろありますね。

 新誘導路の供用開始、10月22日の北延伸部分の前倒し共用。そして3本目の誘導路計画と、とりわけ市東さんへの攻撃が、農地取り上げの攻撃と一体となって強まっています。産直野菜をしっかり食べて、周りの人に三里塚の闘いと暮らし、営農をしっかりと伝えていきましょう。

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2009年7月 8日 (水)

(第3)新誘導路計画のデタラメさ! 断じて許せない!

Pk2009070402100142_size0_4  上の写真(図面)は東京新聞WEBより転載

 暫定滑走路北延伸部分を半年も前倒しして、この秋、10月22日に供用開始する前提として、空港会社NAAは、東峰の森を違法に伐採して建設した新誘導路(上の図で「2本目の誘導路」)の供用開始を、当初予定よりも10か月も前倒しして、この7月に供用を開始すると宣言してきた。7月5日、このNAAの挑発的な攻撃に対し、緊急闘争でありながら、現地に350人が結集して怒りの声を上げた。

 所がNAAは、なんと、その前日の7月4日、第3の誘導路を建設することを公0975 表した(東京新聞報道)。 この誘導路計画は、空港敷地をはみ出して作られることになり(上図より明らかなように「2本目の誘導路」も敷地外に作られている)、それ自体が違法である。(右写真は、7・5現地闘争で訴える市東孝雄さん)

 この4月22日、NAAは東峰の6戸を訪問し、新誘導路の7月供用開始と10月22日北延伸部分の供用開始という「前倒し計画」を叩きつけてきた。東峰住民に130ホーンの爆音を叩きつけるという宣言だ。そこでは着陸機はすべてB誘導路(1本目の誘導路=市東さんの自宅や畑の東側)を使うことになっていた。それがなぜ、「3本目の誘導路」なのか。B誘導路が東峰部落の開拓道路(集会時に自動車の駐車場代わりによく使われる)や畑などにさえぎられて、曲がっている上に狭いのだ。それで、ジャンボを飛ばすぞと脅しながら、飛ばせないことが分かったのだ! 「つぎはぎの空港」と言われるこのNAA、国のデタラメさ、行き当たりばったりの空港計画に改めて怒りがこみ上げてくる。

 しかし、それがNAA、国のデタラメさを示すにしろ、この「3本目の誘導路」は、市東さんの居宅の西側わずか100メートル足らずの直近を通っていくのだ。そうすると、市東さんの居宅と天神峰の畑や離れ、作業場は、完全に空港敷地に囲い込まれてしまうことになるのだ。しかも、直近を誘導路を自走する航空機の爆音と臭いに悩まされることになる。

 昨年12月17日に開かれた「暫定滑走路認可取消訴訟控訴審」の法廷に立った市東孝雄さんは、航空機騒音の様々な被害を告発した上で、「誘導路を自走している時の騒音の方が不快感がある」と訴えておられる。この「3本目の滑走路」とジャンボジェットの使用は、こうした市東さんの日々の暮らしへの重大な破壊につながるということだ。つまり、「3本目の誘導路」計画のデタラメさの根拠は、何より市東さんを追い出したいということがあるのだ。こんなことが許せるか。F

 この計画なしに、4月22日の彼らの公表が行われたことが何よりもこのことを物語っている。しかも、図面で明らかなように、わざわざ「反対派の畑と建物」と表記せざるを得ないように誘導路の「ヘ」の字部分を残したままのこの「3本目の誘導路」の建設は、何一つ彼らが言う所の「解決」にならないことは明らかだ。市東さんの生活を脅かし叩き出したいということに計画の最大の狙いがあることはあまりにも明らかだ。こんなことをどうして許せようか! 市東さんの農地の強奪、このことが目的でなくて、こんな計画は存在しないのだ。こんなインチキな底の浅い土地取り上げの策動を許してなるものか!

 ここにも、7月新誘導路供用開始、10月22日北延伸部分の前倒し供用攻撃の反動的たくらみが見え隠れしている。国、NAAは市東さんの叩き出し、農地強奪に一切の照準を合わせ、東峰部落と天神峰部落の一掃、更地化、限りなく4000メートルに近い滑走路の建設へと走ろうと、「決戦」を挑んできたのだ!

 みなさん。こんなでたらめを許せるか! 断じて許せない! 農地法で農地強奪を図ること自体が、改憲攻撃そのものだ。天神峰現闘本部の取り上げのための結審攻撃、仲戸川裁判長、千葉地裁、千葉県、国家権力一体となったこの攻撃こそ、その悪辣きわまる農地強奪攻撃、改憲攻撃を行うためのものでしかない。断じて許されない。私たちの方の態勢は、まだまだ不十分だ! 事態の深刻さと緊急性、そして決戦性を一人でも多くの方が理解していただけることを、心から訴える!

