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2008年12月31日 (水)

米軍再編と闘い抜こう

Photo_2  この一年、沖縄・辺野古で、岩国で、横須賀で、全国で、米軍再編とそれに対応して戦争にのめりこむ日本帝国主義に対する闘いが取り組まれてきました。 (写真は、9月25日横須賀に入港する核空母ジョージワシントン。朝日新聞ホームページより)

 2月11日の沖縄での米軍兵士による少女暴行事件。そして日を置かずして起こった、アメリカでの迎撃ミサイルSM3発射の日米合同演習から帰ってきた「イージス艦あたご」によって引き起こされた漁船沈没と漁師親子の虐殺。原子力空母ジョージワシントンの横須賀母港化。直後の沖縄へのジョージワシントンをはじめ原子力潜水艦の沖縄への繰り返しの寄港。そして田母神問題だ。

 11月24日、芦屋で開かれた「今に問う、憲法改悪と戦争体制 ― 11・24 九条改憲阻止の集い」で、講演された纐纈厚山口大教授は、「今、戦争の足音どころか、戦争の座布団の上に座らされている」と表現されたが正にそういう事態だ。私たちは、あの「あたご」と防衛省・政府の対応に覚えた激しい憤り、そして田母神の開き直りへの激し怒りを決してそのままにしてはならない。新しい年、2009年こそ、こうした米軍再編とそれに対応した日本帝国主義の戦争へののめりこみ、FTAを水路としたアジア侵略を断じて許してはなら08219 ない(右写真は、漁船沈没直後の現場でのイージス艦あたご。毎日新聞より)。

 2009年10月、暫定滑走路北延伸の共用開始とは、2010年の米軍再編という政治的タイムテーブルに規定されてのことなのだ。成田空港は、米軍再編の中でも非常に重要な位置をしめ、その拡張と整備が急がれているのだ。

 昨年(2007年)冒頭に新聞各紙で公表された日米共同作戦計画5055において、朝鮮半島有事の折に、アメリカ本土からの50万の米軍と装備、食糧などが一気に成田空港に降り立ち、日本全国の空港・港湾に分散していくことが明らかになった。そして、その成田空港防衛のために、米軍再編の柱の一つである迎撃ミサイルPACⅢが、習志野航空自衛隊基地に昨年末、反対と抗議の声を無視して配備が強行された。市東さんの農地を奪い、東峰部落を抹殺して暫定滑走路を3500メートル化し、24時間使用する攻撃とは、こうした米軍再編に対応したものなのだ。米軍再編に対応して戦争にのめりこもうとする日本帝国主義が、それゆえに成田の「ハブ空港化」に固執し、成田・羽田の一体運用にこだわるのだ。

 言いかえれば、「畑を作ることが実力闘争です」という市東さんの農地を守る闘いは、この米軍再編に撃ち込まれた楔なのだ。市東さんの農地を守る闘いを、そして三里塚闘争を勝利させる広大な統一戦線の構築を、2009年何としてももぎり取り実現し、こうした米軍再編を、それに対応し戦争にのめりこもうとする日本帝国主義もろとも粉砕する闘いを実現しよう。

 関西では饗庭野自衛隊基地へのPACⅢPhoto_3 の2009年配備が画策されている(左写真がPACⅢ。防衛省ホームページより)。そして、関西空港・神戸空港そして大阪湾(阪神港)を一体化して米軍再編、作戦計画5055に対応しようとしている。その関西空港が、来年度、需要の低下で予算がつかないはずが二期島の沈下対策工事の予算化が急きょ行われた。どれほど沈下しているかの公表ができない、国土交通省までが「知らない」とぼやくそぶりを見せざるを得ないほど事態は深刻なのだ。神戸空港も神戸市の財政破綻に拍車をかける赤字化、破産が明らかになった。2009年、三里塚闘争の中から、関西における米軍再編攻撃に対する闘いを早急に作り出して行こう。

 3・29三里塚現地での全国闘争の大爆発を何としても私たちは2009年劈頭の闘いとして実現しなければなりません。私たち関西実行委員会は、その実現に向け、3月15日、関西三里塚集会を開催し、三里塚・沖縄・岩国を結ぶ米軍再編反対の闘いとして実現することを決定し準備を始めました。みなさん。3・15関西集会から、3・29全国闘争へ共に攻めのぼりましょう!2009年を勝利の年としよう!

