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2008年5月29日 (木)

雑感 食べ物の輸入

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 新自由主義、グローバリズムによるWTO体制のもとで、さまざまなものの関税が引き下げられ、1980年代の後半から、野菜や果物の農産物、そして水産物の輸入などが一気に増大を続け、食料自給率が下がってPhoto いった。右下のグラフは、日本の国内漁業生産量と輸入量の推移を示したものです(『現代の食とアグリビジネス』2004年出版より引用)。

 それも、日本企業のアグリビジネスによってアジア各国、中国、タイ、ベトナム、インドネシア、台湾などに安い労働力を求め、冷凍食品の工場や、現地法人をつくることなどによってどんどん農産物の輸入が広げられた。水産物でも、回転寿司のネタが、ブリやタイの養殖物を除けばほとんど輸入ものであることに象徴されるように、エビやマグロなどの高級魚はもとより、近海物と考えられたタコはモロッコなどのアフリカ沖、サバはノルウェーから。アジやイワシ、シシャモまで輸入が増えているという。

 「骨なし魚」というのがある。安い労働力によって、3枚におろしてから、指先で確認しながらピンセットで1本、1本の骨を抜き取っていく。そして開いた身の片面に結着剤を付けて張り合わせ、元の魚の姿に戻すというのである。

 エビの養殖では、すでに明らかにされているように、アジアのマングローブ林の自然を破壊し、大量の飼料・薬品投与で水質悪化と、大量の池水交換によって地盤沈下や水系の破壊、農地の塩害などの深刻な被害が出ている。

 以上は、『現代のアグリビジネス』(有斐閣選書 2004年刊)を読んでのごく一部の披露です。「アジア・ゲートウェイ構想」で、今、東アジア共同体構想とやらで、日本帝国主義がやろうとしている一端がはしなくも現れているではないか。今、「食料自給率12%もやむなし」と進んでいる農業破壊、農政改革とは、こういうものの延長なのだ。

 同書は最後に、「自由貿易協定(FTA)の協議に入る中で、マスコミでは農業サイドを『悪者』に仕立て上げ、自由貿易協定の協議が進展しないのは農業生産者団体が『抵抗』しているためであるという論調が後を絶たない。こうした論者は、米加自由貿易協定や北米自由貿易協定では、乳製品・鶏卵・鶏肉・砂糖など重要な農産物を関税撤廃の『例外』扱いにして保護することで、FTAを締結したという明白な事実に口をつぐんでいるのである。FTAの真のねらいは多国籍企業の活動の自由を最大限に補償することであり、それが農業生産者や消費者にどのような影響を及ぼすかについてリアルな検討が今ほど求められている時はない」(同書322ページ)と述べている。

 今こそ「FTA反対」「G8サミット反対」を怒りを持って組織していかなければと思いを強くした。

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2008年5月21日 (水)

5・19勉強会での萩原さんの発言

08519  いわゆる「農民、大変だ、大変だ」といわれる。「じゃあ、どうするんか」 これで止まってるんですね。

 「我々は労働者の闘いと合流するんだ」 と、この間、2年間訴えてきたわけです。なかなかこれが広がらない。それは何かというと、同じ立場だということなんだ。それを理解してほしい。同じような状況に置かれている。

 FTA(自由貿易交渉)という場合、日本の支配者が農産物ほしくて輸入しようというわけじゃないでしょう。しかし、相手国(との論議で)の妨害になってるんでそれの壁をとっぱらうためにそれを輸入する。ある意味で農民を、農民階層を差し出してるわけですよ。「生贄」で出してるんですよ。これはなぜかっと言ったら、「資本の論理」の中で、そういう形で資本が生き延びるためにやる、という論理なんですよ。じゃあ、そこで労働者はどうなるのか。オーストラリアと韓国じゃあ違うんだけれど。

 オーストラリアは資源を持っている、広大な面積を持っていて、農産物とか地下資源とかの輸入はあるんだけれど、根本的には、トヨタとか工業製品を自由に貿易したいわけですよ。そこにオーストラリアで制約がある。それを取っ払うためには、日本の農産物の関税を取っ払うしかない。取っ払うためには農産物の輸入をしなくちゃならん、そういうジレンマの中でやるんでしょ。そのために日本の農民が苦しむ。

 だけど韓国の場合は違うんですよ。決定的に労働者対策としてどうなるのかというところなんだ。こういう形で、日本は、経済的に韓国との競合をやれば勝てるんですよ。だから、どちらかといえば韓国の方は消極的なんですよ。結びたくないんだけれど、結ばざるを得ないという情勢の中にたたきこまれている。時間がないんで、結論的に言うと、「韓国の労働運動をぶっ潰せ」 と日本の支配者は言うんですよ。そういう中で、自由な労使関係を結べる、というところのやり方なんですよ。この自由貿易交渉とはなんなんだ。正に労働者の問題になってくる。そこに存在する食料問題であり、水問題であり、労働問題である。

