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2008年7月31日 (木)

7・13関西新空港闘争(4)

08713

主催者あいさつ(山本善偉東灘区住民の会代表)

 暑いさなか、集まっていただいて本当にありがとうございます。開会のあいさつをします。

 今日の集会、何といっても私は、皆さんの手許にある森田先生からのメッセージがありますけれども、この泉佐野の関空反対の集会では、森田先生を考えずには始まりません。さる3月30日、三里塚の闘争に行きましたら、森田さんは、三里塚反対同盟の正式の同盟員になって、裁判闘争に、その他あらゆる闘争に足が不自由なのに闘っておられる。91歳だといわれる。私は、91まで頑張れるかなぁ~と思うのですが、まだ3年頑張らねば森田さんに追いつかない。みなさん。森田先生といい、私といい、91、88でも闘わな08713_3 ければならないものは、絶対闘うんだと、そのことをはっきりとこの暑い中で、心に確かめてほしいと思います。

 関空二期は、まったく無用なものであることは明らかになっています。ここで配られたビ ラを見てもですね、もうほんとにあんなものを金掛けて作る必要はまったくない。のに作った。その上に今度は、あの連絡橋を国有化する。これは、明らかに、森田先生が一番最初に言われた「この関空は戦争のための空港になる。だから関西空港絶対反対という、絶対という言葉をつける」と、森田さんが言われた。その通りのことが、今、起ろうとしています。

 関西における戦争に向けての攻撃が日に日に激しいですが、三里塚においてもそれは凄いものです。三里塚では、過日「開港30周年」の何か、イベントをやっていましたけれども、萩原事務局次長は「これは空港会社の、あるいは国家の敗北を現すものなんだ」と。というのは、30年かけてもですね、最初の計画の2分の1も、3分の1も(出来ていない)。A、B、C、の空港の(滑走路)のAと、Bは欠陥の暫定空港(滑走路)、それを何とか北に伸ばそうとして、市東さんの農地を「農地法」で取り上げるとか、もう実に無法なことをやってる。何のためにそれをやるのかと言えば、やっぱり一番根本は、いざの時、もうすでに明らかにされておりませけれども、一朝有事、朝鮮戦争の時の軍事基地として、考えられているのが成田、三里塚であり、関西空港です。

 私たちは戦争に絶対に反対なんだと、どんな状況であろうが、戦争はダメ、殺すのはいや、殺されるのはいやだ。平和を本当に大切に、憲法9条を大切にする。そのためにこの関西新空港反対の集会、どんなに暑くても、絶対に勝ち抜きましょう。みなさん、ともに闘いましょう。

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2008年7月29日 (火)

農業問題と三里塚闘争(4)

07830   清水の畑でトラクターを運転する萩原進さん(07.8.30)。フェンスの向こう側は空港敷地。見えるのは管制塔。

農業問題と三里塚闘争 「労農同盟」への考察(4)

                           萩原進三里塚反対同盟事務局次長

 問題を端折って話しをしてますが・・・。「骨太」2010年以降の首都圏全体でという形で、空港の自由化だとか、産業もそうですけども、まあ、「経済財政改革の基本方針2008」という形で、6月27日に、こういう冊子を作って、政府が出したんですが、やはり、安倍内閣が途中で投げ出しましたけれど、その時に作り上げた「アジア・ゲートウェイ構想」そのものが骨格として残っている。そして、これを推し進めていかなくちゃあ、今日の日本の支配ができ得ないと、端的に現わしてきたわけですね。その空港政策として、成田・羽田の24時間問題だとか、あるいはそれだけじゃなくて、一つの飛行場としてはハブ空港としての役割が果たせないんで、羽田と成田二つを使いながら、そして関空、中部を使いながらね、大きく日本の空港を軍事的にも使用しつつ、経済的にもそれをまとめた形でやってくんだ。そのためには、今までの許可制ではなく、申請さえすればなんでも通るというようなやり方で、今までは日航とか全日空という形で使っておったけれども、会社のため、儲かるためには、あらゆる空港会社の安いところを使っていくんだと。労働者も、一方では日本の労働者に限らず、世界の中から選りすぐって、彼ら流のいう「優秀な人」を、しかも低価格の給料で雇用していくと。そして重労働を強いていく。いうようなやり方の中で進んでいこうとしているわけですね。そういう意味では、利益優先であるし、しかも、労働条件、あるいは雇用条件、給料問題も含めて、そんなものは加味しないわけで、ますます制約された過酷な労働条件の中で、そういう空港会社、航空政策がとられていく。当然、空港が延長するためには、そこには経済ってものが発生するわけで、そういうものの作り方もそこに関わってくる。アジア・ゲートウェイ構想を見ても判るように、大学の問題についたって、労働者の問題についたって、空港の問題、農業の問題、全部網羅したものとしてあると同じように、そういう形で、アジアに侵略し、しかもそれを植民地化的なものとして自分たちが延命していくと。そいうやり方がなされていく、という形があります。

 まさしく、今の韓国の農民などにとってみれば、やはり自分たちが作ってる作物そのものも大打撃を受け、死活問題だという形で、ああいう闘いがなされるわけですけれど、世界的な農村の形態と言うのは、オーストラリアで見れば、日本の何千倍という形の耕地だし、アメリカでも何百倍という形になるわけですね。そして、大きくは一握りの地主、あるいは支配者の下で、農夫として働いていくという形で構成されていくというのが、大きな例としてあるんですけれど、韓国などは現実には逆で、今までの農民が農地を離れて、もう40年前、50年前に離れて、都市近郊の中で不在地主的にある。それから土地を借りて農民がいわゆる小作として、市東さんみたいな小作としている農民というのが非常に多いわけですね。半分以上そういう形になされて、都市近郊に日本みたいに第1種農業、第2種農業と言う、半分農業をやって半分勤めてそういう形で稼ぐ、そういうやり方ができえないという農民が非常に多くて、やっぱり、作っている作物が輸入によって打撃を与えられたら、生きていけないという形で、戦闘的な闘いがなされている。そういう形で今なされているのが、韓国の姿です。

 では、日本はどうかと言ったら、戦後、先ほど言いましたけれども、農地解放として60%近い小作人が、最終的には、5%、6%にしか小作としては残らないような状況になって、圧倒的な多数が農地を手にすることができたわけですね。韓国は、そういう形ではでき得なかった、農地解放がなされない。じゃあ、今、中国はどうかと言うと、部分的に支配的な要素を含めて、農民に農地を貸し与えるという形はありますけれども、基本的には、国家の土地ですからね。ですから、どんどんどんどん取り上げられて、今、オリンピックなんかもそうなんだけれど、それを工業化されて、毎日のように「暴動」が起きてる。まあ、「暴動」というのは言葉が悪いですけれど、そうい形で農民の決起がなされてる。いう形で、このアジアの中で、中国そのものが大きくは食料輸入国としてなってる。そして韓国なんかもそういう状況を作らざるを得ない。

 そして日本は、大きく、先進国の中で一番輸入に頼っているわけです。そういう中で目に 見えるのがカロリー計算で40%を割ったというような言い方をしていますけれども、餃子問題なんかで判るように、加工製品にされたものはその中に入ってないんですね。ですから、いわゆる生協だけでも中国には十何社、会社を持って取引をやってる、そういう加工会社なんかがそこに入ってる。そういう形で、学校給食から、居酒屋から、スーパーからあれだけのものを卸して、輸入してるわけです。材料は向うのもんです。だけど、それは輸入品として40%の中に入ってないわけです。だから目に見えないそういう輸入っていうものが、一方では民間を通してなされてる。政府間のあれで、業者も入ってんだけれども、統計による調査・・・・莫大なものとしてある。だから、本当に国内産でまかなって消費ができるかといったら、ほんとにできえない状況になってるわけです。そんな国が、国として栄えることができるのか、というところの素朴な考え方をしてる人たちにとってみても、これはとんでもない話になるわけですね。そういう問題も含めて、今ほんとにこの問題を話しこんでというか、消費者と言われる労働者も含めて、判りやすいものとしてあるんじゃないか。そして三里塚問題について見ても、確かに戦争問題、そして一方では農地を取り上げて、そして外国から持ってくる。そして外国の人たちから、そういう意味では札束にものをいわせて、奪いとってくるようなもんである。こういう形で、一方では飢餓を作ってる。そういう状況がなされてるところで、やはり、これは一国の問題じゃない訳です。日本だけの問題じゃない。相手国のこともそうだし、そこから発生する枝葉が大きく出てくる。そういう国際的な観点から見ても、文字通り連帯した闘いが求められる。同時に、そういうことを自国において認めていていいのかという闘いが組まれなくてはならない、組まれなければ嘘の闘いになっていくのじゃないのか、いうことが求められているという形が一方にはある。

