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2008年10月29日 (水)

萩原進著「農地収奪を阻む」が出版

Imgp0346  三里塚反対同盟事務局次長萩原進さんが、三里塚闘争の新たな爆発に向けた渾身の本を書かれ、出版されました。

 「農地収奪を阻む」と題されたこの本を読み進みながら、「血沸き肉踊る」とはこのことかと思いました。萩原さん自身の43年にわたる成田空港反対=三里塚闘争の怒りと怨念がついに国家権力を捕え、追い詰めている、この一言に尽きると思います。

 「第1部 闘いは大地とともに」は、文字通り萩原進さんの43年にわたる、いや人生全てをかけた怒り、国家権力によって人生を捻じ曲げられたことへの怒りに満ちた、しかも、闘いの中でのご本人の苦闘に満ちた総括が語られています。

 例えば、83ページには親しかった石橋政次(元反対同盟副委員長)の裏切りについて、こう語っておられる。

「この時、『裏切り者許さず』という闘いの原則の深い意味を思い知った。あの石橋を弾劾に行くということは、自分自身の闘いへの態度を決めなければならないということだ。自分自身が態度を決めなければ、他人の弾劾などできない。裏切りの弾劾とは自分自身に対する確認であり、退路を自ら断つということだ。ここのところをあいまいにしたら、金や暴力、物量で圧倒的な国家権力を相手に真剣な闘いはできない。他人への批判は、そのまま自分に返ってくる。しかもこれは、一度確認すればそれで済むという問題ではない。闘いの局面、局面で自己点検し、自己変革しなかったら、他人への批判や弾劾はできない。」

 こういう想いを多くの人は感じたのではないだろうか。それを、この簡潔すぎるともいえる43年の闘いの歴史を語るなかで、それぞれの場面に挿入している。ゾッとするような想いを感じながら、「そうだったんだ」という驚きに似た思いを何度も抱きながら読ませていただいた。三里塚闘争に関わってきたつもりの人にとって、避けて通れない必読の書になっているように思う。

 「第2部 崖っぷちの食と農」。ここで、秋田の大潟村の坂本進一郎さんと匝瑳市のコメ 農家、小川浩さんとの対談と、同盟の市東孝雄さんと鈴木謙太郎さんとの対談の二つを通して、「日本農民の先頭に立つ」「労農同盟」の根本となる農業問題に迫る。「FTA反対」を掲げる萩原さんのこの2年余りの提起の核心が語られている。43年にわたる耕しながらの闘いの中での教訓と、市東さんへの農地強奪の攻撃を前にした、三里塚闘争の081019_2 今後を解明し提起した部分ともいえる。非常に明快に以下のように語る(同書208ページ)

 「農業の本来あるべき姿、というものをおれらはめざしているということだ。さっきもでたけれど、有機・無農薬は当然のこととして、農業というのは本来家族農業だ。それ以外の形態はありえない。資本の論理がのさばって、農業の大規模化が日本の農業の救世主であるかのような論議が依然として横行している。しかし、それは大潟村や北海道の農業を見れば破綻していることは明白だ。そういう国内農業の問題だけじゃなくて、アメリカにしたってオーストラリアにしたって、ああいう大規模農業という方式自体おかしい。農業の本来のあり方に反している。だから、農薬、化学肥料、遺伝子組み換えのような矛盾が噴出してくる。   それと、単作農業というのも疑問だ。麦なら麦、イモならイモという特化した農業というのかな。『50品目』じゃないけど、いろいろな作物を回転させて作っていくというのが農業本来のリズムにあっている。そして、循環型農業だ。牛、馬を昔のようにそのまま復活させるかどうかはともかくとして、有機肥料を自分のところで作り出し、それで農作物を作り、それをエサに酪農を展開する。」

 これほど明快に農業の「本来の姿」を闘いの中から提起している凄さに、本当に引き込まれた。洞爺湖サミットの中で、フィリッピンの農民がグローバリズムに反対して、農業は家族農業が本来の姿だと訴えていたのを思わず思い出した。

 そして「第3部 三里塚労農連帯の地平」で、動労千葉の中野洋顧問との対談(07年7月)を通して、三里塚反対同盟と動労千葉が作り出した「労農同盟」の地平を、今の局面で新たに発展させ、労働者階級が農業問題を自らの問題としてとらえ切り、農民階層の闘いを同盟軍とする新たな地平に向かった提起がさらに行われている。

 みなさん。ぜひ、読んでください。この書に込められた萩原さんと三里塚反対同盟の43年にわたる闘いの地平に触れることは、この日本の状況を突破する大きなカギとなることがおわかりいただけると思う。やはり、三里塚は全人民の結集と共闘の砦、「反戦の砦」であることを確信できる書です。

 この本についてのお問い合わせは、関西実行委員会 (℡ 0799-72-5242) に。 

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2008年10月28日 (火)

尼崎・もぐもぐ祭り

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 10月12日、尼崎で唯一自然林が残っていると言われている猪名川沿いの公園(地図的には豊中市に入るのですが・・・)で、「尼崎もぐもぐ祭り」(地域の「障」害者や自然保護団体、農協運動などにかかわる皆さん等が中心になり企画されたもの)が開催され、豊中で毎月三里塚の野菜市を続けている百々さんがここでも野菜販売をすると聞き及び、及ばずながらも応援に馳せ参じました。

 当日は、さつまいも、じゃがいも、新しょうが、白ねぎ、そして冬瓜(とうがん)の5種類で、それらを指定されたテントの中央に並べ、その脇に市東さんや萩原さんの農作業の写真と私が持参した「写真展パンフ」を、そして反対側には百々さんお手製の絵葉書(1枚100円)をパネルに貼り付けて展示しました。偶然、隣のテントも三田産の野菜を販売していましたが、それらはきれいに洗浄され、包装されていたものもあり(それはそれでかわいかったですが)、それに比べると赤土のついた我が野菜たちは本当に迫力満点でした。それにほぼ原価での販売なのでとにかく安い! まだ主催者の挨拶も始まっていないのに、さつまいもを筆頭に、次々と売れていきました。関西ではあまりなじみのない冬瓜(私も未経験)も順調に売れ、昼過ぎには完売となりました。「もうひとケースあっても良かったのに・・・・」と残念がったり喜んだりでした。私も冬瓜を買って帰り、家族で初めての味を体感しました。

 この種の企画は、闘争と野菜を無理に結び付けようとすると失敗することが多いと思いますが、今回はあの中山成彬元国交相の「ごね得」暴言のおかげ(?)か、「この人があのごね得呼ばわりされた本人ですよ」という説明から入ると、一応に「へぇ~この人かぁ―」と写真を食い入るように見て、私たちが「監獄のようなフェンスで取り囲まれ、24時間監視という不当な攻撃にも屈せず、1億8千万円よりも1本100円の大根を届けたいと頑張って農業を続けていて、その彼らを私たちはずっと支援しています」と、ごく自然に闘争の話に入れましたが、若干複雑な気持ちではありました。しかし、結果として、しばらく立ち止まって現地の闘いに耳を傾ける人、写真展パンフを持ち帰る人が何人もいてよかったと思いました。

 10月17日、ついに成田空港会社は市東孝雄さんの「農地明け渡し」を提訴するという許されざる暴挙に出てきましたが、反対同盟先頭に一歩も引かずにこれと立ち向かい、粉砕しようではありませんか。

 野菜販売や産直運動はそれ自体地味な闘いかもしれませんが、三里塚闘争を底辺から支える大切な闘いだと思います。これからも各地域で積極的に展開していきましょう。

                    尼崎・伊丹実行委員会  弥永修

 当日の写真はあるようですが、まだ届いていません。届き次第、ご紹介します。

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2008年10月27日 (月)

三里塚援農報告(10月22日) 現地調査

081022  写真は、三里塚教会の庭に展示されている故戸村一作委員長制作の作品

 22日、お世話になった三芝物産をあとに、同盟からいただいた野菜の数々を満載にして最後のプログラム・現地調査に出発した。

 先ずは横堀の小屋にある鉄塔に登る。いつものことだが、初めての人は空港の敷地のど真中(横風用滑走路予定のど真中)にこうした建物が残っていることと、そこから081022_2 見える成田空港の破綻した姿に驚かされる。右写真は、鉄塔の上から第2ターミナル方向を眺めたものだが、周りの整理が進み、この8月にきた時とも景色が変わっている。まさに「一見は百聞にしかず」を来るたびに感じさせられる。三里塚反対同盟が43年間、非妥協・不屈に闘い抜いているからこその景観だと思う。

 続いて、空港南端に位置する岩山記念館。横堀の監視台のガードマンの連絡を受けたのかここへ向かう081022_3 途中から私服車の追尾がつく。毎度のことながら暇な連中だ。うっそうと茂った中に岩山記念館がある。初めての人たちに関実結成の経緯と岩山大鉄塔をめぐる闘い、だまし打ち、そして東山さん虐殺の歴史を説明する。午前中は北風のようで、着陸機が次々と頭上を轟音を響かせながら飛来する。ここに立つたびに、1977年5月8日の千代田農協での集会の光景と機動隊のガス銃の水平撃ち、そして東山さん虐殺の報への筆舌に尽くし難い怒りを、そして何よりも岩山大鉄塔を守れなかった悔しさを思い起こしてしまう。

 車の所に戻ると、何と私服車が、誰もいないことをいいことに我々の車の所まで来ているではないか。思わず全力疾走(??)で突進する。私服車は必死でバックで逃げようとする。僕のカメラを見て助手席の権力は必死で隠れる。もう少しの所で脇道でUターン。猛スピードで逃げ去った。本当にいまいましい。081022_4

 車を空港沿いに走らせて、北原鉱治反対同盟事務局長のお宅へ。玄関先でご挨拶をと思っていたら、北原さんからあがりなさいとのお言葉。みんなで別棟の元学習塾の教室へ。一人ひとりに自己紹介と、三里塚で援農をしてきた想いを先ず語ってもらった。

 北原事務局長から一人ひとりの感想に応えるように30分余りのお話しがあった。特に病気を押して参加したI子さんへの「ここは差別されている人々や障害者のみなさんが立ち上がれる場所だ。一緒に頑張ろう」という激励にはI子さん思わず涙ぐむ。演劇に関係している若い人々には、「襤褸の旗」の映画の製作に至る経緯を説明されながら谷中村、田中正造の闘いの先駆性と、三里塚闘争にとっての負の081022_5 教訓ともいうべきものから43年の闘いが生まれた経緯などが、豊かに話された。若い人たちは、「野武士のような」(という印象だったそうです)北原さんのお話しに聞き入っていた。

 北原さんのお宅(北原洋品店)の前にある三里塚教会に入り込み、亡くなられた戸村一作委員長の遺作がその庭に展示されているものを印象深くみんなで鑑賞させていただいた。右のもその作品の一つです。081022_7

 それから東峰部落へ。先ずは、開拓道路。横堀の小屋に並ぶ、私ご推奨の「成田空港名所」である。なにしろ、空港会社が手を出せず暫定滑走路そのものの手前50メートルまで迫る道路だ(国際航空機約の安全基準は滑走路から幅150メートルの安全地帯の確保が求められており、完全な安全性を無視した危険な事態なのだ)。今日は、一部が背丈に近い草が生い茂り、進むのに難儀したが、現場を見なければ意味がないと、必死でみんなを案内。しばらく航空機が来ないのでイライラしていたらやっときた。ところがA滑走路では北へ向かって離陸しているのに、同じ方向のこの滑走路では、なんと南に向かって離陸するつもりか、目の前をゆっくりと誘導路を通って北へ進んでいく。だいぶたって、南へ飛び立った(左写真)。実は、A滑走路と暫定滑走路は離陸した後、同じ飛行コースを飛ぶため、交互にしか離陸できない。その煩雑さを避けるために、風の弱いときにはこうするのかな??081022_8

 それから東峰神社、東峰部落の墓地、島村さん宅の上空40メートルの飛行などを現場に立って説明。そして市東孝雄さん宅に隣接する天神峰の畑の監視台に初めての人たちに上がってもらう。「ヘ」の字誘導路や天神峰現闘本部の建物などを説明。さらに車で、現闘本部の建物と南台の「ヘ」の字を強制している畑、さらには成田クリーンパークをそのまま埋め立てダイオキシンの汚染が将来、利根川流域の広い範囲で起こる危険などを説明して、現地調査を終了。

