一カメラマンの三里塚取材記(6)
京都・五山の送り火の日、8月16日を迎えると関西では夏も終わりに近づいたという一抹の寂しさに襲われる。その一週間ほど前から、路上に蝉の死骸をよく眼にするようになった。毎夏のことではあるが、蝉の死骸を見ると不思議な感慨がある。
そんな光景を路上に観ながら、思い荷物を肩や手に集合時間に着いた。私たちが乗る車の側に、携帯を手に松原さんが立っている。右手の方からFさんがやってきた。
今回の参加者は全員で5名なのであとふたりである。カメラバッグを肩から地面に降ろした途端に汗が吹き出してきた。時刻は夜の10時を少し回っているというのにこの気温である。ビルの電光掲示板が28℃を表示していた。同じ行程の行事に参加する他の人と比較して、カメラバッグの分だけ確実に荷物が多い。当然である。
“新人”のふたりがやって来た。若い女性2名である。挨拶もそこそこに出発する。少し走ってコンビニで夜食を買い込む。後はひたすら走るだけである。パセンジャーシートを倒して仮眠をとる。総距離の単純に1/3のドライビングを受持つ。
すっかり明るくなった中、反対同盟の鈴木幸司さんのお宅に着いた。今回の援農の宿泊場所を提供して頂いていた離れのプレハブ小屋に荷物を置く。
私と“新人”ふたりは市東さんの畑で茄子、胡瓜、オクラ、エンサイ(空心菜)の順に園芸鋏で摘み採ってゆく。
茄子は茎や葉と色が明確に違うので摘果は楽である。しかもある程度の高さがあり、作業性はよい。しかし、胡瓜は色も同じで高さも地面に極めて近く、作業効率は一段落ちる。葉で手首の辺りを切るという“副作用”まである。農業の大変さを改めて思う。
また、しかし…とも思う。我々日本列島に暮らす民は、縄文以来一万年ものあいだ農に支えられてきた。決して狩猟・採集が主ではなかった。
我々のDNAには土=農が組込まれているのではないか。現に日本人の腸内には肉類に対する分解酵素が少ない。いつぞや、ラジオ番組で「もし日本人が、毎日イタリア料理を一年間食べたら確実に身体(からだ)を壊す」ある医者の話である。地産地消の番組なので、多少のデフォルメはあるにしても説得力はある。
そんなことを思いながら必要量を収穫した。昼食は現闘のスタッフが作ってくれている。素材も勿論ではあるが、彼、(そう若い男性である)の姿勢であろう。ま、セクト活動家、しかも現闘スタッフに“姿勢”というのも些か失礼ではあるか…?
実に旨い食事を頂きながらふと思う。三里塚には各セクトの現闘=現地闘争本部があり、私たち関西の人間は現地に行けば彼らの世話になる。確かにありがたい事である。以下、ある種の理想論ではあるが、援農は可能な限り自己完結性を持っていないとならないのでは…?理想論に過ぎるだろうか。午後は産直の出荷作業で初日を終えた。
二日目。現地調査にあてる。
三日目。鈴木さんの畑である。私は語る立場にないが“移転派”の屋敷(確かに豪邸である)のなかに畑がある。草取りをする。鎌を手に雑草と格闘する。確かにしぶとい。根絶やしの語源はこれか?
最終日。全員鈴木さんの畑に集合。気温は30℃を下回っている。涼しい。モロヘイヤとエンサイ(空心菜)の刈入れ。午前中の休憩の時の加代子さんの話は終生忘れられないだろう。この稿は公開されたメディアなので詳細は避ける。しかし…いつの日にか語りたいと思う。
疲労からかお昼はご飯が食べられなかった。南瓜を少しだけ頂く。
着いた時の逆に荷物を車に積み込む。御土産の野菜も同様に。鄭重に御礼を述べる。柄にもなく“別れ”は感傷的になる。走り出した車の窓から見上げた空は秋の気配であった。
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