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2008年8月25日 (月)

三里塚援農報告(その3)

08821

 3日目の朝、今朝も6時半かっきりに着陸機の轟音が続く。さあ、今日は一日援農。鈴木加代子さんが用意してくれた朝食に舌鼓。昨夜、調子に乗って飲みすぎた私には、少し多いかな?しかし、とれたての野菜の豊富な料理がおいしい。

 鈴木家にカメラマンの山田さんを残して、出発。先ず、萩原さん宅にB子さんとDさんを降ろし、私は市東さんの所へ。ちゃんと地下足袋を履いて、やる気十分というか、恰好だけ08821_2 は一人前。内心は「もつかな」と不安がいっぱい。早速、現闘さんの車の助手席に乗せてもらって畑へ。「ヘ」の字を強制している南台の畑の奥のきゅうりの畑(上写真)で、きゅうりの収穫。初日にここへ入ったA子さんたちから聞いていたが、お盆で休んでいる間にめっちゃ大きくなっている。大きすぎるものや、少しでも傷んでいるものをどんどん捨てながら、摘み取っていく。もったいないなぁ~と思いながら。そう思うせいなのか、現闘さんに私が集めたものを点検してもらったら、どんどん捨てられていくではないか。残ったのは半分?しょぼん。

 作業場にきゅうりを下ろして休憩。10時のおやつ。実は、朝食がおなかにつかえて、摘み取るために前かがみになるのが苦しかった私は、思わず腰が引く。おいしそうなでっかい(通常の10倍くらい)おはぎを、みんなでわけて食べたのだが、私はそれをさらに半分にしてもらってやっと食べた。

 今度はよく集会の会場になる東峰の畑に移動して、オクラの収穫。オクラの花がきれい08821_3 なので、作業の途中で思わず写真(左)。ここでも大きくなりすぎたのをどんどん捨てていく。私のとったものを選定してもらったら、やはりここでもどんどんよけられていく。それでも、現闘さんにすすめられて、そのはねられたオクラをかぶったら柔らかくておいしい。やはり採れたてというのはおいしいのだ。「もったいな~い」とここでも思う。市東さんの自宅横の天神峰の畑にもどって、ここでもオクラの収穫。

 移動して最初の畑に戻り、今度はピーマンの収穫。ピーマンはそんなに大きく育たないので小さすぎないように注意すればよく、安心して作業。今度は虫食いや痛みに注意。次は、すぐそばにすでに2~3か月前に収穫されて干されていたタマネギの収穫。痛んでいないものを探し、痛んでいるものははねる。それを作業場に持って帰って、根や頭をはねながら痛んでいないか再点検。ところが、よく見るとほとんど半数近くが痛んでいることが判明。どんどん痛んでいるもをはねながら、せっかく収穫したものをと、悲しい気分に。そこで、昼食。

 昼食後、一休みしてから、市東さんの案内で、東市さんのお墓にお参り。この日が月命日なのだ。天神峰、十余三の部落のお墓で、近くには小川とかよく聞きなれた墓標がある。孝雄さんの横で、お線香をあげさせていただく。市東さんの農地を守り抜き、闘争に勝利することを誓う。なぜか写真がうまく写っていなかった。スミマセン。

 戻って、もう一度玉ねぎを干しているところへ行って、市東さんをはじめ4人で、玉ねぎを選定しながら取り入れ作業。痛んでいるのをどんどん後ろにほり投げながら、情けない気分に。

 そのあとが生姜の収穫。大きなカブになったものを引き抜いていくのだが、柔らかい土で見事にスポンと抜けていく。うれしくなってやっていたら、引き抜きすぎたようで、「多すぎた」となって、スミマセン。その場で、出荷できるように土と余分な葉っぱや茎を落とし、必要な量の束にたばねていく作業も。

 最後がモロヘイヤ。初日にやっているので自信を持って始めたら、雨が降り出した。雲行きが怪しいので、作業を終了。作業場にもどったとたんに土砂降り。だんだん雷が近づいてくる。光ったと思ったら轟音。とたんに電気が消えて近くに落ちた模様。それから夕食を先に頂いて、せっかくお風呂まで用意していただいていたのをお断りして(スミマセン)、萩原さん宅での二人、そして鈴木さん宅での山田さんを拾って、さらに鈴木謙太郎さんまでが乗ってきて、昨日行った「華の湯」へ。気持ちイイ~。ゆっくりと湯につかって、思いのほか仕事ができたことを自己満足しながら、汗と汚れを落とした。「菱田の郷」に戻ってにぎやかに話しながらのひと時の後、明日は帰途と眠りに。

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