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2009年4月30日 (木)

饗庭野基地へのPACⅢ配備強行に抗議

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 防衛省は、4月28日、地元自治体への連絡もせず、秘密裏に迎撃ミサイルPACⅢを饗庭野航空自衛隊基地に搬入を強行した。「止めよう戦争への道!百万人署名運動連絡会」の緊急の呼びかけで、30日午後3時半、饗庭野分屯基地に「同兵庫県連絡会」「元自衛官連絡会」「東灘区住民の会」など8人が参加して、抗議の申し入れを行った。準備された4団体からの「抗議申し入れ」が順09430_3 次読み上げられ、最後に基地内の自衛官にも呼びかけるシュプレヒコール(右写真)を行って、行動を終えた。4つの申し入れの内、「元自衛官連絡会(三木さん)」の抗議申し入れを紹介します。

 抗議申し入れ

 饗庭野分屯基地への、PAC3配備に強く抗議します。

 私達は、自衛隊の海外派兵に反対し、自衛隊の人権確立を訴えて活動する、元自衛官連絡会です。さる3月22日、とめよう戦争・百万人署名運動の皆さんとともに、ここ饗庭野基地に対してPAC3配備をやめるよう申し入れを行ったところです。

 ところが、私たちや市民の皆さんの中止申し入れを無視し、秘密裏に饗庭野への配備を強行したことを強く抗議し、直ちに配備を撤回することを申し入れます。

 饗庭野では、昨年暮れ、09430_4 自衛隊普通科連隊と米海兵隊31海兵機動展開中隊との日米合同演習を、平和団体の反対の声を押し切って強行しました。

 米軍再編に基づく米軍と自衛隊の一体化が進み、朝鮮戦争準備の演習が続いています。このたび、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のロケット発射実験を、「弾道ミサイル発射」であるとして、浜田防衛大臣が自衛隊法82条の2「弾道ミサイル等破壊措置命令」を初適用し、ミサイル迎撃を発令しました。

 イージス艦2隻を日本海に配備、PAC3を首都圏や中部方面から秋田・岩手方面に移動・配備を官房長・外相・防衛大臣のみの会合で決定、配備命令し、実際に配備しました。首都圏では、市ヶ谷の防衛省前公園に配置、近接するマンション住民を恐怖に陥れました。

 今回配備された、饗庭野へのPAC3もまた、このように「戦時」に対応して市街地に移動し、市民生活のど真ん中にPAC3が配置されます。これは逆にミサイルに狙われる危険を生みだし、市街地を戦場とすることは必至です。

 ロケット発射にあたって政府は、各自治体を全国瞬時警報システム(Jアラート)の傘下におき、国民を国民保護法の下の、戦時統制に置きました。

 しかし、このPAC3は射程数十キロといわれ、市民を守ることを目的に配備さPhoto れるものではありません。

 実際には政府・資本の重要警備対象、つまり戦争司令部である首相官邸や防衛省地下司令部、または三菱重工業など軍需産業、せいぜい空港や皇居をカバーするにとどまります。市民には、ミサイルを迎撃した残骸を頭上に降らせる結果しかもたらしません。軍隊は国民を決して守らない。これは第二次大戦の沖縄戦がその事実を物語っています。洞窟に逃げ込む沖縄市民を、追い出し、泣き叫ぶ子どもを敵に悟られると母親に黙らせろと、「子供殺し」を強要したことは、沖縄ではよく知られた歴史的事実です。戦争の恐怖と危機煽りを行い、憲法9条破壊の道を進める、現自民党・麻生政権に反対します。PAC3配備に絶対反対です。(以下略)

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2009年4月29日 (水)

農地法の改悪を許すな!

09428  昨日4月28日付の朝日新聞で、農地法の改悪に向け自民、民主両党の合意が行われ、今国会での成立に向けて動き始めたことが報じられた。

 増大する「耕作放棄地」の「有効利用」を口実とし、農地の流動化、利用権の自由化を水路として、あらたな新自由主義的利権を生み出すことがその最大の目的である。

 この農地法改悪の原動力となった06年の農政改革高木委員会最終報告は、その序で、「GDPにおける農業生産の割合はわずか1%であるにもかかわらず、農業関係の予算は依然として巨額に上る。農政の費用の負担者であり、かつ本来受益者たるべき多くの国民を納得させるものにはなっていない」と、農業への過保護を叫びたてている。しかし、本当にそうなのだろうか。

 確かにコメと乳製品をはじめごくわずかの農産物の関税は高く、WTOによって、その自由化が叫ばれている。しかし、野菜の関税がわずか3%台であるのをはじめ、日本の農産物の関税は世界的に見ても異常に低く、そのため価格競争の激化の中で、野菜をはじめ農産物の低価格化、食料自給率の低下が著しく進んできたことは周知の事実である。そしてコメの自由化、あるいはオーストラリアとのEPA交渉によって、コメや砂糖、乳製品などの最後の垣根さえ取っ払われ、食糧自給率は農水省の試算でさえ12%に落ち込むという惨状になることが予想されている。トヨタの車が売れればいい、そうなのだろうか。

 新自由主義の申し子ともいわれるアメリカ大統領ブッシュでさえ、2001年1月「食糧自給は国家安全保障の問題であり、それが常に保障されている米国は有難い」と語り、その年の7月には日本を念頭に置いて「食糧自給できない国を想像できるか、それは国際的圧力と危険にさらされている国だ」と揶揄したのだ。

 事実、アメリカやヨーロッパでは、農業を生産性の物差しで測ることを否定し、農業、農民への日本と比較にならない保護政策をとっている。他方、日本は戦後のアメリカへの従属の中で食糧輸入国化を進めるとともに、自民党政権は一貫して、戦後、耕作者保護の政策として生まれた農地法の改悪を図り、農業への保護政策の切り捨てを食管法の改悪、打ち切りを始め進めてきた。その結果として、農業従事者の貧困化、後継者育成の困難が生まれ、中山間地での離農、耕作放棄地が増大し始めた。そして、中曽根、小泉によって進められた新自由的農業政策の切り捨ては、一気に農業の破壊、農村の極貧困化、高齢化、耕作放棄地の急速の増大を生みだした。そして保護されていると言いながらコメの価格がこの10年で半額になり、集約農家でも作れば作るほど赤字になるという惨状が生まれている。

 「耕すものに権利あり」とする農地法は、戦前・戦中の壮絶な小作争議を引き継ぎ、戦後革命期に農民が総決起するなかで勝ち取られた。都市における労働者の工場占拠、自主管理をはじめとした戦後革命情勢の中で、都市の労働者と、復員してきた農家の次男、三男をはじめ農地を求め決起した農民が合流することを恐れたアメリカ占領軍GHQと日本の支配者が、共産主義革命への恐怖から農地解放、そして農地法の制定へと向かわざるを得なかったのだ。まさに、戦後憲法の骨格としての労働法や教育基本法と一体の、農民の力によって勝ち取られた法律なのだ。

 それを、支配者みずからの農業切り捨ての政策の結果として生まれた農村の貧困化、耕作放棄地の増大の現実を逆手に取り、あらたな利権の創出、新自F 由主義的生き残りの展望をかけて、戦後支配の確立をかけた積年の野望として農地法の改悪が行われようとしているのだ。改憲勢力でしかない、自民、民主の改憲に向けた野合のなせる業であるこのような農地法改悪を断じて許すことがあってはならない。まさに、国民投票法が来年蠢きはじめるために、憲法審査会がこの春、蠢動を開始したのと軌を一にした攻撃なのだ。

 市東孝雄さんと三里塚反対同盟の「農地死守」の闘いこそ、この蠢きに打ち込まれた楔、刃に他ならない。それゆえに、何の展望もない暫定滑走路北延伸供用開始の前倒し攻撃であり、農地法による公用収用攻撃なのだ。ここではね返すことができれば、国家権力、改憲勢力をこそ窮地に追い込むことができるのだ。

 10・5三里塚現地への総決起に向け、連続する裁判闘争、七月新誘導路供用開始阻止闘争などを駆使して総決起しようではないか。

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2009年4月28日 (火)

4月26日、泉州住民の会総会開かれる

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 4月26日、関西新空港絶対反対泉州住民の会の総会が開かれ、兵庫の住民団体を代表して、淡路の永井満さん、東灘の山本善偉さんとともに参加してきました。集会では、平尾さんの開会あいさつのあと、小林さんから昨年度の活動報告と会計報告が、中沢さんから新役員の選出が行われた後、国賀祥司事務局長より、09年度の運動方針が提起されました。

 ①世界恐慌情勢、関西新空港反対運動が勝利する時代がきた! ②労働組合と共に道州制粉砕、橋下知事打倒、関西新空港粉砕へ闘おう! ③関西新空港の軍事使用に反対しよう! ④全国の運動と連帯して闘おう! そして⑤具体的な方針として7月の関西新空港反対全国集会(末広公園)などが提起されました。

 集会は、参加した労働組合の連帯挨拶や三里塚芝山連合空港反対同盟から09426_2 のメッセージの紹介などが行われ、決意表明で集会を終えました。

 連帯挨拶とともに、永井さん、山本さんから来賓の挨拶が行われました。山本善偉さんの挨拶を紹介します。

 山本善偉さんの挨拶

 今日が、日記を見ましたら、たぶん第25回目の総会じゃないかと思うんです。第1回を振り返ってみて、随分泉州住民の会はこの一年若返ったというか、すごい力を持ったとそういう感じをもっています。

 森田先生のことをおもいます。この3月29日三里塚で、元の泉州住民の会代表の森田先生は、92歳になって立っているのが辛いと言いながら、あの全国集会の開会あいさつをされました。そして、すでに憲法改正が来年をまたずに実質的には改正されつつある。そのトップが、農地法をまげて市東さんの農地を取り上げるというあの問題にでている。

 私のことを一言言うならば、私自身、若いころ、22、23歳頃ですが、1920年生まれですから、その頃は、戦争をするのが当たり前だと思う中で育ってきました。今考えてみればとんでもない間違いだったのですが、それが間違いだとわかるまでに、1年や2年ではありません。25年かかりました。いろんなことにぶつかって、ぶつかって、三里塚と出会ったのが50歳の時です。今、88ですけれども、そこで本当に人間らしい生き方は何かということを教えられました。1回目までは知らなかったから戦争に協力した。しかし、2回目に戦争に入るということは、自分が意識して入るとい09426_3 うことは裏切りだと、これはみなさんよくご存じだと思いますけれども、栗原貞子さんの詩のことばです。私は、今も絶対に忘れてはならないと思っています。

 そういう意味で三里塚の闘いを一人でも多くの方に知ってもらいたい。そういう努力で、3・29は本当にいい集会ができました。今度の10月の集会までにさらにこれを広めていきたい。

 今も永井さんが言われましたが、安倍が立ち上げた憲法審査会が、しばらく休会でしたけれども、また動きだしました。これが動き出すと、来年には、国民投票法。そうすると、今の空気では、かって私がだまされたように、だまされる国民がいっぱい出てくる。皆さんは目覚めておられる。ですから、止めることができるのは、みなさんと我々だということをはっきりと言って、今日のお祝いの言葉としたいと思います。

 

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2009年4月27日 (月)

市東さんの農地裁判報告(4月21日)

09421  4月21日、千葉地裁で、市東さんの農地強奪を許さない違憲行政訴訟(市東さんが原告)と、農地法によって市東さんの農地を取り上げようとする農地法裁判(市東さんが被告)の二つの裁判が相次いで行われました。経過について、法廷後の記者会見で葉山弁護士が報告しておられますので、それを掲載いたします。

 葉山岳夫弁護士の報告

 みなさん、ごくろうさまです。601号法廷、昨日から供用開始になったようなんですけれども、こけら落としみたいなもんで、70名くらいの法廷で、傍聴席があるということで、廊下で待機するということもかなりなくなった。そういう傍聴闘争そのものが、裁判闘争の中で現地闘争の一環として、裁判所に非常に大きな重圧を与えているということは、後で話しますが、天神峰現地闘争本部、仲戸川裁判長の部で徐々にこちらの主張を通すという状況を勝ち取ってきている、そういうことについてもみなさんの傍聴闘争が大きな力になっているということをについて確認をしたいと思います。

 その上で、今日の行政訴訟、市東さんの土地に対する許可処分に対する取り09421_2 消し訴訟、それからその許可処分に基づいたところの不当な耕作地についての明け渡し訴訟。それが10時半からと、11時10分からとに分けて両方行われた。天神峰の明け渡しと南台の明け渡しについては併合された。しかし、この行政訴訟事件と明け渡し訴訟事件については、県側とNAA側が相当強く反対して、結局今のところ別々に進行して、そのために10時半からと11時10分からとになっているという状況です。

 行政訴訟事件の方については、今まで所々で主張してきたんですが、このとんでもない成田市農業委員会、これが2006年7月3日に(NAAが)申請したものについて、7月10日に早々と受理をしてしまった。本来は、7月19日に審理を開いてそこで許可決定をして、さっと上に送っちゃおうという状況だったんですが、反対同盟の方も宣伝カーを繰り出す、周りにビラをまくという状況で、7月10日の状況については7月24日に延ばす。そこで、市東さん、萩原さん、そして私の意見陳述ということで、その方々間違ってる、よく調べろということを強力に申し入れたんですが、それを無視して7月24日2時に許可決定を出してしまったということがあるわけです。

