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2008年6月25日 (水)

市東さんの農地取り上げ違憲訴訟第4回公判

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 昨日、6月24日、千葉地裁で市東さんの農地取り上げの違憲行政訴訟第4回公判が、反対同盟のみなさんを先頭に70名の傍聴団(上写真)を結集して闘いぬかれました。

 前回公判(4月15日)で、08624_3 千葉県(被告)代理人から、「南台41-9」の土地について、「原告(市東さん)が賃借地でないと主張するなら、同土地に係る許可処分の取り消しを求める訴えは、訴えの利益がなく原告適格を欠く」というデタラメ極まる主張が行われたのに対する反論の準備書面が提出されたことを葉山弁護士(右写真)から説明。「『41-9』と『41-8』をセットとして4反7畝の『賃貸借契約取り消し許可申請』が出されているのだから、先ず許可処分自体を取り消すべきである。しかも、空港会社が同じ土地をもってその余の土地の耕作は『不法耕作』だとして別途提訴しているのだから、論外だ」と厳しく被告側の釈明を糾弾しました。

 市東孝雄さん(左写真)は、裁判長の不当な無視を跳ね返し、自ら前に座り、陳述の機会を要求して、被告側の08624_4 姿勢を批判する堂々の陳述を行われました。「前回の裁判で、千葉県は『南台41-9』の土地について、『賃貸借でないとするなら、訴えの利益がない』などと主張し、裁判長も同様のことを言いました。私はこうした態度が、がまんできません」として始められた市東さんは、先ず「申請自体が間違っています」としたうえで、耕作の親子3代、90年の歴史を簡潔に振り返りながら、最後に「私は、あらためて強く主張します。私が現在、耕している畑のすべてが、私の賃借地です。これを明らかにし、空港会社の違法・不当を問い、知事決定の取り消しを求めます」と陳述されました。(陳述全文は、「反対する会」ブログ http://www.shitou-nouchi.net/2008/06/post_13bd.html に全文掲載されていますので、これをクリックしてご覧ください。)

 裁判長は、被告代理人に、この点についての釈明を次回公判までに7月中の書面提出を求めざるを得なかったのです。08624_5

 一瀬弁護士からは、「41-9」をめぐる論点の説明に加えて、この裁判として農地法20条の脱法的適用が、そもそも憲法違反であることについて、次回公判までに詳しい準備書面を提出することが明らかにされた。

 原告側弁護団からはさらに、農地取り上げが収用法が失効した中での、あらたな土地収用であり、その背後に、代執行にはじまる、立ち木に人がいるママの伐採や、農民放送塔の倒壊、東山薫さんの虐殺にはじまって、東峰神社の違法伐採などにいたる42年の三里塚闘争の歴史の中における国家権力による違法な農地取り上げの歴史が膨大な書面にして、この日提出されました。

 先日の天神峰現闘本部裁判を引き継ぎ、正に攻勢的な裁判が勝ち取られたのです。

 裁判後の記者会見・説明会では、裁判の経過の説明の上で、一瀬弁護士から、1970年に空港公団が作成した南台の収用のための図面に、当時すでに「41-8」から「41-1」にいたる市東東市さんの耕作地と、「41-9」に当たる石橋政次の耕作地が明確に示されていることが08624_6 明らかにされ(右上写真)、裁判の中で示していくことが明らかにされました。

 最後に、萩原進反対同盟事務局次長(左写真)から、かって裁判に友納知事を法廷に引っ張り出し、「不本意だった」と言わせるまで追いつめたように、堂本知事を法廷に引きずり出そうということと、10・5全国闘争を前に、できれば9・25天神峰現闘本部裁判再開第2回公判で、裁判所を包囲し傍聴闘争を闘いぬいた後、デモをしたうえで集会をするような闘いで仲戸川裁判長を追い詰めていこうと提起が行われました。

 関西実行委員会からは永井満代表を先頭に、3人が参加し、永井さんから全国に広げていく闘いをやろうと決意が語られました。

 本裁判の次回公判(第5回)は、9月30日(火)午前11時から、千葉地裁405号法廷で開かれます。萩原さんの提起にあるように、9月1日市東さんの耕作権裁判第8回公判、9月25日天神峰現闘本部裁判再開第2回公判、9月30日と連続する裁判闘争を、10・5全国闘争の前哨戦として全力で取り組みましょう。

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2008年6月22日 (日)

6・12 天神峰現闘本部裁判を傍聴

Photo  昨年7月19日、仲戸川裁判長に対する「裁判官忌避」が闘いぬかれて以来、11か月ぶりの6月12日、天神峰現闘本部裁判再開第1回公判が開かれました。

 先ず冒頭、三里塚反対同盟の北原事務局長が陳述を行い、①裁判官忌避に至った経緯を述べて、仲戸川裁判長が現場検証を行おうとしてこなかった不当な訴訟指揮を弾劾。②「登記建物が滅失したことを証明するため」と現場検証を突然申し出てきた原告側の主張を、白を黒と言いくるめるための要求だとして弾劾。その上で、③三里塚闘争において裁判所が政府行政(空港公団)に与し、司法制度改革を口実にした拙速審理、早期判決の道をひた走ろうとすることを弾劾して、現場検証を重ねて要求した。08612

