「有機農業運動と〈提携〉のネットワーク」を読んで
「有機農業運動と〈提携〉のネットワーク」(桝潟俊子著 新曜社発行 08年3月 4800円)が目にとまり、目次を読んで興味がわいたものの、あまりの高価さに逡巡。「途中で投げ出すかな」と思いながら買ってしまった。読み終えて一種の感銘を覚えた。
山形県高畠町の「有機研」の生産者に触れて「消費者、なかでもリーダーたちは、都市の『卓越』した文化・経済を背景にして、目に見える形の変化を性急に求めてくる。しかし、農村といえどもますます深く商品経済の中に組み込まれて生産と生活が成り立っているところに、『共存共貧』や『小農自給』といった先鋭的な運動の論理を持ち込むことは、イエやむらにおける経済的・文化的な亀裂を深めることになる。それは『有機研』の生産者にとっては、イエやむらに背を向けることであり、奥深い相克をともなうのである」と。筆者が、出会った農民や消費者に懐深く入り込んで長年かかって蓄積したものをまとめておられることと、有機農業に立ち向かっていった人々のこの数十年の営みに深い想いを持って接しておられることが読んでいてしみこむように理解できた。それは、本の大半を割いて島根県奥出雲の木次乳業、愛媛県明浜町の無茶々園、宮崎県綾町の町長を先頭にした有機農業への取り組み、この三つの関わった人々の生き方、人生観まで踏み込んだ紹介の記述に現れており、本当に楽しく読めた。筆者が、認証制度にみられる問題点を指摘しつつ06年の「有機農業推進法」制定に希望を見出しながら、WTO体制下での今後を展望しようとしていることに限界を感じはする。そのことは、同じ年、「担い手新法」が同「推進法」に先駆けて制定され、さらにほぼ時を同じくして「農政改革高木委員会」の「最終報告」が出されたこととの関連を位置づけできていないことに現れる。
それでも、筆者が「グローバル化と農業の『産業化』の進展にともない、農業・食料システムは世界市場システム(『資本主義市場経済』)に組み込まれつつある。そうした状況の下で、有機農業運動は、生命の源である食べ物まで限りなく商品化する歯止めのない『資本主義市場経済』に真っ向から対抗する論理として、『地産地消』『地域自給・自立』という運動理念(価値)を強く打ち出している」と総括していることに展望を期待したい。
日本帝国主義が、農地の流動化を軸に農業解体を打ち出しながらも、「有機農業推進法」として農民運動として力を持ちだしたこの部分を分断し自らの側に取り込もうと図ったことを見落としてはならない。しかし、それでも、いったんは、07年の参議院選挙における「農民反乱」によって、その攻撃に一撃が撃ち込まれた。しかし、金融恐慌におびえる麻生政権は、ついに農地法に手を出すことを改めて宣言し、農民解体、農業破壊の道を選択した。この展望がどれほどあるかに関わりなく、この道しか日本帝国主義に道がないことを示したのが「農政改革高木委員会最終報告」であり、「アジアゲートウェイ構想」なのだ。
FTA反対を真に闘い取り、これを解体、打倒し、真の意味でのアジアの民衆との共同の闘い、共生を勝ち取るには、分断されたこうした有機農業運動の長年にわたる苦闘に込められた農民階層の営為にとことん学びながら、新たな農民解放、農の確立を視野に入れた労農同盟、農民の決起を支援する労働者階級の取り組みという課題を解決しなければならない。まさにこうした課題として、すでに三里塚反対同盟の43年の闘いによって、萩原進さんの著作「農地収奪を阻む」に象徴されるように農民の側から鋭く提起されている。そうした道筋が明らかにされるならば、こうした筆者のような努力も報われる日が来ると確信する。少なくとも「農民階層の階級移行」などという平板な、薄っぺらな論理のごまかしでは、農民階層の獲得という点でとうていこの筆者の足許にも及ばないであろう。
明日は、東京高裁で、「暫定滑走路認可取り消し訴訟」の控訴審弁論が開かれ、市東孝雄さんの「暫定滑走路開業による生活・営農破壊」をめぐる証言と、京都大学准教授・松井俊仁さんからの騒音問題に関わる証言が行われます。行ける人は駆け付けましょう。午後2時から、東京高裁です。
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コメント
父方の田舎は貧農で、家の前の少しの田んぼと山の上の猫の額のような田んぼがいくつかあるだけでした。父方の祖母に育てられた私は1粒のご飯粒も無駄にしないように躾られました。途中で帰ってきた母はお茶碗にご飯粒をいっぱい残すので、祖母から躾られたお米の大切さを話すと、「うるさいな。米粒1つがナンボする言うねん!」と逆に怒られる始末。この母の金銭勘定で思考する姿は、帝国主義の価値観なのだろうなと思います。またスターリン主義の“集団農場=農業の工場化”の間違いにも通じていると思っています。
ちょっと話がずれましたが。
投稿: ぶう | 2008年12月16日 (火) 19時22分