 あとは一路関西へ。酒々井(しすい)のサービスエリアで、いただいた野菜を広げてみんなで分けた。すごい量や。座る席をやっと余裕を持って作れて長距離の乗車に備え、再出発。最後に我が家に帰りついたのは深夜の12時前でした。参加された皆さん。本当に御苦労さまでした。しかし、本当に楽しかった。みなさん。行かれませんか。ご案内しますよ。

 

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2008年10月25日 (土)

三里塚援農報告(10月21日)

081021  (写真は、この日の出荷作業の準備をしているところ)

 前日の経験から三芝物産を早く出たのですが、通勤の渋滞。仕方なく鈴木さんへ行く途中でE君とJさんに萩原さんの近くで降りてもらい、鈴木さんの所へ。D君を鈴木さんの所に降ろして、僕ら3人は市東宅へ。

 市東さんの所に着くと、現闘さんが1人、準備を始めていた。すぐに天神峰の畑(作業場の横)で、なすの収穫。なすはたぶんこれが最後だそうだ。出荷のために必要なのは25個。傷があったりしたら没。4人で取り始め、最後に50個くらいを採ったのだけれど、現闘さんが、選定してぎりぎり。もったいないな~と思うものも没。それをお土産にもらうことにした。産直と言っても、やはり「商品」。いろいろむずかしいなぁ~と思う。手元に届いたものを大事に食べないとと改めて思う。

 それから昨日行った堀内の畑に。昨日の落花生の収穫のための天日干しの作業の続081021_2 きだ。「これ全部やるの?」と聞いていたと思ったら、30分ほどしたら、流石のI子さんがリタイア。写真(右)のときには元気だったんだけれど、向こうに見える車の荷台に横になって休憩。「いや~ここまでよく頑張った」と思いながら、私たちは作業を続行。10時のおやつで、I子さんを市東さんの離れに残して、私たちはさらに落花生の作業を続行。写真の畑の落花生を終って、道の反対側にある落花生の畑に。これまでは鍬で落花生の畝を掘り起こしていたけれど、今度は畑が広いので、トラクターを入れて鋤いていく。どんどん僕らの仕事が準備される。必死で、掘り起こされた落花生の土を落とし束ねて、裏返し、天日干し。鍬で起こしていた時は気にならなかったけれど、トラクターの通路を作るために慌てて干していた落花生を移動したり。いろいろ考えなければならないのだ。あと少しすればきりがいいなと思っていたら、昼食。いささか疲れた。081021_3 車に乗ろうとしたら、なんと、なんと足が上がらない。必死で足をあげて乗り込む。ついに足に来たのだ。(あとで、萩原富夫さんに話したら大笑いされた。やはり歳ですね)。左の写真は、落花生の畑での市東さん。離れで寝ていたI子さんも、昼食には何とか参加でき、戦線復帰。

 昼食の後、市東さんと僕ら3人は、市東家のお墓参りに。この日は、1999年1月21日に亡くなられた市東東市(しとうとういち)さんの月命日なのです。昨年、お母さんも亡くなられた市東さんは、東市さんの月命日を欠かさずお参りされているのだ。団結街道から国道51号に出て右折し、しばらく行ったところにそのお墓はあった。

 三里塚に想いを寄せる人にとって市東東市さんは、あまりにも印象深い人だ。I子さんは多少は知っているが、B子さんはまったく知らない。とりあえず3人で市東さんにつづいて081021_4 線香を上げさせていただいた。右の写真が、お墓とお参りする市東さん。

 帰ってから市東さんは現闘の人たち2人と落花生の畑の一応の仕上げに。わたしたち3人は休憩。

 それから新たに加わった現闘も入れてみんなで萩原さんのとrころへ。今日の出荷作業だ。

 最初の写真にあるように、すでに萩原さんのところで援農していたE君とJさんが元気に準備作業をしていた。B子さんはすぐに入っていく。前回の経験が生きている。すぐに作業の準備が終わり、いよいよ流れ作業の出荷作業が始まる。I子さんは、流れ作業に向かないので監督よろしく椅子に座りながら、コンテナ~の片付けなどを。

 この日の出荷は、枝豆、冬瓜、大根、小松菜、ピーマン、081021_5 里芋、さつまいも、ネギ、なす。10人近くが、流れ作業で入れていく(左の写真)。冬瓜(とうがん)の大きいこと。小さいものがスーパーの店頭にあるものぐらいで、大きいのはその2倍。それが300円。めっちゃ安い。計算方法が違うからだ。コンテナを運んでいて、その冬瓜の重さを感じる。配送先によって、荷物を分けていく。クロネコで運ぶ荷物を見ながら、関西も産直を始めたらこれで来るのだなと納得。産直を11月から始めるいい勉強に。

 作業が終わって片付けたら、机を出してお茶とお菓子やコイモ、枝豆をおいしく頬張りながら、その日の整理と次の出荷準備の打ち合わせ。10月31日の荷物に関西の産直も加わることがわかる。金曜日、24日の荷物には「関西」とあり、豊中の野菜市の分が。他人ごとではないので、ついつい聞き耳を。

 さあ、終わって夕食を今日は外に食べに行こうと思ったら、JさんとE君が、081021_6 草取りを残しているのでキリがいいとこまでやりたいというので、仕方なく私たち3人は休憩。2人は夕陽を受けながら、ひっしで草取りを続ける(右の写真)。萩原進さんを交えながら私たち3人は、その頑張りを眺めながら、楽しい交流が続く(道具がないので手伝えないのです・・・)。

 終わって、鈴木さんの所にD君を迎えに。柿やニンジンの間引きしたものなどをいただいて、しばらく加代子さんから鈴木家の厳しい状況を伺う。そのことに心を引っ張られながら市東さんが待つ市東家へ。後は、市東さんの接待で、私たち6人へのもてなしに恐縮。E君の芝居の実演まで飛び出し、本当ににぎやかに援農最後の夜を楽しみました。宿舎の三芝物産に戻ってもしばらく焼酎を飲みながらの交流が続く。僕自身は風呂に入ってそのままダウン。  おやすみ。

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2008年10月24日 (金)

三里塚援農報告(10月20日)

081020  写真は、「へ」の字誘導路を強制している、市東さんの畑で、10月20日夕方のピーマンの収穫。誘導路を恐る恐る進む航空機。右手のフェンスが天神峰現闘本部(元石橋家敷地)のフェンス。フェンスとピーマンの畑の間に見える平地が、市東さんの耕作権を解除するとされた、市東さん一家が一度も耕作したことのない「41-9」の問題の土地(石橋の耕作地)。

 20日、早朝に起きてまず鈴木謙太郎さんのところへ。D君を降ろす。それから市東さんの所に向かい、B子さん、I子さんと一緒に僕が降りる。三芝物産から菱田、東峰へのこの移動に、通勤のための渋滞もあり、ほぼ1時間かかる。車は、遅れて参加するE君を迎えにカメラマンのJさんが運転して成田駅に。2人は萩原進さんのところで援農。今回は、援農を重視するということで、援農する家庭を固定し、翌日も同じ配置にする。

 市東さんの所に着くと、現闘の方々3人はもう作業の準備を始めていた。市東さんに挨拶をしてから、初めてのI子さんをつれて、畑の端にある監視台に。残念ながら航空機は来なかったのだが、滑走路に駐機する航空機のエンジンからのジェットブラストの問題、「ヘ」の字誘導路の問題などが、上がればすぐ手に取るように分かる「名所」だ。そのすぐそばには、5年ほど前に植えられた、星野文昭さんの再審・無罪を願った「星の樹」、こぶしの樹が元081020_3 気に枝を伸ばし、葉を茂らせている。

 昨夜雨が激しく降ったので、足もとが危ないからと、午前中は作業場のところで座り込んで、サトイモの剪定(右写真。左手前が市東さん)。ぬるぬるした泥まみれの塊に、ものすごい根がくっついている。その根をとりながら、塊を1個、1個のサトイモにちぎり分ける作業。親指くらいの小さいのは商品にならないコイモ。これを分ける。市東さんが作業の途中で、そのコイモを母屋に持っていく。現闘さんが、「おやつに出るよ」と教えてくれる。しかし、ぬるぬるの泥にはなじめない。軍手がぬるぬるになる。もくもくと作業。10時におやつの休憩。この10時と、昼からの3時のおやつの休憩は、どこの家でも実にきっちりと取る。鈴木さんのところで、加代子節が聞けるのがこの時間。しかも、鈴木さんのところは、畑が離れているので、いつも畑の横の自然の中。これもいいよ。

 B子さんと解放派の若い現闘さん(奈良出身)とが、関西のお笑いの人たちの話しを楽しそうにしながら作業をしているが、話題に全く付いていけない。ショボン。

 おやつに先ほどのコイモをふかしたのが出てきた。最初は、皮をむくのに手間取っていたが、頭の皮を少し剥いて、下から指先に力を入れたらするっとイモが皮から離れる。これが面白い。そしてめっちゃおいしい。翌日の萩原さんのところでの出荷作業が終わっての休憩のときにE君が、コイモを次々とほおばりながら「今年で一番うまかった」と騒いでいたが・・・・。

 サトイモの選定を続ける。I子さんが休憩を兼ねて監視台に行って、航空機の離陸の様子などをみている。帰ってきたので「腹が立つやろ」と聞くと、怖いほどの凄い表情をしながら怒りをぶちまけてきた。風が強く吹き込んでくるので、ジェットブラスト(排気ガス)の臭いが一段とひどい。昼前に、作業を終え、東峰の畑(3月の全国集会の会場)に移って、ネギの収穫。市東さんと現闘さんたちが掘ってきたネギのひげのようについている枯れた部分を取り除いてコンテナの中に並べていくのが僕ら3人の仕事。明日の出荷に必要な量を秤で測って終了。昼飯や~。ほっ。

 昼食を終え、畑のそばで寝転がってI子さんと日向ぼっこをしながら話していると、市東さんが、少し休んでいてくださいと言って、現闘さんたちと出かける。B子さんは背中に猫を乗せて日向ぼっこ?

 1時半ごろから、もう一度東峰の畑に移って、サトイモの収穫。畝にあるサトイモの塊を掘り出してもらって、僕らはそれを午前中に作業をした程度の大きさに親イモ(食べられない)からもぎり取る。最初はなかなかうまくいかない。しゃがみ込んで泥まみれになりながら奮闘。そのあとは、081020_4 収穫が終わって畑に残っている空心菜(えんさい)の茎を畑からひっこ抜いていく作業。そのままにして腐らせて肥料に使う場合もあるそうだが、どんどん畑を使っていく市東さんのところでは、捨てに行くそうだ。

 それから3時の休憩とおやつ。ほっ。

 夕方の風が肌寒くさえ思える、本当に気持のいい中を、今度は「ヘ」の字の畑に移って(最初の写真)、ピーマンの収穫。夏にもやったことがあるので、これならとI子さんを助手に始める。切り取った部分が雑で、現闘さんに直されてシュン。それから、畑を移って、最近市東さんが新たに借りた堀内の畑の落花生の畑に。

 鍬で起こした所の落花生を、僕らが引き抜き束ねてひっくり返して、根っこの部分(落花生がくっついている)を上にして日に当てるようにする。天気ならば、10日から2週間くらいかかって乾かすそうで、僕らが帰ってから雨が続いているので、どうなったのかな? 市東さんが、落花生の付きが悪く、雨で腐ったようになっているのを示しながら、やってみないとわからない農業の難しさを語られた。5時前にうす暗くなり始めた。関西より暮れるのが30分は早い。今日の仕事は終了。気にしていたI子さんを含め、全員が作業を完遂。やったぞベイビー。足腰も大丈夫。・・・・楽な仕事をさせてくれたのかな・・・・。

