« 沖縄を訪ねて(その1、5月22日) | トップページ | 沖縄を訪ねて(その3、5月24日) »

2009年5月27日 (水)

沖縄を訪ねて(その2、5月23日)

09523

 5月23日。梅雨に入った沖縄の行く前の天気予報は3日間とも雨。ところがこの日も時折晴れの好天気。知花宅を朝出発して、9時半ごろには辺野古に。

 お二人が、居合わせた皆さんに自己紹介され、三里塚から来た事を告げられるとみなさん、驚かれた様子。先ずは、辺野古の闘いと09523_2 現状の説明をして下さる(右写真)。若い人が、「どうりで、どこかで会った人だと思った」と、萩原さんのことを言いながら、作業に出かけられた。

 その時、一人のお客さんが。彼と私は顔を見合せて、お互いに驚いた。「何でお前がここにいるのか」とお互いに思いながら。宝塚教会の佃真人牧師ではないですか(上写真の萩原さんの左後)。明日からの宜野湾での会議のために来られたとのこと。「犬も歩けば・・・」ではないですが、ほんとビックリ。

 今度は、萩原さんが、来られた佃さんも含めて、三里塚の闘いの現状と、農民を守るべき農地法で農地を取り上げようとする現在の局面を説明された。みなさんから、「それはひどい」と声が(左下写真)09523_3

 説明して下さった(右上写真の左の方)方から、「船は出せないか」と声が。前に訪れた時に、「ここに来たら、海に出て、できれば潜らないと」と言われていただけに、「やった~!」と内心思っていると、何とかなり、最初の写真のように佃さんも交えて4人、船外機のついた小舟に乗せてもらって海へ(最初の写真の後ろの方に座り込みテントが見えます)。

 とにかくきれい。それもずっと沖に出ても浅い。キャンプ・シュワブの様子を見ながら、辺野古崎の近くに(右下写真)。石を投げて水面をはねながら飛んで行くように、30~40センチ大の、きれいな模様の入った細長い魚が水面をはねながら飛んで行くのが何尾も横を行く。市東さんが「植えたみたいだ」と評されましたが、海底にはきれいに水草が育っています。帰ってから知花さんにお聞き09523_4 したら、ジュゴンがこれを食べに浅瀬に入ってくるそうです。ヒトデやナマコ(と思うのですが?)、きれいな小魚の群れが行きかう。めっちゃきれいで見とれていて写真を撮るのを忘れてしまった。スミマセン。そのうちにがりがりと船底。引き潮で、このままいけば船から降りて押すことになるかもと・・・。何とか、外の方に船を出して、大回りして港へ無事帰港。安次富浩さんなどとご挨拶をして、佃さんの車も一緒に高江へ。

 途中で道を間違えたりしながら、何とか1時間余り走って、高江で座り込んでいるN4ゲートのテントへ。約60軒の小さな部落の一番近いところで400メートルという村を取り囲む形で、Photo V-22オスプレイ(左写真)の離発着訓練のためのヘリパッドを6か所も新設しようとする工事に反対して、座り込み闘争を始めて、ちょうどこの7月で2年になることなどを、テントに当番でおられたGさんにお聞きした(右下写真)。Gさんは、高江の隣の村の住民で、おコメとラッキョウを栽培しておられるとのことで、高江に友人もいて、いてもたってもおられず最初から座り込みに参加しておられるとか。

 沖縄防衛局は、この座り込みを「通行妨害」として14名を訴えるとともにテント撤去の仮処分申請をしているのですが、このGさんや、N1テントで毎日座り込んでいる佐久間さんなどは訴えられず、14人全員が高江の村民で、しかもほとんど座り込んでもいない人や8歳の子どもが訴えられていることなど、09523_5 高江の住民への脅しと分断のためであることは明らか。こうした事情については、2月1日に当ブログhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-943c.htmlで詳しく書かれていますので、一度ご覧ください。

 私たちは、N1ゲートで、5年前大阪の釜ヶ崎から辺野古の座り込みに入り、2年前からほとんど毎日この高江のN1ゲートで座り込みを続けておられる佐久間さんを訪ねた(左下写真)。さらに国頭との境の道路からやんばるの森を眺めた。さらに、人の配置は日常的にはないのですがHゲート(右下写真)にも行き、高江の村の中を通って、途中で佃さんと別れて読谷へ、09523_7 帰途につきました。

 読谷で、知花さんのお宅の近くにある小さな小料理屋で、沖縄料理のコースに舌鼓。この二日間の沖縄との交流を通して、いろいろな闘いを取り組んでいる人たちが三里塚を思っておられることが確認できたことと、そうした思いを持つ全国の人々が「反戦の砦」三里塚に結集していく流れを生み出すことの重要性を改めて感じたことなどを、萩原さん、市東さんと話し合ったものです。

 その後、早めにお風呂に入って今日は疲れを取ろうと思っていると、何と、市東さんのいとこの息子さんが、3年前から浦添におられるので会いに行こうと思うのだとのこと。市東さんが、その息子さんの中学、高校の頃に可愛がっていたとのこと。独りでは、帰りの道が不案内ですし、「ここで会わないと、何時また逢えるかわからない」09523_8 「一緒に行かないか?」のお誘いに、ほいほいとついていくことに。夜8時にオープンするライブハウス(? バー)に勤めておられるとのこと。タクシーを飛ばして、お店へ。泡盛を1本、市東さんと二人で空けながら、彼と話しを。沖縄時間や暮らしぶりなど、沖縄への彼の想いなどを楽しく聞く。私が神戸で親しくしていただいた沖縄の建築家の真喜志さんの息子さんが音楽家で彼は親しいとのことで、辺野古の闘いに真喜志さんが関わっておられることも知っている。今日、船に乗せてもらって見てきたことなどを語り合った。これも素晴らしい出会いでした。結局、この日も寝たのは12時過ぎ・・・・。

|

« 沖縄を訪ねて(その1、5月22日) | トップページ | 沖縄を訪ねて(その3、5月24日) »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

海面を飛び跳ねる魚や植えたような海藻。命を育てる海と、人殺しに行く基地と、どうしても相入れません。人が住む場所にオスプレイの写真もそぐいません。ヘリパッドも相入れません。
沖縄の方々が三里塚を良くご存知というのは闘う人々の場所だからでしょうか。これから繋がって、全国がスクラムを組むことができたら。

投稿: ぶう | 2009年5月27日 (水) 14時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 沖縄を訪ねて(その1、5月22日) | トップページ | 沖縄を訪ねて(その3、5月24日) »