 続いて、葉山弁護士、一瀬弁護士、遠藤弁護士、大口弁護士が、次々に立って、それぞれの論点から、裁判官忌避が行われた原因を裁判長が真摯に受け止め、現場検証をまず行うべきであることを論じた。仲戸川裁判長は 「40分の約束だ」とまったく理由にならない理由で、この弁論を妨害し、禁圧しようとした。しかし、弁護団の断固とした抗議と傍聴席からの怒りのヤジに押しまくられ、弁論は貫徹された。

 さらに、この経緯に萩原進事務局次長が、怒りの表情もあらわに 「黙っていられない」と当事者としての発言を求めた。萩原さんを誰か分からないという無様な仲戸川裁判長08612_2 がその要求を無視し禁圧して審理を進めようとするのに対し、萩原さんは裁判長席ににじり寄って抗議した。慌てた廷吏2人が、それを阻止しようとして法廷に乱入。弁護団は、萩原さんをかばうようにしてそれに抗議。傍聴席では市東孝雄さんが立ち上がって抗議した。仲戸川裁判長は、「そこの黄色い服の男」と、市東さんが誰であるかもわからない。三里塚を全く理解しないで、何年裁判を進めてきたのだと、傍聴席の怒りが爆発。

 ついに、仲戸川裁判長は、「お互いに頭を冷やすために5分間、休廷」と宣して退廷。傍聴席から、「その5分で萩原さんの意見表明ができるじゃないか」と怒りの声が、逃げるように退廷する仲戸川裁判長に浴びせかけられる。そして、実際には10分以上も裁判長が出てこない法廷では、15年ほど前まで千葉地裁の裁判長をして、成田治安法などの裁判で反動的な訴訟指揮をした上野某が、原告側代理人として法廷に座っていることが摘発され、それを知る人々から「恥を知れ」と弾劾の嵐が浴びせかけられた。正に「人民裁判」(萩原さんの報告会での言)の様相を呈してきた。

 出てきた仲戸川裁判長は、弱々しく萩原さんの発言を認めた。萩原さんは、「三里塚闘08612_3 争の歴史を理解するべきだ。現地に立って、三里塚を理解することから審理を始めるべきだ」と、裁判所への怒りを表明して、現場検証を求めた。

 それでも、仲戸川裁判長は、言を左右し、弁護団からの繰り返しの確認を求める声にも「現場検証をやらないかもしれません」と開き直り、証拠調べに移ることをも匂わせる。あらためて弁護団、傍聴席から怒りの抗議が行われ、法廷が騒然とする中、仲戸川裁判長は、やっとの思いで、次回公判9月25日(木)午前10時半から開くことを宣して、逃げるように法廷を後にした。

 裁判後、弁護士会館で報告会が行われ、北原鉱治事務局長や、弁護団をはじめ、勝利感に満ちた報告が続いた。先日、5月19日の市東さんの「耕作権裁判」で、萩原さんから「全員退廷も辞さないような闘いをやろう」という提起が行われたが、正にそういう闘いを、しかも1人の退廷も許さない闘いをやり抜いた一日でした。

 写真は、最初が工事中の天神峰現闘本部(旧の本部が残されていることが一目でわかる)、後は、北原さん、萩原さん、葉山弁護士で、裁判後の報告会で。

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2008年6月21日 (土)

横堀

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 成田空港が、国策として43年もかかりながら半分も出来ていない動かぬ証拠の一つが、横堀の小屋。横風用滑走路(C滑走路)予定地のど真ん中にこの小屋と一坪共有地があり、その小屋にある鉄塔が空港敷地内に、厳然とそびえたっている。昨年12月初めに訪れた後、12月末から、鉄塔からのゲリラを防ぐためのフェンスの工事が行われていると報道。3月31日に訪れたが近づけない。「どうして?」と思っていた次第。

 鈴木加代子さんの発案で、11日の午前中の農作業が早く終わったので、現場がどうなっているか見に行こうと言うことに。何とか道不案内の人間ばかりながら、たどり着きガー08611 ドマン。止められるかと思いきや、「横堀の小屋に行く」というと、「どうぞ」とにこにこ。拍子抜けして進むと、何と・・・。右の写真、何だと思います。新しく作った誘導路の下を通って、横堀の小屋に行く道を、わざわざ巨額の金を投じて作ったのだ。東峰部落も、誘導路と滑走路に取り囲まれたら、こんな道路とフェンスで外の地域と隔絶するのだと思うと怒りがわいてくる。

 そして突然視界が開け、巨大な金網に囲まれた横堀の小屋が目の08611_2 前に。なんちゅうこっちゃ! 前回12月初めに来たとき、小屋の周りでコンクリートミキサーで何かを作っていたが、この巨大な金網の支柱を作っていたのだ。何という連中だ!

