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2008年10月13日 (月)

10・5三里塚全国闘争(5)  特別報告(1)

 特別報告(1)  田中康宏動労千葉委員長

 三里塚芝山連合空港反対同盟の仲間をはじめ全国から結集された全ての同志の皆さんに動労千葉から三里塚闘争とともに闘う連帯のあいさつを送りたいと思います。 (写真は、1981年3月のジェット燃料延長阻止闘争・動労千葉のパンフ「決戦ストライキ」より転載)

 19813_2 動労千葉は三里塚にはまだ及びませんけれども、来年3月で組合結成30周年という大きな節目を迎えています。しかし、今ここで思うことは、この30年間の闘いはいよいよこういう時代が来るその時のための助走であり準備にすぎなかったんじゃないかという風に思っています。三里塚闘争の、どうですか、いよいよその本当の力を発揮するのはこれからなんだという意欲に私は燃えています。そのためにここまで様々苦労し、あるいは様々な喜びがあり、闘って、そして屈することなく頑張ってきたんだということを感じています。

 動労千葉の本部からの独立は、みなさんも御承知の通り、最大の問題は三里塚闘争から絶縁しろという本部に対して、「冗談じゃない。そんなことは絶対に俺たちはできない」 こういうところから始まりました。当時のことを今でも思いだします。当時の集会は、三里塚の第1公園でしたけれども、本部から集会参加禁止指令がきました。動労千葉の統制処分が決定的になる集会でした。これに参加するのか、しないのか。動労千葉はすぐ隣の三里塚第2公園で独自集会を呼びかけました。地区労の仲間も協力してくれました。この独自集会をやって、このとき、全国動員をかけた・・・の部隊が第1公園に合流しました。私は、今から思い起こしてみると、やはりここで動労千葉が今こうして胸を張ってここで挨拶ができる、そういう道を歩むのか、資本や当時の動労革マル、労働運動の腐った幹部たちに膝を屈して労働組合の本部を・・・か、その大きな分かれ道が決まったんだろうと思います。それから以降、動労千葉の闘いは常に三里塚反対同盟と共にありました。それから以降の一番大きな闘いは、言うまでもなく国鉄分割民営化反対闘争でした。動労千葉がストライキで立ち向かうという方針を大会で決定し、その直後にあの国家権力、機動隊と激しい衝突になった10・20の三里塚集会があり、そしてその11月に第1波ストライキがありました。大会の方針では、ストライキに立ち上がるということを決定したと同時に、初めてですが、10・20集会に組合員の5割を動員するという方針を決定しました。組合員の5割というのは、当日乗務をしている組合員以外、全部、ほとんどすべてということです。なぜかってことです。これをめぐって現場の役員は、全力をあげて1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月のオルグに入る。こういう迫力がなければ、国鉄分割民営化に抗してストライキに立ち上がるなんてできないという風に判断したからです。そしてこれをやり抜いた606名が、三里塚反対同盟と共に肩を並べて集会に結集することができ、だから首をかけてストライキに立ち上がることができたわけです。これも、今の動労千葉があるかないか大きな分岐点だったと思います。闘いというのは、本当に困難が作られ、歴史を転化する、右か左かどう選択するのかが突きつけられたときに、きっぱりと明確な路線と原則に基づいて決断し、決断するだけじゃなくて、決断した以上は全組合員にそのことを訴え、議論をし、そして一致し、団結を強化することになります。そのことを私たちは、三里塚反対同盟の43年間にわたるこの国家権力との非妥協・不屈の闘いからも教えられ、励まされ、多くの力を与えられてきました。そして私たちの闘いも、本当に強くなり、小さな闘いですけれども三里塚闘争にいくらかの力を与えることができた。これが労農連帯だという風に考えております。それは、私たちは私たちの職場ということで、絶対に引くことなく、どんな困難にも負けず闘い抜いてきたから成り立った労農連帯です。反対同盟は反対同盟で農地を死守して、どんな攻撃にも屈服することなく闘い抜いてきたことによってできた労農連帯です。この労農連帯が、本当に今生きていると私は感じています。

