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2009年3月26日 (木)

3・15 講演とパネルの集い⑨ パネルから大川清さん(その2)

09315  住民投票のあった2006年の12月には、先ほど知花さんがおっしゃってくださいましたけれども、建設中の市庁舎への補助金全面カットするというんです。それを聞いた時には、怒りで体が震えました。ゴルフ接待を何回もやって捕まった守屋のやり口でしたけれども、本当に許せない思いでした。今、いろんな教育の現場で、いろんなところでいじめの問題が深刻化していますよね。国あげてとりくんでるところですよね。でも、補助金カットというのは基地の町に対するいじめ以外の何物でもない、そんなふうに思いました。国がこんなにもあからさまにすでに約束されていた補助金を、あからさまに約束をやぶっていいものだろうか、嘘をついていいものだろうか、本当にはらわたが煮えくり返る思いがいたしました。こんなことをまかり通らせては、ほんとにこれから岩国はどんどんどんどん圧力で痛みを押し付けられてくる、そんな風に思いました。本来なら、そこで市長、議会、市民こぞってこんなひどいやり方をする国に、文句を言うて行くのが当たり前だと思います。ところがやはり保守王国の山口県の岩国ですから、議会が「市長が反対するからだ」と言って市長を問責するんですね。容認派の議員たちに先導されて、問責決議が通ってしまうんです。街頭で訴えかける私たちにも「お前たちが反対するから、ほら、こんなことになった」。町がだんだんと分断されていくんですね。

 時をおなじくして再編交付金、先ほど知花さんが言われましたが、岩国市の周りの町には配られるんです。当の一番被害の大きい岩国市だけそれを受けられない。周りの町はそれでどんどんどんどんいいことをしていくんですね。小学校までの医療費をタダにするとかそういう風に使うわけです。岩国市だけがおいてけぼりになる。そういうことで、ほんとに大変な思いをいたしました。

 でも、ここでくじけてしまったら、これからどんどん痛みを押し付けられてしまう町になってしまうということで、私たちは一生懸命声を上げましたけれども、議会はその年、2007年ですけれども、5回、一般予算を否決するんです。一般予算を否決するということは、公共工事とか滞るんですね。ですから市民に多大な迷惑がかかってしまうわけです。最後に12月議会で、井原さんが、私は一番前で傍聴していましたからはっきり覚えていますが、前の市長の井原さんが、自分の首に手を当てて「私の首と引き換えに、市民生活にとって大事なこの一般予算だけは通してくれ」ということで辞任されたのです。出直し選挙が、2008年の2月に行われましたけれども、この時のやり方というのもほんとに凄まじい、国総がかりの選挙です。国総がかりというか、国とアメリカ総がかりなんですよね。選挙の間は米軍機も静かでした。そういう風に米軍に要請するんですね。井原さんになると、何がなくなる、かにがなくなる、そういうことがずっと言われて、容認派の候補が通ると、生活給付金じゃないですけれど、一人2万円もらえると実しやかにひろまって、実際選挙が終わった後に市役所に、2万円もらえるという話しを聞いて「うちは5人家族です。10万円もらえるはずですが、どういう手続きをすればいいんでしょうか」と言いに行った人もいるくらいで、本当に、ありとあらゆることが行われた選挙でしたが、一つ一つ申しませんけれども、一つだけ、お金で票が左右されるというのは選挙違反だと思うのですね。僕は今回の選挙は、国が公然とそれをやってきたと思うんです。だって、井原さんに投票すると35億は出さない。でも容認候補の福田に投票すると35億は出すよというやり方です。で、実際、福田が通ったとたんに手のひらを返したように35億を出したわけです。こんなことが許されてなるものかと思いましたし、選挙の日というのは、腰が砕けるというのはああいうことかなと思ったんですが、座り込んだまま立てない状態だったですね。みんなで一晩泣き明かしましたけれども、でも、こんな醜いやり方に負けてしまったら、それこそ岩国に未来はなくなるとそんな風に思いました。沖縄から電話をくださって、沖縄の名護もやっぱり同じ状況Photo だったんですね。「市民投票で勝利して、そのあと市長選で敗れて、そして岩国とまったく同じ状況だったけれども、それから10数年新しい基地を建設するための杭は1本も打たしていない。大川さん、闘いはこれからですよ」そんな風に電話して下さったんです。その言葉にすごく励まされました。基地の町が分断されるんじゃなくって、こんな風に手をとりあって行けれる。そのことに僕はすごく希望を見出しました。

 そうですね、沖合移設と愛宕山のことをちょっとお話ししたいと思います。そもそも沖合い移設というのは、今ある滑走路から、騒音対策、安全対策のために海を埋め立てて1キロ、滑走路を海側に出そうというのが沖合移設なのです。そのための土砂を愛宕山という山を半分に削って土砂を持ってくるというのが愛宕山開発なんですね。そもそも安全対策、騒音対策であったものが、蓋を開けて完成してみれば、そこに倍の戦闘機が来るという。市民はまんまと騙されたわけですよね。そんなこと許されるはずないですよね。愛宕山開発にしても、私は京都の出身ですが、愛宕山というのは火の神様でね、信仰の山です。岩国にあっては、町の中心にあって市民の憩いの山だったんですね。鎮守の森の映画がありますけれども、ほんとに市民の憩いの場だったんです。そこを病院ができるだとか、学校ができるだとか、福祉施設ができるだとか、あるいは店ができてよりよい、住みよい地域になるんだ。埋め立ての騒音対策になるんだとそんな風に言われて、泣く泣くその山の地権者たちは土地を売ったわけです。それが、蓋を開けてみれば、「バブルもはじけて住宅地として売れる見込みもないから国に買ってもらって米軍住宅にする」っていうんです。滅茶苦茶ですよね。ここまで岩国市民を馬鹿にした話があるかと思います。始めから画策されていたことですよね。僕は、始から画策されていたことだと思います。

 私たち市民のほんとの心からの願いっていうのは、爆音に苦しめられずに、犯罪におびやかされずに、ほんとに安心して暮らせる町が、市民の心からの願09315_2 いです。でも、議会や一部の人たちは、振興策を国から引っ張ってこようとか、そういうことでしかないわけですが、でも、安心や、安全をなくして振興策なんてないと思うんです。市民が安心して暮らせる、それこそが一番の町の振興ということじゃないでしょうか。僕は、そんな風に思います。容認派の市長が、市長になった時に、私たちは公開の質問状をだしました。その時市長は「市民の安心・安全が確保されない限り、自分は移転は容認しない」と明言したんですね。僕は、移転、つまり艦載機がくることと安心・安全ということはまったく対立することだと思っています。だって、彼らというのは基地の中で、人助けの訓練をしてるわけじゃないですよね。戦争のための人殺しの訓練をしているわけです。そういう米兵が町にあふれることを、私たちは決して許してはならないとそんな風に思っています。戦闘機だって安全に飛ぶ訓練をしているわけじゃないですよね。ほんとに、絶えず戦闘状態を想定した危険極まりない訓練を日常的にしているわけです。そういう戦闘機が倍以上になるなんてほんとに考えられないことです。そんなことで、私たち市民も、ほんとに諦めなければ、必ずこのことはできない。そういうことで、今、これまで以上に市民が連帯して頑張っています。愛宕山の署名に至っては、当初5万人を目標に集めていましたけれど、岩国市民だけで5万人、そして全国から寄せられたのが5万人。合計10万人の署名が集まりました。3年前の岩国では考えられなかったことですけれども、とうとう爆音裁判の提訴に向けて準備しています。今月終わりには提訴できます。原告が477人決まりました。岩国では画期的なことなんです。命だとか、町の未来だとか、平和だとか、いうことがらは、私はこれまでいろんな事をあきらめながら生きてきましたけれども、命とか、町の未来、平和だとかいうことがらは決してあきらめてはならない事柄だと思います。私たち市民がほんとにあきらめずに声を上げ続ける。権力者にとって一番怖いのは何でしょうか。一番恐ろしいのは何でしょう。圧力を加えても、加えても立ち上がる、声を上げる、そういう市民ではないでしょうか。これまで以上に連帯して、いろんな、沖縄や、三里塚や、いろんな方と連帯して声を上げ続けていきたいなと思っています。何よりも、負けた市長とは思えない井原さんが、元気に全国を駆け巡っていろんな国の横暴さを訴えかけておられますので、また井原さんの登板ということも念頭に頑張っていますので、これからもよろしくお願いいたします。

 「3・15 講演とパネルの集い 米軍再編と闘う-三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」の素晴らしい講演、報告の数々を掲載してきました。起こしながら改めて感動を覚えています。3・29三里塚全国闘争が担おうとしているでっかさがと、新たな統一戦線の形成、共闘と連帯の大事さが明らかにされていると思います。関実事務局としては、今後の、三里塚闘争と米軍再編・改憲攻撃への一つの出発点となったこの集会の、掲載していないパネルディスカッションも含め、早急にパンフレットに編集して出版したいと考えております。

 なお、管理人は、28日から三里塚現地に向かい、10人近い人々と、集会後も現地に残り、援農と現地調査を行います。そのため、当ブログは4月2日までお休みさせていただきます。みなさん。3・29三里塚現地に総決起しましょう。

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2009年3月25日 (水)

3・15 講演とパネルの集い⑧ パネルから大川清さん

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 みなさん。こんにちは。岩国から来ました「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」の大川と申します。キリスト教の牧師をしていまして、牧師がこの時間にこの場所にいるというのはほとんど奇跡に近いことでして、綱渡りの状態で、今日何とか間に合いました。時間がありませんので、早速岩国の闘いの報告をさせていただきたいんですが、なかなか岩国の情報というのは関西の方には伝わってこないと思います。隣の県の広島でさえ、そうなんですね。というのは広島と山口は全国版の新聞の本社が違うんです。広島は大阪本社で、山口、岩国は九州本社なんです。ですから岩国で起こったことを広島の人たちが知らなくて、逆に沖縄の方々がよく知っていてくださるというようなことなんですね。

 ですから岩国の情報はなかなか伝わらないんですが、これまで戦後63、4年09315_2 間ですか、岩国でも米兵による犯罪、事件、事故、日常的には戦闘機の爆音、そういうほんとに深刻な被害があったわけです。でも、何と言いましても、岸、吉田、佐藤、安倍の保守王国ですから、みんな何らかのしがらみがありますから声を上げたくてもあげられない、そういう状況がずっと続いていたんですね。そういう中で、2004年の夏に、初めて厚木からの艦載機を岩国に持ってくるという話しが報道がされました。今いる戦闘機だけでも減らしてほしい、無くしてほしいと考えているところに、いきなり倍にするというんですね。だから、もう岩国市民は、当然、それに反発して、その次の年、その時は合併前でしたから10万人の市民でしたが、その中で6万人の(反対)署名が集まりました。前の市長の井原さんも徹底して反対の姿勢でした。市議会もその時は、全員一致で反対決議をしているんですね。ところが、2005年の秋、米軍再編の中間報告が10月に出て、いろいろ保守系の市議たちも、国の政治家からいろいろ言われたんでしょう。なでられたりいろいろされて、そして議会の中でもめ出したんですね。「反対、反対いっていたら振興策がもらえなくなる」というようなことを言いましたし、「どうせ国が決めることなんだから、小さな町が反対しても最終的には国はこのことを通すだろう」というようなことを、保守系の議員たちが言い始めました。はては、「お上の言うことに盾ついても」というような発言を堂々と議会の中でするんですね。びっくり致しました。議会がだんだんとそういう意見で乖離してくるんですね。

 そういう中で、2006年の2月に、前の市長の井原さんが住民投票を発議されたわけです。私は、そん時に、その住民投票をやると井原さんが言った時に、ほんとにまずはすごく喜んだんです。これまで声にだすことができなかった声を、初めて上げることができる。反対の意思を初めて国に訴えることができる。そういう喜びがありました。でも次の瞬間には「まてよ」と、これまで基地に対してそういう思いはあっても、ほとんど反対の意思を表してこなかった岩国市民が、このままいけば、反対の意思を表せるだろうか、そういう思いがあったんですね。50%を越えなければ、開票もせずにゴミになるという50%条項というのがありましたから、その発議から投票まで1ヶ月の間でしたけれども、いてもたってもいられない気持で、いろんな人と呼びかけあって、何とかその1ヶ月を悔いのないように闘おうということで、寒い2月でしたけれども、雨の日も雪の日もありました。なんせね、ビラを5種類も、6種類も作って、毎日、毎日それを配り歩くPhoto_3 んですね。ただポストに入れるだけじゃあなくてね、会う人会う人みんなに訴えかけよう。米軍機が飛び交う、米兵が街にあふれる、事件や事故が絶えない、そんな街を子供たちに残していいんだろうかと、そのことをみんなで訴えかけようということで、毎日、ビラ配りや、プラカードをかかげて駅前で訴えかけました。沖縄からもね、知花さんや高里さん、安次富さん、いろんな方が駆け付けてくださって、訴えかけてくださいました。ほんとに励まされました。80代の後半の女性は、「自分の子や孫のことを思ったらじっとしておれない」と言って、「もういいですよ。雪だからいいですよ」と言っても、「じっとしておれないんだから」と言って200枚も300枚も、毎日、毎日、ビラを抱えて配ってくださるんですね。こういう市民の努力があって、58.68%。もうこの前の3月12日で3年を迎えましたけれども、3年前の2006年3月12日には、住民投票で、58.68%、43,433票という、これは投票者の9割近い反対票でした。この3年間、やっぱりそのことが運動の中で大きな力になってるんですね。沖縄からも「あの岩国がこうして反対の意思を表してくれた。このことは私たちんとっても大きい励みだった」と声をかけてくれ、私たちも喜んだんです。