 どこから入るんだろうと探したら、入口が元のままに。勝手知ったる鍵をはずして中に。うろうろしているほかの人たちをしり目に、鉄塔に喜んで登った。最初の写真は、鉄塔から見た管制塔と第1ターミナルの方向です。第1、第2ターミナルいずれも、この小屋の方向はまったく見えなくなっているので、こうした建造物と、一坪共有地等の更地が空港のど真ん中に横たわっているのは、空港利用者の目には触れないようになっている。空港から見えなくても、こっちから見れば、この凄い状態が丸見えだ。第1ターミナルのさらに左手には木の根の一坪共有地と育苗ハウスが今も小さくここから見える。実は、20数年前に舗装を始めながら、この部分で分断されたC滑走路の使用を諦めた空港会社は、C滑走路南側を駐機場に使っている。第2ターミナルビルからその駐機場に行くには、じぐざぐになった誘導路を使わなければならず、航空会社から不評。所が、昨年、脱落した熱田一の息子が、この小屋のそばにあった田んぼを空港会社に貸した(将来、売却?)のだ08611_3 。それで、小屋周辺の大半が整地出来ることになって、誘導路を整備できることになって、喜んだ空港会社がこんな工事をしたのだ。それでもできあがった誘導路は、この小屋の前で曲がっている(わかりにくいですが、右写真)。

 いやぁ~、面白いですよ。「百聞は一見に如かず」という言葉は、此処のためにあるのではと思わず思ってしまう。こんなものが、日本の空の玄関のど真ん中にあり、2重のフェンスと巨大な金網を張り巡らし、しかも2か所もすぐ近くに作られた監視塔(左下写真)で、24時間の監視体制をとっている。誰も居ないのにですよ・・・。笑わずには居られない。

 三里塚の08611_4 現地調査をすると、三里塚が43年間、「不屈非妥協」に闘いぬき、国策を向こうに回して勝っていることが実感できる。ここはその最高の場所だ。成田空港巡りの観光スポットにしないかと思うくらいだ。左の写真は小屋の南側だが、一坪共有地が監視等の南に残っていることがわかる。その南に航空機が駐機場に向かっているが、その向こうに先ほど埜べた木の根の一坪共有地も遠望できる。

 みなさん、是非、現地を訪れてください。これを見たらいっぺんに元気が出るよ。

 下から2枚目(右側)の写真に、後ろ向きの像がありますが、1977年5月6日、だまし討ちで倒された岩山大鉄塔の中断に設置されていた金城実さんの作品「人間」(だったかな?)です。ここに来ると、そのことを必ず思い出し、怒りが膨らむ。

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2008年6月20日 (金)

6月11日 援農日記

08611  

 市東さんのところを7時半ごろ出発して、菱田・中郷の鈴木さんのお宅に8時過ぎに着く。着くなり、鈴木加代子さんから 「松原さん、長靴はいた方がいいよ」といわれ、持って来ていた長靴にはきかえながら、「今日はきつそうかな?」と不安に。

 すでに来ていた現闘の2人が、小型トラックに鶏ふんと糠の袋をトラックに積み込みスタート。15分くらい走って、上の写真の畑に行った。写真は、この日の午後のもので、午前中は全体が写真右側のようにきれいに前日に鋤かれていた。

 余談だが、鈴木さんの畑は11か所に散在し、この日、僕は5か所を見た(下右の写真は鈴木さんの家の上にある畑。森に囲まれ、加代子さんの好きな畑で、「農家便り」にたびたび出てくる)。菱田・中郷部08611_2 落は、菱田・辺田部落などとともに、長年続いた古村です。古村の場合、長い歴史の中で、少しずつ農地が増えていくと、こういう風にあっちこっちに散在する。日本農業のこの現状を口実に、「効率が悪い」として、「担い手」農家のために農地を集約すべきとして「農地の流動化」が叫ばれ、「農地法」の解体が今、目論まれているのだ。そして4ヘクタール以下の農家は「退場願う」と、露骨な農業つぶしの意志を明らかにしているのだ。鈴木さんの所は、1か所が1.5反~2.5反。全体で2ヘクタール足らず。

 加代子さんは運転できない。そのため、現闘が来てくれた時は移動できるが、そうでなければ、謙太郎さんが先ず、加代子さんを畑に送り、そのあと戻って、トラクターで移動してくる。これだけでも大変な時間と、おまけにこの燃料高騰では、燃料代だけでも大変な出費。そして無農薬・有機農業をやり抜いておられる。加代子さんは、先日「農家便り」に、「自分の仕事、農家の仕事に自信を持って私は百姓ですと言える農家になりたい」と0861120 言っておられる。何が「退場願う」だ。

 話しがそれたが、午前中はこの畑に先ず糠を目いっぱい撒いていく。土が柔らかく、長靴でもめり込んでいく。長靴に納得。撒くのはなんとか慣れたが、体中が糠だらけ。次は鶏糞。昔は、島村さんなど鶏をやっている農家から分けてもらっていたそうだが、ものすごい臭いだったとか。鶏糞と聞いた時は、思わず引いたが、実際にやってみると大したことはない。この作業だと、立ったままやれるし、昨日の作業で痛みのある足にも楽勝。ほっ。