 現闘さんが作ってくれた夕食のうまかったこと。日頃使ったことのない体を動かしての食事。しかも、お米は市東さんの田んぼのとれとれの新米。うまいはずや。

 迎えにきたJさんとE君もむっちゃくちゃ満足そうな、やったぞという顔をしている。それから夜道を菱田の鈴木さんの所にD君を迎えに。これも楽しそう。

 三芝物産にもどって、順番に風呂に入りながらいただいた枝豆を早速ゆでて(採れたての枝まめで、味も濃く、めっちゃうまかった)、焼酎を飲みながら(飲めないJさんスミマセン)大いに交流と論議がはじけた。  先におやすみ。(作業に夢中で、写真を撮るどころではなく、写真が少なくすみません)。

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2008年10月23日 (木)

三里塚援農報告(10月19日)

081019

 10月19日から22日まで、三里塚が初めてのD君、E君をはじめ6人で、関西から三里塚に向かい、援農と現地調査を本当に楽しみました。初日の「イモ掘り大会」には、参加者の友人のF子さんが、杉並から参加。また、90年前後に数度現地闘争に参加したものの、本当の現地に、農地と農に触れたいと病気をおしてI子さんが全行程を参加。ほとんど横になって寝ているかもしれないという心配をよそに、同盟の萩原さんや市東さんの温かい心遣いにも支えられて、「イモ掘り大会」、援農、現地調査のほとんどに参加、頑張り抜けたのには周りの私たちが感激。

 深夜大阪を出発し、車をすっ飛ばして、初日の19日早朝、萩原さんのお宅にたどりついた。この日、「三里塚産直の会」主催の恒例の「イモ掘り大会」に参加するためである。何と、十数年で最大の、生産者も含めて200人の参加で、その勢いに先ず圧倒された。萩原さんたち主催者の同盟の皆さんの自信に溢れた顔が輝いて見えた。081019_3 先ずは、萩原さんの畑で説明。左の写真の右から6人目くらいで背を向けているのがマイクを持って説明している萩原富夫さん。畑の中にいるのが市東孝雄さん。後ろの方は聞こえていたんだろうか? この日、みんなで確認したら植えられていた作物が30品目もあった。「単作の方がやりやすいが、産直で、消費者のみなさんがいるから50品目も作って行けるんだ」という萩原進さんの説明に納得。右の写真は消費者の質問に答える富夫さん。081019_4

 さあ、今度は、先日10・5の集会をやったばかりの清水の畑に移動し、いよいよ「イモ掘り大会」。どろんこになりながら、イモを掘る子供たちの迫力には脱帽。大きなイモや、長いイモにあっちこっちで歓声が。どぎまぎしながら僕らも中に入れてもらって30キロあまりを掘った。(何と買わないといけないのかと、夏以来2度目の参加のB子さんが20キロ買っているのが判りびっくり。みんなで買ったことにして分けた。しかし、キロ180円の安さにもびっくり)。

 イモ掘りが一段落したところで、昼食と交流会。残念ながら雨が降り出したが、委細かまわず、鈴木加代子さんなど同盟が用意したおこわごはん、お汁、081019_5 ゴボウや冬瓜の料理に舌鼓。案内に「おにぎりを用意 」と書いてあったので、持って行っていたおにぎりを一つ食べたものの、あまりみんなが美味しいというので、僕もおこわご飯にアタック。残念。おにぎりを食べるんじゃなかった。「市東さんの農地取り上げに反対する会」の小川さんからビール。めっちゃ最高の気分に。お汁も暖かく美味しい。野菜も・・・。満腹。賑やかなので行ってみると、恒例のショベルカー遊び。乗ったところが上081019_6 へ、下へと動かされるたびに歓声。順番待ちの親子連れや子供たちが長蛇の列に。

 そこへ加代子さんの大きな声が響き渡る。ゲームだ。200人でどうするのだろう? と、様子を見ていると、まず、「野菜当て」ゲーム。半分以上の人が参加して、司会の指示を聞きながらゾロゾロ、ゾロゾロと移動。単純なゲームだけれど、この人数が参加して、果たして決まるのかと思っていると、いつの間にか私も残り、日頃じゃんけんに勝ったことのない私が勝ったではないか。トップ賞は、人参とこなすと里芋を一袋づつ。はずかしいやら・・・。もう一つのゲームとクイズの後、今度は、今日の採ったイモ081019_7 の大きさと長さの競争。写真は大きさの勝負で優勝と2番の大きさのイモを掘った子ども達。こんどは、最初に貰った整理券の番号で、もれなく参加賞。匝瑳市のコメ農家の小川さんが差しいれた草もちや棒もち、唐辛子味噌などや、わざわざ信州から送ってこられたこんにゃく、野菜のいろいろの詰め合わせに、お米、生落花生、特別の番号には自然薯の特別賞。もう大騒ぎ。最後にその番号で抽選して自然薯の景品。見ていたI子さんが「これで参加費はタダ?」と感心。

 消費者を代表して「市東さんの農地の取り上げに反対する会」の事務局の山口さんから11・16集会の案内を兼ねた挨拶。そのあと、市東孝雄さん、鈴木加代子さん、萩原富夫さん、鈴木謙太郎さん、最後に萩原進さんと生産者の立場からのあいさつ。富夫さんの全081019_8 体を通した頑張りが印象的でした。

 さあ、疲れたので帰ろうと、道に迷いながら宿舎の三芝物産に帰りついたところへ、萩原進さんと鈴木謙太郎さんから「どこにいるのだ」と電話。慌ててもう一度萩原さんの所へ。みなさんが待っていてくれたのには本当に恐縮しながら、打ち上げの交流会に参加。みなさんが、本当にうれしそうに今日の「イモ掘り大会」の大成功を口々に語られた。萩原進さんは、「10・5の勝利に引き続いて、今日の勝利は大きい」と語っておられたのが印象的でした。

 それからもう一度、三芝物産へ。すぐ風呂に入らせてもらって、前夜からほとんど寝ていないせいもあって、買ってきた酒に目もくれず、8時前には爆睡して、いびきでみなさんを驚かせた私でした。おやすみ。

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2008年10月18日 (土)

空港会社NAAの提訴 弾劾!

Photo_2 昨日、10月17日、成田空港会社NAAが、市東孝雄さんに農地を明け渡せという裁判を提訴したことを、反対同盟ブログ  http://www.sanrizuka-doumei.jp/blog/ が報じました。

 

 弾劾声明 空港会社の提訴を弾劾する!

 成田空港会社が昨日、市東孝雄さんの農地を「明け渡せ」と裁判を提訴した。私たちは、市東さんに対するこのいわれなき土地強奪の企みに対し、満腔の怒りを込め弾劾する。

 そもそも農地と耕作者を守るべく制定された農地法を用い、農地の強奪を企てるなど断じて許されない。公用の土地収用は、収用法によるしかない。それが法規だ。収用法がすでに15年も前に失効したこの地を、農地法で奪おうとすること自体が憲法に違反する大罪だ。

 しかも、耕作権解除の申請自体が土地の特定を間違え、耕作者の同意書を添付できなかった。これだけでも、農業委員会は申請の受理をするべきではなかった。受理自体が、農地法違反である。ゆえに堂本千葉県知事の耕作権解除許可決定は、それ自体が二重、三重の違法、脱法行為なのだ。それを根拠の昨年10月17日の空港会社による「2008年10月12日をもって契約を終了する」などという脅しは、まったく空虚な空叫びでしかない。すでに市東孝雄さんによって「許可決定そのものを破棄すべき」との違憲行政訴訟がそれゆえに闘われている。この度の「明け渡せ」の提訴など、いかなる意味でも、道理もなければ、法的にも許されるはずもない。空港会社は、直ちに提訴を取り下げ、市東孝雄さんに謝罪しろ。

 このあまりにも横暴な、理不尽きわまる国家権力を笠に着た提訴は、私たちの怒りの火に油を注ぐだけである。市東孝雄さんとともに、そして三里塚反対同盟の皆さんとともに、この空港会社、国家権力の度重なる暴挙に対し断固として私たちは闘い、必ずや全人民の決起をもって勝利する。

 私たち三里塚決戦勝利関西実行委員会は、全力で、三里塚反対同盟とともに、この市東さんの農地を守る闘い、農地死守の闘いに総決起することを宣言する。

2008年10月18日

                      三里塚決戦勝利関西実行委員会

                      (連絡先・淡路市岩屋599-11)

 

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10・5三里塚全国闘争(10) 決意表明・部落解放同盟全国連合会

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部落解放同盟全国連合会  中田潔書記長

 全国連を代表いたしまして、共に闘う決意を申し上げたいと思います。今日の集会のやはり第1の目的は、市東さんの不当な土地取り上げを許さない、この一点に集中しているんではないかとおもっています。農地法や民事法を悪用しながら、市東さんの三代にわたって営々と守り続けてきた農地を奪うということを絶対に私たちは認めることはできない。先ほどの市東さんの固い決意に応えて共に闘うことを先ず明らかにしたいと思います。

 同時にこの市東さんへの土地取り上げ問題は、決してこれは単に市東さんの問題ではなくて、市東さんの問題は私たちみんなの問題なんだということをしっかりと押さえたいと思います。この30年間にわたる、成田空港が欠陥空港として、未完成空港として今も無様な姿をさらけ出している。この市東さんの土地取り上げ以外に成田空港の完成を見ることができない。ここの一点にかかっていると私たちは思います。成田空港の完成は、単に空港の完成だけではなくって、軍事空港であり、そして日本の軍事大国化への大きな道を切り開いていくその最後の砦であるいう風に私たちは思います。市東さんとともに、最後まで農地強奪を許さない、そういう立場から断固として全国連は闘い抜いていくことを改めて決意をいたします。

 その上で、もう一点皆さん方に訴えます。私たち部落解放運動にとって大変重要な局面にあります。それは部落解放運動にとってかけがえのない生命線ともいえる狭山第三次再審における闘いが重要な局面を迎えているということであります。すでに弁護団は、狭081005_2 山事件を担当する門野裁判長と4度にわたって、石川一雄さんの無実を証明する新証拠を提出してまいりました。そして再審についての門野裁判長と弁護団との面会を果たしております。門野裁判長は、7月に布川事件で再審開始を決定したいうことでありますけれども、私たちは決して幻想を抱いてはならないと思います。別の事件では再審決定を覆すような反動的な役割を果たしています。私たちは、この門野裁判長のもとで狭山事件の後景化、そして差別のない・・・が引き出されるとは全く思っていません。幻想を持っていません。狭山第三次再審闘争の勝利の道は、この門野体制をもって虎視眈々とねらわれている第三次再審棄却攻撃を、門野体制打倒を持って打ち破ることではないかと確信を持っています。全国連は、来る10月26日、第三次再審闘争の勝利、そして石川一雄さんの血叫びにこたえて狭山中央全国集会を開催することを決定しております。ぜひとも多くの皆さんがこの狭山闘争に結集されることを心から訴えたいと思います。

 特に、この10・26をめぐる状況というのは、単に狭山闘争の・・・的な状況だけでなくって、今、国会が衆議院が解散を前にして、自民党か、あるいは小沢かいうふうな形でいろいろマスコミでさわがれておりますけれども、私たちはこの10・26の闘いを、われわれは、・・・・・して世の中がよくなるはずがない、まして麻生になっても世の中よくならない。よい世の中を作っていくのは、私たち民衆の闘いによるしかないということを、この国会解散情勢の中で、一つの反政府行動として、この10・26を闘わなければならないと思っています。まして、自民党麻生政権は私たち部落解放運動の立場からも全く許すことはできません。あの中山前国交相の発言もありますけれども、「部落民を日本の首相にしていいのか」いう風に公然と差別発言を行ったのがあの麻生太郎その人であります。朝鮮人の強制労働によって肥え太ったあの麻生を絶対に許さない。そういう大きな反政府行動として10・26を闘い抜いていきたいと思います。ともに闘いましょう。

 

 管理人は、今晩から、7人の若い人たちを中心とした仲間とともに、三里塚現地へ向かい、明日19日の「イモ掘り大会」を皮切りに、援農、現地調査を、22日まで行います。そのために、10・5三里塚全国闘争の報告をこれで終わるとともに、しばらく当ブログをお休みさせていただきます。めっちゃ楽しんできます。乞うご期待???。

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2008年10月17日 (金)

10・5三里塚全国闘争(9) 市東さんの農地取り上げに反対する会

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坂本進一郎さん  共同代表(メッセージ)