 さて、動労千葉の30年前の分離独立は、今から考えてみればちょうどこの時期に現在に至る新自由主義攻撃が始まった時代でした。サッチャーが登場したのが1978年。レーガン、中曽根が登場したのが、81年、82年で、私たちの分離独立は79年です。今か081005 ら考えてみれば、これ以降、労働組合はこの攻撃の前に、ことごとくなす術もなく闘うこともできずに変質をしてきました。その現れが三里塚との絶縁であり、貨物安定宣言という形で、ストライキを公に放棄するということを大会で決定するという動労革マルの決定的な裏切りと変質だったんです。その意味では、この30年間、私たちが貫いてきたのは、労働組合が如何にあるべきなのかということでした。あるいは、今から考えてみれば、新自由主義という激しい労組破壊攻撃に労働者の団結と力が立ち向かうことができるのか否かをかけた30年間でした。そして、私たちが、小さいながら、まだほんとに一歩ですが、その解答を与えることができたという風に考えております。

 さて、こういう状況の中で、今、重大な事態が到来しています。私は、今、目の前で起きている金融大恐慌情勢、新自由主義政策なるものが完全に破たんを露わにしている情勢というのは、新自由主義政策というのは、帝国主義の最後の延命策だったという風に考えています。それが破たんした今日、もう資本主義、帝国主義は後がない。もう終わりの始まりが始まっているんだという風に考えています。このときに労働者が団結した力を歴史の前面に登場させることができるのかどうかということが、ただこの一点が問われているという風に思っています。そして、こうした情勢の中で、日本における争点であった国鉄分割民営化構想も、今重大な岐路に立っています。これは、1047名闘争をめぐる4者4団体による現在進められている政治決着策動なるものについてです。私たちは、4者4団体の政治決着運動を絶対に認めることはできません。絶対に反対します。なぜならば、あの運動は解雇撤回を引き下ろして、しかも、あろうことか今進められている・・・運動では「不当労働行為の有無を前提とするのではなく、云々」という風にまでになっています。一体、何のために22年間私たちは、1047名の解雇撤回をかけて闘ってきたのか。ここですよ。22年間の闘いの一切をどぶに投げ捨てていいのか。私はそう思います。絶対、こんなことはできない。このことだけははっきりさせなければいけない。そうでなければ、これから日本の労働者階級が進んでいく道は、出てこないというふうに考えております。彼らは「もう闘争団がもたないんだ」といいます。「1047名闘争は・・・・・なってしまう」といいます。「こういう現実だから仕方がないんだ」という風に言います。だけど、「こういう現実だから仕方がない」というこういう現実を変えていくのが労働運動ではないですか。「しかたがない」「しかたがない」「しかたがない」と言って、情勢のせいにしてどんどん後退を続けてきた結果が、1千万を超えるワーキングプアというこういう現実ではなかったんですか。これはだから、労働運動をめぐる根本的問題です。あるいは、ある人は「当事者がいいと言えばいいじゃないか」、こういう風に言います。だけど、絶対に違います。いったい1047名闘争の勝利とは、何をもって勝利と言うんでしょうか。その結果によって1047名の団結が一歩でも強化されるのか、国鉄労働運動が1ミリでも前進するのか。日本の労働者全体の闘いが、団結が1ミリでも前進するのかということです。これが道理じゃないでしょうか。