 終わって、移動。昔の千代田農協の近くにある花屋の前の鈴木さんの畑(20種類くらいの野菜が、所狭しと育っている。左上の写真)に車を置き、トラックの荷台に乗ってさらに奥へ。(右下写真)管制塔(写真中央のうっすらと見えるもの)が向こうに見え、すぐ手前が木の根育苗ハウスがあったあたりだそうで、育苗ハウスに対する成田治安法の闘いのときには、このあたりからロケット弾が飛んだり火炎瓶が08611_3 投げられたとか。ここでも鋤いたところに現闘さんが、糠と鶏糞をまく。その間に、僕たちは写真で黄色く見える菜の花を抜きとる作業。「菜の花を育てるために植えたんじゃないよ」と加代子さんのボヤキ節。蝶々やミツバチが沢山、菜の花に集まっているので、何となく可哀そう。途中、お茶を飲みながら、歓談。森に囲まれ、自然と森の生き物の話に。お茶の後は、現闘さんも加わって、菜の花抜き。謙太郎さんはトラクターで、その横を鋤いている(左写真)。現闘さんが菜の花をトラックいっぱいにして捨てに。それから僕らは荷台に乗って車を置いているところへ。時間が余ったとかで(少しは役に立った?)、08611_4 加代子さんの案内で横堀の小屋を見に行く(明日のブログで報告します)。

 昼食を鈴木家でとって休憩。現闘さん二人が、今日は用事があるのでと帰っていくので、少し不安に。

 昼からは、加代子さんをこちらの車に乗せて、朝、肥料をまいた畑へ。サツマイモを植えるために畝をたてマルチを張る作業。マルチというのは、最初の写真の黒いビニールのこと。謙太郎さんが遅れてマルチを張る機械をつけたトラクターに乗って登場。加代子さんに指導されて僕が、トラクターの後ろについて、マルチを張る作業。といっても、最初にセットする(右下写真の加代子さんがしている作業)だけで、あとは附いて歩きながら、トラクターが08611_5 残した土の盛り上がりを足で均して行く(実はこれが大変で、翌日足がパンパンに)。トラクターが動いていくと畝が出来上がり、そのあとからマルチが貼られていく。農機具の凄さに思わず感動。ところが、僕のせいかと思ったら機械が不調で、3本目で、マルチがうまくかからない。仕方なく、加代子さんが代わって登場。加代子さんは、足の膝の靱帯を1本切っているので、僕は均す仕事だけを続ける。途中でダウンし、カメラマンのFさんにタッチ。

 途中、お茶。ここもいい森に囲まれた畑なので、話しはおのずと様々な森の生き物の話題に。加代子さんと謙太郎さんの話に、カメラマンのFさんはつぃて行くが、僕とカメラマンの山田さんはお菓子を食べるのと聞く方に専念。何しろ、ついていけない。

 夕方には、全てのマルチを張り終え終了。15日の「農家便り」に「関西の3人へ。サツマイモの苗、植え終わったよ」と写真入り(左08616 )で掲載していただいた。帰って、野菜の豊富な夕食に舌鼓。この日、母屋の壁をぶちぬいて窓を取り付ける作業をしておられた福日労の労働者と、解放派の方も一緒に。食後、一時間あまり、でるわでるわ、加代子節が。

 ムーとチビ太にもゆっくりと接するることができました。謙太郎さん、加代子さん。本当にお世話になりました。ゆったりとした農作業のおかげで、お話しも十分聞け、前日に続いて、正に「これぞ三里塚」という想いにふけることができました。ありがとうございました。 08611_8 08611_9

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2008年6月19日 (木)

6月10日 援農日記

 6月10日、朝8時過ぎ、萩原さんのお宅にカメラマンの山田さんと訪れた。何しろ26年ぶりの援農だから、もつだろうかと不安。おまけに、前夜、市東孝雄さんと一緒に飲みすぎて二日酔い状態・・・。08610   

 萩原富夫さんの指示で先ずはソラマメの収穫。現闘のみなさん3人の邪魔をしないように心がける。付いているところが黒くなっているのだけを採るように、根っこのところにもあるからと注意を受ける。昨夜の雨が嘘のように晴れ上がり、日差しが厳しい。根っこが気になるのでついついしゃがむ。結構、ある。もぎりとりながら、畝の先を見ると、これが長い・・・。何とか最後までついて行って、思わず腰を伸ばす。痛い。

 次はスナックエンドウの収穫。もう何度か収穫した後の最後とかで、ほとんど上の方にあり、楽な姿勢で採れるので、ほっ。写真は、スナックエンドウを撮っている富夫さん。この姿勢で足を伸ばしたまま地面にあるものまで採れるのに驚嘆。さやが茶色くなったものなど痛んでるとして、はずしていく。「もったいないなぁ~」と思いながら。ここで10時過ぎに。台所でお茶の休憩。静江さん(進さんの奥さん)などと話しが弾む。