 ついにコメもか――。

 偽装大国の日本列島は、今、大揺れに揺れています。本来、食べ物は健康な肉体と精神を作るものなのに、毒混じりの食べ物を食べさせられたからたまったものではない。なぜ、ここまで堕落してしまったのか。自民党農政60年の歴史の賜物と言っていい。

 今、40万ヘクタールともいわれる耕作放棄地。それは現代版農村からの逃散、離散の結果です。

 このような状況を見て、財界はついに「俺たちに農業をまかせろ」と言いだした。そうして、一方で「地上げ屋農政」を行っている。財界は地上げをして農民を追い出した後、企業の参入というシナリオを描いているようだ。市東さんの農地取り上げも「地上げ屋農政」の象徴的事件と言っていいだろう。

 われわれの家族農業を守るには、この「地上げ屋農政」をはね返さなければならない。

 今、三笠フーズだけが攻められているが、どうしてミニマムアクセス(MA)米輸入の構造を問題にしないのか。WTO合意の時、政府はMA米は「輸入機会」を与えるものだ、と説明したが、その後「輸入義務」に解釈を変えた。そこにはカラクリがある。MA米は多国籍企業、大商社、アメリカのために無理やり輸入することにしたので、解釈替えをしたのだ。そして、MA米に輸入には利権構造ができてしまった。輸入したものは早く肩の荷を軽くするため、業者にどんどん売り渡したのである。大商社は輸入の時点で汚染米とわかっていた。農水省も目をつぶって売った。

 この1年の間に4人も農水大臣が替わったことと汚染米輸入は、今の自民党農政を見事に象徴しています。ここで、中山暴言に示された政府の行きづまりを好機として、市東さんの裁判を勝利に導くため、みなさんの応援をお願いします。081005_4

井村弘子さん   共同代表 

 一人ひとりの力が国を変えていくんですから、も っともっとふやして、もっともっと大きな団体にしたいものと思います。この空港問題にしても、今の農民の、・・・・ている。この状態、しかも国が棄農としての農政をやろうとしている。こういう風な状態はもう日本ではないんですよ。日本を取り戻さなくちゃあいけない。だから、みなさん、是非ね、今日集まった方々、みな一人一人がまた一人を呼んで、もっともっと大きな団体にして、とにかく国にもの申そうという団体をつくっていきましょう。よろしくお願いします。

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2008年10月16日 (木)

10・5三里塚全国闘争(8) 沖縄現地からの報告

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 知花盛康さん  沖縄現地からの報告

 10年ぶりくらいですかね。今日は、立場をはっきりさせて話しをしたいと思います。私は、30年あまり前からずーっと農業をやってきました。沖縄で農業をしてきました。だからして、沖縄の農民、知花盛康という立場で。

 今日は、あろうことか県の農業委員会が、市東さんの土地を奪い農民をつぶそうとしている、そういうことに対して我慢ならないということで駆け付けてきました。繰り返して言いますと、私も読谷村のパラシュート降下演習をやっている飛行場の、その周辺で農耕している人々の署名を取って回ったことがあるんです。戸村さん健在のときに百万人署名運動というのがありましたね。私はあの時に読谷村の農耕している人々の現場に行って、農民から署名を取ってきました。それは農民が土地を失ってしまう、農地を失ってしまうと生きる術がないんだ、そういう立場で同じ農民たちに呼びかけて、たくさんの署名をもらってきました。この思いは今も変わりないんです。農民が現地で頑張らない限りこういう闘いもありえない。従って、この三里塚の闘いの大きな力として、やはり反対同盟の農民を一生懸命守っていくんだということにも大きな力を注ぐ必要があるんじゃないかと思っております。

 今日、私も沖縄で農業している中で、つくづく感じるのは、肥料代含めとにかく農業で使081005_2 う原料が倍ぐらいに跳ね上がっている。もう農業経営やって行けないくらいに高騰しています。そういう中で、みんな苦労しながら農業をしながらやっと食って行けるというような感じだと思うんです。そういうこともありまして、なんとしても市東さんの土地を奪われないように、あらゆるところに、農民とも呼びかけして、一緒に闘っていけるような取り組みを必要じゃないかなと考えております。

 沖縄のこの間の闘い、とりわけ1年になりますが、去年の9月29日の県民大会、11万5千人の結集した県民大会、あれはまぎれもなく教科書の歴史の改ざん、日本軍の強制のもとに集団自決があったのか、なかったのかいうことで、教科書問題が焦点化されましたけれど、これは、たとえば沖縄線を体験した生き残りの人々にしますとね、あっちでもあった、私たちも見たというようなのがゴロゴロ出てくる。そういう体験をした人々が、「今の世の中危ない」ということで、保守も革新もなく、みんなが立ち上がってきたんですね。このままだと本当に歴史を改ざんして、日本軍は集団自決を押し付けてないんだというようなことで、また再び同じような道をたどっていくという危機意識を、とりわけ体験した人々はもったと思うんです。ですから、あの時、11万5千の結集という場合に、体験者もおれば、労働者も当然頑張っておりますけれども、子供たち、小さい子供たちを含めて、4代の人々が結集したと思います。それは、沖縄は常に、戦後も、米軍の基地とともに生かされてきてるんですね。その中で、・・・・・・ひどい目にあってきて、その現状は今日においてもほとんど変わってないんです。

 ところが、さっき話しました去年の9月29日、11万5千の人々が、結集し、県民大会で反対の決議を揚げ、その後の流れの中で、県議選挙というのがありました。沖縄県の県会議員の選挙。その時に、いわゆる、この間、この間と言いますと太田知事以降、稲嶺、そして今日の知事が議会で保守県政というような形できておりますが、その保守県政の中で、「沖縄に基地を受け入れる」というような表明をしました。しかしさっき言いました最近の選挙の結果は革新が議席を上回ったんです。従って、今の知事は少数の与党になって、県議会での議決について、先ず辺野古の基地建設について反対決議をした。反対決議。さらに沖縄全体として基地は再編されようとしています。沖縄本島の中部から南の基地を撤去して、081005_3 ヤンバル方向に持っていくとか、あるいは・・・・・の1千名の兵隊の基地とかですね、いろいろありますが、全体としては中部から南にあるものをヤンバルの方に持っていくのだというようなことで、流れがあります。そういう中で、やはり、「もう沖縄には基地はいらない」んだと、「海外に移せ」というような形で県議会の多くの人々が要求しております。つい最近の話ですが、知事が訪米しようとするときに、その予算について、訪米について辺野古の問題をあいまいにしたまま行かさんということで、予算を取り付けないという取り組みが行われた。

 私が言いたいことは、人々が、民衆が立ち上がっていくならば、必ずどんなことであろうとも、ひっくり返して勝利を収めることができるんだと思います。まあ、古い話かもしれませんが、一つは読谷の闘争がそうです。恩納村の・・・・闘争もそうです。そしてP3Cアンテナ基地の・・・の闘争もそうです。人民が立ち上がり、体を張って闘ったところ、沖縄において勝利を生んでるんです。この闘いはまさに、この三里塚の飛行場、これがやはり軍事空港だという中で、沖縄の基地とともに、やはり戦争には使わせないという立場で運動を展開していくという中で、勝利できるんではないかと思っております。とりわけ沖縄の反基地闘争においても、みなさんが沖縄に駆け付けてきて共に闘っていく。対して、われわれ沖縄からも三里塚にきて共に闘う。こういう闘いを、私は沖縄に帰って、コツコツではありますが、頑張っていきたいと思います。

 市東さんの闘いについて、私は個人的にも「反対する会」の会員になりながら、一生懸命、共に闘っていきたいと思います。

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2008年10月15日 (水)

10・5三里塚全国闘争(7) 農民からのアピール(2)

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農民からのアピール(2) 小川さん(コメ作り農民)

 10・5集会に集まられたすべての皆さん。農民からのアピールという形で決意の表明を行っていきたいと思います。

 まず最初に先ほど来言われていますけれども、麻生内閣の国交大臣である中山が、な081005 んと三里塚闘争を「ごね得」だという、そういう暴言を吐きました。三里塚闘争は、43年間にわたって、北原さんが先ほど申しましたけども、お金などまったく要求しないで、農地死守、空港絶対反対と、非妥協的に実力闘争でもって闘い抜いてきました。そして、市東さんは、ましてや1億8千万円の金に目もくれず、自分の農地を守る闘いに命をかけて闘い抜いています。この闘いのどこが「ごね得」なんでしょうか。しかしながら、中山発言は、これはいったい何だろうか。これはまったく失言でも何でもなくて、本音そのものであり、確信犯だと思います。むしろ、麻生内閣の意思の表れじゃないかと。三里塚闘争の43年間空港を阻止し続けている、こういう中で何としても三里塚闘争を叩き潰そうとするそういう意思の表れなんだということをはっきりさせて、この中山を徹底的に弾劾していきたい。

 もうひとつ、最近、ギョーザ事件に始まって、中国のメラミン入りの牛乳で死者も出ていますし、日本にもそういった乳製品が入ってきていろんなものに使われています。そして、農薬に汚染された汚染米問題です。これはいったい何なのかということを考えたら、今の日本の農業政策、農業問題を非常にはっきり表している、そういう表裏一体の問題だと思っています。基準の5倍という農薬に汚染された輸入米、あるいはカビが生えたコメですね。それを、食品にしてはいけないものを、・・・・・が食品に不正転売して、農水省から5円や10円くらいで買ったものを200円とか200円以上で売ってボロ儲けしている。酒とかビール、かきもち、おにぎりとか、ありとあらゆるものに使われていて、みなさん、知らず知らずのうちにみんな食べさせられていました。特に、病院とか老人ホーム、学校給食、こういうところでも使われていました。汚染米について農水省は・・(爆音で聞こえず)・・・・・立ち入り検査が狎れ合いというか、汚染米を粉砕して、帰ったらすぐ倉庫に入れて081005_2 不正転売していくという、まったく農水省公認でそういう不正転売が行われていたと言っても仕方がないようなそういう問題です。ましてや農水省の職員が三笠フーズからいろいろ接待を受けていたいうようなことも明らかになっています。その中で、農水大臣は「直接すぐには体に影響ないからジタバタ騒ぐな」と、こういう発言をして、また次官は、「農水省には全く責任はない。あれは業者の責任だ」というようなことで、二人とも辞めてしまいましたけれど、これは今のMA米、輸入米が、77万トン、日本のコメの供給量の1割くらい毎年入っています。このために、日本のコメ農家は、毎年3分の1の減反を強いられてきて、このMA米というのは日本の農業政策、農業破壊と表裏一体の問題としてあるんだと思います。

 こういう中で、農業政策、輸入米について今、麻生内閣は農業政策をもっともっと工業化するんだと、FTAとかEPAとかを通してもっともっと自由貿易を進めていく中で工業製品を主体に、国内農業をつぶしていく、こういう基本的性格は変わらず進めていくということを宣言しています。そういう中で、われわれ農民は、石油の高騰、あるいは肥料にしても、来年は6割も上がります。その他、農業機械とか餌とかすべての生産資材が値上がりして本当に、自分では、農民自身ではどうしようもない、やりようもないような生産費を割るような今の安い価格、そういう状況になっています。三里塚闘争、43年になりますが、私が就業したのもちょうどその頃で、当時はね、田畑2町歩もあれば、食べて子供たちを教育させることができた。それが今ではね、農家は半分に減り、当時は自給率は70%ありましたけれど、今は39とか40%。ともかく半分になりました。それでも、なんとか規模拡大とか、営農努力でね頑張っている農民によって40%の自給率を維持しているんです。所が、今の農業危機の状況は、今までそういう形でなんとかやってきた規模拡大農家、大規模農家自体が本当にやっていけないようになってきたそういう状況なんです。今頑張ってる農家はいったいどうなるのか。自給率は、30%になり、20%になり、農産物を完全に自由化した場合、自給率は12%になるという農水省の試算もありましたけれど、本当にそうなりかねないようなもので、農業が成り立つのか、成り立たないのか。本当にそういう瀬戸際の状況が来ているように思います。

