4・12(岩国)愛宕山大集会(その2) 住民の訴え
「愛宕山に米軍住宅も米軍施設もいらない!4・12愛宕山大集会」では地元住民から4人の方が宣伝カーの上に立って訴えられました。その中から2人の婦人の方の訴えをご紹介します。
開発地に一番近い住民として 福田雅美さん
みなさん、こんにちは。今日は、遠いところ、近いところ、山の上までほんとうにありがとうございました。それと、ご報告します。今日の朝、無事に・・・地区の子供相撲大会が晴天の中とり行われました。子供の笑顔にほんとうに救われました。
皆さんの立っているところ、実は海抜60メートルなんですね。愛宕山神社とい うのは、その倍123メートルのところにありました。ここに。それで、私たちの団地というのは山の陰にありました。もちろん瀬戸内海も見えません。むこうも全然見えません。ある日突然、工事が始まったわけなんですけれども、私たちの家は、工事によって揺れたり、粉塵が飛んできたり、それは10年間大変な思いをしました。
愛宕山の中には、今、ここに土俵がありますけれども、桜があります山あいに小さな土俵がありました。大昔からそこで、学校が休みになって春の例大祭があったわけですね。それを誰がこんな土地にしようって思いますか。ほんとは誰も思いません。それでも、なぜこの開発に、岩国市民は手助けをしなければいけなかったのか。それはひとえに基地周辺の人の騒音の軽減です。だからこそ、みんなで、しょうがないということで我慢してきたんです。長い間、しょうがないという言葉で我慢してきました。ほんとに大変だったんです。
だけどここにきて、それを米軍住宅にする。とんでもない話です。ほんとにですね、私たちは、そのために、我慢してきたんじゃないんです。ここが住宅土地にならなくてもよかったんです。はっきり言うと、埋め立て用の土砂をとったら、それでおしまいでもよかったんです。それを、借金がかさむから住宅地が立てられなくなった、そういう言い訳は聞きたくないです。
私たちは、ほんとは子育てに忙しい普通の主婦です。今、こんなところで話してること自体も、ほんとはおかしな話しです。子供の面倒見なきゃあいけないし、家族のきずなも一番深めなければいけない時期なんです。だけど、今回は、こんなにたくさんの人が集まって下さったというのは、たぶん私たちの痛みを感じてくださっているから、ここにいらして下さったんだなと心から感謝しており ます。ほんとにありがとうございます。(左写真は、挨拶する井原前市長)
それと、多分、ここに来ていらしゃる皆さんは賛同者ですから、何を言ってもしょうがないんですが、東京に聞こえるなら、一言、言わせて下さい。政治は東京で行えるものではないです。それぞれの住民がすんでるそれぞれの土地で、現場で行われるものです。だから、常に私たちの声を聞いて下さい。私たちの声なくして、地域の政治は絶対にありえません。子供たちのためにも、それから、今生きてる人間じゃないです、過去ここに生きてきた岩国の人たちのためにも、この岩国に鉄条網を張らすことはできません。
ありがとうございました。
愛宕山に住む爆音裁判原告として 末岡静枝さん
(ご本人は88歳、ご主人は94歳で、最高齢の爆音訴訟原告。)
みなさん、こんにちは。私たちが、この尾津に、すぐそこなんですけれども、愛宕山のすぐ下を、「終の棲家」と決めた理由は、気候が温暖で風光が明媚、そして人情がある。その人情こそ今も残っていますけれど、風光明媚のこの愛宕山、それが今失われてしまいました。
愛宕小学校を卒業された方、校歌を思い出してみてください。「いま明けそめる 朝空の 門前川につづく海」ではじまるこの愛宕小学校の校歌、その豊饒(ほうじょう)の海は、艦載機が来るために、それをはこぶ船のために、あの藻場はなくなってしまいました。この近辺どこにもない、今どんなに求めようとしても求められない、あの美味しいあさりも、いつのまにかまったく姿を消してしまいました。
さらに校歌の3番に「聞け なごやかな歌声を あおげば月の愛宕山」、その 「あおげば月の愛宕山」がこの惨状です。このむごたらしい姿を見た時に、愛宕小学校の卒業生ならずとも言葉を失ってしまいます。もう一度この美しい愛宕山を取り戻すことはできないのかもしれません。でも、ここに米軍住宅だけは絶対 に許してはなりません。(右写真は、入口でがばっておられた大川清さん)
私は、先ごろ爆音訴訟団の一員に加えていただきました。爆音はもちろんいやですけれども、今の爆音ならまだ耐えられる限界かもしれません。でも、これが2倍になり、基地が変わった時に、「ああ、こんなはずじゃなかった」といったって遅いんです。でも、それ以上に、ここは、このふる里のこの愛宕山が米軍住宅になって、ほうんとうに、ふる里を失った人たちが今、団塊の世代を迎えていることを思う時に、何ともやりきれない気持がして、私は、補償の金額が何ほどかではなくて、これを国にもの申す事が出来ないのか。この大きな負の遺産を残しておいて、子供たちにこの岩国に帰っておいでとは言えない。私の子供たちだけではありません。ほんとうに、今、故郷の地を離れて、遠隔の地で働いてきた人たちが、帰ってくる故郷をこんな無残な姿にして、しかもそれがフェンスで張られることなんかを思う時に、なんでこうなったのか。
私たちの世代が、危機に感じて、もう少し声を上げればよかったのじゃないかという思いでいっぱいです。その、本当に申し訳ないことをした、取り返しのつかないことをした。それをなんとかして償いたい、そういう思いで爆音訴訟団の一員になったんです。命はそこまでもたないかもしれません。結論が出るまでもたなくても、でも今日ここにお集まりの皆さんが一人ひとりにその思いを伝えていただければ、まだ何とかなるのではないかという希望をもっております。私たちの一人ひとりの力はほんとうに小さくて、力がないように見えますけれども、今日お集まりの皆さんが、3人なり、5人なり、10人にこの想いを伝えていただければ、きっと大きな政治の力を動かせるんじゃないかと、そんな希望を捨てきれません。
一人ひとりの知恵を出し合って、先ほどどなたかが「政治は国のものじゃな い。みんなのものだ」と。そうなんです。民主主義なるものを信じすぎて、あれだけ軍部にだまされてきたのに、民主主義の時代なら何とかなるなんて、はかない希望をもっていたことにも今悔いております。その民主主義を本当に完全なものにするには、一人ひとりの知恵を出し合うしかないと思います。今、スタートに立ったばかりです。これから長い長い道のりですが、決して諦めないで、決してくじけないで、みんなの力をより会わせて、今日お集まりのみなさんが、ほんとに大きな輪を作ってくださることを、私も、命の限り、闘っていきたいと、そういう思いで。終わりたいと思います。(左写真は、オープニングの岩国太鼓)
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