 今度は、玉ねぎを機械で掘り起こしたものを、土をとっ08610_2 たり、花が咲きだしたものを除いたりして、3本の畝のものをまん中の畝にまとめていく。これは簡単と積み上げていたら、富夫さんから乾燥させるのだから積み上げてはダメと注意。なるほど。右写真の中央の3本の畝のまん中の先の方が玉ねぎが一杯あり、左右の畝がなくなっているのがわかるかなぁ~。現闘のみなさんは中腰でひょいひょいと作業。腰を痛めている僕は仕方なくなりふり構わずしゃがみ込み膝をつける。泥まみれになりながらの作業。

 そこで昼食。おいしい取れたての野菜の料理に舌鼓。進さんから「どうだ、26年ぶりの援農は・・」と冷やかされながら。車の中の座席を倒して一休み。

 昼から午前中の玉ねぎの並べ替えを続ける。乾燥したらこれをコンテナに手で収穫していくそうだ。2時半ごろになって、産直の出荷準備の作業が始まる。市東孝雄さんと現闘も加わり、そちらで頑張っていたカメラマンFさんも合流。総勢11人。僕は、先ずは朝収穫したソラマメを市東孝雄さんが計った(左写真)08610_3 のを新聞紙で包む作業。それからニンジンなどをコンテナなどに入れていく作業。人参の長さの2倍くらいの葉っぱが付いているのがめっちゃきれい。葉っぱの付いてないのしか見たことがないから感激。そのあとは、コンテナにサニーレタスなどいろいろなものを流れ作業で入れていき、トラックの荷台などに積み上げていく。腰に来ないかと内心ハラハラしながら、息を抜く暇もない作業に必死。200以上のコンテナが出来上がり、4時半、終了。ほっ。それから机を出してお茶やお菓子をいただきながら、次の出荷(13日)の打ち合わせと歓談。毎週2回、この出荷作業が天候にかかわりなく行われるのだとその大変さに感心。それに65歳になる萩原進さんが、常に最先頭で動き回っておられるのにびっくり。こちらはへとへとでへたり込むように椅子に座っているというのに・・・。

 「援農は1日何時間くらいするものですか」とコメントをいただいた「ぶう」さん。できれば、このように丸一日です。しかし、ご自分の都合で、午前中とか午後だけとかでもいいと思います。何が手伝えるかということもありますが(ほとんど役に立っていない?)、こうして作業をご一緒して、三里塚の農民の「農」に触れ、土を触ることを通して、「これが三里塚なんや」と本当に感じることができますよ。身体のしんどさよりも、その嬉しさでめっちゃ身体が軽くなったようにさえ思えました。

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2008年6月18日 (水)

6・8集会での関実の決意

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 安藤真一関実事務局次長

 みなさん、ご苦労様です。久しぶりに集会に参加しました。私たちは、市東さんの農地を絶対に守るんだという気持ちでここに立っています。この想いというのは私たち淡路の闘いが、40年前に始まりましたけれど、淡路を第2の三里塚にという合言葉でやってきた思いと同じです。市東さんの土地、あるいは萩原さんの土地、この素晴らしい麦秋を迎えたところで集会をしていますが、この命を、宝庫を絶対に守り抜こうというそのことは、私たちの命を守ることにつながるんだ。そういう気持ちで、今も淡路を第2の三里塚、あるいは関西を第2の三里塚、あるいは関西新空港闘争を三里塚の闘いのように不屈非妥協で廃港まで追い込んでいこう、そういう気持ちで闘いぬいています。

 関西空港の闘いは7月13日に今年の全国集会を行います。是非みなさん、みなさんの08608_4 それぞれの地から馳せ参じていただきたい。それが終わりましてから、7月21日になると思いますけれど、萩原さんに来ていただいて、もう一度関西のみなさんと関西で三里塚の闘いをどうやって広げていくかも含めて意見交換をする場を設けています。

 私たちは足掛け2年、三里塚をもっと広げていこうということで関西各地、淡路もそうですが、写真展というのを自力で頑張って開いてまいりました。もうすでに第3次が終わったところくらいですね。それをあっちこっちでやって、「あ、まだ三里塚はがんばってはんねん」「もっとこれからも頑張らんとあかんで」そういう思い、反響を多くのみなさんから聞いております。そして、関実の旗のもとにすこしづつ新しいメンバーが増えております。これは素晴らしいことです。三里塚の闘いの底辺、広がりが今、見えてきたということでね、さらに勝利に向かってこれは前進できる。

 私たちは、しばらくは写真展をシコシコやり続ける、そしてもっともっと三里塚の人口を増やす、そういう闘いを続けていく予定でございます。是非、みんさんの地域でやってみようということでしたら、若干ノウハウを持っていますから、お教えしたいと思いますのでお聞きください。

 松原康彦事務局次長

 時間がありませんので一言だけ申し上げます。萩原さんが繰り返し言っておられますけれども、今、日本帝国主義・福田政権が、農業を破壊する、このことを総力をあげて、航空の自由化、FTAによる関税の撤廃、こういうかたちでの農業の破壊を強行しようとしています。韓国で、先ほど田中委員長からも話しがありましたが、すざまじい闘いが始まっています。やはりこうした韓国のFTA反対の闘いに本当に学びつくして、日本におけるこの農業破壊を絶対に許してはならない。