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2009年7月 7日 (火)

7・5三里塚現地集会での萩原進さんのまとめ

0975  写真は、7・5三里塚現地闘争でまとめの挨拶をする萩原進反対同盟事務局次長(後姿)

萩原進さん(三里塚反対同盟事務局次長)

 緊急闘争に近い形での集会で、予想をはるかに上回る結集、本当にありがとうございます。この場での「打ち合わせ」のまとめとして。

 大きくは、今日の戦争への道、それに対する三里塚の持つ軍事空港反対の闘いをますます押し進めていかなければならないだろう。朝鮮半島における一触即発の現在の状況の中で、ミサイルの一斉配備をするんだとか、北朝鮮船舶の追尾だとか、それらによる戦争挑発の色合いすらある。また一方では海賊対処法だとか、田母神が全国的に講演をやるとか、国鉄民営化などをやりながら、いろいろな法律が改悪され、労基法、教育基本法が改悪され、そして今日、0975_2 農地法が今国会で改悪され、そういう中で今までの大転換がはかられ、憲法改悪が企まれ、地方制度が改悪されて道州制が導入される、こういう大きな問題が我々の所にかかっている。

 しかし、戦争をやることの準備をするだけでも大変なんです。これだけやんなきゃしょうがない。しかも、こういう闘う部隊がいるわけです。いわゆる城内平和を作るためには、こんな三里塚勢力、三里塚闘争なんてのをなくさなければ戦争できないんですよ。この点から見ても三里塚闘争の重要性ってのがあるんじゃないか。我々が掲げている軍事空港粉砕の闘いはまさに正義であり、戦争反対の闘い、そしてこの旗がもっともっと高く掲げられて・・・。このことが非常に重要な位置を占めてるんだということが先ず第1点として訴えたい。

 第2点目には、やはり三里塚の情勢です。先ほど出ました3本目の誘導路の問題があります。先の堂本千葉県知事が、東峰や天神峰を見て「ここは人が住める状況じゃない」と言ったんだが、誰がこの状況を作ったんだ。市東さんは、生活の糧である土地を奪われようとしてるわけですよ。それを嫌だといったら、実力で取られるわけですよ。今度は、飛行場の中に囲い込まれて、生活そのもの、寝起きそのものまで24時間その中に叩き込まれるんですね。これは何かと言ったら、天神峰や東峰の住民はここにいたら駄目なんだということを物語ってるんですよ。それは大きくは、三里塚闘争そのものがここにあっては駄目なんだと、何としても消さなきゃならん、そういう願望の下に3本目の誘導路建設が図られているんだと、この重要性を考えていただきたい。0975_3

 そして、先ほどから言われているように、市東さんを先頭にする裁判闘争、農地強奪の裁判と現闘本部裁判、一坪裁判があります。まさに今の司法反動の頂点に立った攻撃としてあるわけですね。だったら、われわれは階級裁判として受けて立つ。そして断固それをね、たとえ連中の土俵であろうと何であろうと、我々の方に持ってきちゃう。それだったら正義性をゴリゴリうちだし、勝利性をうったえ、公判も訴え、あらゆる人士がそこに大同団結して闘い抜くぞと、そういう枠を作っていく。それが三里塚の裁判で作り上げつつあるわけですな。まさしくこれがある。

 そして、裁判所の中だけでは決着がつかないんですよ。これを三里塚の現地に引きづり込んで、そこでまた闘いをやる、そういう裁判なんです。こんな裁判、ほかにはありませんよ。ですから、ほんとうに重要な裁判なんだ。こういう裁判こそ絶対的にしなきゃあならん。そのためには、彼らは二度にわたる北延伸を強行して早く出来上がったんだと、だから早く飛ばすんだと。そして何としてもわれわれを戦力を弱体化させようとしている。北延伸を3か月早めて供用開始したんですよ。このことについて黒野公団総裁は我々に陳謝したわけですよ。今度は、6ヵ月も早め、あるいは誘導路については10か月も早めてやると宣言して、今初めてるわけですよ。これは、ここまでやらざるを得ないところまであるんですよ。本来ならば、こんな短い滑走路では駄目なんです。もっと長い、2500じゃない、限りなく4000メートルに近い滑走路を造りたい。であるならば東峰住民を叩き出すしかない。しかし、そこまでなかなか行かない。そこで、民間団体を使って「完全空港化」「4000メートル滑走路を作りたい」とそのためにもう一度気運を盛り上げて、そのためにはもう1本誘導路を何としてもつくらなくちゃあならんと出して来たのが昨日の誘導路の計画なんです。

 反対同盟の弾劾声明の中で、「木に竹をつぐような」やり方だと言ってるけれども、正しく木に鉄を溶接するようなやり方で、ツギハギだらけの、どっから見てもおかしな空港を今やろうとしているんだ。今いるところ見て下さい。まさしく滑走路に出刃包丁つきつけて、これでも飛ぶのか、これでもやるのかと反対集会ひらいてるんですよ。こんな無様な空港がありますか。こんな闘いの場所がありますか。この状況を我々は必死で必死で歯をくいしばって勝ち取ってきたんですよ。このことを分かってほしい。こういう闘いをやり抜いて闘えば勝てるんだということを言いたいんです。

 時間がありませんので簡潔に言います。軍事空港粉砕、そして三里塚の状況。今、目の前にある闘いは、みんなが一緒に力を合わせて闘えば勝てる、そういう大道の上に立ってるんですよ。だけど残念だけど、先ほど市東さんが触れられましたが、同盟声明のことについてね若干述べなければならない、その悔しさがあります。

