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2009年1月 2日 (金)

共闘と結集の砦 三里塚

71916  左の写真は言わずと知れた駒井野鉄塔(福島菊次郎写真集より)。71年9・16、この日の激闘を私は知らない。その4日前に、関西新空港の神戸沖案に反対して「東灘区住民の会」を結成したところだった。この日、私と友人のMさんは、住民の会の結成集会に来ていただこうと大阪空港航空機騒音公害訴訟団原告の豊中の高さんを訪ねていた。駒井野鉄塔が人々を載せたまま引き倒されるテレビの映像を見ながら、高さんが、「私たちのように犠牲者になってからでは遅い。また、(映像を見ながら)こうなる前に闘いを勝たないとダメだ」と言われたのを印象深く覚えている。ついでに書くと、私が初めて三里塚を訪れたのは、その翌年、72年の春だった。

 この闘いを振り返って、萩原進さんは、自著「農地収奪を阻む」でこう書いておられる(同書 65ページ)。

「駒井野の鉄塔は破壊されたが、決死的な抵抗の姿がテレビでラジオで全国の人々の耳目を引きつけた。そして、数々のテロ・リンチを繰り返し、わが物顔で三里塚の地をじゅうりんしてきた憎き機動隊の一大隊が壊滅したのだ。しかも膨大な人々がこの闘いに拍手喝采を送った。これが決定的だった。これは革命だ。既成の法律や秩序がひっくり返った瞬間だ。農民が実力で権力に抵抗する081005 ことが正義であると国民が承認したのだから。自民党政権はそれ以後今日まで代執行を強行することができていない」と。

 昨年の10・5全国集会の基調報告の中で、萩原進さん(右写真)は「三里塚の闘いというのは、いわゆる人民の共闘と結集の砦であるという風に自負したい」と述べて、迫りくる決戦への一大統一戦線の構築を呼びかけられた。この確信の基盤に、この駒井野の闘い、1971年の闘いへの想いがあることを強く感じた。

 さあ、2009年をそういう闘いを実現する歴史的な年としよう。米軍再編、改憲攻撃の節目と言われる2010年を前に、必ず実現しよう!

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コメント

先輩が「70年頃は首都圏の集会などで、色々な党派が同じ集会で論戦を競ったものだ。今それができるのは三里塚だけになった」と言ってました。階級闘争が磨かれるのも三里塚だけですね。

投稿: ぶう | 2009年1月 2日 (金) 19時25分

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