 そして同時に、この農業破壊をする上でさらに今、日本帝国主義は、今回の国会では見送りましたけれども、農地法の解体を通した、「農地の流動化」あるいは「担い手への農地の集約」というかたちを言いながら、実際には農地を新たな土地バブルを作る、そういったために正に新自由主義、構造改革の名のもとに進めようとしている。こんなことを絶対に許してはならない。こういうことを我々はもう一度この三里塚闘争の中から全国の農民のみなさんと一緒に立ち上がらなければならない。先ほど萩原さんが言われたとおり、労働者が一緒に立ち上がらなければならない。

 そして、FTA反対、農地法解体を許さない闘いの中からこのG8、洞爺湖サミットを絶対に許さない。こんなものを許していたら、本当に新自由主義、グローバリズムの攻撃を許していたら我々に未来はないんだ。世界の、貧困・格差、そして戦争と飢餓はこの連中によって作られているんだということについて、本当に一人一人が決意を固めて この6月、7月、この過程を全力で闘いぬく、そのことを私自身がやり抜くということを申し上げて決意を終っていきたいと思います。

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2008年6月17日 (火)

6・8集会での市東孝雄さんの挨拶

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 みなさん、ご苦労様です。この間の権力の弾圧、本当に許しがたい攻撃だと思います。それも、支援と三里塚を離すという、悪くも何にもないのに理由をくっつけて逮捕する。ほんとに許せないやり方だと思います。

 この間の私の裁判、傍聴、ほんとに沢山のみなさんにお集まりいただきまして、ありがとうございます。12日に、北原さんが先ほど言われましたように、現闘本部裁判があります。あれは、今まで、裁判所の方では、検証は一切しないとそう言ってた中で、今度は、一年の間が空いて、裁判所がどういう方向で検証をやるのか、それはわかりませんが、全面的に対決したいと思います。

 この間 「30周年」ということで、いろんなイベントとか報道がありました。しかし、終わってみれば、結局、成田空港は利便性も悪い、離発着料も高い、それといろいろな問題がまだまだあるということを、最終的には暴露したということだと思います。そして、最後に言ったのが、「地域の人たちとの共栄」ですか。「地域の人たち」て、誰なんですか。誰と話すんですか。天神峰、東峰の人たちの上空40メートルを飛ばして、そのほかに、今度24時間、なおかつ今度30万回にするという。言ってることとやってることがまるっきり違う。こん6 な攻撃を許しているわけにはいきません。

 ですから、これからも、そういう意味で、正しい事は正しいんだと声を上げて、最後まで闘います。どうかみなさん、よろしくお願いいたします。

 先日、コメントで 「ぶう」さんから、市東さんのところに泊まらせていただいたことで、「爆音や煤煙も経験されたのですね」とお問い合わせがありましたが、夜、市東さんと歓談していたら、着陸や離陸、あるいは誘導路を行く爆音は、確かに凄かったです。地響きを立てながらの轟音ですから。本当に許せないと思いました。ジェットブラスト(右写真 08年4月1日山田耕平さん撮影)によるばい煙の臭いは、僕の鼻が、臭いに鈍感(化学の実験のため)なので、わかりませんでした。

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2008年6月16日 (月)

6・8集会での萩原進さんのアピール

08331   写真は、現地調査に訪れた私たちに話される萩原進さん。ふかした八つ頭がほんとうに美味しかった。(08年3月31日 山田耕平さん撮影)

 萩原進さんのアピール(6・8三里塚現地緊急闘争で)

 ご苦労様です。今、市東さんが言われたように「30周年」という大キャンペーンをはって、民間組織まで巻き込んでやろうとしておったわけですが、はっきり言えば、三里塚空港がハブ空港として存在しないということを満天下に示した。堂本までが「羽田の国際化はやむを得ない」と言わざるを得ない。

 もともとをたどれば、いつのまにか三里塚が国際空港として名乗り上げざるを得ないよう08608 な状況になったんですが、冨里・八街案の時の半分以下に縮小してもってきたわけです。その時の妥協案として、あくまで羽田の補助空港なんだということで、千葉県が呑んだんですよ。これはマスコミ全部知ってるんですよ。今になって大騒ぎしている。当たり前の話であって、だから、今日、やってはいけないことをやらざるを得ない。連日、夜間も含めて24時間。そんなこと言っちゃあいけないんですよ。内陸空港でそういうことは。であれば、マスコミは頭から叩かなくちゃあ。40年間それを彼らも黙っていたんだけれど、このような状況でもう我慢できない。あれが「30周年キャンペーン」の姿じゃないか、いう風に出てきた。もう、なりふり構っていられないところにあるんだということです。であればあるほど、あらゆる手段を使っても、何としても形を作りたいと。で、皆さん承知のように農地法を使って農地をとるとか、あるいは、20万回じゃ少ない、30万回に飛ばしてここに住んでるものを追い出すんだとか。それでもだめなら24時間化していくという。そのためには、こういう運動、三里塚反対同盟を先頭とした三里塚勢力を潰さなければならないと、行きつくところそこへ行っちゃうんですよ。双六じゃないけれど、やってればね。