 「農民が立ち上がるんだろうか」 という話しがあったけれど、必ず爆発したら絶対にどこでも爆発するということを、自分たちは三里塚の代執行の中で経験してるんですよ。いろんな議論はあるけれども、機動隊を前にしたり、自然を破壊した姿の中に近隣からそこに何万もの人が結集したんですよ。われわれが「わー!」と攻めていったら、同じように石を持って闘いぬいたんですよ。それをやらせないために次の代執行の時には、「三重丸?」と言って一番精鋭部隊が前、次の部隊が次、最後の部隊は寄せ集めで、駐在所の職員08519_2 までやってたわけなんです。その外側の警備が打ち破られるというそういう警備になったんですよ。我々の闘いが一瞬でも勝つ、あるいはそういうことが見えたら、我々の予想を超えて闘いが広がる。それをここでやろうじゃないか。市東さんの裁判というのは、そういう位置として非常にあるんだ。この問題をどんどん広げていこう。

 これは農民だけの話じゃないんだ。労働者もそうなんだ。同じ課題だという風に捉えてもらってやっていく。これがなかったら勝てませんよ。という形を共有してもらう。しかも、こういう勉強会に出てもらってる人たちはそれをホントに理解してもらってるという立場からあらゆる地点で活動していただきたい。そのためには、我々同盟をどんどん使っていただきたい。

 (5月19日の、裁判の後での「市東さんの農地取り上げに反対する会」主催の勉強会の最後に、まとめを兼ねて萩原進反対同盟事務局次長が話されたものを、テープ起こししたもので、文責は、当方「関実・三里塚」ブログにあります。)

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2008年5月19日 (月)

不法耕デッチ上げ(耕作権)裁判第7回公判

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 今日、千葉地裁で、市東孝雄さんの耕作が「不法耕作」だとする空港会社NAAが訴えた(耕作権)裁判の第7回公判が開かれました。上の写真は、傍聴券を確保するために裁判08519_3 所前に並んだ反対同盟と支援です。

 原告NAA側の主張の大前提となるはずの「土地の範囲の特定」に関する釈明があまりにも杜撰でひどいものであるため、改めて被告・市東さんの弁護団から釈明が求められた。「土地の特定に立ち会いがあったのかどうか」「実際に誰が耕作していたと特定したのか」「立ち会っていないとすれば、何によって特定したのか」など、など。流石に裁判所も原告をかばいきれず、改めて釈明を促す。その上で、弁護団から親子代々が90年耕作してきた経緯を含めて賃借権取得の経緯について、1970年ごろまでが詳しく主張が展開されました。

 何よりの印象は、裁判所が事実の重みと、弁護団の必死の弁論に追いつめられ受け身になっていることでした。原告をかばい、早期の審理を強行しようとしていた最初の頃とは雲泥の差です。やはり08519_5 、傍聴をはじめ、非妥協で闘うことの大事さを思いました。報告会の最後のまとめで、萩原さんが「全員退廷させられても闘うということもあるんだという気概が大事だ」と訴えておられましたが、本当にそうだと思いました。また、市東孝雄さんが、弁護団と一緒に座って、裁判の先頭で、「必要があれば声を上げて、裁判所に要求し質していく」と決意を語られました。

 報告会の後、30人くらいで、「市東さんの農地取り上げに反対する会」の第2回の勉強会が開かれました08519_6 。匝瑳市で、30町歩の田んぼを耕しておられる小川さんの「農業問題」についての講演を軸に、萩原進さん、市東孝雄さん、鈴木謙太郎さんも交えて、熱心な討論が繰り広げられました。

 次回公判は、9月1日(月)午前10時半からです。この日も、裁判が終わってから、第3回の勉強会が予定されています。

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2008年5月16日 (金)

農政論議のすり替え

Photo  昨日の朝日新聞が、14日の経済財政諮問会議で農業改革について議論されたことを報じた。同記事は「世界的な食料価格の高騰は新興国の需要急増が背景にあり、日本の『輸入頼み』の危うさは高まる一方だ。規制緩和による農地の大規模化や企業経営の導入で自給率を上げることが課題」と結論を提起したうえで、同会議での農水省などの「及び腰」を批判するキャンペーン記事だ。

 同記事は、その上で「日本の農業の最大の問題は小規模な家族経営が多く、生産性が低いことだ。土地の値上がり期待から農業をやめた農家も土地を手放さず、集約化が進まない。一方で後継者難のため、耕作放棄地は増えている」とその論拠を上げている。

 この朝日新聞の提起と論拠こそ、2006年の高木委員会の「農政改革最終提言」そのものであり、その上に立って本間正義東大教授が「自給率は12%になってもいいのだ」として「小さい農家は退場願う」と言い切った論拠そのものではないか。農業そのものが本来生産性の低いものでありながら、地域の経済や自然、社会にとってなくてはならない役割を果たしていることから、同じ先進国であるEUのイタリアやドイツ、フランスなどでは、農業のこうした機能への助成措置を大幅に行っている。農業の生産性や、農民のあり方が悪いかの如く論ずる朝日新聞の論調自体に重大なすり替えがあるのだ。