 反対同盟にとっては、動労千葉と関実はね、別格だといってもいい位置だと捉えております。闘いの車の両輪としての動労千葉、そして闘いの東西の両輪として関実をとらえております。動労千葉は、首を覚悟で労働者がジェット燃料貨車輸送阻止に決起し労農連帯ができた。まさしく、一方では革マルという反革命と闘いながら、中曽根の行革攻撃の中で、厳しい労働運動の中を動労千葉が闘い抜いて、しかし三里塚がその闘いの奥座敷として大きく、労働運動も含め、動労千葉も含め抱え込んで、三里塚勢力がそこで大きくは守り抜いたんじゃないのか。そして労働者と農民と学生と市民が一体となって闘い抜いたそういう熱い熱い想いがある、そういうことを今でも思い起こすことがあるんですよ。そういうことを絶対に忘れる事は出来ない。そういう絆は絶対に切れないんですよ。0975_4

 同じようにね、関実とも反対同盟は40年にわたる歴史があります。永井さんや山本先生、こういう世話人といくつもの反対運動の闘いの歴史の中で、山越え、野を超えありました。脱落や(爆音で聞こえず)・・・。彼らは泊まり込んで、一緒に闘うんだと、頑張ってくれと。そして全国の心ある人たちに対して、三里塚闘争を一緒に闘おうと、そういう形で我々と一緒にやりました。そもそも関実というのは、三里塚二期決戦に勝利しようとそういう関西の実行委員会であったはずです。そういう形でできたはずです。ですから鉄塔決戦の時に二期決戦を闘う団体ということで同盟と一緒に作った組織であります。そういう結んだ絆だからこそね、関西の震災の時にも自分は3日目にリュックサックに野菜を詰めてね現場にかけつけました。そういう歴史もあります。そういう形で今の同盟と関実とは深い信頼関係にあるわけです。だから今回のような事態は、ほんとに他人ごとでは絶対にあり得ないし、深刻な事態として同盟は受け止めました。問題は、同盟の問題だと受け止めたわけです。そういう中で、この問題がもっともっと進んでいくと、そういう分裂が反対同盟のなか、三里塚の中に持ち込まれてくるという形で、こういうことは絶対的に許せないという形でわたし達は、今まではいろんな意味であらゆる戦線の中でも、そういう問題も見ました。しかし、われわれは、今日までは一言も言いませんでした。しかし、今度ばかりはそうはいかない。声明の中で4番目に、「これが守られなければ、共闘関係云々」というのがありますが、そのことの真意は、今まで通りの関実の中で、湾岸共闘4団体の団結を持って関西の闘い、三里塚の闘いをほんとにやろうじゃないか、このことを訴えたいからこそ、反対同盟はあそこで出したんです。その反対同盟の心意気と今までの歴史的な背景、こういうことを汲んでいただきたい。そして何よりも、こんなことをやってる時なのかと、先ほど言いましたけれど、戦争的な状況の中、あるいは先ほど言いました三里塚の現状のなか、市東さんが置かれた現状の中で、ほんとにこんなことやっていていいのかどうかということを訴えたい。本来ならこういう話しをしたくないんだけれども、あえてこの場で言わしていただいて、そして皆さんとともに三里塚勝利のために邁進したいとおもいます。以上です。

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2009年7月 6日 (月)

7・5三里塚現地闘争に350名

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 昨日7月5日、三里塚・東峰にある暫定滑走路にわずか70メートルに迫り存在する開拓道路(このこと自体が、成田空港の安全性無視の国際法違反だ!)で、350名が結集して、「仲戸川裁判長弾劾・新誘導路供用阻止・市東さんの農地を守れ! 7・5三里塚現地闘争」が闘われました。冒頭写真は、まとめの挨拶をされる萩原進反対同盟事務局次長(後姿)と集会です。

 詳しい様子は、すでに同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/2009/07/post_665.html に掲載されておりますのでそちらをご覧ください。また、前日の新聞に暫定滑走路にジャンボ機を飛ばすために、何とあらたに3本目の「誘導路新設策動」が、市東さんの家屋と畑を空港の中に閉じ込めるように作ろうと発表されたことに対して出された闘争宣言が集会冒頭に鈴木謙太郎さんから紹介されましたが、同じブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/2009/07/post_662.html に掲載されておりますのでご覧ください。

北原鉱治反対同盟事務局長挨拶

 今日は、雨が降っていなけれど大変蒸し暑い。今日、ここで「うちあわせ」と 「集会」を行っていることは、今から43年前、閣議決定された日であります。ほんとは、4日が閣議決定された日で、今日は5日なのね。だけど1日遅らせても、日曜日だから集まりいいだろうということで今日にしました。0975_7

 先ず、この山野を見た時にみなさんはどう思いますか? なぜ私たちが43年間も闘ってきたかということは、まったく矛盾だらけの空港であります。今回、この4月5日、現地集会を開くということは、もう一度43年前に帰ってみようと。閣議決定した日です。