 農産物価格は相変わらず安いし、コメの値段も、今年は豊作ということで、去年よりは多少いいぐらいで、そんなに変わりません。そういう中で、農民の中でもはやどうすることもできないようなね、農業恐慌と言っていいようなそういう時期を迎えています。そういう意味では、汚染米の件でね、政府は、農民のことなどどうなってもかまわない、あるいは国民の命などどうなってもいいというのが、今の現状なんです。そういう中で農業問題は本当に農民だけの問題じゃない。当然、労働者の問題であり、消費者の問題であり、そうい061212fta うことで今の農業問題、農業者が生きていけないような状況、そういうことの根っこは同じものであるということで、捉えて、共に闘っていく必要があるんじゃないかと思います。

 そういう中で、われわれは、今年の秋にでも市東さんの農地強奪が新たな段階を迎えて、土地明け渡し訴訟をやられようとしていますが、それを何としても守り抜いて、今の農業危機の中で、日本でも農民の決起というのはいろんなところで起きています。このままでは農民はやっていけないということで、いろんな形で、いろんな闘いが始まっています。その闘いは、必ずや三里塚反対同盟と合流する、そういう状況が生まれてきているんだと思います。政府にとって、農業はアキレス腱であり、もはや農民を生きさせるようなそういう余裕などまったくないんだ。農民を収奪の対象としか見ていない。こういう中で、今の社会を根本的に変えていかなければ、農民に生きる道はないんだということをはっきりさせて、三里塚のように闘おう、三里塚とともに闘おうと、動労千葉と三里塚が労農同盟を切り開いたように、全労働者と全農民の大同盟を勝ち取って、あらたな労農同盟をもっともっと大きくしてそういう中で三里塚闘争が勝利していけるんじゃないかと思います。(最後の右の写真は、農業新聞から転載。06.12.12 日豪FTA反対・全道農民集会)

 そういうことで、農民はまだまだ少ないんですけれど、農民がこの場に大挙結集していくような闘いを作っていきたいと思います。共に頑張りましょう。

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2008年10月14日 (火)

10・5三里塚全国闘争(6) 特別報告(2)

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特別報告(2)  関西新空港反対住民から

永井満 関実代表世話人

 ご紹介いただきました関西の住民、永井です。今日は、素晴らしい集会にともに参加することができた喜びで胸が一杯というところです。40年になりますが、淡路島に空港を建設しようということが起こって、ほぼ決戦というところで、反対同盟から北原さんがおいで下さって「国家権力と闘うというのはどういうことか」を教えて下さいました。そして、非妥協、不屈、不退転、絶対に反転しない、そういう闘い方が勝利の道だということを教えていただきました。そうして闘って、私たちは淡路島の空港建設を許しませんでした。空港建081005 設だけではなくて、東海岸の巨大石油基地の建設、それに島内を縦貫し四国と結ぶ新幹線計画、さらには火力発電所計画、こうしたことにも全力で闘って、多くの方々の応援を頂きながら闘い抜いて、これをことごとく潰すことができた。これも、反対同盟の闘いに連帯し、反対同盟の非妥協、不屈、不退転、一切の話し合い拒否というこのことを徹底的に、一番最初の段階から取り組めたということだったと思って、本当に感謝しております。今でも、そういうことがわからない住民が「お前たちが反対したから、淡路島は空港もできなかった、鉄道も来なかった、取り残された」などと愚かなことを言うのがありますけれども、しかし、淡路島は今も緑豊かな島として残っております。

 これは本当に、反対同盟と闘う皆さんのおかげと、私たちは感謝しておるわけですけれども、しかし、関西新空港計画は、残念ながらそれでは終わらなかった。淡路からは追い出しましたけれど、泉州沖に作られてしまった。残念ですけれども、今、私たちはこれを絶対に軍事基地化しない、許さないと、泉州の地元の住民の皆さんはもとより大阪湾沿岸住民団体、市民、労働者、学生、いろんな方たちと一緒になって闘っております。その土台は、関実を結成してから30年になりますけれども、その最初は反対同盟の闘い、そして今ご挨拶された動労千葉の闘い、一番その最初、中野洋書記長さんとお会いして、いろいろと交流し、また学ぶ中で、私たちも動労千葉のような闘いをしたい、という願いを持って、関実の大きな柱は、関西新空港反対、そして三里塚絶対反対ということとともに、動労千葉を絶対に支援しようことであります。ただいまの素晴らしい報告を聞いていても、本当に素晴らしい人たちだとあらためて感銘を持つとともに、こういう人たちこそ今の日本の状況を切り開いていく大きな力になるんだと。私たち住民も、この動労千葉のような闘いに学んで、また三里塚の方たちと同じような闘いをこれまで学んできましたが、これからも関西で、そしてこの現地で、そしてまた動労千葉の皆さんと一緒にこれからも闘い抜いていくんだ。

 今、市東さん、そして萩原さん、081005_2 鈴木さん、そういった方々、とりわけ市東さんの農地を取り上げようとする悪辣な策が弄されております。そしてそんな中から、天に・・・・法からも曲げて、あるいは裁判所すらが手先となって、市東さんの土地強奪をはじめとして、本当に理不尽、不当なことをやろうとしています。こういうことに対して、私たちは今、本当に三里塚の闘い、71年、72年、あるいはそれに引き続くあの闘い、それをもう一度やる覚悟で、「いざ鎌倉」というときにまた関西からも駆けつけるいう覚悟でおりますけれども、全国の三里塚に心を寄せる方々が本当に総決起して、・・・・・・を打ち砕く、実力でもって打ち砕くことを改めてもう一度新たに決意しなければならんと思っております。

 このあとで沖縄の知花さんも発言されますが、昨日夜、二人での交流をさせていただきまして、沖縄の闘いを本土に持ってくることも大事で、これをもっとやらなくちゃあならん。「お前らが本土でしっかり闘わんから沖縄がこんなことになっている」というおしかりを沖縄で受けたことがありました。けれども、それとともに本土の三里塚の闘いを、沖縄にもっともっと持っていきたい。沖縄の人々と一緒に三里塚も闘いたい。辺野古も闘いたい。やりましょうと言って握手させていただきました。これが本当に闘うものたちが、労働者も、市民も、農民も、一緒になって頑張っていく時代だと思っています。身体を張って闘う時代だと思っています。とにかく、頑張ろうと思っています。よろしくお願いします。

山本善偉 関実世話人

 永井さんが言いたい事を全部いわれましたんで、私なりにしばらく話させていただきます。やっと満88歳になりました。この歳まで、こうして闘いの仲間に入れることは何という幸せなことかと思っています。88でも、先ほど開会のあいさつをされた森田さんのことを081005_3 考えたらまだ嘴は黄色いです。

 森田さんもそうですが、私はこの前の戦争を経験してきた人間です。二度とあのような愚かしいことをやってはならないというのが、根本にあって、まもなく三里塚の支援、三里塚と知り合って32年になります。ですが、世の流れは、どんどんどんどん右傾化していく。もうこの政府には任しきれない。三里塚の闘い・・・・・・・でしたが、今日は萩原さんの非常の鮮明な勝利感に満ちた基調提起ですね。確かに、勝つカギは我々が持っているんです。本当に労農連帯、住民連帯、反戦平和、反核、反差別の砦は三里塚にある。これに連なって住民連帯をわれわれ必死になって闘わなければならない。目の前の市東さんの闘い、これを精一杯支えなければならない。私は、ここに立って勝利感に満ちております。みなさん。これから先、いくつもの闘いがありますが、来年の3月29日、もっともっとたくさん集まりましょう。みんなで日本の流れを変えましょう。

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2008年10月13日 (月)

10・5三里塚全国闘争(5)  特別報告(1)

 特別報告(1)  田中康宏動労千葉委員長

 三里塚芝山連合空港反対同盟の仲間をはじめ全国から結集された全ての同志の皆さんに動労千葉から三里塚闘争とともに闘う連帯のあいさつを送りたいと思います。 (写真は、1981年3月のジェット燃料延長阻止闘争・動労千葉のパンフ「決戦ストライキ」より転載)

 19813_2 動労千葉は三里塚にはまだ及びませんけれども、来年3月で組合結成30周年という大きな節目を迎えています。しかし、今ここで思うことは、この30年間の闘いはいよいよこういう時代が来るその時のための助走であり準備にすぎなかったんじゃないかという風に思っています。三里塚闘争の、どうですか、いよいよその本当の力を発揮するのはこれからなんだという意欲に私は燃えています。そのためにここまで様々苦労し、あるいは様々な喜びがあり、闘って、そして屈することなく頑張ってきたんだということを感じています。

 動労千葉の本部からの独立は、みなさんも御承知の通り、最大の問題は三里塚闘争から絶縁しろという本部に対して、「冗談じゃない。そんなことは絶対に俺たちはできない」 こういうところから始まりました。当時のことを今でも思いだします。当時の集会は、三里塚の第1公園でしたけれども、本部から集会参加禁止指令がきました。動労千葉の統制処分が決定的になる集会でした。これに参加するのか、しないのか。動労千葉はすぐ隣の三里塚第2公園で独自集会を呼びかけました。地区労の仲間も協力してくれました。この独自集会をやって、このとき、全国動員をかけた・・・の部隊が第1公園に合流しました。私は、今から思い起こしてみると、やはりここで動労千葉が今こうして胸を張ってここで挨拶ができる、そういう道を歩むのか、資本や当時の動労革マル、労働運動の腐った幹部たちに膝を屈して労働組合の本部を・・・か、その大きな分かれ道が決まったんだろうと思います。それから以降、動労千葉の闘いは常に三里塚反対同盟と共にありました。それから以降の一番大きな闘いは、言うまでもなく国鉄分割民営化反対闘争でした。動労千葉がストライキで立ち向かうという方針を大会で決定し、その直後にあの国家権力、機動隊と激しい衝突になった10・20の三里塚集会があり、そしてその11月に第1波ストライキがありました。大会の方針では、ストライキに立ち上がるということを決定したと同時に、初めてですが、10・20集会に組合員の5割を動員するという方針を決定しました。組合員の5割というのは、当日乗務をしている組合員以外、全部、ほとんどすべてということです。なぜかってことです。これをめぐって現場の役員は、全力をあげて1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月のオルグに入る。こういう迫力がなければ、国鉄分割民営化に抗してストライキに立ち上がるなんてできないという風に判断したからです。そしてこれをやり抜いた606名が、三里塚反対同盟と共に肩を並べて集会に結集することができ、だから首をかけてストライキに立ち上がることができたわけです。これも、今の動労千葉があるかないか大きな分岐点だったと思います。闘いというのは、本当に困難が作られ、歴史を転化する、右か左かどう選択するのかが突きつけられたときに、きっぱりと明確な路線と原則に基づいて決断し、決断するだけじゃなくて、決断した以上は全組合員にそのことを訴え、議論をし、そして一致し、団結を強化することになります。そのことを私たちは、三里塚反対同盟の43年間にわたるこの国家権力との非妥協・不屈の闘いからも教えられ、励まされ、多くの力を与えられてきました。そして私たちの闘いも、本当に強くなり、小さな闘いですけれども三里塚闘争にいくらかの力を与えることができた。これが労農連帯だという風に考えております。それは、私たちは私たちの職場ということで、絶対に引くことなく、どんな困難にも負けず闘い抜いてきたから成り立った労農連帯です。反対同盟は反対同盟で農地を死守して、どんな攻撃にも屈服することなく闘い抜いてきたことによってできた労農連帯です。この労農連帯が、本当に今生きていると私は感じています。

 さて、動労千葉の30年前の分離独立は、今から考えてみればちょうどこの時期に現在に至る新自由主義攻撃が始まった時代でした。サッチャーが登場したのが1978年。レーガン、中曽根が登場したのが、81年、82年で、私たちの分離独立は79年です。今か081005 ら考えてみれば、これ以降、労働組合はこの攻撃の前に、ことごとくなす術もなく闘うこともできずに変質をしてきました。その現れが三里塚との絶縁であり、貨物安定宣言という形で、ストライキを公に放棄するということを大会で決定するという動労革マルの決定的な裏切りと変質だったんです。その意味では、この30年間、私たちが貫いてきたのは、労働組合が如何にあるべきなのかということでした。あるいは、今から考えてみれば、新自由主義という激しい労組破壊攻撃に労働者の団結と力が立ち向かうことができるのか否かをかけた30年間でした。そして、私たちが、小さいながら、まだほんとに一歩ですが、その解答を与えることができたという風に考えております。