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2008年12月30日 (火)

FTA反対を掲げて闘い抜こう

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 関西実行委員会は、08年、4度延べ14日にわたる三里塚での援農・現地調査に取り組み、その一つの成果として10月からの産直の取り組みを開始しました。その中で、「農業」ということを様々考えることができました。そして三里塚闘争そのものについて。

 市東孝雄さんはこう言われます。「これ以降、畑をつくることが実力闘争です。Y4_2 そして、この先、もし私の畑に空港会社が手をかけてくるなら、私は実力阻止の闘いをしたいと思っています。この闘いは、全国の農民と労働者、反戦闘争や住民運動を闘うすべての人にとってもたいへん意味のある闘いなのだと強く思っています」と(10・5全国闘争での発言より)。

 また萩原進さんは、こう「農地収奪を阻む」の中で訴えておられます。「日本には、農民のための農政はない」「高度成長の中で今日の事態を農民に対して狙ってやってきて、今、農業の自動崩壊を狙っている」「これまでは、農地の上に作る作物に対していちゃもんをつけた。今度はその下の土地にまでいちゃもんをつける。・・・・その最たる問題として市東さんの農地取り上げ問題がある。・・・・耕作できないような状況をつくってPhoto おいて、その耕作放棄を口実にする。農家が悪いという姿を作ろうとしている。そのためには農地法を改正する。農地優遇税制の廃止とかをやろうとしている。誰が農地を守り通してきたのか、誰が農地を守っていくのかをはっきりさせていかないといけない」と。

 きわめて当たり前のことであるように思えるかもしれませんが、三里塚闘争の第一の柱として「日本農民の名において収用を拒む」と掲げられた(左写真 農民放送塔 福島菊次郎写真集より)ように、日本の農政、日本帝国主義に対する農地、農業を守り、農民を解放する闘いとしての位置をこの43年の過程で確立してきたということではないでしょうか。このことの重要さを見過ごすと、三里塚闘争の内実を見失うことにさえなります。「労農同盟論」の核心中の核心なのです。だから、萩原さんは、繰り返し「市東さんの問題が起こって気がついた」とも言われるのです。「農地収奪を阻む」で戸村一作委員長を懐古してその言葉を引用しながら萩原さんは次のように言っておられます。「『きのうまで農業で食えた農民が、今日は食えなくなる。日本全土の農民を奔流のように押し流す【近代化農政】の前には三里塚の農民といえども【一本の葦にすぎない】存在だ』と。さすが戸村さんだと思うけど、今から30年前に農業・農民切り捨て問題を見通していた。農民闘争としての三里塚がそれに対してどう答えるのかと」と。そして「言いたいことは、農業の本来的なあり方にのっとった農業の本来的なあり方の回復ということだ。これが実は、人間本来の利益にあっている」と。そして「これが労農コンミューンの一要素に発展する内容すら持っているんじゃないかと考えている。だから、戸村さんの問題提起へのおれなりの回答だ」と。