 そういう意味で、何としても市東さんの農地そのものの強奪というのが、そういうものを全08330_2 部包括した、包摂したものとして、今、攻撃がなされているんだということを、自分たちは本当に自覚したうえで、そのことを解き放って闘いを組んでいきたいという形で、市東さんの闘いを絶対に土地を彼らに明け渡さないという闘いを作っていく。そのために裁判闘争も勝たなくちゃあならんと。裁判闘争を闘いぬいてく中で、そういう闘う陣形を作っていく言う闘いを展開したい。それが、これから夏から秋に向けた大きな課題として一方である。もう一つは、あくまでも、先ほど言いましたけれど、単に北延伸という形で何百メートル滑走路が延びましたというのが空港完成の問題性としてあるんじゃなくて、それから出てくるのが限りなく4千メートル近い、あるいは大型機がどんどん飛べる、そういう滑走路として文字通り首都圏を防衛する大きな軍事空港としてなされるのかどうかというのを、市東さんは、あの土地をもって阻止している。そして、そのことに動員される自治体労働者や運輸労働者や、あるいは国鉄、JRなんかもそうですけど、そういう人たちが動員されないためにも、その土地を阻止していくんだという、そういう大きな連帯の闘いとして存在してるんだということも見出さなきゃならんし、そのために彼は「1億8千万。そんなものは金の問題じゃない」と簡単に言ってるんだけども、そういうことを含んだものとして存在してるんだという形で、市東さんの闘いっていうのはものすごい大きな要素を含んでいるという形で、何としてもこの北延伸を阻止する闘いとして現地闘争も、どんどん組んでいく。そういうためには、だいたい月一くらいに現地では見計らいながら現地闘争を展開して、裁判闘争の闘いと同時にやりながら10月の全国集会の大爆発を何としても、成し遂げていきたい。前回、3月、やっと千の大台を持ちなおしたという段階で、またこれを割り込むというような形では、支配者どもとの闘いでは、徹底的にマイナスになります。そして、そのために三里塚闘争そのものが、作られてきた今、登りつめて、これから大きく羽ばたこうとするそういう内容も含めてね、今あるんだということを確認しながら自分たちは進みたいと思います。

 自分が言いたいのは、三里塚闘争というのは、全国の人に支えられてというのが確かにあります。しかし、歴史的な背景の上に立って三里塚闘争がここに存在して、しかもその存在の仕方が今までの歴史的な労働者とのものを大きく乗り越えて、しかもそういうところに存在しているのだ。そして、あらゆる階層の人たちがその中に、自らの課題として闘いぬいていく。そこに我々は、農民の立場から、農民として全国の農民に訴え、そのことを農民だけの闘いとしてじゃなくて、日本の革命を起こす主人公であるのは、やっぱり労働者であると。労働者とともに闘うんだと。その闘いのための大きな一翼を農民が担うんだと、そういうことを大胆にこれからやっていこうと。ですから、農業・農民問題は、これは農民だけの話じゃなしに、農村だけの話じゃなしに、決してそういう枠じゃないんだと、労働者そのものの総体もそこに関係してるし、そういう責務をもってるんだということを訴えながら、そして、そういうことを爆発させていけば、もっと三里塚闘争が巨大な闘いとして、そしてしかも、もっともっと発展した闘いとなってくるんじゃないかということを訴えたいわけです。

 今、政府は、なかなか農地法の問題、土地の問題を手をつけようとしたんだけれども、今置かれている非常な危機的状態で、裏ではやってるんですが、表では出しきれないという所に今あるんですけれども、先ほど言いました閣議決定の「骨太方針」っていう問題についてみれば、それは骨格は決めちゃうと、決めた中に何でもぶち込んでいく、そういう形がありますんで、そういう形でやらなければ延命ができえないという状況。それを裏返しすれば、決定的に弱体化された体制としてしか存在していないんだということを証明しているわけですけれども、そういう中で、我々自身がそういうものを自覚し、認識しながら闘えば勝利できるということを、逆に言い切れるんじゃないか。(了)

 (右上の写真は、今年の3・30全国闘争で基調を提起する萩原進さん)

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2008年7月28日 (月)

農業問題と三里塚闘争(3)

08331   写真は、現地調査に訪れた私たちに、和やかに話される萩原進さん。土砂降りの雨と寒さに震えていた私たちには、ふかした八つ頭(中央の籠の中)が本当に美味しかった。

農業問題と三里塚闘争 「労農同盟論」への考察(3)

                        萩原進三里塚反対同盟事務局次長

 「各種法令の歴史(戦後史)」(後掲)というのが、下(別紙資料)にありますけれども、これを見ていただくと判りますけれども、体制を司るについてみれば、選挙法もありますし、労働法、あるいは教育基本法もそうですけれど、その中に農地法も入る。大きな位置としてそこに入る。つい先だって、国会での教育基本法の改悪という形で、闘争が組まれて、そういう形で今なされてますけども、憲法が作る前にやっぱり農業基本法なんかが、そこで成立していかなきゃならなかった、そういう歴史的背景があるわけですね。労働者の法律と農民の法律を作んなきゃしょうがない。そして、それをもって支配していかなきゃならない。この事実だけを見ても、日本のそういう戦後の支配体制の計画性の中で、その場をしのいでいくためには、こういう形を取らざるを得なかったという所があるわけですけども。まあ、何よりも、あらゆる機会で言われるように、農地解放なんていうのは、これはもう、農民の闘いによって全国各地、(資料に書いてなかったかな) 何千件という形で、農民組合とか、そういうものが闘いが勃発して、正に革命前夜的な状況を醸し出して、これはこのままではとんでもない事態になるという形で、農地解放に踏み切らざるを得なかったという歴史的なことがあるわけですね。そのことをもって運動の沈静化、そして農民の爆発を抑えてきたわけです。そして、それが一方では抑えたにもかかわらず、先ほど言ったような砂川の闘いまで続いてきてるいう形があって、その砂川から、我々は、宮岡さんの教えを受けながら、現地でも、初めての砂川と三里塚の闘いを組んで、その中に先ほど言った新左翼と言われる人たちも招き入れて、そして今の陣形を作って、そして三里塚闘争を闘いぬいたからこそ、今日、勝利的な大道が守られているということが一方で言い切れる。ですから、この問題をもう一度掘り返して、文字通りの労農同盟そのものを各々の立場から大上段に掲げてやりぬく、そういうことが一番今求められてるんじゃないのか。そして、そのやり方と言うのはいろいろありませけども、決して並大抵のやり方ではなかなか難しさはあります。時間的な制約によって非常な困難性を招いているのは、とりわけ農民階層のそういう、もうあきらめ論というのが非常に強くて、非常にそういう意味での決起というのが中々作り得ないというのが一つと、もう一方、都市と農村、都市近郊の農村と文字通り山間地帯の農村のそういう意識の問題、あるいは置かれている環境の問題、そういう問題での運動の仕方、そういう問題も含めて、問題性がありますけれども、やはり、ただ共通なのは、このままでは農民としてやっていけないし、農業を育てることもできないし、そして田畑を守ることもできないというところまで来てるということについては認識は一致してるわけです。唯一、そこでどうするのかという問題についてだけ、解き放つというところまで行けば、問題性ははっきりしてくる。