 このとき私たちにいろんな圧力がありました。住民投票自体を無効とする運動が起こったり、そして私は幼稚園の園長でもありますけれども、幼稚園の前に黒塗りの車が横付けされたり、いろんなことがありましたけれども、でもみんなでふる里の街のことを考えて頑張ってそういう結果でしたけれども、自分たちの街のためにみんなが知恵を出し合って、そして助け合って、自分たちの街をどうしていくのか、そのことを応援するのが国の役割だとずっとそんな風に思っていたんです。でも、カネと圧力で、国が一つの街を力で持ってずたずたに分断していく。住民投票の後3年間、ほんとに凄まじさですか、ほんとに許せない限りですけれども、本来なら、住民投票で示された民意を、これは岩国市民の心からの叫びだったんですね、その心からの叫びを聞いて政治をするのが国の政治家の務めでしょう。それが民主主義、主権在民ということですよね。なのに、アメリカの顔色をうかがって、そして自分たちの国を戦争をする国に変えていこうというそんなことで、一つの街をずたずたにする、そんなことを本当に許せませんでした。  (明日につづく)

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2009年3月24日 (火)

3・15 講演とパネルの集い⑦ 特別報告2 中田潔さん

081005   写真は、昨年の10・5三里塚全国集会

 こんにちは。部落解放同盟全国連合会の中田でございいます。萩原さんが話しされて、それから知花さんが話しされて、なんでやねんということですが、これは恐らく私に発言をしろということは、大変な段階に来ている三里塚の闘い、そしてその闘いをもういっぺん大きな人民の力の中で支えていこうという情勢の中で、あらてめて三里塚をもう一遍大きくしていこうとこういう中で、多分、関実に参画をする団体の中で、「全国連よ、われわれ、こういう思いでいてるんだ。もういっぺん部落解放運動の立場から大きく三里塚を支え共に闘う陣形を広げていこうやないか」こういうために、私に発言をしろということであったんではないかなと思っております。まあ住宅闘争のことについてもいろいろ訴えなければならないことはあるんですが、そうした主催者の意図というか、腹の内を察しまして、先ずあらためて部落解放運動の立場から、三里塚の闘い、反戦平和、軍事空港反対の闘いの一翼をしっかり部落解放運動の中から担っていきたい。そして3・29には、18回大会を前にして全国連的には大変な時期ではあるけれども、しっかりと3・29現地でのたたかいを取り組んでまいりたいという決意を先ず冒頭申し上げておきたいと思います。

 三里塚が大変な情勢を迎えているという背景に、今日の経済危機、あるいは その経済危機を突破していくために戦争もやむなし、こういう戦争への道の強まりが三里塚の情勢を規定していると同じように、部落解放運動もまたそうした情勢に規定されて大変な局面を迎えているということがあります。私たちは18回目の大会を4月に開催をするわけでありますが、あらためてこの情勢の中で部落解放運動をどういう風に進めていかなければならないのかということについて私たちは今、真剣な討議、討論を積み重ねているところであります。まあ、部落解放運動をめぐってはですね、様々な攻撃が強まってきています。部落解放同盟本部派の飛鳥会事件をめぐる不祥事から、いわゆる部落解放運動バッシング、あるいは同和バッシングいうようなものと競合されながら、非常に部落09315_3 解放運動への無理解や差別的な考え方がどんどんどんどんここ数年間、煽られてきました。こういった中で特に、部落解放運動の中で一番大きい団体は部落解放同盟です。私たちは通称本部派と言っています。この本部派は、この間の不祥事に関わるバッシングの中で、この3月に大会を行いまして、大幅な組織改革、あるいは規約の変更、運動方針の変更、見直しというものをを行いました。私たちは、こうした解同本部派の方針の変更や規約の変更を、大きくは融和運動への屈服、転換、このように批判をしております。数年前から解放同盟本部派の中では、水平運動に敵対をしてきた、あるいは水平社の闘いを妨害をするためにどんどんどんどん時の権力者がテコ入れしてきた融和運動の再評価という風な形を通しながら、今日の部落解放運動の大きな変質、私たちから言えば融和運動への大きな転換の道がさぐられてきました。いよいよ今年は融和運動に屈服する大きな解放同盟本部派の元年、いう風な大会になってしまったんじゃないかな。非常に残念でなりません。こうした既成解放運動の大きな崩れと融和運動への転換は、たしかに解放同盟本部派自身がだらしない、弱すぎる、いい加減だということもあるんですが、まさにこうした戦争をできる国にしたてあげていこうという、そのために労働運動や住民運動や、あるいは私たちのように部落差別とたたかうような運動すら認めない、そういう体制翼賛の国づくりを推進していこうという攻撃にその根本があると私は思います。特に、ここ数年間、こうした部落解放運動の根絶やし的な弾圧、あるいは運動つぶしというものが強められてきました。その結果、解同本部派は体制内の中で認められる運動、あるいは行政に容認される運動、こういう形で大きく融和運動への転換が始まったんではないかなと思っています。まあ、解同がこの間の不祥事の問題を通して、提言委員会というものによって組織の立て直しを図ろうとしております。本来、組織の中で生み出された腐敗や組織矛盾は、組織の中でしっかりと討論し解決されるべきものでなければならないと思います。多くのまじめな部落大衆は、解放同盟本部派の不祥事に対して本当に心を傷めておられたと思います。私たちも心を傷めました。そしてこの中からなんとかほんまもんの部落解放運動をやっぱり立ち直らせていこうという強い想い、力はまだまだ部落大衆の中に残っているはずです。しかし、なぜ第3者委員会なのか。部落民自身の手によって部落解放運動が再生させる事が出来なかったのか。ここに私は大きな落とし穴があるように思っております。国が認め、行政が認め、マスコミが認め、差別者も含めて容認できる部落解放運動でなければ、これから部落解放同盟という名前すら名乗れない、こういうほんとに厳しい時代を迎えているんだな。これが、こうした部落解放運動を取り巻く厳しい環境の、まあ、鏡に写した形が融和運動への転落という風になっているんではないかなと今思っています。

 私たちは、こうした部落解放運動をめぐる大変厳しい状況の中で、じゃあ部落解放運動はどうあるべきなのか。

 住宅問題について私が与えられた時間は10分ですので、住宅問題についてはあまり触れられることは出来ませんけれども、この4月1日から、政令であらたに同和住宅に対する規制が強められるていくことになります。今まで15万数千円の政令月収があれば同和住宅に入居できた。それが例えば改良住宅で09315_2 は13万円そこそこの政令月収でなければ入居を認めない。まあ、それぞれの家族世帯構成によって違いますけれども、だいたい政令月収15万ちょいというのは夫婦と子供、1人か2人ぐらいのあわせた家族構成で、年収で約260万円程度というのが政令月収15万の額に大雑把な数字ですがなります。ところが年収にしたら260万の人たちが、もう同和住宅に住めない、改良住宅に住めない、明け渡し義務を課せられてしまうという事態が起こっています。まあ、4月1日から起ころうとしています。ですから当然、これから結婚をして、生まれ育った部落に自分たちは住んで、そこでもう一ぺん全国連の支部に団結して差別をなくすために頑張るんやとか、あるいは年老いた両親が村に住んでて、自分も親の近くで一緒に暮らしながら生きていきたいんやとかいう風に思っても、この規定によって村に住むことすらできないという事態が、4月1日から起こってきます。そういう人たちはいったいどうするのか。高い民間の家賃を払うか、それとも、今は35年まで銀行ローンが可能なようですが、高い金利を払ってですね、銀行資本と大手ゼネコンに一生奉仕させられるという、こういうふうな住宅ローン地獄の中にたたきこまれていく。部落解放運動はこれまで、同じところに生れ、そして同じ差別を受け、そして同じ学校に通い、同じ職場で共に働き、そういう地域的な連帯や、そういう意識が団結をはぐくみ、差別に負けない、差別されたとしても決して泣き寝入りしない団結の力を部落は育くみ続けてきました。その部落の共同体を根底から破壊しようとするのが、この4月1日から始まる新たな規制であります。私たちは、応能応益家賃制度の導入に対してこの10年間、家賃値上げ反対で徹底的に闘ってまいりました。その中で広島の兄弟や山口の兄弟にも明け渡しの決定が下されるというふうな事態の中にあります。私たちは、こうした事態は決して住宅闘争、家賃が高い、低いの問題に関わらず、部落解放運動そのものを否定する攻撃であるというふうに思っています。こうした攻撃に対して、西宮の兄弟を中心にしながら全国連の兵庫の仲間はこの攻撃をいかにしてはね返すのか。もちろん徹底的に実力闘争で闘うということを基本に据えた上で、この部落の苦しみ、家賃の値上げをめぐる、あるいは4月1日以降からの部落解放運動そのものをつぶしてしまう、あるいは部落の共同体をこなごなに解体してしまうような攻撃に対して、必ず全国の部落の兄弟たちは、いや兵庫県下の部落の兄弟たちは必ず怒るはずだ。そして融和運動に屈服した解同はすでに住宅家賃値上げ反対闘争を完全に放棄してしまいました。むしろ行政と一体となってこの間応能応益家賃を推進し、それに闘う人たちを背後から裏切ってくるというような事態がこの10年間続いています。兵庫県下のある部落に、私たちは署名とビラを持って入りました。「ほんまに大変なことになった。役所のやり方はめちゃくちゃや。でもこの村の中にはもうなんの運動もあらへん。もし私でよかったら。私とこが連絡先になってもいいよ。このまま黙ってられへん。」 こういう部落の人たちの立ち上がりが始まっています。

私たちは、あらためて差別に苦しむ、そしてこの不況のもとで生活破壊がどんどんどんどん進行していく部落の現状の中で、解同本部派にとって代わる、こういう思いで「全国連5万人組織建設」を17年間叫び続けてまいりました。今こそ、その情勢が来ているんだというふうに確信しています。その時に、私たちの運動は、これまでの、いろいろセクトと親しくつき合わせていただいたということもありますが、そうした私たちの運動が持っている弱さ、全体、こういうものをこの間見つめなおしてきた経過があります。18回大会では、こうした部落大衆の想いとしっかりと結びついていく。あの全国水平社が、全国6千万の部落の兄弟たちにに大きな影響と立ち上がりを訴えたように、私たちは、18回大会を通して今日の全国水平社のこの再現を何としても18回大会を契機にしながら実現をしてまいりたいというふうに思っております。こういう私たちの部落解放運動の闘いこそが、反対同盟の訴えに応えられる闘いであり、そして関実世話人の皆様方の私に発言をさせた目論見ではないだろうかと思っております。ともに頑張りましょう。

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2009年3月23日 (月)

3・15 講演とパネルの集い⑥ 特別報告1 知花昌一さん(その2)

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 しかもまた、今日、岩国の方もいらっしゃるということで勉強したいと思ってるんですが、岩国の市庁舎の建設にかんして、建設の途中で補助金を日本政府は止めました。あのときのお金はSACO(日米特別行動委員会)ということで、基地負担を縮小するための名目で、日米特別行動委員会というのを作って、基地をかかえている地方の市町村に補助金を出しましょうということであったのがSACOというものです。岩国の方もそれをとって、約束をして市庁舎の建築をしたわけですね。所が、途中でSACOが打ち切られて、米軍再編基金ということに変わったんですね。読谷も実は陸上競技場をつくるということをSACOで約束をしていました。6億円の補助金をとるということだったんですが、建築する直前に金が来ないということがわかって中断となったのですが、岩国に対してはほんとに建築途中で、こんなことがあり得るかと思うんですが、実は日本政府はそれをやったんですね。理不尽なことが通るかと思ったんですが、残念ながら選挙で岩国は負けたんですね。何を言いたいかというと、これまでにないやり方をしているわけですね。出来高払いということです。達成度、例えば、辺野古で基地を作るということをやっているんですね。話し合いをしてテーブルに就いたら何パーセント。工事をしたら50パーセント。完成したら100パーセントという形で、出来高払いで再編交付金を地域にやると。それを、出来高払いですから、そこまでこなければお金が下りないわけですね。これはねえ、僕らもこんなやり方があるのかなと思ったんですが、実際に沖縄でも、いろんな出来事があったかどうかわからないんですが、僕は見たことないんですが、このような途中から補助金の理由を変えて、しかも出来高払いに変えて、そして出来高を達成しないと事業を一切途中でも止めさすというような政府の横暴なやり方、これが再編交付金、米軍再編の中で、それを達成するために作った制度というか補助金制度が再編交付金ということです。

 みんな今、政府から地方交付金がカットされている状況です。お金は喉から手が出るほど欲しい。いろんな資金を活用しています。各市町村はですね。こういうなものがもらえたら、もらうとやってるんですが、出来高払いですから、岩国の状態にまだ沖縄もなる可能性もあるんですね。途中で事業が切られる。そういうことになると、地域同士のいがみ合いというか、岩国でもなったようになってくSave0004 るだろうと思っています。そういうことで、いずれにしても、カネ、カネ、カネで、みんなからめとられるというようなことが、今なされようとしているわけですね。じゃあ、沖縄では。もちろん沖縄では県民所得も低いし、県の自己財源比率も23パーセント、24パーセントという非常に脆弱な財政基盤しかありません。そうした意味でカネが欲しいのはどこも一緒です。だけど、じゃあ、これまで米軍に頼ってた、頼るようなことが、これからもする必要があるかということです。