 ほとんど言うべきことがこれらの萩原さんの想いで語られていますが、もう少し具体的に言ってみます。食料自給率40%の現状に対し、日本農政(農水省)はF 建前上「45%を目標に」と掲げはします。しかし、FTAに活路を求めようとする日本帝国主義総体は、今や「自給率などどうでもいい」と農業を生贄にして東アジア共同体というかたちでの新自由主義的政策の展開として「アジア・ゲートウェイ構想」のもとで突っ走ろうとしています。三里塚闘争は、農民の生き方をも含めてこれに真正面から楔を打ち込み、突破しようとしています。「家族農業」「産直」「無農薬有機栽培」といった言葉にあふれる「あるべき農業の姿」への闘いの中からの追及は、それ自体が農民解放への道筋を提起し、「食糧主権」「地産地消」「地域再生」などと苦闘する人々の取り組みをも包含する地平を獲得しつつあるのです。市東さんが「畑を作ることが実力闘争です」と言われるのは、正にこの点においてなのです。

 そしてそうした取り組みは、当然にも、FTAに活路を求めようとする日本帝国主義による韓国、中国、インドネシア、フィリッピンなどの各アジア諸国への侵略と収奪、そして戦争政策に対して、文字通りの国際連帯をかけたこうした諸国における農民解放、農業再生をかけた農民、労働者との共闘を生み出す過程へと確実に発展していくだろうし、発展していかなければならないのです。それが「FTA反対」に込められた三里塚闘争のイメージなのです。萩原さんが「近いうちに韓国に行きたい」と言っておられるのを聞き、感銘を覚えています。そういう闘いなのです。

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2008年12月28日 (日)

第32回 三里塚団結野菜市

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 昨日、12月27日、明石教会で第32回団結野菜市が開かれ、盛況のうちに今年最後の三里塚の取り組みが行われました。081227_2

 上の写真は、午前8時過ぎに始められた集会です。雪で名神が一部通行止めになり心配された野菜も無事に予定通りに降ろされ、各地区、団体への仕分けの準備も整った教会の庭での集会です。集会では、永井満関実代表、山本善偉世話人の挨拶の後、萩原進反対同盟事務局次長からのメッセージ(後に掲載)が紹介された後、事務局から段取りの説明が行われて、スタートしました。永井さんは「毎年言っているのだが、この野菜市が続けられているということは三里塚反対同盟の闘いが勝利しているということの証しだ」と語られた。

 各団体の分担で、野菜それぞれの仕分け作業が開始された。081227_3 住民団体などは、恒例になった落花生の仕分け。永井さん、山本さんが先頭に立っての作業が進められた。081227_4 右の写真は、豊中の皆さんの人参の仕分けの様子。教会の庭には、どんどん野菜が注文に従って、分けられていく。1時間余りでほとんどの作業が終わった。手慣れてきて、早い早い。

 多くの皆さんは、清算が終わり次第、どんどん車に積み込みそれぞれの地元に向かう。東灘区住民の会だけが、その場で配達順に箱詰めを行い、081227_5 11時にはすべてが終了。少し残っていた野菜も近所の皆さんが買い求められて完売。朝の寒さも小春日和の温かい天気に変わり、風もなく本当に楽でした。

メッセージ

 第32回の団結野菜市にお集まりのみなさん。ご苦労様です。毎年、この年末に三里塚支援のために開催し続けてこられたこの野菜市も今年で32回目と聞きます。それだけ長い期間にわたって、関西の労農学の仲間と三里塚の連帯がつづいてきたことを示すものと感謝申し上げます。また今年からは特に、関西の仲間にも産直野菜の会員になっていただき御礼の言葉もございません。今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、2008年、政府・国土交通省、空港会社の「開港30周年キャンペーン」を始めとする反対同盟破壊攻撃を完全に打ち破りました。彼らの「キャンペーン」を逆手にとって、暫定滑走路の欠陥性とぶざまさを全社会に知らしめること081227_6 ができたと考えています。

 関西の皆様の力も借りて3月、10月の全国集会では、1500人前後の人びとに結集していただき、三里塚が新たに飛躍する拠点を築けたと思います。

 市東孝雄さんの農地を守るための裁判、天神峰現闘本部を守るための裁判など多くの裁判闘争でも、空港会社、県、千葉地裁を圧倒する闘いを実現できたと考えております。一言でいって、43年間の抵抗闘争の力をはっきりと敵権力に示せた年だったのではないでしょうか。

