4・12(岩国)愛宕山大集会に参加して (その1)
4月12日、山口県岩国市で開かれた「愛宕山に米軍住宅も米軍施設もいらない!4・12愛宕山大集会」に参加してきました。集会には愛宕山周辺の地域の住民のみなさんが自治会ぐるみ、地域ぐるみで参加し、山口県下のいろいろな労働組合や市民運動、さらには各地からの人々など、写真の運動場と写真を撮っている愛宕山神社の境内に鈴なりになった2000人が集まりました。
岩国は、現在、米軍海兵隊の戦闘機57機が駐留し、戦後60年以上、日夜、訓練する戦闘機の爆音と事故、そして米兵による犯罪に苦しめられてきました。今回着手された爆音裁判のご夫婦で最高齢の原告となった末岡静枝さんが集会の中で「愛宕山小学校の校歌にある『いまあけそめるあさぞらの もんぜんがわにつづくうみ』とある豊饒の海」と語られた。その瀬戸内海有数の藻場であり、美味しいアサリなどが採れた岩国基地に隣接する海を埋め立てても、航空機騒音の軽減と墜落の危険から解放してほしいと「岩国基地沖合移設運動」が、岩国市民の「悲願」として30年近くを費やして行われていました。そして、岩国基地沖合移設事業が、 膨大に投入される建設経費によって岩国は潤おうとバラ色の夢をばらまきながら、1996年6月にスタートしました。
しかし、それは、先日の「3・15米軍再編と闘う集い」で、岩国の大川清さんが「初めから画策されていたこと」と指弾されたように、そしてその8年後の04年に報道されたように、移設ではなく、厚木基地の空母艦載機部隊の移駐を軸とする米軍再編による基地の拡張でしかありませんでした。戦闘機128機を擁するアジア最大の戦闘機基地となるためだったのです。
この基地強化、米軍再編の動きに、基地の町として戦後、運動らしい運動、怒りらしい怒りを表明して来なかった岩国市民の我慢の緒が切れ、06年住民投票、市長選と闘いが爆発しました。このことについて今回は省略しますが、この新基地建設の埋め立てに、市民の憩いの場所であり、鎮守の森であった愛宕山の土砂を削り使う(右上図参照)ことが、「移設による騒音の軽減」をかざしつつ、跡地に新しい住宅、病院や学校、商業施設ができて地域が発展すると反対する地元住民、地権者に「バラ色の未来図」を押し付けて山口県によって強行されました。そして、新滑走路もでき、埋め立てがほとんど進んできた今になって、「未来図」が不可能だから国に買い上げてもらい米軍住宅にすることで、山口県と岩国市が抱える借金を返したいと、山口県が言い始めたのです。
これほどのひどい騙し方があるだろうかと、岩国の人々は、米軍住宅と米軍施設の建設に反対して立ち上がられました。この日の集会は、国に11万人の「米軍住宅建設反対」 の署名を提出し、さらに先日、477人の原告をもって爆音裁判の提訴が行われたのに引き続き開かれた、怒りの集会でした。最初の写真は、集会参加者がシンボルマークを掲げている写真です。
左写真は、新基地の南側で、白く見えるのが2600メートル滑走路の南半分。その先に小さく見える点が、原子力空母が接岸できる大型岸壁を作っている現場です。そして、右写真が、この日の会場になった愛宕山神社とグランドに接してある土砂が採取され見事に山がなくなった更地です。
集会は、オープニングに岩国太鼓の演奏。井原前岩国市長や国会議員が駆 け付けて挨拶が行われましたが、圧巻はやはり4人の地元住民の想いのこもった訴えでした。(明日のブログに、このうちのお二人の発言を紹介いたします。)集会アピールの採択の後、エンディングパフォーマンスとして、シンボルマークを掲げ、最後に全体で「艦載機より『平和の紙飛行機を飛ばそう』」と紙飛行機を右写真の更地に向けて飛ばしました。
岩国の皆さんと一緒に、米軍再編に反対して闘っていくことを思いながら、わずか1時間の集会でしたが、気持のこもったいい集会だった余韻をかみしめながら、帰途に着きました。
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