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2008年5月 9日 (金)

雑感 農民解放

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 私たちが、「帝国主義が農業問題を解決できない」という時、そこで自分たちが何を思い描いているか、きちっと考えなければならないのではないでしょうか。

 以前、木工芸術をされている大前隆一さんにお話しを伺った時に、「物をつくるというのは、非常に主体的な、自分が頭を働かし、手を動かして、すべてを自分の中で完成する、そういうことが自分を作っていったんだと思っております」と言っておられました。

 また農民作家の山下惣一さんが、「農と農業」ということで、こんな風に書いておられます。「私が考えているのは、自分が食うものをつくって、その上で農業の部分をいくつか持っているという型、右足に「農」のわらじを履いて、左足は「農業」の部分につけておくというやり方です。国は「農」の部分をやめさせて「業」だけにさせようとしているわけですね。百姓にとってみれば、それは「農」というすばらしいところ、おいしいところを捨てて、いちばん苦しい「業」の部分で勝負するということになる」と。

 もちろん私を含めそれぞれの人の持つ思想性、いや階級性というべきでしょうか、はあると思います。そうした批判はあるでしょう。しかし、その前に考えてほしいのです。「労働」とは、本来どいうものなのか、大前さんや山下さんが語ろうとするそういうものではないのでしょうか。もちろん、その「労働」が共産主義社会が 実現されない限りありえないとしても、そういうものとして描かれるべきではないでしょうか。そして、問題はそれからの「疎外」ということではないのでしょうか。「疎外」され、「賃金奴隷」とされることへの怒りということではないのでしょうか。「帝国主義が農業問題を解決できない」というのは、一面でこういう問題をも含んでいるのではないでしょうか。農業問Y10_3 題がアプリオリに「土地所有と道具」からする「プチブル問題でしかない」としてしまうのは間違いだと思います。それぞれの職業が持つ本来の「労働」という側面での「農業」(それは山下さんが言う「農」かもしれませんが)問題はあるはずです。それは、それからの「疎外」それ自体として怒りを持ち解決されるべきという農民の主体にとっての道筋が確保されるべきではないでしょうか。

 萩原進さんが「自分たちのこの大地を民衆の力で取り戻し、民衆のものにしていく。それが三里塚の農地死守の基本的考えなのだ」と言われるとき、こうした道筋で大きな意味を持っているのではないでしょうか。「農民が農民として生きていく」ことが「農民解放」としてそれ自体課題として設定され、そこにおいて三里塚闘争を勝利させていくことが本当に求められているのではないでしょうか。

 そう考えるとこの市東さんの言葉の重みが、輝きが理解できるのではないでしょうか。「私は農業に誇りをもっています。生産者と消費者でつくる会の一員として、本格的な有機Y4 農業と産地直送を始めて以降、延べ3000軒以上の消費者宅に野菜を届けてきました。有機農業は、土作りがすべてです。畑を守るということは、土壌微生物が生息できる豊かな土を毎日の作業を通して作り続けることを言うのです。生殖異常や免疫異常を引き起こす殺虫剤、殺菌剤、除草剤などの農業は決して使いません。この考えに基づいて畑は作られてきたのです。そうして作られた作物が、多くの人々の支えになっていることに私は誇りを感じています。農地と農業はかけがえのないものであり、私たちの命です。」

 農業が生産性の低いものとして貶められ、それゆえに封建性や後進性のレッテルを張られ、都市から差別される中で、それでも黙々と踏ん張って作物を作り続けてきた農民に、「シルクコンビナート」に希望を抱いた農民に、わずか2週間で空港計画を押し付けてきた国家権力に対する萩原さんなど反対同盟の農民のみなさんの怒りが「根源的」であるとは、まさにそれゆえではないのでしょうか。

 都市に生まれ、都市に育ち、農業に全く無知なまま育ってきた私は、三里塚の大地と営まれる農業、そしてその闘いが持つ素晴らしさに感動し、心からこの「根源的」怒りを支持し、共に勝利していきたいし、そこに日本帝国主義打倒の大道があると確信します。

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