 そして早々と、7月25日送ってしまっちゃったわけです。千葉県農業会議の中で、審議するのは実質的には常任会議員会議というのがある。その中で会議をして、その結論が千葉県農業会議の結論になるということが、法律で決まっている。そういう中で、9月14日、常任会議員会議というのが開かれて、参加していただいた方も多数、この中にあると思うので、あの時の状況をご存知かもしれませんが、要するに全ての常任会議員が質問すると千葉県の農地課がことごとく答える。要するに上司の諮問したものを部下が答えるという自作自演です。しかも、その中での結論についても、補足説明書の中でこういう結論を出して下さいという書面をあらかじめ農業会議の中で配ってるわけです。2、3、八百長的な質問があった上で、20分くらいかそこらの中で許可相当という議決を下した。それに対しては満場、みんな怒ったわけです。猛烈な弾劾行動をやったわけですが、それを20分くらいむこうはじっと座ったままで動けない、いう形の中ででやったんですが、このでたらめきわまる一連の過程のなかで、この諮問に基づいて堂本知事が許可と称して下したことに対して、このでたらめなものについて一体どういうでたらめが行われたかについて概略として説明したのが今日の弁論でした(第10準備書面)。

 その過程で会議録についての請求をこちら側が2006年に起こしたわけですが、真黒な会議録、これが会議録です(黒塗りの書類を示す)、を出してきたんで、先ほども要求したんですが、正式な名前を書いたものを出せと。どんな常任会議員がいて、千葉県農地課は誰々が答えたのかについて真黒になっちゃってるわけですよ。真っ黒のままで出して、これ以上は出さないような口ぶりをしてきた。そういうけしからんものを出してきた。名前を出したらどんな被害があるというのかわかりませんけれども、やったことが悪いもんだからこういう形になっているという状況にある。

 この点も、明け渡し請求の民事訴訟についても同じ日に、次回7月21日行う09421_3 と。この点に関しては、前回の法廷の中で釈明をしたわけですが、何時、公団は、この賃貸に至る処理をしたのか、何時から貸しているのか。これに対して答えられない。2月17日に釈明書を出したんですけれども今だに答えがない。初めは「所有権取得の時期かな」なんということを、これは原告側の上野という元千葉地裁の裁判官あがりがちょっと呟いたんですが、それもはっきりしなくて、後一月半かそこらの間に答えるという。これはまた他の代理人の方から説明があると思いますが、非常に問題点を含んだことなんです。とっかかりとして大いに追求する。

 それから南台41-8と41-9がでたらめだということははっきりしている。今度は、天神峰の市東さんのお宅のすぐそばの土地についても非常に問題点があるということを弁護団会議の中で発見しました。この点を掘り出して、41-8と41-9と同じような格好で追求しようと思っているんで、十分に注視し、支援していただきたい。

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2009年4月25日 (土)

今週の産直野菜(4月25日)

09425  今週の産直野菜が三里塚から、いま届きました。

 春大根、カブ、小松菜、三つ葉、ほうれん草、葉玉ねぎ、チンゲンサイ、切り干し大根、それにキャベツと9品目。だいぶ春らしくなってきました。

 しかし、市東さんの話し(この22日)では、端境期が1ヶ月ずれ込んでいるそうです。しかも、急に暖かい日が続いたりで、小松菜が急に伸びたり、でき具合にデコボコがあるとか。また、萩原さんの話しでは、6月の予定のトウモロコシの成長が非常に遅く、こんなことは初めてで、できが悪いかもしれないとのことでした。来週は、また少なくなるようなミーティングの時の様子でした。

 22日には、種を買い付けに行く萩原さんに連れられて多古にある種屋さんに行きました。ホームセンターでよく見るような紙の袋に入った種と、小さな缶詰に入った種がありました。紙の袋でやると少ない分割高になるそうで、直径4センチくらいで高さ3センチくらいの缶詰の種が6千円から1万円くらい。農家が減ってきて、家庭菜園がはやっている分、紙の袋や苗を買っていくお客さんがにぎわっていました。それだけ、種屋のほうも経営が厳しくなって、農家に掛売りを09421 してくれていたのが、現金買いに代わって、農家の経営を圧迫しているなどのお話も、聞きながら買い物を見ていました。缶詰に入っているので持つのかと思ったら、春に撒く分は秋には使えないということで、この種屋の世界の厳しさも理解された。ますます農家は大変。萩原さんは、7月に収穫予定のトウモロコシの種を購入されました。この日の昼過ぎには、もう畑に蒔いたと、翌日の天神峰裁判に向かう車の中でお聞きしました。「おやすみ」といっても、いろいろしているのだ。

 右の写真は、シイタケを初めて昨年末種付けしたもので、萩原さんの作業場の横の木陰にあります。今年の秋が楽しみですが、難しいそうです。市東さんのところではすでに試みておられるようです。先週の「週刊三里塚」のコラム「北総の空の下で」で、種のF1問題と萩原富夫さんののらぼう菜(野良坊菜)へのアタックが紹介されていますが、50種類を超える作物を育てながら、産直の前進のために、いろいろと努力しておられるのがわかります。

 萩原さんが、始めたばかりの関西の産直の取り組みの難しさの一つに、現場にじかに触れ、そこで農民と話し合うことの大切さを言っておられました。確かにそうだと思います。

 春の催しとして今週の「野菜便り」に、6月7日春の産地交流が行われることが紹介されています。メインはジャガイモ掘りです。私たちも参加させてもらい、あと残って援農と現地調査をするために、前日の6日の夜に出発し、10日まで現地にお世話になる計画を進めています。産直をしておられる皆さん。いかがでしょうか。7日だけでも・・・。

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2009年4月24日 (金)

現地を訪れて (4月21日~23日)

09422  写真は、着陸態勢に入ったジェット機と東峰神社。

 4月21日の市東さんの農地をめぐる違憲行政訴訟と農地法裁判の2つの裁判と、4月23日、天神峰現闘本部裁判の傍聴闘争に参加するため、三日間、三里塚現地の市東さんのお宅に泊めていただきました。3・29現地全国集会での萩原さんからの基調報告で提起された「市東さんの農地死守の現地闘争と09421_4 一体のものとして裁判闘争を戦う」という方針のもと、3つの裁判を勝利的に闘い取りました。とりわけ、23日の裁判の無法、乱暴きわまる仲戸川裁判長の訴 訟指揮への怒りが高まる中、20日、裁判所より証言が従来確認されていた通り、北原さん、萩原さんの証言をそれぞれ3時間かけて行うことが伝えられた。仲戸川の結審策動を完全に押し返したのだ。このことが21日の裁判にも反映し、新装の千葉地裁の傍聴人70人収容の601号法廷を埋め尽くした傍聴団は、反対同盟、弁護団の法廷の闘いと一体となり、終始戦闘的に闘い抜き、訴えた本人・空港会社側代理人が、2か月も前に釈明を求められていた「貸借契約の時期」(訴えの前提 である!)について、この日も答えられず、弱々しく「一ヶ月半後の準備書面」を09421_6 約束するのがやっとという体たらくで、その破産を白日の下に曝したのです(左写真は、報告会で挨拶される市東孝雄さん)。

 この日の勝利感を受け継ぎ、23日の法廷は、冒頭、弁護団によるこれまでの仲戸川裁判長をはじめ千葉地裁総体と空港会社、国を糾弾する弁護団6人の凄まじい迫力の意見表明が行われました。その激しさは、傍聴していた永井関実代表が「発言中止、退廷命令が出るのではと心配した」(報告会でのあいさつ)ほどのものでした。傍聴席がそれに呼応し、これまで幾度も不当な退廷命令を出してきた仲戸川に、弱弱しく警告を発するものの一切手を出させなかった。引き継いで行われた北原鉱治反対同盟事務局長の証言は、午前11時過ぎからはじまり、昼食や休憩をはさみながら午後3時半まで堂々と続けられた。

 北原さんは、先ず冒頭仲戸川裁判長に対して「恥を知れ」と断罪された上で、海軍従軍時代の体験を通した反戦・平和への想いの証言に始まり、何一つ住09423_3 民への一切の説明もないまま、佐藤・友納会談による三里塚空港計画の打ち出しと2週間後の閣議での一日での内定、決定といたった経緯に対する糾弾、当時ベトナム戦争での羽田空港の米軍チャーター機の現場での見聞に基づいた「軍事使用反対」の想い。そして何よりも天神峰現地闘争本部の建設、増設、 そして88年の改築の過程での台所や一階の畳敷きの大部屋が一貫して使われてきたことを生々しく証言し、空港会社の主張の嘘を断罪した。さらに、90年1月15、16日の天神峰現地闘争本部封鎖の状況を生々しく証言して、国の不当を弾劾。さらに現場検証を拒否し続け、不当な訴訟指揮を続ける仲戸川裁判長、千葉地裁への弾劾をされ、こんなことで、この国が立ち行けるのかと訴えかけられて証言を終えられた。

 何と、空港会社代理人は60分の反対尋問時間を1秒も使うことなく、沈黙せざるを得なかったのです。

 09423_4 法廷後開かれた記者会見と報告会では、弁護団の皆さんをはじめとした勝利感に充ち溢れた、笑い声が混じった雰囲気に終始し、萩原進事務局次長の「振り上げたこぶしをもう少しあげたままでいてください。思い切り振り降ろす機会がか ならずありますから」という締めの言葉で終えました。詳しい経緯は、三里塚反対不同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/と、「市東さんの農地取り上げに反対する会」ブログhttp://www.shitou-nouchi.net/をご覧ください。

 21日の裁判の後は、産直出荷のお手伝いを萩原さん宅で。

 ところが、22日、さあ、援農だと意気込んだら、市東さんから今日はお休みですと。昼食を食べに行った萩原さんのお宅で富夫さんに「手伝うことはありませ09422_4 んか」と聞いても「何もない」と冷たいご返事。仕方なくこの日は日ごろ出来ないことをと、東峰神社に行って着陸機が来るのを待って写真を撮ったり(最初の写真)、東峰の森がどうなっているかゆっくりと歩いて散策。一番奥の北原さん所有の一坪のところが、フェンスがかっての2倍以上の高さにされて、中側のす ぐそばを通っているはずの新誘導路が全く見えない(ゲリラ対策?右写真のフェンス左が北原さん所有の一坪共有地)。

 東峰神社では、へたり込んでジェット機が来るのを待っている私とMさんに2台の私服車、5人の私服が遠巻き。いろいろ言ってくるが無視していたら、20分ほどして退散した。

 09423_5 23日の朝は、裁判に出かける前に、市東さんの天神峰の畑の監視台から、離陸機のひどさを写真に撮ろうと40分。まてどくらせど来るのは着陸機。それでも、写真の市東さんの畑にあるフェンス(空港会社が作った「防音壁」)が、航空機のエンジンより下にあり、爆音や排気ガスの何の防御にもならないことが一目瞭然にわかると思います。なお写真の尾翼の下の、舗装した色が違う部分が、東峰の森からはいってきた「新誘導路」です。

 なんと、22日には空港会社の人間が萩原宅を訪れ、新誘導路の7月下旬供用開始、北延伸部分の10月下旬供用09422_6 開始、来春3月までに22万回への増便のための施設整備、現在使用している 誘導路の補強工事で、B747などの大型機が使え、離陸機が新誘導路、着陸機が旧誘導路に使い分けることを行うなどをこの日付けの文書をもって説明したいと訪れ、追い返された。右の写真は、その日、私がこの話を聞いている間、お孫さんの梨緒ちゃん(8か月)をあやしているお祖父ちゃんの萩原進さんです。左の写真は、萩原宅の玄関の前の咲き乱れる花たちです。花は、庭一体にいろいろな花を咲かせていました。それと、3月31日に援農で、私が植えた里芋の種イモが、早くも2センチほどの芽を出しているのを富夫さんに教えていただき、記念写真(右・ちょっとピンぼけ)。

 09421_7 この3日間、同盟の皆さんには本当にお世話になり、のんびりとした現地での休息をもらいました。本当にありがとうございました。09421_8

 

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2009年4月20日 (月)

4月23日 天神峰現闘本部裁判の傍聴に

Photo  4月23日(木)、天神峰現闘本部裁判が、午前10時半から千葉地裁で開かれます。

 一旦は異常極まる、仲戸川裁判長によって不当に取り消されていた反対同盟から出されていた証人調べを、この日行います。萩原進事務局次長、北原鉱治事務局長をはじめ3人の証人調べが午後4時20分までかけて行われます。といっても、当初確認されていた半分の時間に切り縮め、一日で一切を終わらせようという乱暴なものです。

 仲戸川裁判長は、証人・石橋恵美子(元副委員長・石橋政次の息子武司の嫁)の証言をビデオリンクで行うという暴挙を前回働きました。ビデオリンクというのは、証人を尋問する際に、証人を法廷外の場所に召喚し、映像と音声をモニターできる装置を用いて法廷から証人に尋問する方法。「犯罪被害者等の権利利益保護」のために認められた例外的措置。今回のような民事の証人に使われるためのものではありません。これでは、証人の直の表情がうかがえず、容易に偽証を可能とします。事実、石橋恵美子が事前(09年2月27日)に提出した陳述書は、石橋政次の「相撲見物」などによる三里塚闘争への重大な裏切り、逃亡の事実を隠し、居直った上で、「反対同盟はこわいと感じていた」と三里塚闘争は過激派の闘争なる国家権力のキャンペーンに依拠し、「賃料は受け取っていなかった」なるまったくの偽証を行っている。ビデオリンクの採用は、この石橋恵美子の偽証を維持するためであることは明らか。それゆえに、反対同盟と弁護団は、前回の裁判に先立って裁判官忌避を行い、千葉地裁はそれを受理したのだ。

 にも関わらず、仲戸川裁判長は、口頭弁論を強行し、石橋恵美子の陳述書を確認して2~3分で終えるという許すことのできない偽証を支えたのだ。そして、反対同盟の側が「反対尋問の権利を放棄した」と強弁して、石橋恵美子の証言を終了させるとともに、採用されていた証人を取り消すという暴挙を行って、反対同盟の立証活動の権利をはく奪したのだ。

 こんなことが三里塚闘争をめぐる裁判だからと強行されることがどうして許されようか。違法、不当な国策裁判以外の何物でもない。このあまりに不当な訴訟指揮は通用せず、証人調べ取り消しを撤回したとは言うものの、仲戸川裁判長の国策裁判を進める意図は何ら変わるものではありません。それは、現地調査を行わないという核心的事態が何よりも物語っています。そして石橋恵美子の偽証を唯一のよりどころとして、天神峰現闘本部の地上権を否定しようと画策していることは明らかです。こんなでたらめきわまる薄知恵を断じて許せません。

 4月23日の天神峰現闘本部裁判における北原事務局長、萩原事務局次長などの証言と裁判闘争を通して、仲戸川裁判長と国の暫定滑走路北延伸供用開始の前倒し攻撃の野望を打ち砕く一歩としなければなりません。裁判傍聴に全力で起ち上がろう!

