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2009年6月18日 (木)

三里塚の現地調査 (6月10日)

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 三里塚最後の日、6月10日は、初めてのMさんがいるので、恒例の現地調査。といっても、二日間Mさんは、監視塔にも幾度も上がり、市東さんの畑にへばりついていたので、市東さんのところはおおむね省略して、南台の畑におられた市東さんに挨拶して、みんなで記念写真。

① 最初に、よく集会で使われる萩原さんの清水の畑で、東峰の森が分水嶺で、低い所にある空港が盛り土され、コンクリートで固められたため、大雨でも降ればこの畑に水が流れ込むことなど、空港による環境・生活破壊を説明。

② 東峰の部落で島村さんのお宅の「上空40メートルの現実」と、死してなお空港を阻み続けておられる大木よねばあさんの墓をはじめとした東峰墓地。

③ 空港敷地内に食い込んで、その危険性を示し続けている東峰神社で、「立木伐採」攻撃と萩原さんの武勇伝などを披露。そして、先日の事故と2003年の東峰神社前で止まった大惨事寸前の事故について。

④ 東峰十字路近くの開拓道路で、滑走路に50メートルまで迫っている状況を 見ながら、「東峰部落の地図からの抹殺」を前提として進められた暫定滑走路の破たんと犯罪性、危険性を説明。ここまで、説明に必死で、写真を撮るのを忘れていた。

⑤ 萩原さん 宅にご挨拶に。進さんは畑に出ておられるというのでもう一度、清水の畑と開拓道路の畑に行ってみるが、ちょうど行き違いになりお会いできず。残念でした。09610_13

⑥ 横堀の小屋と鉄塔に行く(左写真)。ここは、元横風滑走路予定地の中にあり、空港のどてっ腹に穴があいたような状態。空港ターミナルビルからは、こちらが見えないようになっており隠されているが、ここから見る成田空港の惨状は、何度見ても感動する。丁度小屋の屋根に隠れていますが、金城実さんが制作し、岩山大鉄塔にそびえていた「闘う農民の像」が空港を睨んでいます。

⑦ 次は菱田の団結砦と大看板に。1984年、「3・8分裂」の本当の理由というか背景であった成田用水闘争と、「敷地内反対同盟を裏切れない」と独り用水に反対し、村八部を跳ね返して戦い抜いて来られた鈴木幸司さんとそのご家族の想い、そして今に続く陰湿な攻撃、いやがらせなども説明。そこへ、農作業の09610_3 現場から駆け付けて下さった鈴木謙太郎さん、加代子さんと一緒に小屋の上にある(写真の木立の裏)鈴木さんの家へ。そこで、お元気に出て来られたおばあちゃんのいとさんも交え記念写真。幸司さんはまだ入院中で、お会いできず残念。

⑧ 岩山大鉄塔跡の記念館では、63メートルの大鉄塔が開港を阻んでいた様子と、「100万人民の人塔と化せ」という反対同盟の檄に応えた関西実行委員会の結成。同じ年、5月6日の千代田農協での闘い、ガス銃の水平撃ち、そして東山さん虐殺などを説明。高所恐怖症と自認しておられたMさんが鉄塔をのぼりはじめ、そこへ離陸した航空機が(右写真)。09610_5 やっぱり若いねぇ~。左下にはしごにしがみついているのがMさん。

⑨ 最後に、北原さん宅にご挨拶に伺う。何とこの日は、1971年7月の地下壕戦の話しを1時間にわたってして下さった。一人ひとりのみなさんの今回の三里塚訪問の感想に丁寧に応えておられた。関西まで帰る時間のこともあり、早々に失礼させていただきました。(左下写真が、話してくださる北原鉱治反対同盟事務局長、最初の写真がその全景)

 東京から参加のMさんを成田駅に送り一路関西へ。今回も、充実した日々でした。「でっかいちゃん」のグループの援農報告 とご本人の感想が、今までの報告にそれぞれ最初の6月11日の記事から全てにコメントとしてつけられていますので、ぜひご 覧ください。

 最後に、09610_12 Mさんから、お礼の意を込めた感想がメールで送られてきましたので、少し長いですが、ご紹介します。

 

 大変お世話になり、ありがとうございました。

 今回、「社会で起きていること」を肌で感じ、知ることができて、自分の考える幅が広がりました。今まで、ほとんどのことに無関心でした。自分自身の狭い世界の中で「生きているだけ」で精一杯で、社会に対して関心をもったきっかけがありませんでした。駅前で街頭宣伝をしているのを見ても、ビラを配っているのを見ても、素通りでした。

 でも、これからは、今回、自分も社会の一部と感じ、「自分とは無関係」ではなく、「自分とも繋がっている」という感覚を持つことができたので、無関心ではなくなると感じています。

 また、農業や農家の方や畑に触れた事は、想像以上に有意義でした。私とっては、野菜(肉や魚も)は「スーパーにあるもの」でした。自分が料理をしようと思った時に、お金を持ってスーパーに行けば手に入るものでした。畑でも少し言いましたが、私は「消費者」という立場で「やっぱり無農薬や減農薬の物が、少し高くてもそっちの方が良い!」なんて思って購入していたことが、「偉そうだったな」と恥ずかしく感じました。無農薬で作ること、無農薬でなくても、食べ物(生きもの)を育てる過程や、その大変さなどが全く自分と繋がっていませんでした。私はその過程や大変さを何も知らず、「無農薬が一番!」なんて思って買っていました。

 私が「安心して丸かじり出来る野菜を作ってくれている農家の方」は、私と繋がっていて、「その農家の方たちが空港問題で苦しみ、弾圧下に居る」という社会も私と繋がっている。「自分とは無関係ではない」ということを自分自身で気づくことができた援農体験でした。(後略) 

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コメント

素晴らしい!Mちゃんの感想は、援農の毎晩のものもいちいち素敵でしたが、全部いい!
また会えるといいね。たとえ会えなくても、私の中で忘れられない人です。
私が今回、すごく元気だったのは、Mちゃんパワーが伝染してきたせいかもしれないです。うん、きっとそう!私もMちゃんにつながった!

現調は回を重ねる毎に、だんだん詳しいことが分かるようになってきました。地理はちっとも覚えられないけど!大木よねさんのお墓は丁度ナンテンの花が盛りで、7月の誘導路供用開始に怒りの火花を散らしているように見えました。

投稿: でっかいちゃん | 2009年6月18日 (木) 14時58分

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