 ところが、昨日、ブル新の報道によると、東京新聞ですね、あれには大々的に出てるんですね。暫定滑走路の工事計画、どういうコースで暫定を作るか。だから最初から私たちが言ってるように「そんな計画はやめなさい」と。「必ず挫折する」と。このように訴えてきたわけだけれど、正にその通りになった。しかもね、今日のデモコースの中で市東孝雄さん、もう亡くなったけれどその父親である東市さんが住んでいた住居の近く に空港公団の変電所がある。それをとっぱらって誘導路を作ると、こう言ってるんですよ。こんなものを通すわけにはいきません。同盟ある限り阻止し続けるでしょう。

 どういうことになるかというと、市東さんは空港の中に入っちゃということなんですよ。こういう人殺しのようなことうを分かっていながら暫定を作る。これが許せるか。怒って当たり前!その怨念が、43年間、ここにあるんですよ。

 裁判においてもしかり。現闘本部の裁判は、一方的な判決を出そうとしております。みなさんも傍聴に来ていただいて、あの様子を見てわかるでしょう。どちらが正しいか.。反対同盟は何をやったのか。何もやってはいない。モノをくれと0975_8 か、何かを作れとか、カネを出せとか、そういう要求は43年間一回もない。だから正義なんだ。だから闘ってこれたんだ。ここには全国の人々が、三里塚闘争に想いをこめ、三里塚闘争こそはわが闘いだと。弁護団の先生も一致団結して、おそらく判決は来年の3月あたりに出るだろう、弁護団が一丸となって、反対同盟を先頭に、仲戸川裁判長に対して弾劾を集中しようということを言われております。これは断固やらなきゃダメだ。最終弁論は、11月、そして判決は3月ごろだろうとこう予定しています。こういうような、裁判というのは、一方的な判決しか出ない。

 しかも、人道上こうしたことを許していいのかどうか。いうことは一人ひとりが考えなければだめだ。反対同盟は、43年間にわたって諸君とともに闘ってきた。今の学生の闘いとして法政や福岡。この学生たちが決起している。今こそ 学生が、若い労働者が、手前たちの生きる未来のために、立ち上がって闘わなかったなら、自分たちの未来はない。従って、闘わなければ生きられないという時代に入ってきている。三里塚闘争は、全国の人たちが共有する、日本の将来を決定する闘いとしてあるわけです。特に、私は、若い学生、労働者に訴えたい。君たちのこれからの未来を、夢が描けるか? 描けない。それは君たちが立ち上がって、そして未来を描けるように。大学においてもそうだと思う。キャンパスを取り返すということ。君たちのものなんだよ、キャンパスは。それを奪わ0975_9 れて将来どうやるんだ。後からついてくる人たち、学生。君たちは若い。もっと未来を描けるような時代にしなければダメだ。そのために手前に何ができるか。

 今日はいつもの集会と違って、現地集会としては多くの人々が集まってくれた。これでいいんだよ! こうしなかったら、日本の平和などありはしない。そのために三里塚は、今日一日、皆さんと一緒に、われわれは、この空港について、最初っから、現在も「絶対反対」を掲げて闘っている。そういう意味で三里塚は健在です。君たちのものだ。共に闘おう!

市東孝雄さんの挨拶

 本日は忙しい中、結集されましてご苦労様です。現闘本部、一坪、私の裁判0975_5 と、傍聴闘争ほんとうにありがとうございます。

 さきほど謙太郎さんの方から報告がありましたが、私の家を空港の中に囲い込む形で新しい誘導路計画が出されました。私は絶対に許さないし、断固として闘う決意です。

 反対同盟は、43年間、原則を貫き闘ってきました。東の動労千葉、西の関実と同じ一つの闘いとしてやってきました。今回、残念なことが起こりました。今、分断を同盟に持ち込むことは絶対に許されません。私の会もあらゆる人たちとの絆で守られています。市民運動を否定するような行動が断じてあってはなりません。原点に戻り、今までのような闘いを望みます。

 反対同盟は一つです。そして皆様とともに、本当に勝利するまで闘わなければいけない時です。法律も正義も、今の権力にはありません。空港会社は前倒し供用攻撃をかけ、追い出しをかけてきています。権力、空港会社を絶対に許しません。さらに気持ちを引き締め、共に闘いましょう。

鈴木謙太郎さんの閉会の挨拶

 今、反対同盟、北原さん、市東さん、また萩原さん。力強い決意表明をいたし ました。

 反対同盟は、6月19日声明を出しました。関西実行委員会を支持し、泉州住民の会が関西実行委員会に戻ることを強く希望します。今、反対同盟は、空港0975_10 会社、千葉県、千葉地裁の様々な攻撃を受けています。このような一丸となって闘っていかなければならない時ですので、この時期、このような問題が出てきたことを反対同盟は強い憤りを感じています。

 ここにきている皆さん、また全国の三里塚を支援するみなさんと、この先、この三里塚闘争を力強く進めていこうではありませんか。

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2009年7月 4日 (土)

今週の産直野菜(7月4日)