◆ 次回口頭弁論 4月23日(木)午前10時30分 千葉地裁    傍聴席抽選のための整理券が配布されますので、午前9時30分をめどに地裁前に集まってください。

 

 管理人は、明日の裁判もあり3日間現地にお世話になります。援農でも楽しんでこようかなと思っています。そんなことで、ブログは24日までお休み。報告にご期待下さい。

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2009年4月19日 (日)

4月21日、市東さんの農地裁判に集まろう

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 明後日21日、千葉地裁新館601号法廷で、市東さんの農地、2か所にかかる2つの裁判が開かれます。今、国会における農地法改悪の動きがあります。この2つの裁判は、農地に対する規制の緩和、流動化=企業の参入を通した農業・農地の破壊、強奪を目指した農地法改悪に真っ向から立ち向かう闘いであるとともに、今秋10月に前倒しされた暫定滑走路北延伸部分供用開始の攻撃に対する反Photo 撃の闘いです。そういう意味では、正に正念場に入った法廷でもあります。

 左の写真は、3年前ほどの暫定滑走路の南側の部分の航空写真ですが、左上に白く見えるのが計画されていた誘導路で、それからはみ出すようになっているのが「ヘ」の字に曲がった誘導路です。白い誘導路の下(南)側の切れた所の左に接して黒く見えるのが裁判で争われている天神峰の畑ですが、ここにある作業場、ハウス、離れも対象になっています。もう一つの畑は、最初の写真で市東さんが作業している南台の畑です。これは、左の航空写真で白い誘導路が途切れた中心にある畑がそれです。

 2006年7月、成田空港会社(NAA)が、違法きわまる「耕作権解除」申請を農地法20条に基づいて(このこと自体がデタラメ極まりない!)起こし、その9月には、様々な違法が指摘されながら一切審理も現場検証もされることなく、堂本千葉県知事(当時)によって許可決定が行われた。このことに基づいて「立ち退き」を求めて提訴(「農地法裁判」)が行われ、今年2月3日に、2つの農地について別々に第1回公判が行われた。

 市東さんは、すでに2007年7月、堂本知事の許可決定が憲法に違反する違法行為だとして、決定の取り消しを求める「違憲行政訴訟」を提訴していた。この2つの裁判は、同じことがらを、1つは市東さんが原告となり(行政訴訟)、1つは市東さんが被告となる(農地法裁判)形で争うことになっている。市東さんから、2つの農地を別々に扱うことと、2つの裁判を別々にすることに異議が申し立てられ、全てを1つに併合して審理することが求められていた。

 しかし、今回、裁判所は、農地法裁判で2つの農地を分けていることを併合して審理することは認めたものの、2つの裁判を併合することは認めず、21日、同じ法廷で続けて審理することを決定してきた。ここに、天神峰現闘本部裁判で、千葉地裁が国策裁判として極めて異常な訴訟指揮を行ってきたことに通じる、千葉地裁の悪質な意思を見てとらなければならない。

 重要な局面に入った市東さんの農地を守る裁判闘争として、圧倒的な傍聴闘争が求められています。一人でも多くの裁判傍聴闘争への参加を訴えます。

市東さんの農地取り上げと闘う裁判Y4

● 行政訴訟 第7回口頭弁論 4月21日(火)午前10時30分

● 農地法裁判 第2回口頭弁論 4月21日(火)午前11時10分

場所:千葉地裁 新館 601号法廷 (傍聴券確保のため午前9時30分までに千葉地裁にお集まりください。)

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2009年4月18日 (土)

今週の産直野菜(4月18日)

09418  ようやく今週の産直野菜が届きました。ようやく季節が変わったのを感じさせる葉もの野菜です。

 春大根、人参、ホウレンソウ、チンゲンサイ、のらぼう菜、小松菜、カブの7品です。

 全国集会のあとの援農で持って帰った野菜で、だぶつき気味だったのが何とか終わりそうです。それでも、大根、人参がだぶつき気味。しかし、人参は今回が最後とか。まあ、何とかなるでしょう。

 先週の小松菜が冷蔵庫の中に1週間あったので、くたっとしていたのですが、水に入れてやったらしゃきっとして、昨夜おしたしに。さすが無農薬野菜。のらぼう菜も太い茎も一緒に昨夜食べ終えた。今回来たのらぼう菜は小さめで柔らかそう。さあ、頑張って食べるぞ!

 とはいうものの、来週は21日市東さんの農地取り上げ違憲訴訟と農地死守裁判の2本立て、23日は天神峰現闘本部裁判で、北原さん、萩原さんなどの一日かけての証言。ということで、往復するのは大変なので、現地にお邪魔し、間の一日は援農させていただきます。さあ、この野菜どうしよう?

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2009年4月16日 (木)

4・12(岩国)愛宕山大集会(その2) 住民の訴え

09412

 「愛宕山に米軍住宅も米軍施設もいらない!4・12愛宕山大集会」では地元住民から4人の方が宣伝カーの上に立って訴えられました。その中から2人の婦人の方の訴えをご紹介します。

開発地に一番近い住民として  福田雅美さん

 みなさん、こんにちは。今日は、遠いところ、近いところ、山の上までほんとうにありがとうございました。それと、ご報告します。今日の朝、無事に・・・地区の子供相撲大会が晴天の中とり行われました。子供の笑顔にほんとうに救われました。

 皆さんの立っているところ、実は海抜60メートルなんですね。愛宕山神社とい09412_2 うのは、その倍123メートルのところにありました。ここに。それで、私たちの団地というのは山の陰にありました。もちろん瀬戸内海も見えません。むこうも全然見えません。ある日突然、工事が始まったわけなんですけれども、私たちの家は、工事によって揺れたり、粉塵が飛んできたり、それは10年間大変な思いをしました。

 愛宕山の中には、今、ここに土俵がありますけれども、桜があります山あいに小さな土俵がありました。大昔からそこで、学校が休みになって春の例大祭があったわけですね。それを誰がこんな土地にしようって思いますか。ほんとは誰も思いません。それでも、なぜこの開発に、岩国市民は手助けをしなければいけなかったのか。それはひとえに基地周辺の人の騒音の軽減です。だからこそ、みんなで、しょうがないということで我慢してきたんです。長い間、しょうがないという言葉で我慢してきました。ほんとに大変だったんです。

 だけどここにきて、それを米軍住宅にする。とんでもない話です。ほんとにですね、私たちは、そのために、我慢してきたんじゃないんです。ここが住宅土地にならなくてもよかったんです。はっきり言うと、埋め立て用の土砂をとったら、それでおしまいでもよかったんです。それを、借金がかさむから住宅地が立てられなくなった、そういう言い訳は聞きたくないです。

 私たちは、ほんとは子育てに忙しい普通の主婦です。今、こんなところで話してること自体も、ほんとはおかしな話しです。子供の面倒見なきゃあいけないし、家族のきずなも一番深めなければいけない時期なんです。だけど、今回は、こんなにたくさんの人が集まって下さったというのは、たぶん私たちの痛みを感じてくださっているから、ここにいらして下さったんだなと心から感謝しており09412_3 ます。ほんとにありがとうございます。(左写真は、挨拶する井原前市長)

 それと、多分、ここに来ていらしゃる皆さんは賛同者ですから、何を言ってもしょうがないんですが、東京に聞こえるなら、一言、言わせて下さい。政治は東京で行えるものではないです。それぞれの住民がすんでるそれぞれの土地で、現場で行われるものです。だから、常に私たちの声を聞いて下さい。私たちの声なくして、地域の政治は絶対にありえません。子供たちのためにも、それから、今生きてる人間じゃないです、過去ここに生きてきた岩国の人たちのためにも、この岩国に鉄条網を張らすことはできません。

 ありがとうございました。

愛宕山に住む爆音裁判原告として  末岡静枝さん

 (ご本人は88歳、ご主人は94歳で、最高齢の爆音訴訟原告。)

 みなさん、こんにちは。私たちが、この尾津に、すぐそこなんですけれども、愛宕山のすぐ下を、「終の棲家」と決めた理由は、気候が温暖で風光が明媚、そして人情がある。その人情こそ今も残っていますけれど、風光明媚のこの愛宕山、それが今失われてしまいました。

 愛宕小学校を卒業された方、校歌を思い出してみてください。「いま明けそめる 朝空の 門前川につづく海」ではじまるこの愛宕小学校の校歌、その豊饒(ほうじょう)の海は、艦載機が来るために、それをはこぶ船のために、あの藻場はなくなってしまいました。この近辺どこにもない、今どんなに求めようとしても求められない、あの美味しいあさりも、いつのまにかまったく姿を消してしまいました。

 さらに校歌の3番に「聞け なごやかな歌声を あおげば月の愛宕山」、その 「あおげば月の愛宕山」がこの惨状です。このむごたらしい姿を見た時に、愛宕小学校の卒業生ならずとも言葉を失ってしまいます。もう一度この美しい愛宕山を取り戻すことはできないのかもしれません。でも、ここに米軍住宅だけは絶対09412_7 に許してはなりません。(右写真は、入口でがばっておられた大川清さん)

 私は、先ごろ爆音訴訟団の一員に加えていただきました。爆音はもちろんいやですけれども、今の爆音ならまだ耐えられる限界かもしれません。でも、これが2倍になり、基地が変わった時に、「ああ、こんなはずじゃなかった」といったって遅いんです。でも、それ以上に、ここは、このふる里のこの愛宕山が米軍住宅になって、ほうんとうに、ふる里を失った人たちが今、団塊の世代を迎えていることを思う時に、何ともやりきれない気持がして、私は、補償の金額が何ほどかではなくて、これを国にもの申す事が出来ないのか。この大きな負の遺産を残しておいて、子供たちにこの岩国に帰っておいでとは言えない。私の子供たちだけではありません。ほんとうに、今、故郷の地を離れて、遠隔の地で働いてきた人たちが、帰ってくる故郷をこんな無残な姿にして、しかもそれがフェンスで張られることなんかを思う時に、なんでこうなったのか。

 私たちの世代が、危機に感じて、もう少し声を上げればよかったのじゃないかという思いでいっぱいです。その、本当に申し訳ないことをした、取り返しのつかないことをした。それをなんとかして償いたい、そういう思いで爆音訴訟団の一員になったんです。命はそこまでもたないかもしれません。結論が出るまでもたなくても、でも今日ここにお集まりの皆さんが一人ひとりにその思いを伝えていただければ、まだ何とかなるのではないかという希望をもっております。私たちの一人ひとりの力はほんとうに小さくて、力がないように見えますけれども、今日お集まりの皆さんが、3人なり、5人なり、10人にこの想いを伝えていただければ、きっと大きな政治の力を動かせるんじゃないかと、そんな希望を捨てきれません。

 一人ひとりの知恵を出し合って、先ほどどなたかが「政治は国のものじゃな09412_6 い。みんなのものだ」と。そうなんです。民主主義なるものを信じすぎて、あれだけ軍部にだまされてきたのに、民主主義の時代なら何とかなるなんて、はかない希望をもっていたことにも今悔いております。その民主主義を本当に完全なものにするには、一人ひとりの知恵を出し合うしかないと思います。今、スタートに立ったばかりです。これから長い長い道のりですが、決して諦めないで、決してくじけないで、みんなの力をより会わせて、今日お集まりのみなさんが、ほんとに大きな輪を作ってくださることを、私も、命の限り、闘っていきたいと、そういう思いで。終わりたいと思います。(左写真は、オープニングの岩国太鼓) 

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2009年4月15日 (水)

4・12(岩国)愛宕山大集会に参加して (その1)

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 4月12日、山口県岩国市で開かれた「愛宕山に米軍住宅も米軍施設もいらない!4・12愛宕山大集会」に参加してきました。集会には愛宕山周辺の地域の住民のみなさんが自治会ぐるみ、地域ぐるみで参加し、山口県下のいろいろな労働組合や市民運動、さらには各地からの人々など、写真の運動場と写真を撮っている愛宕山神社の境内に鈴なりになった2000人が集まりました。

