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2009年3月25日 (水)

3・15 講演とパネルの集い⑧ パネルから大川清さん

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 みなさん。こんにちは。岩国から来ました「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」の大川と申します。キリスト教の牧師をしていまして、牧師がこの時間にこの場所にいるというのはほとんど奇跡に近いことでして、綱渡りの状態で、今日何とか間に合いました。時間がありませんので、早速岩国の闘いの報告をさせていただきたいんですが、なかなか岩国の情報というのは関西の方には伝わってこないと思います。隣の県の広島でさえ、そうなんですね。というのは広島と山口は全国版の新聞の本社が違うんです。広島は大阪本社で、山口、岩国は九州本社なんです。ですから岩国で起こったことを広島の人たちが知らなくて、逆に沖縄の方々がよく知っていてくださるというようなことなんですね。

 ですから岩国の情報はなかなか伝わらないんですが、これまで戦後63、4年09315_2 間ですか、岩国でも米兵による犯罪、事件、事故、日常的には戦闘機の爆音、そういうほんとに深刻な被害があったわけです。でも、何と言いましても、岸、吉田、佐藤、安倍の保守王国ですから、みんな何らかのしがらみがありますから声を上げたくてもあげられない、そういう状況がずっと続いていたんですね。そういう中で、2004年の夏に、初めて厚木からの艦載機を岩国に持ってくるという話しが報道がされました。今いる戦闘機だけでも減らしてほしい、無くしてほしいと考えているところに、いきなり倍にするというんですね。だから、もう岩国市民は、当然、それに反発して、その次の年、その時は合併前でしたから10万人の市民でしたが、その中で6万人の(反対)署名が集まりました。前の市長の井原さんも徹底して反対の姿勢でした。市議会もその時は、全員一致で反対決議をしているんですね。ところが、2005年の秋、米軍再編の中間報告が10月に出て、いろいろ保守系の市議たちも、国の政治家からいろいろ言われたんでしょう。なでられたりいろいろされて、そして議会の中でもめ出したんですね。「反対、反対いっていたら振興策がもらえなくなる」というようなことを言いましたし、「どうせ国が決めることなんだから、小さな町が反対しても最終的には国はこのことを通すだろう」というようなことを、保守系の議員たちが言い始めました。はては、「お上の言うことに盾ついても」というような発言を堂々と議会の中でするんですね。びっくり致しました。議会がだんだんとそういう意見で乖離してくるんですね。

 そういう中で、2006年の2月に、前の市長の井原さんが住民投票を発議されたわけです。私は、そん時に、その住民投票をやると井原さんが言った時に、ほんとにまずはすごく喜んだんです。これまで声にだすことができなかった声を、初めて上げることができる。反対の意思を初めて国に訴えることができる。そういう喜びがありました。でも次の瞬間には「まてよ」と、これまで基地に対してそういう思いはあっても、ほとんど反対の意思を表してこなかった岩国市民が、このままいけば、反対の意思を表せるだろうか、そういう思いがあったんですね。50%を越えなければ、開票もせずにゴミになるという50%条項というのがありましたから、その発議から投票まで1ヶ月の間でしたけれども、いてもたってもいられない気持で、いろんな人と呼びかけあって、何とかその1ヶ月を悔いのないように闘おうということで、寒い2月でしたけれども、雨の日も雪の日もありました。なんせね、ビラを5種類も、6種類も作って、毎日、毎日それを配り歩くPhoto_3 んですね。ただポストに入れるだけじゃあなくてね、会う人会う人みんなに訴えかけよう。米軍機が飛び交う、米兵が街にあふれる、事件や事故が絶えない、そんな街を子供たちに残していいんだろうかと、そのことをみんなで訴えかけようということで、毎日、ビラ配りや、プラカードをかかげて駅前で訴えかけました。沖縄からもね、知花さんや高里さん、安次富さん、いろんな方が駆け付けてくださって、訴えかけてくださいました。ほんとに励まされました。80代の後半の女性は、「自分の子や孫のことを思ったらじっとしておれない」と言って、「もういいですよ。雪だからいいですよ」と言っても、「じっとしておれないんだから」と言って200枚も300枚も、毎日、毎日、ビラを抱えて配ってくださるんですね。こういう市民の努力があって、58.68%。もうこの前の3月12日で3年を迎えましたけれども、3年前の2006年3月12日には、住民投票で、58.68%、43,433票という、これは投票者の9割近い反対票でした。この3年間、やっぱりそのことが運動の中で大きな力になってるんですね。沖縄からも「あの岩国がこうして反対の意思を表してくれた。このことは私たちんとっても大きい励みだった」と声をかけてくれ、私たちも喜んだんです。

 このとき私たちにいろんな圧力がありました。住民投票自体を無効とする運動が起こったり、そして私は幼稚園の園長でもありますけれども、幼稚園の前に黒塗りの車が横付けされたり、いろんなことがありましたけれども、でもみんなでふる里の街のことを考えて頑張ってそういう結果でしたけれども、自分たちの街のためにみんなが知恵を出し合って、そして助け合って、自分たちの街をどうしていくのか、そのことを応援するのが国の役割だとずっとそんな風に思っていたんです。でも、カネと圧力で、国が一つの街を力で持ってずたずたに分断していく。住民投票の後3年間、ほんとに凄まじさですか、ほんとに許せない限りですけれども、本来なら、住民投票で示された民意を、これは岩国市民の心からの叫びだったんですね、その心からの叫びを聞いて政治をするのが国の政治家の務めでしょう。それが民主主義、主権在民ということですよね。なのに、アメリカの顔色をうかがって、そして自分たちの国を戦争をする国に変えていこうというそんなことで、一つの街をずたずたにする、そんなことを本当に許せませんでした。  (明日につづく)

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