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2009年2月28日 (土)

今週の産直野菜(2月28日)

09228  遅くなりました。今日の産直野菜です。人参、聖護院大根、ヤーコン、からし菜漬け、大根間引き菜。以上、5品。

 先週の案内に落花生があったのですが、これは千葉だけの話のようです。

 漬物が大好物の私には、からし菜漬けは大歓迎。ちょうど切れたところだったのでラッキー。久しぶりのヤーコンで朝のサラダが充実する。大根のだぶつきが、先週に引き続いて悩みの種?

 産直の会員のみなさん。3月15日の「講演とパネルの集い」に先立って、その日の正午から1時間、同じ会場(ホールの片隅)で、「関西三里塚産直の会」09228_5 (仮称)の総会を開きます。総会には萩原進さんも参加していただけますので 、みなさん、日頃思っていることをぶつけてください。始めていきなり値上げという問題もありますので。

 今日のブログが遅れたのは、朝、関西生コンが中心になって開かれた「派遣切り相談村・関西」の現場を訪れ、「3・15講演とパネルの集い」を案内させていただいた上で、しばらく、労働相談を見物させていただき、炊き出しの食事を頂い09228_6 て帰ってきました。昼からは、同じく「3・15講演とパネルの集い」にパネラーとしてお出でいただく岩国の大川清牧師の講演がありましたので、参加させていただ きました(詳報は明日に)。そのため、荷物が着いたのは先ほどになったわけです。

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2009年2月25日 (水)

「米軍再編」について

Photo  2001年の「9・11」の衝撃の中で、世界規模での米軍の有事即応、緊急展開を目的とした再編(トランスフォーメイション)が進められています。

 それは端的に言って、日米同盟と米英同盟を軸とした再編です。それは元国務副長官アーミテージの「日本をアジアの英国に」という発言に示されています。そして日本全体が、少なくとも中東を含むアジア全域のアメリカ軍の、戦争の「最前線基地」となることが目論まれているということです。すでに、今時のイラク開戦にあたり三沢にある米軍のF16戦闘機部隊が、その攻撃の第1陣を務めたことや、原子力空母ジョージワシントン(右下写真、朝日新聞より)とその機動部隊が、横須賀を母港化したことでも明らかで、すでに具体的に進められているのです。Photo_2

 そのために日米両軍、米軍と自衛隊の一体化、統合が日米合同軍事演習などによって進められていることは周知の事実です。在外米軍の基本方針として明らかにされた5つの方針(2004年 ファイス国防次官)の4番目に「同盟国との間に柔軟な法的制度や支援制度を確立する」とされています。これは、憲法9条を守ろうといった日本における闘いや、反基地闘争の存在を取っ払わなければならないということと、そのためにも9条の改憲だけでなく、この米軍再編にとって今や足かせでしかない「極東条項」をもつ日米安保条約自体を全面的に改定することをも前提としています。

 そして同じ基本方針の5番目に「部隊や施設装備の数でなく、それを使いこなす能力の向上を重視する」とあります。ユーゴ空爆の折のイタリア、イラク戦争でのサウジアラビアが果たしたように膨大な50万、70万の兵力を瞬時に展開させる能力が求められているのです。しかも「日米共同作戦計画5055」(2010年策定完了予定)が明らかにしているように、そして青森県の三沢基地に世界で最新のXバンドレーダーが配備(2006年)されたように、朝鮮半島有事が「対テロ戦争」として想定されています。この脈絡で考える時、成田空港の存在が非常に大きなもの、ある意味では要としての存在であることが明らかになります。米軍再編の要の一つと言われる重要な基地の防衛のための迎撃ミサイルPACⅢ(左写真、防衛省ホームページより)の全国10か所の配備のうちの1つが成田空港防衛のために習志野航空自衛隊基地に、他にさきがけ入間基地に次いで配備Photo_3 されたことが何よりも雄弁に物語っているではありませんか。

 その成田空港をめぐって、44年にわたって三里塚闘争が「軍事空港反対」を掲げて闘い抜かれ、成田空港が米軍再編が求めている規模の半分にもなっていないという「未完成」であることが、どれほど重大な桎梏と化しているかは明らかでしょう。

 金融恐慌が吹き荒れ、実体経済がボロボロにつき崩されている今、戦争以外に政策の展開の道筋がないところに追い込まれたアメリカ帝国主義と、それに追随することを通して独自の活路を切り開こうとする日本帝国主義によって進められようとしている米軍再編、日本全土の最前線基地化にとって、今新たに、三里塚闘争は文字通りの「反戦の砦」として仁王立ちして立ちふさがっているということです。そうであるが故の、憲法をも無視した「農地法」による市東さんへの農地取り上げ攻撃なのです。いや、改憲攻撃=米軍再編攻撃そのものとして、市東さんへ、三里塚反対同盟への、裁判所を使っての農地強奪の攻撃がかけられているのです。三里塚闘争の解体を狙って。

 みなさん。「3・15 講演とパネルの集い 米軍再編と闘う - 三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」が決定的に重要な闘いとして取り組みがされていることがお解りいただけると思います。「3・15集会」を成功させ「3・29三里塚現地闘争」に総決起しましょう。

