岩国訪問記 5月19日
上の写真は、門前川の両岸に広がる、左手は岩国基地、右手は岩国名産のれんこん畑。いずれも、江戸時代初期に農民の血と涙で、農地として築かれた埋立地。手前が愛宕山方向から見た市街地です。錦帯橋で有名な錦川が、門前川と今津川に分かれ、その間に出来た三角州(岩国の中心)の大半を占拠しているの が岩国基地(右写真)です。
5月19日、永井満関実代表が、初めて岩国を訪れ、「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」代表の大川清さん(岩国教会牧師)が、新岩国まで迎えて下さり、半日をかけて岩国の状況を案内して下さった。
1945年8月14日、日本の敗戦が確定していたこの日、米軍は、岩国駅前を絨毯爆撃し、この小さな町で1千名の市民が殺された。日本海軍の岩国基地には爆弾一つ落とさずに。「米軍の威力を見せ付け、その後の占領支配、基地支配をやりやすくするためだったのでしょう」と大川さんは、説明された。直ちに進駐してきた米軍は、岩国基地を接収して戦闘機基地とし、朝鮮戦争の中で基地を拡張して64年。現在に至っている。当然にも、戦闘機の爆音被害はもとより、墜落などの被害、そして米兵による乱暴狼藉、女性への強姦などの基地被害は沖縄などと変わらず凄まじいものだった。保守王国山口の気風か、産業が基地によって阻害され、基地依存を深めたわずか10万人の岩国市では、「基地反対運動」などは、ベトナム戦争の折の岩国教会を中心とした反戦運動をのぞいてほとんど形をなさなかったという。
そして、海(大阪湾)を守ることを闘いの大きな柱の一つとしてきた私たちには 理解しがたかったのですが、基地の前方に広がる幅3キロになる瀬戸内海有数の干潟を埋め立てた基地の沖合移設が、爆音対策の市民の悲願として、1960年代から30年にわたって続けられてきたのです。基地撤去ではなく。
その悲願に応えるかの装いをとりながら1996年、岩国基地の沖合移設事業がスタートしました。その経緯の詳しくは http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-1471.html などに掲載しております。しかし、実際には米軍再編の中での基地拡張、厚木基地からの空母艦載機部隊の移駐であり、極東最大の戦闘機部隊が駐留する米軍基地への変貌でしかなかったのです。しかも、バラ色の再開発構想で地元住民を黙らせ愛宕山の切り崩しを強行しながら、10年にわたる騒音と粉じん災害を我慢させながら、跡地への米軍住宅を押し付けるという、二重、三重の住民だましを行おうとしていることが明らかになった(左上写真は、削り取られた愛宕山の地を前に大川さんから説 明を受けられる永井さん)。このことが明らかになった2005年以来、岩国市民は、住民投票、市長選挙などいくつもの闘いを、薄汚い国による選挙干渉をはじめとした分断攻撃をはね返して、闘い抜いておられる。今年に入っても、愛宕山への米軍住宅反対の11万人の署名の国会提出。爆音訴訟の477人の原告団による提訴などと闘い続けておられます(右上写真は、2600メートル新滑走路の南側の先で進められる港湾整備。原子力空母などが接岸できるようにという
のだ)。現在の基地が570ヘクタール、それに新基地を併せて800ヘクタール近く(実に二期を含めた関西空港よりも大きいのだ)の巨大基地になろうとしている(左写真は、その中央部に立って説明される大川さんと永井さん)。
この5月1日、「岩国市民の皆様へ 米軍家族住宅建設反対運動の危険性」と書かれたビラが、岩国全市域の家庭に一斉にポスティングされた(新聞折り込みではない!)。①財政赤字が市民に大きな負担をもたらす、国病の移転も危ない ②米軍家族住宅建設反対は人種差別 ③米軍を排斥して日本の国は守れない というのである。もちろん、大川さん宅である岩国教会には入らなかったそうだが・・・。手にとって読みだして思わず吹き出したが、この程度の「ひどさ」で平然と、金をつぎ込み、運動つぶし、市民への敵対が行われているの だ。
右の写真は、岩国基地の中にある米軍宿舎だが、1家族、140㎡、冷暖房つけっ放しだそうだ。その費用はすべて私たち日本人の税金(思いやり予算)で賄われている。写真奥のドーム状のものは、海上自衛隊の格納庫だそうだ。この基地には、海上自衛隊が同居し、米軍再編の中で進められている日米両軍の一体化が実践されている。
お話しをお聞きしながら、新グアム協定によって、グアムの米軍宿舎などのために、私たちの税金6千億円が投入されようとしていることを連想し、激し怒りを抑えることができなかった。
ご案内の最後に、岩国教会に案内していただき、さらにお話しを伺った。写真は、岩国教会の礼拝堂で話される大川さんと、永井さん。やはり牧師同士、話しが尽きない。
この教会の前から、あの有名な錦帯橋の東端が見え、橋からわずか200メートルほどそのまままっすぐ東へ行ったところです。
現場を見、お話しをお聞きしながら、こうした巨大な米軍再編の動きにたじろぐことなく立ち向かっておあられるその姿勢に感銘を受けるとともに、「3・15米軍再編と闘う」集いで確認されたように、三里塚、沖縄、岩国、関西、そして全国で反基地を闘う人々が大きく繋がる必要性を強く感じながら、永井さんと帰途につきました。大川さん、本当にありがとうございました。
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