 そこで、だんだん、先ほど言いましたけれども、食料危機とか、…危機とか、そういう形07107_2 で非常に具体的なものとして浮き彫りになってきましたけれども、いわゆる結論を先に言えば、要するに資本主義社会において支配者と農民とは、対立関係以外の何物でもない。いわゆる、農業のように非効率的な、非効率なものを資本主義社会の中で商品化して、あるいは商業としてやっていくというのは非常に困難性があるわけです。どういう角度から見てもそうだけれど、ですから、いろいろ解き放して見てみても、一方では食料自給率という問題だけを堅持しながら、何とか国内で統治していこうとするんだけども、それをでき得ない国というのはどうしても出てくるわけです。いわゆる食料の奪い合いというのは出てくるわけす。典型的なのは、イギリスですよね。そういう意味では、農業国じゃなく、世界の工業国としての存在があった。しかし、それを、自給率を堅持しながら、食料を自分たちは確保するというためには、植民地を多数持って、あるいは食料危機を発信する地域を確保しながら、他国の支配によってそれを堅持していた、というのがイギリスの姿なんですね。それを真似しようとしているのが、いういろいろな国もあるわけです。そこにアメリカという、戦後、世界大戦後、強力な国が出てきて、地域が、いろんな意味で、争奪戦の中でかすめとられていく、そういう状況の中で、日本はどうするのか。いわゆる工業国、工業国という形で、まっしぐらに走ってきた今日の結果が、今の自給率の問題としてそういう形で出てきちゃったわけなんだけれども、そして、その結果、アジア諸国の中で権益を高めながら、食料自給率を高めていくんだというような方向性を出したのが「アジア・ゲートウェイ構想」として今日出てるわけですね。だけども、これはもの凄い危険性をはらんでるし、こういうことは絶対的には、・・・不可能に近いわけですね。これに踏み切ってやっていったら、これは、今の韓国だけじゃなくって中国もそこに控えてるし、アジアの中でもとんでもない話で、今までコメの輸出という形でやっていたのが、今、もう自己防衛的に輸出そのものを止めて、自己の食料自給率を高めていくという風にしか行きえない。そして、根本的には、先ほど資本主義の中で商品がということを言ったけど、大きくアジアの農業なんて言うのは、そういう意味では家族経営的な農業が非常に多かったわけです。ですから、金券作物、いわゆる金に、貨幣価値に換えられる作物というものは、作って、外国に輸出して、そして国の貿易を黒字にするようなそういう農業の国というのは少なかった訳です。だけども、それでは、資本主義社会の中で国は非効率だという形で、金券作物にど んどんどんどん変えられてきた、その結果が今日の食料自給率の低下を招いているわけです。いわゆる家族経営的な農業を全部つぶして、大型化するとか、集約化するとか、あるいは産地そのものを集団的に育成して、それを輸出するとか、あるいは国内の中でも経済的にこれをまかなっていく、そういう農業形態に変えていくのが資本主義社会の中での農業形態なのです。そうしないと日本の大きな経済の枠の中での農業分野というのは支配しきれない、というところにきて、やっぱり、全体の姿になってきた、いう形が一方であるわけです。

 だけども、そのことを、今、韓国が、貿易協定を結んでそういうものをやろうとして大きくのめり込んでるんですね。だけど、一方は、そのことを通して、やることを通して労働者そのものの首切りが始まるし、労働者そのものが仕事場がなくなるし、低賃金を強いられるし、そういう状況を招くんですけども、やっぱりそうせざるを得ない、そういう仕組みの中で農業というのがある。いわゆる、イギリスやなんかみたいに、産業革命なんかで、丁度、工業も、産業も、ひとつの改革的なものがなされて、手直しがなされて、分配がされて、そういうものが今日まで行きついたものじゃなくて、農民、農村、農業というものが、そういう意味では封建的なものそものの残存物を抱えたまま、本当に分解をされないできちゃった。それを資本主義社会の中で生き残って、そしてそれをどおして調和をとっていくかというところで、失敗して今日の姿になっているわけで、その具体的な例として、食料そのものを燃料に変えてというのも、誰でもわかるように金券作物としてそっちへ行っちゃうという形で出てくるわけですね。そういう形で、今まで自分たちの食料を作っておった農民が、そういう食料ではだめだという形で、金に換えられる作物、国のためになる作物という形でやられたのが、やっぱり飢餓をつくるもとでもあるし、そして格差ができてくるもとにもなった、というのが現在の姿です。そのことを、はっきりさせていかなくちゃあならん。そして、今日の原油高という形で、漁民が、何万艘といわれるひとたちが、操業を休む。これはある意味でストライキですよね。これをやればやるほど赤字が深まっていく。言う形で、大きくは、第一次産業が、そういう形で、林業も含めて、本当にできえない状況の中にあるわけです。だけども、今までは、それに対して、全漁、全林に対する一定程度の補助金を出してほしいという形で、地元代議士だとか有力代議士をつかいながらやっていけば多少のおこぼれは出た。今、はっきりしていることは、「もうそんなことはできない」と頭から言われてるわけです。そういうところまで今行きついてるわけです。これだけ困ってる漁民、あるいは、老人もそうだし、弱者総体がそうです。それに対する、そういう金を出すことが出来ない。おこぼれを出すこともできない。要するに、そのことをもって、逆に「批判されるかもわからないけれど、そういう形では構っちゃいられないんだ」というところまで来ちゃってる。そういう状況を、我々は、本当にこういう形で、今の資本主義の体制の中で、こういうことは絶対に相容れないものであると、そしてそれは解決でき得ないものであるということをはっきりさせた上で、こういう人たちと連帯を求めて闘いぬいていくいう形を作っていきたいということをはっきりして、そして、そのことを、日本の世の中を変える主人公は、やっぱりあくまでも労働者であるという、そのことは決定的なものとしてある。しかし、その労働者とともに闘いぬいていく、各階層がそこには存在しているんだということを、一方ではっきりさせる必要がある。

 しかも、そういう中に三里塚闘争というものの位置があるし、その中で農民が、そういうことを自己目的的に、そして自覚をしながら、そういう働きを今、始めているんだということをはっきりと表明していく必要がある、いう形で、三里塚闘争を闘いぬいていく大きな要因としてある。ですから、単に農民問題、農業問題という形で言いますけれども、これはあくまでも労働者の問題でもあるわけです。プロレタリアートの問題でもあるわけです。そのことをはっきりさせたい。いわゆる、ある書物なんかでは、「プロレタリア革命によって一切の農民も解放されるんだ」と、確かにそうです。しかし、それに対して農民はどういう立場をとるのかと言ったら「階級的移行」という形で書かれてる。その内実がどういうものであるのか、本当に、そんな書き方、絶対に農民はついてこないし、農民は決起できない。やっぱり、農民の中に、そいう革命党なら革命党、プロレタリアートはそういうものに徹底的に学び尽くし、そういう立場に立ち切って、そして同じものとしてやらなくちゃあだめだ。我々は、労働者と同盟軍であるという立場で、今立ちあがってるわけです。やはり、農民も革命的農民として立ち上がる。そういう農民も労働者と同盟軍である。であるならば、「階級的移行」ではなくて、大合流なんですよ。そういう形を作っていきたい。マルクス・レーニンの問題を言うまでもなく、いろいろ誤解がありますけれども、農業・農民問題についてみれば、解決、またプロレタリア革命に求められる、農業・農民問題の特殊的意義が「前時代的である」とか、そんなものじゃ決してないということですね。第二次的問題じゃあ絶対ないんだと。現実には、革命党が、そういう意味では農業・農民問題の正しい解決の道を、その革命戦略の中にはっきり示していくということが求められていると思う。そういう方向の中で農民に全力で働きかけていく、農民自身の闘いを積極的に全力で支持し、そして助けていくというかたちで行かなければ、成否もなりえないということをはっきりさせていく形でいるわけです。そういう歴史が、三里塚闘争の歴史が、内灘であるし、妙義であるし、砂川であるし、日本原であるし、そういう形であったんじゃないか。しかも、今日の三里塚の闘いの中で、動労千葉はそういう役割を果たしたんです。逆の意味で言えば、動労千葉の存在が、三里塚反対同盟に果たしたんです。そして三里塚反対同盟の存在が果たした、そこに動労千葉があるんです。その相互の関係があってはじめて三里塚闘争の勝利的地平というのが築き上げられたわけです。そういう新たな労農同盟の萌芽的な状況というのがそこにあったし、あるんです。それを積極的な形で行くんだという形を作っていかなければならない。あらゆる戦線、あらゆる階層がそういう形で、大合流を図っていく、いう形の闘いが求められてるんじゃないのか、いうことが、今日、農業・農民問題を解き放ち、三里塚問題そのものをもう一度足もとから洗い流して見てみたら、そういうことがはっきりしてきた。ですから、いろいろ問題が出てきていますけれど、今こそ大きな意味での大同団結を図りながら闘いぬいていくというのが、非常に大きなものとしてあるんじゃないか。