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2009年2月24日 (火)

「3・15講演とパネルの集い」への賛同のお願い

F

 土と生き、

   命をつなぐ現場から

     戦争は止めていく

米軍再編と闘う - 三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ

    3・15 講演とパネルの集い

 世界と日本で「恐慌と戦争」の大反動が私たちに襲い掛かっています。労働者を食わすことができなくなった帝国主義と資本は、「対テロ戦争」という名の戦争を、世界の至るところで始め、私たちを「貧困と格差」にたたき込み、路頭に放り出しています。

 米軍再編と憲法9条改悪はこの大反動の中心軸です。沖縄基地や岩国基地は出撃拠点として「対テロ戦争」とそのグローバル化へのいっそう即応性を高め、成田・関西の両空港では「朝鮮戦争計画5055」で実践化・実働化が進められています。これらをはじめPACⅢ配備や「国民保護法制」に見られるように、日本全土の基地化が進められていて、9条改憲がこの攻撃と一体で進められています。

 そして、この戦争準備計画に対して、三里塚、沖縄、岩国、関西、全国各地で抵抗する運動が続けられています。私たちは、これらの運動の体験と教訓を学び、交流し、共有することによって、こうした今の時代の閉塞と大反動を打ち破って行く展望と力を切り開いていきたいと考えています。

 そして三里塚の勝利も、この中から切り開かれていくものと確信しています。その第一歩として、以下の要項のとおり「講演とパネル」を開催します。

 皆さんの「3・15講演とパネル」への賛同と参加を心より訴えます。

 賛同金は、1口500円(団体は2口以上でお願いします)です。氏名(団体名ならびに肩書き)、公表の可否、住所、電話番号、Eメールアドレスなどを記入の上、郵便振替 00980-1-63353 (口座名 三里塚決戦勝利関西実行委員会)にお振り込みいただけますよう、お願いいたします。現在、80名、100口を超える皆さん(後日、公表)からのご賛同が寄せられておりますが、集会成功のため、より一層のご賛同を寄せていただけますようお願いいたします。

◆ と き 3月15日(日)午後1時半~4時半Photo

◆ ところ 大阪市立中央会館(右図参照・大阪市中央区島之内2-13-31/地下鉄堺筋線・長堀鶴見緑地線「長堀橋」駅下車(出口⑦)徒歩6分)

  参加費 800円(資料代カンパ)

  3・29三里塚全国闘争に向け「三里塚写真展」も同時に実施いたします。

◆ 内容 講演とパネルディスカッション

   「米軍再編と闘う-三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」

   基調講演 萩原進さん(三里塚芝山連合空港反対同盟事務局          次長)

   パネラー  萩原進さん(三里塚反対同盟事務局次長)

          知花昌一さん(沖縄・読谷村会議員)

          大川清さん(住民投票の結果を活かす岩国市民の          会代表)

   パネル司会 永井満さん(三里塚決戦勝利関西実行委員会)

◆ 主催 三里塚決戦勝利関西実行委員会

      三里塚芝山連合空港反対同盟

なお、三里塚決戦勝利関西実行委員会では、集会成功に向け上記と同内容のチラシを作っております。事務局までご連絡いただければ、お送りいたします。また、「0090315.pdf」をダウンロード をクリックしていただければ、PDFファイルのチラシが印刷できます。

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2009年2月22日 (日)

09年 とめたいんや戦争!守るんや命! 3・8行動

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とめたいんや戦争!守るんや命! 09年3・8行動アピール

人はモノではない / クビを切るな、仕事をよこせ、住まいをよこせ / 人間らしく生きさせろ!

貧しさはあなたや私のせいじゃない / 格差や差別を許さない / こんな世の中変えるため / 一緒に行動しよう!

軍事費いらない / 福祉に回せ、教育に回せ / 歴史をねじ曲げるな /Photo_3  基地はいらない 自衛隊を出すな / 憲法を変えるな!

声をあげよう / パレスチナの人々を殺すな / 占領をやめろ!

女たちはよびかける / とめたいんや戦争 守るんや命!

■ 3月8日(日)午後1時

■ 北区民センター・ホール(地下鉄堺筋線「扇町」・JR環状線「天満」下車)

■ 講演 菊地夏野さん (名古屋市立大学人文社会学部准教授)

   0839_2 「女性の視点から切る、現在の日本が直面する戦争と差別、戦争と貧困(仮題)」

■ 音楽 『ピアノとスライドによる平和のメッセージ』

   演奏/平和のピアニスト     池邊幸恵さん

集会後、梅田までピースウォーク / 入場無料・手話通訳あり

 2004年3月、イラク戦争を絶対とめようと、女たちのよびかけで始まった3月行動は今年で6回目。イラク、アフガニスタンでの戦争はまだ続き、パレスチナでは、アメリカに後押しされたイスラエルによる一方的な破壊と殺りくがくりかえ0839_3 されています。「派遣切り」で加速された雇用と生活の破壊は、格差と貧困をさらに拡大させ、私たち自身の生存を脅かしています。

 いま、一人ひとりの力を合わせたい。国際女性デーの3月8日、みんな集まろう!