 来る2009年ですが、08年以上にきびしい決戦の年となります。2009年10月完成とされる北延伸工事がいっそう露骨に強行されます。成田新高速鉄道081227_7 などの付帯工事も激しさを増して来ます。それに伴うキャンペーンなどが展開されるでしょう。

 さる11月17日には、生活道路を破壊するトンネルを開通させ、営農破壊に出てきました。深夜、早朝の飛行時間も延長が強行されました。アジアのハブ空港から転落し、羽田の拡張計画に戦々恐々とする地元自治体、経済団体、利権団体の連中は、暫定滑走路の3500メートル化、年間飛行回数の1.5倍化(30万回)、そして空港運用の24時間化を求めて、地域反動を組織してくるでしょう。

 来年はこれらの重層的な攻撃との激しい攻防の年になります。何年後かには081005 直面する市東さんへの農地強奪攻撃を跳ね返す実力闘争陣形を作る闘いも2009年の課題です。しかし、44年目に突入する三里塚闘争の力があれば、08年以上の勝利をかちとることは必ずできると確信しています。何よりも金融大恐慌に始まる未曾有の経済危機に対し、労働者・農民の根底的な怒りの決起が始まっています。韓国、アメリカ、ヨーロッパはじめ世界的な闘いのうねりが始まっています。三里塚は彼らと結びつき、漁民など第一次産業の勤労者とも連帯し、2009年を勝利の年にする決意です。よろしくお願いいたします。

2008年12月27日                                    三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長・萩原進

 (写真は08年10月5日の全国闘争での萩原進さん)

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2008年12月18日 (木)

暫定滑走路認可取り消し控訴審裁判を傍聴(12月17日)

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 昨日、12月17日、東京高裁で暫定滑走路認可取り消し控訴審の公判が開かれました(写真は、公判後の報告会で。中央が証言された市東孝雄さん)。

 前回、9月10日の公判で証人調べを一人も行わないまま審理を打ち切ろうとした裁判長に対して、弁護団、反対同盟は猛然と反撃し、この日の証人調べが勝ち取られた。

 京都大学大学院工学研究科の環境衛生学講座准教授の松井利仁さんが証081217_4 言に立たれた。松井さんは、日本だけでなくイギリスをはじめ各地の航空機騒音の実態の調査を手掛けられてきた。05年~06年には成田市の依頼で「成田空港周辺での騒音による生活妨害、健康被害」の1万人アンケート調査の鑑定、意見書を出されたりの具体的な疫学調査をしてこられている。

 証言の中で、航空機騒音の健康被害が、これまで、「感覚影響」「生理的影響」から考えられてきた経緯を述べられた上で、最近になってWHOでも、そうではなく「健康影響」が重大であると注目をはじめ、基準を考え始めていることを指摘された。聞きながら、1970年代の大阪空港騒音訴訟の中で、厳しい騒音被害を切々と訴える周辺住民(原告)に対して、運輸省の秋山飛行場部長(当時)が、証言台で「私は航空機の騒音が好きだ」と言い放って、騒音被害は「個人的な感覚の差」とした被告国側の主張を支持したことに、傍聴していて激しい怒りを覚えたことを思い出した。これは、長年航空機公害に関わってきた私にも、新鮮な主張です。

 そして心理的影響よりも、具体的に睡眠障害から心臓機能の弱い人などへの具体的な影響が、疫学調査で明らかになってきたことが示された。発育の阻害、幼児の育ち方、子供たちの記憶力、そして心筋梗塞などが、現在のWHO案でも、55dB(デシベル)以上で影響が確認されているとした。夜間では平均で50dBを超えると障害が。