 岩国は、現在、米軍海兵隊の戦闘機57機が駐留し、戦後60年以上、日夜、訓練する戦闘機の爆音と事故、そして米兵による犯罪に苦しめられてきました。今回着手された爆音裁判のご夫婦で最高齢の原告となった末岡静枝さんが集会の中で「愛宕山小学校の校歌にある『いまあけそめるあさぞらの もんぜんがわにつづくうみ』とある豊饒の海」と語られた。その瀬戸内海有数の藻場であり、美味しいアサリなどが採れた岩国基地に隣接する海を埋め立てても、航空機騒音の軽減と墜落の危険から解放してほしいと「岩国基地沖合移設運動」が、岩国市民の「悲願」として30年近くを費やして行われていました。そして、岩国基地沖合移設事業が、Photo 膨大に投入される建設経費によって岩国は潤おうとバラ色の夢をばらまきながら、1996年6月にスタートしました。

 しかし、それは、先日の「3・15米軍再編と闘う集い」で、岩国の大川清さんが「初めから画策されていたこと」と指弾されたように、そしてその8年後の04年に報道されたように、移設ではなく、厚木基地の空母艦載機部隊の移駐を軸とする米軍再編による基地の拡張でしかありませんでした。戦闘機128機を擁するアジア最大の戦闘機基地となるためだったのです。

 この基地強化、米軍再編の動きに、基地の町として戦後、運動らしい運動、怒りらしい怒りを表明して来なかった岩国市民の我慢の緒が切れ、06年住民投票、市長選と闘いが爆発しました。このことについて今回は省略しますが、この新基地建設の埋め立てに、市民の憩いの場所であり、鎮守の森であった愛宕山の土砂を削り使う(右上図参照)ことが、「移設による騒音の軽減」をかざしつつ、跡地に新しい住宅、病院や学校、商業施設ができて地域が発展すると反対する地元住民、地権者に「バラ色の未来図」を押し付けて山口県によって強行されました。そして、新滑走路もでき、埋め立てがほとんど進んできた今になって、「未来図」が不可能だから国に買い上げてもらい米軍住宅にすることで、山口県と岩国市が抱える借金を返したいと、山口県が言い始めたのです。

 これほどのひどい騙し方があるだろうかと、岩国の人々は、米軍住宅と米軍施設の建設に反対して立ち上がられました。この日の集会は、国に11万人の「米軍住宅建設反対」09412_2 の署名を提出し、さらに先日、477人の原告をもって爆音裁判の提訴が行われたのに引き続き開かれた、怒りの集会でした。最初の写真は、集会参加者がシンボルマークを掲げている写真です。

 左写真は、新基地の南側で、白く見えるのが2600メートル滑走路の南半分。その先に小さく見える点が、原子力空母が接岸できる大型岸壁を作っている現場です。そして、右写真が、この日の会場になった愛宕山神社とグランドに接してある土砂が採取され見事に山がなくなった更地です。

 集会は、オープニングに岩国太鼓の演奏。井原前岩国市長や国会議員が駆09412_3 け付けて挨拶が行われましたが、圧巻はやはり4人の地元住民の想いのこもった訴えでした。(明日のブログに、このうちのお二人の発言を紹介いたします。)集会アピールの採択の後、エンディングパフォーマンスとして、シンボルマークを掲げ、最後に全体で「艦載機より『平和の紙飛行機を飛ばそう』」と紙飛行機を右写真の更地に向けて飛ばしました。

 岩国の皆さんと一緒に、米軍再編に反対して闘っていくことを思いながら、わずか1時間の集会でしたが、気持のこもったいい集会だった余韻をかみしめながら、帰途に着きました。

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2009年4月14日 (火)

部落解放同盟全国連第18回大会 山本善偉世話人挨拶

09411

 第18回全国連の全国大会、おめでとうございます。三里塚決戦勝利関西実行委員会の世話人として挨拶をいたします。

 全国連が生まれる前、もうそんな過去のことを話しても何ですが、荒本の人た09411_2 ちと我々は、全国連ができる前に、三里塚を闘っている故に解同本部は荒本支部を除名しました。それに対して、正義の闘いとして屈しなかった荒本が、だんだん発展して、ついに新しい解放同盟全国連合会を結成して、今日が第18回目になります。18回になって、まだ問題はますます厳しくなっている。厳しい状況に我々があることを思います。

 私たち関西実行委員会は、三里塚の集会の前に必ず関西集会を開くんでありますが、今年は特に、3・29の前に3月15日の関西実行委員会の集会は、いつもと趣を異にしました。それは何か。三里塚にもっともっとたくさんの人に来てもらわなければならない。たくさん三里塚を知っている人はいるんだけれども、なかなか結集はできない。私たちはそのために、今問題の一番の根幹は米軍再編であろうと思います。米軍再編を考えるために、三里塚、沖縄、岩国、関西を結ぶ講演とディスカッション、そういう集会をもったわけです。その席に、中田書記長も来ていただいて、われわれのその計画に対して、非常に力強く、全国連の立場から、共に闘うことを約束していただいたわけであります。

 そして09411_3 、今、伊藤さんが言われたとおり、3・29には今までと違った意味での大きな三里塚の全国大会をやることができました。三里塚の44年にわたる闘いを、広く、労働者、人民国民全部が支える、そういう場にならねばならないと我々は願ってはじめたこの間の3・15から3・29への成功を見て、今ここに立って思いますのは、新しい水平社を作りだす、生み出す全国連だと。これを見て本当にうれしく思います。差別はますます激しいにもかかわらず体制内の運動しかしない解同本部派に対し、徹底的に差別と闘い、反戦・反核の砦である三里塚を共に、全国連の立場として一緒に闘うということを非常に力強く(3・29で)発言していただきました。

 私は、88歳、もう過ぎましたけれども、このままいけば必ず戦争になります。戦争を食い止めるものは誰か。不正なる権力、不正なる力に対して、力でもって闘う人民がこれを食い止めるものであります。解放同盟中央本部がほんとに融和団体になっていくのに対して、皆さんが歯をくいしばっても闘われる。私は、私たち関実は、共に三里塚を闘うことを固く約束しまして挨拶といたします。09411_4

 

 この日、三里塚からは伊藤信晴さんが遠路見えられ、連帯挨拶の冒頭に挨拶され、決戦に入った三里塚を共に闘うことを訴えられました。

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2009年4月13日 (月)

暫定滑走路北延伸部分の前倒し供用開始攻撃を許すな!

Photo  新聞各紙(関東版)は、4月10日、金子国土交通相が記者会見で成田空港の暫定滑走路の北延伸部分の供用開始を、当初予定の来年3月より早めて、今年10月に前倒しすることを発表し、成田空港会社(NAA)と協議に入ったと公表した。理由は、この3月のアメリカの貨物機(フェデックス社)の激突・炎上事故により「計171便が欠航や目的地の変更を強いられた」ことをあげ、暫定滑走路にジャンボを離着陸できるようにするためというのである。

 三里塚芝山連合空港反対同盟は、直ちに11日、「弾劾声明」を発した(同盟ブログ http://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/2009/04/post_639.html をご覧ください)。

 私たちもまた、この同盟の弾劾声明を全面的に支持するとともに、国土交通省、NAAによる姑息な「前倒し供用開始」攻撃を、満腔の怒りを込め弾劾する。

 そもそも、フェデックス社の激突・炎上事故が起こるまでもなく、成田空港がもともと突風などによる安全性に問題のある空港であることは指摘されてきた。事実、開港して1年もたたない2003年1月、エアー・ジャパン機(乗客・乗員102名)が、今回と同じウインドシアにあおられ、雨と重なって滑走路をオーバーランし、滑走路南端直近にある東峰神社手前で止まるという、大惨事寸前の事故が起こったのをはじめ、ウインドシアによる事故は報じられていないだけで、たびたび起こっていたと言われている。原因は安全性を無視した、無理な運航にあることは明らかだ。

 そもそも成田空港は、計画内定からわずか2週間という短期間で、住民への説明や公聴会など大型公共事業として当然の手続きすら一切行われずに閣議決定し、機動隊暴力と、国策を振りかざしつつのカネの力で押し進め、43年もたった今も完成できていないにもかかわらず運航を強行していること自体に問題があるのだ。4000メートルのA滑走路の供用開始自体、1978年「暫定開港」と言わざるを得なかったし、そのことは今も変わっていない。このこと自体が、安全性を無視した運航の強行であることを何よりも物語っている。フェデックス社の事故は、機体の欠陥や、異常気象、あるいはパイロットによるミスなどではなく、こうした国家権力総がかりによる事故以外の何物でもない。

 そのことを一切棚上げし、何ゆえの北延伸の供用開始の前倒し強行なのかだ。

 成田空港のハブ空港化が言われて久しい。またこのことを理由に暫定滑走路の供用、そして北延伸が強行されてきた。しかし、これはためにする理由でしかないことは最早明らかだ。韓国の仁川(インチョン)空港が既に4000メートル滑走路3本をもち(さらに1本を建設予定)、日本国内の26空港と結ばれ、アジア有数のハブ空港として機能し、もはや羽田を併せても太刀打ちできないことは明らかになっている。焦る日本政府は、この間、羽田の4本目の滑走路の201F 0年度供用開始に加えて、5本目の滑走路の建設、そして国内線用に作られた短い滑走路の延長による国際線への対応を発表している。確かに、羽田・成田の一体運用による航空自由化への道筋が「アジア・ゲートウェイ構想」で語られていた。しかし、羽田の一気の拡大は、すべてをもう一度羽田に集中することで、この現実に対応しようとしているのだ。

 あらたな朝鮮戦争、北朝鮮への侵略を想定した日米共同作戦計画5055は、08年大幅な見直しが行われた上で、すでに昨年に策定が終わっていると言われている。そして米軍再編が、2014年には一切を終ろうとしている。習志野航空自衛隊基地への迎撃ミサイルPACⅢの配備が、成田空港警備のためであることは周知の事実である。今回の北朝鮮による「ミサイル」騒ぎの中でも習志野のPACⅢは「首都警備」の一環として習志野を動かなかった。わずか20キロしか対応できないミサイルが、習志野に置きとどめられたのは、成田空港警備であったからに他ならない。朝鮮有事の折には、5055によって、成田空港はアメリカ本土からの中継地点として、米軍専用の空港となる非常に重要な位置にあることが、すでに明らかになっている。だから、羽田の強化、拡大なのである。

 千葉日報が報じるように、「空港規模の拡大に見合う空港管理態勢が整わない」中での暫定滑走路北延伸供用の前倒しとは、3・29全国集会で、明らかに新たな決戦への態勢を整え始めた三里塚反対同盟を先頭とした三里塚陣形への国家権力の恐怖であり、それ故の先制的な攻撃以外の何ものでもない。米軍再編の要ともなる空港周辺で、43年間も空港完成を阻止し、「軍事使用反対」を訴えて闘う勢力があることなど、米軍再編、5055にとって、日米両政府にとって到底許容できるものではない。それゆえの、市東さんの農地への農地法による強奪攻撃であり、天神峰現闘本部裁判への異常極まる訴訟指揮なのである。そして、空港反対運動を根絶やしにするための、東峰、天神峰部落の根絶をねらった3500メートル化、30万回飛行化宣言攻撃に他ならない。ただただ反対同盟に重圧を加え、たたき出すことを狙ったやみくもな襲撃的攻撃以外の何ものでもない。こんなことがどうして許されようか。ただちに暫定滑走路北延伸の前倒し攻撃に反撃していこう。

 みなさん。援農、現地調査などあらゆる機会を通して、現地との交流の輪を広げ、こうした攻撃をはね返す陣形を早急に作っていこう。沖縄、岩国をはじめ米軍再編と闘うあらゆる反戦、反基地を闘う人々とともに、そして差別と闘うあらゆる人々とともに、格差と貧困、首切りと闘うあらゆる労働者とともに、三里塚を取り囲む重層な輪を作っていこうではありませんか。

 最初の写真は、暫定滑走路の南側で、中央部右手上の方に、滑走路に50メートルまで迫る空港の地面から4メートルも低い開拓道路が迫っていることと、その南に「入」字型に滑走路南端に迫る東峰神社(これも深さ4メートルくらい)があることが手に取るようにお解りいただけると思います。なおこの写真は、新誘導路が作られる前の、東峰の森が健在のころ(たぶん2003年ごろ)の航空写真と思われます。

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2009年4月12日 (日)

今週の産直野菜(4月11日)

09411

 昨日は、部落解放同盟全国連の第18回全国大会(2枚目の写真)に出席したあと、神戸空港の中止を求める市民の会の例会、そして今朝は早く出かけ、岩国の愛宕山への米軍住宅、米軍施設反対の「愛宕山大集会」(3枚目の写真)に参加し、先ほど帰ってきたところです。そんなわけで、「今週の産直野菜」が遅れまし09411_2 た。

 今週の産直野菜は、人参、春大根、ネギ、のらぼう菜、小松菜の5品。少ないですね。「3・29三里塚」に行った時に、鈴木謙太郎さんと話していて「2月、3月が雨が多くかったので、4月がどうか心配している」と言っておられたが、やはり、野菜のでき具合が悪いのでしょうね。タイミング悪く、野菜の値段が値上げされた最初の荷物だけに、受け取られたみなさんには、「えっ?」と戸惑いがあったのでは。