 会場では、三里塚写真展も行われています。

 写真は、すべて昨年の「3・9行動」のものです。 

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2009年2月21日 (土)

今週の産直野菜(2月21日)

09221  いま今週の産直野菜が届きました。人参、聖護院大根、さといも、小松菜、ネギ の5品です。今週は少ない。いわゆる「端境期」を実感します。来週には「煎り落花生」350gが入るとか。

 沖縄に行ってから、神戸空港闘争などと忙しいこともあって、さすがに野菜がだぶつき気味。煮っ転がしを作ったり、アラの煮込みを試みたり、この数日は野菜いっぱいの湯豆腐や鍋の連日だったり。聖護院大根の葉っぱを鍋に入れてみたら、やっぱり少し苦かったが、それでも食べれた。とりあえず、大根、人参、さといも、白菜がまだ余っている。さあ、愚痴ってないで頑張って食べよう!

 今日は、今から「兵庫・星野文昭さんを救う会」の姫路での街宣、署名活動で、もう少ししたら出かけます。来週の日曜、3月1日(日)午後2時から、神戸市Photo 勤労会館(三宮)404号室で、「星野さんを救う会」の学習会です(参加費300円)。浄土宗大林寺住職の木下達雄さんが講師で「人は他人を裁けるのか-死刑制度から司法の在り方を考える」をテーマに行います。みなさん。ぜひ、ご参加ください。

 そして、「3・15 講演とパネルの集い 米軍再編と闘う-三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」(大阪市立中央会館)をお忘れなく(3月15日 午後1時半から)。

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2009年2月18日 (水)

不当弾圧弾劾!

081020

 ブログ「農家便り」によると、1月14日に福岡地裁で開かれていた組対法裁判(これ自体が、障害者解放運動と三里塚闘争への許し難い弾圧)で、傍聴席で野次をとばしたことなどで「威力業務妨害・不退去」を理由に福岡、東京、三里塚で革労協のみなさん9人が、一ヶ月経った昨日逮捕された模様。

 こんなことは「退廷命令」(これも不当な裁判への抗議に対する弾圧だから許せないが)で済むことのはずだ。それを一ヶ月もたってから逮捕ということ自体、本当に許せない弾圧だ。三里塚闘争が市東さんの農地をめぐって決戦に入ったことへの弾圧でなくてなんだろうか。

 80年8月6日、関西新空港の岸和田での「説明会」での異常ともいえる機動隊による制圧態勢に多くの皆さんが抗議した。所が、加辺事務局長などをはじめ関西実行委員会の14名のみが、選別的に1ヶ月後に逮捕され、私を含む8名が起訴されるということを経験した。「威力業務妨害」であった。これは明らかに、鉄塔決戦の後、敷地内外に「3・8分裂」(83年)などに向かう厳しい攻防が続く三里塚闘争への弾圧攻撃として「関西実行委員会つぶし」を狙ってかけられたものだった。機動隊が暴力をふるい、会場の外に放り出されたのは私たちの方だ。第1審は、猶予付きとはいえ実刑判決だった。長い裁判闘争によって跳ね返し2審では、罰金刑に変わった。弁護団は「押し返した」といいマスコミは「裁判所、大阪府をしかる」と報じたが、今でもあの理不尽な攻撃に、思いだすだけでも私のはらわたは煮えくり返る。

 三里塚闘争勝利にむけ、3・29三里塚現地闘争の爆発で、この弾圧を跳ね返そう!

 なお、最初の写真は、事件とは関係ありません。昨年の10月、市東さんの所での援農風景です。逮捕された内、2人は、鈴木さんのところに毎週入っていた現闘の方のようですので、その連想から。

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2009年2月17日 (火)

ますますデタラメな証拠を出してきた。許せない!

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 216日、千葉地方裁判所民事2部において「耕作権裁判、第10回口頭弁論」が開催されました。

 いつもとおり、裁判所前の歩道で「傍聴券の抽選」のために並んでる皆さんに、反対同盟から「傍聴のために」というビラが配られます。そこには、今日の裁判の焦点が分かりやすく解説されており、参加意欲が高まります。傍聴券は30枚程度しかなく、大半の参加者は法廷に入れません。その点、この解説ビラは法廷内外が一体となる、大切な役割を果たすものです。

 この日の裁判にも、100名ぐらいの、大勢の皆さんが傍聴にかけつけ、原告と裁判所を圧倒し続けました。

 裁判は10時半丁度にはじまり、被告(反対同盟)弁護団の葉山団長から「原告の準備書面の釈明を求める」と求釈明の弁論を行い、さらに一之瀬弁護士が補強する弁論。「焦点になっている地番49-1の賃借権を市東東市さんと藤崎氏が交換したというメモはデタラメで納得出来ない」と怒りをあらわにして追及しました。49-1という耕作地は石橋氏の自宅近くの土地で、日当たりが悪く、耕作地には不向きのため石橋自身も植木を植えていたようです。そんな土地を交換するはずはありません。また原告が証拠として提出したこの「市東・藤崎メモ」には、「赤線を越えなければ行けないので交換した」と交換の理由を記していますが、赤線なんか書かれ09216_7 ていないことも指摘していてました。

