ご苦労様です。「襤褸の旗」の映画の上映がありましたが、反対同盟と当時は30くらいの団結小屋がありましたので、1日、200人くらいは集まるというところでエキストラとして毎日、毎晩かけずりまわるというようなことがありました。北原さんなんかも出てくるんですが官吏役で出たり (会場爆笑)。古い話で、記憶はなくなってるんですが、しかしああいう状況を見ると自分たちは代執行の闘いなんかをやりぬいたことを思い起こす。
また、千葉では佐倉惣五郎というのがいたんですね。当時、冷害と凶作で年貢が払えない中で、農民が困っていた。佐倉惣五郎が代表として訴え出る。当時、直訴すれば切腹覚悟という時代ですから、それをやったというところで、今も生まれた家が保存されて記念館として残ってますし、印旛沼から船で渡った「甚兵衛渡し(?)」という漁師の所もありますし、妻と子供も一緒に処刑されたということも記録で残ってるんですが、詳しい何時、どういう形で処刑されたとかは、本当に残されていない。
当時農民は作らされた作物を強制的にとられるわけですよ。しかも、いざ闘いとなったら農民を兵力として使うわけですね。しかも、死のうがが何しようが当然なんだと。それがこの間の第2次世界大戦でも、そういう状況があった。あの時、日本の農民の6割が亡くなった。戦争に赤紙でとられて戦死する。戦争が終わって、今度農民としてやろうとしたら土地がない。立ち上がって「土地をよこせ」と闘いとったのが、小作地を解消して自作農になっていく。そこで農地法を作らざるを得なかった。要するにこれは与えられたものじゃないんですね。そういうものとしてあったのを、今度はそれを撤廃して、要するに農民が土地を持って(補助金として)何億も何千万も金を使うなど許せない、「土地は国のもんだ」という形で、自分らで配分し、自由にしろと。そういうことで法律を撤廃しようとしている。
そして60%近かった小作農が、戦後5%にまで減った。その5%の中にたまたま市東さんの土地が残った。東市さんが、戦争にとられ、抑留されて帰ってくるのが遅くなって、手続きができなかった。あの一角だけが解放されずに残った。本来なら市東さんの土地なんですよ。実際、開墾して畑にしたのは彼らですよ。本来なら、取り上げられないものを、取り上げるというやりかたが今、まかりとおている。こんな時代が本当にいいのかどうか。
ちょっと横から入ったんでまとめるのが難しくなったんだが・・・(笑)。
今日、福田が政権を投げ出して、アメリカ発の金融恐慌が世界を駆け巡っている。こういう状況は支配者の危機を如実に表している。そういう中で太田農林水産大臣が任期を残して辞めちゃった。これはいろいろありますけれど、ちょっと振り返ってみても自殺した松岡から熱海、遠藤、そしてこの太田と4人の農林水産大臣が任期を全うした人がいない。この短期間の中で。いかに、今、置かれている状況が、確かに個人の資質の問題もありますけれども、難しい中に叩き込まれているというのがある。そういう中で、今日の「汚染米」、この問題にしたってミニマムアクセスの問題として根底的にはあるわけですね。日本の農政の体制そのものの根幹にあって、その誤りが今日噴き出した。そいうところから業者に委託して、今日、大きな問題になって発展した。輸送問題だとか言って、何とか中国の野菜が悪いんだ、中国が悪いんだというところへ持って行こうとしている。だけど、足もとの日本の中でこういうことを無視して、本当に治さなきゃならんところが今、大きな問題としてあるわけです。
こういう中で、一方でアメリカの金融恐慌が全世界をめぐり、証券会社の倒産が世界を 駆けずり回る。どうしようもない支配階級の体制的危機があるわけですが、これが資本主義だということを如実に示しているんじゃないかと思うわけです。その行きつく先が、戦争というところがある。そういう意味では、現に、アフガンやイラク、中東、そして今度はグルジアが戦争に入っている。そして今、北朝鮮が、また大きなうねりとして出てきている。アメリカは、今や、直接的に北朝鮮だけでなく、対中国、対ロシアという形で、ミサイル配備という方向へ確立させてきている。
そして、日本ではどうかというと、ジョージワシントンが横須賀へ入港してくる、母港化すると。そしてパックⅢの日本各地への配備ということがあるわけです。我々のところの成田でも、8月30日、31日と習志野基地から自衛隊がきて警察と各自治体と医療機関、あらゆる労働者を動員して4千名規模で、炊き出しまでやって二日間にわたって防災訓練という名のもとに初めて大規模な訓練が行われた。三里塚空港が文字通り軍事化の中におかれてる空港として存在しているということを物語っている。こういう危機が何をもたらすのか。ますます支配者たちが、こういう争闘戦の中で一層の市場原理の特進とアジアへの侵略以外活路はないというところの深みにはまっていくだろう。