 皆さんの所に資料を付けてある「経済効果を誇示する米軍」という少し古い新聞ですが2006年の資料ですが、これを見てください。これをなぜつけたかというと、米軍は、基地依存度を出すために金を計算して公表したわけです。いつ出したかというと(最初は)1996年です。少女が暴行されて全国的に基地反対運動が起こった。そういう時に基地撤去。太田知事も米軍基地の撤去を正面から謳う。私も含めた反戦地主の闘いが高揚する。こういう中で米軍が出したのが、この「依存度」の記事だったんです。アメリカの基地がいることによって、米軍がいることによって、沖縄は潤ってますよということが言いたかったんでしょう。そして次に出したのがサミットの時です(2000年)。サミットの時も全世界から資本主義の親玉たちが来ていろいろやるわけですが、その時も見せたかったんでしょう。今回も出してきています(2005年)。これをみてわかると思うんですが、全部日本のカネなんです。日本が7割を出しているんですね。ここで、項目があるんですが、軍用地料(米軍調査765億円)、これは「おもいやり予算」から出ます。軍雇用員給与(同521億円)、これも「おもいやり予算」からでます。米軍消費支出(同737億円)、これだけはアメリカが出しています。あと施設整備費、光熱費、基地交付金、これ(同388億円)は全部日本政府が出しています。彼らアメリカ自身がドルで出すのは、米軍消費支出、これを非常に誇大に誇示しています。県が(計算で)出したのが523億円、ところがアメリカが出したのは737億円。200億円余りも上乗せをして、アメリカが居ることが経済効果があるんだということを言いたいんでしょう。そういう状態です。しかし、その(記事の)端っこにあるとおもうんですが「基地依存度」というのがあります。これは現在は、5.2パーセント。これは2002年度で、今ではもっと下がって、5パーセントを切っているんじゃないかと言われています。理由は、観光客が増えていること、そしてドルが下落したこと、そういうこともあわせて基地に対する依存度は5パーセント以下だということです。そうしたらわれわれは、基地を撤去しても沖縄は十分やって行けるということです。その上で、目の前に札束をちらつかせて、地域を分断しながら、基地を、戦争体制を作る、そういうことに対して5パーセントを、例え貧しくなっても乗り切れるし、やって行けるというのが私たちの想いです。

 最09315_2 初の話しにもどりますが、薩摩侵略400年、琉球処分130年、こういった中で、経済的自立まではいかなくても、やはり民族の自尊心というのですか、そういうことも含めて独立ということが大きくなることも十分理解できると私は思っています。私もまたそういう方向に今、あります。何はともあれ、しかし、こういう事態を生じさせているのは日本政府の沖縄政策なのです。

 そういうことで、特に今、当面する問題としては、辺野古、高江、特に辺野古の基地建設に対しては絶対阻止しようということで、おおく動いています。毎日、毎日、毎日の闘いです。特に高江というところ、行かれた方もいらっしゃると思うんですが、私たち読谷村からまるまる2時間かかります。那覇からだと3時間です。山奥ですね。そこで、4か所のポイントが、工事現場の道があるんです。そこに、仕事もしながらそういう人たちが輪番制を取りながら、立ってるんです。今2か所です。4か所は抑えることはできていません。2か所にいます。何かがある時には辺野古からも行って阻止をする。阻止をして工事が今できていないということで、防衛施設庁は、立ち退きの仮処分を申請しています。その立ち退きの申請の名簿に乳飲み子まで書かれているということで問題になっているんですが、いずれにしろまだ頑張って阻止をしています。辺野古に関しても、今、表だってぶつかるということはしていません。でも、今、米軍再編の強行の中で、いずれそういう状態が来る。その時には、私たちはこれまでやぐら闘争、海上やぐらを必死になって闘いをしたんですが、そして第1案を断念させました。そういう闘いをやっていきたいという風に思っています。そして読谷村、僕の地域も、毎日、毎日は人手はいけません。仕事をしながらですから。私たちはグループがあって、輪番制で、月曜日は僕、火曜日は盛康さん、水曜日は誰々という形で輪番を決めて一人ひとりが行って闘いをするということも含めてやってきましたし、またやるつもりです。

 後でちょっと内容的な話しをしたいと想うのですが、もう時間も来ているんですが、僕は今日ここに来て三里塚と連帯をして話しをするということで僕の仲間たちに話しをしました。沖縄では「もあい」、無尽講ですね、これが非常に盛んです。私も選挙をやってちょうど11年目に入りますが、11年間ずっと「もあい」仲間、選挙態勢を作った仲間が「もあい」をしています。14~15名います。そこで今日ここに行くと話しをしたんですが、ところがその中に三里塚で闘って下獄までしたメンバーが二人います。もちろんこれまで言われたことは「脱落派」だとか言われたグループではあります。しかし、その中で、盛康さんも一緒なんですが、その中で話しをして、辺野古を闘っている中にも多くの三里塚を闘った人たちがいます。そういうことも含めて、この「もあい」の仲間で決めたことは、三里塚から現地で闘っている市東さんか萩原さんに時間をとって一度沖縄に来てもらって連帯していこうと、そしてそういうことをやろうと。ただ、「脱落派」でどうのこうのということは抜きにして。あの時、僕の友達は横堀で必死になって闘って逮捕された奴なんです。そういうのを抜きにして、抜きにしてというのは無責任ですが、そういうことを乗り越えて、もっと広げて。みんな三里塚を語る時にいきいきとして語ってくれるんです。いろんな人たちがいます。全国に三里塚を闘った人たちが沢山いるはずです。そういう人たちと結びついていく。そこからまた三里塚に来たい、来るという。盛康さんもそう言ってましたが、ぜひ呼んで、話しを聞いて、その中から三里塚にも何名かがツアーで行けるような形で連帯ができたらなあ、一緒に闘うことができたらなあと、そういう動きを作り出していきたいと話しを決めました。今日は、僕はその任務を負って萩原さんと皆さんとも話をしようということで、行ってこいと言われてきました。

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2009年3月22日 (日)

3・15 講演とパネルの集い⑤ 特別報告1 知花昌一さん

09315  寒いから厚着して来いと言われたんですが、そんなもんじゃなくてあったかいなと思っています。

 2月に沖縄で薩摩侵略400年、琉球処分130年、今年になります。これを考える沖縄集会が開かれました。200数十名が集まっています。独立派を唱える人たち、市民運動をやっている人たち、沖縄の錚々たる人々がそろって集会ができました。いわゆる沖縄と日本との関係を問うということです。これがずっと沖縄の底を流れているんです。マグマのように流れていると言ってもいいでしょう。それが表の方に出始めているんです。それは10年前の1995年の少女の暴行事件、あれからずっとゆっくりではあるけれど確実に沖縄独立が、琉球独立が公に言われるようになってきています。それは日本と沖縄との関係を見据えたときにはそうせざるを得ない状況が少しずつ明らかになってきたということだと思います。今日、レジメを準備しろと言われたんですができなくて、急いで新聞の切り抜きを送りました。1枚目を別にして、2枚目から4枚目まで、この3月に入ってからの沖縄で起こった09315_5 ことです。

 1枚目を見てみますと八重山石垣の港に米軍の掃海艇が強制的に寄港するということが発表されて、それに対する闘いを組もうということであります。そして、下の方には爆音訴訟の判決がありました。嘉手納爆音訴訟二次訴訟です。58億円もの賠償金ということだったんですが、差し止めが出来ませんでした。でも、騒音がひどいということを裁判所が認めてくれたんです。

 そういうことの最中に、09315_4 F22ラプターというステルス戦闘機ですが、それが頻繁に来て訓練をしていた。それが日米共同訓練を自衛隊と一緒にやるということが発表されて、それに対して抗議を行うということです。

 そしてうるま市の浜比嘉島、金城実さんの故郷ですが、そこに米軍ヘリが緊急着陸という、そういうのがあって。

 で、普天間飛行場で、タンクから3000リットルの飛行燃料が漏09315_6 れていたということが報道されていますが、今日の新聞か、昨日の新聞でしたか、普天間基地では過去16回、油漏れがあった。みんな隠している。ただ1回しか通報していないということですね。頻繁に起こっているということですね。それがあります。

 そして下の方では嘉手納町長、これは自民党系の方です。それでも、抗議をしています。これは何かと言うと、訓練が激しすぎるようになっているということで、嘉手納基地でも使用協定を結べといってるわけです。本土においては横田でも、いろんな空港でも地元と米軍との使用協定が結ばれています。ところが沖縄の飛行場では、普天間もそうですが、嘉手納もそうですが、使用協定さえない。自由に朝から晩までばんばん飛べるような状態です。最低本土並みの使用協定を結ぶべきじゃないかということで自民党系の宮城町長が、外務省に抗議している。

 次のページで、これは昨年の12月に金武町伊芸09315_7 というところで、実弾が車のナンバープレートにぶちこまれているというのがわかって、いろいろ調べたら米軍のものだとわかったんだけれど、米軍は自分たちのものではないということで言い張っているわけです。県警もですが、立証をしようとしない。それで、こういった形で抗議集会がやられています。金武町も自民党系の町長であるし、伊芸区もだいたいそうです。そうであっても、こういう、特に伊芸区に対しては何回も実弾がぶちこまれたところなんです。民家にぶちこまれたり、住宅の建築現場にぶちこまれたり、いろいろやられているところなんですが、それでも米軍は今回認めていないということで、抗議をしています。

 こういう形で、3月に入っただけでも米軍に関する怒りというか、こういうものが出ているわけです。そういう中で、だんだんだんだん日本と沖縄との関係だとか解り出して、独立だとか自決だとかいう形がどんどん私たちの足元にマグマのように広がってきているというふうに私は思っています。

 私たちは1972年に日本になったわけです。その時に、アメリカの屈辱的支配をのがれて平和憲法へ行こうと、いっぱい運動もしましたが、結果的には平和憲法の下に行ったのではなくって、結果的には日米安保軍事同盟の下に入ってしまったというような状況になったんじゃないかと思っています。今、さらに米軍再編という形で、ご存じのように辺野古に新しい基地を作ると、そして高江という、ヤンバルなんですが、高江の村を取りまく形でヘリパッドを作る、6つ作るということで、やっています。それに対する闘いを今組まれて、必死になって闘い抜かれています。辺野古に関しては、今、海上では、環境アセスも調査がやられているということでいわれています。それとキャンプシュワブの中では工事のためのヤード、工事現場の仕事場を作るという形で平地均しをしたり、赤土の汚染がはじまってるんですが、こういう形で力が弱いもんですから阻止することができなくて、着々と進められているという状況にはあります。まあ、こういうことで闘いが組まれているということです。

 米軍再編ということですが、米軍再編というのは彼らがどういうことを言ってい09315_8 るかご存じだと思いますが「日米同盟、未来への変革」ということを言っています。日本とアメリカが、将来にわたる新しい軍事同盟を作っていこうということが、日米再編だと言われています。これが今、とんでもない状態で進められようとしています。特にグアム協定というのがあります。川瀬さんという大学教授が財政面から判断しているんですが(右新聞)。内容に関してはご存じだと思います。日本とアメリカの再編協議の中で、海兵隊を約7千名グアムに移転する。そして嘉手納基地の以南の基地を撤去してグアムに持って行く。その費用7千億円の費用を日本政府が負担するというのがグアム協定です。でも、この「協定」となっています。普通、外国との約束は、条約と言う形になります。日米安保条約とか。もちろん条約は、国内法よりも上位に位置する判断を司法、裁判所はしています。ですから私たちは、いつも反戦地主で土地の闘い、軍用地返還運動をやっている時にいつもネックになるのが日米安保条約です。それで闘うんですが、裁判をするといつも負けてます。国際条約の方が日本の国内法よりも上にあるというのが日本の司法の判断です。このグアム協定、条約ではなく協定という形にされています。でも、実体的には条約と同じ扱いになるということです。約束です。そういった意味では、たとえばグアム協定は辺野古の建設とリンクする、一緒だと言われています。沖縄返還ロードマップというのがあって、嘉手納から以南のアメリカの基地は返すけれども、辺野古に新しい基地を作ってそこに集中するというのが、日米で取り決めているものです。それが一体になってるんです。辺野古の基地をOKしないと、移転もしないという状況になるわけです。そうするとどういう状態かというと、この協定自体も国内法より上位に位置する、あるんじゃないかと言われています。今、辺野古に新しい基地を作ろうとやってるんですが、必死になって止めています。でも、辺野古の基地を作る時に、公有水面埋め立ての許可は県が出します。環境アセスメントなども県がチェックします。こういったのがみんなふっとんでも、やらなくても、国際条約を阻止するという中で、その必要性に対してはこういうのはもう取っ払ってもいいというような形で進められるんじゃないかという風に言われています。県の権限ということ自体が形骸化するという状態にあるのじゃないかということが危惧されています。もちろん、今、辻元清美さんなんかが国会でやってるんですが、国内法を順守するものだということは言ってはいます。しかし、実体的には協定というのは国内法の上に存在するという状況にあると言われています。そういった意味では非常にとんでもないことが行われようとしているわけです。ただ単に日本人の私たちが7千億円の負担をするということだけじゃなくって、そういう基地建設と一体になったグアム協定であるということなんですね。それを知っていただきたいと思います。沖縄に対しても、グアム協定も沖縄の負担だけだからそんなに問題じゃないのじゃないかという形であまり大きな運動は起こっていません。残念ながら。でも、実体はそうだということをですね、認識しないといけないのじゃないかと思います。

 これにもありますように、米軍再編の資金。確かに僕も理解をしてわかるんですが、だいたい政府の予算も単年度予算なんです。ところが、長期にわたって年度を越して、何年間にわたって約束をする時に、債務負担行為というのがあります。米軍再編に関しても債務負担的なものが約束されているという風にここに書かれています。いくらですかね。それが1兆6900億円くらいの金が年度を越して支出することが約束されている。日本の軍事予算総額の35%も占めていると書かれています。そういう状況で、米軍との日本の一体化というかね、アメリカに対してはなにがんでも言うことを全部聞いていくということがなされているわけです。金もないない、負債もあって借金も大変だといいながら、米軍にだけはこのように湯水の如くつぎこんでいるというのがグアム協定です。しかも映画館や娯楽施設まで私たちの税金からグアムに作る予定をしているんですが、お金を出す、言うことですね。こういうことがグアム協定の中でやられています。民主党の方はグアム協定に反対すると言ってますが、どうなるかわかりません。こういう状態で米軍再編は作られています。 (明日に続く)

 

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2009年3月21日 (土)

今週の産直野菜(3月21日)

09321  今週の産直野菜が三里塚から先ほど届きました。少し遅刻。クロネコさんも大変なんでしょうね・・・。

 箱がいつもより小さく軽いので、思わず何かの間違い? 大根の代わりに切干大根。軽いはずです。それに人参、ネギ、やつ子、ホウレンソウ、からし菜漬けの6品。

 前回のからし菜漬けがあまりに美味しかったので、待っていました。

 やつ子(ヤツガシラの子供)は初お目見えですが、忘れられないことがあります。昨年の3・30全国闘争、現地に一泊して10人足らずで現地調査を翌日したのですが、雨がひどい上に季節外れの寒さ。みんな寒さに震えながらの大変な現地調査でした。途中で萩原さんの所にお寄りした時、作業場でコンロに火が入っていて、そこにほくほくの「やつ子」がいっぱい盛り上げられていたのでKy す。おいしいこと、おいしいこと。そのほくほくの暖かさには、「地獄で仏」の気分になりました。雨で農作業もできず、萩原さんも私たちの相手をゆっくりして下さり、その話にほんとに幸せ気分。これが私の「やつ子」の思い出です。右の写真がその折の様子です。

 さて、切り干し大根というのははじめて。前にもらったレシピーにあったのかな?