0974  前のブログを書き終わったとたんに、三里塚から産直野菜が届きました。

 今週は、玉ねぎ、なす、キャベツ、キュウリ、ピーマン、人参、それにサービス品でミニコーンが沢山。このサービスを待っていたのです・・・。これが今届くということは、萩原さんの畑で4月末に植えられたとうもろこしが順調に育っているということかな? 実は、今回の品物すべてが少しづつ先週までの分で残っている・・・。何しろ凄い量で、食べきれません。細身の私が、メタボ検診で「メタボ!」とまるで「犯罪者」扱いされただけに、そう野菜ばかり無茶食いすると、ヘルシーどころか太るしなぁ~・・・。

 先週のセロリがまだ食べきれずにあるのですが、来た時に1時間ほど水に根っこの部分を付けてやり新聞に包んで冷蔵庫に入れていたら、水曜でも少しシナッとはしていたのですが、また1時間ほど水につけてやったら、しゃきっとして、今日でも特有の香りをさせながら黄いばむこともなく、みずみずしい葉っぱの状態で、本当に美味しい。やっぱり三里塚の野菜はたいしたものだ。

 (追伸) さっそく「野菜だより」(野菜に同封されてくる通信)の指示通り、ミニコーンを剝いてさっとゆでて塩を振りかけ食べました。ちょっと大きいのもあり、確かに芯はありましたが大丈夫でした。美味しかったですよ。ただ、1本、剥いて出てきた金色にコゲ茶色が目に。思わず「えっ!」と見つめると、ミニコーンの太さより長い1センチ余りの虫がゴソゴソ。住んでいたのです。びっくりしてゴミ箱へ。やっぱり除虫剤は使っていないと確信した次第です。虫君は、たくさんの剝いたトウモロコシの皮(?)に囲まれ、ゴミ箱の中で数日はゆったり暮らしてくれるかな?と勝手な想像を働かせながら・・・。

 明日は、三里塚現地で、新誘導路供用開始阻止!暫定滑走路北延伸部分前倒し供用開始阻止!市東さんの農地を守る! 闘いがあり、現地に仲間の皆さんと向かいます。少し、雨が心配ですが・・・。昨日も土砂降りだったし・・・。梅雨だから仕方がないか・・・。

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7・3入管法改悪等反対集会に参加

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 土砂降りの雨の中、大阪・中の島公園女神像前で開かれた「7・3 入管法等改悪反対!パレード」に参加してきました。雨にもかかわらず、関生の皆さんはじめ、いろんなグループ、人が集まっておられるのがわかる。200人くらいかな?衆議院での6月19日の採決に抗議するとともに、あきらめず参議院での採決を阻止しようと声が続いた。

集会決議

「入管法・入管特例法・住基法改悪案」は重大な人権問題をはらむもので有るにもかかわらず、当事者、関係各機関、関係団体等の声をほとんど聞くこともなく、去る6月19日、衆議院で可決成立させた事に対し、私たちは満腔の怒りを持って抗議する。

 1980年の指紋押捺拒否の闘いに始まる様々な当事者の身を呈した闘いと広範な日本人との共闘により2000年には指紋押捺制度の全廃を勝ち取った。付帯決議には、常時携帯義務や、切り替え制度・過重な罰則規定についての見直し等が盛り込まれた。外登法の抜本改正が一歩づつながら前進してきたと思った矢先の今回の法改悪衆議院可決は、日本の外国籍住民の人権地平を30年前の状態に押し戻すものであり断じて許すことはできない。

 今回の改悪は、① 特別永住者、一般永住者、中長期滞在者、非正規滞在者と在留資格により徹底的な差別分断を持ち込み、 ② 修正案では特別永住者証明書常時携帯の罰則規定は削除したものの、同じように戦前から居住する歴史的経緯ある在日中国人、朝鮮・韓国人をはじめ多くの「一般永住者」はそれから除外されているのは合理性がない。中長期滞在者の在留カードの罰則規定つき切り替え制度、常時携帯制度も再考すべきである。 ③ 実務は自治体労働者に押しつけながら、在留状況を職場や学校から入管に通報させる等市民を外国籍住民管理に加担させ、 ④ 更に、これまで問われてきた再入国制度や退去強制制度を見直すことなく、特別永住者や一般永住者の1年以内の再入国許可を必要としないとしながら朝鮮籍者を除外する等卑劣極まりない内容が盛り込まれている。 ⑤ 在留資格の管理についてはその在留状況を「配偶者の身分を有するものとしての活動」や、職場、住所の変更を2週間以内に届けることを刑事罰によって義務づけ、時には在留資格さえ取り消す等、プラSave0007 イバシー侵害と生存権を侵害するなりふり構わぬ在留管理を行おうとしている。 ⑥ 非正規滞在者や、難民申請者には自治体行政サービスの適用除外とする等、人間としての最低限の権利さえ認めない言語道断な内容であり断じて許すことは出来ない。

 日本政府はこれまで少子高齢化社会を支える労働力として外国人労働者を受け入れ「多民族共生」を語りながら、もう一方ではアメリカの政策に追従して「外国人犯罪の増加」「テロ対策」などの危機感を煽り、徹底的な外国人管理を推し進めてきた。

 私たちは、在留資格によって徹底的に外国籍住民を差別・分断する入管による徹底的な一元管理をもくろむ「入管法・入管特例法・住基法改悪案」可決に強く抗議するとともに参議院での慎重な審議を要求する。

 私たちは引き続きこの法案廃案まで闘うことをここに決議します。

2009年7月3日

「入管法・入管特例法・住基法改定案」なんとしても廃案に!7・3集会参加者一同 (右上写真は、集会を報じる朝日新聞7・4記事)

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2009年7月 3日 (金)

暫定滑走路北延伸供用開始前倒しを断じて許すな!