 さて、こういう状況の中で、今、重大な事態が到来しています。私は、今、目の前で起きている金融大恐慌情勢、新自由主義政策なるものが完全に破たんを露わにしている情勢というのは、新自由主義政策というのは、帝国主義の最後の延命策だったという風に考えています。それが破たんした今日、もう資本主義、帝国主義は後がない。もう終わりの始まりが始まっているんだという風に考えています。このときに労働者が団結した力を歴史の前面に登場させることができるのかどうかということが、ただこの一点が問われているという風に思っています。そして、こうした情勢の中で、日本における争点であった国鉄分割民営化構想も、今重大な岐路に立っています。これは、1047名闘争をめぐる4者4団体による現在進められている政治決着策動なるものについてです。私たちは、4者4団体の政治決着運動を絶対に認めることはできません。絶対に反対します。なぜならば、あの運動は解雇撤回を引き下ろして、しかも、あろうことか今進められている・・・運動では「不当労働行為の有無を前提とするのではなく、云々」という風にまでになっています。一体、何のために22年間私たちは、1047名の解雇撤回をかけて闘ってきたのか。ここですよ。22年間の闘いの一切をどぶに投げ捨てていいのか。私はそう思います。絶対、こんなことはできない。このことだけははっきりさせなければいけない。そうでなければ、これから日本の労働者階級が進んでいく道は、出てこないというふうに考えております。彼らは「もう闘争団がもたないんだ」といいます。「1047名闘争は・・・・・なってしまう」といいます。「こういう現実だから仕方がないんだ」という風に言います。だけど、「こういう現実だから仕方がない」というこういう現実を変えていくのが労働運動ではないですか。「しかたがない」「しかたがない」「しかたがない」と言って、情勢のせいにしてどんどん後退を続けてきた結果が、1千万を超えるワーキングプアというこういう現実ではなかったんですか。これはだから、労働運動をめぐる根本的問題です。あるいは、ある人は「当事者がいいと言えばいいじゃないか」、こういう風に言います。だけど、絶対に違います。いったい1047名闘争の勝利とは、何をもって勝利と言うんでしょうか。その結果によって1047名の団結が一歩でも強化されるのか、国鉄労働運動が1ミリでも前進するのか。日本の労働者全体の闘いが、団結が1ミリでも前進するのかということです。これが道理じゃないでしょうか。

 さらに言えば、081005_3 今叫ばれていることは一番やってはいけないことです。なぜかと言えば、「現場がもたない。情勢がこうだ」。全部他人のせいにしているということです。労働運動に少しでも携わったことがある人ならばわかるとおり、そういうときに問題なのは、全部実は労働運動の幹部たち、指導部たちが腐ったということを他人のせいにしているだけです。こんなことを繰り返した結果が今日です。この20年間、いったい何が進行したのかということです。労働者の賃金、雇用、労働条件いっさいが粉々に破壊されました。もう生きていくことができない現状が覆いました。これが国鉄分割民営化が始まったことです。だけどこの攻撃は核心的なところで打ち抜くことを許さなかったということです。こういう攻撃に核心的なところで対抗する力として存在していたのが、1047名闘争だったわけです。私は、絶対にこういう風に思います。今、4者4団体が進めている運動というのは、そういうことと全く無関係に、JRに詫び状を出し、政府に詫び状をだし、解雇撤回を引き下ろし、JR本体は全不当労働行為規定を取り下げて和解し、こんなことをやっていて解雇撤回闘争に勝利するこんなことは絶対にあり得るはずがないことです。これは、これからの日本の労働運動をめぐる決定的な分岐であり、路線的な、根本的な対立だと思います。だから私たちはこれに絶対反対して、日本の労働者が、そんな柔じゃない、1047名の不屈の闘いを続けてきた仲間たちは、そんな柔な労働者じゃないということに確信を持ち切って、団結をすれば絶対に勝利ができる。そう確信して進みたいと思います。

 もう1点だけ言わせて下さい。22年間私たちが頑張ってきたのは、先ほど言ったとおり、こういう情勢が来る時のためにです。今、1047名闘争が、本当に生きることがままならない労働者階級のおかれた現実に対して、全国の労働者は、この下に団結しよう、怒りの声を1047名闘争のもとに結集しようという風に訴えるときに、どれだけの闘いが実現できるのかということです。まさに、1047名闘争は日本の労働者の、そして農民もです、可能性そのものとしてあるっていうことです。だから、ここで道を誤ってはいけない。私は、このことを、今日、参加されたすべての仲間に訴えたい。共に闘ってほしいということです。

 最後にもう1点だけ話させていただきます。私たちは、こういう状況の中で、11月2日、日比谷野外音楽堂で、全国総決起集会を呼び掛けています。私たちは、この集会で、今の日本の労働者が置かれた現実を、絶対に変えたいと思っています。なぜならば、これができるからです。現実、今、世界の動きを見てください。もう全世界では、新自由主義攻撃に対する我慢のならない怒りの声が、嵐のような・・・となり、あるいは食糧暴動というかたちをとり、デモという形を取り、燃料暴動という形をとり、もう怒りの声が全世界を埋め尽くすような事態になっているじゃないですか。後退を続けてきた労働者階級の闘いがいよいよ荒々しく怒りの声を・・て復権する時代が来てるということです。日本の労働者階級だけが違うとは私は絶対に思いません。私は、11月のこの集会で怒りの声に火を付けて、日本の労働者、農民、すべての人民の闘いの大きな転機となるようなそういう集会にしたいと考えています。何よりもこのインフラの中で、いっさいの生活も権利もすべてを奪われようとしているあらゆる怒りの声を結集して、生きさせろというゼネストをやろうという声を上げたいという風に考えています。こういう中に社会変革の根本的な要求が・・・・・と考えています。何よりも、この場で10・24集会のような民営化を容認し、すべての労働者にこの攻撃への屈服を迫るような10・24集会ではなくて、解雇撤回を真正面から掲げて新自由主義攻撃絶対反対、民営化絶対反対の総決起大会にしたいという風に考えています。しかも、この集会は、アメリカ、韓国、多くの世界の仲間たちとの国際連帯集会です。ぜひ、今日結集された多くの仲間の皆さんが、仲間を連れてこの集会に結集をお願いしたいという風に考えます。私たちは、30年間、三里塚反対同盟と連帯をして、励まされ、力を与えられ、守り抜いてきたこの力を今こそ全力をあげて爆発的に発展させる決意を、30年の節目の年に当たって決意をしています。共に闘いましょう。

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2008年10月10日 (金)

10・5三里塚全国闘争(4) 基調報告

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  基調報告  萩原進事務局次長

 ごくろうさまです。しばらく三里塚の地で千名の結集を達することができなかったわけですが、三月集会でそれを突破した。同盟ほんとに喜び勇んでおります。この中で10月集会を迎えて、この間、多くの皆さんに10・5の今日の決起を訴えて本日までまいりましたけれど、ざっと見れば、やはり3月集会を上回る数が結集してんじゃないかと思います。ほんとにありがとうございます。

 今日、麻生内閣が発足しましたけれど、日本の自公政権、安倍・福田が投げ出して、小泉がまた登場するというような事態の中で、現在、発足して出てきたわけですけれども、皆さんご承知のように中山が3連発の非常に正直な話をして国民の反発を食らって野に下がるというような事態になったわけです。しかし、あれが本音であり、またああいう形でしか自民党はこれから生きていけないんじゃないかという風に思うわけですね。麻生は今、自民党の宣伝をしています。全国何十か所も回って、「みなさんのいろいろな意見をお伺いして、これからの政策に生かしたい」などという形でやってます。今、彼らが取ってる言い方というのは、「・・・が悪いんだ、他人が悪いんだ」ということで転嫁してるんですね。そんなことみんな知ってるんですね。何十か所まわんなくったて分かってるんですね。ああいう神経は、ほんとにわかんないですね。「国民の声を聞く」「何十か所まわりました」。労働者が生きられない、農民がつぶされる、老人や障害者が生きられない、こういう社会を作081005_13 ったのは誰なんだ。このことを開き直って宣伝してるわけですよ。こういうことをやったるのに国民はわかってない。だから国民が悪いんだと逆に言ってるんですよ。自分たちの統治能力がなくなって、文字通り他人が悪いんだというところに開き直ってる。ですから、総理が政権を投げ出すなんてのが当たり前になってる。この政権ではもたない、この政権もダメ、という形で積み重ねてやっていけばいくほど右傾化するしかない。だから中山発言というのになっていく。彼は野に下がったといっても、その思想性というのは変わらない。麻生政権そのものが、そういう形でしか生きていけない。こういうことを押さえて我々は闘わねばならない。

 しかし、取り巻く状況が、それで政権を維持できるのかどうかというと別の問題だ。たと えば農業政策を取ってみてもね、小泉内閣の時に寝袋を持って国会内でコメの輸入に反対した農民族と言われた自民党の松岡が、輸入問題騒動の中で自殺してるわけですよ。例のばんそうこうの・・・もそうだし、 遠藤、太田、4人の農水大臣が任期を全うしないで、やめちゃってる。そりゃ、いろんな政治の問題なんかがありますけれど、それだけ今、農業問題は難しいんですよ。農民にとってもそうですけれど、それをつかさどる大臣がやりきれない。そういう意味で先ほど言ったようにもっと右から、保守の連中でやらねばとなってるんだろうけれど、総理大臣もそういう形で辞めてしまう、農水大臣もそういう形になる。そういう姿でしか現れてこない。

 世界的に見れば、アメリカをはじめとする住宅バブルの波が全世界を駆け巡っている。そういう中で、・・・も大変だし、株もそうだし、そういう形になってる。そういう中で、今問題になってる汚染米問題についても、それは農業問題の中でもほんとに根本をなしてる。ミニマムアクセス問題というかたちで、いらないコメまでも押しつけられて輸入せざるを得ない。そのために業者をしてそれを売りつけるために、そのコメがどんなもんだってかまわないんだ。業者を告発すると政府は言いますけれど、なぜ食料に回ったんだと言いますけど、そもそも食品業者じゃないですか。それだけ見てももはっきりしてるんですよ。食品業者に売り渡しといて、糊や工業材料になるわけないですよ。そっから始まってて、農林水産省、政府そのものも同じで、告発されるべきは政府なんだ。業者も悪いけど、それ以上に悪いのは政府なんですよ。根本はそういう腐敗した構造、農業政策の実態ということにあるんだ。

 そういう意味で、働いても働いても食べられない労働者と、ほんとにひとりよりも働いて何とか生き延びようとする農民が、やっぱり同じじゃないか。一緒にそこで闘っていこうじゃないかということで三里塚の闘いがあるんじゃないかと思うわけです。

  洞爺湖でのサミットでも方向性が出せなくて、WTOで訣別して、アメリカの大統領選あるし来年もダメだろうし、そういう問題をもう話し合えないんじゃないかという、そういうところまで行っちゃてる。人が制御できないところまで敗北が世界を席巻している。資本主義の断末魔だと思うわけですね。こういうことがあらゆる階層、階級の中に来ているという状況があるのに。081005_14 そういう矛盾がますます労働者や農民、障害者や老人、あらゆる市民にかぶせられてくる。そういう中で、逃げ道としての戦争という形になっていくわけですけども、アフガンとかイラクとか中東、グルジアとか、すでに戦争が始まっているわけで、そして北朝鮮の問題も含めて、アメリカは中国、ロシアにむけた核戦略をめぐったミサイル配備に入っている。そいう中における三里塚闘争の一方の柱である軍事空港問題、この問題を見逃すことができない。沖縄の状態については、沖縄から見えておられる知花さんに述べてもらいますけれど、先日、横須賀に核空母の母港化しようとしているこの問題など、もうはっきりしている。パックⅢの全国配備の中での習志野配備ということがあります。この8月30日、31日には、この成田市において5000人規模の演習、被災者の救済というかたちで、警察、自衛隊、関係機関、これが二日間にわたって国民保護法の実際の大演習、震度6~7規模の地震が発生したという名のもとに、そういう訓練が行われてますが、成田空港の軍事使用を標的にしながらそういう訓練が行われた。そういう意味での三里塚の有事の際の兵站性を見逃すことはできない。そういうい意味で、農地を守る闘いと、反戦・平和、反核の闘い、軍事空港としての闘いを一方の柱として掲げて闘い抜いていく。これが、情勢としてひしひしと感じる、そういう形で今来てるんじゃないのか。であるならば、いま闘うものが、どうとらえてるのか、どう決起するのかという形できてるんじゃないのか。今、闘わずして、どうなるのか。