 今度の3・29三里塚現地にもワゴン2台で現地調査と援農を4月1日まで行います。まだ余裕がありますので、それぞれの都合の計画で結構ですので(たとえば30日1日だけでも)、可能な方は関実事務局(0799-72-5242)までご連絡ください。

 なお、来週は、この援農・現地調査のため私は産直野菜をお休みしますので、この便りはお休みします。

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3・15 講演とパネルの集い④ 基調講演 萩原進さん(その2)

09315

 この不況、恐慌をどうやって突破しようという時に打ち出してきたのが、「農業の振興と観光なんだ」というかたちで言いだしはじめてきたんですね。これも新聞で添付してあると思いますけれども(左写真)、そのために農地法を改正し09315_2 て、農地をどんどん流動化すると、流動化というのは適切な言葉じゃないんだけれども、いわゆる資本家がどんどん取り上げることができるというかたちに農地法を改正しようと。われわれは、農地を耕すものが権利を有するというかたちで農地法の第1条に農地法の精神ともいうべきものが書かれておるんですけれども、そういうものを取っ払って、所有と耕作、所有するものは農民であってもそれを耕作するものは誰でもいいんだというところに持って行って、最後は資本家が農地を取り上げるというかたちにするんだと。そのためには、御手洗も、露骨に日本経済に対する最大の貢献は企業に農地を差し出すことだということまではっきりと述べてるわけですね。農民が農地を持って、売却して何千万も懐にするなどとんでもない話しだ。そんなものは全部国によこせ、企業によこせ、資本によこせということをはっきりここで言ってるわけですよ。そうするために農地法を改悪するというかたちで今国会に提出してきたわけですね。このことは、単なる農地法というかたちで存在するんじゃなくって、農業の存続を決するような状況としてあるんだ。農地法や農地解放は、戦後の農民運動の中で、文字通り勝ち取って権利としてとった農民の闘いの成果なんですね。労働法も教育基本法もそうだし、そういう中で出来上がった憲法に等しいわけですよ。それを根本から変えようとする。そういうやり方が、今、国会で審議して変えようとしている。

 一方では、農地法を今日まで、部分的に改悪してきているんですが、そういう中で三里塚の土地については、三里塚の空港用地にするには、公共用地であるということで優先的に取得できると、付随する形で農地法の中に書き込んでいる。そういうやり方をもって市東さんの土地を取り上げようとしているのが、今日の市東さんの農地取り上げのやり方なんですよ。ですから、市東さんの農地を守るための闘いというのは、農地法=憲法改正と同じような体制の骨格を供しうるような攻撃に対して文字通り体を張って農地を守る、農民として農地を守りぬいていくんだということを通して、明確に市東さんは「カネじゃない。農地なんだ」という形で表現してるわけです。そういう意味では市東さんは2月の裁判での冒頭陳述で「労働者にとっての職場、農民にとっての農地。これが守られないでどうして社会がなりたつんだ」とはっきり述べておりますけれど、そういうところまで踏み込んでやっていかなければもうしょうがないという時代に入っている。

 農業政策などというのは全然打ち出せない。集約農業だ、あるいは法人化すればいいんだというやりかたが、もう2年前に、3年前に言い始めててやってみたんだけれど、それがもう全部ぺしゃってる。今度言い出したのは、農業の振興だ、観光だと言うけれども、その農業というのはとんでもない話であって、車でいう「エコ車」と同じで、花粉症に抵抗力のあるイネを作るとか、バイオテクノ09315_3 ロジーを用いてあらゆる病気に対応できる作物を作るんだとか、そういう机上の計算みたいな言い方で、ブッシュがガソリンに代わるものは何かないかという形でトウモロコシや大豆を使ってそれに代替えしてやるんだという形で始めたんですが、農産物そのものを投機の対象にもっていっちゃう、食べ物を。そういう形で「農業の発展なのだ」と、いう形で農業を歪曲して資本家のいいような方向性の中で農業振興だと持って行こうとしているのが今回の「農業振興」なんです。観光だと言ったって、外国から日本に呼び寄せて日本の良さを世界に知らしめればいいんだなんて言い方をしていますが、この不況の中で、今でも減ってる、貨物も減ってるそんな中で打ち出してもいいっていうことじゃあない。机上の計算で、われわれ素人が見たって破産するような状況でやらざるをえない。

 そうじゃないわけですよ。農民はもうコメを作っても20年前の半値にしかならない価格で農業やれないんだ。このことをどうするんだ。あるいは、政府はコメを作るなと減反政策をやってるわけですね。だから、それが出来ないから農業をやめるんだという形をとってるわけですね。それを、休耕地や耕作地を有効利用するという形で企業が今度は参入してそれを取り上げようとする。そのための農地法改正に向かっていく。農業を文字通り育成する、育て上げていくという方向じゃ絶対ないわけですね。

 その辺を市東さんの農地取り上げの中で、自分たちははっきりと見据えて、こんなやり方はダメだと。その頂点にある、われわれのところでは空港というものが百害あって一利もない、何が公共性なんだと。ここで農民として農業を営んで、しかもそれが民衆に喜ばれる農業として存在するのが一番なんだと。これこそ公共性なんだ。ということを大上段にかかげて闘い抜いているのが、今、市東さんの裁判なのですね。このことは決して農民だけの話じゃないんです。これを食べる側、あるいはそれを育てる側、それを理解する側、そして共に手をつないで行く、消費者と言われる労働者がそれを理解し、共に手を携えて闘い抜いていかなければしょうがない時代なんだと。それが今の時代なんですね。そのことを土地取り上げ反対の中から、われわれは40年間闘って「労農同盟論」という形で作り上げてきたわけです。三里塚の闘いはここにある。いうところでそういう闘いを作り上げてきた。そういうものをもう一度、あたふたしている既成の体制に対してぶつけて、それを打ち砕いていく。そういうのができるのが3・29じゃないかと。それを自負して3・29を闘い抜いていく。そう思っています。

 軍事論については、あとのパネルディスカッションで展開したいと思いますけれども、何といっても先ほどでましたけれども、月に二度も三度も市東さんの裁判だけでもありますけれども、そういう中で裁判所が先頭に立って土地取り上げの役割を今、果たし始めた。裁判というのはあっちの土俵じゃないのかと言う人もいますけれども、確かに普通にやってたらそうです。しかしその与えられた土俵を、われわれの土俵に持ってくるんだという形で、裁判そのものを自分たちの闘いの場に引き込んで闘い抜く。いわゆる現地闘争として位置づけて闘い抜くというやり方が三里塚の裁判の闘いとしてあるんです。

 そういう闘いを展開したからこそ、先ほど弾劾声明に出てきましたが、現闘本09315_4 部裁判で、空港会社も認めて、われわれも認めて、現地調査をするんだと両者が認めているにもかかわらず、裁判長自体がそれを却下するわけなんですね。やる必要ないんだと。こんな裁判ないですよね。こんな裁判長いらないですよね。現場を見るのが一番いいのですよ。それをもやらない。それに対して忌避を申し立てて、審理中であるにもかかわらず、期日指定をやって、証人調べをやるというかたちで、しかもその証人調べが初めて別室でビデオを通して尋問をやるという。こんなやり方許せないというかたちで抗議をしていたら、勝手に開廷して、とたんに北原さんと自分、そして法対やってた人の3名が証人として申請して受理されてるんですよ。それをも全部却下して次回は最終弁論だと、それに応じなければ結審で、判決だという。そのような裁判を今進行しようとしている。先ほどもありましたが、決して一裁判官の判断ではありません。最高裁判所の指令もあるだろうし、今の政府の意を受けて、そして何としても土地収用法で取れない土地を農地法で獲る。農地を守る、農民を守る法律で、土地を獲りあげようとする。こんなことが許されていいのか。ここで、これを許したならば、これは全国に波及するわけですよ。こんなことは許せないという形で、次回の裁判は全員逮捕も覚悟して臨むという形をとって闘い抜いていきたい。そのためには、決定的に3・29の全国の人たちの結集をもって、現体制に突きつけてるということをもって闘い抜いていきたい。そして全国の労働者に戦場の中での闘いの決起と、そして何よりも、われわれ農民の立場から、全国の農民に訴えて、農民よ決起せよと、今こそ第二の農民騒動、農民決起を、農民暴動を起こそうじゃないかという形を三里塚から発したいと思います。そのために、みなさんにもお力をいただきたいと参上しました。そして、大きくは沖縄をはじめとする地域で闘っている人たち、あるいは既成の住民団体の闘い、そういう意味での市民、住民闘争を含めた広範な陣形を作り上げて勝利したいというふうに思いますのでよろしくお願いいたします。

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2009年3月20日 (金)

明後日 3月22日、JR元町駅前で3・29三里塚を訴えるビラまき

08105  (写真は、昨年の10・5三里塚全国闘争で挨拶する関西実行委員会代表の永井・山本両氏)

 明後日、3月22日(日)午後2時~3時、JR元町駅前で、3・29三里塚全国闘争への結集を訴える関西実行委員会の宣伝活動を行います。お時間のある方は一部でもご参加、お手伝いください。なお、雨天の場合、中止することがありますのでご了解ください。

 3・29現地闘争へ残すところあと9日。一人でも多くの皆さんが現地集会に参加されることを心から訴えます。

【集会名称】暫定滑走路北延伸10月完成粉砕/市東さんの農地を守ろう/農地法改悪・改憲攻撃粉砕/成田を軍事基地にするな

3・29全国総決起集会

【日時】3月29日(日)正午330

【会場】成田市天神峰 反対同盟員所有地

【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟

案内状は「090329.PDF」をダウンロード をクリックしていただければPDFで印刷できます。

会場には、JR成田駅、京成・成田駅からタクシーで「東峰十字路」まで来ていただければわかります。タクシー代2500円。

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3・15 講演とパネルの集い③ 基調講演 萩原進さん

09315

 ごくろうさまです。支配階級の自己崩壊も含めて、恐慌と、究極的には戦争ができるそういう国に向かわざるを得ないような今日の状況。確かに日々厳しい生活と階級情勢を迎えるわけですけれども、このような状況を自分たちは喜びを持って闘う側として迎えたい。いや、もっと言えば、今日の状況をかもしだすために反対同盟は40数年、闘い抜いてきたわけです。この決定的な情勢を自分たちの手によって、新たな社会をつくり、そして全世界的な人民の解放を勝ち取っていきたいと思います。そういう中で、3・29の三里塚の現地の全国集会が、決定的な位置を示すだろうという風に思います。

 レジメが入っていると思いますけれども、これは3・29で自分が述べることをつい先日作ったばかりで、まだ練れていませんので、今日うまくできるかどうかというのがありますが、3・29にはもう少し練った発言ができると思います。ここに書かれているように、三里塚の情勢も非常に煮詰まっておりますけれども、それ以上に昨年秋から今日までに至る情勢は、われわれの予想を超えたところにあるんじゃないかと思います。人民にたいする搾取や暴力的な攻撃ははびこるだろうと一方で思いますけれども、それ以上に支配者が今後体制を維持していくためには、今までのようなやり方では行きえないというところまで陥っている。三里塚的にも、安倍をはじめとして、福田、そして今の総理大臣にしても、よれよれの中で何をやっても支持率ゼロにひとしい状況の中で、自らの延命のためにしか物事を考えられない、そのような状況の中に叩き込まれている。労働者も農民も、一切の今まで与えられたというより勝ち取ってきた権利をはく奪していくという攻撃がはびこってくる。先の北海道におけるサミットにおいても、貿易問題が主だと言っておったにもかかわらずWTOがここでも決裂し、その年の暮れの会議においても入口で決裂しちゃうと。自国が大恐慌の中でもはや生きるためには、何としても自分を守るために防衛的にならざるを得ないというところで、保護主義がはびこってくるだろう。その行きつく所が戦争への道をたどっていく、そういう歴史が日本においても、世界的にも立証されてきているんじゃないか。そういう状況が今日、世界的に、同時に同じ問題として発生してるわけです。そこで三里塚においても、この問題から発生する問題として土地取り上げがそこで発生するし、現在行われている・・・完全空港化を彼らが唱えている北延伸をそういう作業として行われているんだということを現在の情勢が物語っているんです。

 彼らは秋までに工事を完成させて来年3月に共用するというスケジュールです09315_2 けれども、考えてみていただきたいけれど、三里塚空港が、今は1本の滑走路ともう1本は非常に短い滑走路でおいて飛行を展開してきたという状況がありますけれども、ご多聞にもれず、現在の大恐慌の中で、昨年12月の状況を見てみれば、新聞を添付していますけれど(右写真)、現在の輸出額をとってみても49%も減少、半分になってるんですね。こんなことが考えられるのかどうか。あのトヨタが2兆円の利益を出していたのが、一夜にして赤字になっちゃう。こんなことは今、ほんとに考えられるのかどうかということが、現実として起こっているんですね。手品師がやったってこんなことできないですよ。マジックでやったってできないようなことが、ドラマティックに展開されている。そのことが今の社会の姿、経済の姿、政治の姿でなはいのか。我々は、先ほど言いましたけれど、このような事態をわれわれが闘い抜いてきた成果として迎え撃つ、このことを自分たちは願っていたんだ、喜びを持って迎え撃つし、この日のために闘って来たんだということをはっきりした上で、問題を立てていきたいというふうに思います。