71916  国・空港会社NAAは、暫定滑走路北延伸部分の供用開始を、3月のA滑走路でのアメリカの貨物機の墜落、炎上事故(2名死亡)を口実に、半年早め、10月22日に強行すると発表した。そして、その準備と称して新誘導路の供用開始を9か月も前倒しした7月下旬に行い、ジャンボジェット・ボーイング747などの運用も航空会社の判断で可能と公表したのだ。そして暫定滑走路北側の待機スペースと南側のB誘導路の5月7日供用開始、5月12日と19日には「電波機能テスト」と称してジャンボ機の新誘導路テスト走行を強行するなどの攻撃をかけてきている。

 こうした一連の攻撃、何よりも10・22供用開始前倒しは、130ホーンを超える爆音などによって「住めない」「生きられない」ことを強制し東峰部落、天神峰部落を一掃することによる三里塚闘争の解体を狙ったものであることは余りにも明らかである。こんな非道がどうして許せようか。私たちは、迫る事態を決定的に重視しなければならない。

 反対同盟事務局次長の萩原進さんは、今年の旗開きで、「まず砦を作ったでしょう。そして塹壕を掘ったんです。この塹壕はあのベトナムの農民につながるんだと、掘って掘って、掘り抜いて代執行を闘い抜いた。・・・今、それなんです。ここにおいて砦を作って、城を作って、塹壕を掘って、市東さんの土地に手を着けるんだったら大変なことになるよという闘いを今やってるんですよ」と提起しておられます。そうした決戦に突入するという戦闘宣言の場として7・5三里塚現地闘争に駆け付けよう。

 先日テレビで、岡山空港など各地の地方空港が韓国・インチョン(仁川)空港と繋がったことによって黒字化してきたと報道されたそうだ。すでに4千メートル滑走路を3本持ち、あと1本も計画中のインチョン(仁川)空港は、極東アジアのハブ空港としての位置を確実に築きつつある。広大な敷地に巨大な流通基地を建設しようともしている。日本の大資本、企業もそれを無視できなくなりつつある。アジア・ゲートウェイ構想で、航空の自由化によって極東アジアの「制空権」を抑え、流通を支配しようとしてきた日本帝国主義は、たまらず羽田空港の4本目の滑走路の2010年供用開始にとどまらず、国内線用の短い滑走路を拡張し国際線で使えるようにするとともに、5本目の滑走路を模索し始めている。

 こうしたインチョン空港の存在と金融恐慌によって、成田空港の昨年末12月の輸出貨物量は何と前年の49%もの落ち込みを示したのだ。こうしたことと羽田空港拡張・国際空港化の動きに焦る成田市・千葉県の地元財界は、「2500メートル滑走路の再延長(南へ延伸=3500メートル化=東峰部落の一掃)」と「年間飛行回数の30万回化」を言ってきたが、6月3日開かれた成田空港対策協議会の年次総会で「横風用滑走路の建設」まで言い出したのだ。44年間、三里塚闘争によって阻止され続けてきた成田空港の「完成」を、あらためて目標としたのだ。

 現在の国・空港会社NAAによる暫定滑走路北延伸部分の供用開始前倒し攻撃は、確かに、こうした地元財界の強い圧力を追い風としたものではある。しかし、この攻撃の背景を、「空港会社と地元経済界の私利私欲」に限っていいのだろうか。

 沖縄の辺野古新基地建設、岩国への米軍空母艦載機部隊の移駐などを軸に、米軍再編が2014年完成を目指して、各地でギリギリと進められようとしている。新グアム協定強行採決に見られるように、日本帝国主義は、明らかにこのアメリカの世界戦略に寄り添い従属しつつある。しかし、同時に田母神などの輩の蠢動と海賊対処法の強行採決、自衛隊3軍のソマリア海域への派遣に見られるように、その中でも独自の道を帝国主義として必死で追い求めている。この米軍再編、日米安保体制の根本的再編を日米の協調とせめぎ合いの中で、日本列島をずたずたに引き裂きながら進めようとしているのだ。そして「北朝鮮の脅威」が声高に叫ばれているのだ。

 「北朝鮮の脅威」を前提に、「日米共同作戦計画5055」は、いく度もの改定を経ながら、昨年、策定を終えたと言われている。これは、米軍再編の中で、実際にどのように軍隊を動かしていくのかの機能部分なのだ。その中で、成田空港は50万から70万と言われる米軍とその武器、装備、食料をはじめとした関連物資などの米本土からの受け入れ空港として計画されているのだ。その時には、当然にも米軍専用の空港とされ、周辺のホテルをはじめすべての諸施設が動員され、公務員はもとより医者・看護婦の医療労働者、運輸労働者など日本の労働者階級が様々なかたちで戦争動員されることを前提としている。そのためには、「暫定滑走路」ではならず、3500メートルであり、また横風用滑走路なのだ。そして、周辺で反対運動が44年も闘い続けられていることなど到底許容できるはずもない。これが日米両政府、帝国主義者どもの成田空港に関わるプランでなくてなんであろう。

