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2009年4月24日 (金)

現地を訪れて (4月21日~23日)

09422  写真は、着陸態勢に入ったジェット機と東峰神社。

 4月21日の市東さんの農地をめぐる違憲行政訴訟と農地法裁判の2つの裁判と、4月23日、天神峰現闘本部裁判の傍聴闘争に参加するため、三日間、三里塚現地の市東さんのお宅に泊めていただきました。3・29現地全国集会での萩原さんからの基調報告で提起された「市東さんの農地死守の現地闘争と09421_4 一体のものとして裁判闘争を戦う」という方針のもと、3つの裁判を勝利的に闘い取りました。とりわけ、23日の裁判の無法、乱暴きわまる仲戸川裁判長の訴 訟指揮への怒りが高まる中、20日、裁判所より証言が従来確認されていた通り、北原さん、萩原さんの証言をそれぞれ3時間かけて行うことが伝えられた。仲戸川の結審策動を完全に押し返したのだ。このことが21日の裁判にも反映し、新装の千葉地裁の傍聴人70人収容の601号法廷を埋め尽くした傍聴団は、反対同盟、弁護団の法廷の闘いと一体となり、終始戦闘的に闘い抜き、訴えた本人・空港会社側代理人が、2か月も前に釈明を求められていた「貸借契約の時期」(訴えの前提 である!)について、この日も答えられず、弱々しく「一ヶ月半後の準備書面」を09421_6 約束するのがやっとという体たらくで、その破産を白日の下に曝したのです(左写真は、報告会で挨拶される市東孝雄さん)。

 この日の勝利感を受け継ぎ、23日の法廷は、冒頭、弁護団によるこれまでの仲戸川裁判長をはじめ千葉地裁総体と空港会社、国を糾弾する弁護団6人の凄まじい迫力の意見表明が行われました。その激しさは、傍聴していた永井関実代表が「発言中止、退廷命令が出るのではと心配した」(報告会でのあいさつ)ほどのものでした。傍聴席がそれに呼応し、これまで幾度も不当な退廷命令を出してきた仲戸川に、弱弱しく警告を発するものの一切手を出させなかった。引き継いで行われた北原鉱治反対同盟事務局長の証言は、午前11時過ぎからはじまり、昼食や休憩をはさみながら午後3時半まで堂々と続けられた。

 北原さんは、先ず冒頭仲戸川裁判長に対して「恥を知れ」と断罪された上で、海軍従軍時代の体験を通した反戦・平和への想いの証言に始まり、何一つ住09423_3 民への一切の説明もないまま、佐藤・友納会談による三里塚空港計画の打ち出しと2週間後の閣議での一日での内定、決定といたった経緯に対する糾弾、当時ベトナム戦争での羽田空港の米軍チャーター機の現場での見聞に基づいた「軍事使用反対」の想い。そして何よりも天神峰現地闘争本部の建設、増設、 そして88年の改築の過程での台所や一階の畳敷きの大部屋が一貫して使われてきたことを生々しく証言し、空港会社の主張の嘘を断罪した。さらに、90年1月15、16日の天神峰現地闘争本部封鎖の状況を生々しく証言して、国の不当を弾劾。さらに現場検証を拒否し続け、不当な訴訟指揮を続ける仲戸川裁判長、千葉地裁への弾劾をされ、こんなことで、この国が立ち行けるのかと訴えかけられて証言を終えられた。

 何と、空港会社代理人は60分の反対尋問時間を1秒も使うことなく、沈黙せざるを得なかったのです。

 09423_4 法廷後開かれた記者会見と報告会では、弁護団の皆さんをはじめとした勝利感に充ち溢れた、笑い声が混じった雰囲気に終始し、萩原進事務局次長の「振り上げたこぶしをもう少しあげたままでいてください。思い切り振り降ろす機会がか ならずありますから」という締めの言葉で終えました。詳しい経緯は、三里塚反対不同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/と、「市東さんの農地取り上げに反対する会」ブログhttp://www.shitou-nouchi.net/をご覧ください。

 21日の裁判の後は、産直出荷のお手伝いを萩原さん宅で。

 ところが、22日、さあ、援農だと意気込んだら、市東さんから今日はお休みですと。昼食を食べに行った萩原さんのお宅で富夫さんに「手伝うことはありませ09422_4 んか」と聞いても「何もない」と冷たいご返事。仕方なくこの日は日ごろ出来ないことをと、東峰神社に行って着陸機が来るのを待って写真を撮ったり(最初の写真)、東峰の森がどうなっているかゆっくりと歩いて散策。一番奥の北原さん所有の一坪のところが、フェンスがかっての2倍以上の高さにされて、中側のす ぐそばを通っているはずの新誘導路が全く見えない(ゲリラ対策?右写真のフェンス左が北原さん所有の一坪共有地)。

 東峰神社では、へたり込んでジェット機が来るのを待っている私とMさんに2台の私服車、5人の私服が遠巻き。いろいろ言ってくるが無視していたら、20分ほどして退散した。

 09423_5 23日の朝は、裁判に出かける前に、市東さんの天神峰の畑の監視台から、離陸機のひどさを写真に撮ろうと40分。まてどくらせど来るのは着陸機。それでも、写真の市東さんの畑にあるフェンス(空港会社が作った「防音壁」)が、航空機のエンジンより下にあり、爆音や排気ガスの何の防御にもならないことが一目瞭然にわかると思います。なお写真の尾翼の下の、舗装した色が違う部分が、東峰の森からはいってきた「新誘導路」です。

 なんと、22日には空港会社の人間が萩原宅を訪れ、新誘導路の7月下旬供用開始、北延伸部分の10月下旬供用09422_6 開始、来春3月までに22万回への増便のための施設整備、現在使用している 誘導路の補強工事で、B747などの大型機が使え、離陸機が新誘導路、着陸機が旧誘導路に使い分けることを行うなどをこの日付けの文書をもって説明したいと訪れ、追い返された。右の写真は、その日、私がこの話を聞いている間、お孫さんの梨緒ちゃん(8か月)をあやしているお祖父ちゃんの萩原進さんです。左の写真は、萩原宅の玄関の前の咲き乱れる花たちです。花は、庭一体にいろいろな花を咲かせていました。それと、3月31日に援農で、私が植えた里芋の種イモが、早くも2センチほどの芽を出しているのを富夫さんに教えていただき、記念写真(右・ちょっとピンぼけ)。

 09421_7 この3日間、同盟の皆さんには本当にお世話になり、のんびりとした現地での休息をもらいました。本当にありがとうございました。09421_8

 

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