 天候などの影響で、09412 不作が起こるのはいかんともしがたい。三里塚では、以前、台風の大雨で、萩原さんの清水の畑(「農地収奪を阻む」の表紙の写真の畑)では、低地のはずの空港が盛り土されてコンクリートで固められたため、水のはけ口が失われ畑が水没したことがあります。あの年は度重なる台風の影響もあって、一年を通して出荷が追い付かず、一年間がマイナスのまま過ごしたことを聞いています。厳しい農業経営の苦闘を私たちも共有して産直運動を守っていきたいと願っております。みなさん。ご理解ください。

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2009年4月11日 (土)

3・29三里塚全国集会⑨ 山本さん・井村さんの挨拶

山本善偉さん(関西実行委員会世話人)

09329  永井代表の熱烈な訴えに対し、彼を支えている88歳になる山本です。私の一番の想いは、二度と戦争をしてはならない。「一回目は誤りでも、二回目は裏切りだ」と言われた栗原さんの詩が、どうしても忘れられない。今、そういう危険な状態になっていることをはっきり確認したいと思います。

 今日は、昨年の10月よりもたくさんの人が集まってくれています。しかし、もっともっと平和を願っている人間はたくさんいるんです。

 その闘いを、先頭になっているのはやはり「反戦の砦」三里塚です。この三里塚の闘いに勝つことによってこそ、二度と誤った戦争をしない国が作れるはずです。

 若いひとたち、頑張ってください。88でも、私は、歩ける限り、しゃべれる限り、闘います。共に闘いましょう。 (集会特別報告の永井さんとともに登壇して挨拶)

井村 弘子さん(市東さんの農地取り上げに反対する会共同代表)

09329_2  みなさん。こんにちは。井村です。とにかくですね、市東さんの会、みなさんで本当に応援して下さい。

 こうやって、今日、たくさんの人が集まってくださいましたが、国が法律を変えてまでも私たちの裁判に勝ち抜こうとしている。全然、根拠がない。それでですね。空港側の方に根拠を出せと言っても、出してこないんですよ。出してこないのに裁判をやっている。続けている。結果が出てこない。おかしな話です。そこまでして、なぜ、われわれを貶めるのか。これは、本当にもっと、今のこの国の、・・・・そういう馬鹿な事をしていたら日本は潰れてしまう。

 今、沖縄の方からお話しがありましたが、とにかくね、みなさん、この沖縄の状態。私は一昨年行きまして、ほんとにびっくりしました。これほどにですね、日本が、この沖縄の人々を見捨ててるのかと思いましてね。私は、これは、日本の内地の人たちみんな沖縄に行ってもらいたいと思いました。沖縄を日本の内地の人たちは守っていかなければダメだと思っています。市東さんのこの農地取り上げの問題も非常にひどい。しかし、同じ事をやっている。

 こういうことをどんどんどんどんやられたら、われわれは生きる所がない。農地を企業が取り上げ、そして農民にお前たちは労働をやれと言われたって、この労働者がまた切り捨てられている。モノにされている。そういう風な中で、われわれは、われわれの生きる権利、これを本当に、高らかにですね、声をあげていきましょう。みなさん。よろしくお願いします。 (市東孝雄さんと「市東さんの農地取り上げに反対する会」の皆さんと登壇しての挨拶)

 この素晴らしい88歳のお二人の想い、そして昨日掲載しました92歳の森田さんの想い。すぐる戦争を体験した中からのこのみなさんの想いと訴えを、私たちはもう一度襟を正して受け止めることが必要ではないでしょうか。そして、三里塚反対同盟とともに、三里塚闘争を通してうねりのような怒りの広がりを生み出す中から日本帝国主義の野望を打ち砕き、打倒する道を切り開きましょう。とりわけ、海上自衛隊の戦闘行動を前提としたソマリヤ出兵がおこなわれ、北朝鮮の「ミサイル」発射を口実とした「独自の攻撃力」が公然と国会内外で、今日、叫ばれているのですから、なおさらです。

 幸い、私たちは、この数か月の闘いによって、とりわけ「3・29三里塚現地全国集会」の大成功と、それに先立つ「3・15米軍再編と闘う集い」の成功によって、私たちが進むべき、築き上げるべき一つの道筋を明確にすることができるとともに、歩み始めることができました。もちろん、まだまだ端緒についたばかりですが、日本帝国主義の攻撃に対し仁王立ちして闘う市東孝雄さん、そして三里塚反対同盟がその先頭に立ってくれています。全力をあげ、死力を尽くし、暫定滑走路北延伸の共用開始を阻止し、市東さんの農地を絶対に守り抜く中から、三里塚闘争勝利、日本帝国主義打倒へ、大きなうねりを生み出し、新しい世の中を建設していきましょう。

 「3・29三里塚全国集会」は本当に素晴らしい闘いでした。これで報告を終わります。

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2009年4月10日 (金)

3・29三里塚全国集会⑧ 開会あいさつ・森田恒一さん

09329

 本日、この全国総決起集会に結集されたみなさん。本当に御苦労さまです。主催者の一人として、感謝の思いでいっぱいであります。

 さて、本日の決起集会では、ここに掲げられたスローガンにありますように、国家権力による様々な悪政を阻止し、粉砕するものでありますが、中でも反対09329_3 同盟にとって緊急な闘争課題は、天神峰現闘本部の裁判、もうひとつ、市東さんの農地を取り上げる裁判。この二つであります。

 現闘本部の裁判におきましては、これまでの数々の強圧的な裁判長の法廷指揮に対して二度も忌避を申し立てております。これに対する最高裁の判断はまだでておりません。ところが裁判長が、裁判を進めようとすることに対して反対同盟が抗議しているその最中に、裁判の中でも重要な弁護側の証人を無しにして、突如として結審を言い渡すという暴挙を行ったのです。これはもう裁判ではありません。

 市東さんの裁判に関しても同様でありまして、この市東さんの裁判の根拠というのは何かというと、農民と農地を守るために作られた農地法という法律がありますが、この法律の中の1ヵ所を拡大解釈して、これを悪用して、それを根拠に市東さんの農地を取り上げるというとんでもない裁判であります。もちろんこういうことは全く根拠のないことでありまして、この裁判の中でずっと経過を見ておりましても、空港会社の言うことは全くデタラメでありまして、一つ一つつぶされている状態です。しかし、こういうことだから我々の方が裁判が勝てるというわけではありません。安心できません。

 なぜかといいますと、現在の司法は、政府の奴隷です。全く根拠のないことを根拠にして、国家権力の意思が介入してくれば、必ず国家側に立っている。憲法におきましては、司法と立法と行政の三つが、まったく分離独立し、お互いに侵さないということが明記されているにもかかわらず、裁判官は必ず国側を擁護するという状態であります。

 市東さんの裁判におきましても、必ず勝てるという我々は考えをもって臨んでいるのでありますけれども、そういうことは理屈にならない。変な理屈をつけて市東さんを負けにし、空港会社を勝ちにするという、これはみえみえであります。おそら09329_4 く近い将来に、市東さんの農地取り上げの裁判は、国側を、つまり空港会社側を勝ちにして、そして強制代執行と称して、機動隊の暴力でもってこれを取り上げるということが、この近い将来に起こるだろうとと思います。

 私事ですが、私はあと一月ばかりで92歳になります。足の痛い、老人特有の膝関節を患っております。ここに立っているのもやっとというような健康状態でありますけれども、市東さんの農地に代執行が行われるとすれば、私は必ずこれに対して、これを粉砕する思いで代執行に臨む覚悟でおります。みなさんも同じ思いだろうと思います。本日のこの決起集会に、この思いでもって、最後のデモにいたるまで、敵の心胆を寒からしめるような集会、デモをやろうではありませんか。

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2009年4月 9日 (木)

3・29三里塚全国集会⑦ コメ農家・小川浩さんの挨拶

09329  (写真は、壇上に並ぶ「市東さんの農地取り上げに反対する会」のみなさんと、3・29集会全体)

 みなさん。今日はご苦労様です。農地法は、戦後、農民の憲法と言うべきものでした。その農地法が今、改悪されようとしています。そしてその農地法によって、今、市東さんは農地を奪われようとしています。

 今、なぜ農地法改悪なのかということについて、はっきりさせていかなければ09329_2 いけないと思います。

 戦後、1961年の農業基本法以来、農業改革といわれるものが随分やられてきましたが、結局、日本の零細農家はどんどん辞めて行っても、農地は絶対手放したくないということで、取り上げることが出来ませんでした。そして、2年ほど前ですか、戦後農政の大転換ということで、担い手新法、担い手に農地を集中して、農業をやってもらって、そこには全面的に支援する、国が支援するという形でやってきましたが、去年の石油価格とか穀物の高騰によって、その担い手農家が軒並みやっぱり赤字になっていく、農業ではやっていけないような現実が昨年、ほんとに起こりました。そういう中で、この2年間で担い手新法そのものが破綻したといっても過言ではありません。また、世界金融恐慌の中で、もはや農民を自然淘汰というか自然に切り捨てるというような悠長なことをやっておられない。農地法の改悪というのは日本の支配者にとっては、ずっと悲願だったんです。ところが、それが何回もやろうとしてもできなかった。ところが、今回は、その農地法の改悪が具体的日程に上ってきて、今年なんとかやろうとしています。

 と同時に、石破農水相は、1971年以来40年近く、三里塚闘争と一緒の頃に「減反政策」を始めましたけれども、そこを進めて農政を根本的に大転換していくというようなことを今年まとめて、来年からやって行くというようなことを言っています。このことは、農地法を改悪して所有と利用を分けるとか言ってますけれども、これはまったくまやかしで、企業を参入させれば農家が農地を持っていられなくなるのははっきりしています。そういうことで、今までの農業が社会中で変わっていく、そういう政策の大転換として行われていくんじゃないかと思っています。

 そういう意味で、今、市東さんの農地法による農地の取り上げは、全国の農民にかけられた攻撃とも完全に連動してるんじゃないかと思っています。そういう意味で、1971年、代執行の時に大木よねさんがだまし打ち的に家や土地を取り上げられましたけれど、市東さんの農地は絶対にそういうことにしてはならないと思っています。何としても、反対同盟は腹を固めて闘うといってますけれども、われわれもほんとに腹を固めて市東さんの農地を守る闘いを全力をあげて闘いぬいていきたいと思います。

 F もう一つは、戦前の農民運動は、小作争議として、1930年代、大爆発しましたけれど、日本の農業問題の矛盾を満州移民というような形で、当時、日本の農民に土地を与えるという形で「満洲へ」ということで、三井とか、三菱、住友、大財閥がカネを出して、関東軍とか陸軍省と連携の下に、日本から農民を満州に送りだしていった。つまり、侵略戦争に直接的に、日本の農業問題を解決するというようなことで、動員していったというそういう歴史があります。

 今、軍事空港反対ということが三里塚闘争の根幹として今言われましたけれども、そういうものとしてもね、日本の農業問題を捉えていく必要があるんじゃないかと思っています。

 そういう意味で、三里塚の農民の闘いは、日本全国の農民の将来と密接に結びついた、ほんとに農民のこれから生きるための闘いとして、三里塚農民の闘いがあるんだというふうに考えて、共に闘っていきたいと思います。どうか、市東さんの農地を絶対に守っていきましょう。

 

  管理人=昨日は、淡路の永井満さん(関実代表)のお誘いで、淡路島にある県立公園の桜を楽しんできました。まさに春うらら、おだやかな雰囲気の中、缶コーヒーとペットボトルのお茶を飲みな0948_2 がら、のんびりと永井さんと3時間余りの時を過ごすことができました。「花見」と言えば、「酒を飲むための理由」としか考えていなかった私には、実に驚きの時間でもありましたが。春霞で、神戸空港や、関西空港が見えるはずの場所だそうですが、残念でした。それでも、本当に凪いだ海と桜に心行くまで楽しむことができました。右写真で、明石海峡大橋が真ん中左よりに、かすかに写っているのがわかるでしょうか?