 さらに、反対同盟弁護団は「航空写真は1949年から撮影されているので、これを提出せよ。それを見れば、耕作地として使用されているかどうか判明する」と原告に要求。原告が出している航空写真は、最近のものばかりで、誤魔化そうとしていることが見え見えです。

 このように、原告から提出される証拠書類は裁判で追い詰められいい加減なものとなり、市東さんは、裁判終了後の記者会見、報告会の冒頭で「ますますデタラメな証拠を出してきた。許せない!!」と、怒りをあらわにして、さらに闘う決意を述べられました。

 報告会の中で、安藤は関西から発言を行い「裁判闘争を全力で闘う。329三里塚闘争の成功に向けて、315三里塚関西集会を開催する。また、野菜市、写真パネル展を継続して開催してゆく」との挨拶を行いました。

 次回の裁判期日は511日午前10時半 新しい裁判所建物の6601号法廷の予定。

            関実事務局次長 安藤 眞一

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一昨日に続いて 開港3年に抗議 (2月16日)

09216

 昨日、神戸空港がいろいろな問題を指摘されながら、一切答えることなく開港を強行し3年を経過したことに抗議して開かれた神戸市役所前での「神戸空港問題は終わったのか?- 開港3年を問う 神戸空港開港3年抗議集会」(20団体共催)に、山本先生をはじめ神戸空港の中止を求める市民の会の仲間5人で参加してきました。寒風吹きすさぶ中、150人の方が集まっておられました。

 集会では、やはり需要の落ち込みと減便による管理収支の破綻と、売れない土地による2千億円の借金の返済計画の破たんが軸となって、抗議の発言が続きました。最後に「共同アピール」が採択され、代表が神戸市当局に届けることになりました。

 一昨日の私たちの集会でも指摘されたことですが、日本共産党、新社会党が正式参加しながら、神戸市市職労などの労働組合の参加が全くないという神戸市の問題点が浮き彫りにされていました。そして、共同アピールに象徴されるように、これだけの様々な事態が明らかになっているこの時点で、神戸市当局の「厳しい自己検証と説明責任を怠ってきた」と指摘するにとどまり、「山積する課09216_2 題を追跡・検証する必要性」を訴えるにとどまるという、なんとも消化不良の想いを抱きながら帰途につきました。

 ある意味では、神戸空港闘争のみならず、神戸での闘いの中で、1月12日に開かれた被災地反失業総行動集会から、2・15神戸空港反対市民集会の過程で練り上げられてきた想いと繋がりをさらに大きく発展させる必要を痛感しました。

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2009年2月16日 (月)

神戸空港反対闘争 2月15日

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 今日は、神戸空港が3年前に開港を強行した日です。 

 昨日、2月15日、開港して丸3年を迎えた神戸空港を廃港にしようと「神戸空港反対市民集会」が、123人の結集のもとで開かれました。開港した翌年は、参加者が減りましたが、それから2年続けて、わずかずつですが増え続けています。

 この集会では恒例になった「はるまきちまき」さんの心温まる演奏と唄から集会が始まりました。三里塚芝山連合空港反対同盟からのメッセージが紹介された後、粟原富夫新社会党市議から、市議会報告として財政問題を中心に神戸空港の破たんの現状が報告されました。ついで、神戸空港への財源投入が市民生活に犠牲をすでに生んでいると市営住宅家賃の値上げ、減免制度の廃止、そして追い出しという市民の生存権を奪う神戸市行政を批判する09215_4 「家賃値上げ反対番町住民の会」からの特別アピールがありました。

 「近ごろ考えること-神戸に住んで30年」と講演に立たれた早川和男さん(右写真・神戸大学名誉教授)は、神戸に住む学者の多くの物言わぬ現状をユーモアを交え指摘しながら、震災に対する被災者対策の「住んでいる人の目線から」の対策が行われている各地の様子を明らかにして、神戸市のこの40年以上にわたる経緯の中で明らかになったひどい市民不在の行政の在り方を指弾された。そしてそれをどうしていくのかだと私たちに問いかけられたのです。

 基調報告に立った讃岐田訓さん(左写真・京都学園大学教授、市民の会代表) は、09215_6 粟原市議の報告を受ける形で、売れない土地処分の問題、空港の赤字化などを指摘した上で、市民病院の移転問題に見られる市政の流れが、神戸を戦争に向けた基地の街にしようとしていると指摘。その上で、市民の会が行ってきた海洋調査で神戸空港の埋め立てが大阪湾を破壊している現状を専門家として明らかにされた。

 そのあと、リレーアピールが行われました。淡路の空を守る会の代表永井満さん。関西新空港絶対反対泉州住民の会の国賀祥司事務局長。神戸再生フォーラムの高田富三さん。止めよう戦争!百万人署名運動・兵庫県連絡会の梶原義行さん。被災地雇用と生活要求者組合の蒲牟田宏さん。神戸YWCAの寺沢京子さん。そして市民の会。次々と、それぞれの立場からの神戸空港に対する怒りの声と、お互いに手を結んで繋がっていこうという提起が行われました。