 いま、マスコミは、 自民党の腐敗、だから今度の選挙で自民党がひっくり返って民主党 が政権をとるかとかという形で、政権交代論議のようなそういう論調でしか働いていない。これは、決定的に、われわれにとってみれば、闘う側のまだまだ力のなさなんですよ。こんな話じゃだめなんですよ。この壁を破って、大衆的に登場してくるような闘いを本当に作らなければならない。そういうことを感じませんか(拍手と歓声)。自民党や民主党、「同じ穴の狢」ですから、根本的には同じなんだから、彼らを打倒しない限りしょうがなわけで、そういう意味で、政権がどちらに行こうが我々の敵なんで、それに代わるものとして、われわれが闘いで築いていく、そういう闘いが必要なんですよ。そういう形で、マスコミにもそういう風に言わせない闘いを作りましょうや。

 そういう中で、3月の全国集会以降、北延伸攻撃との対決という形で、彼らは20万回の飛行を30万回を言いだし始めました。またそれだけでは物足りなくて、禁句であった「24時間空港」というものを出してきた。とんでもない話であって、やっぱり資本主義体制の中では利益追求、そのためには、人間なんてどんなとこにいようが、生きようが死のうがかわないんだといういやり方が如実に示されてる。収用委員会がなくなってもう土地を取り上げ られないにもかかわらず、今度は収用委員会に代わって裁判所が土地を収用するいう形での、今日の3里塚での裁判が現われてくる。裁判所が尖兵になってきている。そういうことになっていますが、それでは北延伸の闘いに対して我々は、6月8日、あるいは7月27日という形で現地において集会、デモを貫徹して、北延伸を何としても阻止するという形で、闘い抜きました。その上で、北延伸の最終的、本来の狙いというのは、単に北に伸ばして2500メートルの滑走路を作ればいいんだというところじゃないんですね。そのことを通して、40メートル上空を、もう一度大型化した飛行機を飛ばして、住民を騒音地獄の中に叩き込んでそこから追い出すことをもって、もう一度南に延ばして、3800メートル、限りなく4000メートルにちかい軍事空港を作ることなんです。軍事滑走路を建設する、それが最終的な狙いなんだ。このことは市東さんをはじめ、東峰部落の住民を叩きだし、そしてここに集まったこうした集会をできないようにする。そして三里塚を闘う勢力を消滅させる。そういう狙いが、北延伸の本来の狙いなんです。だけど、われわれはそれを見抜いて、現にこういう形で、ここで、ある意味で空港の中での集会ですよね、こういう形で堂々と集会ができるんですよ。市東さんは胸を張って大道を歩ける。そして「空港反対」を唱えられる。そういう闘いができるわけですよ。このことをどんどん全国におけるこういう集会やデモなんかをやりながら、裁判においても、単に裁判という敵の土俵じゃなくって081005_15 、裁判官そのものも裁いちゃう、そういう闘いとして裁判所でも闘い抜く。そういう意味では、先日の裁判で、こういう形で上り詰めてニュース等で見られて知ってる方が多いと思います。

 空港経営など、大きく20年型の遅れを、日本は取っている。これをも規定しているのが三里塚闘争なんですよ。そう形で、彼らが目論むアジア人民、資本主義の中で空港が持つ位置とか、対外国との間での貿易という問題だとか、そういうのを含めて徹底的にわれわれが急所を握っているところで、今日あるわけです。そして何よりも彼らは開港から30周年だという形 で今年は催し物をやりましたけれど、まだ半分も出来上がってないんですよ。こんな空港ありますか。開港してから30年ですけど、空港問題が始まってから40数年ですよ。50年たってもできないという空港がここにあるんですよ(大きな拍手)。これはまさにね、われわれ農民と、そして全国の闘う労働者、市民、大衆、学生、そういう人たちがほんとに一体となって闘ったからこそ、こうした成果が勝ち取れたんだと言い切れると思うんです。開港30周年を祝おうが、われわれが主導権を握っているし、生きた展望を持ってるんですということを確信を持って闘い抜いていきたいと思います。

 そして、反対同盟は、働いても働いても食べられない労働者、あるいは農地を追われる 農民、その敵は一つです。戦中、戦後、農地解放という形で闘い抜き、そこには基地闘争もありました。そういう中で、内灘、妙義、北富士、・・・・・とか、日本原、砂川、そして何よりも沖縄という形で、多くの農民、住民、そして労働者が結合して、闘い抜いて今日の三里塚闘争に引き継がれてるんだというこの歴史を掘り起こす必要がある。偶然ここに発生したというような問題じゃないんですね。我々は北富士の指導も受けました。また砂川の宮岡さんのご指導も受けて、今日の三里塚闘争があるわけです。隣の茨城の常東農民組合・・・・自主的なコンミューン的なものまで作り上げた茨城の闘い、こうしたものの上に立った指導を受けながら、われわれは今日の闘いを成り立たせている。そこに労働者の組合との結合があって闘い抜かれた。とりわけここ三里塚においては、動労千葉と反対同盟とが固くこういう形でスクラムを組んで闘い抜いた。だからこそ今日のこういう存在があるんじゃないか。このことをもっともっと深く深く結合し、そして大きく波及させていく。それを全国化していく。そういう闘いが必要じゃないか。

 そしてもうひとつ重要なことは、「市東さん運動」を展開していく中で、ほんとにやらなくちゃならんことに、反戦・反核・反権力と、そして反差別 そういうような広範な市民運動ですね、あるいは住民運動との連帯を作るべきだと思います。いろいろあるとは思いますが、今、そのことがほんとに求められてるんじゃないか。とりわけ、沖縄の人々の闘いとか、あるいは関西の人たちの闘いとか、そいう闘ってる人たち、あるいはあらゆる階層で闘っている人たちとの、今まで以上の深い闘いと絆を作っていく。 それが現に、この三里塚の闘いはあらゆる人々が結集する砦です。そして「現にそういう人たちが結集しています。ですから、あえて三里塚を言うのであり、また、そういう闘いを展開する必要があるのだと思います。そういう意味で、三里塚の闘いというのは、いわゆる人民の共闘の結集の砦であるという風に自負したい。そして、そのためには、市東さんの農地裁判を、広範な陣形、そういう支援運動をお願いしたいと思います。

 081005_12 そしてお隣の韓国の労働者が農民とともに闘っているように、この日本でも三里塚でやってるように、こういう構造を全国で作ってほしい。そういう連帯を培っていこうではありませんか。また、国境を越えて闘う労働者、農民、人民が国際連帯の絆を作りだしていくことが、非常な急務として、課題としてあるんじゃないかと思います。そのためにも「アジア・ゲートウェイ」「FTA」、労働者、農民の共通の叫びとして労働の確立が必要だと思います。かって、戸村さんをはじめ、羽仁五郎も、この三里塚の闘いを見て「労農のコンミューンだ」と表現し、謳った。そこに、闘いの持っていく姿を、確固として確立していく必要があるんじゃないか。そして、来春、彼らも必死で空港建設を行ってくるだろうし、また階級的な表現としても、憲法改正ということが具体的な課題として登場してくるだろう。その中で、ギリギリの攻防戦が展開される。そういう意味では、三里塚闘争も、現地と、裁判闘争を含めた大衆的運動、この両立をはっきり大きく成長させて闘い抜く。まだまだ主体的な闘う側の隊列が出来上がっていない、これを作り上げていくことを訴えたい。そのために大きくはここにある核ですよ。この核を土台に組織を作り上げていく。そういう展開をやりぬいていこうじゃありませんか。3月29日へ。

 

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2008年10月 9日 (木)

10・5三里塚全国闘争(3) 農民からのアピール(1)

農民からのアピール(1)  鈴木謙太郎さん08105

 10・5全国集会にお集まりの皆さん。どうもご苦労様です。反対同盟の方から、農民アピールを行っていきます。

 BSE(牛海綿状脳症)、農薬混入輸入食材と食品偽装、汚染米の組織的な不正転売。まさに不信と疑惑の連鎖である。政府、農水省に人々の怒りが沸騰している。

 汚染米問題は、ミニマムアクセス問題である。工業製品の輸出と引きかえに強行した、コメの市場開放が原因だ。MA米を処理したい農水省、そこに目をつけて安く買って不正に高く売り抜ける流通業者。ここにもたれあいと癒着の仕組みができた。「不審と疑惑の連鎖」は、農業切り捨て政策の結果である。

 米価は下落の一途である。10年前に1俵2万円を付けたコメの価格は、今や半値となった。原油と穀物価格の高騰が、飼料価格を引き上げ、畜産農家は廃業を強いられている。相次ぐ離農で、耕作放棄地は、埼玉県の広さに及ぶ。政府、財界は、300万農家を14万経営体にするという。農業法人化による家族農業つぶしである。そしてついに戦後農地改革以来の農地法と土地制度に手をつけた。

 われわれはもう黙っていられない。労働者に対する非正規雇用と低賃金。増税と医療・福祉の切り捨てが強まっている。このことと食の危機、格安輸入食材や汚染米は表裏の関係だ。今こそ、農民と労働者は団結しよう。「FTA反対」を共同のスローガンとして闘おう。農地と農民の権利を守る農地法の改悪を阻止しよう。

 今年初めに漁師の皆さんが、燃料の高騰で出るに出られない。出たら赤字だということを理由にストライキを打ちました。農家では、肥料を使い、飼料などありとあらゆるものが値上がりしているのに誰も行動していません。反対同盟はこの先頭に立って労農連帯で闘っていくことをここに宣言します。(最初の鈴木さんの写真は反対同盟ブログから借用)

市東孝雄さんから 闘いの決意08105_2

 全国からお集まりの闘う仲間のみなさん。本日はご苦労様です。空港会社が成田市農業委員会に契約解除の申請をしたのは、一昨年の7月でした。それから2年間、二つの裁判を闘ってきました。一つは民事訴訟。もう一つは私の方から県の許可決定の取り消しを求める行政訴訟。これをこの2年間闘ってきました。また、新たに10月12日をもって農地取り上げとの闘いがまた始まります。空港会社が、私が借りていないところを勝手に決め付け、明け渡せという裁判です。

 新しい裁判を起こそうというのですが、私はこれを法廷だけの闘いだとは思っていません。三里塚43年の歴史は、力による農地強奪の歴史、法律も正義もありません。あの畑一つを取ってみると嘘と騙しの土地買収です。法を次々に破っているではないですか。そして法廷で闘っていようとなかろうと、力づくで取り上げる。工事も続行する。それが国と空港会社のやり方だと、私は受け止めています。だから私は一歩も引きません。

 Photo_2 これ以降、畑を作ることが実力闘争です。畑が私の闘争現場です。そして、この先、もし私の畑に空港会社が手をかけてくるなら、私は実力阻止の闘いをしたいと思っています。この闘いは、全国の農民と労働者、反戦闘争や住民運動を闘うすべての人々にとってもたいへん意味のある闘いなのだと強く思っています。私が闘えるには、私を支えともに闘っているこの井村さんをはじめ「農地の取り上げに反対する会」のみなさんと、全国から結集された三里塚を支援する皆さんのおかげです。群馬でも9月28日、私の「農地を守る会」という会を結成していただきました。本当に勇気づけられています。たいへんありがとうございました。

 自分の生きる権利を勝ち取るために、もこれからもどんどん闘っていきたいと思います。みなさん。ともに闘いましょう。

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2008年10月 7日 (火)