 

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2009年4月 8日 (水)

3・29三里塚全国集会⑥ 市東孝雄さんの挨拶

09329

 こんにちは。市東孝雄です。全国から集まったみなさま。ご苦労様です。

 三里塚勝負の年、沖縄から遠路駆け付けてくれました知花さん、ありがとうございました。

 三里塚闘争はこれからが本番だという言葉を、しっかり受け止めて頑張りたい09329_2 と思います。農地法第1条「耕すものに権利あり」。今、話題の映画でも、ゲバラが「土地はそこを耕す農民のものだ」と叫ぶそうです。私は、胸を張ってこれまで通り畑を耕作していきたいと思います。今、国会では、この農地法の大本を削り取るとしています。私は、自分の畑を耕すことで、この「歴史的大罪」、これは秋田の坂元進一郎さんの言葉なんですが、国を優先、農家切り捨てに対し、心ある農民とともにこれからも闘っていきます。

 この2月3日に、3つ目の裁判が始まりました。これは農地法による農地取り上げ裁判です。先日の現闘本部裁判の暴挙と司法の反動は、許せないという気持ちをこめて闘おうと思っています。みなさんも是非、傍聴闘争に参加してください。

 2つ目に、皆さんも先ほど来から出てます事故のテレビを見たと思います。実はあれと同じ原因で、あわや大惨事の事故が、6年前の1月、家の前で100人が乗った旅客機、エアジャパンの飛行機ですが、同じことが起こっています。神社 の手前で止まりましたが、突っ込めば爆発、炎上の大惨事です。力づくで作った成田は欠陥だらけ。そしてまた、北延伸で、進入灯の下を東09329_4 関東(自動車道)が横断している。こんな空港はありません。廃港して出直すべきです。

 3つ目に、みなさん。ここに集まった労働者、農民、学生、そして反戦闘争や市民運動のみなさんとともに必ずや勝利しましょう。労働者から職場を奪い、農民から農地を取り上げる今の政権に政治を任せることはできない。戦争に絶対反対、道州制に反対、改憲に反対。反対同盟の原則を守り、労働者の先頭で闘う動労千葉との絆をさらに深く、これからも、同盟、まあ、これから何十年続くかわかりませんが、一生懸命闘いますので、みなさん、よろしくお願いいたします。

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2009年4月 7日 (火)

3・29三里塚全国集会⑤ 沖縄からの報告・知花昌一さん

09329   【写真は、3・29当日の朝、北原さん宅での交流会で、挨拶される知花さん(右端)】

 紹介された知花です。「日の丸」焼却闘争、そして「象の檻」の奪還闘争。この際には、皆さんの絶大なるご支援をいただきまして闘い抜き、そして「日の丸」も勝利的な闘いをやり抜きました。そして「象の檻」に対しても、完全に基地を撤去させ、跡地を更地にして跡地利用に向かっています。勝利をいたしました。そして、そのあおりで、今、読谷飛行場、70万坪の飛行場が、一昨年取り返すことになりました。この読谷飛行場、70万坪は、戦前、日本軍によって国家総動員法によって分捕られたところです。それを、米軍が押さえ、さらに沖縄返還と同時に日本政府にそのまま引き渡した。所有権が奪い取られたままでした。そ09329_2 れを、私たちは50年間にわたって、闘い、たたかい、あるいはパラシュート訓練闘争を実力で闘い抜きながら、返還運動を継続してきました。そして一昨年、70万坪が私たちの手に入ったわけです。その闘いも多くのみなさんのご支持とご支援で闘い抜いた結果であります。これを報告します。

 そして、昨日はこの近くのホテルの8階に泊まりました。8階の上の方からこの飛行場を見ました時に、この飛行場が、欠陥だらけのものであるということが如実にわかりました。滑走路のまん中に、鉄板で囲われた緑の敷地があります。そして誘導路が、市東さんの土地のところで曲がっている。上から見ると、ほんとになんでこんな飛行場で通用するんかなと思うぐらいのところです。かろうじて飛行機が飛んでいるものの、国際的信頼をなくしている。この前の事故もそうです。そういったものからするとこの三里塚空港は、もう破綻している。こういうものだと思います。43年間、反対同盟のみなさんや、支援のみなさんが闘い抜いてきた結果、この権力の圧倒的な力で、自ら作った法をも無視してまでもやり抜いたこの空港が、今の状態で破たん状態。この闘い、これまで闘い抜いた三里塚の同盟のみなさんの闘いを、沖縄にも持っていきたい。そう思います。

 去年10月に盛康さんが来ました。沖縄の一人として挨拶をしたはずです。今日は、私が来ました。今、辺野古に新しい基地を作ろうという目論見があります。高江でもヘリパッドを作ろうとしています。いわゆる米軍再編です。米軍再編というのは、「日米同盟、未来への変革」という言い方を彼らはしています。権力側からしても、変革ということを謳っているわけです。今のままでは、彼らの目論む戦争はできないと。さらに、軍事基地を再編をして、日米同盟を変革をして戦争ができる体制にもっていく。これが米軍再編です。その中心的なものが、岩国であるし、そして辺野古です。いわゆる海兵隊の基地を出撃基地として強化をし、そして嘉手納以南の陸軍関係の基地をグアムに移転する。そしてその間を、自衛隊が肩代わりをして、日米一緒に戦争ができる体制を作っていく。そして、グアムから飛行機で約1時間、何か有事のときにはすぐ動員できる。そしてグアムの基地の整備を、ほとんど私たちの税金から出していく。こういったことがなされようとしているわけです。

 Photo 私たちは、辺野古(下写真は、新基地予定地の米軍キャンプシュワブがある辺野古崎・朝日新聞より)で精いっぱい闘い抜きました。特に、ボーリング調査を阻止し、やぐらを占拠し、夜までかけて一日中やぐらに入り、防衛施設庁との、あるいは作業員との肉弾戦をしながら、阻止闘争をして勝ち抜きました。そして・・・・・ています。しかし、彼らも諦めていません。新しく場所を変えて、そして埋め立てをして、基地を作ろうということで、今、環境調査をしてます。その環境調査もちゃんとやれば、認められないことです。ジュゴンがおり、そしていろんな希少動物がたくさんいます。こういうのがあり、そして環境調査をまともにし、そしてそれを守るなら、基地は作れません。だけど、グアム協定。グアム協定というのは、国際協定になるわけです。日本の法律よりも上にあるという認識が、今の司法の見方です。そうすると、グアム協定、米軍再編を遂行するために、日本の憲法や法律を一切飛び越して行くということが言われています。このまま、グアム協定をただ、私たち日本政府がアメリカのために金を出すということだけではなくて、日本に米軍の基地を作るには日本の国内法が通用しないというような状態です。こういった状態、この辺野古を作らせてしまうと、岩国と一緒になって米軍再編がほとんど完成する状態になるわけです。新しい米軍の変革。いわゆるアジア戦争です。北朝鮮を軸とした、中国をも見据えた戦が、この日本を含めてなされていく。こういう体制をつくろうとしているわけです。この辺野古に対しては是非阻止せんといかんと思います。

 その阻止する力は、その方法はどこなのかと言うと、43年も闘い抜き、空港を阻止してきた三里塚の闘い、これこそが、米軍再編、辺野古の飛行場を止める、そういうような私たちの戦術になって行くと私たちは思っています。これから、沖縄の闘いも厳しくなります。その時には、三里塚の闘いを私たちは学びたい。三里塚のこの現地にも、これからもずっと来たいと思うし、また三里塚を闘っている人たち、同盟の方々も沖縄に来て多くの人たちに話しをしてほしいと思っています。そうした意味でも、広がりを作って、ほんとに全人民的な包囲の中で闘いを組んでいく。この空港を廃港にしていく。辺野古を勝ち抜いていく。そういう陣形が作れたらと思っています。

 私たちは、譲れるものと譲れないものがあると思います。私たちは、一人ひと09329_3 りの生活や生き様から言っても、多くの人が、いろんな形で譲り合いながら生きてきたでしょう。しかし、譲れないもの、私たちには絶対に譲れないものがあります。それは命に関わることです。今、労働者が仕事を追われる、仕事を取られていく、会社から追い出されていく、これは生きられなくなるのです。そして農民が農地を奪われていく。生きられなくなります。こういうときは、ほんとに譲れない。そういう闘いを私たちは組む必要があります。これまで三里塚は、組んできました。確かに大きな力によって、徐々に徐々に今の状態になっています。でも、今、この43年間闘ってきた成果を、私たちももう一回問い直し、共有化し、各地方で、沖縄で、生かしていきたい。これは、私たちのいつも言ってきていることです。徹底した抵抗闘争を通して勝利するんだということです。

 昨日から来て、非常に寒い状況です。でも、この寒さをみなさんの熱い思いの中で引き取りながら、ぜひ、沖縄で三里塚と連帯する闘い、そしてそれを通した沖縄の勝利を撃ちぬくために、一歩一歩闘っていきたいと思います。みなさんのこれからの限りないご支援と、共に闘う決意をこめて挨拶とします。

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2009年4月 6日 (月)

3・29三里塚全国集会④ 基調報告・萩原進事務局次長(その2)

09329  そういう意味では、市東さんの闘いを、現在のそういう基調と、そこから醸しだされる戦争状況下における普遍的課題として、農民・市東さんの問題として単にあるんじゃなくって、まさしく全人民の課題として存在してるんだということを確認していただきたい。そういう形で、市東さんも2月3日の裁判の弁論で述べておりますけれども、労働者にとっての職場と農民にとっての農地、これが守られないでどうして社会が成り立つのか。農民にとってみれば農地は正しく命です。この農地を取り上げようとするものは、死を意味することなんですよ。こういう市東さんを守り抜く、こういう闘いを第2点としてやり抜きたいと思います。

 第3点として、やはり農地法改悪との闘いですね。これは、教育基本法、労働基本法と同じですけれども、憲法を先取り的に改悪していく。今国会で農地法改正案が審議されております。農地を所有から利用促進だと軸足を移していく。我々は耕作するものが権利があるんだと、戦後革命情勢の中で農民の闘いによって確立し、今日まで守り通してきたものを、休耕農地がある、作らない土地がある、それを有効利用するんだという名目のもとに民間会社、企業がそこまで参入して、農地を買い漁って行くというようなやり方を、今日、法改正してやろうとしている。法改正する前に、もうトヨタなんかはそういう形でどんどん農地を転用している。それを法律的に固めていこうと。まさしく日本経団連の御手洗なんかが、日本経済に対する最大の貢献は企業に農地を差し出すことなんだと、真っ向から言っている。こんなことに我々は負けていられない。こんな農地法の改悪などあり得ない。われわれが勝ち取った権利を、この三里塚闘争の中で生かし、勝利し、全農民の力になってそういう闘いを展開していく。そういうのが農地法の闘いなんだ。だから、農地法そのものは、農民自身の決起を促し、全人民にそれを返していく闘いなんだということを第3番目に確認をお願いしたい。

 第4番目には、いわゆる軍事空港との闘いです。先ほど述べましたけれども、恐慌は保護主義を生み出していく。これは歴史が物語っています。その先は戦争です。この2,3日にぎわしていますけれども、北朝鮮の衛星ロケットを問題にしながら、PACⅢの配備、実戦的配備を今、行っているわけです。首都防衛という形で、習志野から持って行く。習志野を移す必要ないんだけれども、移すことで実戦的訓練を行う。首都へ持って行く。国民を保護する、守るんだという名目で、そういうやり方をしていく。撃ち落とせということは戦争体制に入るということですよ。PACⅢの配備、全国的配備、これはものすごく重要です。横のつながりを徹底的にわれわれは重視しなければならない。習志野の配備は、成田の空港を見据えた上での防衛の中での配備なんです。これは、朝鮮半島の戦争の時に成田空港は閉鎖されるということは、何度も言われた通りであります。そういう中で要するに有事を想定した日米共同作戦の抜本的見直しも図られてきています。民間機の選定や将兵の搬入、受け入れ態勢、そういうことも含めて昨年度の秋までに「国民保護法」の名の下に、この成田の周辺では調査を終わっているはずなんです。その上での、今日のPACⅢの配備、そして移動訓練。そういう態勢に入ってるわけですね。その喉元を、市東さんは、土地を守るということをもって、労働者の動員を阻止している。戦争体制のために自治体労働者、医療労働者、運輸労働者が、全部そういう中に組み込まれようとしているんですね。しかし、市東さんは、その土地を守る、その土地で闘い抜くことをもって、その喉元を押さえているんです。そこに大きな闘いの勝利性があるんじゃないかと思います。

 我々は空港に絶対的に反対なんだ。農地死守、実力闘争、この原則を守りながら、動労千葉を先頭とする闘う労働戦線と連帯をし、闘い抜いていく。一方、09329_2 沖縄や関西をはじめとする、反戦・反核・反権力・反差別の広範な市民運動、住民運動との連携も図っていく。そういう中で、市東さんの農地裁判と天神峰現闘本部裁判、一坪裁判を、そういう形での収用攻撃との激しい闘いを、現地闘争の一環として、そして現地闘争をも見据えた上で、現地闘争の準備をし、現地闘争の体制を確立し、そういう闘いとしてやっていく。そういう中で、今ちょっと述べましたけれど、我々は、今までの常識や価値観を投げ捨てて日常を観る必要があるんじゃないか。今かけられている攻撃というのは、ほんとに常識的な攻撃じゃないんですね。先ほどの仲戸川の攻撃も、法政大学の攻撃もそうです。あるいは組対法の攻撃もそうですね。市東さんへの土地取り上げにしても、農地を守るべき法律で、「耕すものに権利あり」というのがその法律の精神なんです、その法律をもって農民から土地を取り上げようとする。こんなやり方を今やろうとしている。国民を守るんだといいながら戦争を遂行する。こういうやり方に対しては、いわゆる非常識なやりかたを彼らはやってきているわけです。だから我々は、今までの価値観の延長線上で物事を考えていたら遅れをとります。そうじゃなくて、既成の枠にとらわれず、人民の中に飛び込んでいく。

 今の情勢の中では、われわれを乗り越えるような形で闘いの主人公になろうとする人がたくさんいるんですよ。その人たちを、われわれが旗を振ることで、手を差し伸べることをもって引き上げ、あるいはわれわれ自身が学び、そして共に闘い抜いていく。そういう闘いが求められてるんじゃないか。今だからこそ、闘う主人公になる人たちがどんどん創出していく。そういう闘いをやっていきたい。本日でも、一回り大きくなった三里塚の姿が見られると思います。今日の集会の中で、4点について述べました。そして10月の集会も打ち出しました。10月の集会のときには、この段上に北総の農民だけじゃなくって、全国の農民が我々と一緒に段上に並ぶことをみなさんに約束して基調報告としたいと思います。

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  (昨日、被災地雇用と生活要求者組合、しごと開発就労者組合、関西合同労組兵庫支部の3者が共催した「団結花見」が開催され、30人を超える参加で、大いに飲み、語りあってきました。同じ日に開かれた三里塚反対同盟の花見を想いながら。)