 それが我々にとってみれば40年間闘いぬいて、そこまで追い込んで、追い込んで彼らの正体を引きずり出したんですよ。だから、こんなフェンスをつくらなくちゃあ工事ができないし、何千人の機動隊とガードマン、そういう連中に守られた空港になってる。通常民間空港として使っていても、明かな軍事空港みたいな姿でしか生きえない、そういう空港にできあがっちゃう。それですよ。そういうことであればあるほど、我々は、ここで頑張る。これを勝利するということですよ。ここでいっぺん突破するということがものすごい重要だと思うんです。そのことをもって、あらゆる地域や、あらゆる学園、あらゆる職場で闘いぬける、そういうものを作り上げていける。そういう闘いが必要だ。

 それにもう一つ、今日、そのためには弾圧があります。法政でも38人逮捕。現地では、あらたに活動家に初の組対法の適用。こんなことがあるんです。それは何かというと、今日の状況の中でサミット、この強盗集団が日本で、どうやって強盗をやるかという相談をする、そう輩を守るためにあらゆる地域において、ましてやこの三里塚においては、こういうものを許せないと弾圧をかけてきている。闘っている者に対してかけざるを得ないという形で現われてきている。

 しかし、三里塚はまさにサミット警備じゃないですか。365日行ってるんですよ。そして、サミットと同じような状況をずうっと続けてるんですよ。この状況を、全国のみんなに知ってもらうということが必要だと思うんです。そして、そのためには三里塚の地に一人でも多くのみなさんが、この三里塚の地に立ってもらう。そして体でしってもらう。そして持ち帰ってもらう。そして、広げてもらう。そういう闘いを展開する。

 08608_2 もう一つは、韓国で中学生、高校生までが立ち上がってESB牛問題、食料問題という形でありますが、根本的には米韓の自由貿易交渉ですよ。そっから始まってるわけで、そういう中で労働者が、労働権、労働運動そのものをつぶそうとするものへの闘いと大合流を図って闘いぬいている。そういう人たちと我々は手を組んで闘いぬくという闘いを、ここでの闘いの中から、ましてやサミットの状況の中でそういうものを作り出していく。そういうことができるのは、今、ここじゃないか。

 緊急闘争で、非常に大変な状況の中にあります。しかし、ここでいっぺん突破しましょうよ。数じゃないというかもしれないけれど、数ですよ。数も作って、ここで突破していこう。そして、この闘いを勝利して、そのことを現実的に体でつかんで、もう一度三里塚を全世界に広めていきたい、そういう願望というか、夢というか、北原さんはロマンというんだけれど、そういうものが非常にあると思うんです。そういう闘いが出来るんです。組対法をぶっ潰そう、強盗集団をぶちのめそう、ああゆう支配者をぶち殺そうとかね、そういうことを三里塚の中でやってるわけですよ。こういう土俵があるんですよ。こういうことを権力の中枢の中で堂々とやってるんですよ。ここですよ。そういう土俵がある。そのためには、裁判、これは土俵が違います。確かに、ブルジュワ法の中で、99%そうかもわからない、しかし、1%でもいいですよ。われわれは、その1%をこじ開ける闘いを出来るんですよ。そういう闘いで勝利することができるかもしれない。勝利するために闘いましょうよ。そのためには、裁判所を包囲する人ですよ。傍聴闘争をやり、一方でデモですよ。そして裁判長をつるしあげ、警視庁を震え上がらせる、そういう闘いをやりましょう。

 そういう闘いを自分たちも夢見て、しかし決して夢じゃない。現実にあるんだということを確信して闘いぬいていきます。以上です。

 

 

 

 

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2008年6月14日 (土)

6・8三里塚現地闘争

08608

 雨が心配された6月8日、フェンスに囲まれた萩原進さんの清水の畑に全国から330人が結集して、「暫定滑走路北延伸粉砕・市東さんの農地を守ろう・新誘導路建設を阻止しよう」三里塚緊急現地闘争が闘われました(上写真はデモの先頭に立った反対同盟のみなさん)。関西からは6人が参加。

 集会は、伊藤信晴さんが司会。先ず、北原鉱治事務局長が、「労働者は決起しなければ未来はない。現闘本部は全国の人の共有の財産。12日に裁判が再開される。地裁に結集を」と訴えられた。続いて、鈴木幸司さん、市東孝雄さんの挨拶に続いて、萩原進事086082 務局次長が、アピールを。「30周年キャンペーン、民間組織まで巻き込んでやろうとしたが、成田空港がハブ空港として存在しないことを満天下に示した。夜間・24時間空港化策動が出てきている。住民の生活破壊そのもの」「農地法を使って農地を取る。騒音地区を拡大させる。そのため三里塚勢力をつぶそうとしている。このような敵の攻撃は、われわれが追い込んでいることでなされている。われわれが敵の正体を引き出したのだ」と。