 最後に市民の会の後藤尚生さんがまとめの挨拶と団結ガンバロー(最初の写真)をして、熱気のこもった集会を終了。さあ、デモの出発です。

 鯉川筋から、生田新道、トーアロード、そしてセンター街、そごう前からフラワ09215_7 ーロードを南下して神戸市役所前に。30分余りのデモでしたが、「神戸空港反対」「市税の投入を許さないぞ」「護岸を撤去させるぞ」と終始シュプレヒコールを上げ続け、神戸の最大の繁華街を行く市民の人々に訴えかけました。多くの市民が、驚きの目を投げかけながら注目していました。番町住民の会の若い仲間が、いつの間にか先頭に立ち、大きな声でシュプレヒコールを上げ続けていたのが印象的でした。

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2009年2月 9日 (月)

コメ農家 小川さんの挨拶 (2月3日 農地死守裁判報告会)

0923

 今日、市東さんは、裁判の中で裁判自体が不当な裁判で、その不当な裁判で市東さんの農地の取り上げを絶対に許さないということを、農地自体が市東さんの命そのものだという、断固闘うという決意をはっきりしめしたと思います。

 今、いろいろ調べてるんですが、今、百年に一度の世界金融大恐慌という中で、戦前のことをちょっとしらべたんだけれど、1929年は、昭和4年で、当時地主制度の中で農家はほんとうに高額な小作料と度重なる飢饉とか、同時に29年恐慌によって繭(まゆ)が大暴落し、コメが半値になるという中で、農業恐慌という形で言われていますけれど、コメ作ってる農民が飯米もないというような状況で、ものすごい窮乏化に陥った。そういう中で、必然的に地主と闘わなければ生きていけない時代、農民が東北とか北海道では、夜逃げしたり首つり自殺したり、子女を身売りしたりという大変な事態の中で、地主との闘いを現実に闘い抜いていく時代だった。

 今、そういう農民の闘いを見るとき、地主が恐慌のあおりで、大変な時代の中で、なかなか農民の要求にこたえられないということで、逆に小作地の取り上げとか立ち入り禁止とかそういうことをやってきて、激烈な闘いになっていったわけです。そういう当時の地主とか、土地取り上げ闘争を見ると、今の市東さんの闘 い、あるいは市東さんにかけられた問題そのもの、その再現という感じがしています。当時の警察や裁判所が一体となって小作人の土地を取り上げっていったことを見ると、当時は農地法がなかったもんで、逆に今の方が戦前よりもむちゃくちゃなやり方で市東さんの農地が取り上げられようとしているということをはっきり見る必要があるんじゃないか。

 今、新たな農政改革、食料と農業、あるいは農村の基本計画というのは見直0923_5 されて大きく変えられようとしています。麻生内閣が新たな農政改革の諮問を出したり、6大臣の閣僚会議とか、今年度中にははっきりさせ、来年度にそういう政策をやってくると言われています。そういう中で、東大の本間正義が、まだニュースの範囲でしかわからないんですが、100町歩の農家を1万戸作る。これでやってける農家はやっていくけれども、それ以外は淘汰していく、こういう提言をしています。これは、かって「担い手新法」で300万戸農家を40万戸、あるいは14万経営体にする言われていましたけれど、それ以上に1万戸の農家で、もちろん農地法は改悪して企業が参入できるようにするという提言をしていますけれども、これはもっともっとひどい、悪辣な農業つぶしそのもの。おそらくそういう方向に新しい農政改革の方向が行くんじゃないか。

 そういう攻撃に対して、先ほどの戦前の農民の闘い、当時の地主、警察権力や裁判所、あるいは右翼とか暴力団を使って対決してきたけれど、本当に実力闘争として闘われた闘いが全国各地にいっぱいありました。号令一つで、夜中に300人、500人が集まって、立ち入り禁止の所に自分たちで田植えをやったり稲刈りやったりとか、凄まじい闘いをやっていました。市東さんの闘いは、新たなそういう今度の農政改革、農民つぶしとの凄まじい闘いとの闘いであるし、まして、今年、市東さんの闘いをはじめ三里塚がほんとに正念場を迎えている。われわれ農民の決起という点でも、夜陰に乗じて100人、200人あつまるような、そういう闘いを是非とも作っていきたいなと考えています。

 よろしくお願いいたします。

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2009年2月 6日 (金)

北原さんの千葉市民への訴え(2月3日集会で)

0923

 中央公園で集会を開くことは、めったにありません。今日は寒い中、みなさんご苦労様です。

 千葉市民のみなさん。今日、私たちが訴えることは、国の理不尽な攻撃に対して44年間闘い続けております。とりわけ今日、地裁で闘われる市東さんの公判は、一昨年、権力の暴力によって農地の収奪を認める決定があった。いったい日本の国の将来はどこへ向かっているでしょうか。一人一人が、これを訴える時に必ずやむにやまれぬ気持ちになるでしょう。44年と言うと確かに長い。だが、なぜここまで私たちは闘ってきたのか。それは、国の行政の在り方がい0923_3 かに間違っているか、これを明らかにするために。