 先ず第1に、そういう攻撃はありますけれども、三里塚の現地においては、北へ北へと2度、北延伸と言う形で騒音区域だとか空港の保安施設だとかいうかたちで買収してきた土地に滑走路を延長してきたわけですね。第1回目には、北へ800メートルずらして、そして2180メートルの滑走路を作った。そして飛ばしてみたら、これじゃあ非常に短いと。そして事故を起こしたりなんかしている。09315_5 これじゃあしょうがないと、2500メートルにするためには、もう320メートル延ばさなきゃあならんとやっているのが今の姿なんですね。いわゆる「平行滑走 路」というけれど、平行じゃなくって、北へ北へと、800と320、1120メートルも伸ばしてるんですね。2500メートルのうち1120メートル北側へずらしている。半分近く北側へ滑走路を追いやっている。これは何かと言うと、南側にわれわれの土地があったり、そして民家があったり、反対する1坪があったり、開拓道路があったり、墓地があったり、そういうものがあるために、そういう状況にしかなりえない。われわれを叩きのめしてその土地を奪うことができえなかった。その結果が、つぎはぎだらけの空港を造らざるを得なかった。40何年経ってもまだできえないという状況を醸しだしたんです。こういう形で作った2500メートルが、ほんとに国際空港として通用するのかしないのかと言ったら、世界的にも明らかになってるんです。現にそういう意味で旅客数も減少し、そして航空会社も減便を余儀なくされて現在きているわけですね。そういうところでしか10月の完成も見ることができないし、3月の共用開始を迎えざるを得ないところまで追いつめているわけです。これは、みなさんの力のおかげで、われわれもそこにがんばりぬいて闘い抜いた結果として今日、そういう形になってるわけですね。

 だけども、もう一方で、これを何としても形だけでも作らざるを得ない、そして1メートルでも長い滑走路を作って、何にしても一方である軍事に使用するためにもこういう滑走路を造らざるを得ないという形で、今、しゃにむに行われている工事が北延伸の姿なわけです。承知のように、三里塚の闘いと言うのは、そういう意味で、土地を取り上げて滑走路を作り、飛行場を完成させていく、そういうものに対する闘いと、もう一つは飛行場がもつ政治的、社会的な意味でもつ軍事性という問題で、軍事空港としてとらえて反対して、われわれは闘い抜いておるわけですけれども、そういう形で、2500メートルの滑走路を作って、4000メートルと2500メートルの滑走路を作って完成したという姿を世の中に示さなければならないというところが今あるわけですけれども、それじゃあ、これを先ほど言いましたけれど世界的に見てどうなのかというと、完全にアジアにおけるハブ空港としての位置は陥落したと言っていいわけですね。そういう意味では、韓国における仁川(インチョン)空港ですか、これなど一つの空港で25を上回る地方の空港に対する乗り継ぎができるし、年間53万回の飛行回数を備えているわけですね。今度成田を今、20万回、これを30万回にするんだといったって、成田と羽田を足して一つの空港にひとしいような状況を醸しだしてるわけです。ですから支配者の中では、距離的に見ても、そして何よりも反対運動の強い成田を日本の表玄関にするんだったら羽田の方がいいんじゃないかというところで、羽田の拡張問題がなされて、同じ時期に4本目の滑走路ができるわけですけれど09315_7 も、今度5本目の滑走路を検討すると言った途端に千葉県側は、非常な反発を起こして、羽田にみんな持っていかれちゃう、話しが違うという形で反発を強めてるわけです。ですから、余計にそういう意味では2500メートル滑走路を早く完成して、旅客数を増やして、便数を20万回から30万回に増やすんだ。そして 24時間の空港化にするんだと、民間を組織して、あるいは地方自治体を組織して総仕上げしようという動きに出てきている。

 そういう動きの中で市東さんの土地取り上げという問題が出てきてるわけです。そう意味では、単にここに市東さんの土地があって、これが邪魔だから土地 をどかせとか、奪いとるなどという個別の話じゃないんですね。体制側にとって見れば、体制をかけたものとしてそこに存在している。ですから体制をかけて収奪をしなければならないというところで出発したのが市東さんの農地取り上げの問題としてあるわけです。ですから情勢を先ほど述べましたけれども、そういう中で、今日の航空需要も含めて、それじゃあ10万回増やしたらそれで全部埋まるのかと言ったら、そういう情勢でもないし、空港自体そのものがつぎはぎだらけで、そういう意味での実際の国際空港の体をなしていないというところまで追いつめてるわけですね。三里塚の空港というのは。だけども、一方では軍事使用するのと、もう一つはこのような闘いに支配者が屈したという姿を見せたくないという形が往々にしてあるわけですね。ですから、何としてもこの空港を作ることをもって反対運動をつぶし、三里塚の名をこの世の中から消したいというような状況が、この秋から来年3月に向けた状況の中で、そういうものが民間の反革命も使いながらやってくるだろう。そういう意味では非常に厳しい闘いとしてあるし、また一方でそこまで引きづり出したものとして我々の成果としてあるし、それを徹底的に打ちのめしていく闘いが必要なんだ。そのことを日本の全人民に訴えて、もう一度三里塚の闘いを根底から広範な闘いとして闘いを作りなおし、そういう中で三里塚のように闘おうじゃないかという闘いを展開する。ややもすると、今までは三里塚は非常に暴力集団だ、あるいは過激派の闘いだと宣伝され、現にそういう闘いもしました。しかし、それだけの闘いでもありません。だけども、今日迎えている状況は、正に労働者も、あらゆる層の人たちも闘わなければ生きられない世の中になるわけですね。そうすると三里塚のような闘いをやることを通してしか勝てないんですよ。そいうことを民衆もわかっている。また、そういう言葉も、素直に聞いてる情勢を迎えたんじゃないか、という風に思うわけですよ。ですから、われわれの位置というのは非常に大きな位置を占めてくるんじゃないかと思うし、一方ではそれに対する責任もひしひしと感じる時代だと思うわけです。ですから、あらためて、3月29日の集会というのは、決定的な要素を持っていると同時に、数の力を持って空港を包囲するような闘いを展開したいと思います。(つづく)

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2009年3月19日 (木)

3・15 講演とパネルの集い② 緊急アピール

Photo  どうもご苦労様です。お手許にありますレジメの最後から三枚目に「弾劾声明」と言う文章があります。一昨日、反対同盟が出されました。その裏側に「事実経過」というのがあります。それをご覧になりながらお聞きいただきたいと思います。

 三日前、3月12日、仲戸川裁判長は、民事訴訟法で認められている特別抗告がなされている時には審理を進めることができないという法律、規定があるにもかかわらず、それを無視して法廷を開き、しかもそれに対して抗議している反対同盟、弁護団が法廷に出ないことを根拠に、「尋問を拒否した」とし、審理の必要がないとして、当日の10分足らずの裁判をもって、天神峰現闘本部裁判の最終的な結審、4月23日に最終弁論。それが行われなければ結審を終るという提起を行いました。乱暴極まりないというよりは、仲戸川裁判長独りの判断でこんなことができるはずがない。明らかに、国家権力が、2010年の暫定滑走路北延伸、3500メートル化、つまり東峰や天神峰から農民を叩き出し、今、永井さんから提起があったような、正に米軍再編に見合った成田空港を完成させるために突撃を開始した。そういう事態が三日前に起こりました。詳しくは「事実経過」をご覧ください。

 それでは反対同盟の弾劾声明を紹介します。

 弾劾声明             三里塚芝山連合空港反対同盟

 3月12日、千葉地裁民事5部・仲戸川隆人裁判長は、反対同盟不在の欠席裁判を強行し、突如、証人調べを打ち切って事実上の結審を宣言した。

 わが三里塚芝山連合空港反対同盟は、仲戸川裁判長による前代未聞の暴挙を満身の怒りを込めて弾劾する。

 裁判官忌避の即時抗告が出された以上、裁判手続きは即刻停止されなけれPhoto_2 ばならない。仲戸川裁判長は、忌避申立に対する配点原則を破って自ら却下し、これに対する即時抗告を受理していながら法を破って開廷を強行した。

 そして被告・反対同盟不在の法廷で、その必要性を認めて決定したはずの被告側3人の証人調べを理由なく取り消し、次回を最終弁論とすると一方的に指定して、弁論がなければ結審だと宣告した。

 憲法と民事訴訟法破壊の欠席裁判におけるこの所行は、反対同盟の立証活動を剥奪する暴挙であり、偏った審理の暴走であって断じて認めることができない。

 仲戸川裁判長の訴訟指揮は、始めから原告・空港会社に与する不当なものである。最大争点である地上権の成否について、これを証明する登記物件(木造建物)の検証をかたくなに拒否し、決定的な立証活動を闇に封じた。

 不当かつ強権的な指揮を乱発し、過剰警備による不当逮捕を引き起こした。

 「犯罪被害者保護」の要請から刑事裁判に導入された例外的な方式(ビデオリンク)を、建物撤去・土地明け渡しの本件に適用し、最重要証人の偽証を許す訴訟指揮に踏み切った。

 これらに対する正当な権利行使に追いつめられ、なりふり構わず証人調べを打ち切り結審を宣言した。

 一人としてまともな証拠調べをせず、実地検証もしないで、どうして公正な判決が書けるのか。この裁判は暫定滑走路北延伸と市東さんの農地強奪のための収用攻撃であり、国策裁判である。裁判員制度に象徴される司法制度改悪と一体の攻撃であり、必ずうち破らなければならない。

 反対同盟は決意も新たに不屈の実力闘争を宣言する。この裁判闘争を徹底的に闘い抜く。3・29全国集会に怒りの大結集を呼びかける。

 2009年3月13日

 09315_2 この反対同盟の弾劾声明を、本集会の名において全面的に支持するととも に、新たな闘いを本集会の名において打ち出していきたいと考えております。何よりも3・29への総決起とともに、次回の公判、結審とされる4月23日に、萩原さんは先日の総括集会、弾劾集会の中で「100人を超える名のある人たちを先頭とした逮捕も辞さぬ闘いをやりぬこう。裁判を粉砕しよう」と提起しておられます。その提起に応えていくことを訴えて、私の方からの緊急アピールといたします。

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2009年3月18日 (水)

3・15 講演とパネルの集い① 主催者あいさつ 永井満さん

09315

 みなさん、今日は。ご苦労様でございます。待ちに待った今日の集会を、こうしてみんな揃って開会できること本当にうれしく思っております。お越しの皆さんは、今日の集会がどういう趣旨の集会であるか等々、すでにいろいろお読みくださってご存知かと思いますけれども、今までと違ったと申しますか、三里塚を中心とした集会ではありますけれども、単なる私たち関西実行委員会の内部的な決起集会ということではなしに、三里塚の闘いを、3・29を中心にしながら、より大きな闘いに広げていきたい。かっては全人民共闘というような闘いの陣形がございまして、砂川の宮岡さんであるとか、北富士であるとか、佐世保であるとか、そして私たち関西であるとか、そういう市民、住民たちも、そういう形で三里塚を闘ってまいりました。今のこの経済的にもですが、何よりも米軍再編と言われる問題、それに関連した三里塚、沖縄、岩国、そして関西、こういう問題についても市民として関心を持たなければならないという思いがありました。今度の3月の現地集会に対し09315_2 ましても、今までのような決起集会だけではなく、もっと闘う陣形を広げて、もっと多くの方に現地に総参加していただきたいという願いをもちまして、今日の集会という運びとなりました。

 お忙しい中、沖縄から知花さんがお越しくださいました。また岩国から、大川先生が、今新幹線の中かと思うんですが、私同様礼拝を終えて飛んできているところだと思うんですけれども、駆け付けてくださいます。私も、岩国に行ったことはありません。大川先生が書かれたものやパンフレットをちょっと読んだ程度で、今日、直に聞かせていただける、あの素晴らしい闘いを聞かしていただけるのを楽しみにしています。

 これから三里塚を闘う者が、こういう全国の米軍再編に対して「ノー」の声をあげて、手をつないで闘っていくことです。三里塚ということで考えますと、私たちが訪れた40年前にお邪魔した時には、「反戦の砦・三里塚」という大きな看板を掲げられていました。三里塚は、本当に戦争をさせない「反戦の砦だ」と、その時私たちは頭に叩き込んだわけなんですけれども、それ以来40有余年、闘いは、厳しい闘いが続いておりますけれども、現在闘い抜いておられる北原さんを先頭とした反対同盟の方々、人間として、本当に良心を持って闘っておられる。本当に敬服いたします。こういう三里塚を闘う中で、三里塚の方々のような素晴らしい人間、共に闘っておられる方々、人間として超一流と思えるような方々と一緒に親しくこの闘いに参加させていただける。このことは、少し大げさに言うかもしれませんが、生まれてきた甲斐があるというか、望外な喜びとそんな風に思っております。

 今日はまた、こういう中で、大川先生をお迎えして、岩国の闘いについて聞かせていただき、これから共に闘っていきたいし、大川先生にもまた三里塚を共に闘っていただきたいとそんな風に思っております。

 確かに今日の集会についてご批判があることも聞いております。これまでの前段の集会と違うじゃないかと。多分、違うんです。しかし、違う理由は、今も申しましたように、単なる前段集会と言うと、私たちの仲間内の集会で、総決起集会のような形になりますけれども、この3・29を、関実が総決起することはもちろんですけれども、一人でも多くの方々に、今までと違った方々にも三里塚を知ってほしい。私たちもまたそうした闘いに参加させていただきたいという願いがあります。今日はその最初の試みです。どうかみなさんの協力をいただきながら、ほんとにやってよかった、これで三里塚の闘いが大きく地平が広がったと言えるような集会に是非していただきたいと思っております。それぞれの闘いについては、それぞれの方々からご報告がいただけますし、また討論の時間があとであります。また皆さんのほうからお尋ねのことがあれば手を挙げていただいてお聞きすることができると思います。どうかその心づもりでいていただきたいと思います。