(別紙資料) 各種法令の戦後史

1945年12月17日 選挙法改正公布(婦人参政権) / 1945年12月22日 労働組合法公布 / 1945年12月29日 農地調整法改正(第1次農地改革 松村農相) / 1946年10月21日 自作農創設特別措置法(第2次農地改革で本格化) ――― これらが新憲法制定に先立って行われた / 1947年3月31日 教育基本法・学校教育法交付 / 1947年5月3日 新憲法施行

★ GHQは、戦前の地主勢力が日本軍部の背後にあるとし、農地法を「憲法改正に匹敵する」と位置付けた

(右上写真は、昨年10・7現地闘争で、基調報告をされる萩原進さん)

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2008年7月27日 (日)

農業問題と三里塚闘争(2)

08330    写真は、全国闘争(08・3・30)で、基調提起する萩原進さん

農業問題と三里塚闘争 「労農同盟論」への考察(2)

                  萩原進三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長

 今日は、いわゆる三里塚闘争がやはり単にそこに空港という問題が地に不時着して、そして農民が土地を守るために決起して、あるいはそういう中で既成政党、あるいは新左翼と言われる人たちの論理性の中で、軍事空港という自ら誰でもの課題として捉えられるそういう政治的課題として二つの柱が出来てきたわけですけれども、突然変異的に三里塚闘争みたいなものがそこに出来たというんじゃなくて、市東さん問題を突き放して考えて見た時に、戦後の農地解放、あるいはその前からもありますけれど、ここにも書いてありますけれど、やはり農民、あるいは地域住民、漁民の闘いとそこにおける労働者の結合の闘いによって闘いが展開され、一定程度間断はありますけれど、間はありますけれども、それらが代々引き継がれる形で三里塚闘争が引き継がれて今日来たという風な、歴史的なことが裏付けられるんじゃないかということを、自分たちははっきり言い切ることが、我々の学習会の中でできたわけですね。

 まあ、それの問題としては別紙で、「戦後の農民闘争、全国基地闘争と総評労働運動」、「各種法令の戦後史」という形で作ってありますけれども(後掲)、まあ、内灘と北鉄労組、妙義と群馬県評、砂川での東京地評や三多摩労協のたたかい、この辺では日本原の闘いなんかもあるし、そして直接的には砂川の闘いを大きくは引き継ぐような形で我々、三里塚の闘いが展開されてくる。そして一方では戦後の農地改革と、そして農民闘争を闘いぬいた茨城の山口武秀氏が率いる常東農民組合の闘いが、三里塚の中にも持ち込まれてきた、という闘いとしてある。そして何よりもそこの中には、労働組合、あるいは労働者がともにそういう形で闘いぬいてきた、そいう形でできてきた。ただ、三里塚の場合、そういう意味では大きくは総評の労働運動そのものの解体が一方ではなされ、社共の裏切り的なものが表面化してくるという中で、今の、当時言われた「新左翼」と言われる人たちとの結合という形で42年間闘いぬかれているという姿があるわけです。

 これの決定的な違いというのは、文字通り、いわゆる諸要求の闘いじゃないし、部分的Photo 改良主義的闘いじゃない。土地そのものに対して、土地を武器にして、そして権力を打倒するんだという改革闘争として存在させるし、そして軍事空港として戦争にたいして反対して、そして支配者を打倒するんだという闘いにまで上り詰めていくというような闘いとして三里塚闘争が、今日なった。これは、いわゆる社共の、あるいは総評、労働運動の殻を打ち破ったものとして存在したのじゃないのか、ということがそこにあるわけですね。それが、主人公的に誰がなされたのかと言ったら、それは、決して社共でもないですね。そして新左翼がやったのかと言ったら、そうでもない。社共を追い出すということ自体は、これは当時の「新左翼」と言われた者たちの論理性もありましたけれど、だけども実際にそれと闘いぬいて、そしてその姿を打ち砕いて、そして現在の非妥協の闘いを作り上げたのは、三里塚の農民なんですよ。そして、それとともにそれに共感して、そして共に闘うという戦線ができたのが今日の姿なんです。それを正しく今度は指導して、そして勝利に向かっていくというのが、やっぱり党と言われる立場の人たちの存在というのが、そこから問題視されるわけですけれども、やはり、今までの限界性が一方ではあったけども、解き放された戦闘力とそして思想性を今日の三里塚闘争というのは、ある意味では、新左翼と言われるそういう人たちも、逆に鼓舞激励し、そして一方では巻き込んでいくというような闘いとしてあったんじゃないのか、ということを自分は、今、声高らかに言いたいわけですね。それは何かといったら、今までのそういう形態とは全然違うものとしてそこにはあるんだという、いわゆるそれが・・・、絶対的な要素として非妥協、実力闘争を展開して、しかも、世の中を変えるんだ、いわゆる言葉としてストレートに「革命」という文字、言語を使わないまでも、そういう闘いとして今日存在しているというところがあるわけで、そういうものが根底にあって、そこからいわゆる農民という立場で、それじゃあ労働者に対して「一緒に闘おうじゃないか」ということを訴えて、しかもそれを実践しようとしているのが今の姿なんです。実践するに当たってそれじゃあどうするのかというところで考えざるを得ないというところで今来てるわけです。まあ、どういう形でいくかというところがあるわけですけれど。

(別紙資料)戦後の農民闘争、全国基地闘争と総評労働運動

●敗戦直後の1945年秋、ただちに農民闘争が始まった。農地解放に近いことを知った地主は小作地を闇値で売り逃げに奔走した。46年6月までに25万件。地主に対する小作農民の闘いが始まった。土地取り上げに反対、小作料減免、耕作権承認を求める闘いは全国に拡大し、農民組織が結成された。茨城東部では地主勢力と対決、小作地の開放に勝利し、軍用地の開放や未墾地解放、山林解放を闘いとった(常東農民組合)。後に山口武秀によって三里塚に続く。日帝支配階級は農地改革によって農民闘争の沈静化と労農の分断を計ったが、農民の闘いは続き、農地改革が一段落して農地法が成立した。

●1952年内灘米軍射撃場接収反対闘争。続いて妙義、北富士、大高根など全国基地闘争が展開された。立川飛行場の拡張をめぐる砂川闘争はその頂点の闘い。いずれも米軍占領期から続いた旧日本軍基地の米軍による継続使用をめぐって、数千数万におよぶ農民が長期闘争を闘った。

●50年代全国基地闘争に農民が大衆的に決起した要因には当時の先鋭化した総ひょう労働運動の存在があった。(内灘と北鉄労組、妙義と群馬県評、砂川での東京地評や三多摩労協の闘い、そして砂川・・・・・・全学連との連帯は三里塚労農学連帯に直接つながる)

●三里塚闘争はそれを引き継いで全地区的規模で部落ぐるみで行動隊を編成し、婦行、老行、少行と高校生協議会を組織し、積極的に全国支援を求め、労働者と連帯して日帝と対決する闘いを実現した。

(中段・右の写真は、07年8月5日、広島で行われた「国際連帯集会」で発言する萩原進さん)

 

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2008年7月26日 (土)