 さらに言えば、081005_3 今叫ばれていることは一番やってはいけないことです。なぜかと言えば、「現場がもたない。情勢がこうだ」。全部他人のせいにしているということです。労働運動に少しでも携わったことがある人ならばわかるとおり、そういうときに問題なのは、全部実は労働運動の幹部たち、指導部たちが腐ったということを他人のせいにしているだけです。こんなことを繰り返した結果が今日です。この20年間、いったい何が進行したのかということです。労働者の賃金、雇用、労働条件いっさいが粉々に破壊されました。もう生きていくことができない現状が覆いました。これが国鉄分割民営化が始まったことです。だけどこの攻撃は核心的なところで打ち抜くことを許さなかったということです。こういう攻撃に核心的なところで対抗する力として存在していたのが、1047名闘争だったわけです。私は、絶対にこういう風に思います。今、4者4団体が進めている運動というのは、そういうことと全く無関係に、JRに詫び状を出し、政府に詫び状をだし、解雇撤回を引き下ろし、JR本体は全不当労働行為規定を取り下げて和解し、こんなことをやっていて解雇撤回闘争に勝利するこんなことは絶対にあり得るはずがないことです。これは、これからの日本の労働運動をめぐる決定的な分岐であり、路線的な、根本的な対立だと思います。だから私たちはこれに絶対反対して、日本の労働者が、そんな柔じゃない、1047名の不屈の闘いを続けてきた仲間たちは、そんな柔な労働者じゃないということに確信を持ち切って、団結をすれば絶対に勝利ができる。そう確信して進みたいと思います。

 もう1点だけ言わせて下さい。22年間私たちが頑張ってきたのは、先ほど言ったとおり、こういう情勢が来る時のためにです。今、1047名闘争が、本当に生きることがままならない労働者階級のおかれた現実に対して、全国の労働者は、この下に団結しよう、怒りの声を1047名闘争のもとに結集しようという風に訴えるときに、どれだけの闘いが実現できるのかということです。まさに、1047名闘争は日本の労働者の、そして農民もです、可能性そのものとしてあるっていうことです。だから、ここで道を誤ってはいけない。私は、このことを、今日、参加されたすべての仲間に訴えたい。共に闘ってほしいということです。

 最後にもう1点だけ話させていただきます。私たちは、こういう状況の中で、11月2日、日比谷野外音楽堂で、全国総決起集会を呼び掛けています。私たちは、この集会で、今の日本の労働者が置かれた現実を、絶対に変えたいと思っています。なぜならば、これができるからです。現実、今、世界の動きを見てください。もう全世界では、新自由主義攻撃に対する我慢のならない怒りの声が、嵐のような・・・となり、あるいは食糧暴動というかたちをとり、デモという形を取り、燃料暴動という形をとり、もう怒りの声が全世界を埋め尽くすような事態になっているじゃないですか。後退を続けてきた労働者階級の闘いがいよいよ荒々しく怒りの声を・・て復権する時代が来てるということです。日本の労働者階級だけが違うとは私は絶対に思いません。私は、11月のこの集会で怒りの声に火を付けて、日本の労働者、農民、すべての人民の闘いの大きな転機となるようなそういう集会にしたいと考えています。何よりもこのインフラの中で、いっさいの生活も権利もすべてを奪われようとしているあらゆる怒りの声を結集して、生きさせろというゼネストをやろうという声を上げたいという風に考えています。こういう中に社会変革の根本的な要求が・・・・・と考えています。何よりも、この場で10・24集会のような民営化を容認し、すべての労働者にこの攻撃への屈服を迫るような10・24集会ではなくて、解雇撤回を真正面から掲げて新自由主義攻撃絶対反対、民営化絶対反対の総決起大会にしたいという風に考えています。しかも、この集会は、アメリカ、韓国、多くの世界の仲間たちとの国際連帯集会です。ぜひ、今日結集された多くの仲間の皆さんが、仲間を連れてこの集会に結集をお願いしたいという風に考えます。私たちは、30年間、三里塚反対同盟と連帯をして、励まされ、力を与えられ、守り抜いてきたこの力を今こそ全力をあげて爆発的に発展させる決意を、30年の節目の年に当たって決意をしています。共に闘いましょう。

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