 さらに裁判を前に、市東さん宅と島村さん宅で三日間にわたって調査した結果を述べられた。家の中で、6時半から9時ころまで、市東さん宅で80dB、島村さん宅で95dB、60dBの状態が、23000秒(6時間)以上あることなどを証言された。そして、EUですでに夜間55dBで頻繁に健康障害がおこることを環境基準とする動きがあり、早晩WHOの基準となるだろう。日本の基準がそれに準ずる事を望むと証言を結ばれた。

 続いて市東孝雄さんが証言に立って、離発着機の爆音、排気ガス。ジェットブラスト(待機中の排気ガス)。着陸機のブレーキをかけた時のゴムの焼けた臭いが排気ガスのにおいに混じって家の中に入ってくる。離発着のときは会話や電話ができない。誘導路を自走している時の騒音の方が不快感がある、などの具体的な公害の状況を訴えられた。その上で、堂本千葉県知事が視察して「こんなところは人間が住む所じゃない」と語ったことや、NAAの黒野社長の謝罪文を指摘した上で、この裁判の第一審に対して、人が病気になったり死ななければ被害を認めないなどという主張は断じて許せないと弾劾した。そして、現在進められようとしている2500メートル化、ジャンボの飛行、そして30万回、24時間化の攻撃が航空需要が伸びない中で強行されようとしていること、そして飛行時間が午前6時から午後11時に来春4月から延長されることなど、追い出そうとすることが目的としか考えられないと証言した。081217_5

 親が残した土地だ。完全無農薬農業は移れと言われても、できるものじゃない。今の場所でできる限りやっていきたい。土地収用法で取れないものを耕作者を守る農地法で取るなど絶対許せない。絶対に守る。最後は、流血を辞さず闘い抜くと、決意をこめた証言が繰り広げられた。最後に、39%の自給率しかない現状で、食の安全が社会的な問題となっている。その中で農地を奪い、農業を破壊して公共の目的など成り立つのかと裁判長に訴えて証言を終わられた。

 暫定滑走路は、今日の証言で明らかにされた住民への殺人的な犠牲の強制をはじめ、滑走路に50メートルに迫る東峰部落の開拓道路、東峰神社、そして「ヘ」の字誘導路など国際航空協定の安全基準を最初から無視して違法状態のまま開港を強行した。それ自体が、東峰部落をはじめとした住民追い出し、部落の消滅を前提としていることは明らかである。こんな横暴な国家権力による国策の強行などどうして許せようか。このことが改めて確認された裁判闘争でした。松井さんの2時間近い証言と市東さんの鮮明な、勝利感あふれる証言で、この日の法廷を圧倒しきった。

 次回公判は、3月16日(月)午後3時から、最終弁論の予定。

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2008年12月16日 (火)

「有機農業運動と〈提携〉のネットワーク」を読んで

Photo  「有機農業運動と〈提携〉のネットワーク」(桝潟俊子著 新曜社発行 08年3月 4800円)が目にとまり、目次を読んで興味がわいたものの、あまりの高価さに逡巡。「途中で投げ出すかな」と思いながら買ってしまった。読み終えて一種の感銘を覚えた。

 山形県高畠町の「有機研」の生産者に触れて「消費者、なかでもリーダーたちは、都市の『卓越』した文化・経済を背景にして、目に見える形の変化を性急に求めてくる。しかし、農村といえどもますます深く商品経済の中に組み込まれて生産と生活が成り立っているところに、『共存共貧』や『小農自給』といった先鋭的な運動の論理を持ち込むことは、イエやむらにおける経済的・文化的な亀裂を深めることになる。それは『有機研』の生産者にとっては、イエやむらに背を向けることであり、奥深い相克をともなうのである」と。筆者が、出会った農民や消費者に懐深く入り込んで長年かかって蓄積したものをまとめておられることと、有機農業に立ち向かっていった人々のこの数十年の営みに深い想いを持って接しておられることが読んでいてしみこむように理解できた。それは、本の大半を割いて島根県奥出雲の木次乳業、愛媛県明浜町の無茶々園、宮崎県綾町の町長を先頭にした有機農業への取り組み、この三つの関わった人々の生き方、人生観まで踏み込んだ紹介の記述に現れており、本当に楽しく読めた。筆者が、認証制度にみられる問題点を指摘しつつ06年の「有機農業推進法」制定に希望を見出しながら、WTO体制下での今後を展望しようとしていることに限界を感じはする。そのことは、同じ年、「担い手新法」が同「推進法」に先駆けて制定され、さらにほぼ時を同じくして「農政改革高木委員会」の「最終報告」が出されたこととの関連を位置づけできていないことに現れる。