農業問題と三里塚闘争(1)

Y10   写真は、伐採された東峰の森を背に、畑での萩原進さん(07年11月)

 先日、7月21日、淡路で関実住民団体恒例の「研修会」が開かれ、初めて三里塚反対同盟の萩原進事務局次長にお出でいただき、1時間にわたる「農業問題」についての講演をしていただきました。今日から、数回にわたって、その録音の掘り起こしを、当ブログにそのまま全文掲載していきたいと思います。まったく修正を加えず、掘り起こしによくある事ですが、聞き取り違い、聴き取れない部分も多々あろうかと思います。出来れば、来月末発行予定の「実行委ニュース」123号に、整理をし萩原さんご自身の加筆訂正も加えていただいて、掲載したいと考えております。その原稿ですので、文責はすべて当「三里塚・関実ブログ」管理人にあります。題は、こちらの一存でつけさせていただきました。

農業問題と三里塚闘争 「労農同盟論」への考察(1)

 ご苦労様です。まあ、自分なりにはこの二年、あるいは二年半、「労農同盟論」というかたちで訴えて、三里塚闘争の広範な、あるいは、そういう意味で革命的農民運動、あるいはそういうものとの労働者との結合、そのものが三里塚闘争の中でやっぱり萌芽的にあったんじゃないのかということを下地にしながら、今日のこういう状況の中でどういう立場をとって闘いぬいていくのかということで訴えてきたつもりなんです。まあ、そういう中で前回、Hさんも、農業問題を訴えて勉強会がなされてる(08.2.26関実主催・三里塚公開講座。「実行委ニュース別冊『農業問題を考える』参照)。そういう下地がありますんで、それをもとにしながら現地でも、若い人たちと、そして産直を手伝ってくれている支援の人たちと共に、「労農同盟論」あるいは「農業問題」という問題の勉強会を3度、4度続けて今日まできたわけです。それをたたき台にしながら、三里塚から「労農同盟論」、そして三里塚の闘いがやはりそういう土台の上に立ってあるんじゃないかということを確認しつつ今後の闘いを展開したいというところを、我々、今勉強会を開きながら進んできてるわけです。

 まあ、ある意味で、まだまだ「農本主義」だとは言わないまでも「戦線主義じゃないか」というところでの批判を受けているわけですけれども、それでは、今日の世界的な食料問題から発するところの大きな闘い、それはどういうことを意味するのかと言ったならば、やはり自国日本においてこういう問題をどこが、どういう形で取り組んでるのか、言うことを問い詰めた場合には、これはどこもやってないんじゃないか、はっきり言って。まあ、少なくと08331 も自由貿易問題(FTA問題)をかかえもって、必ずそういう問題が世界中に蔓延するし、そしてそういう形が政治的、経済的な課題として登場してくるんだということは、まあ、2年前から自分たちは言っておったわけですね。やっぱり、そのことが、如実にすぐ隣の韓国においては、やっぱりそこには行われているんじゃないか。直接的な問題としては牛肉問題から端を発したけれども、やはり根本的にはそういうところが当事者である農民と、そして労働者が一体となって、そして政権打倒へ向かっていく。そういう怒涛のような大きなうねりが、すぐ隣にある。それに対して、単に「連帯するんだ」と言う形で言うのはいとも簡単な訳です。しかし、それに対して我々はどうするのかというところで対峙して、そして構えて、そして造り上げていくのかどうかというところが問題性としてあるんじゃないのか。はっきり言えば、労働運動の中で食料問題を取り上げて、労働運動をやるのかどうか、と言ったら、今の指導者で「またか」という形で尻込みしてるのが本当じゃないのか。しかし、今の流れの中に、・・・・できるだろうけれども、本質的にこれを革命的立場、あるいはそういう潮流の中で解決していく、そういう指導的立場でやるのかどうかと問い詰めた場合には、本当に責任持ってやるのかというところで、答えられるのが居るのかどうか。そういうことを、三里塚闘争を掘り起こしてやった場合に、そういうことがあるんじゃないのか。いうところまで突き詰めて今日、学習会を開いてきてるわけです。

 今、我々は「農業問題」という形で言っててきた。最初は確かにそうでした。市東さん問題を、農業委員会、あるいは自治体、あるいは県、農林省、そして全国の農民の現状を分析してやってみたら、我々の予想をはるかに、はるかに上回る速度で農家が潰されて、そして一つの階層が日本の中では死滅するという状況を醸し出している。その典型として、矢面に立たされたのが市東さんの姿であるというところで、本当に立ち遅れに立ち遅れた形で市東さんの闘いを立ち上げたわけです。しかし、そこには単に空港の持つ農地取り上げともう一つの軍事空港反対という二本の柱の中で、農地取り上げという問題に対する認識の問題というのが出てきたし、一方では、軍事空港という、いわゆる戦争に向かう空港建設の姿そのものの優先順位的なつけ方という形での理論性が浮かび上がってきたわけです。そういうものが一体となってやらなきゃあしょうがないというところが、裏返して言えば、文字通り「労農同盟」としての立ち上がりであるし、構築であるし、そしてそういう闘いが求められてきている、ということがあるんじゃないか。言い換えれば、自由貿易交渉で、やはり農産物を見返りとして持ってくるいう形のやり方ってのは、いわゆる農民階層、あるいは農業というものを、工業製品を売るために、道具として使われてくるわけですね。そういう意味では、農民階層そのものが、否応なしにそういう中で、自身を捧げられると同じように、そのことをもってやっぱり、資本家どもが生き延びていくという見返りをとるための姿であるというところで、後ほど結論的には申し上げますが、いわゆる資本主義の中では農業問題は解決でき得ないところがあるんですけれど、やはりそういう大きな流れの中で、今後市場の争奪戦、争闘戦というかたちが、もっともっと激化してくるところが今起こってきているわけで、大きな流れとして、先ずこの資料にも書いてありませけれど、食糧暴動、あるいは原油暴動という形で、インターネットで世界中駆け回っております。そういう形で、今後どんどん深みにはまっていく、というのがここの実情ではないか。そういう中で、先ほど永井さんの話の中にもありましたけれど、そういう意味でやっと食料問題は、黙っておったんではこれはしょうがないというところで、国民総体が関心を持たざるを得ないところまで入ってきた、いう段階に来てるんじゃないかと思います。そういう中で、やはり農民そのものが、もう臨界点に達していると自分たちは分析したわけで、この人たちとどうやって闘いぬいて、一緒に戦線を作っていくかってところまで指針を出していかなければならないというところまで行きついたのが、現在の三里塚闘争の姿じゃないのか。(つづく)

 (なお、この21日は、聞くことに必死で、写真を撮ることを完全に失念しましたので、今後も含め萩原さんの写真は、全て過去のものです。右の萩原さんは、08年3月31日、現地調査に訪れた私たちに語ってくださる萩原進さんです。)

 

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2008年7月24日 (木)

7・13関西新空港闘争(3)

08713  新空港反対東灘区住民の会世話人・白石裕さんの決意表明

 今日は。つい先日、「初めの頃私も手伝いました」というかなりお年の方ですが、お会いしました。今日の集会に、「あのころあなた方が言っていた、大阪湾のどこかに空港を造るというのは、いざとなったらいつでも軍事空港化される。戦争に結びついた空港なんだということが、ますますわかってきましたね。是非頑張ってください」というようなことを言われました。