 私が言うまでもなく、三里塚現地は今、大変なことになっています。後ほど萩原さんからも詳しくご報告もあろうかと思います。今日の新聞でしたか、羽田が5本の滑走路を作って、50万回ですか国際空港としてこれから羽田はやって行く09315_3 んだという記事が大きくありましたが、「成田はどうなるの?」ということですよね。成田は一生懸命、滑走路を伸ばしたり、発着回数を1.5倍にするなんて言ってますけれども、やっぱりもう国際空港、日本の中心の空港としては羽田という体制になっていく。それなのになぜ、飛行回数を1.5倍、30万回ですか、滑走路も3500、4000メートルをつくる。これはもう、やはりいわゆる米軍再編の問題、いざという時に大量の米軍、軍隊とその物資を集約できる基地として、三沢とか、成田。関空もそうですね。飛行機が1機も飛んでいない、ほんとにペンペン草がはえている4000メートルの滑走路。何で作ったんですか。1兆何千億もの借金がありながら、その上にさらに借金を重ねて。これなど軍事使用をめざしたものであることは明らかですね。

 そういう中で、来年、憲法をめぐって国民投票法がいよいよ施行されるということですね。昨日は、自衛艦が出ていきました。私のような年代ですと、「居留民保護」などという名目で軍隊を海外に出し、たとえば上海で邦人が殺されたという名目で、日本の砲艦を派遣して、それが上海事変となったり、満州事変となったり、支那事変となったり、戦争と言わないわけですね。軍隊をなんやかんや言いながら派遣して、いつの間にか戦争になっているから、日中戦争と言わないで支那事変とこう言っていた。そういう同じやり方がまた今復活してきたと思いますね。イラクの問題やインド洋の問題で出ていきましたけれど、建前だけでもイラクは復興支援でしたでしょ。インド洋は、燃料補給ですよね。今度は建前としても、武器を使うことを前提として出て行っています。そういうことを考えると明年はどんな年になるんだろうかと思うんです。それまでに闘う陣形をしっかりと組み上げなければならない。何よりも沖縄、三里塚、そして岩国を中心とした闘いぬく住民の陣形を作りたい。大それた願いかと思いますが、絶対にそれをやらなければならない、私たちにその責任があるんだということを、ほんとに感じております。今日お越し下さった皆様方も、お招きした方々のお話しを通して、一層そういう思いを共有してくださると信じます。どうぞ最後までこの集会を盛り上げて、ほんとに意義のある集会にしていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

事務局よりのお知らせ=一昨日、3月16日、部落解放同盟全国連合会婦人部顧問(前婦人部長)の三木輝子さんが逝去されました。享年83歳。本日、八尾の玉泉院において、全国連書記長中田潔さんを葬儀委員長に、しめやかに告別式が行われたことをお知らせいたします。心からのご冥福をお祈りいたします。

 

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2009年3月17日 (火)

3月16日 暫定滑走路変更認可取消控訴審最終弁論

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 3・15集会大成功の余韻も冷めやらぬ、翌3月16日、大奮闘の萩原進さんとともに上京。東京高等裁判所で開かれた「暫定滑走路変更認可取り消し控訴審」の最終弁論の法廷に行きました。この裁判は2000年2月に提訴。1審(千葉地裁)は、「変更認可は違法ではない」と暫定滑走路建設を追認したのみならず、住民被害についても「病人が出ていないから」「社会的受忍限度を超えていない」という非常に乱暴な開き直りを行いました。

 これに対し、反対同盟は2008年3月に控訴し、市東孝雄さんの証人調べに加えて、松井利仁さん(京大准教授)の証人調べも勝ち取りました(08年12月、詳しくは当ブログ http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-dcec.html をご覧ください)。

 この日、弁護団から膨大な最終弁論が提出され、その要約を葉山弁護士が、一瀬弁護士からは、先日の仲戸川裁判長(千葉地裁)の国の意向に沿った乱暴な訴訟指揮を指弾しながら、「国策裁判」となってはならないと富越裁判長に迫りました。 

 法廷後、小さな報告会を行い、弁護団全員の挨拶と、同盟から萩原さんの挨拶をもって、この日の闘いを終えました。

 葉山弁護士の挨拶

みなさんどうも。このB暫定滑走路変更認可処分というのは地上げ屋的発想によって東峰地区の頭上40メートルを飛ばす、市東さんの家、畑にジェット騒音をふりまく、そういうことを分かっていながらあえてやったということで、これは本当に地上げ屋的な暴力行為です。この変更認可処分について、これがいかに変かと言いますと、99年5月までに東峰地区を取得できなかったということで、当時の川崎運輸大臣などが自ら減給処分をするという格好で、できない相談のことをやっぱりできなかったということで、部内で処分をする。その一方で報復的に、ワール09316_5 ドカップを行うという、これは単なる口実なのですが、5月10日にできなかった、その翌日の11日までの間に、北側に約1キロ、2180メートルを延長して作っちゃうということを打ち出す。これは完全に言うことを聞かなかった反対同盟を主力とした者たちへの報復的攻撃として暫定滑走路が建設された。

 そういうことを許しておけるかということで取消訴訟を提起した(2000年10月)。

 (昨年、控訴審で)市東さんの証言だけであとはやらないと打ち切り寸前までいったんですが、頑張って松井証人の証言、さらに鑑定書など膨大なものを提出して、騒音被害が人体的にきわめてひどい、心筋梗塞症状を起こすまでにひどい状況の騒音被害だと。要するに人殺し空港だということを明らかにしたわけです。

 それに対して富越裁判長がどういう判断を下すか。不当判決と言うのは恐らくそうだろうというのは確実なんですが、こういう格好で司法権力そのものが空港公団、空港会社と一体になって襲い掛かるということをあらゆる時点で許さず、断固、それぞれの時点で追及していく。現地における反対同盟を中心とした所の大きな大衆行動、実力闘争の中で決着をつけるということになると思う。その一環としてこの裁判闘争を行ったということなんで、今後、この闘争、あるいは千葉地裁における闘争と、萩原さんも言っているように現地闘争と一体という風に闘っていくことになると思うので、今後ともよろしくお願いいたします。

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2009年3月16日 (月)

3・15「米軍再編と闘う 講演とパネルの集い」(速報)

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 昨日、「米軍再編と闘う - 三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ 3・15 講演とパネルの集い」が、大阪市立中央会館のホールをいっぱいにして熱気のある本当にいい集会がもたれました。三里塚とともに、沖縄、岩国の闘いが、全国の反基地を闘う人々をはじめいろいろな人々が一つになって、この国を変えていこう、変えていける。そういう決意と確信にあふれた萩原進さん、知花昌一さん、大川清さん、そして関実の永井満さん、あるいは中田潔さんのそれぞれの報告と09315_2 提起に、参加した185人の皆さんが熱心に聞き入り、3・29三里塚現地へ行こうという熱い想いを抱いておられるのが感じられました。3時間を超える密度の濃い集会でしたが、長さを感じさせませんでした。

 主催者の挨拶に立った関実代表の永井満さんから、3・29三里塚に向けたこの集会の意義と、米軍再編と闘うことの意味が提起された。

 そのあと、事務局から、先日の3月12日に起こった天神峰現闘本部裁判での仲戸川裁判長とその背後にある国家権力の不当、暴虐な攻撃に対する三里塚反対同盟の弾劾声明を紹介しての緊急アピールが行われた。

  主催者でもある三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原進さん(事務局次長)から、基調講演が行われた。3・29全国闘争での基調を考えているそのままを話し09315_6 たいとされて、安倍の「アジア・ゲートウェイ構想」に象徴される、農地法改悪攻撃をはじめとした国の暫定滑走路北延伸攻撃を断罪した。そして勝利の確信も固く「三里塚のように闘おう」と提起された。

 沖縄の読谷村村議の知花昌一さんから、特別報告が行われた。沖縄が平和憲法の下に「復帰」したのではなく、日米安保条約のもとに入っただけだとされ、具体的にこの3月に起こったいくつもの米軍による事件を紹介しつつ、沖縄の闘いを報告された上で、沖縄における三里塚への熱い思いを紹介しつつ、「過去のいきさつを乗り越えてともに闘っていこう」と提起された。09315_4

 部落解放同盟全国連の中田潔さん(中央本部書記長)からも特別報告として、部落の共同体を破壊する攻撃としてかけられている「住宅家賃値上げ」に対する、闘いの決意と、全国連5万人の組織建設を実現することを通して全国水平社の今日的再現を勝ち取っていきたいと語られた。そして3・29三里塚への全力での取り組みと、反対同盟と関実とともに闘い抜くことを明らかにされた。

 休憩の後、パネルディスカッション。永井さんが司会をして進める。遅れて駆けつけられた「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」代表の大川清さんから、住民投票(06年)から市長選(08年)に至る闘いの経緯と国、米軍が総がかりでかけてきた卑劣な攻撃を弾劾された。そして沖縄の方々をはじめとした励ましによって「闘いはこれからだ」という確信にみちた想いを語られた。

 09315_5 大川さんの話しの後、三里塚の萩原さん、沖縄の知花さん、そして永井さんも交え素晴らしい意見交換が行われた。「3・8分裂」をめぐる今日の闘いの状況について萩原さんに率直な問いが出されるなど、それぞれの闘いの重さからくるその真剣な討論に私たち聴くものは本当に引き込まれた。1時間20分ほどの時間を感じさせない密度の濃い、しかも、共に闘う熱意にあふれた交流が実現されたのです。最後に、萩原さんから知花さん、大川さんへの3・29への招きを持ってパネルを終えました。

 最後に関実世話人の山本善偉さんから、まとめの挨拶が行われ、3・29三里塚現地へ総決起しようと団結ガンバロウで締めくくられた。

 関実としては、この集会の全てを掘り起こして、早急にパンフレットにしてご報告したいと考えております。ご期待下さい。今日は、これから東京高裁での「暫定滑走路認可差し止め裁判控訴審」の最終弁論が行われますので、萩原さんとともに東京に向かいます。その報告もご期待下さい。

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2009年3月14日 (土)

今週の産直野菜(3月14日)

09314  雨のせいか、宅急便の到着が遅れ、今、今週の産直野菜が着きました。

 今週は、人参、聖護院大根、さつま芋、ホウレンソウ、ネギの5品です。

 千葉の裁判などもあり、今週は野菜の消化が遅れ、大根だけでなく、人参、ネギ、ホウレンソウも少し残っている。さあ、大変。明日は、いよいよ「3・15」集会。明後日は、東京で暫定滑走路認可取消訴訟控訴審の結審(最終弁論)の口頭弁論があるので、行くし・・・。頑張って食べよう!

 みなさん。明日の「3・15 講演とパネルの集い  米軍再編と闘う-三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」集会に全力で結集してください。今からその資料の印刷に出かけます。

 なお、産直の会員の皆さんは、明日、同じ会場で正午から産直の総会を開きますのでよろしく。萩原進さんも参加されます。

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2009年3月12日 (木)

仲戸川の暴挙弾劾! 怒りの反撃を

09312

 今日、3月12日、千葉地裁で、仲戸川裁判長による違法きわまる訴訟指揮が行われ、現場検証どころか、自ら決めていた証拠調べ(証人尋問)すら切り捨て、天神峰現闘本部裁判を「結審」させ、4月23日に「最終弁論」を行うと決定するという暴挙が行われた。3・29闘争を水路に新たな決戦局面に突入した三里塚闘争の爆発に恐怖した国家権力と、その意を戴した仲戸川によるこの暴挙を、怒りを込め弾劾する。

 何より、仲戸川は、前回の口頭弁論において不当な権力の導入と逮捕という09312_2 事態の責任を問いただされたにもかかわらず、一方的に法廷から逃亡しつつ、現場検証を行わないことと、証人採用を大幅に切り捨てる暴挙を行い忌避を申し立てられ、最高裁で争われていたのだ。その結果が出ていないにもかかわらず、仲戸川は、再三にわたる弁護団の抗議と期日変更の申し入れをも無視して今回の口頭弁論の期日指定を強行してきた。

 毎回の石橋への同盟から出されていた地代への石橋本人、あるいは息子のつれあいの恵美子による領収書が「意味のない紙切れ」の如くにNAA側は扱うという前代未聞の開き直りをした上で、その恵美子本人に「地代はもらっていない」などという嘘の陳述をさせていました。今日の口頭弁論で、この石橋恵美子の証人調べを行うにあたって、仲戸川は「ビデオリンク方式」で行うことを一方的に通知してきたのです。

 「ビデオリンク方式による証人調べとは、裁判の重要証人を法廷には召喚せず、別室09312_3 に隔離してモニターをとうして『尋問』するというものです。そもそも『犯罪被害者保護』の要請から導入された例外的な方式なのに、建物撤去・土地明け渡しの本件に適用することなど考えられません。石橋恵美子証人は『犯罪被害者』でもなんでもないのです。本件にビデオリンク方式を適用するのは、別室に隔離する証人隠しであり、公開裁判を否定するものであり、偽証を助長する不当きわまるものです」(今日の裁判事務局の資料より)。しかも、石橋恵美子は先に述べたように明らかに嘘の陳述をしているのですから、その嘘を裁判所が守ろうとしている許し難い誤った訴訟指揮をしようとしていることが明らかです。このことを指摘し、繰り返し撤回を求めた弁護団に対し、聞く耳を持たぬ仲戸川の姿勢が明らかになった。

 やむなく弁護団は、昨日、あらためて裁判官忌避を行った。ところがそれ自体を忌避された当事者である仲戸川自身(民事第5部)が、簡易却下を行った。理由は「忌避をする権利の乱用」というのである。仲戸川の乱暴な訴訟指揮が一切の根源であるにもかかわらずである。「盗人猛々しい」とはこのことだろう。

 弁護団は当然にも、直ちに今朝、特別抗告を行い、千葉地裁はそれを受理09312_4 した。民事訴訟法334条には、特別抗告が行われた場合、執行が停止される規定があり、口頭弁論を開くことはできない。そのことを弁護団、同盟を先頭に地裁民事第5部書記官室に申し入れに訪れた。ところが、驚いたことに、仲戸川は口頭弁論を開くと主張し、法廷で説明すると開き直ったのだ。立法の権限のない裁判官が、法律で決められたことを破って、審理を進めるというのだ。こんなことが許されるか! 怒りの抗議と追及が1時間以上にわたって粘り強く、丁寧に行われた。しかし、口頭弁論は強行された。

 しかも、二人の証人の陳述が本人のものであるかどうかが確認されただけで、仲戸川は同盟と弁護団が「尋問権を放棄した」と強弁し、前回の裁判で逃げながら、誰にも聞きとれないような形で(書記官さえ聞こえなかったと言っているのだ)、新現闘本部を建てたとび職の人たちなどの証人採用を却下し、北原さんと萩原さんなど3人のみを証人採用したのだが、それさえも却下し、結審を宣言し「最終弁論」を4月23日に行うと宣言して、早々と審理を終えたというのだ(新聞記者と、一人事務局が傍聴して判明)。こんな暴挙がどうして許されようか。

 当然にも、弁護士会館09312_5 で開かれた報告会と記者会見は、弾劾集会に切り替えられ、怒りの発言が続けられた。そして、最後に立った萩原進事務局次長は、4月23日、全力で決起し、逮捕も辞さず抗議の闘いで反撃しようと提起された。44年にわたる三里塚闘争に追い詰められ、「三権分立」のポーズさえかなぐり捨てた国家権力、裁判所のこの攻撃を許してなるものか。「3・15米軍再編と闘う」集会を関西で成功させ、3・29三里塚現地全国闘争を大爆発させ、4・23千葉地裁に反撃の火柱を立てよう!