 それでも、筆者が「グローバル化と農業の『産業化』の進展にともない、農業・食料システムは世界市場システム(『資本主義市場経済』)に組み込まれつつある。そうした状況の下で、有機農業運動は、生命の源である食べ物まで限りなく商品化する歯止めのない『資本主義市場経済』に真っ向から対抗する論理として、『地産地消』『地域自給・自立』という運動理念(価値)を強く打ち出している」と総括していることに展望を期待したい。

 日本帝国主義が、農地の流動化を軸に農業解体を打ち出しながらも、「有機農業推進法」として農民運動として力を持ちだしたこの部分を分断し自らの側に取り込もうと図ったことを見落としてはならない。しかし、それでも、いったんは、07年の参議院選挙における「農民反乱」によって、その攻撃に一撃が撃ち込まれた。しかし、金融恐慌におびえる麻生政権は、ついに農地法に手を出すことを改めて宣言し、農民解体、農業破壊の道を選択した。この展望がどれほどあるかに関わりなく、この道しか日本帝国主義に道がないことを示したのが「農政改革高木委員会最終報告」であり、「アジアゲートウェイ構想」なのだ。

 FTA反対を真に闘い取り、これを解体、打倒し、真の意味でのアジアの民衆との共同の闘い、共生を勝ち取るには、分断されたこうした有機農業運動の長年にわたる苦闘に込められた農民階層の営為にとことん学びながら、新たな農民解放、農の確立を視野に入れた労農同盟、農民の決起を支援する労働者階級の取り組みという課題を解決しなければならない。まさにこうした課題として、すでに三里塚反対同盟の43年の闘いによって、萩原進さんの著作「農地収奪を阻む」に象徴されるように農民の側から鋭く提起されている。そうした道筋が明らかにされるならば、こうした筆者のような努力も報われる日が来ると確信する。少なくとも「農民階層の階級移行」などという平板な、薄っぺらな論理のごまかしでは、農民階層の獲得という点でとうていこの筆者の足許にも及ばないであろう。

 明日は、東京高裁で、「暫定滑走路認可取り消し訴訟」の控訴審弁論が開かれ、市東孝雄さんの「暫定滑走路開業による生活・営農破壊」をめぐる証言と、京都大学准教授・松井俊仁さんからの騒音問題に関わる証言が行われます。行ける人は駆け付けましょう。午後2時から、東京高裁です。

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2008年12月12日 (金)

市川・心を開く会に参加して(12月11日)

Photo  昨日、「市川・心を開く会」に招かれて、神崎郡の市川町役場で開かれた同会の12月例会で、話しをさせていただいた。

 今月のテーマは「成田空港問題って何?」。参加されたのは10人。三里塚の43年を語っていたら、とても時間がありませんので、土地収用法の失効(1993年)にはじまった市東さんへの農地法による農地取り上げ攻撃を中心に、暫定滑走路の開拓道路問題、上空40メートル問題なども写真をまじえながら説明しました。

 左の写真は市東さんのお宅の故東市さんと祖父の市太郎さん(左上)の写真と孝雄さん。この親子3代での開墾に始まる農業の経緯と、「1億8千万円を蹴って、1本100円の大根を消費者に届けたい」という市東さんの想い。

