三里塚援農報告(10月22日) 現地調査
写真は、三里塚教会の庭に展示されている故戸村一作委員長制作の作品
22日、お世話になった三芝物産をあとに、同盟からいただいた野菜の数々を満載にして最後のプログラム・現地調査に出発した。
先ずは横堀の小屋にある鉄塔に登る。いつものことだが、初めての人は空港の敷地のど真中(横風用滑走路予定のど真中)にこうした建物が残っていることと、そこから 見える成田空港の破綻した姿に驚かされる。右写真は、鉄塔の上から第2ターミナル方向を眺めたものだが、周りの整理が進み、この8月にきた時とも景色が変わっている。まさに「一見は百聞にしかず」を来るたびに感じさせられる。三里塚反対同盟が43年間、非妥協・不屈に闘い抜いているからこその景観だと思う。
続いて、空港南端に位置する岩山記念館。横堀の監視台のガードマンの連絡を受けたのかここへ向かう 途中から私服車の追尾がつく。毎度のことながら暇な連中だ。うっそうと茂った中に岩山記念館がある。初めての人たちに関実結成の経緯と岩山大鉄塔をめぐる闘い、だまし打ち、そして東山さん虐殺の歴史を説明する。午前中は北風のようで、着陸機が次々と頭上を轟音を響かせながら飛来する。ここに立つたびに、1977年5月8日の千代田農協での集会の光景と機動隊のガス銃の水平撃ち、そして東山さん虐殺の報への筆舌に尽くし難い怒りを、そして何よりも岩山大鉄塔を守れなかった悔しさを思い起こしてしまう。
車の所に戻ると、何と私服車が、誰もいないことをいいことに我々の車の所まで来ているではないか。思わず全力疾走(??)で突進する。私服車は必死でバックで逃げようとする。僕のカメラを見て助手席の権力は必死で隠れる。もう少しの所で脇道でUターン。猛スピードで逃げ去った。本当にいまいましい。
車を空港沿いに走らせて、北原鉱治反対同盟事務局長のお宅へ。玄関先でご挨拶をと思っていたら、北原さんからあがりなさいとのお言葉。みんなで別棟の元学習塾の教室へ。一人ひとりに自己紹介と、三里塚で援農をしてきた想いを先ず語ってもらった。
北原事務局長から一人ひとりの感想に応えるように30分余りのお話しがあった。特に病気を押して参加したI子さんへの「ここは差別されている人々や障害者のみなさんが立ち上がれる場所だ。一緒に頑張ろう」という激励にはI子さん思わず涙ぐむ。演劇に関係している若い人々には、「襤褸の旗」の映画の製作に至る経緯を説明されながら谷中村、田中正造の闘いの先駆性と、三里塚闘争にとっての負の 教訓ともいうべきものから43年の闘いが生まれた経緯などが、豊かに話された。若い人たちは、「野武士のような」(という印象だったそうです)北原さんのお話しに聞き入っていた。
北原さんのお宅(北原洋品店)の前にある三里塚教会に入り込み、亡くなられた戸村一作委員長の遺作がその庭に展示されているものを印象深くみんなで鑑賞させていただいた。右のもその作品の一つです。
それから東峰部落へ。先ずは、開拓道路。横堀の小屋に並ぶ、私ご推奨の「成田空港名所」である。なにしろ、空港会社が手を出せず暫定滑走路そのものの手前50メートルまで迫る道路だ(国際航空機約の安全基準は滑走路から幅150メートルの安全地帯の確保が求められており、完全な安全性を無視した危険な事態なのだ)。今日は、一部が背丈に近い草が生い茂り、進むのに難儀したが、現場を見なければ意味がないと、必死でみんなを案内。しばらく航空機が来ないのでイライラしていたらやっときた。ところがA滑走路では北へ向かって離陸しているのに、同じ方向のこの滑走路では、なんと南に向かって離陸するつもりか、目の前をゆっくりと誘導路を通って北へ進んでいく。だいぶたって、南へ飛び立った(左写真)。実は、A滑走路と暫定滑走路は離陸した後、同じ飛行コースを飛ぶため、交互にしか離陸できない。その煩雑さを避けるために、風の弱いときにはこうするのかな??
それから東峰神社、東峰部落の墓地、島村さん宅の上空40メートルの飛行などを現場に立って説明。そして市東孝雄さん宅に隣接する天神峰の畑の監視台に初めての人たちに上がってもらう。「ヘ」の字誘導路や天神峰現闘本部の建物などを説明。さらに車で、現闘本部の建物と南台の「ヘ」の字を強制している畑、さらには成田クリーンパークをそのまま埋め立てダイオキシンの汚染が将来、利根川流域の広い範囲で起こる危険などを説明して、現地調査を終了。
あとは一路関西へ。酒々井(しすい)のサービスエリアで、いただいた野菜を広げてみんなで分けた。すごい量や。座る席をやっと余裕を持って作れて長距離の乗車に備え、再出発。最後に我が家に帰りついたのは深夜の12時前でした。参加された皆さん。本当に御苦労さまでした。しかし、本当に楽しかった。みなさん。行かれませんか。ご案内しますよ。
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コメント
もう一週間が経とうとしているのですね。まだ昨日のことのようです。
三里塚でいただいた野菜をヘルパーさんに切ってもらう時に、三里塚の話をしています。「千葉まで行ったん?元気やん!」と言われます。全然疲れは残りませんでした。
援農日記を読んで、何度も何度も元気を取り戻しています。
投稿: I子 | 2008年10月27日 (月) 18時20分