 一方では、今なお私が闘わねばならないほど本当に出鱈目な、戦争に向かう、戦争でしか解決できないようなことを国民に求めていくような政治が当たり前のように行われています。そのツケが、今も泉州住民の会の方がこもごも言われましたように、関西空港は泉佐野の住民の人たちを、大変な苦しみのもとに追い込んでいます。費用のことにしても、私は聞くだに本当にひどいなと。「あの病院はいざという時には野戦病院化するんだよ」というようなことを、私も何回かここでビラまきに来たときに話しをしました。今まさにそのためにだけあの大きな病院を作って、維持してる。お医者さんがいなくなっても、軍医というのはそういう時になれば、ちゃんと来るんでしょう。戦争のためにはあの施設が必要なのでしょう。私たちは生きるために、国が私たちに何をしたのか、そのようなことを考えさせられます。国は戦争するために、今の帝国主義の体制の下で、戦争をしなければ生き残れないような状態を着々と作ってきました。正に、戦争に向けて大阪湾一帯は軍事基地化されてます。アメリカの極東戦略の再編のもとで、日本は出撃の基地、朝鮮半島に向けて、中国に向けて軍用機が飛び立つための基地をどこにするか、機材をどこに置くか、それしか今の国は考えていないでしょう。ブッシュに、この前のサミットのときには、福田首相がニコニコとしてましたが、あのニコニコの中には、ブッシュから何を言われているか、アメリカのために日本は何を求められているのか、そのニコニコした福田の想いの中にある今の日本の状況に背筋が寒くなる思いがします。これを何としても倒す。これが今の私たちの課題です。

 一方では、アジアに進出していくために三里塚空港を完全なものに仕上げたい。完全なものと言うのは変な言い方ですが、国が考えるような空港にしたい。それを三里塚の反対同盟を中心とする農民の方々が、見事に阻止しています。これからも今の阻止が続くでしょう。農地法を悪用するようなことでもって、市東さんの土地を取り上げようとしてる。一方では、FTAというようなことの中で、日本の食料自給がどうなろうと、とにかくアジアを支配できるような軍事空港化する。その目的のためには三里塚農民を虫けらの如く追い出し、三里塚40年の闘いを、まったく闘いとして認めようともしない。この今の政治を本当にぶっ止めなければと思います。日本の農民が、日本の働く者が、国をぶっ潰すために何ができるのか、今の流れを止めることができるか、それが私たちに求められている大事なことだと思います。三里塚農民の闘いを私はずっと共に闘ってきたというつもりです。これからも三里塚農民のたたかいをわが闘いとして、みなさんとともに闘っていきます。

 

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2008年7月23日 (水)

7・13関西新空港闘争(2)

08713        (写真は、決意表明をする泉州住民の会のみなさん) 

関西新空港の地元、関西新空港絶対反対泉州住民の会の皆さんからの決意表明

【役員の平尾さん】  暑い中、遠くから駆けつけていただきまして、誠にありがとうございます。・・・・サミット、皆さん、どう思いましたか。私自身は、もう福田総理よ、日本へ税金を08713_2 使った観光客のような、と叫びたいんであります。何のために来たのか。世界の国々からトップが何かにこにこ、にこにこして何をしに来たのかと。これだけは許せんと思っております。 今日、私、前回1月に決意表明しまして、もう半年。いたって体の方は、死ぬまで頑張るという決意は変わっておりません。どうか皆さん。この泉佐野市政はいろいろと国賀事務局長からお聞きになられたと思いますけれども、まったく半年、まったく変わらないんです。とんでもない。しかし、われわれは一歩も譲りません。いつも言うんやけども、また体の続く限り頑張ります。あとのいろいろのことは、後ろにお任せしたいと思います。

【役員の小林さん】 今日は。何も考えてきてなかったんで。うちのおっさんの給料なんかね、十何年も前から2割減らされたまま、ボーナスはカット。08713_3 買い物に行ったらね、みんな1.5倍になってるんですよ。車も走らせられない、ガソリンが高騰で。生活が全くやっていけない。こういう状態にしたのは一体誰やねんと言いたい。特に、この大阪におったら、橋下は一遍ここに出てこい。なんか責任取ったんか。口ではええことばかりぬかしくさって。ほんまに。大阪府は、500億円もの有利子のカネを借りてやね、70億円もの利子を税金として使とる。なんで、使うカネあったらこっちに回せへんねんと。責任とらんかい。わし、腹立って、腹立ってしょうないんや。この腹立つのを解消するのは闘う以外にない。どこにもない。私は死ぬまで、死ぬまでこの地で闘い、三里塚に行き、広島に行き、闘うみんなと共に死ぬまで闘うことをお誓いして決意表明とします。

【役員の中山さん】 みなさん。今日は本当に暑い中、ご苦労様です。今、二人が決意表明しましたけれども、今、泉佐野は本当に大変なことになっています。2年前に私はゴミ袋の有料化反対で立ち上がりましたけれども、その時、新田谷市長は「共存共栄やから仕08713_4 方がないんや。45億円の連絡橋の減免は仕方がなかったんや。これからも共存共栄していくためにこれは仕方がないんや」と、私たちにいいました。しかし、今、連絡橋が国有化されるこういうことになって、8億円の固定資産税が入ってこない。どうしようと。そしていろんなことを書いています。連絡橋を通る車から200円の通行税を取ろうと。こんなことまでも考えています。こんな200円の通行税が通ったら、ほんとに世の中おかしくなってしまいます。どこの市町村でも、私の所の道路を通るんだったら、税金を払わなかったら通さへん。こんな非常識なことは絶対に許せません。私は、泉佐野の市民として本当に恥ずかしく思います。みなさんそうでしょう。泉佐野の市民のみなさん。どうか、この新田谷のやりかたに対して、断固として拒否していきましょう。そして、闘いましょう。

 もう一つ、大きな問題があります。病院の問題です。今、病院は本当に人がいなくて、あんな立派な病院を作りながらも、全然治療してもらえません。救急態勢も一切なくなりました。こんな病院があるでしょうか。どうしてこんなことになったかと言うと、結局は関空のために潤うんだといって何でもかんでも箱ものを作ってきました。しかし、それが大破産したんです。私たちは関空とは共存共栄出来ない事が、今になって本当にはっきりしました。みなさん、これからも泉佐野市民を先頭にして、関空反対のために闘いましょう。そして阻止するまで、関空を沈めるまで闘いぬきましょう。ありがとうございました。

【役員の小林さん】 もう一言だけ。もう10何年、20年になんなんとしていますけれども、ここの空港が、橋一本止めたらね、完全な軍事要塞になる言うてたね、国が買い取ったらその通りになる。私たちが20年も前から言ってきたことがその通りになる。絶対に許せない。その前に私が爆破してやる。

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2008年7月20日 (日)

7・13関西新空港闘争(1)

08713_2 

7・13関西新空港反対全国集会での三里塚反対同盟の伊藤信晴さんからの挨拶

今日はどうもごくろうさまです。私、昨年も参加させていただきましたけれども、関西新空港の非常に危機的な状況と基調提起の中にも入っている大阪府の未曽有うの労働者に対する攻撃の中で、今、泉州住民の会、国賀さんを先頭にしたこのたたかいは必ず勝利できるいう風に思っております。

私たち反対同盟も、市東さんの農地取り上げいう攻撃の中で、ある面では三里塚闘争の正念場にさしかかっております。そういった中で、私は、43年間の三里塚闘争を考えるとき、一番大変だったとき、一番今の基礎を作った時は、あの3・8分裂の過程ではなかっただろうか。農民が最も必要としている水を武器に同盟分裂を狙ってきた。多くのみなさんも本当にこのすべての過程において、三里塚に駆けつけていただいて、この同盟破壊の攻撃に共に闘ってくれました。その水を使った分断攻撃、それを私たち反対同盟は断固として拒否して、一坪共有化運動を粉砕し、脱落派を粉砕して今の反対同盟の基礎を作りました。

それと同時にあの過程は、動労千葉のジェット燃料の輸送の過程で、この問題が非常に浮かび上がってきました。脱落派は動労千葉に対する徹底的な攻撃も開始し、そうした中で、残った私たち反対同盟は、動労千葉との信頼、そして動労千葉がそもそも66年閣議決定以降、中野顧問を先頭にして三里塚に駆けつけてきたこの過程を見るときに、私たち反対同盟は、・・・・のたたかいにかけ、動労千葉は拒否から阻止へという、動労カクマルが全国動員を使って貨車まで組織して燃料を運ぼうという態勢に対し、拒否から阻止へというたたかいに動労千葉は転換し、みごとジェット燃料をとめたのであります。そうした労働者と農民の結合はその原点を築き、動労千葉は日本労働運動の中にあって、文字通りそうした政治ストライキを打って5人の解雇まで乗り越えて進んできた動労千葉が、今、分割民営化に対する戦闘宣言、・・・宣言を発しこのたたかいを牽引しようとしています。

