沖縄へ 26日~29日
1月26日から29日まで、「3・15米軍再編と闘う」集会の準備を兼ねて、3人で沖縄を訪れました。辺野古や高江で座り込んでおられるみなさんをはじめ、知花さんや安次富さん、平良さんご夫婦など多くの皆さんに支えていただいて、本当に貴重な経験ができました。
訪れた26日には、早速知花さんに座喜味城跡とチビチリガマを案内していただきました。座喜味城のやさしいたたずまいに、思わず異国「琉球の国」を感じ ました(上写真、立っておられるのが知花さん。写真の米軍基地を撤去させ取り戻した読谷村を眺めながら説明いただいた。)
チビチリガマ(右写真は、入口)についても後日詳しくご報告できればと思いますが、知花さんは奥まで入って説明をしていただいた(左写真)上で、「チビチリガマから世界へ平和の祈りを」と書かれた碑の前で、一人ひとりのお名前を差しながら詳しい説明をしてくださいました。生後3か月から12歳までの子どもが半数の40数名おられる、この人たちの死が「自決」だろうかと。そして残った大人たちも生きながらえるためにこのガマに潜んだのだと。その人たちが 「自決」し、自分の子供たちを殺していかねばならなかった皇民化教育と日本軍を通して作り上げられた観念によって生み出された「集団自決」は、あくまで括弧「」をつけざるを得ないと絞るような声で話されたのが忘れられません。
29日、高江に行って那覇空港に戻るのに少し時間があり、辺野古にもう一度寄ることができました。テントでの座り込みにお出でになっていた平良悦美さんとしばらく話すことが出来たのですが、その中で彼女は「自分から皇民化への道を選びアイデンティティを失った修(つれあい)が、戦後つれあった50年の間、どれほど苦しみもがいて、自分の失ったアイデンティティを取り戻そうとしてきたか」と語られ、「私たち日本人は、まずこの130年の歴史を謝罪しなければなりません」と想いをこめて語ってくださった。
27日の午前中は、辺野古に向かい、テントで座り込みながら来ておられる方 たちのお話しを伺いました。そして、昼から高江の「ヘリパッド移設建設」に反対して座り込んでいる住民を「通行妨害」としてその禁止とテントの撤去を求めた沖縄防衛局の仮処分申請に対する第1回の審尋が那覇地裁で開かれるというので、直行しました。200人あまりが結集し、怒りの声があげられました。住民が抗議行動することは基本的な権利です。余りにも横暴な防衛局の主張と、審尋の中で早くも明らかにされたデタラメ、ずさんきわまる内容に、思わず三里塚の市東さんへのNAAの主張を連想せざるをえませんでした。この現場で、神戸空港の住民投票の時などにいく度も来て下さっていた建築家の真喜志さんに、10年ぶりくらいにお会いできて感激。
28日は、二人は帰って、独りで辺野古に赴き、一日、テントに座り込んで静かな海を眺めて本を読みながら、集まられた皆さんの会話に耳を傾けていました。憲法9条と天皇条項の問題が、沖縄の「加害性」に関連して話されていたり、沖縄での状況の中で「従軍慰安婦」の問題が話されたり、聞いているだけでも楽しかった一日でした。
29日は、ヘリパッドに反対している高江の座り込みの現場へ。辺野古からさ らに1時間余り車を走らせます。出るとき読谷では晴れていたのですが、高江では朝5時からすでに土砂降りの雨だったとか。第4ゲートのテントをまず訪ね、それから第1ゲートのテントで佐久間さんの話しを伺いました。5年前に大阪から辺野古にきて、そのまま座り込みを続け、昨年から高江で座り込みを続けておられるのです。沖縄で一番自然が豊かでいろいろな希少生物が発見されている「ブロッコリーの森」をその近くから見て、さらにH地区に。パパイアの畑が散在する現場を見て、辺野古に立ち寄り、那覇空港へ向けて帰路につきました。疲れはしましたが、本当に実りの多い訪問でした。ありがとうございました。
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