 そして、「農政改革」の名のもとに進む農業破壊の攻撃などについて話しをさせていただいた。なんとなく気になって、「農業をやっておられる方がおられますか」と聞くと、なんと無農薬有機農業を取り組まれ、産直運動を進めておられて、兵庫県のリーダー的役割を果たしておられるUさんがおられて、びっくりするやら、恥ずかしいやら。時間のない中でお聞きしたところ、共通の知人もありまたまたびっくりするやら、うれしいやら。萩原さんの「農地収奪を阻む」の表紙の清水の畑の写真をご覧になって「すごくいい土だ」と感心しておられたのはさすが。さっそく本を購入していただきました。

 1時間あまりの話しの後、質疑をいくつかさせていただいたものの、9時半の電車に乗らないと神戸に帰れないよと注意され、想いを残しながら後にしました。「市川・心を開く会」のみなさん。話しをさせていただく機会を設けていただいてありがとうございました。

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2008年12月 9日 (火)

12・8耕作権裁判 第9回公判傍聴報告

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 昨日、12月8日、市東さんの農地の「耕作権裁判」の第9回公判が開かれ、関西から2人が傍聴に参加した。

 たくさんの傍聴団(報告会で、座る席がないくらい)が詰めかける中、裁判がPhoto 開かれた。地主の藤崎が空港公団(当時)に売り渡すために作った地積測量図(84年2月作成)などによって、この間問題となっている41-9番地(右図D)が、石橋政次(元同盟副委員長)が小作として耕作していたことを地主・藤崎が認識していたことを空港会社側が認めた。そして1972年以降の耕作状況については、空港会社、市東さん双方で認識が一致していることが明らかになった。ただ、1950年当時の耕作状況として、41-9番地(右図D)を市東東市さん(孝雄さんのお父さん)が契約し、耕していた(図のCは耕していなかった)と空港会社側が固執している点が、相違点として争点化されている。

 裁判後行われた記者会見と報告会の冒頭、挨拶に立った市東孝雄さんは、以下のように述べられた(反対する会ブログより転載)。081208_2  

 「皆さん、ご苦労さまです。まだ12月は終わってないですが、今年は裁判はじめ、いろんな取り組みに、皆様の力が、本当に力になりました。それとともに、いろいろと自分の生き方を再認識させてもらう一年だったと思います。この裁判もいよいよ佳境に入ってきたかなと。押し気味になってきたんで、面白くなってきたかなあと思います。ですから、弁護士の先生方にも、もっと頑張ってもらって、一緒に闘いたいと思います。よろしくお願いします。」

 この日、次回公判が2月16日に決まったことで、1月20日の行政訴訟公判、2月3日の第2の耕作権裁判第1回公判と合わせ、わずか一ヶ月足らずのうちに3回もの公判を闘わなければならない。これがどれほどの負担になるかは、想像に難くない。しかも、この12月17日には、東京高裁で開かれる「暫定滑走路認可取り消し控訴審」で、暫定滑走路の理不尽な生活破壊の現状などについて30分にわたって立証されることになっている。正に獅子奮迅の闘いだ。先の言葉にもあるように勝利感あふれて闘っておられる市東さんの闘いを、私たちは、文字通り全力で支え抜き、勝利しなければなりま081208_4 せん。裁判が関西から遠いなどというのは、理由にはなりません。頑張りましょう。

 報告会の後、「反対する会」が主催する第4回の勉強会が「農地裁判の現段階と争点」と題して、一瀬弁護士(左下写真)を講師に、同盟の萩原進さんや鈴木謙太郎さんをはじめ30人近い参加のもと開かれました。

 3つの裁判が出そろったところで、その関係と争点を整理しようというもので、3時間にわたる熱心な討議が繰り広げられました。詳しくは、「反対する会」のブログなどに掲載されると思いますので、省略させていただきます。その上で、先述しているように、「41-9番地081208_5 」を空港会社側がこだわっているために、「畑の位置の誤認」という問題として争点化し、解約請求権の時効の問題とあいまって農業委員会の決定や知事決定の無効に行きつく可能性があることが指摘された。「安易に、1988年の市東東市さんの『同意書』に飛びついたとのだとは思うが、もうひとつ何か狙いがあるのかどうか、判然としない」と一瀬弁護士は指摘した上で、裁判としてはやはり「農地法違反」と「憲法違反」が争点の柱だと指摘された。

 

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2008年12月 4日 (木)

農地流動化、農地法解体の企みを許すな!