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2009年3月11日 (水)

神戸市は弱者切り捨てをするな

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 今朝は定例の市役所前での、神戸空港の中止を求める市民の会の朝ビラ。少し暖かくなってきたかなとは思うのですが、それでも寒かった。いつもより少ない4人(平均3人)で、1200枚が、おもに出勤してくる神戸市の職員のみなさんに手渡されました。表は、先日の「2・15神戸空港反対市民集会とデモ」の報告。裏面が、「神戸市は、弱者切り捨てをするな」「改良住宅への家賃値上げ、減免打ち切りをやめろ!」の見出しでの文章です。以下に、この裏面の前文を掲載します。

改良住宅への家賃値上げ、減免打ち切りをやめろ!

 神戸市は、財政難を理由に、この4月から、一斉に市営住宅家賃を値上げし、しかも現行の減免制度の大幅削減を強行しようとしています。

 現在の深刻な不況下で、震災復興住宅と改良住宅では、「出て行け」と言うに等しい厳しい現実を生んでいます。

改良住宅とは、同和対策事業として国の事業で同和地区の環境改善を目的に建てられた住宅です。しかし、住民の意思に関わりなく、「安い家賃」を条件に、住みなれた家や土地を住民から強制的に奪い、建てたのです。ですから、同和対策事業が終わったからと他の公営住宅並みに応能応益家賃を押し付けるのはおかしいのです。住民が、「もとの家と土地を返せ」と怒るのは当然です。

差別はなくなっていません。しかも、神戸市が言うように、改良住宅に住む人々にとって差別がなくなったのでしょうか。とんでもありません。神戸市093_2 は、同和対策事業を打ち切ってから、一度として地域の生活実態を調査したこともありません。結婚差別や就職差別などの差別は依然として横行しています。すでに番町などで、住民独自の調査でも、地域の高齢化比率が他地域に比べ異常に高く、そして土木や非正規の就業率が非常に高い、低賃金や生活保護を受けて生活している方が多いことが判明しています。それに追い打ちをかけるように、現在の金融恐慌による厳しい現実が襲いかかってきています。

こんな時に、住む家の家賃が、減免を打ち切られ、3倍や4倍にはね上がったらどうなるでしょうか。それは、「出て行け」「死ね」ということではありませんか。

 今、非正規の労働者が解雇され、住む所がなくなったことが社会問題になっていますが、そんな状況の中で、改良住宅の経緯を無視し、行政が住民から住む所を奪うなどという人権を無視した暴挙が許されるでしょうか。

 部落の人たちにかけられた「切り捨て」政策は、すべての神戸市民の問題だと私たちは考えます。お年寄りや障害者、失業者が安心して住める街にするには、こんな「弱者切り捨て」の差別行政は許せません。神戸市は、直ちに不当な値上げを止めるべきです。

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2009年3月10日 (火)

明後日、天神峰現闘本部裁判の再開とデモ

08925

 明後日、3月12日、反対同盟の二度目の裁判官忌避によって開廷されていなかった天神峰現闘本部裁判が、最高裁での忌避の結論が出ていないにも関わらず、忌避されている本人、仲戸川裁判長の職権により再開されます。

 忌避の原因となった前回の裁判(08年9月25日)の様子は「関実・三里塚ブログ」の報告http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-2518.html をご覧ください。後述するようにこの裁判は、天神峰現闘本部の現場を調査するかどうかが最大の争点でした。しかし、仲戸川裁判長は強行突破(=調査しない)を図ろうと、裁判所周辺に権力・機動隊を配備し弾圧を試み、実際にも反対同盟員である太郎良陽一さんを不当にも逮捕した。上の写真は、千葉県警に裁判後直ちに抗議する北原鉱治事務局長(中央後姿)と萩原進事務局次長を先頭とした100人あまりです。Photo

 天神峰現闘本部は、成田治安法によって封鎖されたままです(1990年1月、右写真)。この場所が市東さんの南台の農地や一坪共有地とともに、暫定滑走路の誘導路に「ヘ」の字を強制しています。

 裁判は、NAA(成田空港会社)が、この建物の撤去を求めて起こしたものです。(旧)現闘本部は木造の建物ですが、元石橋副委員長から反対同盟が賃借し登記されています。NAAは、現在の封鎖されている現闘本部は、(旧)本部を建て替えたもので、賃借権は存在しないと強弁して、自らの撤去の主張の根拠としています。しかし、実際には、(旧)本部は残されたまま建て増しする形で(現)現闘本部は建てられたのですPhoto_2 (左写真)。それは、現場検証すれば一目瞭然です。

 しかし、2010年暫定滑走路供用開始を国是とする国、裁判所、NAAは、このことに追い詰められ、現場検証をしないことで強行突破し、そのことで、市東さんへの農地強奪の国家意志を明らかにして、市東さんと反対同盟の闘いへの意志をくじき、三里塚闘争解体をかけて進もうとしているのです。それが、忌避の結果を待たずに、仲戸川裁判長が3月12日に開廷した根拠です。こんなことがどうして許せるでしょうか。

 三里塚反対同盟は、この卑劣きわまる国家権力の手先でしかない裁判所による攻撃をはね返すべく、3月12日の裁判傍聴を訴えるとともに、先だって当日午前9時から、葭川(よしかわ)公園(千葉パルコ横・モノレール下、JR千葉駅から徒歩10分)に集合してデモを行うことを呼び掛けておられます。

 裁判は、午前10時半から405号法廷で行われますが、傍聴券の配布がありますので、午前10時までに千葉地裁仮庁舎1階に集合してください。

 天神峰現闘本部裁判に勝利し、市東さんの農地を守ろう! 「3・15 講演とパネルの集い」を成功させ、3・29三里塚現地へ総決起しよう! 

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2009年3月 9日 (月)

09 とめたいんや戦争! 守るんや命! 3・8行動

0938

 昨日、3月8日、北区民センター・ホールで、300人を超える人々が集まって「09年 とめたいんや戦争! 守るんや命! 3・8行動」が開かれました。

 オープニングが漫画家まつだたえこさん(右写真)の紙芝居「木買い怪(きか0938_3 いかい)」。最後の「いくつのむんですか」「9錠(条)」に会場から思わず笑い。

 アリランの曲で始まった池邊幸恵さんの「ピアノとスライドによる平和のメッセージ」は、すばらしいピアノ演奏にあわせた「もう、だまされない」「憲法9条とその全文」「GAZA]と舞台いっぱいの画面に映像が。ショパンやベートーベンのすばらしいピアノの演奏に聞き入った。

 中東に滞在する高藪繁子さん、ジャーナリストの西谷文和さんからのメッセージが紹介。

 菊地夏野さん(名古屋市立大学人文社会学部准教授)から「すりかえられる女性の貧困、女性に対する暴力」と題する講演が行われた。学生時代の1995年の沖縄での女子高校生への性暴力事件への印象から、先日のクリントン・中曽根のグアム協定に至る「変わらない沖縄」の現実。そして非正規労働が圧倒的多数を占める女性の賃金格差の現実「1990年の49.0938_4 4%から06年の50.1%」に変化しただけの現実が誤魔化されていると指摘。「がんばれば女性も男並み」という新自由主義の誤魔化しは正規労働に就くわずかの女性の話し。圧倒的な女性が無視され、切り捨てられている現実などを訴えられた。

 劇団ほうき星によるカンパアピールのあと休憩。13万円を超えるカンパが後で報告され、「おっ!凄い」と声。

 休憩の後、韓国挺身隊問題対策協議会のユン・ミヒャンさんからのビデオメッセージの紹介の後、山口真美さん(神戸女学院大学生石川ゼミ学生)から慰安婦問題の取り組み、本郷令子さん(武庫川ユニオン尼崎市役所分会)から派遣労働者の闘いの報告、劉由子さん(リュウ・コジャさん、在日本朝鮮留学生同盟大阪地方本部)から在日であることをなぜこだわるのかと語りかけられた。中野0938_5 冬美さん(NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ・関西)から、母子家庭の厳しい現状が訴えられた。最後に松本亜紀さん(辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動)から、クリントン・中曽根による「グアム協定」、米軍再編は何なのかと訴えられた。

 集会の最後に、「障害者自立支援法撤廃を求めて」石川豊子さんからの特別アピールが行われ、守田基師子さんがまとめて、ピースウォークに出発した。

 会場の展示コーナーが回を追うごとに賑やかになっている。今年は、そのた0938_6 めに休憩を25分も。私たちも「三里塚写真展」と一週間後にせまった「3・15 講演とパネルの集い」の賛同を訴え、ピーナツを販売。ピーナツが休憩時間にあっという間に売れてしまい、足らなかった。

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2009年3月 8日 (日)

3・15 講演とパネルの集いを宣伝

0937

 昨日、3月7日、JR元町駅前で、「3・15 講演とパネルの集い」のビラまきと宣伝を、8人が参加して行いました。

 買い物客でにぎわう人の流れに負けないように、「市東さんの農地を守る」三里塚のたたかいを訴え、「いのちを守る」ことを語りかけました。そして、憲法改悪の動きの中で、一朝有事には、成田空港(三里塚)、関西空港が軍事基地と0937_2 なること、沖縄、岩国など米軍基地の強化が進められていることなどを訴えました。そして、3兆円も日本が負担して進められている「米軍再編」とは何なのか。先日の中曽根外相・クリントン国務大臣の日米の協議でグアムの米軍基地整備、海兵隊の一部移駐のために6千億円ものわれわれの税金が投入されている一方で、非正規雇用の労働者をはじめ何十万もの労働者が解雇され、住む家まで奪われている現実を訴えました。

 ビラは500枚がまかれました。残すところ1週間。3・15集会を成功させて、3・29三里塚現地に総決起しよう。集会賛同も、110の個人・団体を超え(200口以上)ています。

 今日の「止めたいんや戦争! 守るんや命! 3・8行動」の集まりで、小さな三里塚写真展を開きます。そこで、新しく作られた「三里塚写真展パンフ」(B5版、12ページ)を、展示コーナーでは無料で配布してい0937_3 ます。右上がその表紙で、左が、その例で、5ページです。同盟のみなさんの今の様子を伝える写真と、説明満載です。ぜひ手にとってご覧ください。

 また、展示コーナーでは、三里塚の落花生も販売しています。

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2009年3月 7日 (土)

今週の産直野菜(3月7日)

0937  今週の産直野菜が届きました。

 今週は、人参、聖護院大根、里芋、ホウレンソウ、ネギ。それに別枠で、煎り落花生(千葉半立ち) 350g です。

 このところ大根が少しだぶつき気味と書いたら、みなさんから大根の食べ方の便りがいくつも。ありがとうございました。

 特に気にいったのが、Sさんがご教示くださった、今週入れられた「野菜だより」にもありますが、「みぞれ鍋」。このでっかい聖護院大根をまるごとオロして、この大根特有の水分が多いことから水を加えないで、ダシの出る野菜や魚を入れて鍋。しゃもじですくって食べるというもの。鍋が大好きな私には、思わずよだれが。しかし、この大根全部をオロすの? 横で聞いていたMさんが「オロす道具が安くてあるよ」と。その道具が手に入るまで、「みぞれ鍋」は遠慮することにして、先週は、緊急避難で、里芋の少しと、大根半分が近所へ貰われていったのです。

 落花生は別枠ですので、350g分1000円を、今月の野菜代金に上乗せして振り込んで下さいね。スミマセン。「千葉半立ち」て、どういう意味?

 今日は、午後3時からJR元町駅前で、「3・15講演とパネルの集い  米軍再編と闘う-三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」のビラまきと宣伝を行います。お近くの方はお出で下さい。なお、先だって同じ場所で、午後2時から、「兵庫・星野文昭さんを救う会」のビラまき署名活動が行われます。こちらにも。

 明日は、「09年 とめたいんや戦争!守るんや命! 3・8行動」(北大阪区民センター・ホール 午後1時から)の会場で、三里塚写真展と落花生の販売をいたします。新しく作られた「写真展パンフ」が無料で配布されます。乞う、ご期待。展示コーナーは正午から開催されていますので、早めに来て、ゆっくりとご覧ください。

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2009年3月 4日 (水)

「君が代」不起立処分

0933

 門真市第三中学の教職員に対して去る2月20日、昨年3月の「君が代」不起立を理由に不当処分をだした門真市教委に対する抗議の申し入れ行動に参加してきました(詳しい経緯は、後述の「要請書」参照)。寒く氷雨がふる中集まったのは、戸田門真市議をはじめ13人。教育委側は3人(写真右に居ます)。

 冒頭、大阪府教委が前日夜、川口清吾さんに訓告、他の7人については口頭厳重注意処分という指示が届き、市教委として何の手続きも討議も行うことなく、その府教委の文章のまま、宛名と差出人(下浦教育長名に)を入れ替えた0933_2 だけで、翌日各本人に通知されたことが明らかになった。「市教委は何にも仕事をしとらんではないか」「府教委の言うがままに垂れ流すんだったら、市教委が存在する意味ないじゃないか」と、怒りの抗議が続いた。「訓告が3回続いたら府教委による戒告などの処分につながる。府教委の処分への道を開いたことを自覚してそんなずさんなことをするのか」と。

 このずさんさは、実は訓告の文章に重大な誤りがあることを気付かず垂れ流したことを告げられ、市教委の方が慌てて川口さん本人から「訓告」の文章を見せてもらう一幕も。何という連中か!

