大木よねばあさんの闘い
三里塚の43年を振り返る時、どうしても語られねばならないのが、71年9月20日の大木よねばあさんへの襲撃、よねさんの闘いだろう(最初の3枚の写真はいずれも、三留理男さんの写真集「三里塚-成田闘争の記録」より)。
萩原さんの「農地収奪を阻む」に詳しく書かかれているので引用します。
「9月20日、友納知事はこの日予定していた大木よねさん宅の代執行はしないと発表した。今日はないからというので・・・みんな引き揚げ、おれは家で脱穀 をしていた。ところが、それはわれわれを欺くためのウソだったのだ。だまし討ちだ。・・・・(略)・・・・一軒の家を取るのに、手続き上の話とか、机上のことで片づけられることではない。取香部落何百年の歴史の上に、何十年の生活がそこにある。一軒だということで、見せしめにやったという要素が強い。その民家の収用を初めてやったのだ。死人が出てもやるというのが彼らの方針だった。実際そういう扱いを大木よねに対してした。脱穀をしているよねさんに襲いかかり、歯を折ったり、盾に乗せて放り投げたりした。それはおよそ一軒の主に対する態度ではない。 普通だったら、土地を提供していただく、家屋をいただく、という話なのだ。それをまったく逆に白昼公然と強奪したのだ。要するに、今後反対してもこうなるんだよという、同盟に対する見せしめ以外の何ものでもない。国家の一農民に対する関係をこれほどあからさまに示すものはない。」(「農地収奪を阻む」65~66ページ)
よねさんの戦闘宣言
せんとうせんげん
皆様、今度はおらが地所と家がかかるので、おらは一生懸命頑張ります。 公団や政府のいぬが来たら、 おらは墓場とともにブルドーザーの下になってでも、クソ袋とみのさんが残していった刀で闘います。 この前、北富士の人たちはたった二〇人でたいまつとガソリンぶっかけて闘ったから、ここで頑張れねえってことはない。 ここで頑張らにゃ、飛行機が飛んでしまうだから。 おら、七つのときに子守に出されて、何やるって無我夢中だった。面白いこと、朗らかに暮らしたってのはなかったね。だから闘争がいちばん楽しかったた。 もう、おらの身はおらの身のようであって、おらの身でねえだから、おら、反対同盟さ、身預けてあるだから、六年間も、同盟や支援の人たちと、反対闘争やってきたのだから、誰が何と言っても、こぎつけるまで頑張ります。 皆さんも、一緒に最後まで、闘いぬきましょう。
9・20の闘いを前にして、よねさんは、8月31日に以上のような宣言を発していたのです。
萩原さんの「農地収奪を阻む」によれば、このよねさんの闘いを引き継ごうと、よね宅の地下壕に入って闘おうとするのに、9・16戦闘直後でもあり「弾圧を拡大するだけだ」と同盟の一部幹部が血相を変えて反対したという。萩原さんた ちは、その制動を振り切って、機動隊によるブルドーザーによる殺人攻撃をもものともせず地下壕戦を闘い抜き、逮捕された。
この闘いを、萩原さんは同書の中で簡潔ですが、「あの闘いは、9・16 への反動の前にたじろぐのか、のりこえて前進するのかという問題をはらんでおり、それは後の『3・8分裂』にもつながる問題でもあった」と述べておられる。非常に示唆に富んだ総括ではないか。
右の写真は、東峰部落の墓地に大木よねさんが眠る墓です。この墓の奥の木々の向こうはもう空港の駐機場で、空港用地の中にあり、死してなお空港を阻んでいるのです。
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コメント
萩原さんの本で大木よねさんの闘いを知りました。
戦闘宣言に七つの時から子守りに出され、とあるように貧しい生活がうかがえます。
しかしよねさんは闘いで仲間を得て楽しいと言っておられたそうです。
昨年10月の現調で案内していただいた東峰部落の共同墓地で教えてもらったよねさんの墓は墓標が無く、写真では分かりにくいですが3mくらいに見上げる高さに薮椿がこんもりと茂り、南天が色を添えていました。
何も持たずに生まれ何も持たずに死んで行った、仲間と団結以外は。そういう素敵な方だったんだな、と、知りました。
投稿: I子 | 2009年1月 3日 (土) 12時11分
よねさんの“おらの身はおらのおらのものであっておらのものでない”というとこ、すごいです。
萩原さんの“(よねさん宅の騙しうちに)怒り心頭”“目の前に迫る弾圧とマスコミの非難の中で同盟の中に重苦しい空気が流れていたのも事実”“9・16の衝撃の前に立ち止まらず、さらに前に進むことが必要だった”と、大木よねさん宅の地下壕戦を闘い、それが“反動の前にたじろぐのか、のりこえて前進するのか・・・・・後の「三・八分裂」にもつながる問題”というところは、萩原さんの勝利の確信の現れと読みました。そこまで自分は確信持ててるか!
投稿: ぶう | 2009年1月 4日 (日) 03時16分
よねさんの戦いを引き継ぎ戦っているのが、市東さんであり
私達農民でなければならない。
農地強奪は形を変えて今も無法を繰り返しています。
投稿: 鈴木加代子 | 2009年1月 8日 (木) 20時27分