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2009年4月 5日 (日)

3・29三里塚全国集会③ 基調報告・萩原進事務局次長(その1)

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 ごくろうさまです。寒い中ですけれども頑張ってください。

 冒頭に二つほど訴えたいと思います。一つ目は、先ほども出ましたけれども、千葉地裁・仲戸川裁判長の常軌を逸した訴訟指揮に対して、怒りを込め弾劾する。現闘本部の実地検証を最初から拒否する。そして証人に対して、ビデオリンクを導入して証人隠しをする。挙句に欠席裁判を強行して、それだけに懲りず、認めていたわが反対同盟側の証人までも却下する、取り消す。これは、そういう意味では長い三里塚の裁判闘争の中でも類を見ないような暴挙であります。断固、それに対して、・・・・・裁判を見つめてやろうと思っています。

 二つ目は、先の23日に、アメリカのフェデックス社が起こした空港事故の問題であります。原因はウインドシアといわれる突風とか、気流の問題とか、いろいろ理由づけしておりますけれども、これは、成田空港の姿を表した事故でありま09329_3 す。欠陥空港である、内陸空港であるという決定的な事実の上に立ってろくな調査もせず、偽善で固めて、強権的な土地取り上げを行った結果が、今日の事態を招いているわけですよ。そういう欠陥だらけの中で、北延伸を図って、ますます欠陥空港としての位置を高めざるを得ない状況の中で、仲戸川裁判長は、その土地取り上げの尖兵になり下がろうとしている。空港会社は、ますますそういう中で、今日の経済危機の中で、利益優先、安全無視。この双方が一体となって推し進めようとするこの今日の姿、この空港はまさしく廃港以外にないということを先ず冒頭申し上げておきたいと思います。

 皆さんが、誰でもおっしゃるように、このいう中で、激動する情勢の中で、三里塚がどういう位置を占めているのか。みなさんもご存じのように、この世界の中で数千、数万の人たちが決起をしております。労働者に対する攻撃と同様に、農民の決起も行われております。最早、生きることそのものが、闘わなければ駄目なんだと、そういう時代に入っておるわけです。こういう深まる資本主義の危機の中で、政府・財界は自分たちの現実をますます深めつつ進まざるを得ない。安倍が打ち出した「アジア・ゲートウェイ構想」が、福田が継ぎ、今日の麻生まできて、よたよたの内閣の中で、立ち消えになったんじゃないかと言われてきたわけだけれども、もう一度ここでその路線を引き継いでいかざるを得ないという状況を作り出している。洞爺湖サミット等において貿易交渉も決裂と、いわゆるWTOにおいて入口までも入れないという状況の中で、FTA,EPAという貿易交渉そのものにどんどん加速させて、弱い者を切り捨てる、そういう時代に入っていく。そういう中でなんとか成田の空港の立て直しを図っていきたい、そういう状況を今、迎えているわけですね。

 だけども、見てください。今の麻生の姿の中で、文字通り、民衆を、人民を敵に回してやり切れるのか。今日の状況こそ、われわれが43年間闘い抜いてきて作り上げてきたそういう状況ではないのか。確かに自己崩壊的な要素は含まれております。しかし、厳しいけれども、資本家やあるいは支配者が文字通り危機にあえぎ、そういう中から一切攻撃を加えられない、今日の事態を迎えるために我々は43年間闘い抜いてきたんだと言っても過言ではないという風に思います。

 ですから、「へ」の字に曲がった誘導路。着陸帯には開拓道路があります。オーバーラン帯にも神社。南側の飛行直下には、二度にわたって誘導路を横切らなくちゃあならない。あるいは高速道路が・・・。2500メートルでは、近距離の国際便しか使えない。先ほど言いましたけれど、先の事故、ウインドシアによる事故は、初めてじゃあないんですよ。2003年の1月にこの暫定滑走路をオーバーランしたんですよ。その時も、同じようなことを言ってる。もう少しで神社に突っ込もうとした。これは完全な墜落なんですね。オーバーランという形で誤魔化してますけれど、その時に起こっている事故、それが、つい先日それを上回るものとして証明された。こういう欠陥だらけの空港が、すべて国と空港会社、裁判所の暴挙によって、ますます明らかになってくるわけですけれども、推し進めようとすればするほど。だから、成田がアジアにおけるハブ空港の地位から陥落せざるをえないんだ。

 09331 そこに追い打ちをかけたのが、今日の恐慌、経済恐慌ですね。昨年12月の貨物便、輸出が前年比、48%、半分になっちゃってる。夏のダイヤ改正、つい先日行われましたけれど、減便を強いられている。だけども、この誘導路、あるいは滑走路の延長をもって今の20万回を30万回にするんだということをもって、世界からここに増便を図ろうという形で引き上げようとしているのが今の姿なんです。北へ、北へと二度にわたって滑走路を伸ばしたんですね。2500メートルのうち1200何メートルか、半分近くも北側へ伸ばさざるを得なかった。本来は南へ伸ばして東峰、天神峰の部落、そして反対同盟の闘いを潰そうとしたんです。しかし、それができえないために北に持っていかざるを得なかった。しかし形だけを作っても中身が伴わない。そういう状況であっても形だけでも作ると、いう形で今この秋にも開業し、来年3月の共用開始ということをもって、飛ばすことをもって、再度われわれを追い出そうとしているわけです。そんな暴挙を絶対に許せない。それが今日の裁判であり、先日の工事の姿です。しかし、もうそれ以上のことは出来得ないんです、彼らは。いわゆる他力本願の空港としてしか建設は出来得ない、ところまで追いつめた。北へ、北へと、われわれは固定化した。そのことを、アジアからのハブの陥落と、羽田への・・・、成田のますます地盤沈下、そういうのを通しながら、暫定滑走路の闘いを通し、市東さんの闘いを通し、空港本体に上りつめて、廃港への闘いを推し進めていく。そういうのが我々の闘いです。

 空港会社、あるいは支配者側はこの道を、先ほど言いましたけれど「アジアゲートウェイ」によってアジアにおける搾取と、そういう中で羽田と成田の二期をもって何とかしのぎたいという形をするわけですけれども、それだけじゃあ支配を出来得ない。そういうところで、大きくは成田を軍事使用の中で位置づけていく。それが今日の姿であろうと思います。

 そういう中で、本集会で強調したい4点があります。先ず第1点は、北延伸のための現闘本部撤去を真っ向から闘い抜いて、仲戸川裁判長の常軌を逸した訴訟指揮に、そういう意味では決戦はだぐり寄せられたわけです。そして夏から秋に向けての状況は、そういう意味では状況が実質的にも一変するだろう。現地における実力闘争と農地死守の闘いを断固としてやりぬく態勢と、そういう気構えを先ず固める。

 そして第2番目には、市東さんの農地を守る闘い、そしてその陣形を文字通り、もう一度、ひと旗、ふた旗立てる必要がある。承知のように、三里塚の状況は、収用法によってはもう土地を取り上げることは出来得ないというところまでは来ているんですね。そこで、追い詰められた形として、もうあってはならないことなんだけども、農地法によってそれを取り上げるという前代未聞の裁判が行われているわけですね。賃貸借契約の解約という、ほんとにデタラメな、空港用地として使うための公用収用なんですよ。こういうところまでしか出来得ないという土地収用法の粉砕と、攻撃としての農地を守る三里塚の闘い、この原則は、農地死守して、実力闘争をもって闘うという、そういう市東さんの大衆的な陣形の拡大と、そしてもう一つの闘いの仕方という形が第2点目に求められている。 (明日に続く。3枚目の写真は、3月31日、うどを掘り起こしている萩原さん。)

 

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2009年4月 4日 (土)

今週の産直野菜(4月4日)

0944  

 今週の産直野菜は、人参、ネギ、里芋、ホウレンソウ、のらぼう菜(野良坊菜)、大根の6品目です。のらぼう菜は、初めてですが、「野菜だより」に説明があるように関東の一部だけで栽培されていた野菜で、傷みやすく流通に向かないということで知られていなかったそうですが、柔らかくて甘いことから、最近関東で栽培が始まっているそうです。全体は右の写真のもの09331 ですが、菜の花のつぼみのようなものが先端についている茎の太くなったものを手折りして収穫します。ですから、菜の花と間違えられるそうです。おしたしにするのが一番簡単な食べ方とか。

 実は先日までの援農、現地調査で、同盟農家からたくさんのお 土産を頂いて、それが一杯あるので、どうしようかとうろたえています。左は、Yさんが「自然薯!」と思わず喜んだゴボーです。余りに長すぎ、太すぎるので2本に折っていますが、1本です。もう少し太いのをすでに食べ始めてい0944_4 ますが、中に鬆(す)ができていましたが、柔らかくて十分美味しくいただけました。秋に、萩原さんがごぼうがたくさんとれたと喜んでおられたものの、大きすぎてはねられていたものです。ごぼうは、難しい作物で、出来るかどうかもやってみないとわからないものだそうですが、こんなでっかいものができることに三里塚の土の優しさ、柔らかさが現れていると思いませんか。

 今回の「野菜だより」に種の話しが載っています。大手種苗会社が、F1種を独占支配し、自家採種できないことが紹介されていますが、これは遺伝子組み換えアグリビジネスの問題にも通じる農業の重要な問題です。反対同盟では、自家採種を増やす努力もしておられ、「のらぼう菜」はその一つです。サトイモ、ヤツガシラ、さつまいもなども自家採種です。右写0944_3 真は、鈴木加代子さんが試みられている「二年子大根」で、大根が小さく見放された固定種です。しかし、大根が生で味噌などを付けて食べれるし、葉っぱもカブの葉っぱにちかくておしたしにしても苦みがなく美味しくいただけました。4月3日の「農家便り」に食べ方が載っています。

 このほか、鈴木家が今大変で農作業もままならず人参の間引きができなかった畑でほかの人たちが収穫を手伝った折にでた「ハネもの」をたくさんもらってきましたが、形は悪いのですが、食べてびっくりするほどジューシーで美味しい。これと、里芋を親イモから離して1個、1個にするときに小さすぎて商品にしない「コイモ」もいっぱいもらいました。三里塚ではふかしておやつ代わりに食べているのですが、これがまた美味しい。それに、ホウレンソウと細めのネギをいっぱい。今日来た野菜の倍以上がゴロゴロ。それに、加代子さんお手製の大根の漬物。今、我が家では、玄関に入っただけで、その強烈なにおいがしています。

 文句ばかり言ってないで、頑張って食べま~す。

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3・29三里塚全国集会② 主催者挨拶・北原鉱治事務局長

09329  (写真は、集会に先立ってその朝北原さん宅で開かれた交流会)

 全国から結集したすべての闘うみなさん。今日の集会は43年の春を迎えた。今日の天候は風が冷たいけれども、心は燃えています。

 今日の全国からの結集をみると、だんだん増えてきている。ということは、今09329_2 の世相があまりにも悪いのは、すべての皆さんが心の中で、こんな世の中でいいのか、このままで日本の将来があるのか、この疑問を振り払うためには、三里塚闘争43年の歴史を負った多くの人々が三里塚に心を寄せ、結集したと思います。今の実際を見てもわかるように、いったいどうなるのだろうね、この未来は。

 障害者、解放同盟のみなさん。今、私たちは、自らが動かない限り世の中は変わらない。無責任極まりない政治が行われ、国会のあり方を見てもわかるように、何らの責任ももたない政治そのものがあります。労働者のみなさんは、どんどん職場から首を切られ、・・・状況を見た時に、ほんと生きられるか。そのためには、一人ひとりが、自ら動かない限り世の中は変わらない。世の中を変えるために、ここに結集したと思います。

 反対同盟は、全国の心ある人々と43年間の闘いを展開してまいりました。この中において多くの犠牲を出しました。逮捕者は3000名以上。将来の展望が見えないために、自殺した農民も2けた以上、・・・に死んでいます。このような犠牲を出してもなお、この成田空港を完全空港にしようとしている。無責任な行政と、これを利用して金儲けをする、労働者の血を吸いながら、こうしている資本家。これではちっとも世の中は良くならない。そのために三里塚は、皆さんと09329_3 一緒に未来を作ろう。そのような闘いしかない。そのためにここに集まったと思います。

 前回の全国集会から見ると、はるかに参加者が増えております。これは、一人ひとりが、三里塚闘争は我が闘いであるという決意で結集されたと思います。この大地に立って、見てください。環境なんてものはとっくの昔になくなって、・・・・というこの成田空港建設は決して正義のためのものではありません。一部資本家のものであって、決して・・・。国会においては、ペテン的詐欺、そういうような国会議員がいろいろいます。まじめに生きようとしても生きられない時代、この政治を根本から変えないと日本の将来はありません。

 特に私は、若い学生、労働者のみなさんに訴えておきたい。君たちの未来が描けるか。それは、君たちが生きるために、自らが立ち上がらない限り、この世の中を変えることはできない。それが三里塚闘争にあるっということを。諸君は、これからの時代を安心して生活できる、安心して学べる学園があって当たり前だ。多くの大学生が、法政大の催しにおいて逮捕され、また福岡の方では、全員・・・という表現の自由と言論の自由があるわけであって、これをどう見る。若い諸君の大学が、キャンパスが、これは君たちのものなんだ。これを、キャンパスを・…たからと言って逮捕する、これはねぇ・・・・・。建設的な未来があるんだよ。この未来を作るために、キャンパスを取り返せ。そして君たちの方向性を0941 作るために立ち上がれ。