 米軍再編の2014年完成に規定され、追い詰められ、沖縄、岩国はもとより三里塚を先頭とした全国の反戦・反基地を闘う労働者、市民の闘いそのもの、いやその影にさえおびえるからこそ、「土地収用法」を失いながら「農地法」を使っての市東さんへの農地強奪という法理を無視した攻撃をはじめとした、この間の暫定滑走路北延伸部分の前倒し攻撃の強行でなくてなんであろう。

 わたし達は、三里塚が文字通り「反戦の砦」であることの意義と、44年にわたる反対同盟の実力闘争、徹底非妥協、話し合い拒否、農地死守の闘いの真髄を見極め、そこに勝利の展望があることを全力で受け止め、この仕掛けられた決戦に挑もうではないか。

 先ずは、7・5三里塚現地闘争をそうした諸戦として全力で決起しよう。そして、関西で、米軍再編と日米安保体制に抗し、関西空港の軍事使用、阪神港(大阪港)の軍事使用を許さない新たなうねりを生み出す第1歩として、9・27東西両軍事空港粉砕・関西三里塚集会とデモを成功させよう。その力を持って、10・11三里塚全国集会、10・22供用開始前倒し攻撃粉砕の闘いへと攻めのぼろう! (冒頭写真は、1971年9月16日農民放送塔 福島菊次郎さんの写真集「戦場からの報告」より)

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2009年7月 2日 (木)

芦原・住宅追い出し阻止裁判 陳述 (6月30日)

 6月30日、神戸地裁尼崎支所で開かれた「芦原・住宅追い出し阻止裁判」第3回公判で、「被告」とされた住民Kさんの陳述が行われましたので、ご本人と芦原地区自治会連合にご了解をいただいて全文掲載いたします。

はじめに

 民事一部に係属する被告とされた住民全員を代表して、本裁判の審理を始めるにあたって、裁判所に是非とも言っておきたいことを時間の許す限り述べます。

原点に帰るべきである

 これから争う裁判を、単に「家賃の滞納があるから住宅明け渡しを求めた事件」としてはなりません。それは、森どころか木すらも見ない論議です。

 わたしたちが住む改良住宅家賃が、国の公営住宅法改悪に便乗して応能応益家賃に抜本的に変更されたのは、今から11年前の1998年です。2004年5月27日には、この同じ法廷でわたしたちの訴えが認められ、「値上げは違憲・違法」との判決がでました。裁判を始める時、当時の西宮市の住宅部長は、「行政には金も組織もある。裁判なんかして勝てると思ってるのか」と言い放ちましたが、裁判所というところは、法律を正しく、厳格に判断するところなのだなあ、ということをあらためて感じました。

 わたしたちは、単に家賃があがるのは困るというだけで値上げに反対してきたのではありません。応能応益家賃が、部落差別撤廃のために建設された改良住宅の目的を大きくねじ曲げるものだからです。改良住宅は、わたしたちが住んでいた家や土地を「差別をなくすため」という理由で提供して建てさせたものです。行政も、畳にオデコをこすりつけるように、「差別をなくすために改良住宅を建てさせてください」、「値上げはしません」と立ち退きのお願いに来ていました。「家賃は収入に応じて変わります」、「収入超過者には割増賃料がかかります。高額所得者には住宅を明け渡してもらうことになります」などという説明だったならば、一軒も改良住宅が建つことはなかったでしょう。

 この改良住宅の成り立ちは、部落差別がなくならない限り、決してあいまいにしてはならない主要な事実です。また応能応益制度の適用によって、芦原地区はじめ全国の被差別部落は、若い世帯はどんどん転居を余儀なくされ、高齢者、障がい者、低所得者などが極端に増えてしまい、毎月の掃除すら苦労するようになってしまいました。

 私の家族は、私、妻、長男の3人ですが、阪神大震災で被災し、家を失いました。同じ芦原地区の西福町で震災前に住んでいた住宅の家賃は3,200円でした。1995年の話しです。地震のその日に、芦原地区にある若竹生活文化会館に避難し、そこで8月のお盆まですごしました。

 西宮浜などの遠く離れた仮設住宅はありましたが、わたしたちが仮設住宅を地元での建設にこだわったのはなぜだかわかりますか? 差別が吹き荒れる一般社会に放り出されたら、出身を隠して、ひっそり息をひそめてしか生きていけないほど、今も厳しく部落差別が存在するからです。避難所のみんなで住宅要求者組合をつくり、地元の青木町の仮設住宅に入居しました。それから数年、仮設という名前どおりの苦しい環境の暮らしながらも、恒久的な低家賃公営住宅の地元への建設を住宅要求者組合の仲間と要求しつづけ、ようやく1999年3月ごろ、今、明け渡しを求められている神明2号館○○号室に入居することができました。