 農民作家である山下惣一さんは、この日本の「論調」への警告をこめ、「百姓が時代を創る」(08年3月出版)の中で、こう指摘する。「私は日本の農業は『小農』でなくてはならないと確信しています。『小農』がたくさんいて地域を形成し農業が持続できるのです。けっして、その逆ではありません。 / 『小農』と『大農』の区別をかって守田志郎は『自家労力で営むのが小農』『雇用で営むのが大農』と定義しました。私の定義は、『暮らしを目的とするのが小農』『ビジネスを目的とするのが大農』です。いま大変な苦境にあるのは『大農』志向の『小農』なのです。これからもっときびしくなることでしょう。 / この国の風土から生まれ、長い歴史を重ねてきた『小農』を核として工業も商業も住民もすべてが力を合わせて地域を支援し、自分たちの暮らしのエリアをきちんと守っていく。その先行モデルをこの日本で作って世界に発信する。文字通り『百姓が時代を創る』のです。チャレンジしてみたいですね」と。

 朝日新聞の一貫した「虎の威を借る狐」のごとき論拠のすりかえを許さず、農が農として成り立つ道を農民のみなさんと一緒になって考え、道を探ることが必要になっているのではないだろうか。  

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2008年5月 9日 (金)

雑感 農民解放

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 私たちが、「帝国主義が農業問題を解決できない」という時、そこで自分たちが何を思い描いているか、きちっと考えなければならないのではないでしょうか。

 以前、木工芸術をされている大前隆一さんにお話しを伺った時に、「物をつくるというのは、非常に主体的な、自分が頭を働かし、手を動かして、すべてを自分の中で完成する、そういうことが自分を作っていったんだと思っております」と言っておられました。

 また農民作家の山下惣一さんが、「農と農業」ということで、こんな風に書いておられます。「私が考えているのは、自分が食うものをつくって、その上で農業の部分をいくつか持っているという型、右足に「農」のわらじを履いて、左足は「農業」の部分につけておくというやり方です。国は「農」の部分をやめさせて「業」だけにさせようとしているわけですね。百姓にとってみれば、それは「農」というすばらしいところ、おいしいところを捨てて、いちばん苦しい「業」の部分で勝負するということになる」と。

 もちろん私を含めそれぞれの人の持つ思想性、いや階級性というべきでしょうか、はあると思います。そうした批判はあるでしょう。しかし、その前に考えてほしいのです。「労働」とは、本来どいうものなのか、大前さんや山下さんが語ろうとするそういうものではないのでしょうか。もちろん、その「労働」が共産主義社会が 実現されない限りありえないとしても、そういうものとして描かれるべきではないでしょうか。そして、問題はそれからの「疎外」ということではないのでしょうか。「疎外」され、「賃金奴隷」とされることへの怒りということではないのでしょうか。「帝国主義が農業問題を解決できない」というのは、一面でこういう問題をも含んでいるのではないでしょうか。農業問Y10_3 題がアプリオリに「土地所有と道具」からする「プチブル問題でしかない」としてしまうのは間違いだと思います。それぞれの職業が持つ本来の「労働」という側面での「農業」(それは山下さんが言う「農」かもしれませんが)問題はあるはずです。それは、それからの「疎外」それ自体として怒りを持ち解決されるべきという農民の主体にとっての道筋が確保されるべきではないでしょうか。

 萩原進さんが「自分たちのこの大地を民衆の力で取り戻し、民衆のものにしていく。それが三里塚の農地死守の基本的考えなのだ」と言われるとき、こうした道筋で大きな意味を持っているのではないでしょうか。「農民が農民として生きていく」ことが「農民解放」としてそれ自体課題として設定され、そこにおいて三里塚闘争を勝利させていくことが本当に求められているのではないでしょうか。

 そう考えるとこの市東さんの言葉の重みが、輝きが理解できるのではないでしょうか。「私は農業に誇りをもっています。生産者と消費者でつくる会の一員として、本格的な有機Y4 農業と産地直送を始めて以降、延べ3000軒以上の消費者宅に野菜を届けてきました。有機農業は、土作りがすべてです。畑を守るということは、土壌微生物が生息できる豊かな土を毎日の作業を通して作り続けることを言うのです。生殖異常や免疫異常を引き起こす殺虫剤、殺菌剤、除草剤などの農業は決して使いません。この考えに基づいて畑は作られてきたのです。そうして作られた作物が、多くの人々の支えになっていることに私は誇りを感じています。農地と農業はかけがえのないものであり、私たちの命です。」

 農業が生産性の低いものとして貶められ、それゆえに封建性や後進性のレッテルを張られ、都市から差別される中で、それでも黙々と踏ん張って作物を作り続けてきた農民に、「シルクコンビナート」に希望を抱いた農民に、わずか2週間で空港計画を押し付けてきた国家権力に対する萩原さんなど反対同盟の農民のみなさんの怒りが「根源的」であるとは、まさにそれゆえではないのでしょうか。

 都市に生まれ、都市に育ち、農業に全く無知なまま育ってきた私は、三里塚の大地と営まれる農業、そしてその闘いが持つ素晴らしさに感動し、心からこの「根源的」怒りを支持し、共に勝利していきたいし、そこに日本帝国主義打倒の大道があると確信します。

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