10・5三里塚全国闘争(2) 主催者あいさつ

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北原鉱治反対同盟事務局長の主催者挨拶

 全国から結集した闘う労働者、学生、反対同盟のみなさん。今日の集会は、新たな闘いに挑む全国集会です。振り返ってみると、43年間闘ってきましたが、ようやく人民大衆は勝つか負けるか、そんな時代に入ってきました。今の政治を見なさい。無責任な政治が何回となく繰り返されてきました。限界に来ているわけです。若い諸君がこれからの未来にどう生きるのか、何を求めていくのか、しっかりとつかんで、大学で学ぶことも必要です。だが、社会がどう動いているのかということを、並行して見ていかなければなりません。若い者にに未来はあるかないか、今の立場はどっちをみても、いい政治のありかたはありません。私たちは43年間にわたって成田空港は絶対反対である。最近、中山国交相が交替しましたね。「ごね得」だなんて、43年間もごね得やってる人がいますか?今の若い人は本当に将来が見えるだろうか。それは自分たち一人一人が立ち上がって、自らが動かない限り、他力本願では社会はよくなりません。

 私たちが闘ってきた43年。三里塚は未来を示す。全体の責任です。私は絶えず訴えて08105_2 きた。他力本願ではだめなんです。若いものが、何をなすべきか、これをしっかりと束まない限り、若いものに未来はない。今の無責任政府において偏った政治が進んでいることを糾さなければダメだということなんですね。

 私たちが43年間、物をくれとか、金をくれとか、施設を作れとか、そんな要求をしたことは一切ありません。だから三里塚の闘いがここにあるのです。

 これを見たときに、成田空港は将来どのように使われるか。最も端的な話が、有事という言葉がありますね。有事ということは拡大解釈をすれば、いろんな方面に使えるんです。アジアに防御のためという名目で、事態の悪化を見たときには成田空港に米軍50万が、ここを拠点にして配置されるということはすでに明らかになっています。港湾、避難空港、米軍・自衛隊基地、これに給油するわけです。この一つの状況を見ても、戦争へと歩む準備が内政的にはできているんです。

 われわれは一個の人間として、これからの時代を背負う若い青年の将来を考えたときに、成田空港絶対反対の闘いは、君たちの未来のために闘う、それをわれわれの原点の一つであるということを、しっかりと確認してほしい。

 今の労働者が安心して職場で働けますか。そういう時代ではない。したがって前途が見えないというような状況があるわけですよね。あの秋葉原の青年が起こした事故は、われわれ社会が悪い。誰かが彼のそばにいて肩をたたいてやれば、ああいう事態にはならなかったんじゃないかと、悔いられてなりません。そういうもろもろのこうした「犯罪」は、将来に展望を持とうと思っても持てない若い諸君がいるということを、同時代の人間として連帯を作れば、必ずそういうことにはならない。

 63年前のあの悲惨な戦争への道へと歩みつつあることをしっかりと見据えて闘えば、三里塚がある。先ほど開会宣言に言われていますように、農地法をもって市東孝雄の土地を奪う。この一連の動きに怒りを感じないものはいないでしょう。今日、ここに集まったみなさんは、その意識を持って立ち上がっていると思います。だから他力本願ではなくて自らが動かなければ世の中は動かないということです。08105_3

 今日一日、この地でこの大地を見てください。環境問題を考えたときに、千葉県の堂本知事は、なかった収用委員会を再建したんですよ。じゃあ、15年間、収用委員会はなにの役割も果たさなかった。だが収用委員会を作ったということは、どんなきれいごとを言ってみようが、これは代執行の権限を持つわけですよ。もし彼らが、現地の農地を取り上げようとするならば、生きるために全力をかけて闘う。それがすべての日本の将来を決するものとしてあるのです。

 1966年6月22日の内定。その年の7月4日閣議決定。こんなふざけた話はない。公聴会や説明会、一切省略して力によってこの空港を建設してきた。そういう人間がいるんですよ。そういう人間、執行した国に対して、信頼できない。しかし、ただただ信頼できないではしょうがない。自らが立つ。そして自分たちの未来を創る。その決意で、私たちは闘っております。

 しかもこの闘いは全農民の闘いでもあるんです。どうか諸君が、今日の集会を第一歩として元気に戦ってもらいたい。そして世の中を変える準備をしよう。そして闘いましょう。

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2008年10月 6日 (月)

10・5三里塚全国闘争(1)

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 10月5日、三里塚東峰、空港施設に囲まれた萩原進さんの「清水の畑」に、全国から 1420名が結集して、三里塚全国総決起集会がひらかれました(上写真は、発言する関実・永井代表と山本世話人と集会全体)。

 集会のプログラムの構成自体が、三里塚反対同盟の決戦に向かう強い想いがにじみ08105_4 出たものでした。凛とした北原事務局長の主催者挨拶、明快な闘いの方向性を提起した萩原進事務局次長の基調報告に続いて、動労千葉と関西実行委からの特別報告が行われました。これは、労農同盟の闘いと広く人民の共闘の砦としての三里塚闘争を色濃く打ち出し、迫る決戦への陣形を全国的に築いていきたいという同盟の想いが参加した私たちに迫りました。それは、久しぶりに沖縄からの知花盛康さんが参加され沖縄現地からの報告が行われることでより強くされました。

 そして、コメ農家の小川さんと同盟から鈴木謙太郎さんからの「農民からのアピール」、「市東さんの農地を守ろう」として市東孝雄さんご自身からの「闘いの決意」に続いて、「市東さんの農地取り上げに反対する会」「群馬・市東さんの農地を守る会」の08105_3 皆さんの大挙しての登壇と発言が繰り広げられました。新たな農地死守のたたかい、市東さんの農地を守る闘いを通して、暫定滑走路北延伸攻撃を粉砕し抜き、全国の農民とともに農業破壊、農地強奪を許さず、FTAによるアジア侵略を許さない反対同盟の強い意志と闘いの方針が示されました。沖縄から来られた知花盛康さんも農民で、舞台裏では前日から市東さんなどと農業談義も盛んに行われ、この農民の訴えの一翼をしっかりと果たされ、私たちに本当に「三里塚闘争らしい」と想わせる構成でした。

 司会を、「農家便り」で奮闘している鈴木加代子さんが最後までやりぬき、この雰囲気を一層盛り上げました。

 9・25裁判での襲撃ともいえる不当弾圧を闘い抜いた同盟の太郎良さんの報告のあと、農地死守の闘いの重要な一翼を担う反対同盟顧問弁護団が葉山弁護士を先頭に、一瀬、遠藤、大口、浅野の各弁護士一人ひとりが決意を語ら08105_5 れ、裁判闘争が、土地収用、農地強奪を跳ね返す重要な位置を持っていることが確認されました。10・12を期して始まろうとする新たな市東さんの農地への攻撃、裁判開始などどうして許されようかという想いが、強く全体にあふれました。

 部落解放同盟全国連合会の中田書記長をはじめとした住民団体、共闘団体からの決意表明が簡潔に語られ、集会を盛り上げました。いつもと違い、少ない発言だったことがかえって集中力を集会に与えたようにも感じました。

 私たち関実の元世話人の91歳になられた森田先生が、入院中の鈴木幸司さんに代わって、同盟員として開会のあいさつをされたのには、別の感慨というか、そのお元気な姿に嬉しさを覚えました。

 一つ一つの発言について順次、ブログ上に紹介させていただきたいと思っていますが、少し録音状態が悪いようで、心配です。08105_6

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2008年10月 1日 (水)

農地取り上げ違憲訴訟公判

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 昨日、9月30日、千葉地裁で市東さんが原告になった「農地取り上げ違憲訴訟」第5回公判闘争が行われた(上写真は、裁判後の報告会冒頭に挨拶する市東孝雄さんと弁護団のみなさん)。

 被告・千葉県側が、「南台41-9の畑を耕作していないというのなら、086 訴えの利益がない(原告不適格)」という主張をしている。この「41-9」の畑を市東さんは耕作したことがないということは、成田市農業委員会で審理が始まった06年7月当初から、市東さんと弁護団は書類を提出して主張してきた。それを、千葉県は現場に行って調べようともせず、無視し、成田空港会社の「41-9を市東さんが耕作している賃借地だ」という主張を鵜呑みにして、「耕作権解除申請」を受理し、認可した。ここに間違いと、請求そのものの不当性の最大の因があるのだ。「原告不適格」とは、正に本末転倒の、強盗の居直りでしかない。

 この日の法廷に、あらためてこのことを論証する二つの準備書面が提出され、葉山弁護士と一瀬弁護士からの簡単な説明が行われた。次回公判までに、憲法29条に違反している旨の準備書面を提出して、市東さん、原告側の主張がほぼ出そろったことを確認して、この日の法廷は終わった。次回は、年末を主張した裁判長を押し返し、09年1月20日午前11時から。

 8月28日の鈴木幸司さん、いとさんご夫婦の一坪裁判から始まって、9月1日、10日、25日、そしてこの日と、わずか一カ月の間に三里塚反対同盟が現在闘っている5つの裁判全ての公判闘争が闘い抜かれた。25日の取り戻しをかけた襲撃ととんでもない訴訟指揮をも跳ね返し、勝利してきていることが、裁判後の報告会の最後に萩原進事務局次長から確認と提起がなされた。

 以下に、萩原進さんの最後のまとめのあいさつ全文を掲載します。

 「この間、動労千葉、関西などと出かけてきたけれども、そのつど勝利感に満ちて帰ってきた。闘い、裁判と充実した一カ月だった。みなさんが言われている中山の暴言というのは、突然現れたわけじゃないですよね。安倍、福田と政権を投げ出して、農林水産大臣が、自殺した松岡をはじめ4人も辞任している。今度の金子なんて言うのは農業問題なんてなんにも分かっていない。ほんとに任期全うした大臣なんていないんですよ。マスコミでは自民党か民主党かなどと言われていますけれど、この壁をぶち破らなければダメじゃないか。どっちが政権とったって同じなんだ。人々は苦しむだけだ。そういうことを押さえて、問題は安倍は右翼系だという形でやりましたけれど、やっぱりあれでももたない。素質もありますけれど、もっともっと右から強権的に支配していかなきゃならんというところまで支配者がきた。そこから見てみれば、中山の発言なんて至極当然の発言なんです。ほかの閣僚だってそうだ。ただここに、彼らの弱さである選挙が控えている。だからちょっと待てという形がある。それは徹底的な弱さだ。そこをわれわれは衝いていく必要があるんじゃないか。選挙によって勝てばいいとかいう話じゃないんだということだ。これを打倒しなけりゃならないんだ。そこに構えていく必要がある。そういうところで、裁判闘争もあるんだ。本当に判りやすい話として今でてきてるんですよ。

 三里塚闘争が「ごね得だ」とか教育問題という形であるんだけれど、市東さんが「ごね08930_3 得」やってるわけじゃありませんよ。誰が見たってわかるわけですよ。反対同盟だってそうですよ。43年間こういう形でやってきてるんだと。こういうことを本当に大衆的に知らしめて行く運動、これができる。向こうが反動的になればなるほど、オブラートでくるんで話しをすることができなくなってくる。そういうことができる。これが裁判闘争の一つの大きな面としてあるんじゃないか。それを作りながら、片や現地的には、彼らの明け渡しへの攻撃がある。来るなら来いと、10月5日、われわれは大きく旗を揚げ、宣言して対決する、こういう闘いが必要だ。そのためには、市東さんにとって決定的なものとして、現地において連日連夜デモ、集会、デモ、集会ということがある。あらゆる階層を含めて三里塚を席捲していくような状況を作っていく。

 このことを物語ったのがこの間の現闘本部裁判闘争じゃないか。あそこでデモをやることによって、向こうが震え上がったんですよ。我々も大変です。早朝から。だけど、裁判の内容も煮詰まってきた状況の中で、向こうも裁判戦術考えた。我々も考えて、それが激突したんです。その結果はどうですか。我々は勝ったでしょう。ああいう闘いが必要なんだ。今、そういうかたちで、市東さんの闘いを焦点にしながら、こういう運動と、一方で大衆的な運動を作りながら、現地におけるそういう実力をもって闘い抜くそういう核を作って拡大していく。そういうことをやっていこうじゃありませんか。そのためにも、関西から来たり、群馬から来たり、あるいは九州の方から来ていただいているわけですから、それを大きく全国にかえしていく、そういう闘いが、本当に市東さんの頑張りで、そういうことができる土俵が今あるんだ。これを十二分に使っていきたいと思います。」

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