 わたしたちはこの裁判で、改良住宅建設の原点に帰った論議をもう一度、いちからはじめていきます。そうでないと正しくこの事件を理解できないからです。この主張・立証のために裁判所は十分時間をとっていただきたい、申請する証人は可能な限り認めてもらいたい、ということが第一に訴えたいことです。

 また、私たち民事1部の被告住民も、民事2部の被告住民も、まったく同一の意見を持っています。いまのように、二つにわかれたままだと、仕事を一週間に2回も休むのは実質上無理なので、芦原地区自治連合会の東口会長の事件に全部を併合してくださることを二つめにお願いします。

とりわけても住宅明け渡しは認められない

 たしかに、わたしの家族と被告・Tさん、被告Mさんは、他の被告のみなさんと若干入居の経緯は違います。阪神大震災で住宅を失ったことが入居の理由です。しかし、戦前からの住宅が西宮市によって放置されてきた結果、一般地区の7倍の死亡者、地区の75%、一般地区の1.4倍の家が全半壊したことは、阪神大震災こそ、現代の部落差別をはっきりとしめした事態でした。

 部落差別撤廃のために、元いた家を立ち退いて建設させたのか、部落差別の現実から地元に建設させたのか、くらいの違いしかありませんし、実際、条例では、同じ改良住宅に分類されています。

 とくにわたしがここで言いたいのは、私とTさんは、一度も「家賃を支払え」という裁判にかけられていません。これは西宮市では異質なことです。この裁判に入る前に、わたしたちは調停を申し立てましたが、その場で西宮市は、「家賃を支払う意志があるので一度は家賃を支払えという裁判にして猶予した」などと言っているということを聞き、なんて大ウソをつくのかと思いました。なぜ私とTさんは、他の多くの市民とは違って差別的に取り扱われ、いきなり「住宅を明け渡せ」と言われなければならないのでしょうか?

 また、一昨年、姉のA子が若くして娘さんを亡くし、脳梗塞で半身不随になり、介護のために上ヶ原の市営住宅に通っていましたが、なにかと不便なので昨年、わたしたちが住む神明2号館に住み替えることができました。ようやく手厚い介護ができるようになった矢先に、わたしたちに住宅を明け渡せとの裁判です。こんなことは、本当に困るし、認められません。改良住宅からの明け渡しは認められないばかりでなく、現実的に姉とわたしたち一家は生きていくことができません。裁判所は、わたしたちを路頭に放り出すような判断を、絶対にしてはならない、ということが訴えたいことの第三です。

おわりに

 今回の裁判は、わたしたちの命と暮らしに係る問題です。家賃の支払いの意志を示す者を、住宅から追い出し路頭に放り出すなどということは絶対に認められません。わたしたちは、この違法性をどんなに時間がかかっても、全面的にあきらかにしていきたいと思います。西宮市の訴えを棄却されることを強く訴えて、裁判冒頭の意見にかえます。

 

 多くの皆さんが、この裁判に注目され、支援の傍聴に駆け付けてくださるよう訴えます。

 次回公判は、住宅追い出し裁判第4回(その1) 9月17日(木)13:15~ 同(その2) 9月29日(火)13:15~ です。

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関実代表者会が開かれる

 昨日、7月1日、神戸市勤労会館において三里塚決戦勝利関西実行委員会の代表者会が、椅子に座れない人が出る40人近い参加で開かれました。

 冒頭、永井代表と事務局から、この間起こっていた関空闘争をめぐる事態についての経過説明が行われ、「6・5声明」、「6・18三里塚反対同盟声明」、そして「6・17泉州住民の会声明」についての質疑が行われました。そして、代表者会として、淡路、明石、東灘の各住民団体と関実世話人会によって出されていた「6・5声明」を全面的に承認するとともに、「6・18反対同盟声明」を支持することが確認されました。さらに、国賀祥司事務局次長を解任することが決定されました。

 会議では、三里塚における暫定滑走路の北延伸部分供用開始のこの秋10月22日前倒しを軸とした、7月末新誘導路供用開始攻撃、横風滑走路建設策動など、国、空港会社による攻撃の重大性を確認し、何よりも、7・5現地闘争への全力の取り組みを出発点に、10・11全国闘争に向けた態勢を作っていくことが確認されました。

 そのために、「6・5声明」で盛られた関実としての秋の取り組みとして、9月27日、大阪市立中央会館ホールで、反対同盟の全面的協力の下に、「東西両軍事空港粉砕!暫定滑走路北延伸阻止!」の「関西三里塚集会」を開催することを決定しました。20数年ぶりの大阪市内での三里塚闘争としてのデモを行うことも。参加者からも、「3・15米軍再編と闘う集い」を引き継いだ内容あるものにしていこうと提起が行われました。

 会議は、7月20日の大阪湾岸住民研修会への参加の訴え、さらに三里塚の裁判闘争支援、8月末と10月の三里塚への援農・現地調査の取り組みを確認しました。最後に、8・6ヒロシマの取り組みとして、2つの取り組みがあることがそれぞれから提起され、全体として取り組んでいくことが確認されました。そして、永井代表からのまとめの挨拶をもって終了しました。

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