081020_2  写真は、萩原さんの自宅前の畑で農作業する富雄さん(右手前)と支援(08/10/20 援農での一コマ)。

 今朝の朝日新聞は、農水省が、昨日3日に「農地の借用を原則自由化し、企業の直接参入を促すことなどを柱にした農地制度改革の方針を発表した」と報じた。これは、昨年の参議院選挙での「農民の反乱」によって吹っ飛んでいた「農地法解体」に麻生政権が手を着けるということだ。「農地法」は、言うまでもなく、農民の反乱、戦後革命への農民の合流を恐れたGHQによって行われた「農地解放」を確定させたものとして制定された。農民の闘いによってもぎり取られた、「教育基本法」などとともに戦後民主主義を形成した柱のような法律だ。それを解体しようというのだ。

 すでに、11月5日の朝日新聞で「農地1800ヘクタールずさん転用」と報じられているよ08124 うに(11月5日当ブログ既報http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-6a70.html)、農地法を無視して農地の違法転用や、違法な無断転用を数年後に「既成事実」として農業委員会が転用を認めるなどということが行われてきている。こうした現実を追認するだけにとどまらず、「自作農主義」を否定し、「農地の所有と利用の分離を目指す」「大規模農家を育成することを目指す」としている。

 2006年、「強い農業の育成」「大規模農家の育成」を目指すとした農政改革方針のもと制定された「担い手新法」は、小規模家族農業への助成を打ち切り、農民解体を進めるとともに、大規模農家、農業経営体が、大規模農業のための巨額の投資に比べ農産物価格の下落が見合わず、破綻するという事態を、法律制定の翌年2007年に引き起こし、その法律の破産が無残にも露呈した。

 「企業の直接参入」とは、こうして解体された農民を農業労働者として囲い込み、資本力にものを言わせて大規模農業を行おうとするもので、農業破壊、農民解体の典型でしかない。農産物の商品化と巨大な単作農業で、価格の競争力をつけることを目的としたもので、広大な土地を抱えるアメリカやオ-ストラリアの手法をまねようとするものだが、農地の狭隘な日本でできるものではないばかりか、そのアメリカやオーストラリアで農地の疲弊化による破たんが既に明らかになっている。

 しかも、日本帝国主義は、FTA、EPAによって、日本農業をグローバリズムの農業支配に委ね、差しだし、解体しようとしている。企業の参入による大規模農業の破たんの先には、銀行資本などによる抵当、担保となった農地の流動化、新たな土地資産の創出が企まれているのは確実だ。

 まさに、新自由主義、グローバリズムによる戦後民主主義解体の一環として、「農地法」解体が、新たな「もうけ口」として目論まれているのだ。

 こうした事態に対決して、三里塚反対同盟の萩原進さんは「農作物は商品ではない」と産直運動の原点として提起しておられる。また、市東孝雄さんへの「農地取り上げ」の攻撃こそ、こうした農地、農業に対する日本帝国主義のありようの最も先端的事態と見なければならない。それが、農地収奪に反対する三里塚闘争が「日本農民の名において」今、立ち上がっている根拠であり、三里塚闘争が、「結集と共闘の砦」として全ての人民、とりわけ労働者階級に「労農同盟」の形成を呼び掛けている根拠でもある。

 私たちは、三里塚反対同盟とともに、この農地の流動化、農地法の解体に反対し、「FTA反対」を掲げて闘い抜こう!

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