 若い人たち、今生まれた子供たちもいます。この将来を見た時に、自分たち が何ができるか。私は最近こういうことを考えっています。まず自分が動かなければ、何も世の中は変わりはしない。それが三里塚の闘いの44年であったと思います。今日、大変お騒がせしますけれども、私たちにはやむにやまれぬ気持ちがある。そういう風に今日の闘争集会、それとデモ行進を行って、表現せざるを得ない立場であります。どうか、千葉市民のみなさん。この私たちの集会を見て、いろいろ見る方があるでしょう。だけど日本の将来を考えるのは、ここに集まった人たちではないかと自負しております。

 今日一日、これから集会を開きデモ行進を行います。千葉市民の皆さんに、まだ三里塚の反対同盟というのはあるんだぞと、これは決して自分自身の精神的になされているばかりではありません。未来を作るために、私たちはこうしてやっているのです。どうか、よろしくお願いいたします。今日一日、がんばりましょう。

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2009年2月 5日 (木)

2月3日 農地死守裁判 市東さんの陳述

0923

 この裁判は、千葉県の不当な決定に基づく不当な提訴です。まったく認めることができません。

 私の身に起きたことは賃貸借の「解約」というものではなく、農地の取り上げです。その目的は空港建設。空港のための「土地収用」です。農地と農民の権利を守るはずの農地法を使った、あからさまな農地強奪です。こんなことが許されて良いはずがないのです。

 しかも明け渡しを迫る畑の位置が間違っています。「南台41-9」の土地について、1984年当時、地主の藤崎政吉さんは、私の家の借地ではなく石橋政次さんの借地としていました。別の裁判で、空港会社はこのことを認めています。ところが「それは藤崎の間違いだった」と言い訳し、今回、提訴におよんだのです。不誠実としか言いようがありません。

 私は、このような不当な提訴は、ただちに却下するよう求めます。

●農地法による農地取り上げは不当

 空港会社が明け渡しを求める畑は、南台と天神峰の畑です。このうち天神峰 には、離れや作業場、ハウスなどの建物があり、これらの撤去も求めています。みんな、私の生活にとって大切なものばかりです。

 借りた土地である以上、地主との信義に反することは許されません。私の祖父は、当時、原野だった土地をひらき、農地に作り上げ、以後約90年間、大切に守り続けてきました。地代もきちんと払い続けてきました。信義を破らず、これからも誠実にこの畑で農業を続けたいと望んでいます。

 農地法は第1条に「耕す者に権利あり」をかかげています。

 この農地法のおおもとを勝手にねじ曲げてはなりません。千葉県知事が空港会社のお先棒をかついではなりません。まして、農家の代表であるはずの農業0923_5 委員会や農業会議が、農地取り上げを手助けするなど言語道断です。

 土地収用法は、公共事業のために個人の権利を取り上げる法律です。それ自体不当ですが、では、いま成田でこの収用法を使わないのはなぜか? 空港建設があまりに強権的で不当なために、事業認定が失効したからです。

 では、土地収用法で取ることができなかった農地を、農地と農民の権利を守る農地法で取り上げることができるのか。できることではありません。農地法のおおもとを、ふみ破ることだからです。

 そもそも、空港会社は私に対して、明け渡しを要求する資格があるのでしょうか。いったいどれほどの違法を、空港会社は重ねたことか。

 無断で売買したこと、それを隠し続けたこと、地代をだまし取ったこと、転用目的で買い上げながら転用せず、農地を農地として所有し続け、それを貸し出したこと。これらについて農業委員会に手続きもしていません。農地法違反だらけじゃないですか。これこそ信義を破ることではないですか。

 これらの悪事を隠すために、空港会社は、売買年月をいつわって農業委員会に申請しました。決定が下りてから、「間違っていた」などと訂正しました。まったくメチャクチャとしか言いようがありません。その空港会社が農地法をたてに明け渡せと迫ることなど、許されることではないのです。

●親子代々90年耕作のこの土地こそが私の畑

 空港会社は空港建設のために、知事に対して解約の許可を申請しました。千葉県は「農地を農地以外のものにするのが相当」として許可しましたが、空港用地とすることが「相当」だとする判断は、正しいのか。断じて違います。

 暫定滑走路の誘導路は、南台の畑を避けてつくったため「へ」の字に曲がっています。天神峰の畑は空港用地にかかっています。だから、畑を取り上げて誘導路を直線にすることが相当だというのです。

 じつに身勝手な話です。完成の見通しの立たない平行滑走路を、欠陥をかか えたまま、無理に作ったのは空港公団です。畑や現闘本部の建物や共有地があるのに、「運用にはまったく問題がない」と言いはって強行したのです。

 それを今になって、「非効率だ」と言って、取り上げようとすることは本末転倒です。地域の住民を苦しめる欠陥空港など、農地にもどすことこそ「相当」です。

 あげくに、県の役人は「1億8千万円の離作補償は、農業収入の150年分にあたる」から十分だろうと言う。農業を守るべき役人が、カネさえ出せばいいという姿勢に、たまらなく腹がたちます。