私たちは、始まった労農連帯のこの陣形のことの中で今、文字通り・・・・、数万の労働者が、そもそも大阪府民の7千人の決起が先月あったという風に聞いております。このようなのは、どうしてわれわれの周りに、合流してくることが必ず可能である、そういう中途半端なところはもうなくなってきている。

それぞれ、泉州住民の会が関西空港粉砕をかけているたたかい、私たち反対同盟が、市東さんを先頭にして日本農民の先頭に立って闘いぬく。この気迫と勝利への展望をつかんだとき、労働者との固い結合を確信した時に、私は、三里塚闘争の勝利もありえる、そのように思っています。三里塚43年間の総括を、徹底的に強化しながら、泉州、関西住民のみなさんとともに、共に最後まで闘うことを決意表明しまして私からの挨拶にかえたいと思います。

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2008年7月14日 (月)

7・13関西新空港反対闘争

08713

 昨日7月13日、泉佐野市末広公園で関西新空港反対全国集会が開かれました。快晴で真夏の太陽が照りつける本当に暑い集会でしたが、6、7月G8サミット反対闘争を引き継ぎ、新自由主義政策の下、住民に一切の矛盾と犠牲を押し付け、航空の自由化、軍事空港化への道をひた走る日本帝国主義福田政権と橋下大阪府政への怒りに満ちた集会とデモが、195人の参加でもたれました。08713_3

 安藤眞一淡路町反対同盟事務局長の司会で始まった集会は、先ず山本善偉東灘区住民の会代表の主催者挨拶。「連絡橋の国有化は軍事空港化のためのものだ」「三里塚空港は破たんしているにもかかわらず農地法で市東さんの農地を取り上げようなど無法を尽くしてやろうとしているのは戦争のためだ」「殺すのもいや、殺されるのもいや。東西両軍事空港反対で頑張っていきましょう」と呼びかけられた。

 遠く三里塚からかけつけた三里塚反対同盟(集会に協賛)・伊藤信晴さんが連帯の挨拶。「分裂を乗り越え、動労千葉との労農連帯のうねりは、必ず現地に数万の闘いを引き起こす」「市東さんを先頭に、日本農民08713_5 の先頭に立って、労働者との固い団結を実現したとき勝利すると確信する」と語られた。続いて、全国被爆者青年同盟から、8・6ヒロシマ大行動、当日早朝からの朝デモへの決起が訴えられた。

 安藤さんから、泉州住民の会前代表で現在三里塚反対同盟の一員となって頑張っておられる森田恒一さんと、国鉄千葉動力者労働組合・田中康宏委員長からのメッセージが紹介された。

 ここで、国賀祥司泉州住民の会事務局長(泉佐野市議)が登壇し、基調報告を提起しました。「燃料高騰による航空会社の減便によって倒産の危機に直面している」「連絡橋の国有化、大阪府の1400億円もの投入は、住民、府民への犠牲の転嫁であり絶対に許されない」。そして、「関空の軍事空港化を阻止しよう!」「地08713_6 元泉州住民、大阪湾岸住民を先頭に関空を粉砕しよう」「8・6広島、三里塚に決起しよう」と訴えた。

 関西新空港反対明石住民の会の日原年和事務局長からカンパのアピールが行われたあと、決意表明に移った。先ずは、関西新空港絶対反対泉州住民の会から4人が登壇し、3人が次々想いと怒りを語った。兵庫の住民団体を代表して新空港反対東灘区住民の会の白石裕さん。関西労組交流センターを代表して国鉄労働者。地元の労働組合として関西合同労組泉州支部。部落解放同盟全国連合会。婦人民主クラブ全国協関西ブロック。そして全08713_7 学連の代表から次々と怒りを込めた決意表明が行われた。

 残念なことに、参加した団体への誹謗中傷の発言、あるいは主催者が要請した発言団体の発言に対するヤジなど、集会破壊と思われるような事態が起こりました。最後のまとめの挨拶に立たれた永井満淡路町空港反対同盟代表は、この事態に触れ、「今こそ、私たちは団結を固くして闘わなければならない時だ」として、関空闘争40年の歴史を振り返りながら、住民団体として常に「立場の違いを超えて結集を訴えってきた」「勝利の道に進むためにもっともっと闘いをおおきくしなければならない」「関西空港の軍事使用に反対し反撃していくために、三里塚08713_9 に駆けつけるために、力を合わせていきましょう」と切々と訴えられました。本当に残念で したが、この永井さんの訴えにも野次が飛ばされました。主催者の一員として運営にかかわった者として、こうした事態を招いてしまったことを力不足として参加された皆さんに心からお詫びするとともに、集会破壊になりかねない言動を取られた皆さんに厳重に抗議します。

 しかし、色めきだった警察権力の「期待」を跳ね返し、195名、団結して、りんくう公園までの断固としたデモをうち抜くことが出来ました。猛暑の中、参加された皆さん。本当にご苦労さまでした。

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2008年7月11日 (金)

一カメラマンの三里塚取材記(5)

330

2008.6.8~6.12 (1)

 またまた長いブランクになってしまいました。読者の皆さんには申し訳なく思っております。今回は6月という季節柄、やっと念願の農作業風景を撮ることができました。

 6月7日、深夜の高速道路を3人で走り継ぎ、午前11時過ぎにJR成田駅前に到着し、列車組のみなさんを待つ。しばらく待つとDパックを肩にTさんとMさんが姿を現した。合流330_2 し、集会会場へと向かう。

 少し早く着いたためか、集会会場には人影は疎らで、まだ閑散としている。ここに来て真っ先に感じたのは土の香りである。実に心地よいのである。ま、人間の生理にとっては当然と言えば当然か。普段の生活が、排気ガスと砂埃の舞うアスファルトとコンクリートに囲まれた中にいるので尚更である。

 天候は比較的明るい薄曇りである。雨の心配はまずない。反対同盟の人達や、現地の支援団体のスタッフにより会場の設営が始まった。場所を空けるために移動する。

 演壇の反対側の後方に歩いてゆく。靴が畑の土に沈む。平坦に整地された畑の土は驚くほど柔らかい。カメラバッグから機材を取り出す。2台のボディにそれぞれ28ミリの広角と200ミリズームを着ける。甲高い金属音にふと空を見上げるとジェット旅客機が飛んでいた。反射的にシャッターを切る。着陸するところかフロント・ギア(前輪)を出しノーズ(機首)をやや下げている。溜め息が出る。機影は梢の向こう側に消えていった。帰宅後、撮影したフィルムにはその機が捉えられていた。41

 各参加団体の挨拶、挨拶が続く。最後の発言者が発言を終えた。いよいよデモ行進に移る。前回、3・30のデモでは参加者から2名が不当に逮捕されている。ふと不安がよぎる。デモ隊の先頭を撮るため先回りする。何度撮ってもデモの写真は類型化してしまう。色々とアングルを変えてみたりと工夫しているが、なかなか納得のいくショットが撮れない。

 それにしても、と思わざるを得ないのは、機動隊の異様な多さである。露骨に心理的圧力を加えているつもりだろうが、今、この時点で三里塚闘争を闘っている人達には、何の効果もないのは言うまでもない。デモ解散地点が見えてきた。思わず歩を早める。カメラのカウンターは、それぞれ30を超えていたのでフィルムを取り出す。331

 今夜は市東さんのところで交流会が開かれることになっている。アルコールがそれほど強くない私はまだ気が抜けない。機材をカメラバッグにしまい、市東さんのお宅に向かう。前に市東さん宅に伺った時はまだ寒かった。今日は、ペットボトルをカメラバッグに入れていた。季節の移ろい、時の早さを思った。

