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2009年3月18日 (水)

3・15 講演とパネルの集い① 主催者あいさつ 永井満さん

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 みなさん、今日は。ご苦労様でございます。待ちに待った今日の集会を、こうしてみんな揃って開会できること本当にうれしく思っております。お越しの皆さんは、今日の集会がどういう趣旨の集会であるか等々、すでにいろいろお読みくださってご存知かと思いますけれども、今までと違ったと申しますか、三里塚を中心とした集会ではありますけれども、単なる私たち関西実行委員会の内部的な決起集会ということではなしに、三里塚の闘いを、3・29を中心にしながら、より大きな闘いに広げていきたい。かっては全人民共闘というような闘いの陣形がございまして、砂川の宮岡さんであるとか、北富士であるとか、佐世保であるとか、そして私たち関西であるとか、そういう市民、住民たちも、そういう形で三里塚を闘ってまいりました。今のこの経済的にもですが、何よりも米軍再編と言われる問題、それに関連した三里塚、沖縄、岩国、そして関西、こういう問題についても市民として関心を持たなければならないという思いがありました。今度の3月の現地集会に対し09315_2 ましても、今までのような決起集会だけではなく、もっと闘う陣形を広げて、もっと多くの方に現地に総参加していただきたいという願いをもちまして、今日の集会という運びとなりました。

 お忙しい中、沖縄から知花さんがお越しくださいました。また岩国から、大川先生が、今新幹線の中かと思うんですが、私同様礼拝を終えて飛んできているところだと思うんですけれども、駆け付けてくださいます。私も、岩国に行ったことはありません。大川先生が書かれたものやパンフレットをちょっと読んだ程度で、今日、直に聞かせていただける、あの素晴らしい闘いを聞かしていただけるのを楽しみにしています。

 これから三里塚を闘う者が、こういう全国の米軍再編に対して「ノー」の声をあげて、手をつないで闘っていくことです。三里塚ということで考えますと、私たちが訪れた40年前にお邪魔した時には、「反戦の砦・三里塚」という大きな看板を掲げられていました。三里塚は、本当に戦争をさせない「反戦の砦だ」と、その時私たちは頭に叩き込んだわけなんですけれども、それ以来40有余年、闘いは、厳しい闘いが続いておりますけれども、現在闘い抜いておられる北原さんを先頭とした反対同盟の方々、人間として、本当に良心を持って闘っておられる。本当に敬服いたします。こういう三里塚を闘う中で、三里塚の方々のような素晴らしい人間、共に闘っておられる方々、人間として超一流と思えるような方々と一緒に親しくこの闘いに参加させていただける。このことは、少し大げさに言うかもしれませんが、生まれてきた甲斐があるというか、望外な喜びとそんな風に思っております。

 今日はまた、こういう中で、大川先生をお迎えして、岩国の闘いについて聞かせていただき、これから共に闘っていきたいし、大川先生にもまた三里塚を共に闘っていただきたいとそんな風に思っております。

 確かに今日の集会についてご批判があることも聞いております。これまでの前段の集会と違うじゃないかと。多分、違うんです。しかし、違う理由は、今も申しましたように、単なる前段集会と言うと、私たちの仲間内の集会で、総決起集会のような形になりますけれども、この3・29を、関実が総決起することはもちろんですけれども、一人でも多くの方々に、今までと違った方々にも三里塚を知ってほしい。私たちもまたそうした闘いに参加させていただきたいという願いがあります。今日はその最初の試みです。どうかみなさんの協力をいただきながら、ほんとにやってよかった、これで三里塚の闘いが大きく地平が広がったと言えるような集会に是非していただきたいと思っております。それぞれの闘いについては、それぞれの方々からご報告がいただけますし、また討論の時間があとであります。また皆さんのほうからお尋ねのことがあれば手を挙げていただいてお聞きすることができると思います。どうかその心づもりでいていただきたいと思います。

 私が言うまでもなく、三里塚現地は今、大変なことになっています。後ほど萩原さんからも詳しくご報告もあろうかと思います。今日の新聞でしたか、羽田が5本の滑走路を作って、50万回ですか国際空港としてこれから羽田はやって行く09315_3 んだという記事が大きくありましたが、「成田はどうなるの?」ということですよね。成田は一生懸命、滑走路を伸ばしたり、発着回数を1.5倍にするなんて言ってますけれども、やっぱりもう国際空港、日本の中心の空港としては羽田という体制になっていく。それなのになぜ、飛行回数を1.5倍、30万回ですか、滑走路も3500、4000メートルをつくる。これはもう、やはりいわゆる米軍再編の問題、いざという時に大量の米軍、軍隊とその物資を集約できる基地として、三沢とか、成田。関空もそうですね。飛行機が1機も飛んでいない、ほんとにペンペン草がはえている4000メートルの滑走路。何で作ったんですか。1兆何千億もの借金がありながら、その上にさらに借金を重ねて。これなど軍事使用をめざしたものであることは明らかですね。

 そういう中で、来年、憲法をめぐって国民投票法がいよいよ施行されるということですね。昨日は、自衛艦が出ていきました。私のような年代ですと、「居留民保護」などという名目で軍隊を海外に出し、たとえば上海で邦人が殺されたという名目で、日本の砲艦を派遣して、それが上海事変となったり、満州事変となったり、支那事変となったり、戦争と言わないわけですね。軍隊をなんやかんや言いながら派遣して、いつの間にか戦争になっているから、日中戦争と言わないで支那事変とこう言っていた。そういう同じやり方がまた今復活してきたと思いますね。イラクの問題やインド洋の問題で出ていきましたけれど、建前だけでもイラクは復興支援でしたでしょ。インド洋は、燃料補給ですよね。今度は建前としても、武器を使うことを前提として出て行っています。そういうことを考えると明年はどんな年になるんだろうかと思うんです。それまでに闘う陣形をしっかりと組み上げなければならない。何よりも沖縄、三里塚、そして岩国を中心とした闘いぬく住民の陣形を作りたい。大それた願いかと思いますが、絶対にそれをやらなければならない、私たちにその責任があるんだということを、ほんとに感じております。今日お越し下さった皆様方も、お招きした方々のお話しを通して、一層そういう思いを共有してくださると信じます。どうぞ最後までこの集会を盛り上げて、ほんとに意義のある集会にしていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

事務局よりのお知らせ=一昨日、3月16日、部落解放同盟全国連合会婦人部顧問(前婦人部長)の三木輝子さんが逝去されました。享年83歳。本日、八尾の玉泉院において、全国連書記長中田潔さんを葬儀委員長に、しめやかに告別式が行われたことをお知らせいたします。心からのご冥福をお祈りいたします。

 

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