 私は、代々守ってきたこの畑で野菜を作り続けることに生きがいを感じます。農地は単なる土地ではないのです。長い年月をかけて、有機の土、完全無農薬の畑につくりあげてきたのです。祖父が切り開いた時から親子3代にわたって精魂込めた、この土地こそ私の畑です。そして農地と農業を大切にする考え33_3 方が、いま、大事だと思います。

 私が畑を守る理由はこればかりではありません。国と空港会社が、力ずくで取り上げようとしていることが問題です。政府は「強制的手段を放棄する」と約束し、空港会社の社長は「謝罪」文を書いて頭をさげました。だが、40年間、農家を虫けらのように扱った空港建設は、今もまったく変わりません。法律も民主主義もない。あるのは強権とカネの力です。このやり方は絶対に受け入れることができません。

 だからここに住むし、この畑を耕すのです。私の畑は「この農地」でなくてはならないのです。

●守られるべき、働く者の権利

 農業会議を傍聴して驚きましたが、千葉県では、月に300件の農地が農地以外のものに変えられています。まともな審査もしないこの無責任が、耕作地放棄や休耕地を生み出しています。

 これを進めているのが、農業切り捨ての政策です。いま、大半の農家は農業で食べていけません。トヨタやキャノンの輸出と引きかえに、農産物をどんどん輸入しているからです。

 食糧自給率40%、農薬混入の輸入食材、汚染米や食品偽装、世界的な穀物不足などが、大きな問題となっています。そのうち本当に食えなくなるという不安など、おかまいなしに、農水省は農地の「利用権」と「所有権」の分離を言い0923_7 だしました。もうけを追い求める企業に、農業と農地を引き渡せと迫っています。これは「耕す者に権利あり」の否定です。農家を無くすということです。

 農地法で農地を取り上げるという私の農地の問題は、農業つぶしそのものだ と言えると思います。このことからも、私の裁判を大切だと考えています。

 裁判所による強制執行に対して、品川のホテルの従業員が身体を張って闘う姿が大きく報道され、共感を感じました。人は働くことに生きがいを感じます。労働者の職場、農民にとっての農地――これが守られないで、どうして社会が成 り立ちますか。農地は私たちの命なのです。

 行政による一片の決定がなんですか。誠実に働こうとするものが正しい、と私は思う。私は正々堂々と、自分の農地を守ります。千葉県知事の無責任で不当な決定や、まったく卑劣な空港会社の農地取り上げに対して、一歩も引かず闘います。

 最後に――

 私は、露地栽培を基本とする、有機・無農薬の産直農家です。毎日、休む暇のない仕事を続けています。空港会社の不当な提訴は、生活に大きく影響します。とりわけ火曜日は産直の出荷日でもあり、本当はとても出廷できる状態ではありません。

 南台と天神峰の2つの裁判と、行政訴訟の併合を強く要請して、意見陳述とします。

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2009年2月 4日 (水)

農地死守裁判 第1回口頭弁論 (2月3日)

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 2月3日、千葉地裁でNAAが耕作権解除を求めた市東孝雄さんの農地の明け渡しを求めた「農地死守裁判」の第1回の口頭弁論が開かれました。上写真は、裁判に先立って千葉市内での集会、デモをやりぬき傍聴闘争に結集した150人。千葉地裁を取り囲む怒りを、不当にも遠巻きして弾圧の意図を隠そうともしない権力、機動隊にたたきつけました。

 法廷では、市東孝雄さんから冒頭にこの不当な提訴への弾劾が「私の身に起09232 きたことは賃貸借の『解約』というものではなく、農地の取り上げです。その目的は空港建設。空港のための『土地収用』です。農地と農民の権利を守るはずの農地法を使った、あからさまな農地強奪です。こんなことが許されて良いはずがないのです」と始められました(後日、全文掲載します)。

 そして弁護団から、堂本知事による「耕作権解除申請許可決定」自体が違法であり、現在行政訴訟で争われている。その違法な決定を根拠として行われた提訴は裁判の体をなさない。直ちに訴えそれ自体を却下すべきであることが弁論として行われました。そして、弁護団から、「そもそも賃貸契約の解除と言うが、いったい何時、どういう形で空港会社(原告)と市東さんの間で契約が行われたのか示してほしい」と、極めて当然の釈明が求められたのに対し、原告側代理人は答えられません。(後の「報告会」で、「借金取り立ての裁判で借金額を示せないまま裁判を起こしたようなものだ」とその破たんがわかりやすく説明されました。)許せないことは、このやり取りの時に「答えろ」と怒りの声を上げた萩原富夫さんに対して、堀内裁判長は寸刻をおこず退廷を命じたのです。ここに、堀内裁判長のこの裁判に対する反動的な正体が露わになっています。法廷内外を取り巻く傍聴団から怒り0923_4 の声が上がり騒然とする中で、法廷は「行政訴訟と併合して進めるべき」とする弁護団の要求を根拠に、次回期日を決めないまま閉廷されました。

