3月16日 暫定滑走路変更認可取消控訴審最終弁論
3・15集会大成功の余韻も冷めやらぬ、翌3月16日、大奮闘の萩原進さんとともに上京。東京高等裁判所で開かれた「暫定滑走路変更認可取り消し控訴審」の最終弁論の法廷に行きました。この裁判は2000年2月に提訴。1審(千葉地裁)は、「変更認可は違法ではない」と暫定滑走路建設を追認したのみならず、住民被害についても「病人が出ていないから」「社会的受忍限度を超えていない」という非常に乱暴な開き直りを行いました。
これに対し、反対同盟は2008年3月に控訴し、市東孝雄さんの証人調べに加えて、松井利仁さん(京大准教授)の証人調べも勝ち取りました(08年12月、詳しくは当ブログ http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-dcec.html をご覧ください)。
この日、弁護団から膨大な最終弁論が提出され、その要約を葉山弁護士が、一瀬弁護士からは、先日の仲戸川裁判長(千葉地裁)の国の意向に沿った乱暴な訴訟指揮を指弾しながら、「国策裁判」となってはならないと富越裁判長に迫りました。
法廷後、小さな報告会を行い、弁護団全員の挨拶と、同盟から萩原さんの挨拶をもって、この日の闘いを終えました。
葉山弁護士の挨拶
みなさんどうも。このB’暫定滑走路変更認可処分というのは地上げ屋的発想によって東峰地区の頭上40メートルを飛ばす、市東さんの家、畑にジェット騒音をふりまく、そういうことを分かっていながらあえてやったということで、これは本当に地上げ屋的な暴力行為です。この変更認可処分について、これがいかに変かと言いますと、99年5月までに東峰地区を取得できなかったということで、当時の川崎運輸大臣などが自ら減給処分をするという格好で、できない相談のことをやっぱりできなかったということで、部内で処分をする。その一方で報復的に、ワール ドカップを行うという、これは単なる口実なのですが、5月10日にできなかった、その翌日の11日までの間に、北側に約1キロ、2180メートルを延長して作っちゃうということを打ち出す。これは完全に言うことを聞かなかった反対同盟を主力とした者たちへの報復的攻撃として暫定滑走路が建設された。 そういうことを許しておけるかということで取消訴訟を提起した(2000年10月)。
(昨年、控訴審で)市東さんの証言だけであとはやらないと打ち切り寸前までいったんですが、頑張って松井証人の証言、さらに鑑定書など膨大なものを提出して、騒音被害が人体的にきわめてひどい、心筋梗塞症状を起こすまでにひどい状況の騒音被害だと。要するに人殺し空港だということを明らかにしたわけです。 それに対して富越裁判長がどういう判断を下すか。不当判決と言うのは恐らくそうだろうというのは確実なんですが、こういう格好で司法権力そのものが空港公団、空港会社と一体になって襲い掛かるということをあらゆる時点で許さず、断固、それぞれの時点で追及していく。現地における反対同盟を中心とした所の大きな大衆行動、実力闘争の中で決着をつけるということになると思う。その一環としてこの裁判闘争を行ったということなんで、今後、この闘争、あるいは千葉地裁における闘争と、萩原さんも言っているように現地闘争と一体という風に闘っていくことになると思うので、今後ともよろしくお願いいたします。
それに対して富越裁判長がどういう判断を下すか。不当判決と言うのは恐らくそうだろうというのは確実なんですが、こういう格好で司法権力そのものが空港公団、空港会社と一体になって襲い掛かるということをあらゆる時点で許さず、断固、それぞれの時点で追及していく。現地における反対同盟を中心とした所の大きな大衆行動、実力闘争の中で決着をつけるということになると思う。その一環としてこの裁判闘争を行ったということなんで、今後、この闘争、あるいは千葉地裁における闘争と、萩原さんも言っているように現地闘争と一体という風に闘っていくことになると思うので、今後ともよろしくお願いいたします。
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