そうなってくれば、あらゆる戦線で、自分たちの常識では考えられないような攻撃、今までの尺度では測れない攻撃として出てくるだろう。安倍や福田ではもたない。もっと右からの攻撃という形で、麻生という形で出てくるわけです。マスコミは民主か自民か、今度の選挙でどっちが勝つか、そういうところで世論をあおっている。我々はその壁を打ち破らなければならない。そういう壁で民衆が引っ張られている限りは、世の中変わりません。我々がここで旗揚げして、民主も自民党も同じなんだ、共産党も含めて同じなんだと、民衆が決起して、立ち上がって闘い抜いて、権力を奪取する、われわれが力を持つんだところでの大胆な歩みしかないだと打ち破っていく。そういう闘いが今必要じゃないのか。ましてや、そういう中で改憲攻撃がこの秋から来年にかけて具体的課題として出てくるだろう。本当に今、闘うものがどうすべきかという事が問われている。そういうことを考えたときに、今置かれている立場の中で、われわれは、できる限り、精一杯闘い抜いていく以外にない。自分を守るには、闘わない限り生きていけないということだ。
そういう中で、三里塚の現地的なものとして、10・5、あるいは秋から冬、来年に向けて三つの課題を提起したい。
先ず第一に、こういう中で、真に闘う労働者と農民の連帯だと思います。食えない労働者、農地を追われる、とられる農民。敵は、そういう意味では一つです。そういう闘いの中で、反戦、反核、反差別といった広範な闘いをやっている住民団体や市民団体、市民運動、そういう人たちとの連帯を積極的に求めていく。そういう運動を作っていく必要があるんじゃないか。今ほど、そういうものが求められている時はないと思うんです。三里塚は、そういう意味では、共闘と結集の場、砦だと言って過言ではないと思います。来るものは拒まず。国家権力と闘うものに対してはとことん連帯を求めます。共闘を求めます。そして、空港絶対反対、農地死守、実力闘争を展開する、そういう闘いを真に闘うものと、文字通り、真の連帯と共闘を組んでいこうと思う。そのことを三里塚闘争42年の中でやってきたわけです。関実もそうだと思います。大衆のよりどころの組織であり、大衆がここに結集するそういう組織だと思います。ですから、そういう関実と三里塚反対同盟は、一体となって闘い抜いていきたい。そういう闘いを具体的にたたかいたいということを訴えたい(拍手)。
第二に、北延伸攻撃に対して不屈の現地闘争を展開したい。工事をやっているところへ はなかなかできません。これは鉄板に囲まれた中で、彼らはこそこそとやっている。しかし、問題は、彼らは、一回北延伸をやって、工事をやります、工事をやりますという脅しの中でも、われわれは崩れなかった。それじゃあ、工事をやりました、そして飛行機を飛ばしました、上空40メートルを飛ばしました。しかし、自分たちは、「何を!この野郎」と、今も闘い抜いております。崩れるだろうと思った北延伸で崩れなかった。今度はもう一回延伸して大型機を飛ばしてやろうと、それでもって今度は崩れるだろうと。そういう狙いが北延伸の狙いなんです。これは単に北側へ2500メートル作ることが目的じゃありません。むしろ南側へ、市東さんや自分たちを崩して、三里塚闘争を鎮静化させて、そして南へ延伸させ、3500メートル、3800メートル滑走路を作って軍用機も大型機もどんどん飛ばせる空港にしたいというのが北延伸の狙いなんです。このことを見据えているからこそ我々は、歯をくいしばって40メートルであろうと60メートルであろうと、土地を守りぬくんだと、農地死守の偉大さというのはここにあるんだというところを、天下に知らしめるというかたちで頑張り抜いてるんですよ。そのことの狙いをはっきりさせたならば、北延伸は粉砕できるんですよ。戦後開拓した木の根部落、天浪部落などありますけれど、唯一残っているのは東峰部落だけなんです。この東峰部落を自分としては守り抜いていく。60軒あった東峰部落が今、6軒になりました。6軒であろうと闘い抜く。市東さんのところは古い開拓で、天神峰部落といいますが、今、1軒で頑張り抜いている。毎年、区の区長として市東さんは、一人で部落を形成してやってます。だけども、圧倒的少数ですけども、ほんとに自分たちは胸張って歩けるんですよ。反対派がいなかったら、24時間空港も、あるいは騒音対策も、あるいは道路対策も、何もできない。みんな、おんぶにだっこで、代替地や補助金もらったり、税金取ったりしてやってるわけです。反対派がいることをもって、いちゃもんつけることもできるわけです。そういう意味で、われわれに対して頭から言いきれない。少数であるけれども、胸を張って、悪いことしてるわけじゃないし、正しいことをしてるわけで、役所行こうとどこ行こうと対応できる。ですから、われわれは42年間、正義、大義の中で闘い抜いている誇りを持ちながら闘い抜いていく。北延伸の現地闘争、現地での集会、デモで勝ち抜いていきたい。
