新しい人 新しい鍬 (『農耕部』通信)
昨年秋、職場の事務担当者「Mさんが『実家の畑、少しでも使ってくれませんか』言うてます」。私「やります」。今年、春の気配に、Mさん宅へ。Mさん「父が20年前に死んで、畑ほったらかしに」「国に返す農家もあるが、結局、荒れ地に」「イノシ シ、アライグマ出ます」。畑に立ち、ぼう然。あまりに広い、あまりに荒れている。手前千坪は一面に草が茂り、進むと2千坪、錆びたハウスの骨格のまわりに木がはえ、そのさき何千坪には人の背丈をこえる笹が密生して大きな樹が立っている。動物の臭い『はいるな』。「やります」Mさんに告げ、翌週、ひとり鍬一本で荒地に挑んだ。畑1日目。
3月末、三里塚現地闘争、援農。萩原進さん、「農業はたいへんだよ」「そこまで荒れているなら、肥料入れないと」「サツマイモは畝幅75センチ、株間30センチ」。2日間働いて帰る日、鈴木加代子さんが本葉がでかけた苗25本をさしだした。「あげる。何だかわかるかい」。私「ウリ、カボチャ、カボチャ」。加代子さん「きうり、カボチャ、ズッキィニ。たいしたもんだよ」カカッと笑う。謙太郎さん、ギョロッと笑い「結果、報告しろよ。報告!」
4月下旬、畑5日目。雲低く、風強く、時おり小雨。モリアオガエルが土にもぐる寒さ。きうり全滅。カボチャ2本。ズッキィニ1本が枯れた。苗のまわりに枯れ 草をかけてやる。 先日、畑3日目、職場のEさんと二人で鍬をふっていると、ひとりの農夫が「やったろうか」と、少し赤錆びたトラクターで『うなってくれた』(三里塚ではトラクターで耕すことをこう言う)。 5日目も二人。三里塚援農に入ったCさんの友人Iさんが再び参加。地下たび、日よけ帽子、黒長そでシャツ。二人でヌカをまき鶏糞をまき畝をたてていく。Iさん「うねがまがる」「うねがやせる」「うねがでこぼこ」。
5月はじめ、畑6日目。快晴。まわりの山やま、緑、きみどり、深緑もりあがり、鳥がわんわん。土堤でIさんと草刈り機の研究。チップソー交換、エンジン始動。Iさん草をなぎ倒す。三里塚援農経験Aさんが手鎌で刈る。職場のJさん夫婦が見学「次回、働きます」。トラクターのKさんがハウスの周りの木をチェーンソーで切り倒し、「俺も大したことないけど知ってる事は全部教える、いつでも声かけて。またトラクターやるし」。木を切り運び、草を刈り運び、土を打ち、畝を起こし、苗を植え、働いて夕方。あちこちで村人が草を焼く。いい音、煙、いい臭い。太陽が山をこえる。振り 向くと千坪の半分が畑になっていた。27本の畝にジャガイモ、トマト、カボチャ、ズッキィニ、山芋。
ある夜、Mさんから電話。「ほんま、ええ畑になってきた。村でえらいことになってるで。『この村、なくなる』て嘆いていた人らが言うてる。『都会の人も、よお働く』『ハキハキ明るいし』『うまくいくよう、皆んなで応援せなあかんな』て」。私、笑い「5月中に、サツマイモと豆の植え付けやります」。
また来週、畑に行きます。耕す人がふえます。新しい鍬を買いました。
『耕作部』部員X
(管理人=三里塚の現地調査と写真の撮影、そして援農活動を手探りで始めてから丸2年。いろいろな人が加わり、なりふりもそれらしくなってきた。そんな中で、新しい取り組みが、始まりました。乞う、ご期待。6月6日の夜出発して、7日の現地の産直の会主催の「じゃがいも掘り産地交流」に参加して、そのあと、援農、現地調査を今回も取り組みます。)
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コメント
すごいすごい!
村の人の応援が嬉しいですね!
鈴木さんにもらった苗は残ってる?農業すると天気が気になって困りますね?遅霜注意。
投稿: でっかいちゃん | 2009年5月18日 (月) 11時31分
昔、菱行の援農・草刈り前の意志一致は、「菱行の通った後は、草木一本生えないようにやれ!」でした。(^o^)
話は変わりますが、街中でも、プランターを買ってプチ農業出来ますね!心が和みます!
(*⌒▽⌒*)
投稿: とん吉 | 2009年5月18日 (月) 12時37分