 共闘団体の連帯の挨拶と決意が続く。先ず、動労千葉の田中康宏委員長から「開港30周年報道で許せないことは、三里塚を過去のことに押し込めていることだ。市東さんの土地を取り上げようとしている。しかし、団結すればやつらの攻撃を40年もぶっ止めることができることを示したのが三里塚の闘いだ」とした上で、「こういう時代だからこそ、三里塚・国鉄は輝いている」、韓国のFTA反対の闘いなどの爆発を紹介しつつG8サミット粉砕を訴えた。

 続いて関実から、08608_3 先ず安藤真一事務局次長から「三里塚をもっと広げようと写真展を開いている。新しい人が増えている。三里塚闘争人口の裾野を広げよう」「関西は、7・13関空反対闘争を闘う」と。続いて松原康彦事務局次長から、「日本帝国主義のFTAによる農業破壊を許さない闘いを韓国の労働者・農民の闘いに学んで起こそう」「農地法の解体を通して農地の流動化の名のもとに新たな土地バブルを求めて新自由主義・構造改革の攻撃がある。これを全国の農民とともにはね返そう」と訴えた。

 さらに、全国連、婦民、顧問弁護団、法大の学08608_4 生、福日労と続いた後、支援団体の決意表明が行われ、デモに出発しました。

 3月、10月以外の現地闘争で、330名もの隊列でデモを繰り広げるのはこの10年以上なかったこと。東峰部落を出るところでは、隊列が折れ重なってなかなか重量感がある(左下写真)。 関実も、わずか6人とは言え、想いをこめたもも太郎旗(右写真)を掲げて、同盟のみなさんに続いて進む。誘導路の「へ」の字を強制している市東さんの畑まで、戦闘的なデモが打ち抜かれた。下(最後)の写真は、08608_10 デモの先に、誘導路を「へ」の字に曲がって進む航空機が見える。デモの左側が市東さんの畑だ。

 デモの後、市東さん宅の離れで、萩原進さん、市東孝雄さん、鈴木謙太郎さん、萩原富夫さんと、関西から残った4人の交流会が、夜遅くまで賑やかに行われました。同盟のみなさん、ありがとうございました。とりわけ、4日間も泊めていただいた市東孝雄さんの心のこもったもてなしに御礼申し上げます。08608_7 

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2008年6月 4日 (水)

6月12日、天神峰現闘本部裁判再開

Photo 市東さんの農地とともに暫定滑走路の誘導路に「へ」の字を強制している天神峰現闘本部の撤去を狙って空港会社NAAによって提訴された天神峰現闘本部裁判が、11か月ぶり、6月12日に再開されます。この裁判の狙いは、撤去攻撃で市東さんの孤立化、農地強奪を進めようとするものであることは明らかで、市東さんの農地を守る闘いの重要な一翼を占めています。全力で、千葉地裁いに駆けつけましょう。午前10時半開廷ですので、傍聴券の関係で、9時30分をめどに集まることが呼びかけられています。

 この裁判の最大の争点の一つが建物構造をめぐる問題です。

 反対同盟の主張は、「鉄骨3階建ての本部建物は旧現闘本部建物(木造=上左写真下部の屋根が見える建物)を保存する形で、その上に「お神楽作り」の構造で建築したもので、本部建物の保存登記は有効であり、同盟の権利は建物保護法の対象になる」というもの。

 他方、空港会社NAAの反論(暴論)は、「旧本部建物(木造平屋)は鉄骨3階建ての建物に解体・吸収されたため独立の建物としては存在せず、その登記は無効になった」とするものです。(いずれも、天神峰現闘本部裁判を支援する会 会報18号より引用)

 これは、現場検証すればたちどころにいずれが正しいか判明することです。所が、仲戸川裁判長は、繰り返しの同盟弁護団からの現場検証をすることが最優先との主張を退け、あわよくば現場検証をせずに早期結審へ進もうとしました。それで、弁護団は、昨年7月19日、裁判官忌避申し立てをやむにやまれず行ったのです。所が、千葉地裁は、何の審理も調査も行うことなく、翌日に申し立てを却下するという暴挙を行いました。そして、憲法32条が、「公正かつ偏頗のおそれのない」裁判所によって裁判を受けることを保証している点で忌避されているにもかかわらず、最高裁判所は「抗告理由で違憲を言うが、単なる法令違反の主張にすぎない」と事実をねじまげる不当な棄却決定を昨年11月28日行ったのです。正に、裁判所総体、司法権力Photo_2 が、三里塚闘争に対して、収用委員会に代わる機関として登場したことを示しています。

 天神峰現闘本部は、1990年1月16日、雪の降りしきる中、またまた強行されただまし討ちの家宅捜査の後、成田治安法によって厳重に封鎖され(右写真)、だれも立ち入ることができなくなっています。ですから、建物の状態も当時のままです。裁判所の権限で、現場検証すれば、同盟、NAAどちらの主張が正しいかたちどころにわかるのです。それをしたくない、本部を撤去したいからこそ、仲戸川裁判長は、現場検証しようとしないのです。この攻防は、市東さんの農地を守る、北延伸攻撃粉砕の重要な闘いとなっています。全力で傍聴に駆けつけ、裁判所包囲の闘いで、現場検証を実現しましょう。

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