 市東さんの離れの座敷にはテーブルが並べられている。正直ほっとした瞬間である。

                               記・山田耕平

写真は、すべて山田耕平さんが、前回3・30~4・1に撮影したものです。管理人としては、「カメラマンの取材記」ですから、写真を文章と一緒にデーター化したものをいただきたいのですが、この写真をもらったのが実に6・8三里塚へ向かう車中。ボヤキたくもなります。ねぇ、山田さん・・・。下から2枚目の左側の写真は、市東さんのお宅東側の畑から撮ったジェットブラストの写真です。新しいレンズをこのために購入し、撮った山田さん苦心の作品です。

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2008年7月 4日 (金)

FTA反対

Y2 「経済財政計画の基本方針2008」(骨太方針2008)は、2010年までの行程表を掲げてFTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)の推進を図ろうとしている。

 FTAについて「トヨタの自動車やキャノンの精密機械などの輸出を図るために安い食料(農産物、水産物)の輸入自由化。安い食料で、労働者への安い賃金を強制してさらに利潤を図ろうとしている」と私たちは大雑把に主張してきた。

 しかし、餃子やウナギの偽装問題で明らかになったように、日本の食料市場は、安い輸入食料が溢れている。だから、先進国で唯一、食料自給率が39%などという事態が生まれているのだ。水産物も農産物のほとんども、世界的に見ても最も市場が開放された状態にある。

 明治、大正期の日本は、帝国主義に移行する時に、安い賃金での労働者の搾取を可能にするためにコメの価格を政策的に低くする努力をした(「コメ騒動」といった、米価格の高騰による民衆の闘いがあったとしても)。日本人にとって基幹食料であり、土地条件に大きく依存するわずかの農産物、コメや乳製品、砂糖などが高関税とかっては「食管法」などで政策的に守られてきた。これらの農産物は、広大な土地をもつオーストラリアやアメリカ、あるいは広い平野部をもつタイヤベトナム、インドなどでの農産物との自由競争を強制されれば、技術的には解決不能な価格差を強制される。

 政府が言う「強い農業」の象徴として、高付加価値の有機栽培でのコメやリンゴなどの輸出の増加が言われる。これらは、新自由主義のもと、中国等で輩出されたごく少数の富裕層を対象としたものであり、極めて一過性の高い現象でしかない。本質的には、最後に残された砦とも言うべき部分の破壊であり、農業の破壊、経済財政諮問会議の言う食料自給率12%という事態の出現でしかない。さらには、「農地の流動化」で、農地まで食い物(もうけ)にしようとしている事態なのだ。

 本質的には、日本農業の根幹とも言うべき、守られてきたわずかの部分を最後的に投げ出しつつ、東アジアを中心とした経済圏の制圧が目論まれている。それゆえ、金融資本的優位性を背景に、例えば韓国における労働運動の解体、労働者の権利はく奪が日韓EPA交渉の課題とされるという事態までが生まれているのだ。韓国労働者、民主労総が総決起して闘うことは余りにも当然であろう。この日本帝国主義の思い上がりを見る時、戦前の朝鮮支配、中国侵略を進め、日本の貧しい農民を大挙して満蒙開拓団として侵略の尖兵としてきた日本政府と軍部の姿を彷彿とさせるではないか。これを我々日本人が、日本の労働者が、また再び許すのかという問題なのだ。

 他方、アジア諸国における安い農産物の輸出は、巨大化する日本への借款返済のための原資として、資本的農業の再編が政策的に進められ、それぞれの国々で、農民からの農地の強奪と、農民の貧困化が極端に進む事態が生まれている。FTA締結とは、こうした事態を極限にまで進めるものだ。「アジア・ゲートウェイ構想」で言われている労動力資源の流動化とは、こうしたアジアの農民・民衆の貧困化、飢餓化を前提とし、日本の労働者への低賃金化、非正規化を強制するものなのだ。そこに追いつめられた日本帝国主義が新たな利潤を生み出す活路としようとしているのだ。

 G8洞爺湖サミットこそ、世界の帝国主義国が、強盗どもが雁首を並べて、こうした分捕りあいを前提とした、パイの取り合いの場なのだ。だからWTOの合意などまったく展望がなく、いずれの国もFTA、EPAの締結を背景とした自らの利害を守る経済圏の確立に躍起となっているのだ。

 ここに、三里塚反対同盟の萩原進さんが、「労働者こそFTA反対に立ちあがるべきだ」とされる、最大の根拠がある。(だから「労農同盟だ」というのは、少し乱暴すぎるようには思うのですが・・・。これはまた別の機会に。)

 明日から、札幌、洞爺湖の闘いだ。日本帝国主義の弾圧をかいくぐり世界からこられた皆さんとともに、全力で頑張ってきます。従って、当ブログはしばらくお休みです。よろしく。

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2008年7月 2日 (水)

経済財政計画の基本方針2008

Photo  6月27日、福田内閣は、「経済財政計画の基本方針2008」、いわゆる「骨太方針2008」を経済財政諮問会議に発表させた。

 冒頭、「都市と地方の格差拡大や非正規雇用の増大などの問題」「原油価格や食料価格の高騰により、国民の生活への不安」などと問題を指摘するものの、すべてを「世界に開かれた経済システムの構築」の上に論じていく。いわく、「日本経済も、これまでグローバル化を進め、そのメリットをいかして成長を遂げてきた」が「これだけではグローバル化のメリットを半分しか享受」していないとして、「これからは、『海外に出る国際化』だけでなく、『迎え入れる国際化』によるメリットを享受しなければならない」として、新自由主義、グローバリズムで突っ走ることを宣言している。

 そして、「これまで行ってきた成長力強化のための政策の推進・加速」として、安倍政権が打ち出してきた「アジア・ゲートウェイ構想」をはじめとした反動的諸政策を具体的に列挙し、引き継ぎ、積極的に進めていくことを宣言している。

 具体的施策の第1として、EPA(経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)の具体的推進を図ることをあげ、2010年に向けた行程表を掲げている。そして第2に、「開かれた経済のインフラ強化」として、航空の自由化を最重要課題として掲げているのだ。いわく「首都圏は、羽田を世界に開き、成田と一体的に24時間運用」「あらゆる角度から可能な限りの空港容量拡大施策を検討する」として、成田空港の暫定滑走路北延伸、さらに3500メートル化、24時間運用、30万回規模への意図を隠そうともしていない。

 そして「地域活性化」の章の2番目の項目に農林水産業をあげ、「国際的な食料事情をめぐる潮目の変化を『強い農業構造』に転換するチャンス」と精一杯の強がり的位置づけを「根拠」に「『強い農業構造』への転換に向け、農地の確保と徹底した有効利用、農地の集積、法人経営や新規参入の促進、多様な生産者の創意工夫の発揮、規模拡大等により農業経営を発展させる」と「改革のポイント」を述べている。そして「具体的手段」として、「農地を確保しつつ、『所有』と『利用』を分離し、効率的な農地利用を徹底し、農地の集積を進める。平成23年度を目途に農業上重要な地域を中心に耕作地放棄を解消する」として、「耕作者主義」を否定して農地法の解体を宣言し、本間正義などの「小さい農家は退場願う」という主張を具体化しようとしているのだ。

 これは、2000年にわたって農地に向き合い、豊かな土、農地を育てる中から生まれてきた「農」を否定し、農地の集積を背景に企業・法人の参入による大規模農業の促進という形をとりながら、結局は農地の疲弊化などを契機とする農業の破壊を生み出すものでしかない。その背景には、「農地の流動化」とは、全てのものを「もうけ」の対象とする新自由主義による新たな投機の対象としての「農地」という問題が、確実に隠されている。それゆえに、表向きの「食料自給率の確保」が言われながら、実質的には本間正義などが主張する「食料自給率などこだわっていてはだめだ」「食料自給率が12%になってもいいんだ」という暴論が、この経済財政諮問会議の中にあり、それゆえの安倍政権の政策の積極的継承ということになるのだ。

 こんな道しか取れない福田政権、日本帝国主義などG8洞爺湖サミットの中で、そして何よりも三里塚闘争の新たな爆発を通して粉砕してやらなければならない!

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