 三里塚は君たちの未来のために闘う。そして勝利する。43年間、のうのうとしてきたわけではない。多くの犠牲の上に、今、ここに立っているのだ。今日は、一日、三里塚闘争が何であるかということをもう一度振り返ってみて、共に闘う、そして我々は、農民の将来、労働者の将来、これをみんなの手に取り返すまで闘うことを宣言して私の挨拶を終わります。

 (一部、どうしても聞き分けることができませんでした。お詫びします。最後の写真は、4月1日、援農と現地調査に残った若い人たちに語りかけられる北原さんです。)

 

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2009年4月 3日 (金)

3・29三里塚全国集会① 特別報告・永井満関実代表

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 ご紹介をいただきました、関西の住民を代表しまして、結集されました皆様に一言ご挨拶を申し上げます。

 私たちは、これはもう30年来続けておりますことですけれども、現地で集会を持たれます時には必ず関西で、前段的な集会を開催してまいりました。今年も、さる3月15日、大阪中央会館におきまして185名を結集してその集会をいたしました。これは、しかし従来のいわゆる身内の総決起集会ということに止まらないで、この3・29にむけて、否、三里塚闘争そのものがもっと拡大していくための闘いとして、この集会をやろうと私たちは固く決意いたしました。

 思えば、この三里塚の闘い、ただ今の委員長のお話にもありましたけれど、動労千葉との固い共闘の中で築き上げられ闘い抜かれてきたその闘いの様子を私たちもつぶさに見てきましたし、時には一緒になって闘ってこれた、そういう ことを思い起こします。

 そして、今、ここ2~3年でしょうか、特に先ほどの基調報告にも出てきましたけれど、この三里塚の闘いが、三里塚の農民の土地を守る闘いだけにはとどまらない闘いである。日本農民を守る闘い、日本農業を守る闘いであるという風に今、大きく闘われようとしている。そのために反対同盟も非常な努力をしておられます。今、日本農業がどういう方向に行きつつある、否、支配者たちによってむしろ農業がほんとうに農民の手から資本の手に移されるような攻撃が加えられていて、ですから三里塚農民の土地を守る闘いは、単に三里塚農民の闘いだけではなくて、日本農民全体の闘いである。300万戸の農民をわずか14万戸に切りちじめて、しかもそれを資本の手に売り渡すような攻撃であることにに断固として反対する闘いであるということを反対同盟は掲げて、全国の農民の方々と共に闘うという姿勢をはっきりとさせ、しかもそれが市東さんの農地を守る運動という形で今、拡大しつつあると思います。私たちも、全面的に市東さんの闘いを支え、もし権力が市東さんの土地に手をつけるというようなことがあるならば、ほんとにかってのあの第1次、第2次代執行の時のような決意を打ち固めて、体を張って闘うんだということを決意しております。

 そしてもう1点のことを思いました。それはかって「全人民共闘」ということがありました。それは、具体的に言えば、砂川闘争を闘い抜いた宮岡さん、そして09329_3 北富士闘争を闘いました忍草母の会、そういった方々、さらには佐世保、その他、全国で闘う住民、市民の闘いを一緒に闘っていこう、三里塚とともに全国のそういう市民、住民の運動を連帯して闘おうという運動でした。「全人民共闘」という名前がつけられて、東京の野外音楽堂で集会をやりました。しかし、残念なことに、宮岡さんがその後まもなく病をえて亡くなられました。いろんなことがありまして、それは中途で途切れたような状況になっておったわけです。

 私は思いますのに、今、米軍再編ということが言われて、再編という名前で実質この日本を、ほんとに恒久的なアメリカ軍の基地に作り替えてしまうという変容が進もうとしているそういう中にあって、また来年はあの憲法を変えようという国民投票法がいよいよ実施されるという時、そして、今の状況で先ほどお話もありました、「北朝鮮のミサイル発射」ということを口実にしたPACⅢの配備といったそんなことが言われて、それを聞いている国民の方も「北朝鮮が無茶をやるから、防衛のためにそういうものを配備するのは仕方がない」というような受け止め方が大部分ではないかと思うんですけれども、思い起こせば、かって30年、40年も前、私たちの関西でもナイキというミサイルを配備しようということがあって私たちも現地の人と一緒に全力でそれを反対してそれを撤回させたということがあったのを思い起こしますけれども、そのころ、この三里塚現地にまいりますと、「反戦平和の砦・三里塚」という大きな横断幕というか縦の幕が掲げられていました。そして、こここそ、ほんとに「二度と戦争をしてはいけない」、戦争を阻止するための、軍事基地づくりを阻止する実力の闘いがここにあるんだということを反対同盟は高らかに宣言し、参加する私たちもみんなそのことを深く決意したものであります。

 今、そのことを思い起こしながら、その米軍再編ということが言われ、憲法がないがしろにされ、次々と事実上の出兵が繰り返されるという時代の中にあって、それを何としても阻止していく力、その闘いがもう一度この三里塚から始まらなければならないという思いを強くいたします。そのために、私たち住民は、反対同盟を先頭にして全国で同じ志を持つ人々とともに「反戦平和の砦・三里塚」、米軍の大動員の拠点となろうとしているその成田空港を絶対にそうさせないための闘いを広く呼び掛けて、そういう闘いを作っていこうとこう思います。

 そしてその米軍再編のいわば最も渦中にあります沖縄の方々ともいろいろと相談をし、ともに闘おうということを呼びかけさせていただきました。それが3月15日の集会で、現地からあの日の丸焼き捨ての闘いをし、その後も反戦地主として闘い抜いておられる知花さん、今日も見えておられます、に来ていただきました。そしてご存じの方も多いと思いますが、米軍再編の波をまともにかぶっておられる山口県・岩国の市民団体「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」代表で、反戦の闘いの先頭に立っておられる大川さんをお招きして、その闘いをつぶさに聞きました。それに、闘い抜いておられるその姿に私は感動を覚えました。

 そして、09329_4 関西新空港もまたその最初から軍事空港を意図されていたということは確かです。あの田中角栄が、「関空が軍事空港として作られることを認めれば明日にもできるんだ」ということを宣言していたことがあります。私たちも、淡路国際空港、40年前の闘いの時から「淡路をそうした軍事基地にするな」という闘いをやってきました。「こんな平和な時代に軍事空港とか、基地とかそんなことを言うのは何かためにする運動じゃないのか」というようなことをさんざん言われましたけれども、「そうじゃない。私たちは、この郷土から滑走路が4本もある基地から、軍事基地としてアジアへ爆撃機が飛びだして行くことを許さない」、あるいは、「自分たちの郷土が標的になることも許さない」という闘いを始めました。だから関西新空港も、闘いの一番初めは軍事空港反対なのです。単なる環境を守るという運動ではありませんでした。そんなことを思い出しながら、今、関西国際空港の現状を見ますと、一昨年8月に2本目の滑走路を作らせてしまったんですけれども、4000メートル、いまだにその空港からは、まあ1機もとは言いませんけれども、その新しい4000メートル滑走路からは飛行機はほとんど飛び立っていません。ぺんぺん草が生え、たくさんの海鳥がたむろしているという状況です。そういう滑走路を、かたや1兆数千億円の借金を抱えながら、さらに1兆円以上のカネをかけてなぜ作ったのか。今も飛行機がほとんど飛んでない滑走路は何のためなのか。その空港に行く橋があります。今まで関空のものでした。昨年でしたか国がそれを国有化しました。何のためでしょうか。あの関空というのは海上軍事要塞です。私たちはこのことをずっと叫び続けてきました。

 大阪の岸知事と会ったときにもこのことを言いました。そうすると彼は「このもっとも民主的に作られた平和空港を軍事空港などと言いなす奴はためにするものだ。出て行け」と言ったんですよ。けれども私は、彼に会って「頭をそって土下座してあやまれ」と言いたい。ほんとに今、この状態の日本の中で北朝鮮との戦闘に備えた米軍の計画5055ですか、そういう中に(関空は)組み込まれているでしょう。ましてやこの成田、ここの空港が、今やだれの目にももはやハブ空港ではない、あるいは羽田に中心がどんどん移っていってる、向こうは滑走路を5本も作ろうとしているんでしょう。むこうがどんどん中心になろうという時に、なんでここを1.5倍の、30万機を飛ばし、2500メートル滑走路を、いや4000メートル滑走路を作るんですか。これはもう、はっきりしている。ですから私たちは、あの最初に帰って、原点に立ちかえって、絶対にここを軍事空港にさせないという闘いを全国に呼びかけたいと思うわけです。そしてそれを旗印でもってもっと多くの人たちを、関西でも、いろんな闘いの人たちを三里塚に結集するように頑張らんといかんと思っています。

 幸い沖縄の方からも、これから一緒に三里塚をやろうという、今日、そういうお話しをいただけると思っております。また山口で米軍再編の波をもろにかぶって、住民を騙して、住民投票までしたのにそれを騙して、卑劣なやり方で補助金までカットして、そしてカネでほっぺたをひっぱたくやり方で、ついに基地延長、さらに住民にとってかけがえのない山を米軍住宅にするというような攻撃をやられています。そういう中で住民が立ち上がっています。そういう方々ともこれか09329_5 ら一緒にやりましょうと、三里塚と一緒にやりましょうと、集会で固く握手をしたんですよ。だから、私たち、労働者の方々の力強い決意の表明を今聞きました。心から拍手を送りますけれども、私たちは私たち住民として、ほんとに市民として、多くの市民に語りかけ、呼びかけ、平和のために、反戦平和のために、二度と戦争をさせないために私たちは三里塚を闘っていきたいと思います。えらく長くなって申し訳ないんですけれども、これからこういう闘いを反対同盟とともに力を合わせてやっていきたいと思っておりますので、皆さんの力強いご支援、ご賛同をいただきたいたいと思っております。どうもありがとうございました。

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2009年4月 2日 (木)

3・29三里塚と援農・現地調査

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 晴天の3月29日、三里塚の市東さんの畑をいっぱいにして1580人が結集し、全国集会が開催されました(上写真は、発言する萩原進さんと集会の様子)。

 私は、現地に永井、山本両関実世話人などとともに前夜に入り、沖縄から参加された知花昌一さんも交え、反対同盟との素晴らしい交流会に参加。夜遅くまで話しがつきませんでした。09329_2

 翌朝、29日朝には、恒例になった北原事務局長宅での前段集会(交流会)に、関西から駆けつけた30人ほどとともに参加。美味しい煮物などをいただきながら、北原さんの今日の闘いの意義などの訴えや、永井さん、知花さんの話と、初めて三里塚を訪れた仲間の話などに耳を傾けました。終わるころには、今や反対同盟員となられた森田恒一元関実世話人も駆け付け、参加された。(右写真は、特別報告をする永井さんと山本さん)

 それから市東さんの畑での集会に参加。すでに同盟ブログなどで報じられているように、昨年を上回る結集のもと、「市東さんの農地を守るぞ」「暫定滑走路北延伸の共用開始を許さないぞ」という決意と熱気に満ちた素晴らしい集会でした。出来るだけ詳しく、これからご報告していきたいと思っております。(左写真は、報告される沖縄の知花昌一さん)09329_3

 援農と現地調査のために残った関西の6人の仲間が、その日から4月1日まで、現地の三芝物産にお世話になりました。

 私は、30日、東京高裁と東京高検への狭山要請行動とデモを前日に引き続いて闘い抜いた部落解放同盟全国連の取り組みに参加しました。

 31日には、萩原さん宅での援農と産直の出荷作業に一日加わりました。前日から援農に入った6人の皆さんは、天気にも恵まれ、萩原さん、市東さん、鈴木さんの3軒に分かれ、援農と交流を楽しみました。さすがに、31日の夜には、みんな、慣れない仕事で、足腰の痛みを訴えていましたが、夜の私たちだけの交流会も楽しいものでした。

 最後の4月1日には、夜中からの雨が降り続く中、現地調査を行いました。市東さんの家や、天神峰、南台の畑を見ながらの市東さんの闘いの説明。天神峰現闘本部裁判の説明も。東峰の墓地では、雨も上がり、大木よねさんのお墓に0941 花が咲いているのに感激(右写真)。島村さんのお宅の騒音の説明や、東峰神社、清水の畑、東峰十字路の開拓道路と暫定滑走路の破綻を実感。それから萩原さん宅に挨拶に伺ってから、横堀の小屋に。成田空港の破産と三里塚闘争の勝利を何よりも実感できる場所だ。それから鈴木さんのお宅を訪問し、菱田砦で成田用水闘争を説明。岩山大鉄塔跡の記念館に上り、鉄塔決戦を説明。最後に北原事務局長宅を訪れ、1時間近いお話しを聞いて、三里塚を後にして帰途につきました。参加されたみなさん。ご苦労様でした。そして反対同盟と現地のお世話をいただいた三芝物産のみなさん、ありがとうございました。

 31日には、結審攻撃を跳ね返して、天神峰現闘本部裁判が、4月23日、午前10時半から午後4時半までかけて、北原鉱治事務局長、萩原進さん、元永修二さんの3人の反対同盟側の証人尋問が勝ち取られたことが、出荷作業の最中に裁判所からの通知が届きわかりました。裁判傍聴に駆け付けよう。

 また、今回の援農の中で、次の援農と現地調査を6月8日夜出発して、12日まで行うことを決めました。みんさん。参加されませんか?

 私は、これから片付けです。(最後の写真は、29日の市東孝雄さんと反対する会のみなさん)09329_4

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