そして第三に、市東さんの裁判を頂点とする裁判闘争を徹底的に勝ち抜いていくということだ。今まで土地収用法というのがありました。しかし、それが期限が切れて消滅して、われわれが闘い抜いた。今度は、裁判所が正面に立って、それをやるという形でやってきた。裁判所が土地を取り上げる先兵になり下がる、しかも裁判の改革だというかたちで、拙速裁判で何としても二年以内に終わらせると、そういうやりかたで早期結審だと、証人調べとか内容について十分な時間を与えないというやり方で、裁判官が訴訟指揮を今行ってるわけですけれども、そういう裁判も一方ではぶち壊しながら、内容的に、実体的に裁判の勝利を勝ち取っていくという風にやりたい。そして、何よりも市東さんが土地を武器に守り抜いて、闘いそのものが、単に人の畑を守るということじゃないんですね。成田空港を、農地死守と同時に軍事空港反対という二つの大きな闘いがあります。そういう意味で、今、市東さんの畑を彼らが接収したならば、あるいは本部を取らして「ヘ」の字型の誘導路を直線に直したならば、大型機も、今までの発着回数も大幅に増やして、戦闘機も飛ばせる民間・軍用機がいつでも飛びだせるそういう施設になっていくわけですよ。市東さんは、あの土地を守り抜くことをもってね、戦争に使う滑走路をつくらせない、戦争に使う飛行場を完成させない、そういう闘いを今やってんですよ。自治体労働者、医療労働者、運 輸労働者、いっさいの労働者が戦争の中に動員されることを、やらせないために首根っこを市東さんは押さえつけている。その闘いを、文字通り「わがもの」として考えていただきたい。ほんとにみんなの課題としてあるんだということを考えていただきたい。そのことを、市東さんは、今あそこで農業をやることを通して闘い抜いているんだということを、同じ課題としてあるんだということを確認していただきたい(拍手)。
こういう中で、何十年ぶりで代執行が行われるかわからないという状況を迎えているということなんです。市東さんの土地を裁判所が取り上げることを認めるということになったときには、裁判所命令のもとに官憲があの土地を取りに来るんです。それに対して太刀打ちすることができるのかどうか、それが今求められているんです。10・5とか3月集会とか、これからそうですけれども、それだけの万余の陣形がある時に、勝ったならば、そう簡単にはできないんですよ。このことが重要なんだ。単に人を集めろと自分は言ってるんじゃないんだ。勝つためには、今までの陣形では勝てないんですよ。それを上回る陣形に、あの地にみなさんに立っていただいて、この土地を守るんだ意思表示をしていただければね、向こうも簡単に手を出せないんですよ。二次、三次にわたる代執行でね、彼らはこてんぱんにやられた、もう代執行はやりたくないというところに追い込んだ。だから何十年も代執行はできなかった。しかし、もう最後の最後として、ほんの一握りの市東さんの土地なんだと。それをとることで、三里塚をつぶしたい。ここなんですよ。ですから、まず三里塚に3千集め切ろうと言ってますけれど、そういう陣形ができたらなかなか代執行などできないですよ。こういう形で闘いを突破したならばね、必ず次のあらゆる闘いの中で生きてきます。そういう希望を自分は持っています。それを確信しています。ですから、あらゆるところで訴えているわけです。そのためにもあらゆる人たちとの連携、連帯、そして団結を勝ち取りながら、闘い抜いていく必要があろうかと思います。世界の情勢と日本の情勢を含めて、強権的にくるけれども、それは本当に弱さの表れですからね。本当に強いのかと言ったら、弱いのですよ。
我々は43年もった。もったんじゃなくて勝利的に展開してるんだということを確認しながら、あいさつにしたいと思います。何よりも、10・5の集会にみなさんがおいで下さることをお願いしてあいさつにしたいと思います。(拍手)
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