産直運動に想う
写真は、昨日とどいた、この10月19日の三里塚、清水の畑(萩原さんの畑)での「いもほり大会」の様子です。
先日、11月22日の当ブログに「なすび」さんから、以下のコメントが寄せられました。 「このブログに料理のレシピが登場するとは意外ですが、成り行きを考えると納得です。で、私も簡単手抜きのイモご飯の作り方を」と。レシピ自体に関心のある方は、http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8438.html を直接ご覧ください。「ぶう」さんからも。とりあえず「産直」を話題にしていただきだしたことを喜んでいます。
「産直」は、とりあえずは、三里塚反対同盟の営農を支える支援運動であり 、消費者運動です。しかし、今の局面で、しかも、「地産地消」のあり方を無視して無謀にも始めた私たちの取り組みの底を流れる「想い」を理解していただきたいと思っています。まだ、「想い」としか言いようのない頼りない、形が取れない程度のものですが。
当然のことですが、三里塚闘争に大変な分岐と破壊攻撃をもたらした80年代初頭の論議に回帰するつもりもなければ、「農本主義」を語るつもりもありません。
萩原さんと、市東さん、鈴木さんが鼎談で、「産直運動」と三里塚闘争の関わり、そして労農同盟の意味するところを、大きな提起をこめ語っておられます(萩原進著『農地強奪を阻む』第2部『崖っぷちの食と農』)。ぜひ、お読みください。今、人に貸して手元にないので正確には書きにくいのですが、無農薬・有機栽培と家族農業に、農業本来のあり方があるし、将来もそういう農業のありかたを構築していくべきだと提起しておられます。そして、全国の農民の決起を呼びかけておられます。
本来、アジアの農業を中心に、農業は自給を前提とした家族農業でした。資本主義社会の中で、農産物の「商品化」が、「単作」農業を生み出し、今日の日本の「農政改革」で言う所の「集約化」が叫ばれます。1960年代からのアメリカの「アグリビジネス」による世界的な農業支配、競争と争闘戦がその流れの中軸として生まれました。それは新自由主義、グローバリズムの中で、アジア、アフリカでの根底的な農業破壊と、農民の極度の貧困化、流民化を生み出し、「飢餓救済」の名のもとに進められたこの農業支配こそが、減るどころか増え続ける、10億ともいわれる飢餓人口を生み出した重要な一因であることも明らかです。本来農業国であったはずの日本の自給率が先進国の中で唯一39%などという事態にあるのも、この争闘戦のなせる技でしかありません。
日本帝 国主義のFTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)に活路を求めようとする現在の動きは、うまくいっていないとはいえ、こうした流れの上に立った新たな侵略と略奪の政治であることはあきらかです。日本農業を差し出す、農地収奪と農業破壊の攻撃が、アジアの農民、民衆、アジアの経済と政治を破壊し収奪と略奪を図ろうとするものとしてかけられているのです。
ですから、「FTA反対」は、労働者の、労働者階級の超一級の課題だと反対同盟は訴え続けておられるのです。口先だけの「労農連帯」ではなく、農業の行く末を見据えた日本農民の決起を呼び掛け、支える労働者の取り組みが求められているのです。農協や行政にしたい放題に絞り取られ、「生産性」を口実に追い詰められている農民の皆さんの前途の厳しさを、現実の厳しさを「農民の問題」として客観化するのではなく、労働者階級の問題として考えることです。
農業本来の家族農業が、共産主義社会の中でどういうものに変わっていくのかは当然にもわかりませんが、少なくともスターリン主義下での「強制労働」を基礎とした「集団農場」ではないでしょう。萩原さんが「作物は商品ではない」と提起されていることに大きな鍵があるように思います。「農」と「食」の問題を、消費者でもある労働者の問題として考える一つの契機として、「産直運動」を、レシピーをも考えるそういうスタンスの中から考えてみる、ここに大事なものがあるのではないでしょうか。
先ずは、三里塚・産直の会から、産直野菜をとってみましょう。お問い合わせは、関西実行委員会事務局へ。
(2枚目の写真は、「産直野菜の出荷」、3枚目は「萩原進さん・ネギの収穫」で、いずれもこの10月20日、21日の援農の折のものです。)
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