 冒頭にこうあるのです。「あなたは、あなたが勤務する門真市立第三中学校で行われた平成19年度卒業式において、校長が付属教職員に対し、学習指導要領に則り起立して国歌を斉唱するという指導を受けていたにも関わらず、これに反して国歌斉唱時に着席した。」 これでは、文章の途中で主語が変わり、指導を受けていたのは校長のみということにしかならない。それでは、なぜ川口さんは訓告の処分を受けたのか。「着席した」からだという。これでは多くの教員がほかの学校でも着席したことを市教委は承知しており、これまで同様処分には当たらないという判断があったのではないのか。厳しい抗議に、市教委は沈黙を決め込むだけ撤回を拒否し、「30分」という制限を突破して1時間に及ぶ抗議が行われたのです。

    要請書

 門真市教育委員会にたいして、ただちに門真第三中学への「君が代」不起立 大量処分を撤回するよう要請いたします。

 2月20日、門真市教育委員会は、大阪府教委の指導のもと、門真市立第三0933_8 中学校の教職員8名と校長にたいして不当処分をくだしました。昨年3月の卒業式で、「君が代」斉唱に際して担任団全員と1人をのぞくほとんどの卒業生が着席したことを、産経新聞と週刊新潮が「偏向教育」だと報道して事情聴取がくり返され、校長と教員一人に訓告処分、その他の担任団に口頭厳重処分がくだされました。

 教員への処分理由は「校長が所属教職員に対し、学習指導要領に則り起立して国歌を斉唱するという指導を受けていたにも関わらず、これに反して国歌斉唱時に着席した」ことであり、それが「学習指導要領に基づき国歌斉唱を生徒に指導すべき立場にある公立学校教員として不適切であるといわざるをえない」というものです。

 「君が代」斉唱に不起立をしただけで処分をするというのは、大阪府下では初めてのことです。大阪で不起立をしている教職員は多数にのぼります。今回の処分の本質は、卒業生の大半が不起立をしたことへの処分ではないでしょう0933_7 か。

 門真三中では、当たり前の平和教育、解放教育を積み重ね、教員も生徒も一 人ひとりが各自の信念にもとづいて行動することを求めてきました。昨年の卒業式でも、一人ひとりが起立・不起立を選択したのです。ところが右翼勢力は「偏向教育」攻撃をしかけ、教育委員会は、卒業生への調査まで検討して指導のなかみに踏み込んだ処分を策動してきました。それを教職員の団結と多くの支援の抗議で許さなかったのです。

 私たちは処分のどう喝で起立と服従を強制しようとする不当処分を絶対に容認することができません。卒業生たちの不起立を「府全体の公立小中学校の信頼を損なうもの」だと非難した昨年3・31府教委通知と、それにもとづいて出された入学式での職務命令を撤回させ、二度と出させない闘いが必要です。改悪教育基本法と改憲攻撃のもとで、東京・広島型の処分の乱発が大阪でも始まろうとしています。こうした教育への権力の不当な介入に対して断固として反撃していく決意です。

 門真市教委へ以下の点を要請します。真摯に早急に対処されるように願います。

1、門真第三中学への「君が代」不起立大量処分を撤回すること

2、昨年3月31日、府教委通知を撤回するよう働きかけること0933_6

3、上記の府教委通知にもとづいた「職務命令」を出さないこと

4、今後も同様の「職務命令」を出さないこと

以上、強く申し入れます。

2009年3月3日             守口門真教育を考える会

 この日は、我が家の周りでは雪が舞い、この文章を打っているパソコンの前の窓の正面に見える小さな公園の梅林の花が咲き乱れ、その素晴らしい雰囲気に、思わず写真を撮りました。残念ながら雪は写らなかったですが。2枚目からの梅の写真は本文に関係ありません。また、「農家便り」によれば、三里塚では雪が積もったそうです。あ~寒っ!

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2009年3月 3日 (火)

農地法改悪案の国会提出弾劾!

09225  反対同盟ブログが昨日報じているように、麻生内閣は2月24日、農地法改革案を閣議決定し、国会に提出しました(左記事は、同ブログより転載)。

 3・29三里塚全国総決起集会のメインスローガンに「農地法改悪-改憲攻撃粉砕」とあるように、これは重大な農民に対する攻撃です。そして戦後憲法の骨格ともいうべく労働法、教育基本法とならぶ戦後革命の労働者、農民の闘いによって勝ち取られた農地法を解体するという意味で、改憲攻撃の重大な一環です。

 農地法1条は、「農地はその耕作者みずからが所有することを最も適当であると認める」として耕作者主義を掲げる。これを改悪案では「農地はこれを有効利用する者に権利の取得を促す」と書きかえる。「所有と利用の分離」と言われ、「農地の流動化」によって耕作放棄地の解消を図るといわれる。これだけを見れば解りにくいが、この考えが06年の農政改革・最終提言に基づいて出され、農業の効率化・生産性の向上という新自由主義のもとでの方策であり、06年に制定された「担い手新法」とメダルの裏表になっていることを見据えなければならない。

 北海道で10ヘクタール以上、それ以外では4ヘクタール以上の「担い手」のみに助成を制限し、それ以下の農家(ほとんどの農家だ!)は助成しないというもので、集約化によって300万戸農家を40万戸にするというものだ。経済財政諮問会議で農政を担当する本間正義は、さらに14万経営体に集約するといい、最近では1万でいいんだなどまで言い始めている。

 そこで想定されていることは、一言で言って、単作による広大な面積での安い付加価値のある農産物の生産による「強い農業」を作り上げ、FTA/EPAでオーストラリアやアメリカ、中国とも競争できるようにするということであろう。

 しかし、そうした農地を想定できるには、あまりにも山間地の農地が多い日本の実情では「絵にかいたモチ」でしかない。しかも多くの農産物が輪作を拒むことから、アメリカやオーストラリアでは、休耕地を回していくことでしのいでいるのが実情であり、この日本の実情ではありえない。しかも、そのアメリカやオーストラリアの集約化された農業(オーストラリアでは1家族で3千ヘクタールを相手にしている)では、十分に土に向き合うことがされず農薬の使用によって極度の農地の疲弊化が進んでいるといわれる。ここに、実は、農業の先進地域であるアジアの小規模家族農業が営々と続けられてきた根拠があるのだ。

 実際にも「担い手新法」が制定された翌年07年の米価の暴落は、むしろ「担い手農家」や集落営農を直撃し、広大な農地に見合った農機具、トラクターなどへの膨大な投資の回収が不能になり、1年目で破産、倒産が相次ぐという悲惨な事態が生まれている。オーストラリアでは広大な農地に見合った巨大なトラクターなどへの投資による膨大な借金と、農地の疲弊による凶作によって農業に重大な困難が襲っていると聞く。

 本間らは、本業の農民を労働者として企業の参入による広大な農地による経営を想定するが、以上述べてきた理由からも、また農産物を育てるということかPhoto_2 らくる困難な問題を解決できなかったソ連の集団農場の例を出すまでもなく、破綻することは時間の問題であろう。その時、その経営体、企業の破産の背後には巨大銀行資本があり、土地が、農地が、まさに資本の論理の下に自由に転用されていくことは自明の理であろう。これが農地法改悪の目的とするところであり、正に農業破壊を前提とされているということだ。

 市東さんの農地を、営農を「1億8千万は150年分の農業収入にあたる」と言いなして農地取り上げを当然とする千葉県、空港会社、国の論理こそこうしたものを先取りしたものというしかない。改憲と米軍再編に沿う中から日本を再びアジアへの侵略と戦争の惨禍の中から生き延びさせようとする日本帝国主義のこのような農業破壊を水路とした政策の選択を断じて許してはならない。それは民主党といえども同じ穴の狢でしかない。「3・15講演とパネルの集い」を成功させ、3・29三里塚現地へ総決起しよう!

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2009年3月 2日 (月)

基地の町、岩国から見えてくるもの

09228

 一昨日、2月28日、日本キリスト教団宝塚教会(佃牧師)で、「宝塚宗教者・市民 平和会議」が主催した「軍事力によらない平和な未来のために ~基地の町、岩国からみえてくるもの~」と題した集いが、岩国の「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」代表の大川清さん(岩国教会牧師)を招いて開かれました。そのお話の要約を掲載させていただきます。

 岩国基地の歴史と住民投票で示された民意

 岩国は平野部の少ない岩山がそそりたつ土地ですが、江戸時代初期以来、Photo_3 錦川の三角州河口周辺で大がかりな干拓が行われ、平地の少なかった岩国の農地、住居となっていました。

 ところが、日中戦争が始まる中で、その農民の血と汗と涙を流しながら作られた干拓地が、旧日本海軍によって航空基地建設のためと「天皇の名の下」に収 奪されのです。敗戦後、(連合軍)米軍海兵隊が進駐し、航空基地として接収(1945年9月)し、3倍に拡大。朝鮮戦争では昼夜をわかたず直接出撃。1952年在日米軍基地となりさらに拡大し現在の規模に(570ヘクタール、市街化区域の1/4、右図の赤い部分を除く黄色い線の中)。ベトナム戦争で出撃基地となり、湾岸戦争、イラク戦争と部隊が派遣された。旧市街10万7千人の街に、3200人の米軍人、軍属と2100人の家族。そして57機の米軍戦闘機が配備され、海上自衛隊(1600人)も航空基地として共同使用。

 日夜人殺しの訓練を受ける米兵の非人間的な日常は、沖縄と同様、強姦、殺人をはじめとした筆舌に尽くし難い米兵の犯罪を引き起こしてきた。不平等な日米地位協定により米兵は守られ、犯罪の摘発は困難を極める上に、摘発されたとしても「執行猶予」であろうとアメリカ本国に帰れば「無罪」と変わらず事実上の泣き寝入りが市民に強いられたきた。

 厚木基地では午後10時までのNLP(夜間離着陸訓練)が裁判で違法とされたが、岩国では午後11時までその状態が日常化している。航空機事故の恐怖と騒音被害に苦しむ市民の悲願を反映して、海を埋め立て滑走路を1Km沖合にだす移設事業が1996年より始まった(上図の赤い部分)。

 ところが2004年、米軍再編の一環として、厚木基地からの空母艦載機部隊59機の移転が報じられ、進められている移設工事が、実際には拡張工事(総計 780ヘクタール)であることが、しかも、水深16メートルの大型岸壁の建設は、横須賀を母港とする原子力空母の寄港を前提とするものではないかといったことが明らかになった。後に明らかになった普天間基地の空中給油機12機と合わせて128機の戦闘機部隊が駐留するとなれば、極東最大の基地になる。

 05年、市民6万人の移転反対の署名が行われ、井原市長が反対姿勢を一貫09228_3 して示した。これを背景に06年3月行われた住民投票では、有権者の60%近い投票が行われ、その90%、有権者の過半数である43,433票が反対票に投じられ、合併後(15万市民に)初めて行われた市長選挙(06年4月)で、圧倒的多数の支持を受けて井原市長が再選され、再度の「ノー」の意思が示された。(左写真が、講演される大川清さん)

 にもかかわらず、国は、国会審議もなく行われた06年5月の「2+2協議」において在日米軍再編最終合意において岩国への空母艦載機59機、空中給油機12機、家族を含む米兵5千人の移駐を決定したのです。

 新市庁舎建設のための49億円の防衛施設庁補助金が12機の空中給油機の普天間基地からの移駐を前提に決められ、工事が着工され、05年、06年と14億円を交付しながら、住民投票と市長の反対を理由に残りの35億円を全額「ゼロ査定」した。「米軍再編特措法」を先取りした国による恫喝であった。そして、これを受けて岩国市議会は「誘致」に傾き、井原市長の予算案を07年、5度にわたって否決した。国の仕打ちに「怒りの1万人集会 in 錦帯橋」が打ち抜かれたが(07年12月1日)、市長選挙におけるデマと中傷、圧力のなりふりかまわぬ国総がかりの選挙で、井原市長は惜敗した(福田 47081票、井原 45299票)。

 岩国市民にとって鎮守の森ともいうべき愛宕山を削り取って沖合い建設の埋Photo_2 め立て土砂とすることに、地権者はもとより住民は反対した。それを山口県が新たな住宅街や福祉の諸施設の建設で「町の発展」を錦の御旗に押し付け、強行した(右図 「米軍再編と前線基地・日本」07年刊より転載)。しかし、バブルの崩壊と米軍再編による米兵の2倍化に目をつけ、国に売却し、愛宕山に米軍住宅を建設する道をつけようとしている。

 このあまりにもひどい市民への約束違反と騙しに、岩国市民は「愛宕山を守る市民連絡協議会」を結成して、米軍住宅建設反対に立ち上がっている。02年、米兵の追突事故によって厳しい障害を受けながら「米兵の所在は公表できない」というでたらめな「機密」で開き直る米軍と防衛省に対して「もう泣き寝入りはごめんだ!」と立ち上がったNさんをはじめとした「米兵の犯罪を許さない岩国市民の会」や、「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」を先頭に、岩国市民は、2014年を目途に進められている岩国への厚木基地からの移駐を、米軍再編を、可能な限り先延ばしさせ、阻止する闘いを取り組んでおられるのです。

 「3・15 講演とパネルの集い 米軍再編と闘う-三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」集会にお集まり下さり、岩国の大川清さんの話しを直接お聞きください。

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