上の図は、先日5月19日、市東さんの耕作が違法耕作だとして空港会社が提訴している耕作権裁判第7回公判において、専門家の測量による実測図面をもとに争点になっている畑の様子を示した図面です(ここでま「図ー1」とします)。図面左側が、いつもデモの解散地点になっている道路と、暫定滑走路敷地のフェンスの側です。実際に、現在市東孝雄さんが交錯しているのは図ー1のA、B、C、Dの4箇所で、A、Bは遅くとも1927年までに祖父の市東市太郎さんが耕作しておられた畑であり、C、Dは、遅くとも1972年までに父の市東東市さんが耕していた畑であることが、この日、弁護団から入植以来の経緯を含めて明らかにされました。
そして、農地について耕作している畑が、10年以上にわたって地主からの何らかの指摘や抗議、あるいは諍いがなく耕作が続けられた場合、その耕作地における耕作権は法律で保障されることは衆知の事実です。市東東市、孝雄親子は、このA~Dの畑についての耕作で、何一つ地主・藤崎から「困る」といったクレームをつけられたことなど、1988年まで一貫してなく、それに見合った地代を藤崎に払ってきていたのです。こうしたことから、市東さんの畑A~Dについて、少なくとも1988年以降における論議である以上分離して論議すべきではなく、一体の「農地」として考えるべきであると主張しています。
ところが空港会社は、左下写真で示されるように、A(図ー1ではA、Eの下側ごく一部とBの上側一部)、B(図ー1ではEの左半分)が、市東さんと藤崎が契約した畑だと主張して、この部分を成田市農業委員会に市東さんの耕作権を解除する申請を申し立てたのです。そして、成田市農業委員会の受理と千葉県農業会議への送付が行われ、2006年9月20日、千葉県農業会議の諮問を受けて堂本千葉県知事が解除申請を許可したという経緯です。そして、空港会社は、この左写真のA、B以外の畑について契約をしていないのに耕作していることを違法として、直ちに明け渡すよう「耕作権裁判(イ)」を、06年10月に提訴しました。
昨年7月、市東孝雄さんは、堂本知事の許可決定が、農地法違反であり、憲法にも違反するとして「違憲行政訴訟(ロ)」を提訴しました。他方、空港会社総裁森中は、昨年10月11日をもって知事の耕作権解除申請許可決定から一年を経た事を理由に、明け渡しを通告。1年の経過措置(農作物の収穫などのため)を経たこの10月以降、新たな左写真のA、Bの明け渡しを求める「訴訟(ハ)」を求めてくることは確実です。従って、市東さんの農地をめぐる裁判が(イ)、(ロ)、(ハ)の3つが並行して進むことになるのです。なお、(ロ)、(ハ)については、市東さん自宅の東に隣接する畑と作業場や離れがある土地すべてが岩澤所有であったものが、1988年、藤崎所有のものと一緒に空港公団(空港会社)に買収され、ともに二つの裁判で争われていることに注意してください。この市東さん自宅の東側の強奪は、市東さんの農作業全体を破壊するものとして看過できません。
この3つの裁判の大前提として、空港会社の農地特定のでたらめさと、冒頭述べたように本来、市東さんの耕作する農地は一つのものとして扱うべきであり、その点で(イ)の提訴は、それ自体が無効なものであり、審理以前に受理されるべきではなかったシロモノだということです。第2に図ー2の市東さんが耕作しているとされるB(図ー1ではEの左半分)は、もともと南側に石橋政次(元反対同盟副委員長)の自宅に隣接し、その家の周りの高い立木のために耕作に不向きな土地だったのです。(この地域では、強い風が吹くためにほとんどの家庭で、家の周りに防風林の役目をする木を植えている)。このため、石橋政次が藤崎から借り受け、植木の苗を育てる場所に使っていたことを政次の妹が証言しているのです。ですから、市東さんの弁護団は、耕作権解除申請そのものが間違った土地を確定して申請されていることから、受理自体が無効であり、(イ)、(ハ)は存在しえないのだと先ず、主張しているのです。
なぜ、きわめて正当な弁護団の主張が認められず、裁判が進んでいるのでしょうか。こ こで、私たちは、裁判所が果たしている役割を見据えておかねばなりません。1989年に成田空港にかかわる強制収用法の適用が20年の時効によって失効し、1993年に成田空港の事業認定自体が取り消されたのです。このことによって、本来、国・空港会社は市東さんの農地や一坪共有地、天神峰現闘本部などに手を出す法律的根拠を失ったのです。追い詰められた国・空港会社が考え付いたのが、裁判所に収用委員会の役割をさせるということでした。ですから、国の強い意志が働きかけられた裁判所は、千葉地裁、東京高裁、最高裁判所のいずれをとっても、でたらめきわまる訴訟指揮、審理無視などなどを枚挙にいとまがないほどにこの数年間続けてきているのです。正に、三里塚に法はなく、三権分立などたわごとにすぎないという現実が、国家意志をかけた成田空港拡張、暫定滑走路北延伸、3500メートル化に向けて、三里塚に、市東さんに襲い掛かっているのです。だからの、農地法を用いた農地の強奪なのです。このことの重大性を絶対に過小評価してはなりません。しかし、同時に、このむちゃくちゃな裁判所を用いた攻撃はまた、とりあえず「民主主義国家」である敵・国家権力、空港会社の弱点、破綻点でもあるのです。
ですから、昨年の各裁判における反対同盟を先頭とした裁判官忌避を含む裁判、傍聴闘争における決起と闘いが、裁判所を追い詰め、ぐらぐらにさせているではありませんか。確かにブルジュア法の枠内のものですし、そこへの一片の期待も持つことはできません。しかし、そこをも戦場として、闘い抜き、1%でも可能性があるなら、そこで勝利しようと呼びかける萩原さん、市東さんの闘魂に私たちは学び尽くさねばなりません。
最後に、弁護団が、堂本知事による許可決定が、憲法違反であると断じている論点を簡単に紹介してこの稿をひとまず終わります。
① 転用目的は誘導路整備で、知事の許可決定は農地法20条(賃貸借契約の解除)の手続きをとりながら、実質的には耕作権をはく奪するものであり、憲法29条が定める財産権の侵害です。
② 土地収用法で収用できなかった土地を、ふたたび公用収用することは法の定める手続きに反し、適正手続きを求めた憲法31条に反しています。
③ 農地法は、農地の権利移動について知事の許可を必要とすると定めています。成田(新東京国際)空港用地については省令(67年9月)で例外としたのですが、これは農地法に対する行政による立法権の侵害(憲法41条)であり、その省令による「無断買収」は許されません。
この秋、10・5三里塚全国闘争への3000人決起が、三里塚反対同盟から呼びかけられています。先立つ9月1日、「耕作権裁判」第8回公判(10:30AM~)、9月25日「天神峰現闘本部裁判」再開第2回公判(10:30AM~)、9月30日「違憲行政訴訟」第5回公判(11:00AM~)が、いずれも千葉地裁405号法廷で開かれます。関西からも、可能な限り結集して傍聴闘争を担い切りましょう。なお、傍聴券の関係で開廷の1時間前に裁判所仮庁舎1階にお集まりください。9月22日、三里塚関西集会(エルおおさか 6時15分開場)を成功させて、10・5三里塚現地へ攻めのぼろう!
なお、今晩から6人で、三里塚現地に援農などを目的に22日まで伺います。そのため、しばらく当ブログを休ませていただきます。報告などをご期待ください。
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