  圧倒的な勝利感の下に開かれた裁判後の「記者会見」「報告会」では、反対同盟と弁護団はもとより、傍聴した各団体の代表者からの鮮明な挨拶が続きました(後日、できるだけ詳しく、当ブログでも掲載したいと思います)。

 この日、千葉中央公園で早朝の9時より集会が、北原鉱治反対同盟事務局長による千葉市民への呼びかけによってはじめられました。市東孝雄さんの挨拶と支援党派の発言があって、すぐデモに出発し、150名のデモが、道行く市民に訴えました。

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2009年2月 1日 (日)

やんばるの森にヘリパッドはいらない

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 沖縄本島北部の豊かな森に囲まれた「やんばる」(山原)は、ここだけにしかいないヤンバルクイナ、ノグチゲラなどの珍しい生きものが数多く生息しています。その中に小さな部落、高江(人口約150人)があります。辺野古から車で北へさらに1時間あまり行ったところです。その周辺にすでに15か所のヘリパッドがあります。右写真は国頭村との境の近くでとったやんばるの森ですが、「ブロッコリーの森」と呼ばれています。

 ヘリパッドとは、ヘリコプター離着陸帯で、森を切り開き直径75メートルの円形09129_3 で、軍用ヘリの離着陸訓練が行われます。その存在と訓練は、すでにやんばるの森を破壊し高江の住民の生活を爆音と墜落の恐怖で脅かしています。

 ところが日米両政府は「SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意」(1996年)に基づいて、使われていない北部訓練場の北側半分(4千ヘクタール)を返還することを理由に、高江の部落を取り囲むように、最も近いところでは民家の400メートルという近さに6か所のヘリパッドを新たの建設すると発表しました(2006年)。

 しかも、この新しいヘリパッドは、辺野古新基地に配備が予定されているV-22オスプレイ(左写真 Wikipediaより転載)の訓練場と見られています。オスプレイは2005年イラクに実戦配備された垂直離陸が可能な巨大なヘリコプターです。Photo オスプレイは、アメリカでは「未亡人製造機」と呼ばれる危険なもので、2000年時点で製造された15機のうち3機が墜落したという安全性が疑われているものなのです。

 高江の住民の皆さんは06年2月に「ヘリパッド反対」の決議を行い、07年7月工事着工の暴挙に抗議して24時間体制の座り込みにはいりました(最初の写真が、座り込みが続けられているN1ゲート前のテントです)。高江の村には、若い人たちも住み、2割が中学生以下の子供たちで、小さな子どもたちも座り込みに加わっています。パパイアの生産が、農業では中心になっています。Hゲートの近くでは、伺った29日も、パパイアの収穫をしている農家の方を見かけました(右写真)。

 ところが沖縄防衛局は、この住民の生活を犠牲にした座り込みの抗議を「通行妨害」として14名を訴え、テント小屋の撤去を求める仮処分申請を行ったの09129_4 です。最初は8歳の少女まで訴え、大きな批判に慌ててひっこめています。その 第1回審尋が、1月27日、那覇地裁で開かれました。地裁前に辺野古から駆けつけると、すでに まよなかしんやさんの演奏で盛り上がっています。続々と集まった人々は200人。仮処分の撤回を求める緊急集会では、安次嶺共同代表は「私たち住民は何一つまちがったことをしていない。堂々と胸を張って審尋に臨みます」と挨拶されました。緊急に全国から集められた署名はわずか1ヵ月で2万5千筆にのぼり、この日裁判所に開廷前に届けられました。

 沖縄防衛局による仮処分の訴えは、国による生活破壊、人権侵害に対する住民の正当な抗議権の行使を「犯罪」とするもので、到底許せません。高江の問題にとどまるものではありません。しかも、法廷で明らかにされたのですが、「妨害行為の対象者とされた14人の中に、当時はすでに県外に転居していたり、パインを差し入れただけの住民らが含まれている」(沖縄タイムスより)ずさんなもので、指摘され差し09127_2 替えてきたものがまた写真と名前が違うという体たらく。申請に妨害行為の具体的特定がないことを裁判所が指摘せざるを得ず、この日に決定が出るかもしれないと言われた仮処分申請でありながら次回公判が3月23日、次々回が5月11日と、通常の裁判と変わらないテンポで裁判が進められることが、この日勝ち取られたのです。

 高江と並んで金武町ブルービーチでも、オスプレイの使用を想定したヘリパッド建設が目論まれており、辺野古新基地と伊江島飛行場と連動してやんばる全体が米軍の、とりわけオスプレイの戦闘訓練の場となり、その爆音と風害、そして墜落の恐怖は想像を絶するものとなる恐れがあります。こんなことを住民に押し付ける米軍再編、そしてSACO合意を絶対に許してはなりません。09129_5

 沖縄の差別と分断の歴史に加え、こうした沖縄における米軍再編の名の下に進められる事態を、私たちがどうするのかが問われているのではないでしょうか。

 厳しい寒さの関西から、突然沖縄を訪れ、その暖かさに驚きました。右の写真は高江で咲いていた桜です。

 

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